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スウェディッシュ・ジャズの歴史って、いったいどんなだろう? そんな疑問を持たれているリス まず、いきなりではあるが、2005年にリリースされたヴィクトリア・トルストイの通算6作目『マイ・スウェディッシュ・ハート』はスウェディッシュ・ジャズのルーツを語るアルバムとして、同シーンに永遠にその名を残す事が認められた傑作だ!と言い切ってしまおう。
下記原稿はヴィクトリアのプロデュースにあたったニルス・ラングレンによるスウェディッシュ・ (『マイ・スウェディッシュ・ハート』のスリーヴノーツより) スウェーデンが多くのアメリカ人ジャズ・ヒーロー達から訪問を受けるようになり、かつ彼等の多くが後にスウェーデンに住居を構えるようになったのは1950年代に始まる。例えばスタン・ゲッツ、アート・ファーマー、デクスター・ゴードン、ベン・ウェブスター、ベニー・ベイリー、サヒブ・シハブ、アイドリース・シュリーマン他多数といった奏者が。この事はアメリカとスウェーデンのジャズ・アーティスト達が共に携わった素晴らしいレコーディングという結果をもたらした。疑いなくアルネ・ドムネウス、ルネ・グスタフソン、ベンクト・ハルベリ、オーケ・ペーション、ラーシュ・グリンといったすべてのスウェーデンのジャズ・ミュージシャン達がアメリカ人のジャズ仲間達に同等とみなされた。とは言うものの、その時期に創られた音楽が必ずしもアメリカン・ジャズと違っていたわけではない。
クインシー・ジョーンズはストックホルムに数年住んでいた事がり、その時ベント-アルネ・ヴァリンとヴァリンのスウェディッシュ・ラジオバンドの仲間であるトランペット奏者とアパートを共有していた。クインシーはヴァリンに、ジャズという表現形式の中で自分自身のスタイルや鑑識を見つけるためには、自分の音楽を創りながら、自国の音楽伝統を学ぶよう助言した。ベント-アルネ(ヴァリン)は、他のミュージシャンに交じって、音楽における新しい道を見つけるため、探求し始めた。 60年代初期のほぼ同じ頃、ピアニストのヤン・ヨハンソンは彼の最初のレコーディング、すなわちスウェディッシュ・フォーク・ミュージックの即興曲を創った。彼のレコーディングは伝説上のものとなり、今日スウェーデンで、彼のアルバムを持っていない家はほとんど無いぐらいだ。1962年にベント-アルネ・ヴァリンは、古いフォークロアの持つ概念を大きなバンド用に直した『オールド・フォークロア・イン・スウェディッシュ・モダン』という独創的なアルバムをレコーディングしたのだった。悲しい事にヤン・ヨハンソンは1968年、コンサートに行く途中、車の事故で他界してしまった。が、彼の音楽は永遠に残るであろう。そしてこのアルバムの中の“イェルナからの歌”は、彼への思い出に捧げられている。アレ・メッレルとラーシュ・ダニエルソンによるアレンジは、事実ヨハンソンの影響を多大に受けているのだ! バリトンサックス奏者のラーシュ・グリンは、こういった違う表現形式を自分自身のユニークな演奏・作曲スタイルのひとつに合わせる先駆者だった。彼のスタイルはこのCD中の2曲を聴くとよく分かる。その2曲とは、リーナ・ニーベリの詩による“ダニーは夢を見ている”と、チャン・パーカー(チャーリーの妻)の歌詞による“今があなたにとって春だといいんだけど”である。なんと素晴らしいほとばしりが彼女の歌詞の中にある事か―――まるで森の中にある泉の水のようだ!この新しいスタイルはすぐにストックホルムの本物になったのだった。ツアー中のアメリカ人ジャズ・スターを含む多くのミュージシャンは、この新しい動きに専念し、ストックホルムという街を、音楽を、そして女性を愛した。何年もスウェーデンに留まった者もいれば、一晩だけしか留まらなかった者もいるが、彼等全員はこの新しい音楽の一部を、終わる事の無い世界への旅へと連れて行ったのだった。
スタン・ゲッツとマイルス・デイヴィスは古いスウェディッシュ・フォーク・ソング“おぉ、なんと美しいヴェルムランド”に対する作曲権利を要求さえした。そして今日までジャズ界の人々の多くは彼等が本当に“ディア・オールド・ストックホルム”を書いたと今だに信じている。 前にも述べたように、ベント-アルネ・ヴァリンはジャズとフォーク・ミュージックを融合させるための道具としてビックバンドを始めたスウェーデンで最初の人物である。そして彼のやり方は他に比べるものがない程である。“デン・フェルスタ・ゴング・ヤグ・イ・ディナ・エーゴン・ソーグ”という歌は(“私が初めてあなたの瞳を覗き込んだ時”の意)、彼の最初のアルバムに収録されている。この曲がヴィクトリアによって新しくレコーディングされる以前にベント-アルネが手を加えてあったのだが、彼のアレンジは今日まで際立っている。彼は現在70代半ばであるが、今だに以前同様たいへん精力的である。彼に尊敬の念を!
“あなたの朝”と“対話”の2曲はペール・ホルクネットとの連携において作曲家としての技能を遺憾無く発揮している。ペールはこのアーティスト、すなわちヴィクトリア・トルストイの愛すべき夫である。 ラーシュ・ダニエルソンはたいへん豊かな作曲家兼アレンジャーであると同時に素晴らしいベースとチェロの演奏者である。彼はひとつひとつの調べを、歌詞を使わずにそれを自身に語らせるのである。ラーシュは前に述べたすべてのミュージシャン同様、同じ伝統音楽の中で仕事をしており、作曲やアレンジ、演奏をする際、常に音楽への愛と先駆者達への尊敬の念を中心に持っている。ペール・ホルクネットの詩による彼の歌“天から”は、彼が自分自身のルーツを探求しながら、新しい道を探している真のミュージシャンである事を証明している。 アンデルス・ヨルミンもまた、素晴らしい作曲家に成長したもうひとりの偉大なミュージシャンである。ベース奏者として、彼は既に今日のジャズ界における巨人のひとりである。リーナ・ニーベリの美しい詩による歌“メーデー”がその事を雄弁に語っている。 ヤコブ・カールソンはこのアルバムの作曲家の中で一番若いのだが、彼もまたヴィクトリア・トルストイのバンドになくてはならない存在となっている。彼がこのアルバムで貢献した少し変わった拍子の曲“ユー・ゲイヴ・ミー・ザ・フロウ”はとても自然なスウェーデンの味わいを持っていて、彼独特のピアノ演奏を聴く良い機会となるであろう。流れについて話そう。ヤコブはまたこのCDのレコーディングにおけるアレンジも行っている。彼はこのアルバムの制作の際、ひじょうにクリエイティヴだった。 スウェーデンの伝統曲“美しい薔薇を知っている”は、ウルフ・ワケーニウスによってアレンジされた。この曲はモニカ・ゼタールンドに捧げられている。彼女はこの曲を、彼女自身の世界的に有名なアルバム『ワルツ・フォー・デビー』の中で、ビル・エヴァンスと共に1964年にレコーディングしている。シンプルというのがこの曲のカギなのだが、正に彼(ウルフ)はその方法でこの曲を演奏している。ウルフは真の意味でのギターのマスターで、常に音楽に奉仕しようという姿勢を持っている。
アレ・メッレルは生身の人間によって創られた永遠の芸術であるスウェディッシュ・フォーク・ミュージックの権化である。彼は境界を知らず、だがすべての音楽の方言を話し、未知の世界へ飛び立つ恐れをまったく知らない。真の天才である。 ヴィクトリア・トルストイはこのアルバムで、彼女が温かい人間で純粋なスウェーデン人の心を持っている事、また彼女の話(歌)を聴く事に興味を持っている人には誰にでも進んで自分の心を開こうとしている、という事を示している。 −■翻訳:金沢由美− スウェディッシュ・フォーク/トラッドとの接点を探る重要作品−スウェディッシュ・ジャズ・サイドから同国フォークをテーマに−
−スウェディッシュ・フォーク・サイドからジャズをテーマに−
−スウェディッシュ・フォークに即興の要素を盛り込む−
−スウェディッシュ・フォーク・サイドから同国ジャズ奏者の曲をトリビュート−
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