報告が1週間も遅れてしまった。最近の私のKiroroへの距離が、この遅れにつながってしまったのかもしれない。いつも買っていたコンサートグッズも買わなかった。しかし、今回のコンサート自体は、最も良かったものだと言えるであろう。
今回の会場は、大阪フェスティバルホールである。Kiroro自身は関西の中で最も多く訪れている会場であろうが、私は様々な事情から初めて訪れる。京阪電車・地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅のごく近所にあり、京都からのアクセスもとても便利な会場である。
午前中は近接している兵庫県の西宮市に用事があったので、その用事を終えてから、大阪の北の繁華街である梅田を経て会場に到着した。塾の仕事に携わっている者として、会場の近所にある史跡「適塾」(てきじゅく)を訪ねたかったが、時間がうまく合わず、その開塾者である緒方洪庵(こうあん)の業績などを眺めるだけであった。しかし、Kiroroへの入れ込み度が下がってはいるものの、それ以上に「何かを見学してみたい」「おいしいものを食べてみたい」という自然な欲求が湧いているのが、私にとってはうれしいことであった。
開演時間が近づくにつれ、普段であればもっと胸が高鳴るものであるが、今回はそれほどでもなかった。しかしその分、周りを見る余裕もあったのかもしれない。それで、今回も障害者の方が多く来ておられたことが分かった。とりわけ視覚障害者の方が多かった。以前、Kiroroはバリアフリーを訴える主旨のコンサートで唱ったことがあり、そのことから障害者の方の間でファンが増えたのかもしれない。
いざ会場に入ると、まずその広さに驚いた。中規模の会場であると聞いていたのだが、武道館などの大規模の会場に行ったことがないだけに、また、関西でのコンサート会場としては、Zepp Osakaくらいのライブハウスにしか行ったことがなかったので、田舎者としては面食らった。これなら、隣の席の人をそれほど気にせず、ゆったりと聴けそうである。
開演後「冬のうた」「長い間」を唱ったKiroroは、「歌っていて気持ちがいいね〜」とその会場のことを絶賛していた。確かにボーカルの玉城千春の歌声は、広い会場の中で優しく響いていた。事実、何度も彼女の歌声を聞き込んでいるファンの間でも、ずいぶん歌い方が優しくなったという指摘がなされている。今年の1月にリリースされたアルバム"Tree of life"のジャケットが、70年代のフォークソング、とりわけカーペンターズを意識しているように思われてならないが、早逝のボーカルであるカレンの歌い方も意識の内にあるのかもしれない。
そんな広い会場の中で、Kiroroは観客に問いかける。
「私たちのコンサートに始めてきてくれた人は拍手をしてください」
予想を遥かに上回る大きな拍手が鳴り響き、Kiroroの人気の根強さを改めて実感した。上に書いた障害者の方といい、本当にいろいろな人に支えられている。従来と同様、年輩のファンも多い。もちろん固定的なファンもいる。
固定的なファンの団結力の強さは今回強く感じたことである。コンサート終盤ということもあり、ボーカルの玉城のかなり細かい振り付けに至るまでマスターし尽くしているのである。会場前列に陣取るファン同士の緊密な連絡もかなりのものである。これは今までに見慣れなかった光景である。Kiroroの活動年数に比例して、ファンの団結力も年輪を帯びてきたということなのであろうか。
今回の最大の見所は、私の念願でもあった、ボーカルの玉城のアカペラであった。遠距離恋愛を歌う名曲「逢いたい」のサビの部分を熱唱した。私が知る限りは初めての試みであったが、3年前の紅白歌合戦での和田アキ子(Kiroroの友達でもある)の熱唱を思い起こした。熱唱ではあったが、彼女らの場合はしっとりと聴くことが出来る。これがKiroroの素晴らしいところであろう。
おとついの金曜日、小柳ゆきの武道館でのコンサートの様子がNHKで放映されていた。彼女の高い歌唱力にも関心を抱いているが、その分意識を高めて聞かなければならないところがあり、やはりそれは私にとっては息苦しいところである。それに比べると、Kiroroの歌声は、高い歌唱力を持ちながらも、爽やかな清涼飲料水のように肌身に染み渡ってきて、実に心地よい。
これらの光景を、私は今までよりも距離を置いて眺めていた。Kiroroの充実した活動ぶりと、成長ぶりを心楽しく眺めていたという程度である。「逃がさないで」という曲では、Kiroroも積極的に観客にその振り付けを求めるが、今回私は、一つのノリという程度に控えめに参加していた。
それは、本当に否定的なことだけなのだろうか?必ずしもそうではないだろう。私はこれまでKiroroに助けられてきたが、今は自立しつつあるのだろう。その自立の過程は、うつ病からの快復の過程とそのまま重なっている。むしろ、私自身の自立を喜ぶべきなのだろう。
帰りの京阪電車の「テレビカー」の中で、自殺の衝動に駆られる人々の声を集めた番組が放映されていたのも何かの因縁なのかもしれない。私自身の回復を喜びつつ、Kiroroを通して、おのれの前に立ちはだかる障害を乗り越える人が一人でも多くなればと願って止まなかった。
2001/4/2記
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