≪calm before the storm

                         三場 或る心理テスト



「いって」
 闘技場の一角で、裏で噂の渦中の人となっているカイム・ニムサーバはバランスを崩して動きを止めた。
「あ、ごめんね」
 練習用の先の丸い剣を持って、反射的に謝ったのはフィーネである。
 もうすぐ今年で二度目の昇進試合の季節がやってくる。団員たちの日々の訓練にも身が入り、カイムたちAクラスの面々も、近づく防衛戦のために調整に励んでいた。
 ようやく書類も片付け(させ)たフィーネは、ジェノスのお許しをもらって嬉々として闘技場に繰り出したのだが。
 数ヶ月ぶりかというほどの期間を隔てて剣を重ねてみれば、カイムは何とも調子が振るわないのだ。本気を出す前に、剣を叩き落とされるか自分から体勢を崩すかで決着がすぐについてしまう。いつもの俊敏性も、どこか形を潜めていた。
 カイム自身も首を傾げる回数が多く、フィーネからすれば、思いきり身体を動かそうと思って指名した相手が物足りないくらいで、まさに拍子抜けである。
「もしかして、スランプ?」
 剣を脇に挟んで、フィーネは頬に手を当てて呟いた。「縁起悪いなぁ」とカイムも困った表情を見せる。フィーネが見る限り、カイムは入団してからというものスランプに見舞われたことはなかったはずだった。そうだとしたら、非常に時期が悪い。
「だめですよ。ニムサーバ、今故障してるんですから」
「えっ、ほんとに?」
 後ろからかかった声に、フィーネは目の色を変えつつ振り返る。観戦席からの階段を、セシルが下りてくるところだった。
「フィーネはともかく……本人が気付いてないとは、どういうことだ?」
 すたすたとカイムの前に立つと、呆れたような目で軽くたしなめる。言われたカイムは、ぱちくりと目を瞬いた。
「何が?」
 セシルの溜息。無言でフィーネの剣を求め、投げられたそれが手に収まると、彼女は容赦ない力でいきなりカイムの左足首に斜め上から打撃を叩きこんだ。
「いったぁぁあっ!?」
 ごん、と骨に直接響きそうな音を立て、カイムがその場に引っくり返る。呆気に取られて、フィーネは「まあ」と口に手をやった。
「……酷い、酷いわセシル嬢!」
「自業自得だ」
 言い捨てて、セシルは転がって嘘泣きするカイムの前にしゃがみ込み、剣を置いた。
「自分でも無意識に庇ってるくせに、何で大人しくしとかないんだ。本当に気付いていないのか、それとも馬鹿か?」
 台詞こそきつめで責める口調だが、声音には焦りが滲んでいる。
 踝のあたりをさすりながら、カイムは片目でセシルを見上げてへらりと笑ってみせた。
「多分、馬鹿の方」
「ほんとにな」
 セシルは苛立たしげに舌打ちまでする。心配しているのか怒っているのか、傍からでは分かりづらい。
「ちょっと、どういうこと? 故障してたんなら教えてよ、そうしたら虐めたりなんてしないのに」
 フィーネが仲間外れを訴えて、セシルはようやく表情を和らげて立ち上がった。横顔が苦々しい。
「覚えてます? ロイドの手錠。あれで躍起になって二十周飛ばしまして、無理をしたせいで少々痛めたらしいです」
「いや、今の一撃が一番効いたんですけど……」
 カイムが斜め下に影をさして俯く。
「でも、手錠は二人まとめてでしょう? セシルの方は平気そうだけど……」
 今度はセシルの顔に影が入った。一瞬の間をさらって、カイムが先に声を発した。
「俺が痛めたのは身長差が祟ったから!」
「ああ……」
 フィーネはセシルの影の意味を理解して、曖昧に頷いた。何につけても体型的に不利なのだとセシルが嘆く場面は何度も見ている。
 セシルは口元に歪んだ笑みを浮かべ、射殺すような視線でカイムを見下ろした。
「痛めたって分かっていたんだな」
「……あ」
 墓穴を掘ったカイムが固まる。フィーネがくすくす笑い出した。
「ロイドといいあんたたちといい、やる事がみんな可愛いんだから。セシルが一番あざといかな?」
「あざといって……人を詐欺師のように言わないでくださいよ。転げて済むくらいなら大丈夫、きっと違和感程度でしょうからすぐに治るはずです」
 セシルは眉を寄せて、拾い上げた剣をフィーネに返す。ふと視線が闘技場の入り口の方へ向いた。
「ああ。噂をすれば」
 言われて二人もその方向に目をやる。すぐにカイムが剣呑な顔になった。
「出た、おっさん大魔神だ……」
 彼らの視線の先には、言わずと知れた総監・ロイドと、浅黒い肌の男がいた。実際には、ロイドが男を無理やり引きずってくるような姿勢で歩いている。
「あー、今日は捕まったんだ。ルーク」
 カイムが同情半分、面白半分を混ぜた声を上げた。男は精一杯抵抗しているが、ロイドの有無を言わせぬ力にぐいぐい引っ張られていて、言い争って――というより、一方的にロイドに罵声を浴びせかけ、ロイドもそこそこの剣幕で応戦している。
「――えーから放さんかい! せっかく気持ちよう寝とる人間叩き起こしよってからに、お前は南国文化なめとんのかええコラ! 南国の昼寝文化なめとんのかー!?」
「うるさい黙れ! 訓練と昼寝の優先順位もつけられんのか、身体が腐る前にさっさと起きて動け!」
「優先順位やと? んなもん聞かれるまでもなく昼寝に決まっとるやろが! あー引っ張るな! はーなーせー!」
 じたばたともがきながら交わされる応酬に、脇に寄って道を空ける他の団員も、口を覆って笑いを隠している。この光景、ゆうに数年前から繰り返されていて、週に一度は必ず見ることができるのだ。最早名物化してしまっているといってもいい。
 どこからどう見ても生真面目な団員が上官に抗議をしているようには見えないのだが、周りの団員たちはほとんど二人の遣り取りを見て練習が止まっている。そのことに気付いたロイドは、きっと目を怒らせるとどこに向けるでもなく怒鳴った。
「何をしている! 早く練習へ戻れ、道など空けんでよいわ!」
 団員たちは慌てて散っていった。ロイドが恐れられているのは事実だが、特別この男が関わった時には、練習風景が賑やかになるのだった。
 フィーネは快活な足取りで二人の元へ歩み寄り、また逃げ出そうとしている男の襟首をひっ捕まえるロイドの前に立った。フィーネに気付いた南国訛りの男は、目を丸く見開いて、首は向けずにロイドの腕を振り払った。
「フィーネやんか! 珍しいなあ、随分ご無沙汰やったわ」
「ほんとほんと。久しぶりに顔を見たような気がする」
 二人は子供のように一通り久々の邂逅を喜び合う。フィーネは思い出したかのような仕草で、別の方向を見ているロイドに視線を向けた。
「ご苦労、ロイド。大変だったでしょ」
「ここのところ手のかかる阿呆が多すぎる」
 吐き捨てるようなロイドに、フィーネは肩を叩いて労ってやる。何を隠そう、ロイドにこの男を連れてくるよう頼んだ(というか命令した)のは、他でもないフィーネだった。
 ロイドは男の方を顎でしゃくり、ずっと頭の隅で燻っていた考えを直球で――しかしフィーネにしか聞き取れない声でぶつけた。
「こいつも、候補か」
「候補、というより……」
 フィーネは小動物のように小首を傾げて、
「少しでも面白かったらいいなあ、って」
 ロイドは深々と溜息をついた。
「お前はそれしかないのか、まったく」
「それ以外に生きがいがなくって」
 満面の笑みで言い切った。天才的な虐めっ子属性だ、とロイドはくらくらする頭で思った。
 褐色の肌をしたこの南国訛りの男、名をルーク・コレクトという。彼は大方の練習をどこかで昼寝に費やし惰眠を貪っているが、紛れもなくAクラス団員の一人である。Aクラス在隊の期間でいうと、カイムとセシルより長いことになる(ロイドには追いつかないが)。ある意味伝説の男である。
 ロイド、カイム、セシル、そしてルークを観戦席に呼び、フィーネは全員に腰を下ろさせて、自分も石造りの席に座った。椅子の形があるのではなく、石段に適当に座るだけである。仕切りも特別席も、見渡す限りほとんど見当たらない。特別席は、舞台と同じ高さの場所に設けてあるのだ。
 腰掛けて落ち着くや否や、ルークが飛び跳ねんばかりの上機嫌で言った。
「何や、練習せんでもええんか。最初からそう言うたら大人しゅう付いてきてやったのに」
「ううん、時間はあんまり取らせないから」
 笑顔で切り捨てて、フィーネはす、と人差し指を立てた。
「心理テストです」
「何で?」
 間髪入れずにセシルが突っ込む。明らかに不穏な空気を察したらしい。が、フィーネは「心理テストに理由なんてないの」と誤魔化して、先を続けた。
「あなたは団長です。軍の命運をかけた戦闘中、仲間が敵に囲まれました。あなたは自隊百人のために、その友人一人を見捨てられますか?」
「……そういうこと」
 セシルが意味ありげに頷いた。ロイドは小声で「何とあからさまな」。フィーネはまず最初に、カイムに返答を促した。カイムはフィーネの意図が呑み込めないまま、首を傾げながら口を開いた。
「俺なら、多少の無理をおしてでも全員助ける。……助け、たい」
 最後は隣のロイドからの呆れ気味な視線に怯んで尻すぼみだったが、あまり悩みもせずの即答だった。カイムらしいわね、とフィーネ。
「ロイドは?」
「見捨てる」
 これもまた、表情一つ変えずの即答だった。カイムとは全く正反対の回答だ。二人は軽く火花を散らせて、カイムが目線を逸らさずに冷えた声で言う。
「お前……団長にはしたくないな」
「ああ、俺もなりたくない」
 ぶっきらぼうに言ってロイドはそっぽを向いたが、団長にしたくないと言われて気分が楽になったのは確かだった。もう一人の有力候補に足蹴にされるのがここまで爽快だとは、彼自身も思っていなかっただろう。
「じゃあ、セシルは? ……答えは見えているような気もするけど」
「定石通りで申し訳ない、その一人の立場と価値によります。まあ、最大限救えるように努力はしますが」
「お前も消極的なんだな」
 寂しそうな目をカイムに向けられ、セシルは気まずそうに視線を逸らした。
「……仕様がない。数と天秤の問題の上では、情は利用されるだけだから」
「――じゃあ、ルークは?」
「んー、せやなあ」
 ルークはしばらく唸っていたが、どうやら回答が被ってはいけないとほとんど無理に別の答えを捻り出そうとしているようだった。
「誰も怪我せん方がいいから……自分が仲間と交代して、捕虜になるんちゃうかな。うん。きっとそうするわ」
 カイムはやっと同志を見つけて、固くその両手を握っていた。
「――決まりましたか、団長は」
 カイムとルークがロイドを二人掛かりで叩いている間に、囁くように小さく、セシルがフィーネに尋ねてくる。
(やっぱり、そこまで見抜いてくるかしらね、この子は)
 この歳でこれでは、逆に他の部分でうまくいかないのではないか……と、フィーネの内心は新しい不安を伝えてきたが、フィーネはあえて答えず、肩をすくめるまでに留めた。
「うん、みんなありがと。いい参考になった」
「何や、答えは教えてくれへんのんか?」
 ルークがぷうと頬を膨らませる。フィーネの目の奥がきらりと光った。
「……聞きたい? 答えよりももっと、面白いことになるかもよ」
 フィーネのいう『面白いこと』がどういうものであるかも大方見てきたルークは、こくこくと頷く。ロイドはこういう時に眉を顰める人物だが、ルークは大喜びで飛びつくタイプだった。
 フィーネが考える素振りを見せたのは数秒間だけだった。それぞれの意見を聞いた途端、頭の中で流れるようにある構図が組み上がったのだ。それを信じるしかなかった。信じなければならないような切迫感にまで囚われた。
「決めた」
 彼女の瞳は、もうただ一人しか見ていなかった。
「私は次の昇進試験までに、団長の位を返上するつもり。退役権も使わせてもらうわ」
 一瞬で場が重たくなった。今になって、外で練習する団員の声が大きく聞こえる。
「カイム」
 カイムは反射的に眼を閉じた。無意識の内に、身が縮まるのを感じる。
「……はい」
「私はあなたに次代騎士団長を任命したい。指名、承諾してくれるかしら?」
「え!? う、えぇ、っと……」
 当然予想もしていなかったことにカイムは口ごもり、フィーネは訳を承知で悲しげな顔を作ってみせた。
「迷惑?」
「そうじゃなくて!」
 おろおろと首を振り、カイムはまだ動揺しながら何とか言葉を選び出した。
「だって、俺……今みたいに、現実とか道理とか大人の事情とか、そういうものも全部、可哀想だとか、自分にとって大事だとかで流すかもしれない。本当の戦場で、そんなことしていい団長なんて……いないだろ?」
「自分が普通だと思っていなけりゃ、十分なのよ」
 フィーネは優しく微笑んで、続けてまた別の人物に向かった。
「だからあなたが要るの。もう、分かってるわね」
「ニムサーバでなけりゃ、この位置は私じゃないんでしょうから」
 セシルはというと、察知した余裕から苦笑で返す。
「それにしてもよく、敢えてこの選択を取りましたね?」
「……まさか、俺の所為ではないだろうな」
 ロイドが珍しく青ざめて、フィーネに詰め寄る。「まあ、半分は」と返されて、顔色は紫になった。
「あのね、カイム」
 フィーネは子供に言い聞かせるように、カイムに目線を合わせた。
「団長っていうのはね。ちょっと高望みで、熱血なくらいがちょうどいいのよ。――ロイドの受け売りなんだけど」
「意外やな〜あ、ロイド、何悟ったんや?」
「……省略しすぎだぞ」
 ルークがにやにやとロイドの肩をつついたが、すぐに睨み返されてすごすごと指を引っ込める。今度はその指で自分を指差して、フィーネに向かった。
「ジャニス団長、一人同じ思考回路の人間を忘れとるで――俺は?」
 ちらりとルークを一瞥し、フィーネは一言。
「ヒラ」
「ひっど……」
 けらけらと笑いながら、フィーネは立ち上がった。
「返事はまた今度聞かせてちょうだい、お二人さん。そうも待てないけれど、私も最後に、やっておかなくちゃいけないことがあるの」
 カイムは何を言うでもなくフィーネを見つめていたが、その視線をくすぐったがるようにして、フィーネは背を向けた。
「ああ、もう一つ」
 返しかけた踵を戻して向いたのは、セシルの方だった。含んだような微笑に、セシルは背筋を撫でられるような奇妙な感覚に陥る。
「これはあなた用ね。一つだけ言っておくけど、あなたたちが断ったら次の団長はロイドよ。――そして、ロイドは決してカイムを次の団長に指名したりしないわ。これは確実。嘘だと思うなら聞いてご覧なさい。そこをよく考慮に入れて決めることね」
 言っている間にもフィーネの視線が何度かロイドのものと重なったが、フィーネはその壮絶な眼光から目を背けたりはしなかった。探るようなセシルの視線も、柔らかく受け止めた。
 いつも通りにじゃあね、と言っていつもの笑顔を添えて、フィーネは闘技場を出て行った。





  BACK  /  NEXT  /  MENU