| 平成大不況は大ウソ 〜すべては、金持ちをより金持ちにする ために仕組まれたことだった(前編)〜 |
| 今回は、「平成大不況は、金持ちがより金持ちになるために、極めて意図的に造り出されたものである」という私の主張を紹介します。「そんなことは、あり得ない」と思われるかもしれません。しかし、良く考えてみて下さい。リストラと称する解雇や賃下げ、そして、所得課税の最高税率の劇的な引き下げ(65%から50%へ)は、不況だからこそ、できることなのです。今、日本、そして、世界は危険な方向へと進んでいます。そのことを知って頂きたいのです。 1999年5月1日 |
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| 第一章 平成大不況は意図的に造り出されたものである | |||
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「平成大不況は、金持ちがより金持ちになるために、極めて意図的に造り出されたものである」。こういう主張をすると、「そんなことは、あり得ない」と誰もが思うだろう。しかし、良く考えてみてほしい。リストラと称する解雇や賃下げ、そして、所得課税の最高税率の劇的な引き下げ(65%から50%へ)は、不況だからこそ、できることなのである。 そして、このことは、国家行政組織法第八条に基づく公的機関であり、小渕恵三首相直属の諮問機関である「経済戦略会議」が、1999年2月26日に発表した「日本経済再生への戦略」(経済戦略会議答申)において、間接的に認めているのである。この点については、第三章「経済戦略会議が、うっかり明らかにした不況の本質」を御覧頂きたい。この平成大不況は、日米両政府と日米経済界によって造り出されたものである。このことを忘れてはいけない。 このまま事態が金持ちの思惑通りに進めば、1999年4月1日は、貧乏人にとっては、「恥辱の一日」になるだろう。逆に金持ちにとっては、「歴史的に意義深い一日」になる。まずは、4月1日から始まった大改悪の一覧を御覧頂こう。
税制面の改悪は、不況だからこそできたことである。よく考えて頂きたい。所得税の最高税率の大幅な引き下げや法人税減税は、金持ちがより裕福な好況時にはできないことである。有価証券取引税を廃止できたのも、不況だからである。株高のバブル時には決してできなかったことなのである。この制度は、好況になっても適用される。よって、金持ちは、好況になれば、以前より遥かに大きな利益を得ることができるのである。 労働面でも、恐るべき改悪が実施された。改正労働基準法の施行である。女子の深夜勤務を禁じた保護規定を撤廃し、男女平等にするという。また、時間外・休日労働を制限する規定も撤廃された。この改悪は、改正男女雇用機会均等法とワンセットにして実施されており、そのため、いいことのように思っている人もいる。しかし、それは大きな間違いである。 改正労働基準法施行の本当の狙いは、「男からも、女からも、平等に搾取すること」なのである。搾取を規制する規定(一部の例外を除いて、深夜勤務禁止・残業の制限)を撤廃することが、それを証明している。そもそも、男であれ、女であれ、深夜勤務や残業を減らしていこうとするのが、本筋である。今回の改正は、本筋に反するものであり、絶対に容認できない。改正男女雇用機会均等法が目指すものは、「搾取の男女平等」である。そして、これは、現代に『女工哀史』を復活させようとする恐るべき策謀であり、「新奴隷制度」への第一歩なのである。このことについては、第九章「現代に甦(よみがえ)る女工哀史の恐怖〜新奴隷制度樹立の策謀〜」で詳述している。そちらを御覧頂きたい。 |
| 第二章 市場原理主義は根本的に間違っている |
ここで、市場原理主義について説明する。市場原理主義とは、政府よりも市場の方が賢明であるから自由競争・自由分配が最善の道であるという考え方である。それゆえ、市場原理主義者は、政府による経済統制や規制・介入を撤廃することや、国営企業の民営化(市場原理主義者は、民間でできることはすべて民間に任せるべきだと主張している)や国有財産の売却(市場原理主義者は、政府のスリム化を主張している)、さらには、金持ち層への減税(市場原理主義者は、徴税による格差縮小や平等化を否定する。フラット税制構想や直接税減税要求と、その財源としての消費税増税論が出てくるのはそのためだ)を主張する。こうした市場原理主義が実行された国では、以下の重大な弊害が発生した。
□経済が効率化されること自体は悪くない。問題は、経済の効率化による利益がどう分配されるかである。効率化を名目にした搾取の強化や万民の安寧な生活の破壊がないようにしなければならない。政府主導の経済により、効率化による利益がすべての国民に等しく分配されるようにするべきである。すべての国民に等しく分配することにより、効率化が最も有益なものになる。「労働時間の大幅な短縮(政府の指導による完全雇用により実現できる。国民みんなで労働を分担するということである)」や資源の最適利用による「環境保護」も可能になる。 |
| 第三章 経済戦略会議が明らかにした不況の本質 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 国家行政組織法第八条に基づく公的機関であり、小渕恵三首相直属の諮問機関である「経済戦略会議」(リンク集・参考ページ一覧参照)が、1999年2月26日に発表した「日本経済再生への戦略」(経済戦略会答申)において不況の本質を暴露している。 答申の最終章である「おわりに ―活力と魅力ある日本の創造に向けて」には、以下の文章が盛り込まれており、これが平成大不況の本質を示している。 「日本経済はいま、『海図なき新たな航海』に旅立とうとしている。しかし、その眼前に広がる光景は決して暗黒の海ではなく、希望と活力に満ちた輝かしい未来である。 (中略) 歴史的転換期に直面するわが国にとって、現在のような逆境はむしろ未来に向けての絶好のチャンスと受け止めるべきである。情報通信ネットワーク社会の到来、高齢化社会の進行、環境問題への対応、世界的な規模での競争激化(メガコンペティション)等の環境変化は、新たな飛躍のチャンスを増大させる。それだけに、改革の断行はもはや一刻の猶予も許されず、国民一人一人が意識改革と自己革新を行うことを通じて新しい日本を構築していかなければならない。」 いかがだろうか。経済戦略会議は、「希望と活力に満ちた輝かしい未来」という。しかし、その未来で利益を享受するのは、金持ちだけである。また、「現在のような逆境はむしろ未来に向けての絶好のチャンスと受け止めるべきである。」としている。これは本音を漏らした文章である。さらに、「改革の断行はもはや一刻の猶予も許されず、国民一人一人が意識改革と自己革新を行うことを通じて新しい日本を構築していかなければならない。」としている。これこそが不況を意図的に造り出した金持ちの真の目的なのである。そして、構造改革によって今まで以上に金持ちの取り分を増やすことが、金持ちと金持ち優遇論者の狙いなのである。 また、「新しい日本」のお手本は、公式に認められることはないが、紛れもなくアメリカ合衆国である。そのアメリカは、確かに今、超好況である。しかし、好況による利益を享受できているのは、金持ちだけである。貧富の格差は非常に大きいのである(下段注1、2、3、4、5)。
ここから先は、「日本経済再生への戦略」(経済戦略会議中間とりまとめ)の最終章である「おわりに ―活力と魅力ある日本の創造に向けて」の全文を紹介しながら、構造改革による日本改造の真の目的を明らかにしていく。 「日本経済はいま、『海図なき新たな航海』に旅立とうとしている。しかし、その眼前に広がる光景は決して暗黒の海ではなく、希望と活力に満ちた輝かしい未来である。」 確かに、このまま事態が金持ちの思惑通り進めば、輝かしい未来が実現するだろう。しかし、その利益を享受できるのは金持ちだけである。お手本であるアメリカがそれを証明している。 「第1章から第5章にかけて提言してきた数々の構造改革を断行した暁の日本経済は、従来とは全く異なる新しい姿をみせるだろう。」 その通りである。しかし、それで得をするのは、やはり、金持ちだけである。金持ちだけが得をする社会を造り上げるために、平成大不況は、造られたのである。 「スリムで効率的な政府の下で自由闊達(かったつ)な競争が展開され、新しいビジネスや新規産業が次々と勃興する。」 「スリムで効率的な政府の下で自由闊達な競争が展開され」ることは、富の極端な集中と貧困をもたらすことになる。スリムで効率的な政府は、再配分や平等には一顧だにしないからである。「スリムで効率的な政府の下で自由闊達な競争が展開され」ているアメリカ大陸の状況は、悲惨の一語に尽きる。特に、中南米はひどい。金持ちがより金持ちになり、貧困層は絶望的な惨状に追い込まれている。社会はズタズタに寸断されている(下段注1、2)。今、日本も、中南米の悪夢に一歩ずつ近づいているのである。我々貧乏人は、そのことを自覚し、新自由主義(下段注4)を阻止しなければならない。 下段注1・・日本経済新聞の原田勝広編集委員が1998年7月23日付の同紙夕刊で中南米の実情を記しているので、それを紹介させて頂く。「東西対立の時代が終わり、二十一世紀のキーワードは何か? 成長著しい中南米での貧の反乱≠フ先鋭化をみると、『富の偏在』ではないかと思える。規制緩和、市場経済万能の先にくるもの、それは時流に乗ってより豊かになる層と絶望的な貧困層との分裂の時代といえる。 (中略) 貧困の問題は元々存在した。しかし、今あるのはネオリベラリスモ(新自由主義)による失業であり、新しい貧困だ。自由競争は富の集中を促すが、再配分は念頭にない。『平等』イデオロギーを担った左翼政党やゲリラは影が薄い。リストラや緊縮財政で福祉予算は削られ、労働組合は弱体化。不満のはけ口がない。思えば、ペルーの日本大使公邸人質事件は、その意味で、分断社会を予告する事件だった。中南米の多くの国々は歴史的に一部の金持ちが国の富を独占する歪んだ社会構造だが、それを放置したままの自由化は問題が多い。『教育に力を入れる必要がある』(イグレシアス米州開銀総裁)との認識はあるものの、情報革命の中でインターネットを駆使する富裕層と学校に行けず、未熟練労働者としてしか生きられない貧困層の格差は開く一方だ。米国をはじめ先進国でも所得の格差は広がっている。ロシア・東欧や経済再建を目指すアジアでもその可能性がある。二十一世紀は不均質社会である。日本も例外ではなく、企業も人も自由化の波にのまれ、所得格差の大きい、分裂社会に入っていかざるをえない。中南米は弱肉強食のジャングルの中に一足早く放り込まれた。民営化と市場開放で外資もなだれ込んでいる。典型的なウィンブルドン現象(後掲中根注)のアルゼンチンなど、国内販売高の半分、輸出の四割が外資系だ。」 後掲中根注・・ウィンブルドン現象とは、市場開放により参入した外国企業に国内企業が抗しきれず、市場において衰退していってしまうことである。イギリスのウィンブルドンで行われるテニス大会で外国人の参加を認めた(元々はイギリス人の大会であった)ために、選手のほとんどが外国人選手になってしまったことがこの言葉の由来。 下段注2・・アメリカは、中南米からの搾取をさらに強化するため、米州自由貿易地域(FTAA=Free Trade Area of the America、下段注3)を創設しようとしている。これについて、岡部廣治氏は、『現代用語の基礎知識1999』(自由国民社刊)の中で、「アメリカの独占資本のための市場統合である。」と記し、その本質を明らかにしている。私も岡部氏の意見に同感だ。FTAAとは、アメリカの巨大多国籍企業が中南米で自由自在に活動するためのものに他ならない。また、岡部氏はNAFTAについても、「中南米におけるアメリカの絶対的覇権確立への第一歩として締結された。」(自由国民社刊『現代用語の基礎知識1999』)と批判している。自由貿易で得をするのは、超大国と巨大多国籍企業だけであるということだ。貧乏人が得をすることはない。 下段注3(2001年7月11日追補)・・米州自由貿易地域(FTAA=Free Trade Area of the America)とは、南北米大陸とキューバを除くカリブ海諸国の計三十四カ国による発足を目指す自由貿易地域のことである。この三十四カ国の首脳が集まりカナダのケベック市で開かれた第三回米州首脳会議で2001年4月22日に採択された「ケベック宣言」では、FTAAについて、2005年末までに実現させることとしている。この首脳会議では、ケベック宣言を実行するための行動計画も採択された。FTAAについては、2005年1月までに交渉を終え、2005年12月までの発行を目指すとしている。但し、ベネズエラだけが、2005年末までの発効について、「国会承認や国民投票の結果次第であり時期を保証できない」として態度を保留した。 下段注4・・新自由主義とは、政府による経済主導・規制を撤廃し、経済を自由な市場に委(ゆだ)ねようとする考え方を指す。一言で言えば、市場原理主義である。但し、新自由主義者の論理・思想には、一貫性・整合性が欠けている事実が垣間(かいま)見られる。それは新自由主義者の総決起集会と化していた経済戦略会議(リンク集・参考ページ一覧参照)が発表した資料に顕著に見られる。経済戦略会議が1998年10月14日に発表した「短期経済政策への緊急提言」には、次のように書かれている。 「歴史的不況を克服し、世界金融恐慌の発生を阻止するため、金融システムの早期安定化を図る目的で緊急避難措置として大規模な公的資金注入を断行することが不可欠である。」 これは明らかに、銀行の保護と政府介入であり、特大の護送船団方式だった。市場原理からはかけ離れたものである。さらに、経済戦略会議が1999年2月26日に発表した「日本経済再生への戦略」には次の文章がある。 「設備廃棄に伴い遊休化する土地の流動化を促進するため、当該用地に関し用途地域規制等土地利用上の諸規制を徹底的に緩和するとともに、土地の新たな活用に伴い必要とされるインフラの整備を行うため、国等の公共投資において特別に配慮する。また、土地の有効利用を進める観点から住宅都市整備公団、民間都市開発推進機構等公的機関による買い上げを促進する。」 「設備廃棄に伴い発生する解体費用、退職金等の費用について、時限を切った緊急的な措置として、政府系金融機関から超低利融資を行う。」 「策定された国家戦略に基づいて、資源を集中的に投入する。官民が協力する国家的な技術開発プロジェクトを立ち上げ、その成果を民間部門に移転する手法、民間による先端分野での研究開発を強力に支援する大規模な国家基金の創設による先端分野での研究支援など、分野に応じて適切な手法を選択する。」 これらは、明らかに巨大企業の保護と政府介入である。にもかかわらず、経済戦略会議は「日本経済再生への戦略」のなかで、以下の文章に見られるように、保護や護送船団からの決別を説いているのだ。自己矛盾に陥っているのである。 「規制・保護や横並び体質・護送船団方式に象徴される過度に平等・公平を重んじる日本型社会システムが公的部門の肥大化・非効率化や資源配分の歪みをもたらしている。このため、公的部門を抜本的に改革するとともに、市場原理を最大限働かせることを通じて、民間の資本・労働・土地等あらゆる生産要素の有効利用と最適配分を実現させる新しいシステムを構築することが必要である。」 「(日本経済の再生に向けた基本戦略の)第二は、規制・保護や護送船団から決別し、創造性と活力にあふれた健全な競争社会を構築することである。経済戦略会議は、公務員制度の改革、規制撤廃や各種の制度改革の強力な推進、公会計制度の改善、財政投融資の抜本改革等を通じて、肥大化し非効率となっている公的部門のスリム化・効率化を実現させなければ、日本経済の再生は不可能と考える。」 「民間の自由な経済活動に対する政府の過剰な介入を防ぐとともに、税・社会保障負担など国民負担の増大に伴う経済活力の低下に歯止めをかけるために、地方も含めて『小さくかつ効率的な政府』を実現する必要がある。」 「日本の財政は、国、地方ともに危機的な状況にある。この状況を打破するとともに、民間の自由な活動に対する政府の過剰な介入を防ぐためにも、思い切った『小さな政府』への取り組みが不可欠である。」 また、経済戦略会議のみならず、個人においても、その論理の非整合性は凄まじい。以下に、代表的な新自由主義者である中谷巌氏、竹中平蔵氏、香西泰氏、田中直毅氏の論理の非整合性を指摘しておく。
これらの事実から、新自由主義者の論理・思想には、一貫性・整合性がわかっていただけたと思う。かくのごとく、一貫性・整合性を持たない新自由主義者だが、一つだけ変わることのない原理・原則がある。それは、常に金持ちのことを考え、金持ちの利益になるように行動することである。結局、新自由主義とは金持ち主義のことなのである。この金持ち主義が中南米諸国で貧富の格差を拡大させ、金持ち以外の国民の生活を悪化させたという事実にも注意する必要がある。 「国民一人一人が保護や規制から一人立ちし、自己責任と自助努力をベースとして自由な発想と創造性をいかんなく発揮することによって自らの生み出す付加価値を高めることが成長の源泉となる。」 保護や規制は絶対に必要である。何も持たない貧乏人に対して、金持ちは圧倒的に優位な立場にいるからである。貧乏人を金持ちの搾取から守る「保護」と金持ちのやりたい放題を抑える「規制」を破棄することを許してはいけない。自己責任とか自助努力というと、聞こえはいいが、その実態は規律なき弱肉強食である。圧倒的に優位に立つ金持ちに対して貧乏人が戦いを挑んだとしても、勝ち目はないのである。 「新しい価値を生み出そうという一人一人の意欲と熱意、創意工夫の積み重ねが豊かさと競争力の源泉になる。個々人が個性や独創性を持ってリスクに果敢に挑戦する姿勢が高く評価され、その成果に対して正当な報酬が与えられる。そして、次世代を担う若者や今日の日本の発展を築き上げてきた高齢者も生き生きと希望を持って豊かな生活を営める…そうした社会が実現するはずである。」 「生き生きと希望を持って豊かな生活を営める」のは、金持ちと高い能力を持つ者だけである。資本もなく、さしたる能力もない普通の国民は、貧困に追い込まれることになる。 「ともすれば、これまでの日本の経済社会は急激な変化を嫌い、弱者保護の名の下に既得権益の維持を優先してきた結果、既存秩序の枠組みは大きく崩れず、改革の歩みは遅々としていた。しかし、経済のグローバル化や少子化・高齢化等の経済構造変化が予想を上回るスピードで進行するなかで、変化に対する後追い的な対応はもはや経済の活力を喪失させるだけでなく、将来への希望をも失わせかねない。」 急激な変化を嫌い弱者を保護することは善である。また、「将来への希望をも失わせかねない」と言うが、アメリカ大陸の貧乏人が「将来への希望」を失っていることを経済戦略会議の各委員も知っているはずである。急激な変化を嫌い弱者を保護することは金持ちの利益にならない。だから、金持ちは「将来への希望」を失っている。真相はこうだ。 「1980年代前半の米国経済も双子の赤字と貯蓄率の低下、企業の国際競争力の喪失等、様々な問題を抱えていた。しかし、小さな政府の実現と抜本的な規制緩和・撤廃、大幅な所得・法人減税等を柱とするレーガノミックスに加えて、ミクロレベルでの株主利益重視の経営の徹底的追求とそれを容認する柔軟な社会システムをバックに、米国経済は90年央(1990年代半ばと言う意味と思われる。中根注)には見事な蘇生を成し遂げた。」 確かに、「米国経済は90年央には見事な蘇生を成し遂げた」ことは事実である。しかし、その陰で、貧富の格差は極端に増大している。街には貧困者があふれている。犯罪や麻薬も、信じがたいほど蔓延している。成功している国で、どうしてそういう状況が生じるのだろうか。それはアメリカの経済システムが貧乏人を不幸にするシステムだからである。「小さな政府の実現と抜本的な規制緩和・撤廃、大幅な所得・法人減税等を柱とするレーガノミックスに加えて、ミクロレベルでの株主利益重視の経営の徹底的追求とそれを容認する柔軟な社会システム」は富の一極集中と貧困を招き、アメリカ社会をズタズタに寸断したのである。 飢餓も蔓延している。アメリカの団体である「Food First」は、3000万人のアメリカ人が飢餓状態にあると指摘した(下段注1)。しかも、そのうち、1200万人は子供であると言う。こうした数字が示されること自体、国家として恥ずかしいことである。ところが、アメリカは、こうした数字を出されても、全く恥じ入ることがない。それどころか、「飢餓や貧困は、政治や経済が悪いからではなく、その人物(飢餓や貧困に苦しむ者)が悪いからだ」と決めつける国なのである(下段注2)。これが「自己責任」なるものの実態である。アメリカ社会は、既に瀕死の状態である。レーガノミックスという危険な先例を真似れば、日本も、瀕死の状態に追い込まれる。 また、「ミクロレベルでの株主利益重視の経営の徹底的追求とそれを容認する柔軟な社会システム」を日本が認めることはあってはならない。「株主利益重視の経営」は恐ろしい手法である。それで得をするのは、大株主と、ストックオプション(自社株を安い値段で優先的に購入できる権利。株価が上がれば自分の利益が増えるし、逆に下がれば自分の利益が減る。それゆえ、常に株価を考えた経営になる)で莫大な利益を得る経営者だけである。なお、ストックオプションを一般社員にも適用する例はあるが、経営者と比べればその数(自社株の数)は少ないし、そして、何より、収益を向上させるために遮二無二働くことになってしまうのである。金の魔力には勝てないからだ。
「最近でこそ、アングロ・アメリカン流の経済システムの影の部分も目立ってきているが、日本も従来の過度に公平や平等を重視する社会風土を『効率と公正』を機軸とした透明で納得性の高い社会に変革していかねばならない。」 「従来の過度に公平や平等を重視する社会風土」は善である。世界でも類を見ない平和で安全、平等な社会を創り出したからである(下段注)。市場原理主義者は「日本は社会主義国家である」と言うが、それの何がいけないと言うのか。市場原理主義者が絶対善とするレーガノミックスやサッチャリズムを採用すれば、日本社会も、殺伐とした危険で不平等な国になる。市場原理は富の偏在と極度の貧困、そして、精神の荒廃をもたらすのである。
「『効率と公正』を機軸とした透明で納得性の高い社会に変革していかねばならない。」 こうした言葉にだまされてはいけない。「効率」とは、金持ちにとってのみ、有益なものである。「効率」とは金持ちの利益のために貧乏人を切り捨てることに他ならない。金持ちの狙いは「効率」を絶対善にすることである。そうなれば、「効率」を名目に解雇をすることや、賃下げや長時間労働を強要することが可能になるからである。 また、「公正」や「透明」といった言葉にもだまされてはいけない。それで得をするのは、やはり金持ちだけである。「公正」や「透明」とは、貧乏人への保護や、金持ちに対する規制を取り除くことと同義である。「公正」や「透明」の本当の意味は、圧倒的に優位に立つ金持ちと貧乏人が対等の競争をすることなのである。それが、金持ちにとって「納得」できる社会なのである。 「勿論、21世紀の日本が目指すべき社会は『弱肉強食』の無秩序かつ破壊的な競争社会であってはならない。それは、個々人の『選択の自由』と『失敗を許容し、再挑戦が可能な風土』に裏打ちされた真に安心できる社会でなければなるまい。」 今まで、くどいぐらいに、日本を「『弱肉強食』の無秩序かつ破壊的な競争社会」にするための策謀を強調しているのに、この文章である。経済戦略会議の面々は、読む者の知性を侮っているのだろう。こう書けば、安心するとでも思ったのだろうか。しかし、金持ちが目指す社会は、「『弱肉強食』の無秩序かつ破壊的な競争社会」であることは、既に明らかになっているのである。 「歴史を紐解けば、日本は過去幾多の困難に遭遇してきたが、その度に困難をバネにして世界史の上でも希にみる輝かしい発展を遂げてきた。それを可能としたのは、環境の激変に的確に対応し更なる飛躍の原動力としたきた国民の柔軟性と叡知に他ならない。確かに、日本経済は現在極めて困難な状況にあるが、明治維新、第二次大戦後の苦境と混乱を想起すれば、現在は遙かに恵まれた環境下にある。このような歴史的転換期に直面するわが国にとって、現在のような逆境はむしろ未来に向けての絶好のチャンスと受け止めるべきである。」 先にも紹介したが、金持ちにとって「現在のような逆境」は、予定通りなのである。そして、金持ちにとっては、今はまさに、「未来に向けての絶好のチャンス」なのである。 「情報通信ネットワーク社会の到来、高齢化社会の進行、環境問題への対応、世界的な規模での競争激化(メガコンペティション)等の環境変化は、新たな飛躍のチャンスを増大させる。それだけに、改革の断行はもはや一刻の猶予も許されず、国民一人一人が意識改革と自己革新を行うことを通じて新しい日本を構築していかなければならない。」 「改革の断行はもはや一刻の猶予も許されず、国民一人一人が意識改革と自己革新を行うことを通じて新しい日本を構築していかなければならない。」と言う一節は重要だ。これこそが、不況を意図的に造り出した金持ちの真の狙いなのである。「国民一人一人が意識改革と自己革新を行うこと」は、危険である。意識改革とは、金持ちに都合のいいように洗脳されることであり、そして、自己革新とは、金持ちに都合のいい人間に化すことを意味しているからである。 「経済戦略会議は、21世紀に向けて『活力と魅力ある日本の創造』を目指して政官民が各々の立場で全力を傾注すべきであり、とりわけ政府の強力なリーダーシップの下で我々の提言が速やかに実行に移されるならば、日本経済が安定的な成長軌道に復帰し力強く再生する日も近いと確信する。」 「日本経済が安定的な成長軌道に復帰し力強く再生する日も近い」と経済戦略会議は言っている。確かにそうだろう。しかし、それで得をするのは、金持ちだけである。貧乏人が得をすることはない。「政府の強力なリーダーシップの下で我々の提言が速やかに実行に移されるならば」、富の偏在と極度の貧困がもたらされ、日本社会はズタズタに寸断される。「政府の強力なリーダーシップ」には要注意である。強力に市場原理主義政策を実行することを許してはいけない。 経済戦略会議(下段注)は新自由主義者の総決起集会と化していた。金持ち優先、貧乏人軽視の答申が出てきたのは、そのためである。新自由主義は金持ちのみのことを考える恐るべき経済学である。我々貧乏人は、こうした考えを明確に否定すべきである。
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| 第四章 堺屋大臣が明らかにした不況の本質 | ||
市場主義者の堺屋太一経済企画庁長官(下段注)も不況の本質を漏らしている。堺屋氏は、1999年3月25日に、中日新聞社との単独インタビューに応じている。そして、その内容が翌日(3月26日)の朝刊に掲載された。その内容を以下の枠内に示そう。
堺屋氏は真相を漏らしてしまった。「企業のリストラは今後も必要で、雇用面では厳しい数字が出るだろう。だが、それは次の飛躍のための縮みだ。」との発言がそれである。金持ちがより金持ちになる(飛躍)ためには、一度 、不況(縮み)を起こさなければいけないのである。また、堺屋氏は、失業者を踏み台ぐらいにしか思っていないようである。そのことが、この発言からわかるだろう。
堺屋氏によると、米国民は漠然たる自信や楽天主義に支えられて楽しい日々を送っているそうだ。しかし、これは間違いである。楽しい日々を送っているのは、一部の金持ちと中流上位階級だけである。 そうでないなら、どうしてアメリカには、貧困・飢餓・麻薬・犯罪といった問題が蔓延しているのだろうか。楽しい日々を国民が送っているアメリカで、銃の乱射事件を象徴とする凶悪犯罪が頻発しているのはなぜなのか。この質問に的確な回答を寄せた市場原理主義者は、皆無である。市場原理主義者も、悪の原因を知っている。知っているからこそ、答えないのである。アメリカの政治・経済・社会システムが、あまりにも不平等で、あまりにも不合理で、あまりにも私利私欲を肯定しているから、悪が蔓延しているのである。そのことを堺屋氏も知っているはずである。 「日本人は将来が不安だという強迫観念に駆られすぎている。」というが、強迫観念を駆り立てているのは、他ならぬ堺屋氏ではないか。堺屋氏も属する日本政府が、リストラと称する解雇・賃下げや貧富の格差拡大政策に歯止めをかけないから、将来が不安になるのである。 「少し楽天的に今を楽しむことを大切にしてほしい。」というが、それなら、リストラと称する解雇や賃下げをやめさせるべきである。そういった不安要素があるから、楽天的になれないのである。 下段注・・「『市場の優位』な世の中になると日本の社会や私たちの世の中はどう変るのか。まず第一に、高所得・高消費の『喜び』が生れる。そして、低所得・低消費でも『安心』は得られる。必ず安売りがあって低所得・低消費でも生きていけるシステムが生れるからだ。」(『あるべき明日−日本・今決断のとき』堺屋太一氏著、PHP研究所刊、1998年8月5日発行) |
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