読んだ本の記録 note of books I read
当ホームページ開設後に読了した本を並べていく、自己満足のためだけのページ。
他人が読んでも分からない記述になると思います。ネタバレはしないように努めます。何故こんなことしようと考えたのかは、こちらに記しておきます。
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2011.09.19 服部 龍二 『広田弘毅』
広田弘毅については、本書の著者もそうらしいが、城山三郎『落日燃ゆ』で描かれた姿が人口に膾炙しているらしい。未読。
本書が中公新書に出ていることは数年前から知っていたが、手にしたのは、星新一伝を読んで広田が登場していたからである。新一の父、星製薬創業者の星一と親交があったらしい。広田の終戦直前の対ソ交渉には星一も関わってきている。
読後プロフィールを確かめて気づいたが、著者は私より若いのであった。
外交官という人種は大変そうだ。
2011.09.15 雁屋 哲 作/
花咲 アキラ 画 『美味しんぼ』[105]偉大なる名人・名店@
美味しんぼは、近年社会問題に傾いて当初の軽妙な面白さが薄れてきているような気がしてちょっと食傷気味だったのだが、本作は実在の名人・名店をそのまま取材するという「もう、ここまで堕してしまったのか」と一見見限りそうになるテーマにかかわらず、登場人物それぞれのキャラクターと絡めて話を展開させるというところが、往年の面白さがあってよかった。
2011.09.14 疋田 智 『それでも自転車に乗り続ける7つの理由』
自転車を車道から締め出さんとする道交法改正が、私が病気をしている間にあったらしい。著者はそれと敢然と戦った。本書の後ろの方はその記録である。著者は「くどいかも」と前置きしていたが、読んでいて面白いものであった。話題豊富で相当に読み応えのある自転車論集。
[千葉市中央図書館]
2011.09.09 風間 一輝 『今夜も月は血の色』
これが著者の遺作のようだ。奇しくもデビュー作の次に最終作を読んでしまった。自転車は出てこないのだが、面白い。遺作なので、編集で著者の全作品をレビューするようなおまけもついている。ネタばれ感もあるが、ほかのも読んでみなくては。文庫にはなりそうもないので、図書館で借りるしかないか。
[千葉市中央図書館]
2011.09.07 疋田 智、ドロンジョーヌ恩田 『自転車をめぐる誘惑』
疋田氏は今度は芝浦に住んでいた。ドロンジョーヌの突っ込みは下ネタ満載で子供に見せにくい。
[千葉市中東図書館]
2011.09.06 白鳥 和也 『素晴らしき自転車の旅』
正しきサイクル野郎の本。書かれている内容は正に実戦的、実用的で、しかも分をわきまえていて、安全第一のために敢えて書いていない部分もあるという姿勢に居住まいを正せられる。ただし、「ベテラン」という言葉が鼻につく。多用し過ぎでは。
[千葉市中央図書館]
2011.09.01 折原 一 『屋根裏の奇術師 幸福荘殺人日記A』
講談社文庫で新たに出されたのでやっと読めた。90年代の話なので、キーアイテムはフロッピーなのだが、めくるめく叙述トリックに頭がこんがらがってくるわいな。
2011.08.30 うえやま とち 『クッキングパパ』[114]
大家族の宴会というのは馴染みのないものではないが、女性陣ばかりが用意をするというのは、そういう文化もあるところにはあろうが、現代ではジェンダー論的に問題が大きかろう。
2011.08.28 風間 一輝 『男たちは北へ』
昭和である。サイクリング車である。アル中である。駅前食堂である。奇しくも主人公は今自転車にハマりつつある私と同い年なのである。日本は広いのである。
2011.08.24 乃南 アサ 『鎖』
鎖のように重い味わいの重厚な作品。これ以後の音道の生活・精神にこの事件は重くのしかかる。滝沢は当然、保戸田、東丸など、同僚刑事たちのキャラが立つ。一番は、諸悪の根源、星野の喩えようのない軽薄さであろう。
2011.08.19 丸谷 才一 『完本 日本語のために』
国語改革批判派の一人である著者の国語読本。國ではなく国でよいらしい、著者は。本書に掲載されている「わたしの表記法について」によると、漢字の字体は原則として新字を使うのだが、「ひどく気に入らないもののときは」正字を使うという(本人には)明瞭この上ない基準があるらしい。国語教科書批判や大学入試問題批判については、痛快な口調が堪らない。
2011.08.17 うえやま とち 『クッキングパパ』[114]
けいこちゃんの実家には納屋があって、そこには糠床や梅漬けやいろいろ仕込んであって、無口な荒岩ですら「宝物の宝庫ですねー」と屋上屋を重ねる表現をしてしまう。恐らく、これからの日本で最上級に価値を認められるのはまさしくこの世界であろう。宝庫は大げさでも何でもない。
女の子を持つ身につまされそうな話で取り上げられたのは、フォッカッチャ。奇しくも昨日皆で発音できなくて悩んだやつ。
2011.08.07 恩田 陸 『木漏れ日に泳ぐ魚』
小説なのに、とても戯曲的な感触。ストイックなまでに限定した場面と登場人物。限られた登場人物が夜通し会話をするだけで小説を成り立たせるという恩田さんお得意のパターン。徹夜小説。徹夜小説は、夜明けがエンディングになる。庄司薫『赤頭巾ちゃん〜』のごとく。プリーストリー『夜の訪問者』を彷彿とさせるミステリー&サスペンス。刺さるのは、障害が取り払われた瞬間に恋愛感情が一気に冷めてしまう場面。
2011.08.04 三島 由紀夫 『命売ります』
プレイボーイ誌掲載のエンターテイメントも、三島が書くと文学の香りがしてしまう、という感じか。命を「売る」ということを考えついたとき、何とも自由になったという設定が鮮烈。それが生への執着がふと生じたときに恐怖が芽生えるというのもよく分かる。しかし、物語の最後が通俗スパイ小説のようになってしまうところがよく分からない。
2011.08.03 川向 正人 『小布施 まちづくりの奇跡』
小布施のまちづくりは「修景」というものであるらしい。「常に生活と密着して変化しつつもトータルコーディネートに気を配る」という感じか。感心したのは、首長が率先して進めた運動ながら、公的資金は使わないという方針である。その考え方およびやり方の足腰の強さは相当のものになる。
宮本忠長という建築家がキーマンというのは初めて知った。この方、長野市民会館(この前の3月で閉館)や須坂市庁舎などを手掛けた人らしい。
2011.08.01 佐野 眞一 『甘粕正彦 乱心の曠野』
甘粕正彦の一家は、後から知った話ではあるが、三菱に関係がある。正彦の弟次郎は三菱信託の社長を務めた。長男忠男は三菱電機の役員を務め、本書が成立するのに多大なる寄与をしている。甘粕正彦は終戦後「大ばくち」の有名な辞世の句を残して服毒自殺した。長男としては未だ十代前半の年齢であった。第二次大戦の本で季節感を感じるというは、平和な時代に暮らせる幸せなのは間違いないのだが、夏である。
ところで、ノンフィクション作家でも、普通はこの本書のように、「私は○○」というように、自分がこうした、という話が出てくるよな、と思った次第である。それに比すると、最相さんは「自分=著者」が表に出てこない書き方をするなあ、あらためて思ったのである。
2011.07.26 疋田 智 『自転車生活の愉しみ』
聖典はこちらの方だった(後から確かめると)。これが今の自転車ブーム、自転車通勤ブームに一役も二役も買ったとされる聖典だった。文体はずいぶんとくだけたものになりながらも、自転車に乗る生活というものにフォーカスを集中し、ヨーロッパ取材の成果も投入するなど、啓発的な意味は強いのかも知れない。
しかし、私には著者が最初に書いた本(「自転車通勤で行こう」)の方が、より生々しさがあって面白かった。
2011.07.20 河村 健吉 『自転車入門』
この著者も、60過ぎてから自転車に目覚め、最初になんちゃってクロスバイクを買って後悔し、結局ロードバイクに行ってしまった人である。
ホームは多摩サイという正統派。金融機関出身で、年金の本を中公新書から出した縁で、この自転車の本も出してしまったらしい。かといっていい加減な内容ではなく、生真面目な記述が信頼性を高めている。
2011.07.19 恩田 陸 『いのちのパレード』
短篇15作。長編のスピンオフとかイントロデュース集の『図書室の海』などとは違って(あれも面白いけど)、それぞれ他とは独立した短篇集。あとがきと解説によると、これは早川書房の「異色作家短篇集」という叢書に対するオマージュらしい。また知らないものを出された。とはいっても、ダール「キス・キス」とかブラウン「さあ、気ちがいになりなさい」など個々には読んだことのある作品も含まれていた“有名な”叢書らしい(知らなかったけど)。
恩田長編群と一緒で、面白いものも多数だが、なかにはよく分からず趣味の合わないものも。恩田作品群の幅の広さゆえである。だいたい2/3くらいが私にとっては面白いと感じた。表題作には、著者の思い入れも一際あるようだが、私にはちょっと空振り気味に思えた。初めの方のホラーテイストの強い2話、それからミュージカルのパロディ、ミステリー仕立てなどのテクニカルなのが面白く感じた。
2011.07.14 篠田 節子 『仮想儀礼』上下
大作。しかも、ぐいぐい読ませる。宗教をビジネスとして扱うという、極めて現代的なテーマに真っ向から取り組む。現代的である。主人公が宗教ビジネスに手を出そうとするそのきっかけは、9.11同時テロを報じるTV映像であったという設定だ。教祖桐生慧海こと鈴木正彦は、オウム真理教を始め、カルト的に行って破滅した数多の新興宗教の失敗を見ているためか、極めて常識的な対応をする。問題を抱えてやってくる人間を、「こんな面倒なのは抱え込みたくない」と思いつつ、現実的な対処するよう促す。最後まで常識を保ち、信者を洗脳することを避けるという路線を行くという発想は新鮮だった。それでも、信者がいつしか暴走し出していく。それが宗教が抱える恐ろしさなのか。宗教に限らず、皆が信じるものが同じ過ぎるという問題かも知れない。ファシズム、軍国主義、根は近いところにありそうだ。
2011.07.13 疋田 智 『自転車通勤で行こう』
自転車本をいくつか見てきたが、最近の自転車(通勤)ブームの火付け役になったのがこの本らしく、一度は読むべき「原典」に位置づけられている感があった。たまたま図書館で見つけたので借り出す。
さすがTVディレクター、話の運び方が巧い。それを手慣れた読みやすい文章で読ませる。読み物としてハイレベル。
自転車的には、あるきっかけで自転車にハマり、それを通勤にも使うようになった人と勝手に想像していたのだが、そうではなかった。著者は自転車的には、本人はそう書いていないが、玄人である。学生時代に約1月かけて自転車で東京から九州までの旅行をしたことがある。学生のときから「サイクルスポーツ」という雑誌を読んでいた。自ら修理したりパーツを取り換えたりは何の苦もない。
そして本書の半分は、自転車にかこつけたTV業界人としての話である。それがめっぽう読ませる。外交官Q氏の生態を批判的に書いた掌編などぐいぐい引き込む。本当に話の運び方が巧い。
そして、この人の自転車は(今は知らないが1999年当時は)ランドナーである。
[花見川図書館]
2011.07.09 篠田 節子 『寄り道ビアホール』
エッセイなのだが著者は小説の方が書くのが好きそうだ。エッセイも面白かったけど。
[花見川図書館]
2011.07.08 中西 秀彦 『印刷はどこへ行くのか』
印刷業のみならず、紙屋にも示唆に富む本書。印刷は文化を体現する産業であるという気概が心強い。昔の紙屋、特に印刷用紙を扱う紙屋にはこういう気概があったのではなかろうか。「紙は文化のバロメータ」と本気で言っていたわけではないのか。DTPについて、著者の説いた見方は新鮮であった。DTPは民主主義のための強力なツールと捉えるべきものであると。つまり、誰もが最終的アウトプットを直接作れるようになるという点がDTPの革命的存在意義であるのだ。1997年に著者が予想したことは大概当たっている。今後この方向というのがあるとしたら、それはオンデマンド印刷だと思う。そう言われて久しいが、この点については紙が安すぎるため、急激には進んでいないような気もする。供給過剰なのだ、やはり。
[稲毛図書館]
2011.07.05 山川 健一 『自転車散歩の達人』
飽くまでママチャリ。この行き方もアリ。
[花見川図書館]
2011.07.04 出口 由美子 漫画 / 粟生 こずえ 構成 『段ボールのひみつ』
学研まんがでよくわかるシリーズ41。取材協力レンゴー。一昔前までは板紙界はメーカーがひしめき合いなかなか利益の出にくい業界だったのだが、王子およびレンゴーの強力な統率によって、今ではすっかり印刷用紙を尻目に堅実な業界になってきている。本書は2009年レンゴー百周年を前に刊行されているが、私のよく知らない段ボール業界やレンゴーの沿革がよく分かる。レンゴー創業の地は北品川とのこと。
[稲丘小学校図書室]
2011.07.03 乃南 アサ 『嗤う闇』
巧い作家だなあ。どうやらこの短編集の前に『鎖』があって、それを読まなければならないのだった。
2011.07.02 最相 葉月 『星新一 一〇〇一話をつくった人』
まず戦前には星製薬といったら知らぬ人はいない大会社であったという事実は認識していなかった。それを築いたのが新一の父、星一。新一(本名親一)はそれを引き継ぐべく運命づけられていた長男であった。国会議員活動もしていた星一の秘書として、東大農化の学生時代から様々なところに出入りしていたという。それが星一の急逝により、星製薬の社長となるも、結局は手放すことになった。新一まだ20代半ばのこと。その後、日本SF創成期の人たちと交じり、作家として活躍するようになって以降を、我々は知っている。荏原に住んでいた。池波正太郎とも親交があったらしい。作品が古びないよう、時代性を極力作中から排していた。
著者は、膨大な数の人から話を聞き、この緻密な評伝を完成させた。本文中では極力自分を出さないよう抑制する文章運びがクールであるが、それを支える思いは熱い。あとがきでその思いが一気に迸っている感があって、それもまた好ましい。
2011.06.17 ちくま日本文学 『林芙美子』
「放浪記」はここには収められてはいない。たぶん自分の身辺を書いたものだと思うのだが、小説はいろいろな題材を採っていたようだ。
「野猿」は洋画家青木繁の最期を描いた作品。「魚介」「牡蠣」なども味わい深いが、題名の意味が解らない。
2011.06.16 我妻 榮 『法律における理屈と人情』
日本法学史上最大の民法学者といっても過言ではない著者。私の時分の教授連は、著者に師事した弟子世代にあたると思われる。ともかく我妻栄といえば神格化されていた。民法はともかく、他の法学専攻の人であっても、我妻先生に対する態度はそうであったように思う。東大の法学研究棟には、我妻研究室の看板(我妻先生を記念した部屋だと思うのだが)が今でもあるのではなかろうか。
で、恥ずかしながら、多分御著作を通読するのは初めてである。一般向けの講演を起こしたものなので、大変読みやすい。その思想は骨太い。現代でもまったく通用する。ただし、家族制度に関するところは、さすがに時代の変遷を感じる。何よりジェンダーによる役割分担というものをアプリオリに認めて前提としてしまっているところが反発せざるを得ないのだが、それはその時代時代の状況下で考えるべきではあろう。著者が理想としていたのは、各人が自律的に考え行動しながら、他者に思いを至らせる、高度に大人の社会である。法学的にはそれを成り立たせるための在り方や市民の自覚を喚起しつつ、裏付けとなる社会や経済にも目を配る視野の広さと解決の妥当性が我妻法学の真骨頂らしい。
[稲毛図書館]
2011.06.15 乃南 アサ 『花散る頃の殺人』
これが音道シリーズ第2弾。貴子は「おっちゃん」と呼ばれる。安曇の前身が同僚だとは思わんかった。
2011.06.14 橋本 治 『上司は思いつきでものを言う』
私なりにこの解釈したベストセラーの論旨である「現場の声を汲み取ることが常に大切な重要事である」というときの「現場」という言葉遣いであるが、「富の源泉」と解することにした。いや、一般的言葉遣いでは「現場」が正しい。大震災に際して、またはその後の振る舞いにおいて、日本の「現場」は概して大したものだとの評価を得ているように思う。私もそうだと思う。ここで「富」というのは、とりあえず資本主義社会の会社においては営利を求めるのが会社の第一の目的とされているという建前に呼応させている面が強い。私が「富」という語に込めている意味は、「存在意義」というようなものに近い。近ごろ流行りのCSR的な文脈でいえば「社会から求められる意味」ということである。帝国資本主義的に乱暴に言い切れば、「外貨」といってもよい。
本書では会社において現場と大局にあるのが「総務」だとされる。いやあ、確かにそうだね。ただ、他所の会社も含めて総務と名付けられる部署には「渉外」という仕事があって、外部との接触という役割もあるにはある。決して内々だけに向き合っていればよい職場というよりは、誰が何時何を言ってくるかハラハラドキドキの職場だと思う。とはいえ、それは飽くまで組織という存在ゆえの外部との接触であり、外貨を稼ぐ場ではないと言われればその通りである(稼いだと思っても、売上にはならず、雑収入とか営業外収益とか特別利益とかに仕分されやがる)。
どうでもいいが、本書は卓越した知性の持ち主である著者が、「ベストセラーも書こうと思えば書けるけどさあ」というノリでさらっとまとめたような感がある(悪口ではない)。
とりあえず、会社でも上司とされる立場になってしまった身としての本書の教訓。「良い上司と悪い部下」というのは論理的にあり得ない」。
2011.06.12 淵邊 善彦 『企業買収の裏側』
10年前、総務に異動になって、いきなり某K社との合弁の交渉に顔を出せと言われたときに、一番解らなかったのは「デューデリ」であった。デューデリがデューディリジェンスの略であることが解るまでに数日、しかしそのデューディリジェンス(due diligence)が何を意味するのかは、身の回りの法律用語辞典を調べても出てこないというか、「適正手続き」とか出てくるだけで、それが今目の前でやられていることとどうにも結びつかないのであった。学部時代に真面目に勉強しなかったツケといえばそれまでだが、実際のM&Aの現場というのは、学生の身には窺い知ることも出来ない世界ではあったかも知れない。
そうであるからして、本書の副題の「M&A入門」という言葉がまったくふさわしい。もし身の回りに、業務でM&Aに絡む担当になったのだけれど、そんな仕事したことないし、どうすればいいだろう?という方がいたら、「この本を読んだらいい」と言う。私は必ずしも本が実生活に役に立つとは思っていないし、他人に本を推奨することはほとんどない(人に露骨に奨められるのは大嫌いである)のだが、法学部向けのM&Aの本というのは――弁護士が書いている物がほとんどであろう――大抵専門的で分厚く、手軽に全般を----今さら聞けないことも含めて――俯瞰できるものが意外とないのかも知れず、その意味で本書はお薦めである。私が悩んだ「デューデリ」も、本書を読めばよく分かる。こんな言葉を使えればカッコいいぞというような例えば「コベナンツ条項」というような用語もバッチリだ。
2011.06.09 高千穂 遥 『自転車で痩せた人』
今欲しい物の一つに自転車がある。と思って何年も経っているのだが、ママチャリはあるので近所の足としての自転車にはほぼ足りている。
クラッシャージョウ、ダーティペアを生み出した著者は、数年前血液検査でbadな結果が出たのを機に、突如自転車に乗ることを思い立った。凝り性なのだろう。最初クロスバイクという車種を手にするも、飽き足らず、ほどなくロードレーサーに進む。確かにあれは軽い。軽いが荷物も積めず、出来ることはただ一つ、走るだけ。著者にはそれが合っていた。
私は、自転車通勤にも興味があるが、雨降ったときに辛いのと、何より今の距離では長過ぎるので無理である。
MTBのブロックタイヤは、オフロードでこそ真価を発揮するので、舗装路ではとても重いらしい。言われてみればそうだ。場合によっては自動車に積んで移動して走ることになるMTBは候補から外れる。ここはクロスバイクか。
[稲毛図書館]
2011.06.08 夢枕 獏 『釣り時どき仕事』
釣りはしてみたいと思うのだが、面倒臭がりの私はなかなか手が出ない。著者は、某県某川某所に釣り小屋を建ててしまうほどの釣り好き。特に渓流での釣りを愛好していると、日本の河川行政の問題にぶち当たるのである。すると、自然が一番という主張になるのだが、化石燃料を駆使して全国どころか世界中を飛び回り釣り糸を垂れていくこととの矛盾はないのだろうかという疑問を、読者としては抱いてしまう。まあ、その辺は人間が生きている限り、程度問題になるのだろうが。
[稲毛図書館]
2011.06.06 佐々木 庸一 『魔のヴァイオリン』
ヴァイオリン弾きで文章を書く人というのはあまりいない気がする。指揮者、ピアノ弾き、管楽器では、黙して語らず楽器で語る方が遥かに楽という人種がいる一方で、飽きたらず言葉にしてみようという一派がいるように思うが、ヴァイオリン弾きにはその手の人がほとんどいないように思う。歌い手もそうかも知れない。美術贋作でも出てきそうなベンベヌート・チェリーニがヴァイオリン界においても主要な役割を果たす。ほとんど妖刀村正の世界であるが、もっと色欲がジューシーなところが、西洋風である。
[花見川図書館]
2011.06.04 トマス・ホーヴィング / 雨沢 泰 訳 『にせもの美術史』
贋物を見破る側からの話。著者はメトロポリタン美術館(メット)の館長だった人。かなりの名物館長だったらしい。クセが強くワンマンだったかも知れない。
著者は贋作を見破る技を身につけるための一つの方策として、贋作者と知り合いになりその話を聞くことというのを挙げているが、確かに贋作者と鑑定者のやっていることは紙一重である。殊に著者がメット職員として行った所業を見ると、買い付けを狙う品を警備員がいない隙にこっそり表面をめくって真偽を確かめるとか、いかに現地政府に見つからず国外に持ち出させるかとか、日本人的感覚では、モラルという言葉はどこにいったのか、という感覚である。狩猟民族的感覚なのかも知れない。
[稲毛図書館]
2011.06.01 トム・キーティング、ジェラルディン・ノーマン、フランク・ノーマン / 瀧口 進 訳 『贋作者』
美術贋作モノの面白さを私に教えてくれたのは、高校のときに読んだ『写楽殺人事件』(by高橋克彦)である。同書はそれ以外にも私にいろいろな影響を与えてくれた。私にとってのベスト10を挙げろと言われたら間違いなくランクインする作品である。
本書は、贋作者トム・キーティングにフランク・ノーマンがインタビューして起こした自伝と、キーティング事件をジャーナリスティックに検証したじぇラルディン・ノーマンの論文が収められている。前半の自伝が至極面白い。キーティングは、偶然にもピカソに邂逅し、エリザベス女王に謁見し、とにかく一所に納まらず変転流転の人生を送る。そしておそらく一貫して貧乏なのである。贋作で儲けるのは画商なのだ。
ただし、キーティングが語ること、どこまで本当か、どこからがホラなのか、定かではない。ホラだとしても、滅法面白いホラであることは間違いない。
[花見川図書館]
2011.05.28 ジョン・メッフェン / 奥田 恵二 訳 『調律法入門』
恥ずかしながら初めて知ったことが2点ある。一つは、ピアノの調律というのは、唸りを数えて行うものだということ。唸りがないようにするわけではないのだった。もう一つは当たり前のことかも知れないが、いわゆるピリオドの曲については、音律もそれに合わせなければならないのではということ。現代の耳は平均律に毒されているのだろう。それぞれの調性に対して固有の性格があるというのは、もしかしたら絶対音感ではなく、音律の問題かも知れない。
[花見川図書館]
2011.05.22 種村 季弘 『贋作者列伝』
オットー・ヴァッカー⇒ゴッホ/ロータール・マルスカート⇒フレスコ壁画、シャガール/イズライリ・ルホモフスキー⇒古代ギリシア:サイタファルネス王の王冠/アルチェオ・ドッセナ⇒中世、ルネッサンス彫刻/ベッピ・リフェッサー⇒ゴシック彫刻/ハンス・ホフマン、A.W.キュフナーetc.⇒デューラー/ジョヴァンニ・バスティアニーニ⇒ルネサンス彫刻/ハン・ファン・メーヘレン⇒フェルメール。以上、本書で記された贋作者⇒その対象である。典型的に贋作で儲けようというケースは少ない。制作者に贋作の意識がなかった――模倣であった――のに、性質の良からぬ美術商が偽って贋作になってしまったケースやら、目のない批評家に一泡吹かせるためのジョークなだけの作品が国立美術館をも翻弄したケースやら。贋作物はかくも楽しい。野次馬的第三者にとっては。
[花見川図書館]
2011.05.19 乃南 アサ 『未練』
油断していたら帰りの電車で読む本がなくなり、途中の本屋で急いで買ったら、失敗をしてしまった。「シリーズ物は最初から順に読む」という原則を崩してしまったのだ。もちろんそれなりに確かめた。裏表紙のキャプションには、音道貴子シリーズ短編集第二段。短編集というのを見落とした。とはいえ、楽しく読んだ。このシリーズは味わいのある警察小説だと思う。
2011.05.17 ウルリッヒ・リンス / 栗栖 継 訳 『危険な言語』
危険な言語とは、エスペラントのことである。「人々の争いを起こす原因となる相互不理解を解消するための誰もが簡易に学べて使える世界補助語」として構想された人工言語が、なぜ危険な言語として迫害されてきたのか、それを実証的に述べる。顕著な例がヒトラーのナチス下であり、スターリン政権下であった。反共の文脈において疎外されたのか。いや、スターリンのソヴィエトで現にエスペラントはえらい迫害を受けたのである。ザメンホフがユダヤ人だったからエスペラントは迫害されたのか。そういう面は否めない。しかし、一番はザメンホフがエスペラントを考案した動機そのものに、受け容れられず危険視される芽があったのだ。しかも純朴なエスペランティスト――ザメンホフの理念に率直に共鳴してエスペラントを始めた人たち――は、それが危険視されることについて至極無意識であったと思われる。エスペラントが有している危険、それはコスモポリタニズムであった。
エスペラントが広まる過程で、どうしてもイデオロギーと関わらざるを得なかった。エスペラント創設の動機はイデオロギーの塊のようなものだが、あまりに純粋なため、かえってイデオロギッシュには見えない。おそらくザメンホフ自身もそう思っていたのではなかろうか。
しかし、おそらく、良く出来ていたのだ、エスペラントは。さまざまな人がそれぞれの思惑でこれに関わった。これを危険視する人たちは、使われ方によっては自らのイデオロギー――既得権でもある――を危ぶませる可能性があることに逸早く気づいたのだ。純粋に言葉への興味、外国人と話してみたいというだけの理由からエスペラントを学ぶ人たち自身には想像もできない危険性に。しかし、今までなかったネットワークが築かれていくということは、既得権を得ている者たちには驚異に映る。エスペラントはやはり良く出来ていたのだ。
創始者の思惑と離れてエスペラントはイデオロギーと関わらざるを得なかった。外部との関係だけでなく、内部でも、大きな流れでは、中立主義派と労働運動と結びつくべき派との対立があったようだ。私は細かく読み解く気になれなかったが、本書ではエスペラント内部の各種潮流や対立についても詳しく述べられている。
21世紀に至り、グローバリゼーションの是非が論じられている昨今、エスペラントをめぐって繰り広げられた様相――決してエスペラントは過去のものというわけではないが――がそれに重なって見える。グローバリゼーションが世界に豊かさや民主化を供与するといういわば「プラス」の面はあろう一方、それが貧富の差を招いたり、従来の価値・文化・その他諸々を破壊するという「マイナス」をもたらすという議論ももっともである。個人的には、「みんな一緒じゃ詰まんないじゃん」という、今風の言葉でいえばダイバーシティの見地からは、グローバリゼーション絶対というのは適切でなく、飽くまで足場はそれぞれのローカリティに置きつつ、相互に尊重しあいながら、世界との交流をしていくべき、といういささか理想主義的な意見を持っているのだが、果してザメンホフの描いていたのもそういう感覚ではなかろうか。エスペラントは飽くまで補助語であり、道具の一つに過ぎない。
[美浜図書館]
2011.05.15 井沢 元彦 『逆説の日本史』[13]近世展開編
徳川五代将軍綱吉を聖徳太子と同列、いやそれ以上の政治家であった。その訳は…を説き始めたところで本書は終わる。後を引く。
2011.05.14 うえやま とち 『クッキングパパ』[113]
いちご煮の缶詰は、缶詰だけあって本物にはなかなか及ばない物ではある。それを、生のアワビとウニを使って作ればめちゃくちゃおいしくなる。ただ、自分では材料が高価なので失敗が怖くてチャレンジできないけど。高い金を払っても然るべき店で食べた方がよいと思ってしまう。
2011.05.11 津村 記久子 『ポトスライムの舟』
著者の倫理観は、一種の清らかさがあって、私にとっては姫野カオルコに通じるものがある。
2011.05.08 S.J.ローザン /
直良 和美 訳 『新生の街』
リディアとビルのこのシリーズには食事のシーンがふんだんに登場する。二人が待ち合わせたり、打ち合わせたり、他人と会ったりするときに、食事を採りながらというのが多いように思う。本書で印象的だったのは、ユニオン・スクエアで市が開かれているところにいって、バゲットやらチーズやらピクルスやらを買って、空いているベンチを見つけて食べるシーン。この後事件はクライマックスに突入する。
2011.05.05 長井 彬 『千利休殺意の器』
茶器やら焼物やらを見る目はまったくないので、このような世界はまったく未知であるが、傍から見ている分には怪しげで面白げである。ミステリーの世界には、古美術派とでもいうべき一派があるような気がする。高橋克彦、黒川博行、北森鴻等。
2011.05.03 松尾 由美 『ジェンダー城の虜』
性差による役割についての考え方は、私は今の日本社会のなかでは比較的自由な方ではないかと思っているが、自信はない。
本書のヒロイン、小田島美宇の言動についても、私はそんなぶっ飛んでいるとは思えない。元気がいいなあ、というくらいかな。
本書の書き下ろしは1996年の頃のようで、作中パソコン通信が扱われていて確かにその時代のものだけれども、21世紀にはいり、ジェンダー・ロールについての感覚は現実としてより解放方面へ向かっているような気はする。
[花見川図書館]
2011.05.01 エド・マクベイン / 井上 一夫 訳 『キングの身代金』
エドマクとロスマクの区別がついていない私。映画にも疎いので、黒澤明監督『天国と地獄』(未見)が本作を翻案したものとは知らなかった。誘拐モノとして名高い本作だが、私が興味を惹かれたのは、身代金の請求を受けるキング始め、グレンジャー製靴のボードメンバー諸氏の行動であった。今の時代なら間違いなく「レピュテ―ション・リスク」の一言で判断が決まるのにと思いながら読んでいた。けれども結果論であるが、キングの取った行動は最も合理的だったのかも知れない。
2011.04.28 山田 正紀 『神狩り』
ソ連が健在でUSAに比肩する勢力を誇っていた時代、書かれたのはそれほど前の本邦SF。1980年代、山田正紀は日本SFの輝けるルーキーであった。本作はその伝説のデビュー作という評価である。山田正紀の名はもちろん知っているが、宇宙塵どころかSFマガジンですら買ったことのない私には、本作が世に問われた当時の鮮烈さを知る由はない。ただ、ハヤカワ文庫でSFマガジンのベストを毎年編んでいたところに著者の名があったことで、年来の知識としてある。
爾来30年、今も著者は練達の作家としてジャンルを問わずに活躍をしている。ひたすら崇敬する。
私は今これを初めて読んでいて、『七瀬ふたたび』(筒井康隆)を思い浮かべていた。作品の臭いは70年代。そしてそれは私にとってとても慕わしい感触だ。
2011.04.25 白峰 良介 『飛ぶ男、堕ちる女』
本格的なミステリーであることは間違いないが、広告業界の内幕を描いた面白さが際立つ。本作のための創作広告やコピーをふんだんに使っているところが本作の大いなる価値である。エンディングをイラストで締めるというのは、実は他に類を見ない独創ではあるまいか。
メイントリックは、サービス精神溢れるヒントによってけっこう前の方で分かってしまったが、それでもダレることなく最後まで引っ張られる。1991年刊。背景はバブル真っ盛りの時代で、何気ない部分に現われるその時代の描写も興味深い。ものすごく贅沢と思われているのだが、元号はまだ昭和だし、デバイス的にも携帯電話はないしパソコンはせいぜいワープロだし、のどかな雰囲気さえ感じれられる。
[千葉市中央図書館]
2011.04.23 モーリス・ルブラン / 榊原 晃三 訳 『奇岩城』
ルパン物のなかでも特に有名な本作の邦題は、一種ネタばれであるが、上手い訳であることは間違いなかろう。原題はL’aiguille creuseでそのまま訳せば「空洞の針」となり、この作品のおどろおどろしい雰囲気が伝わらない。大正8年の保篠龍緒の訳によって『奇厳城』のタイトルが与えられた本邦では、以後これ以上の題が出てくるのは難しかろう。
[稲毛図書館]
2011.04.21 伊藤 正己 『裁判官と学者の間』
山口利昭弁護士のブログは、いつも示唆に富み重宝している。これを見ていると氏が大変な読書家であることが窺える。折に触れ興味を惹かれる著書を紹介しておられるのだが、そのなかで通読したのは本書が初めて。法律の本を読むのが苦手な私。
英米法学者としてその名を知る伊藤正己が、最高裁判事としての仕事の経験をとてもとても率直に綴っているという印象。守秘義務との関連で悩みつつ記したと自らも記しているが、権勢欲をまったく持たずに冷静でそれでいて誠実に、最高裁という場合によっては政治的な場での出来事をつぶさに見つめ考え意見をした記録である。なんというか、爽やかな印象を受ける。
学生の頃は(まあ、今でもそうだが)世間を知らず、学説は理想の存在と感じ、現実の判例は正されなければいけないことが多々あると思わされていたが、今読むと、裁判実務の懐の深さというものへの共感が強くなっていて、著者が「学者的」という考え方も浮世離れして感じることも多い。本書の価値は、著者がそのことに十分自覚的でありながら、それでも迷いながらも自分なりの解決を希求し続けていたことを率直に記しているところにあろう。
兵庫県生まれということである。私にとって、「強烈に頭がいい人は関西人」の一例とも思える。
[千葉市中央図書館]
2011.04.18 福野 礼一郎 『福野礼一郎スーパーカーファイル』
フェラーリ365BB(ベルリネッタ・ボクサー)のほうが、ランボルギーニ・カウンタックLP400より最高速度が2km速かった、というのが1970年代スーパーカーブーム時代に小学生だった私の微かな記憶である。私はBB派だった。カウンタックはあまりにスーパーカー然としていた。
そして40年近く経って、著者が説いてくれる。カウンタックLP400は紛うことなき本物の革新であったことを。対してBBからバブル時代を風靡したテスタロッサに至るフェラーリ180°V12は失敗作であったことを。カウンタックの実物はとても小さく低い。恐らくカウンタックと同じような本物にランチャ・ストラトスがあるのではなかろうか(本書には登場しないが)。
[千葉市中央図書館]
2011.04.17 伊東 三郎 『ザメンホフ』
エスペラントをザメンホフが作ったのは、何となく40歳とか50歳とか、そういう壮年になってからと思っていたが、さにあらず。世界語という発想に取りつかれ、エスペラントの原型を作ったのは何と学生時代19歳の頃であった。ブラッシュアップして公式発表できたのが28歳のとき。医者でもあるザメンホフがエスペラントを作ったといよりは、エスペラントに取り組むための生活基盤とするため医者をやっていた節もある。当時、世界共通語ブームのようなものがあったようだが、理論や権威、形といったものでなく、実際的で実用のなか皆で発展させていくというスタンスをとったのがエスペラントだった。ザメンホフは、その祖としての権威はエスペラントのためには邪魔以外の何物でもないと捉えていたようで、常にただの一員としての地位を希求した。
道徳の教科書のような書きっぷりは1950年初版という時代もあろうが、1997年9刷においてもなお舊字體なのに現代仮名遣いという何とも独特の岩波新書。
[千葉市中央図書館]
2011.04.14 ジェイムズ・R・チャイルズ / 伏見 威蕃 訳 『機械仕掛けの神 ヘリコプター全史』
東日本大震災の衝撃の津波の映像を捉えたのは、一つには報道ヘリコプターであったろう。確かにヘリコプターは飛行機にも人工衛星にもない超越した視点を与えてくれる。
ヘリコプターを発明したのが誰かというのは、必ずしも明確ではないらしい。有名なダ・ヴィンチの絵は実現不可能な夢なのは分かるにしても、実際に宙に浮いて使えるようになったのはたかだかここ70年くらいのものらしい。大昔から空への想いとして夢想され試みられてきたはずなのに。一つのネックは動力源で、これを解決したのは内燃機関。そういう意味でいけば、人が乗れるヘリコプターを実現した立役者は石油である。
力学的にはトルクによる反対回りを押さえる尾翼が有名であるが、ローターについても様々な試行錯誤があったとのこと。そもそもあれはローターであってプロペラではないのだそうだ。つまり推進力を得るためのものではなく、翼なのだ。サイクリックとコレクティブのコントロールによってヘリコプターは飛び上がり前(後左右)に動く。なかなか繊細なマシンのようだ。しかしてその最大の特徴はホバリング、つまり動かないで浮かんでいられることだ。
[千葉市中央図書館]
2011.04.08 島田 荘司 『帝都衛星軌道』
社会派ミステリーばかりが幅を利かせるなか孤高の存在として登場し、現在の本格ミステリー全盛をもたらした立役者たる著者であるが、実はかなり社会派である。それが必ず本格大技とともに読者の前に出されるので、そうは思われにくいのかもしれないが、冤罪の疑いのある事件に自らも関わり作品にもするなど、机上頭中なだけの作家では決してない。おそらくそれら冤罪問題に取り組んだ結果なのか、日本の裁判に対して厳しい評価があるようで、『最後の一球』もうだったし、本作もそうなのだが、そういう裁判がメインテーマではないものの、その問題に対しての深い洞察が作品の骨格にまで及んでいる。島田作品を読むと、裁判員制度というのも評価すべき側面があるのかもと、ちょっと考えが変わってくる。
しかしこのトリック、答えが思いつかなかったなあ。
<supplement ネタバレあり>
2011.04.06 島田 荘司 『最後の一球』
東日本大震災直後の津波の報道映像のなかに、「津波によっても火事が起きる」というのがあった。すなわち、火を使っていた所がそのまま津波に押し流され周囲に燃え移っていくのであった。現に炎と煙を上げながら濁流に流されていく建物もあった。
それとはちょっと異なるのだが、会社の八戸の工場でも津波による出火という場面があった。それがあったため、本書のメイントリックは分かってしまった。
<supplement ネタバレあり>
2011.04.04 山田 詠美 『ぼくは勉強ができない』
ある風俗を描くには相応のアイテムが必要だと思うのだが、既にいい大人になった年代の者が今どきの高校生を書こうと思うと、真っ先に引っかかるのが携帯電話の存在ではないかと思われる。本書は、まったく携帯電話を登場させることなく、それでいて現代の高校生を見事に描いている突き抜けた作品ではなかろうか…などと思いながら読んでいたのだが、初出は1991年の由。携帯電話を持つ高校生(どころか一般人)は皆無の時代であった。
既に古典になっているのかも知れないが、私が勝手に思っていたよりはずっと中味の濃い佳作。
2011.03.30 中山 七里 『さよならドビュッシー』
楽曲の描写が圧巻。自分がそれを書こうと思ったら、七転八倒した末に陳腐な表現しかできずげんなりすることが見え透いている。
かなりハードな作りである。青春さわやか小説の出だしが、いきなりハンディキャップを負った人間の苦闘記に転じる。そこに名探偵が登場し、本格ミステリーに持ち込んでいく。「このミス大賞」で「どんでん返し」があるという帯の文句に囚われた私には名探偵に対する疑いが最後までぬぐえなかった。的外れ。死ぬためだけに登場した玄太郎爺さんのキャラが一際強烈で、とっても贅沢な素材を詰め込んだ感があるのが本作の凄味である。玄太郎さんとみち子さんのスピンオフ物があるというのもうなずける。最初の事件の謎は忘れ去られたままだし、もう一人の名探偵の素質がありそうな新条医師が最後ふっつりいなくなるのも、今後いろいろと展開されて行きそうな詰め込んだ感を増大させる。どんでん返したる伏線は、パターンとして最初から組み込まれているのであるが、めくるめくストーリー運びと音楽描写に、すっかりと目くらまされてしまった、と負け惜しみ。
2011.03.25 恩田 陸 『朝日のようにさわやかに』
これだけ多作かつ多岐に渡る作風の作家なので、当たり外れがあるのは当たり前であり、しかも超売れっ子なので調子こいてると思う向きがあろうというのも十分理解できるのだが、それを超えて、今の私にとって「もう読む恩田陸がない」という事態は恐ろしいのである。幸いにしてまだまだ文庫に落ちていない作品多数かつ連載中作品多数なので、少なくともしばらくは大丈夫なのだろうが、それでも未読の恩田文庫のストックがない状態に陥りそうだったのでしばらく溜めていたため、久々。これだけ間を置けば少しは飽きるかと思いきや、やはり天性の「お話つくり」の才に惹かれる惹かれる。
居酒屋で何人かがただただ飲んでおしゃべりをしているという著者得意のシチュエーションが本書でも冴える(「楽園を追われて」:本人はあとがきで「私にしては普通の小説」と書いているが)。ミステリーのセンスも相変わらず光る。表題作でもそうだが、会話だけで成立させるという意欲的な構成の「あなたと夜と音楽と」など、切れ味のよいミステリー短篇である。表題作にはウィントン・マルサリスが登場。作中ではその名称は明示されずW.Mとイニシャルでしか表記されないのだが、ジャズ界のトランペットの巨匠が名を明示されずに描かれるオマージュというのが、島田荘司のセヴァド・セリムを彷彿とさせた。
2011.03.23 桜庭 一樹 『赤朽葉家の伝説』
希代の読書家桜庭一樹の描く『百年の孤独』、というのが読んでいて感じることだった。この数年気になっていた作家で、文庫で何冊も平台に並んでいたのだが、まずこの作品を読もうとずっと文庫落ちを待っていたもの。といいつつ、どんな作品かはまったく知らずにいた。創元推理文庫だしミステリーと思ってい読んでいた。ミステリー要素も織り込まれているが、これは『百年の孤独』である。自分のジャンルとしては大河小説となろうか。
文庫版あとがきを読んで嬉しかったのは、著者本人も『百年の孤独』を意識していたということであった。もちろん希代の読書家なので、そればかりでなく、私の知らない他作品も多数引かれているのであったが。
単に鳥取女流作家つながりなだけだが、先日読んだ尾崎翠の一種不思議なテイストの系譜とも思ってしまう。単に読んだ時期が近かっただけだが。
執筆時すでに60年を超える戦後史に果敢に取り組んだ意欲作である。中間の毛毬は丙午生まれの設定なのでちょうど同じ学年。それぞれの時代を、恐らくその大半は希代の読書量を元手に描いた、恐るべき筆力と感心する。
2011.03.19 テネシー・ウィリアムズ / 小田島 雄志 『欲望という名の電車』
80年代に読んだアメリカの雰囲気、というのが私にとっての感想。本国での初演は1947年だし、日本でも遅くとも1953年には演じられているようなのだけれど。
2011.03.17 伊藤 乾 『さよなら、サイレント・ネイビー』
地下鉄サリン事件の実行犯の一人は、著者の大学の同級であり、それもあって著者はオウム真理教の問題を本書で深く広く鋭く追究することになった。
改めて認識したのだが、私も同じ年に入学している。そう思って振り返る1986年、駒場キャンパスでは原理教を布教しようという一派と、それに対して注意を促す一派といて、つまりはいわゆる新興宗教というものは、かなり警戒した目で見られていたように思う。数年後、オウム真理教は「ショーコーショーコー」という歌を流しながら着ぐるみで踊るというエキセントリックな選挙運動をして人目を引いていたが、それを奇異なものとして眺める人たちがマジョリティだったと思う。でも、今でこそ言えるのである。原理やオウムに対して、過剰ともいえる拒絶反応を起こす人が多かったということは、原理やオウムがそれなりの影響力を持っていたからであろう。
上で深く広く鋭くと表したのは、著者は戦争に走ることになった戦前の軍部の問題、9.11に象徴されるテロリズムの問題と連ねて、その真因を探り、今どうするべきか----それがタイトルの意味になっている――まで論じているからである。
2011.03.15 恩田 陸 ほか 『作家の口福』
全20名の作家による食エッセイ集。うち、女性14、男性6の比率。同年代の人が多く、その意味でのシンパシーが湧いたり湧かなかったりするのが、学生の頃池波正太郎等の食エッセイを読んだときに感じた感想とは趣を異にする。
2011.03.14 岸本 葉子 『本がなくても生きてはいける』
もちろん逆説的なタイトルなわけで、本書では100冊余りの本が取り上げられている。
で、もちろん趣味はほとんど重ならないわけで、私が読んだことあるのは内2〜3冊程度なのであった。
本の内容を簡単に紹介する、ということが、私はどうもよく出来ない。それはこのページの記述を見ても分かろう。本書など、そういうのがとても上手に書かれていると思う。そういう事態になることはあまり考えられないのだが、必要があるならばこれなどを参考にさせてもらおうと思った輪番停電第一日目。
2011.03.13 荒木 源 『オケ老人!』
舞台設定として、梅響と梅フィルという2つのアマオケが梅が丘という町で対立的に存在しているというのが、まず興味をそそるポイントである。元は1つ(梅響き)だったのが、その執行部に批判的な勢力が独立分離して梅フィルが出来たという点など特にそうである。もっとも、本書の面白いところはそこに止まらず、梅響という老人だらけのアマオケの成長記に、ロシアのエージェント活動が絡んでくるというのがポイントとなっている。中島がアパートの部屋に防音室を設置したためテーブルの下を通らないと部屋の行き来が出来なくなっているという描写のリアリティに笑う。
2011.03.06 斎藤 栄 『枕草子殺人事件』
量産型推理小説。
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2011.03.05 澁澤 龍子 『澁澤龍彦との日々』
澁澤龍彦はやっぱり恰好好いぜ!
もっともその存在を知ったのは死後だいぶ経ってからではある(タネを明かせばちくま日本文学全集014(1991年刊)による)。今その経歴を追えば、自分が高校生・大学生のころにはまだ健在だったわけで、そのころに知っていれば、(スノッブな自慢を味わえたろうなあ)と悔やまないでもないが、こういうものは縁である。とりあえず、自分の身近に澁澤龍彦を論ずるような者はいなかったということである(別に周囲のせいにしているわけでなく、それこそが縁なのだ)。とはいえ、改めて年譜を辿れば、1987年8月の没は慈恵医大病院においてであった。その2〜3年後であったか、私は慈恵のオケにトラに呼んでいただいて、病院も併設された学内に練習に通ったりしたわけで、私的にはやっぱりネアミスと思いたいのである。当時はまったく認識していなかったが。
遅ればせながら、最近澁澤龍彦の周辺の人に目を拓かれつつある。種村季弘、三島由紀夫等。その意味でいけば、周辺人物で私が最初に名前を知ったのは池田満寿夫であろう。長野高校出身という地方性のためである。ただ、私はまだ池田満寿夫には目覚めていない。
2011.03.04 モーム / 中島
賢二・岡田 久雄 訳 『アシェンデン』
サムセット・モームは英国情報部員であった。多分、007の造形にはそういうイギリスの諜報活動の歴史が背景になっているのではあるまいか。
人の観察。これが作家がしていることである。
2011.02.27 青柳 いづみこ 『ピアニストは指先で考える』
私はピアノが弾けないし、習ったことがないので、ピアニストの訓練だとか葛藤だとか考え方だとか性癖だとか、ピンと来ないところが多々あるのだが、そんなことを知らずとも本書は面白い。もしかしたらピアノに精通している人には「これはちょっと…」というのがあるのかも知れないが、かなり専門的なことにまで記述は及んでいながら、読みやすさが一貫している。いろいろ興味深い記述はあるのだが、一つ、ピアノの人から見て、歌や弦や管の人は、身体の都合で平気で音楽解釈を変える、というのがあって、やっぱりそうなのかいな、と思った。私なんぞは、身体あっての音楽と考えている(甘えている)ので、そういう行為には肯定的なほうで、それはピアノにもあるような気がする。しかしピアノというほとんど完成したメカニックの楽器の人は、ずいぶんとニュートラルに行くのが素直なのだろう。無自覚的に身体の都合で音楽解釈を変えているのはかなりイタい話と思うので、そこを押さえたいという意味では、ピアノの人の方がずっと高みにいそうだ。
2011.02.25 太宰 治 『新ハムレット』
「心理実験」というのが太宰が追求したテーマ、手法だったのか。どうやったら出来るのか分からんが。
2011.02.23 ひの まどか 『バルトーク 歌のなる木と亡命の日々』
本職はヴァイオリニストと思われる著者のこのシリーズは、児童向け図書として書かれているため、奇麗事に割り切っている感もあるが、自らが現地に飛びし縁故者に話を聞く――本書の場合は同名の息子さん――という充実した取材の成果が表れており、児童向けなので文章は簡易で量もコンパクトなので、その作曲家に対するイメージをすっと掴むことができる。
[稲毛図書館]
2011.02.20 ポーラ・ゴズリング / 山本 俊子 訳 『逃げるアヒル』
傑作。
これがデビュー作とは、著者の経歴を何も知らずにいうが、何とも練達なアメリカの作家養成システムなことよ(*)。
手に汗握る予断と油断と中断を許さないスピーディーかつエキサイティングな展開に拍手。
(*)後日知るが、ゴズリングはアメリカ生まれだがイギリスに移住しており、本デビュー作は英国の最優秀新人賞を獲ったとのこと。だから、アメリカの作家養成システムというのはまったく当てはまらない(汗)。むしろ、クリスティーやドロシー・セイヤーズに連なる英国女流ミステリの系譜。
2011.02.17 松島 令 『証券検査官』
インサイダー取引で捕まらないために主人公魚住が使うのは、まったくの別人として取引をするという方法であった。考えてみるとこの方法は、他の犯罪にも応用が効く。すなわち、まったくの別人Xが犯した殺人なり窃盗なりについて、Yの罪は問えないのである。もっとも現行犯逮捕されればX=Yなのであるから意味がないが、インサイダー取引というのは、株の売買いう行為自体が罪になるものなのではないので、別人になるというのが決定的な武器になるわけね。
2011.02.14 ちくま日本文学 『尾崎翠』
「山村氏の鼻」は面白かった。落ちが効いている。落ちが効いているといえば「アップルパイの午後」もそう。それにしても明治生まれの作家が「アップルパイの午後」とはタイトルが洒落ている。タイトルが洒落ているといえば「第七官界彷徨」など21世紀の作かと見紛うのではなかろうか。
従兄妹も含めた「兄妹」という関係性が何作にも渡って繰り返される。
2011.02.12 中島 茂・秋山 進 『社長!それは「法律」問題です』
中島茂先生は、私の現在のコンプライアンスに関する考え方や感覚の基礎となる講義をくださった方である。
流通買占めのときの弁護士だったことは初めて知った。その際に得た教訓が、法務だけでなく広報も含めた企業の対応が大事ということであったらしい。その認識はその頃からトップレベルのビジネス・ローヤーの共通認識になっていったのであろう。コンプライアンスに関しては、弁護士はクライシス対応を抜きに語れなくなった。
2011.02.11 うえやま とち 『クッキングパパ』[112]
小豆島はオリーブの島だそうだ。
2011.02.07 曽根 圭介 『沈底魚』
裏切りにつぐ裏切りにつぐ裏切りにつぐ小説。
最近のスパイ小説ってこんなものなのか?(ってイアン・フレミングも読んだことはないが…映像化作品は知っているわけで、ジェームス・ボンドは少なくとも無条件かつ絶対的に大英帝国を信じ忠誠を誓っている)
著者は私と同年生まれ。始め週刊ブックレビューで知った(今まで文庫落ちを待つ)。私より若い乱歩賞作家はいくらもいるのだろうが、抜かされた感は一番強いかも。
2011.02.04 フレドリック・ブラウン / 青田 勝 訳 『シカゴ・ブルース』
トロンボーンがキーアイテムの本作は、なんとF.ブラウンのデビュー作であった。
さて、そのトロンボーンの記述に関して、ブラウンの間違いなのか、訳者の間違いなのか、原文を参照したい部分があった。
「ゲーリーの学校でトロンボーンを吹いたので、ハ調の音階の位置はまだ覚えていた。一−七−四−三−」
一見滅茶苦茶で大間違いである。しかし、ジャズ的なコードネームの記譜だと、実音Cdurはホーンセクション的にはD(major)と記すらしいから、ここでいう「ハ調」はその楽器のプレーンな調と解釈すると実音B♭durになる。そう思うと、だいぶ整理されてきて、あと引っかかるのは「七」だけである。もしかしたら、これがviとviiの見間違いもしくは書き間違いだとすると、ブラウンはトロンボーンにけっこう馴染みがあると分かる。実はそうではないかと思う。クレアーはインディアナポリスの生れという設定である。実は金管フリークなのでは?
2011.01.22 桜井 健二 『マーラー万華鏡』
今までやったことのあるマーラーは、3番と5番だけである。このたび2番に乗せてもらうことになって、とり急ぎあらためてマーラーを研究すべく本書を手にする。
かなり有益で役に立つ。練習の最初に「マーラーは(パートごとに分けて細密に書いてある)強弱や発想記号をちゃんとやらないとならない」と云われたが、その意味がよく分かった。そして、マーラーは歌なのである。一見マーラーとは関係ないような、都はるみやポール・モーリアにまで筆が及んでいるのが面白い。バーンスタインについて厚く書かれるのは当然だろうが、平成の初期の論考を集めた本書で、インバルのイの字も出てこないのもまた興味深い事実である。
私にとっての圧巻は、山田一雄についての一まとまりの章である。マーラーユーゲントの写真までついてた。
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2011.01.20 柳 広司 『贋作『坊っちゃん』殺人事件』
「坊っちゃん」の世界が好きな人は、もしかしたら読まない方がいいかも知れない。でも、「坊っちゃん」を読んでいないと、本書の面白さと著者が繰り出した技の凄味が分からないかも知れない。「坊っちゃん」の世界にいながら、それをひっくり返して見せる至芸。歴史SFの感もある。
どうやってこの話と文体を作り上げたのか分からないが、著者はまず「坊っちゃん」を自らすべて書き写した(入力した)のかも知れぬ。最初から最後まで「坊っちゃん」の世界であるのが見事だし、枚数すらもしかして同じくしていたりする?
2011.01.17 小峰 元 『イソップの首に鈴をつけろ』
青春推理小説というカテゴリーを切り拓いたとされる著者だが、あらためて読んでみると、その作品のテイストは爽やかというよりは、苦い。
本作は、探偵役がポイントである。
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2011.01.14 小峰 元 『ピタゴラス豆畑に死す』
「うわ、懐かしい」と『蒼林堂書店〜』(乾くるみ)のなかで評されていた小峰作品。作成中の蔵書リストにはいっていたのだが、まったく憶えていない。弟の本なのか知らん。舞台が奈良で、強烈なキャラの山林地主が登場するので、『大誘拐』(天藤真)を思い出したが、本作の方が出たのが早かったようだ。1970年代の高校生の風俗は、確かに私でも懐かしく感じる。あらためて調べると、著者が乱歩賞を取ってこれら青春ミステリーのシリーズを世に出していったのは50歳代のときだったようで、視点としてはその当時の初老(といっても当時の感覚ではあながち間違いではなかろう)の年代から見た今どきの高校生というもので、その辺りが殊更興味深い。また著者は新聞記者だったようだ。本書でも私が一番面白く感じたのは、北浜の取引所(大阪証券取引所ですな)を舞台にした株の勝負の部分であった。
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2011.01.11 太宰 治 『きりぎりす』
悔しいことに面白いではないか、太宰。
この数カ月に読んだ何かにあって太宰のこの短篇をto readリストに載せていた。この前、五能線の旅で津軽を訪れたので、ふと思い出し、探した。短篇なので短編集に収められていた。他の作品も読んでしまった。で、冒頭の感想に至る。
期待はしていなかったのである。メロスは教科書に載っていたし、人間失格は宿題かなにかで読んだ。面白かったという記憶はない。だから期待はしていなかった。最近流行っているというのも天邪鬼の私の反感を呼ぶだけだ。だから期待はしていなかった。なのに冒頭の感想に至る。
書き出しの一文が巧い。印象的だ。表題作の「きりぎりす」の最初は「おわかれ致します。」 まあこれは如何にもである。「佐渡」の書き出しがよい。「おけさ丸。」次の文を読まずにはいられなくなる。「畜犬談」は犬が嫌いだという話で思わず同感してしまうのであった。
2011.01.10 斎藤 栄 『信州の鎌倉殺人旅行』
駒場時代に下宿していた大家さんの書庫に斉藤栄のノベルズがたくさん置いてあってけっこう読んだものだが、さすがに今の目で読むと、2時間ドラマのようで、ミステリーとしてそう面白いものではない。まあ、お手軽な読み物を求めていたので、それは構わない。社会派としては、本作でも時代を意識したテーマが取り上げられているが、その中心は「ストーカー」である。しかし興味深いのは、ストーカーを、つきまとって「最後には殺してしまう」ものとして定義していることだ。1996年当時に書かれた本書であるが、ストーカーという言葉がその頃初めて使われ出したことを再認識させられ、その意識がないままに浸透していることに愕然とした。1996年といえば、ミステリー界では新本格真っ盛り、ついには京極夏彦も登場してくるという時期である。私もそちらのほうへ読書傾向は移行し、大家斉藤栄は天野宗歩以降は手にしなかった。今さら読むと、その辺含めて何とも苦い感触もあり、そこがかえって面白い。
作中出てきた「紅葉狩絵巻」というのには惹かれた。信州の鎌倉とはどこぞ?(答えは別所)
[稲毛図書館]
2011.01.08 花村 萬月 『錏娥哢奼』 上下
破茶滅茶、支離滅裂、荒唐無稽、酒池肉林、ハマれば面白い……んだろうけど、どうも趣味ではない。もっと暗くねちねちしているほうが私の好みのようだ。意外とあっけらかんとしているのである。
2011.01.07 氷川 大 作
/ 白虎丸 画 『グルめぐり』
それが良いことなのか悪いことなのか言うのは難しいが、1999年に小学館がコンビニ需要用に発売した簡易な作りの廉価版コミックは、マンガを書籍作品から消耗品へと変える道を切り拓いた。マンガはそれにより商業的にターゲットを拡げたが、氾濫し使い捨てられることを宿命として取り込んだともいえよう。だから私は簡易コミック物をこの欄で取り上げることはなかったし、その形態で読むのは、一度読んだことのある再録物ばかりであった。
本項は、その掟を初めて破るものである。出版社の戦略も変わり、雑誌への連載後すぐに簡易コミックで出す物もあるようだ。その形態にはとても「読み捨て感」を覚えてしまうのだが、読み捨てるには本作は惜しい。「お子様ランチ」の話など、類型的かも知れないが、今の『美味しんぼ』には望めなくなってしまった、落語にも通じる笑いながらもジンとくる話である。
仁科ゆい、最高。
2011.01.03 奥田 英朗 『東京物語』
「上京」というのは、日本の地方人を主人公としたビルドゥングスロマンを書くとすれば、典型的なれど避けがたいエポックなのは間違いなかろう。我々にとってもそうであった。1980年代の東京をまるまる描いた本作は、主人公はコピーライターだし、後半はバブル経済を謳歌するに至るその時代の空気を数々のアイテムを散りばめて表現している風俗小説であるが、読後感はとてもしみじみしたものである。上京当初は貧しくなくてはならない。本作主人公もそれは外してはいない。主人公はリアリストだが瑞々しい感性を持ち続けていて、それがしみじみを生んでいるのだろう。
コピーライターなどの横文字商売は多分今でも持て囃されるのであろうが、実際に知り合いがおらずどのようなものか謎だったのだが、本作では上手いことその生態が描かれている。
2011.01.02 澁澤 龍彦 『太陽王と月の王』
対話形式の文章が殊のほか面白い。サドとシブサワさんの架空対話など、引き込まれる。澁澤龍彦の文章表現の巧みさが顕れている。ダイヤローグ形式は、新聞連載でも好評だった由。
2011.01.01 クレイグ・ライス / 羽田 詩津子 訳 『スイート・ホーム殺人事件』
3人の子供たちが活躍する冒険譚。子供たちの母親がミステリー作家なのだが、子供たちが問題に直面するたびに「お母さんの何々という本ではこういっている」といって行動を決めたり評価を下したりするところが面白い。
本書は子供も読んでた。読むの私より速いかも。