私−金沢−Kiroro
私−金沢−Kiroro(2000年1月9日)
久しぶりにKiroroと再会できる。どんな感動と驚きを私に与えてくれるのだろう。そんな期待を胸に秘めながら北鉄バスを降り、コンサート会場である石川厚生年金会館(金沢市)への石畳の夜道をゆっくりと踏みしめていた。すると、その途中で思わぬ光景に出くわした。盲目と思われる人がもう一人の先導を受けながら歩いている。これだけなら、まだ驚くには足らない。何と、先導しているその人も白い杖を巧みに操りながら、慎重にゆっくりと歩を進めていたのだ。つまり、二人とも盲目の方なのであった。まさかコンサートを聴きに行くのではあるまい、と思って声をかける勇気が湧かずに彼らを追い越してしまったのだが、長蛇の列をなす会場前に先に着いて開門を待っていると、やはり列の後方に彼らがいたのであった。
何というバイタリティであろう(コンサートが終わり、帰るために金沢駅に向かったのだが、駅構内で彼らの姿をもう一度見た)。そして、Kiroroの持つファン層の何と広いことであろう。また、Kiroroがビジュアルに全く頼らない実力派の歌手であることの証明にもなるであろう。コンサートが始まる前から、いきなり驚きを与えてくれた。小寺さんというバイタリティあふれる盲目の方と面識があったのではあるが、やはりまだ私の中では盲目の方に対しての「バリアフリー」は達成されていないのかもしれない。
会場のある金沢市は、四年間の大学生活を過ごした私の第二の故郷である。懐かしの思い出の場所めぐりをしようと、正午ごろに金沢入りした。まずは、金沢駅から車で10分ほどの浅野川沿いにある「ひがし茶屋街」へと向かった。まずは「自由軒」という上品な味付けをしているお店で昼食をとった。大学時代はよくここでオムライスや定食、「昔ながらのカツ丼」を食べたものだ。今日はハヤシライスを食べた。全然味付けも変わっておらず、とてもおいしかった(多少値段が張る)。続いて、「山屋」という紅茶専門店(多少値段が張るが、かなりおいしくて量も多い)でお茶をする。研究室の友達のバイト先でもあり、よくからかいに遊びに来ていたものだ。そのため経営者の奥さんとも仲良くしていたのだが、ここ2,3年の私の風貌の変化のためか、最初は分かってもらえず少し悲しかった。が、久々に思い出の店でゆっくりとお茶をできたので、心満たされて、青春の日々を過ごした大学時代にタイムスリップしたような感もあった。
だが、市街地に出ると、甘美な思い出ばかりにも耽っていられなくなった。大学の教養部があった石川城跡の中が、かなりの変貌を遂げていたことである。城址公園にするつもりであるらしいのだが、思い出の校舎が見る影もなく取り壊されていたのには悲しみを禁じ得なかった。去る者日々に疎し。金沢は遠くになりにけり。青春時代の思い出が一つ一つ消えていく。中心街香林坊(こうりんぼう)でも変化があった。よく通った金沢109の地下二階にある北国書林を訪ねてみたら、何と経営が書林から喜久屋書店に移っていたのだ。しかも専門書がかなりの充実を見せ、立ち読みならぬ「座り読み」もできるよう各書棚に一つ座椅子がついている。またカフェも併設されており、客は慣れた素振りで与えられたスペースを器用に使いこなしていた。いやはや、驚くべき変貌ぶりである。「金沢は遠くになりにけり」の思いがいっそう強くなった。
変わり行く金沢、変わらぬ金沢、その二つの相貌を見せつけられ、複雑な心境で胸がぐちゃぐちゃになりながら暮れゆく香林坊を発ち、それほど離れていない石川厚生年金会館までバスで向かったのであった。複雑な思いを払拭して、いち早くKiroroが与えてくれる世界に逃れたかったのかもしれない。
予定の17:30より少し遅れて開門された。長蛇の列で混雑も予想されたのだが、いざ入場し開演前になると、1707席ある内の後方600席くらいは空席であった。前日は新潟でコンサートがあって、私の故郷富山をスキップ(Kiroroキーボード担当の金城綾乃さんはスキップが出来ない・・・)して金沢で今日開催されたのであるが、そのことに憤りも覚えなかったでもなかったのだが、この空席の多さでそれも納得できた。前回Kiroroに初めて会った六甲山ではうろうろしていたダフ屋も、今日は一切いなかった。
そのことは私を悲しませなかったわけではなかった。しかし、「ちょきん」「チャンス」などの軽快で盛り上がれる曲でコンサートが始まると、その悲しみは消えていった。暖かい一人一人のファンが立ち上がり、手拍子を送り、優しく盛り上げてKiroroの二人がノリやすいようにしてくれたのである。こういうファンがいる限りは、Kiroroは地道にでもいいから音楽活動を続けていてほしいものである。さっきの盲目のバイタリティあふれるファンもいる。一人一人のファンは、本当に暖かくKiroroのことを見守っている。
また、六甲の公園ライブの時に相席させてもらった大阪のKuwamomoさんと、かなり近い席で再会できた。連休中とはいえ、こんなに遠いところまで来られるとはさすがである。Kiroroのディープな個人サイトを運営しているだけのことはある。本当にKiroroはいろんなファンに支えられているんだなぁ・・・。
コンサートは二部構成になっていた。観客とKiroroが一体となって、明るく盛り上がれるのが第一部であった。最大のクライマックスは、普段はキーボードを担当している綾乃さんの「本当は何になりたいんだろう」という曲(昨年9月にリリースしたソロ・ミニアルバム「昼休み」に収録)で、右半分の席と左半分との席で「本当は何になりたいんだろう」というサビの部分を輪唱する場面ではなかっただろうか。このときは、Kiroroの二人も観客も本当に楽しそうであった。もちろん私もである。六甲の時は本当に多種多様な観客が詰めかけていたが、今回は若い女性の占める割合が多かったように思われる。彼女たちも本当に充足しているようだった。
第一部の目玉は、ボーカルの玉城千春さんの妹の、このみちゃんがバックコーラスをつとめていたことであろう。今年高校を卒業して短大に進学するそうであるが、そのわりには小柄でキュートな仕草を連発し、会場からは「かわいー」の声が圧倒的であった。CMソングにもなった軽快なリズムの「最後のKiss」で第一部を締めくくった後も、その声に応えてかわいい仕草を振りまいていた。
金沢で4年間大学生活を送った私として大変うれしかったのは、千春さんが、このみちゃんを含め家族(彼女の家族を含め沖縄では「家族」はかなりの大家族である)でプライベートでゆっくりと旅行してみたいところだと言ってくれたことである。「うん、金沢はいいところだ、近江町市場(日本海の新鮮な海の幸が集まる市場)でうまいお寿司でも食べてちょうだい!」と言ってあげたかった。それとも、コンサート終了後に、夜の繁華街片町で打ち上げでもしたのかな。
大いに盛り上がった第一部に対して、第二部は、Kiroroの二人だけでつとめ、「未来へ」で幕を開け、しっとりと歌いじっくりと聴かせてくれる内容になっていた。Kiroroの本領発揮と言ったところであろうか。「ほぉら、足もとを・・・」で始まる伸びやかなフレーズと共に幕が上がる演出が良かった。
音響設備のいいところでKiroroを聴いたのは初めてということもあり、また、C列45番、つまり前から三列目、しかも中央からも3列目!という絶好のポジションに座っていたこともあって、ボーカルの千春さんの澄んだような優しい、それでいて力強い歌声がじんじんと胸に響いてくるようであった。あんなに美しい歌声は、やはりブラウン管・デジタル音越しからはまず聴くことが出来ないであろう。やはり、何でもライブ=生がいいのであろう。この日の観客動員数でもそうだが、セールス的には厳しい面が見られるKiroroではあるが、このような本物の歌を聴かせてくれている内は、必ず多くの心ある人が支え続けてくれるであろう。
第二部のクライマックスは、個人的には、コンサートでしか歌われない恋愛三部作のうちの「逢いたい」「もう少し」、そして「フォトグラフ」と続いたところではなかったと思う。三曲とも、長年の交友や恋愛などの実体験にもとづいたものなので、実感を込めて歌うことが出来たのであろう。ものすごく迫力があった。このときの千春さんの声は、一段と重みを増していた。友達や恋人にあらん限りの自分の思いを、遠い金沢から沖縄へ伝えたかったのであろうか。
そのように高まった雰囲気をを締めくくるにふさわしく、「僕らはヒーロー」という曲で第二部の幕を閉じた。この曲もまた、Kiroroの二人の母校である読谷高校の同じクラスの全員にプレゼントしたという実体験にもとづいたもので、アンコールの拍手を鳴りやまなせないためには十分の力を持った曲だった。観衆の全員が、もう一度あの不思議な高揚感、脳のβ波を穏やかに静めてα波を誘うような高揚感を味わいたかったのであろう。
大きな拍手に向かえられ、Kiroroの二人はゆっくりと現れてきた。アンコールの曲は、まず綾乃さんがギターを弾きながら「おばあちゃん」(「昼休み」
収録)を披露してくれた。故郷読谷村のひいおばあちゃんへの暖かい思いが込められた曲で、「昼休み」
の中では、沖縄の原風景を思い浮かべることが出来るような秀逸の一品である(ファンの間ではこの曲をシングルにという声もあるようである)。しっとりとした第二部を締めくくるにふさわしく、しんみりとした気持ちにさせてくれた。
α波で脳波が十分に穏やかになったところで、Kiroroのデビュー曲にして最高のセールスを伸ばした「長い間」の序奏を綾乃さんがピアノで奏ではじめると、観衆からは待ってましたとばかりに大きな拍手が鳴り響いた。伴奏に合わせて千春さんが伸びやかに歌う。このKiroroの原型は「長い間」でのデビューから何も変わっていないが、それでいて多くの点で成長を見ることができた今日のコンサートを締めくくるにふさわしい「長い間」であった。
幕が下り、Kuwamomoさんと語らいながら会場を出る。私は実家に戻るため、Kuwamomoさんと別れ、石畳の道を下りながら香林坊のバス停へと向かった。日銀前のこのバス停から金沢駅へは頻繁にバスが向かう。私も大学生時代はよくこのバス停を利用したものである。その思い出のバス停を後にして、金沢駅へ向かう。たまに金沢駅には来ることがあるのではあるが、来るたびにその相貌を異にしている。これもまた変わりゆく金沢の象徴であろう。今は、北陸新幹線用の工事をしているのであろうか。
いまだ変わらぬ有人改札を通り、実家の方へと向かう鈍行列車に乗り込む。夜遅い電車であるためにやや寂しい車内は、コンサートのパンフレットを持ったいろんな層のファンで半分ほど埋め尽くされていた。今風の厚底ブーツを履いた若い女性あり、グッズの帽子をうれしそうにかぶり車窓に映る自分に満足げな純朴な青年あり、酒に酔って妄語(?)をわめき散らすおじさんあり、まさに多種多様であった。私は車内でうとうとしながら、今日のコンサートと金沢ミニ旅行の余韻に浸っていた。
深夜11時半に我が家に到着。軽く食事をとり、珍しく早く床につくことにした。いつまでも起きていては、今日Kiroroからもらったエネルギーを放出しそうな気がして、少しでも長く溜めておこうと、布団の中に自分の体を包んだのである。しばらくは眠れなかった。心の底まで染み込んだKiroroの美しい歌声が、何度も何度もリフレインしていた。病魔をいやし続けてくれた二人を間近に見ることが出来た満足感にも包まれていた。今まで苦しんできた私をいつも励まし続けてきてくれたKiroroに思いを馳せつつ、来るべき新しい未来への希望をかけて、いつでもどんなときでも私の心の側にいてくれるであろう二人に感謝の言葉をつぶやき、うとうとと眠りについた。
2000/1/24 記
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