小泉「市場原理主義」政権への批判

 今回は、小泉政権の政策・思想への私の批判を紹介します。どうぞ、御覧下さい。
 2001年7月11日



※ ここからは、枠内の文章が小泉政権の人々の発言並びに文書、枠外の文章が私の批判である。

【2001年5月7日に行われた第百五十一回国会における小泉純一郎内閣総理大臣所信表明演説より】第二は、二十一世紀の環境にふさわしい競争的な経済システムを作ることです。これは日本経済本来の発展力を高めるための構造改革です。競争力ある産業社会を実現するために、新規産業や雇用の創出を促進するとともに、総合規制改革会議を有効に機能させ、経済・社会の全般にわたる徹底的な規制改革を推進します。さらに、市場の番人たる公正取引委員会の体制を強化し、二十一世紀にふさわしい競争政策を確立します。

「競争的な経済システム」は二十一世紀にはふさわしくない。「環境保護」、「生産・消費の縮小(これが環境保護に貢献する)と、それに伴う労働時間の大幅な短縮」、「自給自足型経済」、「搾取の排除」、「完全雇用政策」、「安全で快適な職場の確保」、「万民の安寧な生活の構築・維持」のため、規制や管理を強化することが二十一世紀にふさわしい経済政策だ。

【2001年5月7日に行われた第百五十一回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説より】我々が目指す経済社会は、国民一人ひとりや企業・地域が持っている大きな潜在力を自由に発揮し、潜在力そのものを更に高めていける社会です。そこには、真に豊かで誇りに満ちた、自立型の日本経済の姿があります。

「自立型の日本経済」を目指すことには異議はない。しかし、小泉総理自身、2001年6月30日に行われたブッシュ大統領との日米首脳会談で「日本は自立すべきで日米関係を損なっても他の国との関係で補えばいいという人もいるがそれはあり得ない。」(共同通信社配信の発言要旨から抜粋)と発言しているのだ。これはいったい、どうしたことだろうか。

【2001年5月7日に行われた第百五十一回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説より】明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです。今の痛みに耐えて明日を良くしようという「米百俵の精神」こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。

「今の痛みに耐えて明日を良くしよう」という発言は、自分が決して痛むことがないから言えることである。もし、国民に痛みを強(し)いるのならば、小泉内閣を構成する大臣、副大臣、政務官はすべての私財を、法改正の上、国庫に供出するべきだ。痛みを共有するというのはそういう事だ。まず、自らが痛んでみてはどうか。

【2001年5月7日に行われた第百五十一回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説より】新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢(あふ)れた未来を創造できるか否(いな)かは、国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています。

確かにその通りだ。小泉政権が進める市場原理主義に「国民一人ひとり」が不信任を突きつけることこそ、「希望に満ち溢れた未来」につながる。

【2001年6月26日に閣議決定された「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(いわゆる骨太の方針)より】今、日本の潜在力の発揮を妨げる規制・慣行や制度を根本から改革するとともに、司法制度改革を実現し、明確なルールと自己責任原則を確立し、同時に自らの潜在力を高める新しい仕組みが求められている。

よくぞ言ったものである。「自己責任原則」が銀行に適用されなかったことを、銀行に対する公的資金注入を声高に唱えた経済戦略会議で委員を務めた竹中平蔵氏と奥田碩(ひろし)氏(両氏はこの文章を作成した経済財政諮問会議の議員である)はどう説明するのだろうか。一言で言えば、この人たちが言う「自己責任」は都合のいい時だけ使われるということなのである。

【2001年6月26日に閣議決定された「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(いわゆる骨太の方針)より】「民間でできることは、できるだけ民間に委(ゆだ)ねる」という原則の下に、国民の利益の観点に立って、特殊法人等の見直し、民営化を強力に推進し、特殊法人等向け補助金等を削減する。郵政事業の民営化問題を含めた具体的な検討、公的金融機能の抜本見直しなどにより、民間金融機関をはじめとする民間部門の活動の場と収益機会を拡大する。

これは市場原理主義者お得意の「民間性善説」である。しかし、民間が善であるとは限らない。バブル時代に、大暴れしたのは他ならぬ「民間人」である。特に、裏社会とも結託した不動産業者の地上げは苛烈だった。裏社会の人間であっても、何の裏付けもなく、「自発的」に執拗(しつよう)な嫌がらせをすることはないのである。さらに言えば、史上最大の金融事件と言われたイトマン事件である。これらの例からも明らかなように、民間人が善であると言い切ることは到底できず、民間にすべてを任せればよいという考え方は危険そのものとしか言いようがない。また、「民間金融機関をはじめとする民間部門の活動の場と収益機会を拡大する。」とあるが、今までに民間金融機関は十分すぎるほど活動してきた。バブル時代には不動産業者に超過剰融資を行った。裏社会とも結託した不動産業者の地上げは苛烈だった。金融機関とて、そのことを知らぬはずがあるまい。さらに、超低金利時代の現在、ノンバンクは高金利で顧客への貸し出しを行い、暴利を貪(むさぼ)っている。昔も今も、民間金融機関は大暴れしているということだ。これ以上活動させる必要があるのだろうか。

【2001年6月26日に閣議決定された「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(いわゆる骨太の方針)より】医療、介護、福祉、教育など従来主として公的ないしは非営利の主体によって供給されてきた分野に競争原理を導入する。国際競争力のある大学づくりを目指し、民営化を含め、国立大学に民間的発想の経営手法を導入する。

「医療、介護、福祉、教育など従来主として公的ないしは非営利の主体によって供給されてきた分野に競争原理を導入する」のは危険だ。これらのものを市場化し、金儲けのためのものにすることは許されない。また、教育に競争原理を導入すれば、学校間の格差が増大し、「平等」が崩れていくことになる。なお、教育や福祉への競争原理の導入については、二宮厚美氏がその著書『現代資本主義と新自由主義の暴走』(新日本出版社、1999年12月25日初版)の第6章(218ページ〜239ページ)で的確に批判している。御一読いただきたい。

【2001年6月26日に閣議決定された「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(いわゆる骨太の方針)より】規制を極力撤廃し、自由な経済活動の範囲をできる限り広げるとともに、消費者・生活者本位の経済社会システムを実現する。

市場原理主義者が得意とする「消費者・生活者」を使った論法である。「消費者・生活者」のために規制を撤廃し、「自由な経済活動の範囲をできる限り広げる」というわけだ。しかし、現実には金持ち以外の「消費者・生活者」には従来よりも良い生活が待っているわけではない。それは、アメリカやイギリスの例を見れば明らかだ。規制撤廃で多少価格は下がるだろうが、効率化や能力主義を名目とした給料の引き下げや解雇、安定性の喪失(終身雇用の崩壊、正社員から有期雇用への転換)が一般国民を襲い、その損失の方が大きいからである。市場原理主義というのはそういうものである。一般国民にとっては、利益(規制撤廃による価格低下)よりも損失(給料の引き下げ、解雇、終身雇用の崩壊、正社員から有期雇用への転換、富の金持ちへの集中、貧富の格差の拡大)の方が大きいのだ。

【2001年6月26日に閣議決定された「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(いわゆる骨太の方針)より】国際的な交流が盛んになるにつれ、我が国の価格が概して割高であることが大きく浮き彫りにされている。このような高コスト構造を解決するためには、経済活動が極力民間に委ねられ、自由な活動と創意工夫によって効率化が進められることが不可欠である。

問題は、経済の効率化による利益がどう分配されるかである。効率化を名目にした搾取の強化や万民の安寧な生活の破壊がないようにしなければならない。政府主導の経済により効率化による利益がすべての国民に等しく分配されるようにするべきである。すべての国民に等しく分配することにより効率化が最も有益なものになる。「労働時間の大幅な短縮(政府の指導による完全雇用により実現できる。国民みんなで労働を分担するということである)」や資源の最適利用による「環境保護」も可能になる。

【経済財政政策担当大臣の竹中平蔵氏の論文・発言】

「所得再配分という名の搾取がまかり通っている。」(『Voice』平成11年1月号、PHP研究所)

「日本人がこんなに情けなく、人にねだるようになったのは、せいぜいここ十年、十五年です。日本人はもっと誇り高くて、自分のことは自分できちんとやる民族だった。いまの社会システムは結局、困ったことがあったら人からもらえという社会なんです。『所得再配分』という制度を使って強奪を正当化するシステムなんです。」(『Voice』平成11年7月号、PHP研究所)

国家政策の基本である「所得再配分」を否定する人を経済財政政策担当大臣にしていてもいいのかどうかをよく考えてみる必要がある。このような人に国の経済や財政を任せれば、貧富の格差の縮小や万民の安寧な生活、平等な社会構造はまったく期待できないことになる。つまり、低所得者には利益はないということだ。また、「日本人はもっと誇り高くて、自分のことは自分できちんとやる民族だった」、「いまの社会システムは結局、困ったことがあったら人からもらえという社会なんです。『所得再配分』という制度を使って強奪を正当化するシステムなんです。」と主張する竹中氏が銀行への公的資金注入を支持(下段注1、2)していたことにも注目する必要がある。竹中氏は、「困った」銀行に対して公的資金を注入せよと言っていたのである。

下段注1・・「金融システムの健全化については大胆かつ速やかに公的資金を投入する意思を政府が表明すべきだ。法制度上難しい面はあるが、強制注入が必要だ。」(1998年10月14日の経済戦略会議の第六回会合後の竹中氏のコメント)

下段注2・・「日本の金融機関は全体として債務超過に陥っている可能性があり、強制的な資本注入が必要。経営がどうしようもなく悪く存続できない銀行は特別公的管理(一時国有化)に移し、存続可能な銀行には強制注入していく。政府が日本債権信用銀行に取った措置はいい前例となる。」(1999年1月9日付日本経済新聞に掲載された竹中氏の発言)

【経済財政政策担当大臣の竹中平蔵氏の論文】「フロンティアの時代には、能力がありかつ努力を重ねて高所得を得ている人々を讃える税制が必要だ。そうすることによって、結果的に社会全体の活力が高められる。市場において高い活動エネルギーを持っている人に対し、極端な累進税制でペナルティーを課すことはやめなければいけない。いわば、『規制緩和としての税制改革』であり、『頑張れば豊かになれる夢』を国民に与えることである。最高所得税率水準としては当面四〇パーセント程度を目指すが、その際、法人税率と同水準にするという点に、もう一つのポイントがある。また将来的には、完全なフラット税、さらには人頭税(各個人に対し、収入に関係なく一律に課せられる税。中根注)への切り替えといった、究極の税制を視野に入れた議論を行うことも必要だろう。こうした改革は、政治・経済的にも重要な効果をもたらす。それは、累進構造の緩和が、必然的に小さな政府をつくる力学を持っているからだ。所得税率が極端な累進構造になっている場合、大きな政府が作られて痛みを感じるのは、一部の高額所得者だけである。」『日本の論点'99(文藝春秋、1998年11月10日発行)』より。この論文に対する詳細な批判は、「誌紙論評 第1回 税制改革−竹中平蔵氏」を参照されたい。

フラット税や人頭税を究極とする累進構造の緩和は金持ちにとっては大いに魅力的だが、低所得者にとってはそうではない。フラット税や人頭税が導入されれば、貧富の格差が拡大する。貧乏人はますます貧乏になり、金持ちはますます金持ちになるということだ。果たして、それでよいのかということだ。金持ちが竹中氏を支持するのは理にかなっているが、露骨な金持ち優遇政策を主張する竹中氏を一般国民が支持するのはまったく理にかなっていない。

【総合規制改革会議(リンク集・参考ページ一覧参照)・議長の宮内義彦氏の発言】「経済全体のパイを大きくするためには、官主導型から民主導型の経済システムに切り替えること、そして、市場原理と自己責任原則に基づいて、経済効率を向上させることが必要です。しかし、それは規制の全廃や自由放任を意味するわけではない。市場原理を阻害する規制はなくしますが、公正でオープンな競争を促進するためには、新しい、厳格なルールが欠かせません。」(2000年3月20日付日本経済新聞に掲載された財団法人経済広報センターの広告より)

この発言は重要である。一つずつ批判していく。

(1) 「経済全体のパイを大きくする」→経済全体のパイはむしろ、小さくしなければならない。「環境保護」や「労働時間の大幅な短縮」のため、経済全体のパイを小さくしていくべきである。

(2) 「官主導型から民主導型の経済システムに切り替える」→私が二十一世紀の社会像として掲げる「環境保護」、「生産・消費の縮小(これが環境保護に貢献する)と、それに伴う労働時間の大幅な短縮」、「自給自足型経済」、「搾取の排除」、「完全雇用政策」、「安全で快適な職場の確保」、「万民の安寧な生活の構築・維持」のためには、より「官主導」を強めなければならない。民主導の場合、「生産・消費の縮小(これが環境保護に貢献する)と、それに伴う労働時間の大幅な短縮」、「搾取の排除」、「完全雇用政策」を実現するのは難しいからだ。

(3) 「市場原理と自己責任原則に基づいて、経済効率を向上させる」→問題は経済の効率化による利益がどう分配されるかである。効率化を名目にした搾取の強化や万民の安寧な生活の破壊がないようにしなければならない。政府主導の経済により効率化による利益がすべての国民に等しく分配されるようにするべきである。すべての国民に等しく分配することにより効率化が最も有益なものになる。「労働時間の大幅な短縮(政府の指導による完全雇用により実現できる。国民みんなで労働を分担するということである)」や資源の最適利用による「環境保護」も可能になる。

(4) 「市場原理を阻害する規制はなくしますが、公正でオープンな競争を促進するためには、新しい、厳格なルールが欠かせません。」→宮内氏が信じる「市場原理」や「自己責任原則」には弊害が多い。それを以下に示しておく。
  • 市場原理を基盤とする自由競争は富の集中を促すが、再配分は念頭にない。そのため、貧富の格差が拡大する。貧困の問題も深刻になる可能性がある。繁栄の陰で貧困の問題が蔓延(まんえん)する可能性が強い。
  • 市場原理主義により貧乏人に対する保護と金持ちへの規制が取り払われ、無秩序かつ破壊的な競争社会が出現する。
  • 市場原理主義は私利私欲を絶対的に肯定する。これが精神性の破壊につながる。金持ちたちが弱い人々を保護する義務や利益を社会に還元する責務を放棄し、ただひたすらに私腹を肥やすことも考えられる。
  • 企業の利益率を向上させるための解雇が正当化される。解雇を何とも思わない間違った経営者が出現する。
  • 自己責任が強調され、能力を評価されない多数の労働者が低賃金の労働を強要される。
【総合規制改革会議・議長の宮内義彦氏の論文】「所得税をさらに引き下げつつできるだけフラット化するとともに、相続税も引き下げることが望ましい。」(『週刊東洋経済』2001年3月17日号、東洋経済新報社)

所得税のフラット化や相続税の引き下げは貧富の格差の拡大をもたらす。貧乏人はますます貧乏になり、金持ちはますます金持ちになるということがいいとは思えない。宮内氏には、一人の金持ちとしてではなく、社会に対して責任を負っている立場で発言してもらいたい。

【経済財政諮問会議・議員の牛尾治朗氏の発言】

「高まる失業率を受けて、雇用の在り方も議論に上った。牛尾治朗ウシオ電機会長は『日本は従業員資本主義だから、人件費の比率が大きくなる。確実に過剰雇用だ』と指摘。」(1998年7月12日付中日新聞より。長野県軽井沢町で開かれた社会経済生産性本部のトップマネジメントセミナーでの発言)

「(雇用の)流動化を図らなければならない。もはや働く側も終身雇用という意識はないだろう。終身雇用を求めるのは怠け者で、能力、向上意欲がない人だ。情報社会でこれだけ外が見えるんだから、気が利(き)いた人は、もっとチャンスを求めるはずだ。」(2001年1月4日付中日新聞より)

牛尾氏は労働者に対する温かい思いやりがなさすぎるのではないか。特に「終身雇用を求めるのは怠け者」という発言はひどすぎる。安定を求めるのは人々の一般的心理であり、「怠け者」だからではない。さらに言えば、牛尾氏の発言からは「ノブレス・オブリジー」(高い地位にある者の責務)をまったく感じ取ることができない。なぜ、ここで「ノブレス・オブリジー」を持ち出したのかというと、牛尾氏が第3分科会委員として参加している教育改革国民会議(リンク集・参考ページ一覧参照)の「第3分科会の審議の報告」に以下の記述があるからだ。

「戦前、高等教育を受けたエリートたちが大きな過ちを犯したという反省から、戦後、エリート教育は徹底的に罪悪視され、我が国ではノブレス・オブリジーを実行できるエリートやリーダーの育成が十分できなくなっている。」

牛尾氏自身が直ちに「ノブレス・オブリジーを実行」することこそ、必要である。牛尾氏が「ノブレス・オブリジー」を実行するのかどうか、これからの言動に注目していきたい。

【経済財政諮問会議・議員の本間正明氏の発言】「日本の税率構造は国税と地方税を合わせ、従来の十五段階から昨年ようやく最高五〇%、最低五%の七段階になった。日本経済の活性化のために中堅層と高所得層でもう一段、税率の平準化を進めるべきだ。七段階を四段階にして、最高税率は四〇%、最低は一〇%程度にするのが理想だ。勤労者の九二%以上を占める勤労収入一千万円までの人々に対しては二段階程度の税率でいい。」「非常に少ない一部の人が高額所得を得ていることを、一種の目標や活力の源とするように価値観を変えることが重要だ。みんなが閉そく感を持っていては、勤労所得者から起業も出ない。これまで稼ぐ人、一生懸命頑張る人にエールを送ってこなかった。」「レーガン税制が社会の価値観を根底から揺り動かし、大きな原動力になったのは確かだ。短期的には財政赤字を出し、非難されたが、八〇年代後半から米国はデジタル化の波に乗り、社会システムの改革に成功し、経済のパイの拡大に役立った。」(1999年11月1日付日本経済新聞より)

この発言に対しては一つずつ批判していく。

(1)「日本経済の活性化のために中堅層と高所得層でもう一段、税率の平準化を進めるべきだ。七段階を四段階にして、最高税率は四〇%、最低は一〇%程度にするのが理想だ。」→貧富の格差を拡大する金持ち優遇税制をこれ以上進めるべきではない。むしろ、貧富の格差の縮小(=結果の平等の促進)を目指して、金持ち層に対する課税を強化すべきだ。最高税率の引き上げ、贅沢(ぜいたく)品への課税強化、株式や土地の売買による利益への課税強化が必要だ。既に十分恵まれている金持ち層をこれ以上優遇する必要はないからだ。また、課税最低限の引き上げや消費税の廃止で低所得者層を優遇すべきだ。

(2)「非常に少ない一部の人が高額所得を得ていることを、一種の目標や活力の源とするように価値観を変えることが重要だ。」→これは金持ちを半(なか)ば神格化しようというもので、肯定できない。そもそも、たくさんの所得を得ている人間が皆、能力を磨き努力をした人であるとは限らない。莫大な遺産を相続したり、創業者の一族ということで高額所得者になっている人もいる。さらに言えば、株式や土地の取引で得られる利益への課税強化や莫大な遺産を引き継いだ場合の相続税の強化がなければ「一種の目標や活力の源」にはならないだろう。批判の対象になるだけである。最後に一言。「一種の目標」にされるような素晴らしい人ならば、自分が高額所得を得ていることは自分一人の力ではなく、社会全体のおかげであることを自覚しているだろうし、自分を育ててくれた社会へたくさんの還元をすることを拒否することはないはずだ。また、社会全体のおかげで自分が高額所得を得ていることを自覚しているのだから、自らが特別扱いされること(=半ば神格化されること)を決して望まないだろう。

(3)「みんなが閉そく感を持っていては、勤労所得者から起業も出ない。これまで稼ぐ人、一生懸命頑張る人にエールを送ってこなかった。」→「一生懸命頑張る人」にエールを送ることは必要だが、問題は何を基準に「一生懸命頑張る人」を決定するかだ。私は、厳しく辛い仕事をしている人が「一生懸命頑張る人」であると考えている。道路工事の現場で交通整理をしている人や炎天下で土木作業をしている人、工場で同じ作業を延々と繰り返す人は間違いなく、「一生懸命頑張る人」だ。しかし、こうした人たちが高収入を得ていることは少ない。こうした人たちに税制面でエールを送ることは絶対に必要だ。なお、株式や土地の売買で巨利を得る人が「一生懸命頑張る人」ではないことは当然のことだ。

(4)「レーガン税制が社会の価値観を根底から揺り動かし、大きな原動力になったのは確かだ。短期的には財政赤字を出し、非難されたが、八〇年代後半から米国はデジタル化の波に乗り、社会システムの改革に成功し、経済のパイの拡大に役立った。」→レーガン税制は金持ちに対してひたすらに金儲けに励むことを奨励した。「私利私欲」や「強欲の赴(おもむ)くままの金儲け」を肯定したのだ。その結果、貧富の格差が拡大した。また、「八〇年代後半から米国はデジタル化の波に乗り、社会システムの改革に成功し、経済のパイの拡大に役立った。」としているが、その陰で、貧困や飢餓が蔓延していること、不安定かつ不均質な社会が形成されていることを忘れてはならない。金持ちや高能力者にとっては楽園だったが、そうではない人には地獄絵図だったということだ。

【総合規制改革会議委員の奥谷禮子氏の発言】「民間が引っ張り、政府は調整役を果たすという形の経済が理想。今までは民は官に規制をつくってもらって既得権益を守るというパターンで、それこそが停滞の元凶になっていた」(1999年7月15日付中日新聞より)

「民間」が間違いを頻繁に犯している(不動産業者への金融機関の超過剰融資、不動産業者の地上げ、イトマン事件)のだから、「民間が引っ張り、政府は調整役を果たすという形の経済」は認められない。また、奥谷氏は「今までは民は官に規制をつくってもらって既得権益を守るというパターン」としているが、この例に当てはまらない業界もある。それは自動車業界で、行政による「無規制」な運転免許の乱発(飲酒運転者や暴走族、歩道・横断歩道に駐停車する者にまで運転免許が配布されているのだ)のおかげで発展していくことができた。



最後に今後の日本社会の姿について記しておきたい。今のまま、市場原理主義が横行すれば、日本は現在のアメリカのような荒廃した国になっていくだろう。貧富の格差が拡大し、貧困が増大する。金持ちや高能力者は優遇されるが、一方で、能力のない人々や貧乏人は厳しく辛い生活を強いられるだろう。果たして、それで良いのかということだ。山家(やんべ)悠紀夫氏も、今後の日本について、「企業にとっては人も資材と同じになる。必要な時に人を雇って、いらなくなったら、それでおしまい。働く側にとっては、不安定な社会だ。」、「(今後の日本社会は)非常に厳しい。労働条件も労働環境も厳しくなる。全体的にぎすぎすしていくだろう。」(2000年1月4日付中日新聞)と警告を発している。このまま日本社会を荒廃させていいのかどうかが、今、問われているのである。



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