私とKiroro


私とKiroro(99年9月12日)


 皆さんいかがお過ごしでしょうか。もう九月も半ばを迎えようというのに厳しい残暑が続きますね。そんな暑苦しい気候の中、きのう私は神戸の六甲山へ行って来ました。麓の方はかなり暑かったのですが、ケーブルカーで500Mも上がると、とても涼しくて心地よい風が、多くのお客さんを安心させました。さらに私は、そのお客さんと共に六甲山上バスに乗り込み、コンサート会場である六甲山カンツリーハウスにようやく到着できました。そう、待ちに待ったKiroroのコンサートの会場に着いたのです。初めて本人に近くで会うことが出来るのです。ファンクラブに入っていたこともあってかなりステージに近い席を確保していましたので、胸は高鳴るようでした。当HPのプロフィールでも少し触れていましたが、それ以上に私にとってKiroroは大きな存在になっていたのです。Kiroroというデュオをご存知でない方のために、「自分の病とKiroro」という回想録という形をとりながら紹介していこうと思います。Kiroroについて初めて自分の強い思い入れを書くために長文になりますので、覚悟して(笑)ご覧になって下さい。
 
 
 去年(98年)の3月頃のことだったでしょうか。なかなか癒えぬ病を共にしながら、意欲的な生活を送れない自分に苛立ちを感じつつも、何する当てもなくテレビでワイドショーをぼんやりと見ていました。くだらないゴシップが一通り終わると、CDシングル売り上げランキングのコーナーになりました。あぁ、またうるさい電子音の羅列を聞かされるのか。それが、当時のJ−POP界に対する認識でした。5位から2位までは事実、私の認識通りでした。しかし1位の曲が発表されたとき、私はある種の衝撃を覚えました。正確には「衝撃」という刺激的なものではありません。アナログの透き通った美しい歌声が、私の病んだ心の襞にまでじんわりと染み込んでくるようでした。この曲こそが、Kiroroのデビュー曲にして(現在の所)最大のヒット曲「長い間」だったのです(この「長い間」は今年の春のセンバツ高校野球の行進曲になるほど多くの人に親しまれました)。Kiroroは主に、ボーカルは玉城(たましろ)千春さんが担当し、キーボードは金城(きんじょう)綾乃さんが担当しているのですが、その暖かくて優しい歌声が千春さんのものであるということはしばらく知りませんでした。ですが、迷わず私はレンタルショップに駆け寄り、「長い間」をレンタルしました。直接買うところまでは、Kiroroは私をとらえていませんでした。しかし、何度も何度も「長い間」を聴き、何だか小坂明子の「あなた」を思い起こさせるような、近いところで言えばル・クプルを思い起こさせるような暖かい手作りのメロディーに惹かれていました。とにかく、これが私とKiroroとの出逢いでした。
 
 その後しばらくして、「海の病棟」に入院することになります。それで、Kiroroに関する情報からはしばらくの間遮断されましたが、それでもずっと気になる存在ではありました。しかし、入院していた間にリリースされた名曲「未来へ」の存在すらも知りませんでした。この曲は、この年(98年)の紅白歌合戦でKiroroが出場したときに歌われたほど多くの人に親しまれ、また、病床の母を想って書かれた歌詞の内容自体も素晴らしく、千春さんのボーカルの能力が最大限に発揮されている曲だと思っているのですが、それすらも知らない状態でした。
 
 8月10日に退院した後も私はそんなに優れた状態が続いたわけではなく、苦しくて何もする気が起こらないことも多かったです。そんな冴えない日々を過ごしている内に、近所のCDショップで10月1日にKiroroのファーストアルバム「長い間〜Kiroroの森〜」がリリースされ、3月に受けた衝撃を思い出し、迷わず買うことを決意しました。10曲を収録しているものでしたが、どれも千春さんの暖かくて透き通った歌声がいかんなく発揮されていて、青春の1ページを歌った手作りのシンプルで暖かい曲で、期待に違わぬ素晴らしいものでした。この曲をきっかけとして、この曲に何度も慰められて、私の病状は次第に回復していきました。先号の表現を借りれば、まさしく「風」が吹いたのです。とても涼やかで心地よいそよ風が。
 ところで、きのうのコンサートの中でも、この中からいくつか歌われましたが、中でも「3人の写真」は、高校時代の友人(千春さんと綾乃さんと「まーみー」という友達)との思い出と夢を綴った曲ですが、現在の千春さんに「まーみー」への深い思い入れがあったのでしょうか、彼女の声が一段と暖かく透き通っていて会場に響き渡りました。
 
 さて、それから私はたちまちKiroroの大ファンとなり、彼女たちが出演するテレビ番組は全てチェックして、ビデオクリップを作るようになりました。テレビ慣れした従来の歌手とは一線を画する、彼女たちの素朴なキャラクターを知ったのもこの頃からです。特に、綾乃さんの誰も予想できないような、いわゆる「天然ボケ」のキャラクターは、穏やかな笑いを誘ってくれると共に、大いに親しみを感じさせてくれました。それを何とか通訳しフォローしようとする千春さんの姿も微笑ましいものです。きのうのコンサートでも、そのキャラクターはテレビ以上に発揮されていて、会場中を穏やかな笑いの渦に巻き込んでいました。いつもはしっかり者でフォロー役の千春さんも、綾乃さんの「天然ボケ」が移ってしまい、綾乃さんにたしなめられるシーンもありこれもまた楽しませてくれました。
 ところで、テレビを何度か見ていたり、インターネットでいろんな情報を収集している内に、Kiroroのキーワードの一つである「手作り」の理由が分かるようになりました。それは、作詞作曲の一番最初はアカペラで千春さんがデモテープに入れているということです。そして、綾乃さんがそのテープを聴いて、ピアノでアレンジをするというスタイルを取っているのです。これは私にとって大きな驚きでした。これが手作りでなくて何でしょう。やたら高度にデジタル化された電子音の喧しい羅列としか思えない曲が多く流出する最近の音楽業界においては、とても新鮮で強烈なインパクトを与えるのは当然でしょう。
 
 その後、やっぱり何度も病状が悪化することはありましたが、その度にこのビデオクリップを見て、元気をたくさん分けてもらいました。素朴で親しみやすいキャラクター、笑い、透き通るような、それでいて心の襞にまで染み入る暖かい歌声、手作りのメロディーラインが、何度も何度も私の心を癒してくれました。今でも、ピンチになるとたいていは、そのビデオクリップを見ることにしています。
 そのビデオクリップの中に、今年の3月21日にWOWOWで放映されたコンサート('98-'99 Winter Tour)を収録したものがあります。これは私が一番好きなものなのですが、きのうのコンサートの中で繰り広げられた「笑い」のシーンはカットされているのが残念なところです。ですが、いつも二人で仲良く力を合わせて頑張っているのだなぁということが最もよく理解できるものでもあります。コンサートの最後に千春さんが「未来へ」を歌っている最中に、コンサートツアーも最終局面を迎えていたこともあってか、これまでのツアーでのつらいことやうれしかったことを思い起こしてか、感無量になって涙があふれ出てきて歌えなくなったのです。私が驚いたのは、それを見つめる綾乃さんの表情だったのです。何とも言えないような切ない表情で「千春、頑張れ」とピアノ越しに語りかけているようで、とても微笑ましかったです。その応援が通じたのか、涙ながらも千春さんは再び歌い始めることが出来ました。二人で支え合ってこそのKiroroなのだなと痛感させられる微笑ましいシーンでした。ユニットを組んでいても、仲間割れしたり、嫉妬し合ったりすることの多い業界ですが、またそれを煽って笑いのタネにしようとすることも多いですが、Kiroroに限って言えばそれは無縁だと思います。今月の22日に綾乃さんがソロアルバムを出しますが、それで仲間割れになるということは決してないでしょう。きのうのコンサートでもその一部を綾乃さん自身が歌っていましたが(彼女の感性がいかんなく発揮された不思議な詞で、大変楽しめましたし会場も一番の盛り上がりでした)、千春さんも快く楽しんでバックコーラスやピアノをつとめ、「あーやのアルバムはなかなかいいよ」と誉めていました。おそらくお世辞ではないでしょう。この信頼関係も、私を安心させてくれる一つの要素であります。
 
 ところで、テレビではそうでもないのですが、このコンサートでは、千春さんは後の方になると感無量になって方言でしゃべりまくっていました。きのうのコンサートでも、少しテンションが高くなってくると方言のオンパレードでした。それがまた、Kiroroを親しみやすいキャラクターにしてくれる要素でもあるのです。
 ところで、あの方言はどこのものなのでしょうか。あまり耳にしないものであることは確かです。しかし、玉城・金城とも、沖縄に典型的な名字です。そう、二人は沖縄県出身なのです。千春さんも綾乃さんも、沖縄県でも読谷村(よみたんそん)の生まれですから、沖縄本島の方言いうことになるでしょう。ところで、二人が行動を共にし始めるほど親しくなるのは、読谷高校の2年生のときです。読谷「村」とはいえ、人口3万人強を誇る大きな村だからです。それから卒業するまでの間にたくさんの歌を作り、多くはアルバム「長い間〜キロロの森〜」の中に収められています。Kiroroの音楽の原点は、この読谷高校に、そして読谷村にあると言ってもいいでしょう。千春さん自身が、作詞作曲するのに一番落ち着く空間が、何と実家の自分の部屋だと言っているくらいなのですから。
 
 ところで、そのWOWOWで放映されたコンサートツアーが行われている頃、このHPが縁となって、私は読谷村在住の友人を持つことが出来ました。その友人とのメール交換で私は本当に心が癒され、自信もたくさん与えてもらいました。沖縄の人の暖かさが胸に染み込んでくるようでした。私の病の回復にあって、Kiroroの音楽活動と並んで、この友人とのメール交換は欠かすことは出来ません。沖縄は私の心を大きく癒してくれたのです。沖縄から薫り高い風が吹いてきて、私の病の回復に大いに力を貸してくれたのです。
 そのうちに私は、Kiroroを育んだ村でもあり、その友人が住む村でもある読谷を訪れる決意をしました。3月29−31日と私は読谷や那覇の街をめぐる旅をしたのです。去年の冬(98年12月15日)に発刊された写真集「ものがたり」 の撮影場所巡礼でもありました。透き通るような青い空、文字通りのマリンブルーの海、道の脇に咲くハイビスカスの花は、私の心を大いに楽しませてくれました。それは、裏日本で22年間過ごしてきた私にはとても新鮮な風景でした。千春さんは「東京には空がない」と言ったことがありますが、その言葉の意味が本当に分かりました。と同時に、Kiroroの音楽を育んだ環境を体感できて、開放的な気分になれました。沖縄から帰ってきて、改めてKiroroの曲を聴くと、沖縄や読谷の薫りが届いてきて、本当に読谷に行って来て良かったと思いました。きのうのコンサートから帰ってきて、曲を改めて聴いてみたときと似たような感じを覚えます。CDやMDのデジタル音の中に、読谷の薫り、千春さんの姿や肉声を聞き取ることが出来るようです。
 
 6月下旬にリリースされた「最後のKiss」という曲は、まさしくこのような沖縄の風土を集約して、メロディーにしたものと言えるでしょう。とてもアップテンポな曲で、今までのしっとりと歌うKiroroのイメージを変えたもののように言われることもありますが、むしろ沖縄の風土を知った者からすれば、見事に沖縄を表現してくれたなぁという感があります。千春さん自身が、自分の音楽の原点として、「沖縄人(ウチナーンチュ)の心」を挙げているくらいです。こういう曲がなかったのが不思議なくらいでしょう。きのうのコンサートでもアンコールの一番最後の曲として歌われ、大いに盛り上がって楽しく別れを告げてくれました。フィナーレに非常にふさわしい曲であったように思います。
 
 
 さてさて、大変長い文章になってしまいました。これだけの文章に最後までお付き合い下さって、誠にありがとうございます。自分が深く思い入れている対象について語ると、しかも初めてのことだったので、こんなに長くなってしまったのです。本当に申し訳ありません。きのうのコンサートが終わってから、アンケートに、このコラムのURLを書いておきました。綾乃さんがインターネットを始めたという話を聞いたからです。もし、ご覧になっていると大変嬉しいです。
 あまりに長い文章になりましたので、この辺りで筆を置くことにしたいと思います。皆さんにKiroroの魅力が少しでも伝わり、沖縄の爽やかな風が皆さんに少しでも届いてくれることを、そしてKiroroの今後のさらなる活躍を祈って。「最後のKiss」を聴きながら。
 
 
 '99.9.13記
 
 
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