脳死移植と読売新聞

 今回は、臓器移植法改変案を支持する読売新聞に対する私の批判を紹介します。どうぞ、御覧下さい。
 2004年8月25日



【自民党の「脳死・生命倫理及び臓器移植調査会」(会長は宮崎秀樹参議院議員)が2004年2月25日に発表した臓器移植法改変案のポイント】
(一) 本人が拒否の意思表示をしていない場合は、家族の承諾だけで年齢に関係なく脳死状態での臓器提供が可能。これにより、今までは不可能だった十五歳未満の子供(下段注)も臓器提供が可能となる。
(二) 現行の脳死判定基準に加え、生後十二週から六歳未満の脳死判定の新たな基準を設定。
(三) 運転免許証・保険証に臓器提供意思の有無を記載する欄を新設。
下段注・・現行では、民法で遺言能力(体が温かく血も通っている「生きた状態」であるのに、「遺言」というのは矛盾した話である)を認められていないために提供は不可であるというのが公式の解釈となっている。

【2004年5月4日付読売新聞「社説」より】今回の改正案は、実施条件を大幅に緩和し、移植の機会を増やすことを目指している。臓器提供の条件を根本から変える改正案には、当然ながら、反対の声も強い。死生観の絡む複雑な問題であり、論議すべき点も数多い。しかし、欧米でも、アジア諸国でも、家族の同意だけで臓器の提供を認めている。日本でも実施条件の見直しに向け、法改正の論議を深める時が来ている。

まず、脳死状態を人間の死とすることは、日本の伝統や文化にはないものであることを確認しておきたい。そして、読売新聞は、「社説」で日本の伝統や文化を守れと繰り返し主張してきた。2003年1月14日には「よって立つ国家と文化を確認し、その上で他の国と他文化を尊重する態度を養うことが大切だ」と書き、続いて、2004年6月18日には「私たちの生活の根底にある日本の伝統・文化への理解を深める必要がある」と念を押している。日本の伝統や文化を守らなければいけないのなら、脳死状態を人間の死とすることはあり得ない。ましてや、「他国がやっているから」などという論議は問題外となる。自国の文化を第一に考えなければならないからだ。

【2004年5月4日付読売新聞「社説」より】脳死移植の低迷は、国内での臓器提供希望者が少ないことを意味しない。世論調査では半数近くが、「臓器を提供してもいい」と答えている。足りないのは、善意を生かす知恵と工夫である。

読売新聞の主張とは裏腹に、脳死状態における臓器提供希望者は非常に少ない。内閣府が2002年7月に行った世論調査によると、ドナーカード所持率は9.0%だった。しかも、この中には何も書いていない人や脳死状態における臓器提供を希望しない人(ドナーカードには拒否の意思表示を書き込むこともできる)も含まれるから、この分を差し引くと、脳死状態における臓器提供希望者の割合は4.9%となった(下段注)。ドナーカードは全国至る所で入手することができ、「臓器を提供してもいい」と本気で考えているならば、入手することは困難なことではない。むしろ、容易である。つまり、結論は冒頭に記した通りで、大多数の人々は脳死状態における臓器提供を希望していない。日本の伝統や文化、あるいは、読売新聞が常々主張する「日本人としてのアイデンティティー」(例えば2003年8月3日付の「社説」)を考えれば、当然の結果であると言えるだろう。「温かく血も通った自分の体から臓器を取り出されることは忍びない」と考えるのが、日本人としてごく自然な感覚であると言える。

読売新聞が言う「半数近く」の「善意」など存在しないのである。もし、本当の「善意」があるのだとしたら、「善意」を持つ人たちは、どうして全国至る所で入手できるドナーカードで脳死状態における臓器提供の意思表示をしないのだろうか。

下段注・・四国新聞が香川県で2003年夏に行った調査においても、ほぼ同様の結果が出ている。ドナーカードを所持しているのは5.6%で、その内、何も記入していない人は43.2%であった。

【2004年5月4日付読売新聞「社説」より】国内では臓器の提供を厳しく制限しながら、海外でもらうのは構わないという理屈が、どこまで通用するだろうか。日本人が海外で移植を受ければ、その国の患者が移植を受ける機会は少なくなる。そのことも忘れてはならない。

日本国内では、脳死状態における臓器提供を希望しない人が大多数であり、これは日本の伝統や文化、あるいは「日本人としてのアイデンティティー」によるものだ。この状態を覆すことは読売新聞が嫌う「日本の伝統や文化の否定」になりかねない。また、他国の臓器移植が伝統や文化、アイデンティティーに立脚しているものであるならば、日本としてどうこうできるものではない。そうした国が日本人の海外移植を受け入れるかどうかは、その国の内政問題だ。

【2004年5月4日付読売新聞「社説」より】移植でしか救えない患者がいる現実を踏まえ、前向きの議論を期待したい。

生きるためならば、何をしてもいいというものではないだろう。今般の改変案は本人の意思表示がなくても脳死状態における臓器摘出を可能とするもので、一種のトリックであり正当な手段とは言い難い。だからこそ、当の読売新聞も、「臓器提供の際には、本人の文書による明確な意思確認と、遺族の同意が大前提でなければならない」(1997年4月23日付「社説」)と言っていたのではないだろうか。



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