※ここからは、枠内の文章が各紙の日米安保賛成論、枠外の文章が私の批判である。
| 【2001年9月7日付読売新聞社説より】米国の核の傘の下、その軍事力に依存し、ひたすら経済的繁栄を追求する中で、日本は、平和や民主主義、自由のために、国際社会でどんな責任を果たしていくのかという戦略や構想を積極的に示すことを怠ってきた。 |
実際に依存したのはアメリカの方である。日本の米軍基地はアメリカの世界覇権戦略の重要な拠点となっている。日本の米軍基地がなくなったら一番困るのはアメリカなのである。また、日本は、「平和や民主主義、自由のために」国際社会で「責任を果たしていく」必要はない。日本は小国である。他国の平和を実現させる国力は持ち合わせてはいないし、国際平和に対して責任を持つこともできない。そもそも、「平和や民主主義」を実現させようとすれば、「平和や民主主義」の最大の破壊者であるアメリカ合衆国(中南米におけるCIAの策謀の歴史がこれを証明している)と対決しこれを打ち負かすことが必須になってしまう。そんなことは不可能だ。重ねて言う。日本は他国のことに関わるべきではない。
| 【2001年9月7日付読売新聞社説より】保革対立の下で、革新陣営は日米安保体制も自衛隊も認めず「一国平和主義」的キャンペーンで、国際貢献の道を閉ざしてきた。その流れの中で、平和ボケの習性もすっかり身につけてしまった。 |
「一国平和主義」でよいではないか。日本は小国である。他国の平和を実現させる国力は持ち合わせてはいないし、国際平和に対して責任を持つこともできない。また、他国を繁栄させたり、国際平和を実現させようとする試みは、内政干渉や他国への軍事介入につながる恐れがあり、他国や他国民との間の混乱や対立、衝突を発生させる可能性が強い。日本は「一国平和主義」を採用し、他国からの干渉を受けず、他国にも干渉をしないという姿勢を貫くべきである。
| 【2001年9月7日付読売新聞社説より】旧ソ連という仮想敵国が崩壊し、日米同盟の存在理由が見失われた。湾岸戦争では日本は米国中心の多国籍軍の活動になんの人的貢献もできなかった。 |
湾岸戦争はアメリカの中東覇権戦略の一環だったのであるから、本来、日本は金も人も出すべきではなかったのである。湾岸戦争の目的はクウェートを侵略者のイラクから解放することだけではなかった。イラクを軍事的にも社会的にも徹底的に破壊することや軍事産業への貢献も目的だった。湾岸戦争終結後の米英軍によるイラクに対する執拗(しつよう)な空爆や米英主導の過酷な経済制裁がそれを証明している。イラクの軍事基盤・社会基盤は徹底的に破壊された。そして、犠牲となったのは罪なき一般国民、特に子供たちであった。
| 【2001年9月7日付読売新聞社説より】九六年の日米安保共同宣言は同盟の「漂流」とも評された危機に直面する中で改めて日米安保体制が地域の平和と安定の礎であることを確認したものだ。地域の平和と安定のために、日本が同盟にふさわしい役割をいかに効果的に果たすかが一層重要となった。共同宣言を受けて周辺事態法は成立したが、それだけでは十分な協力はできない。 |
実験のために原子爆弾を二度も投下したアメリカが「地域の平和と安定」に貢献してくれるような高尚(こうしょう)な国だろうか。そんなことはあり得ない。日米安保体制はアメリカの世界覇権戦略の一環であって、「地域の平和と安定」のためではない。
| 【2001年9月7日付読売新聞社説より】日米同盟を有効に機能させるために喫緊の課題が、集団的自衛権は「持っているが、行使はできない」とする政府の憲法解釈の見直しである。集団的自衛権が行使できるよう、憲法解釈を見直すとともに、行使する場合の具体的適用範囲をどうするかなど、検討作業を急ぐべきである。 |
「集団的自衛」なるものが強者(日米同盟やNATOの場合はアメリカ)の一方的な思惑に左右されたものであることを忘れてはならない。強者の絶対的な主導権の下(もと)に弱者が強者の一部隊として組み込まれてしまうというのが「集団的自衛」の真相である。「集団的自衛権」の行使を認めてしまえば、弱者たる日本はアメリカの絶対的な覇権戦略に完全に組み込まれ、アメリカの一部隊としてアメリカの軍事行動に参加することになる。果たしてそれでよいのかということだ。また、日本とは逆に絶対的な強者たるアメリカには日本を助けないという選択肢が存在する。絶対的な強者たるアメリカは日本が文句を言ってきても、それを一蹴(いっしゅう)できるからだ。そのことを認識すべきだ。
| 【2001年9月7日付読売新聞社説より】読売新聞社とギャラップ社の二年前の調査では「日本が武力攻撃を受けた場合米国が助けるか」との質問に両国の三分の二以上の国民が「助ける(助けるべきだ)と思う」としている。国民レベルでも日米の信頼関係は強まっている。 |
現実に「日本が武力攻撃を受けた場合」、アメリカが日本を助けるかどうかはわからない。日本を守ることがアメリカの国益にならないのであれば、アメリカは日本を守らない。絶対的強者たるアメリカは、日本が文句を言ってきてもそれを一蹴(いっしゅう)することができ、常に国益優先で動くことが可能だ。日米安保条約の日本防衛義務に縛られることはない。
| 【2001年9月5日付日本経済新聞社説より】日米同盟は仮想敵を前提とした関係ではない。だからソ連消滅から10年たっても存続し、強化されてきた。はっきりしたのは共通の脅威ではなく、民主主義、市場経済という共通の価値観による結合の事実である。 |
アメリカが「民主主義」の擁護者ではなく、破壊者であったことは中南米へのアメリカの度重なる介入の歴史で証明されている。中南米の歴史はCIA(アメリカ中央情報局)の策謀の歴史と言っても言いくらいである。チリのアジェンデ政権崩壊の過程をよく見るべきである。「民主主義」を重んじる国の所業とは到底思えないのである。
| 【2001年9月5日付日本経済新聞社説より】同盟関係は時を経て成熟化する。日米関係もその流れのなかにあるのだろう。困ったときに助け合い、時には耳の痛い助言もするのが本当の友人関係だとすれば、日米関係をそれに近づけるには、日本側として気をつける点がある。それは日米関係を重視する姿勢を「対米追随」と見る自虐的な心理からの卒業である。成熟した大人であれば当然である。日本の集団的自衛権の行使の制約からくる日米同盟の片務性の是正は課題の一つとなる。それなしに同盟維持が難しくなる事態が遠からず来るからだ。 |
「対米追随」と言う批判が起こるのは、日本があまりにもアメリカに従属的だからである。まず、防衛面から見てみよう。アメリカが集団的自衛権の行使を要求すると、日本もそれに呼応する。アメリカが自国の軍事作戦への後方支援や戦費負担を要求すると、日本もそれに呼応する。親米右派勢力は、実験のために原爆を投下したアメリカとの軍事条約(日米安全保障条約)や日本国内のアメリカの軍事基地を賛美する。さらに、経済面でも、従属的姿勢は変わらない。アメリカの内需拡大の要求を日本は受けいれた。その結果、バブル経済が起こった。また、親米右派勢力は米英発の市場原理主義を賛美し、推進した。こうした事実を見れば、「対米追随」と言う批判は「自虐的な心理」ではなく冷静沈着な思考であることがわかるはずである。アメリカを絶対視・正義視する幻想的な心理からの卒業が必要だ。
| 【2001年9月6日付中日新聞社説より】冷戦崩壊で安保体制の利益が希薄になり、日米両国間にはさざ波が立ちがちだ。潜在的な脅威を見失わず、ともに平和に取り組む努力を新たにしたい。 |
アメリカに「平和に取り組む努力」を期待することはできない。第二次世界大戦後、アメリカは平和の創造者ではなかった。むしろ、平和の破壊者であった。そんなアメリカが平和のために一体何をするというのだろうか。
| 【2001年9月6日付中日新聞社説より】日米関係は安保体制を基礎として自由経済、民主主義、人権などの価値観を幅広く共有し、強力な連帯感で結ばれるに至った。 |
アメリカが「民主主義」や「人権」の擁護者ではなく、破壊者であったことは中南米へのアメリカの度重なる介入の歴史で証明されている。グアテマラやチリの左翼政権の転覆工作やニカラグアやドミニカ共和国への介入、パナマやグレナダへの侵略行為を行ったのはアメリカである。「民主主義」や「人権」を重んじる国とは到底思えないのである。アメリカが「民主主義」や「人権」という価値観を持っているというのは幻想であって事実ではない。
| 【2001年9月6日付中日新聞社説より】昨年十月の政府調査によると、日米関係を「良好だと思う」とする割合は76%に達しているのに、「良好だと思わない」とする割合は16%にすぎない。 |
現在の日本の親米従属体制や日米の主従関係がよいのかどうか、よく考えてみる必要がある。幻想を捨て、真実を見なければならない。平和・民主主義・人権の破壊と自分勝手な軍事作戦が満載されたアメリカの対外関係史を学ぶべきである。果たしてアメリカと言う国がそんなにいい国なのだろうか。政府調査の結果はプロパガンダ・キャンペーン(組織的宣伝活動)の成功例を示しているにすぎない。
政府実施の外交に関する世論調査→http://www8.cao.go.jp/survey/gaikou_01/index.html
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