今月読んだ本

2005年4月

ベルンハルト・ヤウマン  「死を招く料理店(トラットリア)」 (扶桑社ミステリー文庫)

  ドイツ推理作家クラブ賞(グラウザー賞)受賞作。原題は「サルティンボッカ」で、作中で重要な役割を果たす料理の名前である。どういう料理かというと、『食の世界地図』(文春新書)によると「仔牛肉にセージ、生ハムを重ねた白ワイン風味のソテー。名称は”口にとびこむ”の意」だそうだ。ローマ名物の料理で、まさに口に勝手に飛び込むかのように次から次へと手が出るものらしい。
  そのタイトルどおり、このミステリは、読み出すと次々とページをめくらずにはいられないほど面白かった。

  物語の構造はやや複雑。作者自身を彷彿とさせるドイツ人のミステリ作家が、五感をテーマに連作ミステリを書いており、いよいよ最後の巻は”味覚”を主題にローマを描こうとしている。今までもそれぞれの感覚を世界各地の大都市と結び合わせて描いてきた彼は、ローマに滞在するが、あいにく手元不如意。そこで、目に付いた料理店に「この店を自作のミステリの中でリアルに描き、宣伝するから、取材の意味で何日間か無料で食事をさせて欲しい」と頼み込む。一軒目では断られたが、たまたま飛び込んだ「パルロッタ」という店でOKを貰い、早速 そこのオーナーが犯人の容疑をかけられた殺人事件の真相を解明しようとする私立探偵の話を書き始める・・・というのが、物語の一面。
  もう一面は、作家によって描かれているミステリそのものである。そちらでは、「パルロッタ」のオーナーの娘に恋をしている私立探偵・ブルネッティが、彼女の父親の無実を証明すべく、レストラン批評家の殺人事件の真相に迫る。
  最初のうちは、この二つの話が交互に、あくまで別世界の話の物語として進むのだが、やがて”わたし”が食事をする「パルロッタ」で、”わたし”が書こうと思っていたような事件が起こる。誰かが”わたし”の原稿を読んだような形跡もある。これは”わたし”を巻き込んだ陰謀なのか。”わたし”の不安は、必然的に”わたし”が描くブルネッティの事件にも影響を及ぼし、更にその原稿が”わたし”のいる世界に影響を及ぼし・・・と、二つの世界の間の距離がどんどん縮まってきてしまうのだ。 このあたり、都筑道夫の『三重露出』を読むかのようです。 そして、物語は徐々にシュールの度合いを強めてゆく。

  しかし、いきなりこれを訳しちゃっていいのですかね>扶桑社さん。著者のヤウマンは実際に五感をテーマにしたミステリをここまで四冊書いてきていて、その中でも第四作にあたる、東京を舞台に嗅覚を扱った作品は翻訳したっていいと思うんですけど。 私は、どうせだったら全作読んでみたい。 この作者の描写力には並々ならぬものがあるし、ブルネッティを主役に据えたほうの小説の出来栄えもかーなーりオフビートで、全体にひねくれた知的なユーモアが漲っているからだ。勿論、ブルネッティはローマだけに登場するキャラクターだろうが、こういう調子の文体を駆使できるヤウマンの才筆には感服したもの。他の作品ではどんな趣向を凝らしているのか、是非 知りたくなってくるではありませんか。

  シリーズは、発表された順番に読みたい。 何度でも、声を大にして言いたいことです。 (4/28)

バロネス・オルツィ  「ビショップス・ロードの怪事件」 (翻訳道楽016)

  Y’s Mysterious Site の米丸さんが本名で出しておられる自費出版・翻訳個人誌の十六冊目。「隅の老人」の第三短篇集(「Unravelled Knots」1925年)からの作品で、原題は「The Mysterious Tragedy in Bishop's Road」。

  ビショップス・ロードという地域にあるユダヤ人一家が経営する質屋(住居も兼ねる)で起きた、一家の独裁的な老母の殺害事件。一家の中には、複雑な人間関係があった・・・という物語は、隅の老人の口調で辛辣かつ さらりと語られているが、各人がユダヤ名を持つせいもあって、旧約聖書の中の一篇のようだった。
  さて、隅の老人譚では、彼が推理によって犯人に辿り着きながらも、あえて告発をしない理由が、それぞれの物語で異なっている。それが各事件の謎解きと同じくらいの比重を持っている、と私には思えるのだが、今回 訳された5つの物語でも、見事に全部 異なった理由だった。・・・オルツィは凄い。 (4/26)

バロネス・オルツィ  「ロシア公爵の謎」 (翻訳道楽015)

  Y’s Mysterious Site の米丸さんが本名で出しておられる自費出版・翻訳個人誌の十五冊目。「隅の老人」の第三短篇集(「Unravelled Knots」1925年)からの作品で、原題は「The Mystery of the Russian Prince」。

  ロシア革命後に溢れた、ロシア貴族を名乗る亡命外国人を扱った作品。俗物の母娘が、世情に疎く、いまだに英国にロシア大使館があると信じている、などというディテイルがおかしい。公爵の名に目がくらんだ母娘は、相手の素性もろくに調べずに求婚に飛びつくのだが・・・といったお話。走行中の列車のコンパートメントからの失踪という密室も絡み、短篇ミステリのモチーフの総ざらいみたいな作品に仕上がっている。 (4/26)

21世紀研究会編  「食の世界地図」 (文春新書)

  読むとお腹がすくので、少しずつ読み進めた本。タイトル通り、食物・食材・調理方法などに関わる薀蓄を、世界規模でまとめたもの。唐辛子がどのように伝播したか、麺類は地域によってどのようなバリエーションがあるか、など、地図も使った説明が分かりやすかった。

  知識が体系的に身につく本ではないが、ちょっとした機会に、この本で印象に残ったことを忘れずに一言 言い添えると”薀蓄大魔王”の称号が貰えそう。「白菜の漬物って言えば、日本の漬物の定番みたいだけど、白菜が日本で一般的になったのは明治になってからなんだよね・・・」とか、「マカダミアナッツってさ、本当はオーストラリアが原産地なんだ。イギリス人がハワイに運んで育てたらしいよ」とか。

  なお、巻末の「世界の料理小事典」もなかなかのすぐれもの。翻訳ミステリや小説を読んでいて、「これは一体、どういう料理なんだ」と思った時、パパッと使えます。 (4/25)

北原尚彦  「奇天烈! 古本漂流記」 (ちくま文庫)

  帯に「わたしが愛した古本たち・・・珍本・奇本・駄本の楽しみ!」とある通り、いわゆる”黒っぽい”古本ではなく、トンデモ系の古本にいかにして巡り逢ったか、そしてその中身たるやいかなるものであるかがつぶさに書かれた極上のエッセイ。
  扱われている本の内容に笑えるのもさることながら、もともとわけの分からない小説や漫画の内容を懸命に読み解こうとして悪戦苦闘する著者の様子になお笑える。そう、古本は買うのも愉しいし、読んで脱力するのも更に愉しい・・・というか、それもまた快楽のうちなのだ。
  装丁やタイトルから期待していたような内容ではなかったり、竜頭蛇尾だったり、羊頭狗肉だったり、完結していなかったり。思わず壁に叩きつけて、「ああっ、こんなものを買って金を無駄にした上に、読んで時間まで無駄にしてしまった!」と叫びたくなるような、そのくせちょっと、「ふふふ、でもこれはこれで面白かった」とほくそえみたくなる気持ち。
  そうしたマゾヒスティック(?)な悦びの機微を伝えてくれる文章を読むうち、こちらにもその気分が伝染して、「うーむ、この訳の分からない古本を探して読んでみたいっ!」と思わず握りこぶしを固めてしまった。

  特に私の琴線に触れたのは、石井義人(いそい・ぎじん)の『73の怪奇』(世紀出版)。1992年初版のこの本も気になるが、北原さんがランカウイ島で巡り逢ったという『73の怪奇 Part2』(1997年)の粗筋は、まさにぶっとび。ここまで意味もなく偶然だのみの筋の通らない小説が書ける、しかも自筆の挿絵も内容と脈絡があるようでないというのは、ある種の特異な才能に恵まれた人だとしか思えない>石井義人。

  巡り逢えるかどうかは分からないながら、これから古本屋巡りをする際にはチェックしておこうと思い、書名をついメモしてしまった自分がおります。 (4/20)

保阪正康  「戦後政治家暴言録」 (中公新書ラクレ)

  戦後日本の政治を、政治の中枢に位置する者たちの代表的な失言・暴言から読み解こうとするガイド。保阪正康というノンフィクション作家のバックボーンとなっている考え方がいかなるものかが、よく分かる本でもある。

  まず、著者は政治家の発言の方向を「オモテ」と「ウラ」に分ける。勿論、「オモテ」というのが普通にまかり通る常識とされる意見なのだ。ただ、昭和20年以前と以後とで、この「オモテ」と「ウラ」が逆転した(軍国的・天皇中心的イデオロギーから、民主主義的イデオロギーに変わった)ものの、今では「ウラ」とされる皇国史観を再び「オモテ」に出そうとして、時おり観測気球的に意図的になされるたぐいの暴言・失言がある・・・というのが、本書のテーマの一つだと言えるだろう。
  このたぐいの失言こそが、極東を筆頭にアジア各国を烈火の如く怒らせる結果になっているのは、言わずもがな。この本の巻末にまとめられた昭和・平成の主要発言年譜を見ると、1980年を境に、いかにこの手の発言が増えているかがよく分かる。そのたびに謝ったとしても、これだけ繰り返したら、ちっとも謝罪していることにならないよなぁ、などとノンポリの私は呆れた。

  一方で著者は、大衆の支持率を頼みに無責任で軽い発言をする小泉内閣の今を、”アパシー”と表現する。しかも、テレビ討論会で威勢良く聞こえる発言をすることが目立つための道だと勘違いしている政治家や、それを助長するマスコミなどの登場を懸念している。アパシー化した社会では煽動性のある言動が効力を持ち、そうした言動はさらに社会をアパシー化させる、というのが著者の暗い読みだ。

  石原都知事のようなタイプの暴言・失言も罪が重いが、小泉純一郎の暴言・失言は更に無責任だとする著者が、「政治のゲーム化」を憂うるのももっともだと感じた。 とにかく、プロの政治家がいない、という感がある。それも、英国での元々の意味合い通りに「アマチュアリズム」がいい方面に発揮されているのならともかく、「アマチュアっぽさ」=ただのシロウトのオヤヂ的感想(一部セクハラ、事実誤認などあり)のまんまだし。
  読み終えた後、・・・はー・・・・、と溜息が出てしまったよ。 (4/18)

レオ・ペルッツ  「最後の審判の巨匠」 (晶文社ミステリ)

  楽しく読んだ。
  小難しく語ろうとすれば、哲学的な用語を使うなり、この物語の舞台となっている1909年のウィーンで流行していた風俗を絡めて、いくらでも掘り下げることの出来る小説だと思う。この小説の構造を説明しようとするだけで、かなり難しいし。
  ただ、私の場合はとにかく、「信頼できない語り手がぼやーんと幻覚を見ているのを語ってくれるような話が好き」、「享楽的な愉しみを追い求める一方で、厳しい道徳律が存在していて、その狭間で壊れていく人を描いた物語が好き」なので、”ふっふっふっふ、壊れてる壊れてる”とほくそ笑みながら読んだ。 

  広義のミステリに分類される物語であろう。現に、鮎川哲也の『本格ミステリーを楽しむ法 −鮎川哲也推理エッセイ大全』(晶文社)にも『裁きの日』として登場するし、都筑道夫の『黄色い部屋はいかに改装されたか?』(晶文社)でも第10章 「ふたたびトリック無用は暴論か」に『裁きの日の王』としてちらりと顔を出す。(ただし、この二冊では、どういうトリックなのかが読者に分かるように書かれているので、なにも先入観なしに『最後の審判の巨匠』を読みたい方は、忘れちゃってください。)
  でも、そういうミステリとしてではなく読んだほうが、面白いと思うんだけどなぁ。どう説明すればよいのだろう、作品の傾向そのものは違うのだが、ジム・トンプソンやパトリシア・ハイスミス、ジョン・フランクリン・バーディンの小説を読むような感触がいいのだ。語り手が物語る世界、そしてその中に登場する自分が妙な具合に歪んでいて、そのフィルターのひずみ自体が最大の魅力。

  なお、細かい点まで配慮の行き渡った訳文がとても良いです。表紙の絵も、物語のインパクトと相俟って更なる効果をあげていると思います。 (4/16)

バロネス・オルツィ  「真珠の首飾りの謎」 (翻訳道楽014)

  Y’s Mysterious Site の米丸さんが本名で出しておられる自費出版・翻訳個人誌の十四冊目。「隅の老人」の第三短篇集(「Unravelled Knots」1925年)からの作品で、原題は「The Mystery of the Pearl Necklace」。

  「隅の老人」を読んでいると、ああ、英国のヴィンテージミステリってやっぱりいいなぁ、殺人ばかりがテーマになるわけじゃないものなぁ、と思う。この物語でも、高価な真珠の首飾りを、欧州大陸の危険地域を渡って、無事に高貴な女性に差し上げること、という大切な使命を託された夫婦を巡る謎なのだ。名誉を重んじるとはどういうことか、あるいはどういうことであってほしいと当時考えられていたかがよく分かる。
  物語の中心となる夫婦をあげつらって、外野でやいやい言う世間のありようがまた皮肉で面白い。トリックがどうこうではなく、物語の面白みはこうしたディテイルに宿るんだな・・・と感じた。 (4/14)

ジェイムズ・マクルーア  「暑いクリスマス」 (ハヤカワポケットミステリ)

  アパルトヘイト政策真っ只中の南アフリカを描く警察小説で、シリーズの中では第四作にあたる。ただし、ポケミスになっている作品の中では、処女作の『スティーム・ピッグ』、二作目の『小さな警官』に続く3作目。このシリーズの場合、翻訳された順番がかなりめちゃくちゃなので、どうせ今から読むのであれば、できるだけ発表年順に忠実に読むことをお奨めします。ポケミス番号順は駄目。 まぁ、そういうことが気にならないかたは、このような老婆心はご失念ください。

  マクルーアの描く事件は、読んでいる間はものすごく面白く、ユーモアまじりに伝えられる皮肉や、苦い現実に戦慄し、そして最後には白人警部補・クレイマーと、バンツー人刑事のゾンディが事件の真相を見抜く・・・というパターンがここまで続いている。この作品でもそう。クリスマスシーズンは夏真っ盛りの南アフリカの架空の町・トレッカースブルグで起きた殺人事件を任されるゾンディと、なぜか自動車事故のほうを担当させられるクレイマーとが、ほぼ交互に描かれ、読者の前に意外な展開を見せてくれる。ページをめくるのがもどかしいほどだ。
  しかし、これまた今まで読んだ二作と共通することだが、多分 私はこの事件の犯人が誰だったか、すぐに忘れてしまうだろうな、という予感がある。処女作の『スティーム・ピッグ』に特に顕著なように、マクルーアの作品では被害者も犯人も、煎じ詰めれば「ここが南アフリカだから」という理由で殺され、殺すのだ。南アフリカ共和国以外の舞台では起こりえないような事件なのだ。

  今回の事件では、クレイマーとゾンディの間の友情だけではなく、クレイマーの恋人であるファウリー後家と、ゾンディの妻であるミリアムの間の共感も描かれているのが興味深かった。しかも、彼らはそれをあからさまに出してはいけないのだ。それは禁じられている行為だから。
  そのあたりの微妙な矩を踏み越えないようにしながら、それぞれがお互いを深く思いやる姿に、ついほろりとしてしまった。 (4/13)

バロネス・オルツィ  「アングルの名画の謎」 (翻訳道楽013)

   Y’s Mysterious Site の米丸さんが本名で出しておられる自費出版・翻訳個人誌の十三冊目。「隅の老人」の第三短篇集(「Unravelled Knots」1925年)からの作品で、原題は「The Mystery of the Ingres  Masterpiece」。

  アングルの名画「ラ・フィアンセ」が、同時に二箇所に存在したとしか思えない盗難事件を隅の老人がどう解き明かすか、といった物語。事件に絡む登場人物たちに個性があって、色々とレッド・ヘリングが混ぜ込んであるのも楽しい。
  映画スターからアメリカ人大富豪の妻となってのし上がった、レディ・ポルチェスターの造形が秀逸ですね。作者からのじんわりした視線がいいのだ。オルツィ夫人が、本物の貴族の出(ハンガリーの男爵家)だったことを考え合わせると、ますます面白い。隅の老人の、この事件に関するコメントが、オルツィ夫人の倫理観を物語っているように思える。 (4/12)

マイクル・ピアス  「警察長官と砂漠の略奪者」 (ハヤカワポケットミステリ)

  舞台は20世紀初頭のエジプト、しかも砂漠の中にある遺跡発掘現場。さらに登場人物はお転婆で怖いもの知らずのアメリカ娘に、現地で秘密警察長官の地位についている英国人(実際はウェールズ人だが)の青年などなど。英国推理作家協会賞のユーモア賞を受賞していて、このタイトルなので、読む前に映画『インディ・ジョーンズ 失われた聖櫃』や『ハムナプトラ』みたいな大娯楽冒険小説を期待しても無理はあるまい。

  ところが、なんともこれが、ヌルいのだ(;_;)。秘密警察長官は、あちらの言葉でマムール・ザプトというらしいが、彼を主役にしたシリーズの第六作目がいきなりポンと初邦訳で紹介されているため、人間関係といい、それぞれの人物描写といい、よく分からない点が多いのだ。特に、マムール・ザプトであるガレス・オーウェン大尉の恋人が、よりにもよってエジプトの有力なパシャの愛妾が生んだエジプト女性・・・であり、しかも妙に西洋かぶれした風変わりな娘、という設定がピンと来ない。多分、第一作あたりで馴れ初めの場面や、彼女の変わった生い立ちや考え方を説明する部分があったのではないかと推測するが、この作品を読んだだけでは単なるアッパラパーに思える(爆)。何が彼をして、そこまで夢中にさせるのかが伝わってこないのだ。
  この物語にしか登場しないのであろうイタリア人女性が、とても魅力的に書いてあるのとは対照的。

  また、冒険活劇の方も盛り上がらない。盛り上がるのか?と思ったところで、外されるというオフビートな展開が続く。 

  異国情緒といい、変わった登場人物といい、本当はもっと面白いんじゃないのか、と思えてならないところが悲しい。もどかしかったー。 (4/11)

柳広司  「新世界」 (新潮社)

  うーん、なんというか、ミステリとしては形式的に破綻しているのだが、それ以上に作者の「これだけは伝えたい」という気迫を感じた作品だった。

  物語のほうは、現代の”わたし”(作者自身、ということになっている)の元に、アメリカの出版代理人が持ち込み原稿を持って訪ねてきたところから始まる。それはなんと、原子力爆弾開発チームの長だったロバート・オッペンハイマーが書いた未発表の奇妙な小説だというのである。しかも、その小説はオッペンハイマーの友人であるイザドア・ラビという物理学者の視点から描かれているという。
その原稿を預かってしまった経緯が「はじめに」という章で描かれ、第一章以降は、その小説「新世界」の翻訳になるのだ。そこに描かれている事件は、戦勝に沸き立つロスアラモスで起きた不思議な殺人事件と、奇矯な言動を繰り返すオッペンハイマー自身の姿だった・・・という按配でしょうか。

  ロスアラモス自体が部外者の出入り厳禁、外部からも内部でも常に監視の目が光っている密室状態、という設定の中で起きる殺人事件は、なによりもその動機が凄いのだ。チェスタトン的というのか、泡坂妻男的というのか。しかし、それが恐ろしいまでの説得力を持っているところが、この物語の強みだと思う。

  正直なところ、額縁物語の形式で始まった小説だけに、最後にもう一度、現代の”わたし”の視点に戻して欲しい(←そのほうが、整合性がとれていて、私は好きなのだ)、という希望はある。また、この原稿を持ち込んできた人間は何者なんだ、という根本的な疑問も解決されないままである。ミステリとしての矩を超えてしまったかな、という記述も多々ある。
  しかし、そんなことは問題にならないくらいの迫力が、この小説の中にはあるのだ。読んでいて胸が痛むし、どうしてこれを忘れてしまえるのだろう(事実、自分も忘れていた)と思う。
  柳広司はこの物語の構想をずっと温めていたのだろうか。しかし、彼にこれを作品として結実させるトリガーとなる何かがあったはずで、それは直接的には「あれ」だったのだろうか、「これ」だったのだろうか、と考えてしまった。英訳して、ブッシュ大統領に読ませてやりたいですな。というか、それ以前に、日本人が読むべきですな。 (4/2)

マイクル・Z・リューイン  「探偵家族/冬の事件簿」 (ハヤカワポケットミステリ)

  「探偵家族」に続いての、バースのルンギ家が探偵役をつとめるモジュラー型ユーモアミステリ。このモジュラー型というのがミソで、ルンギ家の8人の人々が、或いは単独、或いは誰かと組んで目にする事柄が、カメラが切り替わるように並行して進み、笑える台詞か情景でストンと落ちた後にまたカメラが切り替わる・・・という構成が、海外ファミリードラマを観ているようなのだ。合い間合い間に、テレビの枠外からの笑いが挿入されているような。

  シリアスな事件が起こらないのもこのシリーズの特徴である。今回も、外部の事件よりも、家族の内部で起きるちょっとした勘違いやタイミングの悪さのようなものの方が重大事なのがおかしい。特に、最長老の親爺さんと、その伴侶・ママ。英国を舞台にしていても、イタリア系家族を主役に据えた意味はここにあるのだなぁ、と思わされる。マフィアのモットーではないが、「コーザ・ノストラ」を絵に描いたような人々だ。

  今回、私にとって一番謎だったのは、長男サルヴァトーレが付き合っている女性。いやぁ、考え方といい、職業といい、ぶっとんでます。こういう職業は本当にあるのかいな。 (4/1)