My Profile


  
  
ようこそ! 話を聞いてよ!
ようこそ、私のことについてあれこれ書いています。


プロフィールの更新履歴です。各項目の最新報告の背景に色が付いています。
一番最初のプロフィール('98.12.16記)。
プロフィールの更新履歴です
ちょっとだけ更新しました。('99.9.5)。
久しぶりの更新です。('00.9.28)
いくつか身分的に変化がありましたので更新しました。('01.4.27)
新たな試みについての記述です('02.2.18)
  




身体のこと
初公開写真です
野末 雅寛(のずえ まさひろ)
身長 169cm
体重 62kg
血液型 A型
視力 かなり悪い
FLEA(のみ)というブランドのメガネに99年の夏に新調しました。視野が狭いのが難点ですが、グリーンのフレームで概ね好評です(*^_^*)
経歴について
 1974年(昭和49)6月25日、富山県は北東端の片田舎朝日町に生を享ける。最近はJRのダイヤ改正で止まる列車の本数も減らされ続けている人口1万7千人の過疎の町。長野オリンピックで白馬のジャンプ台が有名になったが、そのジャンプ台の後ろに見える白馬岳が、雪をかぶると白馬と反対方向から美しく見ることができる風光明媚な町でもある。詰まるところ、私は田舎者である。

 小学校は、今は統廃合で廃校になった泊小学校、中学校は朝日中学校を卒業し、朝日町という田舎で15年間すくすくと育つ。
母校の校章です
 高校は、朝日町から25kmほど西よりの魚津市にある魚津高校を卒業。毎日楽しく電車通学していた。OGに室井滋がいることからも伺えるように、地元では割とリベラルな校風で通っており、それに憧れて私も入学した。
 また、高校野球の歴史に詳しい人なら誰もが知る、徳島商業の板東英二と延長18回を投げ合った村椿輝男の「魚津高校」でもある。
この歴史を祝して、私が高校三年の時に魚津高校対徳島商業の記念試合がありましたが、このときの徳島商業のエースで四番が、なんと川上憲伸(中日ドラゴンズ)だったそうです。
 大学生活は古都金沢で4年間過ごした。人口40万の都市にしてはとても飲み屋が多く、片町という夜の繁華街は深夜までネオンが灯っていて人がごったがえしており、私もよく何軒もはしごした思い出深い所。

 金沢大学で勉強に打ち込んで、哲学という面白い学問に出会い、さらにそれを学んでみようと進学を決意する。
 念願叶い、京都大学大学院文学研究科に進学することができたが、周りの優秀な人たちに圧倒されて、また進学ための勉強の疲れもあってか、うつ病にかかってしまう。(その辺の経緯は「私とうつ病」にて)
 現在、入院を経て(その辺の経緯は「海の病棟」体験記にて)、修士課程一回生のままで休学中(実は制度上は二回生でした、今年度で休学二年目になります。もろもろの事情と私自身の夢のために、今年度もまた休学しました。三年目ですので、休学できる期間をフルに使ったことになります。)。パソコンにはまった生活を送りつつも、カウンセリング等で徐々に病を癒しつつ、復学を目指している。
 勉強の方は、病と付き合いながらも、鈍牛のごとく少しずつ進めています。来年度の復学を目指して、焦らずにやっていこうと思っています。今年度の復学はならなかったものの、最近また転機が訪れて、シュタイナー教育で有名なルドルフ・シュタイナーの勉強に励んでいます。ドイツの思想からは離れられないのかもしれません(^ ^ ;)
シュタイナーの勉強は今は少しお休みしているのですが、様々な方の助力のおかげで無事クリニックへの通院は終了しました。このことはコラムにも少し書いておきました。
 そしてそれと併せて、2001年の3月いっぱいで、京都大学大学院を退学しました。静謐な環境で研究に集中する生活への憧れは捨て切れませんが、ライフスタイルの確立と夢の実現を目指してそのような決断を下しました。本当に研究に専念したいと思う時が来るまでは、東奔西走の日々かもしれません(^_^;) このような私の新生活を応援してくれる方(特にスポンサーとお嫁さん(笑))を募集中です。

My Booms
音楽
作家
スクラップ
イケてた帳
 古くは小坂明子の「あなた」から、渡辺美里、カーペンターズ、マライヤ・キャリーという女性ヴォーカルの曲を好んで聴く。
 最近では特にKiroroが大好き。その素直なメロディーと透き通った歌声は心温まるものだと思う。また、TV出演時の天然キャラもその素朴さがもろに出ていて、見る者を安心させてくれる。Kiroroについての文章を書いているコーナーはこちらです。
 最近は五木寛之のことばが心に沁みてくる。枯れてすさんだ心を暖かく優しく潤してくれるようである。
 中でも大河の一滴 での、貧弱なライ麦が命を支えるために11,200kmもの根を伸ばしてゆく生命力の神秘を讃える箇所はすばらしかった。自分が「生きている」っていうその事実だけでも十分立派なことなんだなと、頑張りすぎてきた自分から肩の荷が降りた。自分の胸の内から、枯れかけていた生命の泉が滾々とわき出るようだった。

 不精者だった自分が最近新聞のスクラップをするようになった。
 それほどこまめにでもないが、興味ある記事を見つけたらスクラップするのである。世界に二つとない自分だけのデータ集っていう喜びが原動力かな。

 うつ病にかかって低くなってしまった自己評価を高めるために、毎日、自分でイケてたなと思える行いを書いて、それをほめてあげるノート。
 「自分で自分のことをほめてあげたい」って感じかな。
 効果は少しずつ現れていると思う。
 効果が現れてきて、習慣としてつけるのはやめることになりました。気分の底上げが出来たからで、これも回復の良い兆しであると思います。
私の夢
 何か私塾みたいものをつくろうと思っている。それがフリースクールみたいなものになってもいい。とにかく、大学受験に方向付けられた、マスプロ的に上から無機的な浅い知識の断片を詰め込むような現在の中学・高校教育とは異なった勉強の場をつくってみたい。国語なら文学・哲学の、歴史なら歴史学の、理科なら物理学・化学・医学・工学・地学の、英語なら英語学・英文学の専門をある程度積んだ人を講師として呼んで、十人くらいの規模で円卓を囲んで、深く日常と結びついた興味深い話をしてもらうような双方向的な暖かい授業をやってみたい。
 そうやって、学ぶ喜びを、現在の学校教育に絶望し虚無的になって街でたむろしているティーンエージャーに味わってもらいたい。いや、別にティーンエージャーに限らない。学びたいと思いたった大人なら誰にでも門戸を開きたい。同世代とのコミュニケーションに限局されがちなティーンエージャーにとって、「大人の世界」を知るというのはとてもよいことだろうし。

 なぜ私がこんなことにこだわるかというと、自分が受けた高校教育があまりにもお粗末だったからである。もっと深く、もっと身近な世界の情勢や日常生活と結びついたことを知りたい、という切実な欲求を持ったときに、それが全く満たされなかったという怒りの気持ちがあるからである。だから、もし自分と同じ欲求を持った子がいるのだったら、こんな思いをさせたくないという気持ちになるのである。そんな子のために、欲求を満たすことができる学び舎を用意しておきたいな、と。

 しかし、そうなると私も、講師を手配したり環境を整えるためのコーディネーターとしての役割にとどまらず、実際に教えてみたくもなる。そうなれば、早く病気を治して復学し、自分の専門を深く勉強しておかねばならないだろう。だから、この夢を実現するためにも、早く病気を治したいものだ。

 そして最後に。もしこの夢が実現しそうになったら、私こそはという人は是非お手伝い願います。

 この夢の実現の第一歩として、BrainHumanityのプロジェクトであるHEP(Home Education Project)のメンバーに登録しました。不登校児と、家庭教師という立場で接していくという試みですが、私自身がいつ派遣されるかはまだ分かりません(何とホームページ制作担当係となり、しかもつい先日から家庭教師として派遣されることになりました['99.10.30追記] )。

 HEPでの活動はまだ継続していますが、私自身の問題のために家庭教師としての仕事にはもう携わっていません。側面からの支援を心がけています。

 今は、夢の実現の第二歩目の段階に入りました。小さな塾ですが、自分の夢の実現をそこに託してみようと思っています。今年の1月からお手伝いをしています。また、私がこの塾のホームページを開設しました。こちらからアクセスできます。
 最近ではシュタイナー教育に関心を持ち、それを基礎とした教材作りに励んでいます。遅々たる歩みになるとは思いますが、こちらも見守ってくださればと思います。

 いよいよ、夢の実現の第三歩目の段階に入りました。勤め先の塾の空き時間・スペースを借りて、町の小さなパソコン教室を始めました。理想的な生涯教育とバリアフリーを目指して少しずつ実績を残していきたいと思います。詳しくは、こちらをご覧下さい。
 それでは、長々と書いてきたプロフィールをこれで終わります。


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