『沖縄独立宣言』を読んで


沖縄独立宣言 を読んで


 この書名は、やや過激であるように映るかもしれません。その表面的な過激さがややもすると読者を遠ざけるかもしれません。「本土」で25年間生活してきた私には、やはり奇異の念が先立ってしまって、なかなかこの本に着手することが出来なかったのもまた事実です。しかし、このような違和感を与えてしまうものはいったい何なのでしょうか?
 
 沖縄が「本土」に返還されて28年が経とうとしています。多くの人は沖縄に足を運ぶようになりました。しかし、私を含めた「本土」の人間が沖縄についてどれだけ多くを知っていると言えるのでしょうか?昨年書いたコラムでは「慰霊の日」について触れましたが、これがどれだけ国民的常識になっていると言えるのでしょうか?
 今回『沖縄独立宣言』を読むことで、そのような重い問いかけが再び私を襲ったのであり、日々の勤めで紛らわせて無知であろうとしている沖縄の歴史が、重苦しいまでの歴史の足跡が、ぎらりとその姿を一糸まとわず現したのです。冒頭に述べた「違和感」がこの書名から拭い去れないとするならば、それはきっと、その重苦しいまでの過酷な沖縄の歴史が影響を及ぼしているのでしょう。今回、その歴史の一端に触れ、相変わらず自分が沖縄について無知であることを思い知らされました。
 
 この本は、昨年98歳で長寿を全うした大山朝常(ちょうじょう)氏が、97年の2月に「遺書」として後世の若者に伝えようという並々ならぬ強い意気込みで書き下ろしました。その熱気は、言葉にならぬ悲哀となって表れているようにも思われます。それは、著者自身が、この一世紀の沖縄の歴史を凝縮して体現しているほどの、過酷な経験をしているからでもありましょう。沖縄戦で多くの教え子を戦場に送り、家族のほとんどを沖縄戦で亡くし、コザ市長として危険を冒して祖国復帰運動に積極的に関わり、コザ暴動の混乱の収拾に身を投じ、はたまた祖国復帰後の沖縄の現状に大きな幻滅をするという、涙無くしては語ることが出来ないような波瀾万丈の人生を歩んできただけに、その言葉の一つ一つに重みを感じるのでしょう。
 
 著者は、冒頭において大変興味深いエピソードを語っています。かつて床の間に日本刀を飾っていたヤマト(本土)と、三線(さんしん、三味線に相当するもの)を飾っていたウチナー(沖縄)との対比です。沖縄を代表する音楽家である喜納昌吉氏も最近は「すべての武器を楽器に」ということを唱えています。蝦夷や琉球王国、そして朝鮮・中国などのアジア諸国を武力によって制圧して国力を増強したヤマトと、音楽を何よりも尊び(このような風土が、歌謡曲の世界で沖縄を最先端地域としているのかもしれませんね)、「平和と礼節」(皮肉にも新二千円札に刷られる「守礼の門」がその象徴でしょうね)を外交の柱にして三百年もの長きにわたって栄えた琉球王国の歴史を持つウチナー。何とも対照的な歴史を歩んできたのでしょうか。この優しき心を持つウチナーを踏みにじるヤマトからの独立ということが、この本の最も訴えたいことであり、またこの本の基本的な底流となっています。それで、『沖縄独立宣言』ということになるのです。
 
 『沖縄独立宣言』という書名が突飛なものでも過激なものでもないということは、読み進めるにつれて明らかになります。薩摩藩による過酷なまでの搾取(このおかげで薩摩藩は倒幕のための財力が貯えられていくわけですが)、明治維新後は、方言禁止など沖縄独自の豊かな文化を抑圧し、太平洋戦争では米軍が本土上陸するまでの時間稼ぎのための「捨て石」とされ、多くの非戦闘員が「皇国」のために犠牲となり、当時の沖縄の人口の三分の一が亡くなりました。戦後のアメリカ占領下は、理不尽な米軍基地の建設とその駐留兵による暴行に多くの人が犠牲となり、平和憲法を持つ本土への復帰を強く願うようになります。そうなれば、この島からも基地は撤去されるのではないか、と。しかし、そのささやかな願いは裏切られ、本土復帰後も米軍基地は残り続け、日米安保条約の歪みを一方的に押しつけられることとなります(在日米軍基地の90%以上が沖縄本島に集結しています)。かようにしてウチナーは、何度も何度もヤマトから酷たらしい仕打ちを受けているのです。
 私が書くと迫力がなくなってしまいますが、実際にその酷い仕打ちを肌で感じ続けてきた生き証人の著者が語るその歴史は、涙なくしては読むことが出来ないほどです。同じ「本土」の人間として恥ずかしい限りです。明治維新以後、脱亜入欧で「本土」はあまりにも多くの者を踏み台にして、繁栄してしまったのではないでしょうか。朝鮮や中国はもちろんのこと、この沖縄からも相当な搾取を行ってしまったのではないでしょうか。
 
 地方分権の時代と言われて久しいです。東京の政財官を中心として日本は大いに栄えてきました。もちろん多くの者を犠牲にした上でのことです。しかし、そのシステムが機能しなくなってきた現在は、その犠牲を強いてきた地域に恩返しをする時期なのではないでしょうか。沖縄がその最有力候補であることは、今までの歴史を振り返れば論を待たないしょう。そのとき、罪深きヤマトは、ウチナーに何をしてあげることが出来るのでしょうか。やはり、「独立」を支援することがその一つではないでしょうか。
 
 著者は最後の方で、ウチナーの若者のヤマト化を憂いています。他人を踏みつけにしてでも自分がのし上がるというヤマトの価値観に若者達が染まりつつあるようです。「ゆいまーる」という相互扶助の精神がウチナーの根幹を支えるものでありますから、その危惧も正当なものでありましょう。
 私事になり恐縮ですが、沖縄の本土復帰直後、私の両親は新婚旅行で沖縄を訪ねたそうです。父は「まるで外国のようだった」という印象を語っています。その四半世紀後、私が沖縄を訪ねてみると、父が受けたほどのカルチャーショックはありませんでした。確かに非日本的なものが所々で見られたものの、外見上かなりの部分でウチナーはヤマト化してしまっている印象を受けました。私がまだウチナーの真髄を知らないだけだといいのですが・・・・。
 街の外観も、若者の価値観もヤマト化している。そんな状況において「沖縄独立」を唱える著者は、変な目で見られたことが多いそうです。「そんなものは夢物語である」と。しかし、著者は「夢見る人」であり続けたいとその強い決意表明をします。その夢は全くの空想ではなく、かつてアジアの中で交易王国として栄えた琉球の国の歴史を踏まえつつ、米軍基地依存経済から脱し、脱欧入亜して、再びアジアの国々と共生することによって沖縄は独立することが出来るのだと主張して、この書を結びます。
 
 「せめて私の命がある間に、日本から独立した沖縄をこの目で見てみたい」
 その思いは叶わず、昨年の暮れ、普天間基地の名護市移転の問題で沖縄が揺れている頃、著者の大山朝常さんは息を引き取りました。沖縄の独立が現実的に可能かどうか、そしてアジアの国々との共生が可能かどうか、それは難しい問題でしょう。
 しかし私は、ヤマトはウチナーに対してあまりにも多くの債務を抱えているように思います。もう、恩返しをしても良い頃ではないでしょうか。アメリカにばかり媚びずに、沖縄の自立を助けても良いのではないでしょうか。もっと沖縄の悲痛な叫び声に耳を傾けてみてもいいのではないでしょうか。それは、ウチナーの独自性が失われつつある現在、ヤマトの義務ですらあると私は思います。

 過酷な沖縄の歴史の最後の生き証人とも思われる大山朝常さんのこの「遺書」を読むことが、ヤマトがかつて犯した罪業を知ることとして、ヤマトの人間に課せられた宿題であるように思われます。この宿題を片付け、彼の訴えを心で受け止めることが出来たときにはじめて、冒頭で述べたような「違和感」が解け、徐々にヤマトとウチナーは良きパートナーとして手を結ぶようになり、ひいてはこれからのアジアの時代を平和と友好に満ちたものにする事が出来るかもしれません。しかしこれは、私だけの「夢物語」なのかもしれません。大山さんのご冥福を心よりお祈りして、この文を結びたいと思います。
 
 
2000/2/7記
 
 
<参考資料>
『ウチナーンチュは何処へ―沖縄大論争』
 沖縄の未来をめぐって、大山朝常さんや、知事を二期勤めた大田昌秀さんをはじめ、大学の研究者、沖縄のジャーナリストなど多分野の人々が大論争。

すべての武器を楽器に
すべての武器を楽器に。―喜納昌吉メッセージ集
 「花」で有名な、沖縄を代表する音楽家喜納昌吉さんのメッセージ集



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