平成大不況は大ウソ
〜すべては、金持ちをより金持ちにする
ために仕組まれたことだった(前編)〜

 今回は、「平成大不況は、金持ちがより金持ちになるために、極めて意図的に造り出されたものである」という私の主張を紹介します。「そんなことは、あり得ない」と思われるかもしれません。しかし、良く考えてみて下さい。リストラと称する解雇や賃下げ、そして、所得課税の最高税率の劇的な引き下げ(65%から50%へ)は、不況だからこそ、できることなのです。今、日本、そして、世界は危険な方向へと進んでいます。そのことを知って頂きたいのです。
 1999年5月1日
 後編へ移動

第一章 平成大不況は意図的に造り出されたものである
 「平成大不況は、金持ちがより金持ちになるために、極めて意図的に造り出されたものである」。こういう主張をすると、「そんなことは、あり得ない」と誰もが思うだろう。しかし、良く考えてみてほしい。リストラと称する解雇や賃下げ、そして、所得課税の最高税率の劇的な引き下げ(65%から50%へ)は、不況だからこそ、できることなのである。

 そして、このことは、国家行政組織法第八条に基づく公的機関であり、小渕恵三首相直属の諮問機関である「経済戦略会議」が、1999年2月26日に発表した「日本経済再生への戦略」(経済戦略会議答申)において、間接的に認めているのである。この点については、第三章「経済戦略会議が、うっかり明らかにした不況の本質」を御覧頂きたい。この平成大不況は、日米両政府と日米経済界によって造り出されたものである。このことを忘れてはいけない。

 このまま事態が金持ちの思惑通りに進めば、1999年4月1日は、貧乏人にとっては、「恥辱の一日」になるだろう。逆に金持ちにとっては、「歴史的に意義深い一日」になる。まずは、4月1日から始まった大改悪の一覧を御覧頂こう。

【税制面】
所得税減税・・最高税率を50%から37%に。
住民税減税・・最高税率を15%から13%に。(6月から実施)
法人税減税・・基本税率を34.5%から30.0%に。
法人事業税減税・・基本税率を11.0%から9.6%に。
有価証券取引税廃止・・株式を売却した場合、売却価格の0.1%だった有価証券取引税を廃止。
【減税に関する日本経済新聞(1999年4月1日付)の記事】減税関連では(1)所得税・住民税の最高税率を六五%から五〇%に引き下げる(2)所得税二〇%(上限25万円、中根注)、住民税一五%(上限4万円、中根注)を税額から一律で差し引く(3)所得税の扶養控除、特定扶養控除を計十五万円拡大する−−ことが決まっている。このうち四月の源泉徴収に反映されるのは所得税分で、住民税分は六月から。一〜三月分は夏のボーナスの際に還付される。

【労働面】

改正労働基準法施行・・女子の深夜勤務を禁じた保護規定を撤廃し、男女平等に。また、時間外・休日労働を制限する規定(第六十四条の二=第三十六条の協定による場合においても、一週間について六時間、一年について百五十時間を超えて時間外労働をさせ、または休日に労働させてはならないという規定。時間外・休日労働は、合わせて百五十時間まで)も撤廃。

第三十六条=使用者は、当該事業場に、労働者の過半数で組織する労働組合がある場合においてはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がない場合においては労働者の過半数を代表する者との書面による協定をし、これを行政官庁に届け出た場合においては、第三十二条から第三十二条の五まで若しくは第四十条の労働時間(以下この条において「労働時間」という。)又は前条の休日(以下この条において「休日」という。)に関する規定にかかわらず、その協定で定めるところによつて(原文のまま。中根注)労働時間を延長し、又は休日に労働させることができる。但し、坑内労働その他命令で定める健康上特に有害な業務の労働時間の延長は、一日について二時間を超えてはならない。

 税制面の改悪は、不況だからこそできたことである。よく考えて頂きたい。所得税の最高税率の大幅な引き下げや法人税減税は、金持ちがより裕福な好況時にはできないことである。有価証券取引税を廃止できたのも、不況だからである。株高のバブル時には決してできなかったことなのである。この制度は、好況になっても適用される。よって、金持ちは、好況になれば、以前より遥かに大きな利益を得ることができるのである。

 労働面でも、恐るべき改悪が実施された。改正労働基準法の施行である。女子の深夜勤務を禁じた保護規定を撤廃し、男女平等にするという。また、時間外・休日労働を制限する規定も撤廃された。この改悪は、改正男女雇用機会均等法とワンセットにして実施されており、そのため、いいことのように思っている人もいる。しかし、それは大きな間違いである。

 改正労働基準法施行の本当の狙いは、「男からも、女からも、平等に搾取すること」なのである。搾取を規制する規定(一部の例外を除いて、深夜勤務禁止・残業の制限)を撤廃することが、それを証明している。そもそも、男であれ、女であれ、深夜勤務や残業を減らしていこうとするのが、本筋である。今回の改正は、本筋に反するものであり、絶対に容認できない。改正男女雇用機会均等法が目指すものは、「搾取の男女平等」である。そして、これは、現代に『女工哀史』を復活させようとする恐るべき策謀であり、「新奴隷制度」への第一歩なのである。このことについては、第九章「現代に甦(よみがえ)る女工哀史の恐怖〜新奴隷制度樹立の策謀〜」で詳述している。そちらを御覧頂きたい。

第二章 市場原理主義は根本的に間違っている
 ここで、市場原理主義について説明する。市場原理主義とは、政府よりも市場の方が賢明であるから自由競争・自由分配が最善の道であるという考え方である。それゆえ、市場原理主義者は、政府による経済統制や規制・介入を撤廃することや、国営企業の民営化(市場原理主義者は、民間でできることはすべて民間に任せるべきだと主張している)や国有財産の売却(市場原理主義者は、政府のスリム化を主張している)、さらには、金持ち層への減税(市場原理主義者は、徴税による格差縮小や平等化を否定する。フラット税制構想や直接税減税要求と、その財源としての消費税増税論が出てくるのはそのためだ)を主張する。こうした市場原理主義が実行された国では、以下の重大な弊害が発生した。
  • 市場原理を基盤とする自由競争は富の集中を促すが、再配分は念頭にない。そのため、貧富の格差が拡大した。貧困の問題も深刻になった。繁栄の陰で飢餓の問題が蔓延している国(=アメリカ)もある。
  • 貧乏人に対する保護と金持ちへの規制が取り払われ、無秩序かつ破壊的な競争社会が出現した。
  • 市場原理主義は私利私欲を絶対的に肯定する。これが精神性の破壊につながった。金持ちたちは、弱い人々を保護する義務や利益を社会に還元する責務を放棄し、ただひたすらに私腹を肥やしている。
  • 企業の利益率を向上させるための解雇が正当化された。解雇を何とも思わない間違った経営者が出現した。
  • 自己責任が強調され、能力を評価されない多数の労働者が低賃金の労働を強要された。
さらに効率化についても一言記しておく。

□経済が効率化されること自体は悪くない。問題は、経済の効率化による利益がどう分配されるかである。効率化を名目にした搾取の強化や万民の安寧な生活の破壊がないようにしなければならない。政府主導の経済により、効率化による利益がすべての国民に等しく分配されるようにするべきである。すべての国民に等しく分配することにより、効率化が最も有益なものになる。「労働時間の大幅な短縮(政府の指導による完全雇用により実現できる。国民みんなで労働を分担するということである)」や資源の最適利用による「環境保護」も可能になる。

第三章 経済戦略会議が明らかにした不況の本質
 国家行政組織法第八条に基づく公的機関であり、小渕恵三首相直属の諮問機関である「経済戦略会議」(リンク集・参考ページ一覧参照)が、1999年2月26日に発表した「日本経済再生への戦略」(経済戦略会答申)において不況の本質を暴露している。

 答申の最終章である「おわりに ―活力と魅力ある日本の創造に向けて」には、以下の文章が盛り込まれており、これが平成大不況の本質を示している。

 「日本経済はいま、『海図なき新たな航海』に旅立とうとしている。しかし、その眼前に広がる光景は決して暗黒の海ではなく、希望と活力に満ちた輝かしい未来である。 (中略) 歴史的転換期に直面するわが国にとって、現在のような逆境はむしろ未来に向けての絶好のチャンスと受け止めるべきである。情報通信ネットワーク社会の到来、高齢化社会の進行、環境問題への対応、世界的な規模での競争激化(メガコンペティション)等の環境変化は、新たな飛躍のチャンスを増大させる。それだけに、改革の断行はもはや一刻の猶予も許されず、国民一人一人が意識改革と自己革新を行うことを通じて新しい日本を構築していかなければならない。」

 いかがだろうか。経済戦略会議は、「希望と活力に満ちた輝かしい未来」という。しかし、その未来で利益を享受するのは、金持ちだけである。また、「現在のような逆境はむしろ未来に向けての絶好のチャンスと受け止めるべきである。」としている。これは本音を漏らした文章である。さらに、「改革の断行はもはや一刻の猶予も許されず、国民一人一人が意識改革と自己革新を行うことを通じて新しい日本を構築していかなければならない。」としている。これこそが不況を意図的に造り出した金持ちの真の目的なのである。そして、構造改革によって今まで以上に金持ちの取り分を増やすことが、金持ちと金持ち優遇論者の狙いなのである。

 また、「新しい日本」のお手本は、公式に認められることはないが、紛れもなくアメリカ合衆国である。そのアメリカは、確かに今、超好況である。しかし、好況による利益を享受できているのは、金持ちだけである。貧富の格差は非常に大きいのである(下段注1、2、3、4、5)。

下段注1・・「米誌『ビジネスウィーク』は九日発売の最新号で一九九七年の米企業経営者報酬番付を発表した。トップはシティーコープと世界最大規模の合併を発表したトラベラーズ・グループのサンフォード・ワイル会長で、年間報酬総額は二億三千万ドル(約300億円)余り。同誌によると、アメリカの大企業三百六十五社の最高経営責任者(CEO)の平均報酬は780万ドルで、前年比で35%増えた。一方、労働者の賃金は前年比で2.5%(ブルーカラー)ないし3.8%(ホワイトカラー)しか上昇しておらず、対象企業平均でCEOは労働者の三百二十六倍の報酬を得た、と計算している。」(1998年4月10日付中日新聞夕刊)
下段注2・・「『問題は多くの人が低賃金の就職を余儀なくされていることだ』と米労働総同盟産別会議(AFL・CIO)系の人的資源開発研究所、テンプルトン局長は低失業率に隠された問題点を指摘する。米国でも『コンピューター技術など専門的な技能がなければ、給料のいい職業を見つけるのは難しい』(テンプルトン局長)のが実情。」(1998年6月8日付中日新聞夕刊)
下段注3(2002年5月17日追記)・・以下の表とグラフは、アメリカ商務省センサス(census 一斉調査、国勢調査)局の家計所得五分位表に基づき作成したものである。これは、アメリカの世帯を収入順に五つの階層に分類し、それぞれの階層の所得の合計が全体の所得の合計においてどれだけの割合を占めているかを示したものである。なお、上位5%の階層は、特別に示されている。アメリカ商務省センサス局の説明文は以下の通り(「All Races」は全人種という意味)。

Share of Aggregate Income Received by Each Fifth and Top 5 Percent of Families (All Races)

アメリカ商務省センサス局作成の所得五分位表 → http://www.census.gov/hhes/income/histinc/f02.html
アメリカの各階層の所得構成比
年次 最低位
(〜20%)
第2位
(21%〜
40%)
第3位
(41%〜
60%)
第4位
(61%〜
80%)
最高位
(81%〜)
上位5%
2000年 4.3% 9.8% 15.5% 22.8% 47.4% 20.8%
1999年 4.3% 9.9% 15.6% 23.0% 47.2% 20.3%
1998年 4.2% 9.9% 15.7% 23.0% 47.3% 20.7%
1997年 4.2% 9.9% 15.7% 23.0% 47.2% 20.7%
1996年 4.2% 10.0% 15.8% 23.1% 46.8% 20.3%
1995年 4.4% 10.1% 15.8% 23.2% 46.5% 20.0%
1994年 4.2% 10.0% 15.7% 23.3% 46.9% 20.1%
1993年 4.1% 9.9% 15.7% 23.3% 47.0% 20.3%
1992年 4.3% 10.5% 16.5% 24.0% 44.7% 17.6%
1991年 4.5% 10.7% 16.6% 24.1% 44.2% 17.1%
1990年 4.6% 10.8% 16.6% 23.8% 44.3% 17.4%
アメリカの各階層の所得構成比(2000年)
下段注4(2000年12月12日追記)・・「カリフォルニア州北部サンノゼ市のキリスト教教会の女性牧師、リンディ・ラムスデンさんに今年四月、中南米系の女性信者がこう訴えた。 『子供が四人もいるのに、一軒の家にほかの三家族と同居している。仕事の時給はたったの六ドルよ。ガレージの中でソファを借り、ベッドの代わりにして寝るの』 サンノゼ市は十年近い米国の景気拡大を支えたシリコンバレーの中心地。好業績の半導体やエレクトロニクス工場での働き口を求めてメキシコや南米など海外移住者が続々と押し寄せる。『豊かな生活を夢見て米国に来たが、知識や技能のない人が得られるのは下働きの仕事だけ』。ラムスデンさんは移住者の生活の困窮ぶりを訴える。一方、インターネット閲覧ソフト大手、ネットスケープ社は社員向けに豪華なスポーツジムや通勤用の自家用車整備場を社内に用意、仕事の時間中にレストランの予約や買い物など私的な用事を片付けてくれる雑役係まで備える厚遇ぶり。シリコンバレーは『階級の二極化』が米国でも最も極端に表れた地域だ。『この十年で、米国社会は富める者と貧しき者とに分かれ、中間層は消えつつある』。サンノゼ市の労働調査機関『ワーキングパートナーシップUSA』の政策責任者ボブ・ブラウンスタイン氏(五三)は強調した。同氏は今年三月、カリフォルニア州議会上院委員会が開いた労働問題に関する公聴会で証言。一九八四年にシリコンバレー地区で一万二千三百四十人だった臨時労働者の数が九八年には三万四千八百三十九人と三倍弱に増加したにもかかわらず、健康保険や退職金などの身分保障から置き去りにされている現実を訴えた。」(2000年6月9日付中日新聞)
下段注5(2002年5月17日追記)・・「米国の成長率が六%だった一九六〇年代中期、米国の会社のトップ経営者(CEO)と、製造業の労働者との所得比は三九対一だった。それが三〇年間の低成長ののちの一九九七年には二五四対一になった。格差がこのレベルにまで達すると、もはや経済的な根拠では正当化できず、イデオロギー的な正当化しかなくなる。」(『世界』2001年2月号、岩波書店、この文章の著者は経済政策研究所のジェフ・フォー氏とラリー・ミシェル氏)

 ここから先は、「日本経済再生への戦略」(経済戦略会議中間とりまとめ)の最終章である「おわりに ―活力と魅力ある日本の創造に向けて」の全文を紹介しながら、構造改革による日本改造の真の目的を明らかにしていく。

 「日本経済はいま、『海図なき新たな航海』に旅立とうとしている。しかし、その眼前に広がる光景は決して暗黒の海ではなく、希望と活力に満ちた輝かしい未来である。」

 確かに、このまま事態が金持ちの思惑通り進めば、輝かしい未来が実現するだろう。しかし、その利益を享受できるのは金持ちだけである。お手本であるアメリカがそれを証明している。

 「第1章から第5章にかけて提言してきた数々の構造改革を断行した暁の日本経済は、従来とは全く異なる新しい姿をみせるだろう。」

 その通りである。しかし、それで得をするのは、やはり、金持ちだけである。金持ちだけが得をする社会を造り上げるために、平成大不況は、造られたのである。

 「スリムで効率的な政府の下で自由闊達(かったつ)な競争が展開され、新しいビジネスや新規産業が次々と勃興する。」

 「スリムで効率的な政府の下で自由闊達な競争が展開され」ることは、富の極端な集中と貧困をもたらすことになる。スリムで効率的な政府は、再配分や平等には一顧だにしないからである。「スリムで効率的な政府の下で自由闊達な競争が展開され」ているアメリカ大陸の状況は、悲惨の一語に尽きる。特に、中南米はひどい。金持ちがより金持ちになり、貧困層は絶望的な惨状に追い込まれている。社会はズタズタに寸断されている(下段注1、2)。今、日本も、中南米の悪夢に一歩ずつ近づいているのである。我々貧乏人は、そのことを自覚し、新自由主義(下段注4)を阻止しなければならない。



下段注1・・日本経済新聞の原田勝広編集委員が1998年7月23日付の同紙夕刊で中南米の実情を記しているので、それを紹介させて頂く。「東西対立の時代が終わり、二十一世紀のキーワードは何か? 成長著しい中南米での貧の反乱≠フ先鋭化をみると、『富の偏在』ではないかと思える。規制緩和、市場経済万能の先にくるもの、それは時流に乗ってより豊かになる層と絶望的な貧困層との分裂の時代といえる。 (中略) 貧困の問題は元々存在した。しかし、今あるのはネオリベラリスモ(新自由主義)による失業であり、新しい貧困だ。自由競争は富の集中を促すが、再配分は念頭にない。『平等』イデオロギーを担った左翼政党やゲリラは影が薄い。リストラや緊縮財政で福祉予算は削られ、労働組合は弱体化。不満のはけ口がない。思えば、ペルーの日本大使公邸人質事件は、その意味で、分断社会を予告する事件だった。中南米の多くの国々は歴史的に一部の金持ちが国の富を独占する歪んだ社会構造だが、それを放置したままの自由化は問題が多い。『教育に力を入れる必要がある』(イグレシアス米州開銀総裁)との認識はあるものの、情報革命の中でインターネットを駆使する富裕層と学校に行けず、未熟練労働者としてしか生きられない貧困層の格差は開く一方だ。米国をはじめ先進国でも所得の格差は広がっている。ロシア・東欧や経済再建を目指すアジアでもその可能性がある。二十一世紀は不均質社会である。日本も例外ではなく、企業も人も自由化の波にのまれ、所得格差の大きい、分裂社会に入っていかざるをえない。中南米は弱肉強食のジャングルの中に一足早く放り込まれた。民営化と市場開放で外資もなだれ込んでいる。典型的なウィンブルドン現象(後掲中根注)のアルゼンチンなど、国内販売高の半分、輸出の四割が外資系だ。」

後掲中根注・・ウィンブルドン現象とは、市場開放により参入した外国企業に国内企業が抗しきれず、市場において衰退していってしまうことである。イギリスのウィンブルドンで行われるテニス大会で外国人の参加を認めた(元々はイギリス人の大会であった)ために、選手のほとんどが外国人選手になってしまったことがこの言葉の由来。

下段注2・・アメリカは、中南米からの搾取をさらに強化するため、米州自由貿易地域(FTAA=Free Trade Area of the America、下段注3)を創設しようとしている。これについて、岡部廣治氏は、『現代用語の基礎知識1999』(自由国民社刊)の中で、「アメリカの独占資本のための市場統合である。」と記し、その本質を明らかにしている。私も岡部氏の意見に同感だ。FTAAとは、アメリカの巨大多国籍企業が中南米で自由自在に活動するためのものに他ならない。また、岡部氏はNAFTAについても、「中南米におけるアメリカの絶対的覇権確立への第一歩として締結された。」(自由国民社刊『現代用語の基礎知識1999』)と批判している。自由貿易で得をするのは、超大国と巨大多国籍企業だけであるということだ。貧乏人が得をすることはない。

下段注3(2001年7月11日追補)・・米州自由貿易地域(FTAA=Free Trade Area of the America)とは、南北米大陸とキューバを除くカリブ海諸国の計三十四カ国による発足を目指す自由貿易地域のことである。この三十四カ国の首脳が集まりカナダのケベック市で開かれた第三回米州首脳会議で2001年4月22日に採択された「ケベック宣言」では、FTAAについて、2005年末までに実現させることとしている。この首脳会議では、ケベック宣言を実行するための行動計画も採択された。FTAAについては、2005年1月までに交渉を終え、2005年12月までの発行を目指すとしている。但し、ベネズエラだけが、2005年末までの発効について、「国会承認や国民投票の結果次第であり時期を保証できない」として態度を保留した。

下段注4・・新自由主義とは、政府による経済主導・規制を撤廃し、経済を自由な市場に委(ゆだ)ねようとする考え方を指す。一言で言えば、市場原理主義である。但し、新自由主義者の論理・思想には、一貫性・整合性が欠けている事実が垣間(かいま)見られる。それは新自由主義者の総決起集会と化していた経済戦略会議(リンク集・参考ページ一覧参照)が発表した資料に顕著に見られる。経済戦略会議が1998年10月14日に発表した「短期経済政策への緊急提言」には、次のように書かれている。

「歴史的不況を克服し、世界金融恐慌の発生を阻止するため、金融システムの早期安定化を図る目的で緊急避難措置として大規模な公的資金注入を断行することが不可欠である。」

これは明らかに、銀行の保護と政府介入であり、特大の護送船団方式だった。市場原理からはかけ離れたものである。さらに、経済戦略会議が1999年2月26日に発表した「日本経済再生への戦略」には次の文章がある。

「設備廃棄に伴い遊休化する土地の流動化を促進するため、当該用地に関し用途地域規制等土地利用上の諸規制を徹底的に緩和するとともに、土地の新たな活用に伴い必要とされるインフラの整備を行うため、国等の公共投資において特別に配慮する。また、土地の有効利用を進める観点から住宅都市整備公団、民間都市開発推進機構等公的機関による買い上げを促進する。」
「設備廃棄に伴い発生する解体費用、退職金等の費用について、時限を切った緊急的な措置として、政府系金融機関から超低利融資を行う。」
「策定された国家戦略に基づいて、資源を集中的に投入する。官民が協力する国家的な技術開発プロジェクトを立ち上げ、その成果を民間部門に移転する手法、民間による先端分野での研究開発を強力に支援する大規模な国家基金の創設による先端分野での研究支援など、分野に応じて適切な手法を選択する。」

これらは、明らかに巨大企業の保護と政府介入である。にもかかわらず、経済戦略会議は「日本経済再生への戦略」のなかで、以下の文章に見られるように、保護や護送船団からの決別を説いているのだ。自己矛盾に陥っているのである。

「規制・保護や横並び体質・護送船団方式に象徴される過度に平等・公平を重んじる日本型社会システムが公的部門の肥大化・非効率化や資源配分の歪みをもたらしている。このため、公的部門を抜本的に改革するとともに、市場原理を最大限働かせることを通じて、民間の資本・労働・土地等あらゆる生産要素の有効利用と最適配分を実現させる新しいシステムを構築することが必要である。」
「(日本経済の再生に向けた基本戦略の)第二は、規制・保護や護送船団から決別し、創造性と活力にあふれた健全な競争社会を構築することである。経済戦略会議は、公務員制度の改革、規制撤廃や各種の制度改革の強力な推進、公会計制度の改善、財政投融資の抜本改革等を通じて、肥大化し非効率となっている公的部門のスリム化・効率化を実現させなければ、日本経済の再生は不可能と考える。」
「民間の自由な経済活動に対する政府の過剰な介入を防ぐとともに、税・社会保障負担など国民負担の増大に伴う経済活力の低下に歯止めをかけるために、地方も含めて『小さくかつ効率的な政府』を実現する必要がある。」
「日本の財政は、国、地方ともに危機的な状況にある。この状況を打破するとともに、民間の自由な活動に対する政府の過剰な介入を防ぐためにも、思い切った『小さな政府』への取り組みが不可欠である。」

また、経済戦略会議のみならず、個人においても、その論理の非整合性は凄まじい。以下に、代表的な新自由主義者である中谷巌氏、竹中平蔵氏、香西泰氏、田中直毅氏の論理の非整合性を指摘しておく。

上段は新自由主義者の「小さな政府」論、中段は市場原理主義者の銀行への公的資金投入論、下段は私の批判である。

中谷巌氏

「求められる『改革の理念』とはいかなるものか。筆者は『革新をもたらす個人をこれまでの権威主義的な組織や既存の秩序の呪縛から開放する』ということでなければならないと考える。日本社会では(日本だけではなく多くの伝統社会ではそうだが)、秩序を乱す行動は多くの場合、忌み嫌われる。しかし、革新とは秩序に対する反乱にほかならないから、秩序を乱す行動が忌み嫌われ、社会的に糾弾される状況下では、革新は生まれない。」(1997年11月11日付日本経済新聞)

「日本の構造改革、不良債権処理を遅らせている大きな要因は、日本人の護送船団的発想だ。護送船団的発想とは、競争を『弱肉強食』と言って忌み嫌い、なるべくなら全員が落ちこぼれないように共存共栄を図っていこうという、いわば母性的、平等主義的発想である。」(中谷巌氏著、日本経済「混沌」からの出発、日本経済新聞社、1998年6月22日1版1刷発行)

「官と民は協調するのではなく、どちらかと言えば敵対した関係になければならない。敵対と言うと、ちょっと強い言葉に過ぎるかもしれないが、市場主義のもとでは、市場参加者は官が定めたルールにのっとって、すべての情報をマーケットの参加者に対して開示し、そして、資源配分にかかわる意思決定はマーケットの参加者にゆだねるということが必要になる。これが市場主義のエッセンスである。」(中谷巌氏著、日本経済「混沌」からの出発、日本経済新聞社、1998年6月22日1版1刷発行)



中谷巌氏

(聞き手)−−公的資金の投入を決める前に、減資などを通じて経営責任を問うべきだとする声がある。
(中谷氏)「なぜ金融機関に公的資金を投入するのかという素朴な疑問も分かるが、責任や倫理の問題と、金融システムが全滅する問題は区別しなければならない」

(中略)

(聞き手)−−どのように公的資金を投入するのか。
(中谷氏)「資本注入に向け数十兆円規模の枠を用意する必要がある。十三兆円では到底足りない。現在実施されている金融監督庁の調査の結果に基づき、政府が実質的な強制力を持ち、一括して投入すべきだ。強制するには法律上の詰めが必要となるが、だからといって小出しにしたり、金融機関の申請を待っていてはだめだ。自己申請では経営責任を問われるのを嫌い、だれも手を挙げない」(1998年10月6日付日本経済新聞)



私の批判→銀行への公的資金注入は中谷氏が忌み嫌う「護送船団」そのものである。中谷氏が公的資金注入を主張するのは矛盾に満ちている。また、「秩序に対する反乱」である革新の重要性を主張する中谷氏が「金融の秩序」を維持することを主張したのは、実に皮肉な現象であった。

上段は新自由主義者の「小さな政府」論、中段は市場原理主義者の銀行への公的資金投入論、下段は私の批判である。

竹中平蔵氏

「最悪のシナリオを避け、危機をこれ以上拡大させないためには、今の痛みを受け入れ、経済を覆う無気力の根源(規制・保護と政府介入)を絶つという覚悟がいる。」(1998年9月21日付日本経済新聞)



竹中平蔵氏

「金融システムの健全化については大胆かつ速やかに公的資金を投入する意思を政府が表明すべきだ。法制度上難しい面はあるが、強制注入が必要だ。」(1998年10月14日の経済戦略会議の第六回会合後のコメント)

「日本の金融機関は全体として債務超過に陥っている可能性があり、強制的な資本注入が必要。経営がどうしようもなく悪く存続できない銀行は特別公的管理(一時国有化)に移し、存続可能な銀行には強制注入していく。政府が日本債権信用銀行に取った措置はいい前例となる。」(1999年1月9日付日本経済新聞)



私の批判→銀行への公的資金注入は「規制・保護と政府介入」以外の何物でもない。竹中氏の発言は矛盾に満ちている。金融機関に対する「規制・保護と政府介入」が許されるなら、当然、他業種に対する「規制・保護と政府介入」も認められるべきである。

上段は新自由主義者の「小さな政府」論、中段は市場原理主義者の銀行への公的資金投入論、下段は私の批判である。

香西泰(ゆたか)氏

「(欧州やアジアでアングロサクソン流の市場主義への反発が出ていることについて)確かに欧州主要国はほとんどが社会民主系の政権となり、マレーシアのマハティール首相が市場主義の行き過ぎに反発するなどの動きが出ている。日本は市場原理がもっと機能するように構造改革を進めるべきだし、グローバル化の流れにも積極的に応じることが、長い目で見て日本経済の新たな発展につながる。」(1999年1月9日付日本経済新聞)

「日本は普通の先進国になる。個人や市民社会が重要な役割を果たす、成熟した先進国だ。そこでは自己責任や自立という普遍的な価値を持たざるを得ない。市場原理も同じだろう」「(市場万能主義への批判について)絵にかいたような市場原理主義者は米国でも少ない。市場原理の活用があくまで基本だが、金融については節度ある規制を考えなければならない」(1999年3月24日付日本経済新聞)



香西泰氏

「銀行は今や大手、中堅ともほぼ全行が傷を負っている。このままでは自己資本比率を上げるため資産圧縮に走るほかなく、貸し渋りが加速する。短期に危機を打破するには、破たん(破綻)前の金融機関に公的資金を投入し、計画的に金融システムを強化するしかない」「(銀行経営者の責任について)厳し過ぎると各行とも萎縮し、融資先に影響が出かねない。経営責任や株主責任は一律ではなく責任の程度によって考えるべきだ。大手米銀シティコープが経営不振に陥った時も経営陣は残った。後悔した人に、安い報酬で働かせた方がふさわしい場合もある」(1998年10月7日付日本経済新聞)



私の批判→銀行経営者を擁護する発言(文を素直に読めば、そういう解釈となる)は、香西氏が言う「自己責任や自立」に反している。銀行に対して「自己責任や自立」を要求するべきである。もちろん、銀行に対する公的資金の注入は、「自己責任や自立という普遍的な価値」に反している。また、金融のみならず、経済全体に対して「節度ある規制」を考えるべきである。

田中直毅氏(21世紀政策研究所理事長)の発言と私の批判

「株価が下げ止まらないという不安が投資家にリスクをとることをためらわせ、これがまた株価下落につながっている。この悪循環を断ち切るための緊急措置として、国による株式買い入れを提言したい」 (具体的な手法は) 「毎月一兆円程度を向こう三十カ月間買い入れる。買い入れ目的、方法、利益処分法などの詳細は国民にすべて開示し、極めて透明性の高いものにする。株式の買い入れ・運用は政府が決めるのではなく、信託銀行、投資顧問会社などから入札方式で選んだ運用機関にゆだねる」 「これで市場が活気づけば、企業は株式持ち合いの解消に積極的に動けるようになり、資金不足にあえぐ事業会社も市場から資金を調達できるようになる」(1999年1月8日付日本経済新聞より)

いったい、これのどこが「小さな政府」なのだろうか。それにもかかわらず、田中氏は、「景気対策に関心が集中するあまり、『小さな政府』実現に向けた取り組みがおろそかになっている」と言うのだ。大いなる矛盾である。

これらの事実から、新自由主義者の論理・思想には、一貫性・整合性がわかっていただけたと思う。かくのごとく、一貫性・整合性を持たない新自由主義者だが、一つだけ変わることのない原理・原則がある。それは、常に金持ちのことを考え、金持ちの利益になるように行動することである。結局、新自由主義とは金持ち主義のことなのである。この金持ち主義が中南米諸国で貧富の格差を拡大させ、金持ち以外の国民の生活を悪化させたという事実にも注意する必要がある。



 「国民一人一人が保護や規制から一人立ちし、自己責任と自助努力をベースとして自由な発想と創造性をいかんなく発揮することによって自らの生み出す付加価値を高めることが成長の源泉となる。」

 保護や規制は絶対に必要である。何も持たない貧乏人に対して、金持ちは圧倒的に優位な立場にいるからである。貧乏人を金持ちの搾取から守る「保護」と金持ちのやりたい放題を抑える「規制」を破棄することを許してはいけない。自己責任とか自助努力というと、聞こえはいいが、その実態は規律なき弱肉強食である。圧倒的に優位に立つ金持ちに対して貧乏人が戦いを挑んだとしても、勝ち目はないのである。

 「新しい価値を生み出そうという一人一人の意欲と熱意、創意工夫の積み重ねが豊かさと競争力の源泉になる。個々人が個性や独創性を持ってリスクに果敢に挑戦する姿勢が高く評価され、その成果に対して正当な報酬が与えられる。そして、次世代を担う若者や今日の日本の発展を築き上げてきた高齢者も生き生きと希望を持って豊かな生活を営める…そうした社会が実現するはずである。」

 「生き生きと希望を持って豊かな生活を営める」のは、金持ちと高い能力を持つ者だけである。資本もなく、さしたる能力もない普通の国民は、貧困に追い込まれることになる。

 「ともすれば、これまでの日本の経済社会は急激な変化を嫌い、弱者保護の名の下に既得権益の維持を優先してきた結果、既存秩序の枠組みは大きく崩れず、改革の歩みは遅々としていた。しかし、経済のグローバル化や少子化・高齢化等の経済構造変化が予想を上回るスピードで進行するなかで、変化に対する後追い的な対応はもはや経済の活力を喪失させるだけでなく、将来への希望をも失わせかねない。」

 急激な変化を嫌い弱者を保護することは善である。また、「将来への希望をも失わせかねない」と言うが、アメリカ大陸の貧乏人が「将来への希望」を失っていることを経済戦略会議の各委員も知っているはずである。急激な変化を嫌い弱者を保護することは金持ちの利益にならない。だから、金持ちは「将来への希望」を失っている。真相はこうだ。

 「1980年代前半の米国経済も双子の赤字と貯蓄率の低下、企業の国際競争力の喪失等、様々な問題を抱えていた。しかし、小さな政府の実現と抜本的な規制緩和・撤廃、大幅な所得・法人減税等を柱とするレーガノミックスに加えて、ミクロレベルでの株主利益重視の経営の徹底的追求とそれを容認する柔軟な社会システムをバックに、米国経済は90年央(1990年代半ばと言う意味と思われる。中根注)には見事な蘇生を成し遂げた。」

 確かに、「米国経済は90年央には見事な蘇生を成し遂げた」ことは事実である。しかし、その陰で、貧富の格差は極端に増大している。街には貧困者があふれている。犯罪や麻薬も、信じがたいほど蔓延している。成功している国で、どうしてそういう状況が生じるのだろうか。それはアメリカの経済システムが貧乏人を不幸にするシステムだからである。「小さな政府の実現と抜本的な規制緩和・撤廃、大幅な所得・法人減税等を柱とするレーガノミックスに加えて、ミクロレベルでの株主利益重視の経営の徹底的追求とそれを容認する柔軟な社会システム」は富の一極集中と貧困を招き、アメリカ社会をズタズタに寸断したのである。

 飢餓も蔓延している。アメリカの団体である「Food First」は、3000万人のアメリカ人が飢餓状態にあると指摘した(下段注1)。しかも、そのうち、1200万人は子供であると言う。こうした数字が示されること自体、国家として恥ずかしいことである。ところが、アメリカは、こうした数字を出されても、全く恥じ入ることがない。それどころか、「飢餓や貧困は、政治や経済が悪いからではなく、その人物(飢餓や貧困に苦しむ者)が悪いからだ」と決めつける国なのである(下段注2)。これが「自己責任」なるものの実態である。アメリカ社会は、既に瀕死の状態である。レーガノミックスという危険な先例を真似れば、日本も、瀕死の状態に追い込まれる。

 また、「ミクロレベルでの株主利益重視の経営の徹底的追求とそれを容認する柔軟な社会システム」を日本が認めることはあってはならない。「株主利益重視の経営」は恐ろしい手法である。それで得をするのは、大株主と、ストックオプション(自社株を安い値段で優先的に購入できる権利。株価が上がれば自分の利益が増えるし、逆に下がれば自分の利益が減る。それゆえ、常に株価を考えた経営になる)で莫大な利益を得る経営者だけである。なお、ストックオプションを一般社員にも適用する例はあるが、経営者と比べればその数(自社株の数)は少ないし、そして、何より、収益を向上させるために遮二無二働くことになってしまうのである。金の魔力には勝てないからだ。

下段注1
「米国を350万人の億万長者がいる国とみるか、3,000万人の飢えに苦しむ人間がいる国とみるか ―― 米国で飢餓や貧困が増加している原因」

<飢えに苦しむ米国人の数は中東と北アフリカの飢えた人間の合計に匹敵する>

中東と北アフリカ 3,700万人
米国 3,000万人
(出所:FAO、The Sixth World Food Survey 1996、ローマ)

<飢餓は食糧不足ではなく貧困による>

 まず、米国そして世界のどの国においても飢餓は偶然の出来事ではないということを知って欲しい。世界に食糧は不足していない。もちろん米国でも食糧は不足していない。

 また飢餓について知っておくべきことは、どの国においても、たとえ飢饉の時でさえ金持ちは決して飢えることはないということである。飢餓に陥るのは最も貧しい者たちである。

 米国議会のために行われた調査によると、3,000万人を超す米国人、つまり国民の9人に1人が、毎月何日間か、自分または家族のための食べ物を買うことができない。そしてお腹を空かせた1,200万人の米国人(全体の40%)は子供である。

 1985年以降、米国で飢えに苦しむ人の数は50%増加した。偶然にもこの時期 は米国がその歴史の中で最も長期間にわたり、絶え間ない繁栄を遂げた時期でもある。それにもかかわらずなぜ人々は飢えるのか。

 それは、経済が拡大する一方で、その恩恵を受ける米国人の数は減っている からである。新しく創出された富の大部分が、米国の最富裕層の懐に入っている。確かに失業率は低い。しかし、働く貧困者たちはもはや自分達の収入だけでは生計を立てることはできない。

 飢餓の増加は、所得格差の拡大で説明がつく。第三世界でも同じ現象を見てきた。第三世界には、消費の高いエリート層、減少傾向にある苦闘する中間層、そして増大する飢餓層がいる。

 今、同じ状況が米国で起きている。しかし、富める者も貧しい者もひとまとめにした楽観的な政府の経済報告からは、この事実は把握できない。
(この論文の日本語訳が掲載されているビル・トッテン氏運営のサイト「Our World」から引用。なお、今回の「Food First」の論文は「No.228」に掲載されている。)

下段注2・・下段注1で紹介した「Food First」は、この点について、以下のように糾弾している。
「米国を350万人の億万長者がいる国とみるか、3,000万人の飢えに苦しむ人間がいる国とみるか ―― 米国で飢餓や貧困が増加している原因」

 米国は個人の権利を守ることに誇りを持っている。個人の権利、それはすなわち人権である。しかし、世界の中で米国は唯一、極貧から食べ物を手に入れることもできない人に対して、それをその人自身のせいだと非難し、経済的な不公平に対しては政治的な解決策がないと無視する国なのである。その結果、米国民は先進工業国中最悪の所得格差や欠乏状態を容認している。我々の子孫のためにも、これをいますぐやめなければならない。
(この論文の日本語訳が掲載されているビル・トッテン氏運営のサイト「Our World」から引用。なお、今回の「Food First」の論文は「No.228」に掲載されている。)

 「最近でこそ、アングロ・アメリカン流の経済システムの影の部分も目立ってきているが、日本も従来の過度に公平や平等を重視する社会風土を『効率と公正』を機軸とした透明で納得性の高い社会に変革していかねばならない。」

 「従来の過度に公平や平等を重視する社会風土」は善である。世界でも類を見ない平和で安全、平等な社会を創り出したからである(下段注)。市場原理主義者は「日本は社会主義国家である」と言うが、それの何がいけないと言うのか。市場原理主義者が絶対善とするレーガノミックスやサッチャリズムを採用すれば、日本社会も、殺伐とした危険で不平等な国になる。市場原理は富の偏在と極度の貧困、そして、精神の荒廃をもたらすのである。

下段注・・経済学者の飯田経夫氏は、その著書『日本の反省』(PHP研究所、1996年12月5日第1版第1刷)で以下のように指摘している。
「日本は世界に冠たる平等社会で、貧富の差がきわめて小さい。日本の平等主義については、近ごろそれを目の敵にする人がいるが、それはとんでもない話だろう。徹底した平等主義社会をつくりあげたことは、日本人の誇りでなくて何であろうか。」
私も、飯田氏の意見にまったく同感である。

 「『効率と公正』を機軸とした透明で納得性の高い社会に変革していかねばならない。」

 こうした言葉にだまされてはいけない。「効率」とは、金持ちにとってのみ、有益なものである。「効率」とは金持ちの利益のために貧乏人を切り捨てることに他ならない。金持ちの狙いは「効率」を絶対善にすることである。そうなれば、「効率」を名目に解雇をすることや、賃下げや長時間労働を強要することが可能になるからである。

 また、「公正」や「透明」といった言葉にもだまされてはいけない。それで得をするのは、やはり金持ちだけである。「公正」や「透明」とは、貧乏人への保護や、金持ちに対する規制を取り除くことと同義である。「公正」や「透明」の本当の意味は、圧倒的に優位に立つ金持ちと貧乏人が対等の競争をすることなのである。それが、金持ちにとって「納得」できる社会なのである。

 「勿論、21世紀の日本が目指すべき社会は『弱肉強食』の無秩序かつ破壊的な競争社会であってはならない。それは、個々人の『選択の自由』と『失敗を許容し、再挑戦が可能な風土』に裏打ちされた真に安心できる社会でなければなるまい。」

 今まで、くどいぐらいに、日本を「『弱肉強食』の無秩序かつ破壊的な競争社会」にするための策謀を強調しているのに、この文章である。経済戦略会議の面々は、読む者の知性を侮っているのだろう。こう書けば、安心するとでも思ったのだろうか。しかし、金持ちが目指す社会は、「『弱肉強食』の無秩序かつ破壊的な競争社会」であることは、既に明らかになっているのである。

 「歴史を紐解けば、日本は過去幾多の困難に遭遇してきたが、その度に困難をバネにして世界史の上でも希にみる輝かしい発展を遂げてきた。それを可能としたのは、環境の激変に的確に対応し更なる飛躍の原動力としたきた国民の柔軟性と叡知に他ならない。確かに、日本経済は現在極めて困難な状況にあるが、明治維新、第二次大戦後の苦境と混乱を想起すれば、現在は遙かに恵まれた環境下にある。このような歴史的転換期に直面するわが国にとって、現在のような逆境はむしろ未来に向けての絶好のチャンスと受け止めるべきである。」

 先にも紹介したが、金持ちにとって「現在のような逆境」は、予定通りなのである。そして、金持ちにとっては、今はまさに、「未来に向けての絶好のチャンス」なのである。

 「情報通信ネットワーク社会の到来、高齢化社会の進行、環境問題への対応、世界的な規模での競争激化(メガコンペティション)等の環境変化は、新たな飛躍のチャンスを増大させる。それだけに、改革の断行はもはや一刻の猶予も許されず、国民一人一人が意識改革と自己革新を行うことを通じて新しい日本を構築していかなければならない。」

 「改革の断行はもはや一刻の猶予も許されず、国民一人一人が意識改革と自己革新を行うことを通じて新しい日本を構築していかなければならない。」と言う一節は重要だ。これこそが、不況を意図的に造り出した金持ちの真の狙いなのである。「国民一人一人が意識改革と自己革新を行うこと」は、危険である。意識改革とは、金持ちに都合のいいように洗脳されることであり、そして、自己革新とは、金持ちに都合のいい人間に化すことを意味しているからである。

 「経済戦略会議は、21世紀に向けて『活力と魅力ある日本の創造』を目指して政官民が各々の立場で全力を傾注すべきであり、とりわけ政府の強力なリーダーシップの下で我々の提言が速やかに実行に移されるならば、日本経済が安定的な成長軌道に復帰し力強く再生する日も近いと確信する。」

 「日本経済が安定的な成長軌道に復帰し力強く再生する日も近い」と経済戦略会議は言っている。確かにそうだろう。しかし、それで得をするのは、金持ちだけである。貧乏人が得をすることはない。「政府の強力なリーダーシップの下で我々の提言が速やかに実行に移されるならば」、富の偏在と極度の貧困がもたらされ、日本社会はズタズタに寸断される。「政府の強力なリーダーシップ」には要注意である。強力に市場原理主義政策を実行することを許してはいけない。

 経済戦略会議(下段注)は新自由主義者の総決起集会と化していた。金持ち優先、貧乏人軽視の答申が出てきたのは、そのためである。新自由主義は金持ちのみのことを考える恐るべき経済学である。我々貧乏人は、こうした考えを明確に否定すべきである。

下段注・・経済戦略会議委員一覧
井手正敬氏 西日本旅客鉄道(株)会長
伊藤元重氏 東京大学教授
奥田碩(ひろし)氏 トヨタ自動車(株)社長
鈴木敏文氏 (株)イトーヨーカ堂社長
竹内佐和子氏 東京大学助教授
竹中平蔵氏 慶應義塾大学教授
寺田千代乃氏 アートコーポレーション(株)社長
中谷巌氏(議長代理) 一橋大学教授
樋口廣太郎氏(議長) アサヒビール(株)名誉会長
森稔氏 森ビル(株)社長
50音順、役職は1999年2月当時のもの

第四章 堺屋大臣が明らかにした不況の本質
  市場主義者の堺屋太一経済企画庁長官(下段注)も不況の本質を漏らしている。堺屋氏は、1999年3月25日に、中日新聞社との単独インタビューに応じている。そして、その内容が翌日(3月26日)の朝刊に掲載された。その内容を以下の枠内に示そう。

(記者)――政府は「景気は下げ止まりつつある」との判断を示しているが、回復時期はいつになるか。
(堺屋氏)「景気は底入れの段階に入っている。しかし、企業のリストラは今後も必要で、雇用面では厳しい数字が出るだろう。だが、それは次の飛躍のための縮みだ。(一九九九)年度後半になれば、回復をしっかり実感できるのではないかと思う」

 堺屋氏は真相を漏らしてしまった。「企業のリストラは今後も必要で、雇用面では厳しい数字が出るだろう。だが、それは次の飛躍のための縮みだ。」との発言がそれである。金持ちがより金持ちになる(飛躍)ためには、一度 、不況(縮み)を起こさなければいけないのである。また、堺屋氏は、失業者を踏み台ぐらいにしか思っていないようである。そのことが、この発言からわかるだろう。

(記者)――当面の懸念材料は。
(堺屋氏)「国民の気分だ。米国は貯蓄率が非常に低く消費性向が高いのに、国民は漠然たる自信や楽天主義に支えられて楽しい日々を送っている。それに比べ、日本人は将来が不安だという強迫観念に駆られすぎている。少し楽天的に今を楽しむことを大切にしてほしい」

 堺屋氏によると、米国民は漠然たる自信や楽天主義に支えられて楽しい日々を送っているそうだ。しかし、これは間違いである。楽しい日々を送っているのは、一部の金持ちと中流上位階級だけである。

 そうでないなら、どうしてアメリカには、貧困・飢餓・麻薬・犯罪といった問題が蔓延しているのだろうか。楽しい日々を国民が送っているアメリカで、銃の乱射事件を象徴とする凶悪犯罪が頻発しているのはなぜなのか。この質問に的確な回答を寄せた市場原理主義者は、皆無である。市場原理主義者も、悪の原因を知っている。知っているからこそ、答えないのである。アメリカの政治・経済・社会システムが、あまりにも不平等で、あまりにも不合理で、あまりにも私利私欲を肯定しているから、悪が蔓延しているのである。そのことを堺屋氏も知っているはずである。

 「日本人は将来が不安だという強迫観念に駆られすぎている。」というが、強迫観念を駆り立てているのは、他ならぬ堺屋氏ではないか。堺屋氏も属する日本政府が、リストラと称する解雇・賃下げや貧富の格差拡大政策に歯止めをかけないから、将来が不安になるのである。

 「少し楽天的に今を楽しむことを大切にしてほしい。」というが、それなら、リストラと称する解雇や賃下げをやめさせるべきである。そういった不安要素があるから、楽天的になれないのである。

 下段注・・「『市場の優位』な世の中になると日本の社会や私たちの世の中はどう変るのか。まず第一に、高所得・高消費の『喜び』が生れる。そして、低所得・低消費でも『安心』は得られる。必ず安売りがあって低所得・低消費でも生きていけるシステムが生れるからだ。」(『あるべき明日−日本・今決断のとき』堺屋太一氏著、PHP研究所刊、1998年8月5日発行)
後編へ続く

トップページ 研究報告 後編へ移動