| 随想 |
| このコーナーでは、私が日々感じたことを、日記風に記していきます。どうぞ、御覧下さい。なお、更新は不定期です。 |
| 「随想」は2004年末を持って終了し、2005年からは「右派系政治勢力研究会」が始まりました。 |
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2004/12/31 読売新聞が11月15日の社説で、愛知万博を「自然の叡智」を生かした環境保護の万博であるかのように記していた。しかし、愛知万博の建設工事は貴重な自然環境を破壊している実態が厳然としてある。荒川友雪氏のホームページ(http://www.geocities.jp/tenkouyou/index1.htm) や愛知万博中止の会のホームページ(http://www.h2o.or.jp/~banpaku/)にある写真群がそれを証明している。 2004/12/31 読売新聞が11月10日の社説で、中国の貧富の格差の拡大を懸念していた。しかし、読売新聞は日本国内の貧富の格差の拡大にはまったく無関心である。これはいったいどういうことなのだろうか。 2004/09/20 読売新聞が9月8日付の「社説」で、郵政民営化について「“金融社会主義”からの決別だ。民営化は、そのための手段である。」と書いていた。しかし、読売新聞は銀行への巨額の公的資金投入を絶賛し、さらなる投入の仕組みを構築すべしと訴えてきた。これこそ「金融社会主義」ではないか。読売新聞は、一方では「金融社会主義」を否定しつつ、他方で「金融社会主義」を肯定しているというわけだ。 2004/09/20 産経新聞が8月30日付の「主張」で「近年、核家族化が進み、共働き家庭の増加もあって、家族の絆(きずな)が希薄になり、それが家庭の教育力を低下させているといわれる。」と書いていた。しかし、このような事態が進行しているのは産経新聞が絶賛する経済戦略会議や総合規制改革会議の主張する市場原理主義政策が着実に実行されているからである。産経新聞はそのことに気付くべきである。また、「日本の社会が今回のアテネ五輪から学ぶべきものがあるとすれば、それは『家族力』の再興ではないだろうか。」とも書いているが、産経新聞はいつも精神論ばかりで具体的な方策を示していない。「『家族力』の再興」のためには経済力が必要で、そのためには市場原理主義と決別し、主たる働き手に十分な賃金と安定した雇用を与えるべきである。「家族力」と「市場原理主義」は決して相反する存在である。 2004/08/30 読売新聞が5月26日付の「社説」で規制改革の推進を主張していた。このように読売新聞は事あるごとに規制改革の推進を主張しているが、渡辺恒雄・読売新聞主筆は再販規制に絶対反対の立場であり、筋が通らない。読売新聞が好んで使う○○族という表現を用いれば、読売新聞は再販族ということになろう。 2004/05/04 産経新聞が2月17日付の「主張」で新生銀行(旧・日本長期信用銀行)の株式再上場を絶賛していた。この産経新聞、常に国益第一を唱えてきた(例えば、2月23日付「主張」)新聞であるが、果たして、今回の旧長銀の救済劇は国益に合致するのだろうか。既に三兆円を超える国民負担が実施され、今後もその額は増える見通しである。当の産経新聞も「ざっと五兆円前後の損失が国民負担になるとみられる」(2月17日付「主張」)としている。一方で、譲渡契約に設けられた瑕疵(かし)担保条項により、新生銀行は八千億円を超える債権を国に買い取らせた。こうした措置により、外資が濡れ手に粟で巨富を手にした(投資額の六倍以上の資産を獲得)格好だ。しかも、新生銀行の株式を保有するリップルウッド・ホールディングスを中心とする投資組合(ニュー・LTCB・パートナーズ・C.V.)は本拠地をオランダに置いているため、売却益への課税すらできないという。これらのどこが「国益」なのだろうか。産経新聞の言う「国益」は「日本国の利益」ではなく、「外国の利益」なのだろうか。 2004/05/04 読売新聞が2月6日付の「社説」で地震や水害の被災者の生活再建について、「『公助』に頼りすぎてはならない」と指摘した。他方、読売新聞は、銀行や大企業の「公助」には熱心で、産業再生機構や公的資金注入を賛美し続けている(例えば、2003年12月14日付「社説」や2003年11月21日付「社説」)。このあまりの落差には驚くほかない。 2004/04/13 小泉純一郎内閣総理大臣が4月8日付の小泉内閣メールマガジンで、インタビュアーの郵政民営化に対する質問に「民間の金融機関だったら不良債権になったら大変です。利益が出なければ自ら負担しなければならない。」と答えていた。しかし、これは明らかに事実に反する。民間の金融機関も公的資金による救済を受けている。しかも、旧長銀のように圧倒的に有利な条件で不良債権を買い取ってもらっているという事例もある。また、産業再生機構という露骨な企業救済組織もある。小泉総理はこれらのことをどう考えているのだろうか。 2004/04/13 3月26日、東京都港区の六本木ヒルズで六歳の男の子が自動回転扉に挟まれて死亡するという事故が発生した。さらに、その後の報道で、過去に回転扉の事故が32件も起きていたにもかかわらず、六本木ヒルズを管理する森ビルが抜本的な安全対策を怠っていたことも明らかになった。このようなことは、本来、あり得ないことである。なぜなら、六本木ヒルズ建設の大義名分の一つが「安全対策」だったからだ。六本木ヒルズのある六本木六丁目は、かつて、木造住宅が密集しており、「危険」とされていた。六本木ヒルズ推進派は、この「危険」な町を「安全」な町にすることを主張した。しかし、今回の事故で、森ビルが安全を軽視していたことが判明した。結局、「安全」などという言葉は計画推進のための道具に過ぎなかったのだ。 2004/04/08 読売新聞が3月7日付の社説で労働市場を外国人労働者に開放することを主張していた。しかし、これは非常に危険な考え方だ。労働市場を開放すれば、中国や東南アジアの安い労働力と日本人労働者がまともに競争することになり、賃金水準の低下は必死だ。そして、それは家庭の中の主たる働き手の経済力を減衰させることとなり、読売新聞が重要視する「家族」(例えば、2004年1月11日付の「社説」)の崩壊につながりかねない。読売新聞が「家族」を守りたいのであれば、主たる働き手の経済力を衰えさせるような政策には断固として反対するべきである。 2004/03/16 読売新聞が2月4日付の社説で、「PKO(国連平和維持活動)もイラク特措法に基づく自衛隊派遣も危険であることに変わりはない。だから、PKOに賛成でイラクへの自衛隊派遣に反対するのはおかしい」という趣旨のことを書いていた。確かにその通りで、PKOも非常に危険だ。だから、私はPKOにもイラクへの自衛隊派遣にも反対である。それに、日本には人道援助が必要な貧困者や困窮者がたくさんいる。まず、こうした人たちを救うべきである。国内ですら人道を満たせられない国がどうして外国で人道行為を行えるだろうか。 2004/03/16 産経新聞が2003年12月21日付の「主張」の中で、「国民の担税力は先進国でも高い」ことを理由にして消費税率の引き上げを要求していた。しかし、産経新聞は「担税力」の高い国民の中でも最も「担税力」が高い高所得者への減税を一貫して要求してきた。しかも、高所得者に関する諸制度について「懲罰的」とまで言っている(1998年12月25日付「主張」)。「担税力」の高さを理由に消費税率の引き上げを要求する産経新聞の論理には無理がある。 2004/02/05 産経新聞が2004年1月28日付の「主張」の中で、学歴問題の渦中にある民主党の古賀潤一郎衆院議員を批判していた。産経新聞はこの中で1985年に国会決議された政治倫理綱領の中の一文「いやしくも国民の信頼にもとることがないよう努めなければならない」を持ち出し、これでは「政治に信を置けない」としている。だが、産経新聞が絶賛してやまない中曽根康弘元総理は、現職の内閣総理大臣だった1986年、選挙前には「大型間接税は導入しない」と言っておきながら、選挙後にはあっさりそれを覆すという「国民の信頼にもとること」を平然と行っている。中曽根元総理の言動は古賀氏の言動など問題にならないぐらいの重大事だった。産経新聞はこのことをどう考えているのだろうか。また、産経新聞は「日本人の伝統的精神文化」をも持ち出して古賀氏を批判しているが、「日本人の伝統的精神文化」に反する「脳死=人間の死」という概念を強く肯定しているのは他ならぬ産経新聞である。都合のいいときだけ、「日本人の伝統的精神文化」はやめていただきたい。 2004/02/05 1月28日、日本経済団体連合会(日本経団連)が政党に対する2004年第1次政策評価を発表した。政党に対する「通信簿」というわけだ。この「通信簿」について、奥田碩日本経団連会長は「(民主党は)50点以下ということになるでしょうね」などと発言していたが、このような暇や労力があるなら、自身が定めた企業行動憲章を会員企業が順守しているかどうかの「通信簿」を作るほうが先であろう。もちろん、国家試験(一級小型自動車整備士技能検定)に対するカンニングを行った奥田会長の出身母体、トヨタ自動車の評価は「50点以下」どころではすまないことになる。 2004/02/05 産経新聞が2003年11月9日付の「主張」の中で、トヨタ自動車を絶賛していた。トヨタは徹底したコスト意識を持ち、無駄を排除しているという。確かにトヨタ内部ではそうかもしれない。しかし、外部では、コスト意識などお構いなく、無駄なことをしている。その実例がトヨタ主導(財団法人2005年日本国際博覧会会長は豊田章一郎・トヨタ自動車名誉会長。副会長には奥田碩・トヨタ自動車会長も名を連ねる)の愛知万博である。この愛知万博、「環境万博」「自然の叡智」などと言いながら、貴重な自然環境を容赦なく破壊する信じ難いものである。何の意味もないこんな無駄な事業に対して公金が惜しげもなく注ぎ込まれている。このことをどう考えればいいのだろうか。 2004/01/28 2003年12月28日のTBS系列の報道テレビ番組「報道特集」が不十分な生活保護の実態を特集していた。私はこれを見て不思議な気分になった。と言うのも、竹中平蔵経済財政政策・金融担当大臣ら競争原理主義者は「競争社会になってもセーフティー・ネットを整備するから大丈夫」という主張を繰り返していたからだ。その竹中氏が政権入りしてから間もなく三年になる。しかし、貧困者や失業者のためのセーフティー・ネットは不十分なままだ。一方、銀行や大企業のためのセーフティー・ネットは公的資金注入システムの確立や産業再生機構の創設で実現した。驚くべき落差である。 2004/01/28 読売新聞が2004年1月7日付の社説で農産物貿易の自由化と日本農業の競争力の強化を主張していた。これは非常に危険な主張である。第一に、自国で消費する食料は極力、自国で生産することが食料政策の基本であるということが完全に無視されている。読売新聞が大好きな「普通の国」(最近では2004年1月4日付の社説と2003年12月28日付の社説でこの言葉が使用されている)は食料の過半を他国からの輸入に頼ったりはしない。常に円滑な輸入ができるとは限らないからだ。読売新聞は食料に関しては「異質の国」を指向しているということになる。第二に、いくら競争力を強化したとしても、国土の広さや地形といった基礎的条件が違いすぎ、中国やアメリカ、オーストラリアとまともな競争などはできはしない。結果的に日本の農業をつぶすことになる。読売新聞が主張する農産物貿易の自由化は食料自給率をさらに低下させるという結果を招くことになる。 2003/12/10 2003年11月22日付の産経新聞の一面コラム、「産経抄」がマイケル・ジャクソン氏の整形に対して「白ぬり仮面」「不自然」と批判していた。整形はいけないものであるらしい。であるなら、つい最近まで整形賛美番組「ビューティー・コロシアム」を放送していた、産経新聞と深い関わりを持つフジテレビ(産経新聞会長の羽佐間重彰氏はフジテレビの取締役、フジテレビ社長の日枝久氏は産経新聞の取締役。また、「産経抄」筆者の石井英夫氏はフジテレビ番組審議会委員)こそ、真っ先に批判するべきである。 2003/12/10 2003年11月5日付の産経新聞の一面コラム、「産経抄」が大阪府の河内長野市で起きた一家殺傷事件の一因としてジェンダーフリーを指摘していた。「産経抄」の著者である石井英夫氏にかかると諸悪の原因がみなジェンダーフリーになってしまう。2003年6月5日には、NHKの大河ドラマ「武蔵」の視聴率が悪いのもジェンダーフリーのせいだと言っていた。 2003/10/19 日本道路公団の藤井治芳総裁に対する猪瀬直樹氏(道路関係四公団民営化推進委員)の批判が激化している。「道路だけがすべて」などと藤井氏のすべてを知っているかのようなことを言ったかと思えば、「化け物」と失礼千万なことまでも言った。権力者のそばにいると、人間はここまで態度が大きくなるものらしい。猪瀬氏の言葉を借りれば、「カジノだけが猪瀬氏の人生のすべて」ということになろう。 2003/10/19 産経新聞が10月13日付の「主張」の中で、相次ぐコメの盗難事件を取り上げていた。この中で産経新聞は、一部の無法者の犯行であるのに、「この国のモラルは地に落ちた」と何の根拠もなく日本人全体が悪に堕したかのような拡大解釈をしていた。さらに、「コメづくりを中心として成り立ってきた社会のあり方を、家庭や学校で今一度しっかり教え、農作業や農作物への敬意を国民一人ひとりが身につけることだ」とまさしく「正論」を記していたが、9月13日付の「主張」では従来の「コメづくり」を否定し、稲作農業の大規模化やコメの貿易自由化を要求していた。これはいったいどういうことなのだろう。産経新聞は一カ月前の「主張」を忘れてしまったのだろうか。 2003/10/09 小泉純一郎内閣総理大臣を既得権益と戦う人物としている新聞やテレビが多い。しかし、小泉総理は「世襲制度」という政界に深く根付く既得権益の中心地にいる人物であり、既得権益と戦う人物という表現は間違っている。この「世襲制度」、自民党から共産党(共産党も、地方議員には世襲議員がいる)まで思想や信条に関係なく幅広く浸透している。あの菅直人民主党代表まで、世襲の誘惑に負けて、子供を立候補させることを決定した。もはや、小泉総理はもちろん、菅代表も、既得権益の打破を言う資格はない。 2003/10/09 藤井治芳日本道路公団総裁が石原伸晃国土交通大臣から求められていた辞表の提出を拒否した。藤井総裁は2600万円の退職金を棒に振ってまで、己の信念と誇りを貫き薩摩隼人の生き様を示したということである。私は藤井総裁の道路行政を支持する者ではないが、信念と誇りを貫くその姿勢に感銘を受けたのでここに記した次第である。 2003/10/08 4月29日を「みどりの日」から「昭和の日」に変更するという祝日法改変案がある。「昭和」というのはもちろん昭和天皇のことである。死後にまで個人崇拝を継続させようとするこうした動きには警戒しなければならない。しかも、昭和天皇は、雑民党の東郷健氏の言葉を借りれば、「世界で初めて人間であると宣言した人間」である。このような人物に対する個人崇拝の継続に対して、北朝鮮の金日成一族に対する個人崇拝を厳しく指弾する日本のテレビ局が沈黙しているのは実に不思議な現象である。 2003/10/08 2003年9月22日付の産経新聞の一面コラム、「産経抄」に、「日本の行き過ぎた人権擁護」という表現があった。しかし、決して日本は人権を擁護している国ではない。死刑制度や密室的な警察体制を頑(かたく)なに守り続けているからだ。「行き過ぎた人権擁護」という批判は、死刑制度の完全廃止や第三者機関の警察署内への常駐制度が実現してからにしてもらいたいものだ。 2003/10/08 読売新聞が9月14日付の社説でイランの核疑惑を厳しく批判していた。しかし、この読売新聞、同じ中東のイスラエルの核兵器はまったく問題にしていない。「核兵器の拡散は許さない、という国際社会の決意」と記しているが、イスラエルは「拡散」の中に入っていないようだ。読売新聞とは、このような新聞である。 2003/10/08 2003年8月13日付の産経新聞の一面コラム、「産経抄」に、「近隣国が仕掛ける反日宣伝に迎合や屈従することはやめよう」という意見が記されていた。右派勢力がよく使う表現である。しかし、こうした表現を多用する右派勢力自身が「反日宣伝に迎合や屈従」したことがあった。それは湾岸戦争の時のことである。日本は多国籍軍に対し、巨額の金を提供したにもかかわらず、アメリカとクウェートは日本に対する感謝をしなかった。そればかりか、アメリカ国内からは「日本は血を流さない卑怯な国だ」という恩を仇で返す卑劣な「反日宣伝」が流し込まれた。この卑劣な「反日宣伝」に「迎合」と「屈従」をしたのが日本の右派勢力であった。この右派勢力、恩を仇で返したアメリカに毅然と反論すべきところなのに、「反日宣伝」に「迎合」して、「日本は血を流さなければだめだ」などと言っていたのである。 2003/09/14 反社会主義を言い続けている読売新聞と産経新聞が社会主義的政策の極致である産業再生機構を揃って称賛(読売新聞は8月30日付「社説」、産経は8月29日付「主張」)していた。ここまでくると、もはや両紙の社会主義批判にはまったく説得力がないことになる。 2003/09/07 産経新聞が9月4日付の「主張」の中で、京都議定書を理由に原子力発電の重要性を指摘していた。ところが、この産経新聞、2001年10月28日付の「主張」で、京都議定書を拒否したアメリカの姿勢を擁護、「地球温暖化防止の取り組みは、五十年や百年先を見据えた長期的な活動になる。そうした特異なプロジェクトであるだけに、あくまで『二〇〇二年』にこだわることにどれほどの必然性があるのだろうか」などと記していた。都合のよいときだけ京都議定書を引き合いに出すのはやめていただきたいものだ。 2003/08/27 2003年8月6日のフジテレビ系の報道番組「スーパーニュース」が美容整形の手術を原因とする死亡事故について、他人事のように報道していた。しかし、フジテレビは、美容整形を賛美する番組である「ビューティー・コロシアム」を毎週放送しており、こうした報道姿勢は許されない。他人事のように報道することは無反省の証明である。さらにひどいことに、翌々日(8月8日)に放送された「ビューティー・コロシアム」は、いつも以上に美容整形を賛美していた。今般の事故を何とも思っていないのだろうか。 2003/08/27 アメリカ軍がサダム・フセイン氏の息子であるウダイ氏とクサイ氏を殺害したと主張したことについて、2003年7月23日放送のテレビ番組「スーパーモーニング」(テレビ朝日系)で、キャスターの渡辺宜嗣氏が「大量破壊兵器があるのかどうかわからないのだから、殺すのではなく捕まえて調べるべきだった」という趣旨の発言をしていた。見当違いもはなはだしい。捕まえられて調べられるべきなのは、イラクに対して不当な侵略行為を行ったブッシュ・アメリカ大統領とブレア・イギリス首相なのである。 2003年8月7日 10年前、多くの識者と呼ばれる人々が声高に選挙制度改革を唱えていた時、その人たちは呪文のように「政策論争が活発になる」と主張していた。それから10年たった今、それがまったくの幻想であることが明らかになっている。何しろ、時の総理が、「イラクに大量破壊兵器がある」と断定したことの根拠を問われて、「(大量破壊兵器がないことを)証明できるのか」「フセイン大統領が発見されないからフセイン大統領がいなかったということにはならない」などと筋違いの答弁を繰り返しているのだ。しかも、これらの答弁を自信満々で行っているのだから驚きだ。これでは政策論争どころではない。 2003年8月7日 「寓(ぐう)話(わ)やおとぎ話は、人間の残酷で陰険で狡猾(こうかつ)な一面を伝え、裏側も教えるものだった。そうやって人間のなんたるかを学ばせるものであったはずである」。これは2003年7月19日付の産経新聞に掲載されたコラム、「産経抄」の一節である。しかし、この「産経抄」の筆者である石井英夫氏自身、アメリカの「残酷で陰険で狡猾な一面」にまったく気付こうともせず、さらに裏側もまったく関知しようとしないのは不思議な話だ。だから、「産経抄」で描かれているアメリカ像は、常に、潔癖で純真無垢(むく)な正義の使徒である。 2003年8月7日 生命保険会社が予定利率の引き下げを契約に反して行うことができるようにする「改悪」保険業法が成立したことについて、2003年7月19日付の読売新聞が、「社説」の中で「生命保険業界が直面する厳しい状況を考えると、引き下げを可能にする仕組みを整えておくことは必要だ。むしろ遅過ぎた、と言える」と全面肯定していた。こんなおかしな話はない。と言うのも、読売新聞はずっと市場主義経済を賛美してきたからである。その市場主義経済では契約は絶対的な価値を持つ。「契約を守らなくてもいい」というのであれば市場主義経済そのものが成立しない。本当に市場主義経済をすばらしいものだと思うなら、今回の改悪には断固として反対しなければならないはずだ。しかし、読売新聞はそれをしなかったばかりか、改悪を全面支持した。つまり、読売新聞の市場主義経済への賛美は信念に基づいたものではなく、単なる御都合主義だったということだ。 2003年7月8日 2003年5月24日放送のテレビ番組「朝まで生テレビ」(テレビ朝日系)で、参議院議員の山本一太氏が環境・平和活動家のきくちゆみ氏に「アメリカがテロ国家だと思いますか」と問いかけ、きくち氏が「私はそう思わないが、そう思っている人もいる」と答えていた。きくち氏がこのようなあいまいな答えをしたことは問題だ。なぜなら、きくち氏が監訳者として携わった『戦争中毒 アメリカが軍国主義を抜け出せない本当の理由』(ジョエル・アンドレアス氏著、きくちゆみ氏監訳、グローバルピースキャンペーン有志訳、合同出版)という本を素直に読めば、「アメリカがテロ国家である」という解釈以外は想起されないからだ。 2003年7月3日 6月18日放映の報道テレビ番組「スーパーJチャンネル」(テレビ朝日系)が、北朝鮮では、金正日総書記をほめたたえる歌を作らせていることを報道し、異常であると言わんばかりであったが、君主の永続を願う歌を国歌としている日本も同じようなものだ。また、日本のテレビ局は、朝鮮中央放送を軽蔑と嘲笑の対象にしているが、昭和天皇が死去した際には、日本のテレビ局は、NHK教育を除いて、放送時間のほとんどすべてを天皇関連の番組にしていた。つまり、両者とも同じような体質を持っているということなのである。 2003年6月25日 産経新聞が社説である「主張」の中で、税制改革に関連して「若者世代では定職につかぬフリーターが目立ち、税を負担せず公共サービスにただ乗りしている」(2003年6月18日)と記していた。しかし、自由職業人(産経新聞が言うところのフリーター)も消費はしている。つまり、5%の消費税を払っているということだ。酒を飲んだり、煙草を吸ったりする若者ならば、さらに多くの税金を負担している。産経新聞の「公共サービスにただ乗りしている」という批判は事実に反する。直接税中心論者がこのような間違いを犯すのであれば、まだ理解できるが、消費税賛美論を一貫して唱えてきた産経新聞がこのような間違いを犯すのは理解しがたい。 2003年5月11日 パナウェーブ研究所を名乗るいわゆる白装束の集団に対する民間テレビ局の批判は凄まじい。しかし、私に言わせれば、民間テレビ局も白装束の集団と同類である。民間テレビ局は、バラエティー番組を中心に怪しげな霊能者や占い人を登場させ、この手の怪しげな人々を持ち上げてきた。心霊写真の特集も日常茶飯事だ。極め付けは朝のニュース番組で、白装束の集団の予言を「根拠がない」とこき下ろしておきながら、何の根拠もない星占いを平然と放送している。集団の代表である千乃裕子氏に対する個人攻撃も凄まじいが、民間テレビ局が持ち上げてきた怪しげな霊能者や占い人とどこが違うと言うのだろうか。民間テレビ局は、この機会に、自分たちがやってきたことを真剣に反省すべきだ。 2003年5月11日 5月9日放映のニュースステーション(テレビ朝日系)で、司会の久米宏氏が、ゲストの城山三郎氏とともに小泉政権が押し進める個人情報保護法案を批判していた。それ自体は結構なことではあるが、大きな問題は、この二人が小泉政権の暴走の原因を作ったことに対する責任を感じていないことだ。二年前の春、ほとんどのマスコミが小泉氏を熱烈に支持した。多くの著名人も小泉応援団に加わった。ニュースステーションの小泉氏に対する熱の入れ様は尋常ではなかったし、城山氏も小泉氏を持ち上げていた。こうした権力に対する無批判な礼賛の大合唱が小泉政権に対する国民の異常な高支持率を生み出した。高支持率に支えられた小泉政権は暴走を始めた。マスコミが権力に対するチェック機能を放棄した時、権力は暴走を始める。マスコミに携わる人々がこんなことを知らぬはずがない。しかし、ほとんどのマスコミが小泉氏を礼賛した。その結果がメディア規制法案だったというわけだ。 |
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