日常の三昧境

2002年9月下旬

●写真を読み解く

  一枚の写真をどう解釈するかの難しさは、それだけをテーマに長篇小説(リチャード・パワーズ、「舞踏会へ向かう三人の農夫」)が成立してしまうことからも分かるのですが、昨日、一つの写真展に行って、またまたそれを感じさせられました。

行ってきたのは、日本橋の三越本店で開かれていた「here is new york」展。(本日16日までの開催。)
あの9月11日のニューヨークのありさま、それ以前のニューヨークの風景を写した写真を、プロ・アマ問わずに集め、著作権を譲渡してもらい、世界中で見せる、という企画です。写真はレーザープリンターで、その場でプリントアウトしてくれる。その際、3000円を「この惨事に巻き込まれた人たちの遺児に贈る」チャリティーとして寄付するという仕組みです。で、会場に行ってみると、そのプリントアウト(A3判)が壁一面にベタベタ貼られ、壁と壁の間に渡した洗濯ロープみたいな紐からもぶら下がり、ただただ壮絶、としかいいようのない光景だったんですが(^^;)。どの写真にも一切キャプションがないので、見る側(受け手)の方で読み解く必要があるのだ
日本で展示されているのは400〜500点、本国では5000点もあるんだそうで。

それでまぁ、写真の中には一目瞭然、いかなる誤解も生まれようのないくらい明らかなメッセージがおのずと篭っているものもある。ビルに突入する飛行機とか、頭から血を流してうつろな表情をしている民間人とか、くたびれはてて現場で仮眠する消防士とか、瓦礫の中に星条旗を立てようとする消防士三人とか、全てすでにどこかで見たイメージです。
ちょっと難しくなってくると、塵芥の中に転がっている子供用のお人形、足に包帯を巻いたジャーマン・シェパードというイメージに。これらは「9月11日」という説明を受けて、初めてはっきりと意味を持つ作品です。別に「ドレスデン・1944」とか、「ベオグラートにて」、あるいは「神戸」というキャプションでもいいようにも思えるし。もしかしたら、ただの風景写真かも知れないし。(「捨てられた人形」、「我が家のシェパード・負傷中」なんてタイトルか?その場合。)

さて、私が一番気になった写真は、次のようなものでした。
 「遠くの方にアーチが見える普通の街路で、インド系かパキスタン系と思われる有色人種の青年(ちょっと小太り)が、片手をあげて立っている。その手の先には、そこらに落ちていた紙を拾って作ったようなカードが握られていて、そこには「○+」と汚い字でなぐり書きされている。その青年が仰角で写されているので、あとはその周辺に同じような人が数人立っているらしいことしか分からない」。

実は、私はこの写真の前で不覚にも涙を流してしまったのですが、それは、「○+」が、「血液型Oで、RHの+型」を表していて、この青年は「俺はこういう汎用性のある血液型だから、輸血が必要ならいつでも言ってくれ」と無言でアピールしている・・・という風に読んだから、なんですね。そう読むと、「おおお、たとえ人種や宗教が違っても、同じ人間だもの、赤い血液が流れているのは一緒だよ→だから、殺しあうのはやめたいよ」だの、「ボランティアにはこういうやり方もあるんだね」だのと、副次的な感慨も湧いてくるんですが。
ところで、その解釈が正しいのかどうかは、キャプションがないので、分からないんだな(^^;)。
実は、アメリカ人の間では「○+」と書けば「お金、むっちゃ持ってます」という意味なのかもしれないし、もしかしたら「○+」というあだなの人を探しているのかもしれないし、もしかしてもしかしたら「丸十」という店の宣伝かもしれないのだ。(いや、最後のは絶対にないけど(^^;)。) そして、この写真は「9月11日」という説明がなければ、もう全く意味不明なのだ。もしかりに「インド総選挙」というキャプションが付いてたら、こりゃ読み方が全然違うよね。

今もって頭がかなりぐちゃぐちゃなので、どうオチをつけていいのか分からんのですが、写真の解釈は難しい、ってことで(^^;)。折角の好企画だし、行ってみて本当によかったとも思っておりますけれど、ちょっと「報道写真の読み方」について懐疑的になった部分もある葵なんでした。 それと、今度はアフガニスタンを撮影した写真展があったら、是非行こう、と思いましたねぇ。(9/16)

●日本橋三越の屋上の英国

  先日、↑に記した写真展を観た際に、ついでに三越本店の屋上にも昇ってみました。いやー、よかったです。
なにがよかったって、屋上にもちゃんと喫茶部みたいな出店がでていて、カレーライス、ハヤシライス、ホットドッグ、コーヒー、紅茶などの凡百の出店にもあるメニューの他に、何故かこだわりの「スコーン2個 ジャム付き」なるものまで売っているのでした。ハロッズと提携してるんだぞー、という矜持をここに見ましたね、私ゃ。
  でねでね、喫茶部の近くに鉄製の白いテーブル、椅子が備わっているのは勿論のこと、屋上にはステージもあって、その前にも椅子が一杯あるんです。それ以外にも、座りやすい木のベンチも多くて、これで地下食料品街でこじゃれたお惣菜やランチボックス(帝国ホテル、ハロッズ、ダロワイヤあたりが販売している)でも買って昇って、紅茶でも買い足せばすっかりご馳走ピクニック気分です(^^)。事実、家族連れやカップルでそうしている人達を、結構見かけました。
  もっと嬉しいのは、更に屋上の半分近くを占める、「チェルシー・ガーデン」という名前の園芸ショップ。(ああ、この名前にも、思いっきり、ハロッズと提携してるんだぞーな矜持が・・・)。本場の「チェルシー・フラワー・ショー」にはなかなか足を運ぶ機会がなくても、ちょっとだけ英国ガーデニングの雰囲気に浸ることができます。邦価30万円以上する、英国製木製ガーデンチェアの見本があちこちに据えられ、そこでお茶してもいいみたいだし。(一箇所だけ、「ここでのご飲食はご遠慮願います」と貼り紙されたベンチがあるんですが、逆に言えば、それ以外の場所ならOKみたいなのね。)
  秋薔薇の花を見たり、遠くの方で流れる泉水の音を聴いたり、植え込みの蔭にひっそりと置かれた石造りの妖精を探したりしていると、「この一階下の大催事場じゃ今、鳥取大物産展をやってて、あとでラッキョウを買おうと思ってたんだよなぁ」ってことを暫し忘れてました。もうちょっと近ければ、本を持って通い詰めるけどねぇ・・・とダンナに言ったら、「でもって、帰りに神保町に寄る気だろう」と指摘されました。ぎくっ。(9/18)

●数秘術?

  私は寡聞にして知らなかったのですが、例の同時多発テロの日付やさまざまな事象を巡って、色々とアヤシイ邪説(というか、アヤシイからこそ「邪説」だわな(^^;))が駆け巡っていて、中でも神秘数「11」説というのが根強いのだそうです。カバラにもオカルトにも興味がなく、どうして「11」が数秘術の上で重要なマスターナンバーなのかも知らん私には、所詮、関係ないんだけどね。
とりあえず、ご紹介しておきますと
○あの事件は9月11日に起こった:9+1+1=11
○9月11日は、その年の254日目だった:2+5+4=11
○ツインタワーの北棟に激突した飛行機は、11便だった
○その飛行機の乗員数は92人だった:9+2=11
○南棟に激突した飛行機の乗客は65人だった:6+5=11
○ツインタワーは数字の11に似ている。
○New York City と英語で書くと、11文字になる
ということを、熱心に信じている人がいるらしいんです。なんか、付き合い切れないって感じー。
そういえば、サッカー・ワールドカップの優勝国がどこかを予想する際にも、根拠のわからない数字の引き算で「今年はブラジル」って後から理屈づけてた人もいたなぁ・・・。その引き算もあまりにくだらないので、仕掛けは忘れちゃいましたけど、ともあれ、「今年は何年度の大会で優勝した国が、優勝する」っていう結論を出す(だからこそ、ブラジル、という答えが出た)わけです。今までにワールドカップで優勝した国は6つしかないので、それ以外の国はもう最初から選択肢の中にないのね(笑)。もし決勝戦に勝ちあがってたのが、韓国とトルコだったらどうしたんだか(笑)。

そういえば、数秘術と関係あるのかないのか知らないけれど、以前、コンビニに置いてある文庫本で「携帯電話の番号で分かる、貴方の運勢」というものを見かけたことがあります。ええと確か、携帯電話の電話番号を一つずつ全て足して、その数がヒトケタになるまで足していく・・・というありがちな占いで、その結果を「霊数」と呼ぶ、これまたありがちな展開。笑えたのは、「霊数ほにゃららを持つ貴方の携帯電話から、霊数うんにゃらの携帯電話に掛けても、留守電になりがち。折角つながっても、会話が弾まないでしょう」などと、大真面目に解説してあったこと。更には、「会話が弾まない時には、『ストリート・ファッション』の話題に切り替えてみるとよいでしょう」と、アドヴァイスまでしてくれていたこと。いやー、ほんと、こんなの信じている人っているんでしょうか(^^;)。

●幻の中国茶ゲット!

  本日、腰痛が「大腰痛」から「小腰痛」に変化していたので、横浜中華街に繰り出して、幻の「一葉茶」クエストに行って参りました。その結果、無事に、アヤシイ建物の中のアヤシイお茶屋さんでゲット!
  どうアヤシイかというと、女主人がコテコテの中国語訛りの日本語を駆使するので、何を説明してくれているのか、以心伝心で感じ取るしかないのだ。
  「あのー、一葉茶というのを探してるんですけどー」
  「一葉茶、ある。でも、一葉茶、よくない。一葉茶、あぶら入ってる。あぶら、よくない。苦丁(クーデン)茶、よい」
  「・・・ええと、一葉茶って苦丁茶の仲間ですよね(^^;)。油が入ってるんですか?」
  「一葉茶、丸める。丸めるとき、あぶら入る。あぶら、よくない。苦丁茶、丸めない。きれい」
  「・・・ええと、一葉茶って、一枚ずつ葉っぱを丸めてるんですよね(^^;)。その時に、汚れるんですか?」
  「苦丁茶、飲みなさい。なんで飲まない? 飲みなさい」(と、茶碗を差し出す)
ダンナ「(一口飲んで)あ、似てる味」
  「似てる、違う! 同じ、同じ味」
  「あ、これが苦丁茶ですか・・・なるほど、葉っぱが丸まってないや。でも味はおんなじですね。じゃ、これ買います」
  「よい買い物よ。これ珍しい」
  「うちは、両親が中国の西安で一葉茶を買ってきてくれたんですけど、なかなか日本には売ってないです」
  「これは西安、ない。四川。西安の一葉茶、よごれてる。あぶら。四川、きれい」
  「・・・分かってきました・・・(^^;)。だから、これ買いますから」
  「よい買い物。・・・ところでなぜ、貴女、甜茶買わない?甜茶、とてもいい。甜茶、おいしい。」

・・・忠実に再現すると上のような、どこか不条理な会話で、めちゃめちゃ疲れたぞ(^^;)。ちなみに、約40グラムで800円でした。(9/19)

●「キャスト・アウェイ」

  トム・ハンクス主演の漂流映画「キャスト・アウェイ」を、ようやくビデオで観ました。えーと、これで何度目かのアカデミー賞が取れるんじゃないか、と騒がれていたトム・ハンクスですが、観て思ったのは「取れなくて、正解」。(だって、映画自体がすっごくつまらないんだもん←きっぱり。)
もしこれでアカデミー主演男優賞が取れるのなら、巷に、「主演俳優の体重激増ないし激減映画」というジャンルが氾濫しちゃうんじゃないかとすら思いました。一つの映画の中で、体重をどれだけ増やせたか(ないし減らせたか)だけが評価される、という困った事態になっちゃうぞ。そういう意味では、「マトリックス」のキアヌ・リーブスなんて、最有力候補かも。なにせあの人、どんなに撮影中に体を絞り込んでても、プロモーションに来日する頃には元通りのぷっくり君に変貌してるんだもん・・・。だから、「マトリックス2」では、最初に「ぷっくりしてる状態」を撮影しておけば、「役に合わせて徐々に体が変化!入魂の演技!!」って激賞されるかもしれないぞ。
  いや、今回はトム・ハンクスの話だったんでした(^^;)。
正直、もうトム・ハンクスがいい人をやる映画って、ワタシ的には「いっぱいいっぱいかなー」という気がしているんですが、世間ではどうなんでしょうか? いつだったか映画コラムの中で、鷺沢萌さんが、トム・ハンクスの顔を評して「あれって頭にツノをつけると、絵に描いたような赤鬼で怖い」という意味のことを書いておられて、小膝を叩いてしまったことがあるんですけどー。トム・ハンクス、若い頃の方が可愛かった(というか、人相がよかった)よねぇ。
最近のトム・ハンクスは、何を演じていても目が据わってるし、口元の結び具合と顎の線がしっかりしすぎいて、、「いい人」というよりは「狂信者」のように見えるのが怖いんです、私ゃ。
  「キャスト・アウェイ」で一番、鬼気迫る演技だったのは、四年間もの孤島生活の間、常に側にいて慰めてくれたウィルソン君(一緒に漂着したウィルソンのバレーボールに顔を描いて、あたかも人間のように接していたのよ、トム・ハンクスは)が、暴風雨の後、筏から流されて行っちゃった時でしょうか。「ウィルソーン、ウィルソーン、ウェアラーユー?!」と絶叫し、遠くでぷかぷか浮いているウィルソン君に向かって泳ぎ、どうしても助けられない(=泳ぎ着けない)と分かった時の落胆・・・という一連の、「この主人公の中では自然の行動なのだが、一歩引いたスタンスから見ると、やっぱりどこか狂ってる」な演技が一番うまかったのは、もうトム・ハンクスが「いい人」じゃなくて「狂信者」寄りに見えるせいなんじゃないかねぇ。
(しかし、この後まだ本編は30分以上続くのに、ここが一番の盛り上がりどころだった映画というのは、どうなんだろう(^^;)。人間相手よりも、ウィルソン君相手の方がやりやすそうなトム・ハンクス。)

正直なところ、「フォレスト・ガンプ」も「プライベート・ライアン」もイマイチよく分からなかった私には、トム・ハンクスの演じる「いい人」には怖いものが潜んでいるとさえ思います。・・・とここまで書いて思い出したけど、「グリーンマイル」をまだ観てなかったわ(^^;)。(9/20)

●その分類は変

  新刊本屋に行くとよく、「あ、こんなところに分類しちゃ変」という本が、何食わぬ顔で紛れ込んでいることがあります。
たとえば外国人作家の棚に、リリー・フランキーや、ケラリーノ・サンドロビッチのエッセイが堂々とささっているとか。(しかし、具体的にどこの国の作家だと思って並べているんだろうか、本屋さんは。)
一時、普遍的によく見られたのは、女流作家の棚に北村薫ですね。ご本人の顔が有名になるまで、かなり長い間、そういう状態だったような。笑えるのは、本人の顔写真がついていてもなお、嶽本野ばらを女流作家に分類する頑固な新刊本屋がいることで、いいかげん気づけよ、と思うのは私だけではあるまい。もっとも、嶽本野ばらの前では、作家の性別というジェンダー剥き出しな分類自体の虚しさが、しんしんと身に沁みてくるけども(^^;)。

  ところで、これが「店の人に本に関する知識が殆どない」新古書店に行くと、分類された中身はさらにアナーキーになります
いつぞやは歴史の分類のところに、「斎藤史論」がささっていて驚いたことがあります。ええっと、別にどこぞの斎藤さんが述べた史論なわけではなくて、女流歌人の「斎藤史(ふみ)」さんに関する論なんですけど。最初の一頁に目を通しさえすれば、それが分かるはずなのになぁ、と思ったものでした。
先日行ったこの手の店では、オカルト・超常現象の棚のところが変でした。「失われたアークは伊勢神宮にあった!」だの「超古代、日本語が地球共通語だった!」などという、書いた本人にも意味が分かってないんじゃないのぉ?と疑わしいトンデモ本に混じって、岩井志麻子の「ぼっけえ、きょうてえ」が7冊もささっていたんです。うーーーん、それは違うぞ。
・・・とこれだけでかなり笑いのツボを刺激されていたところへ、更に下段に目をやると、「私は臨死体験から蘇った」だの「花畑からの生還」などという、臨死体験ばかりを集めたディープなコーナーが。しかし、その中に何故か、WEBサイト・やぎの目さんが出している「死ぬかと思った」が混じっているのだ・・・。一応、「死ぬかと思った」には、帯がついていて、そこには「低レベルな臨死体験」とは書いてありますが、これはあくまでシャレというものでして(^^;)。あまりに恥ずかしい、あまりに突然だったので驚いた、あまりにトホホだったので、もう「死ぬかと思った」という体験ばかりを集めた人気コーナーの名作だけを本にしたのがこれ、なのだ。一読するや、脱力必至
  もし大真面目に臨死体験を考えたいと思いつめている人がいて、この本を買っちゃったら・・・と思うと、ちょっと浮かれた気持になってしまったのでした。(9/23)

●紀香ゲームでゴー!

  隠すような話ではないのでおおっぴらに書きますが、うちのダンナは藤原紀香が好きだ。どれくらい好きかというと、紀香が司会だというだけの理由で「FUN」を観るし、日テレで先日放映していた「アフガニスタン体験レポート」も観ていたし、他にも本場のアルゼンチン・タンゴに挑戦する番組やら、おおそうだ、K-1グランプリだって格闘が主なのか紀香が主なのか分かったもんじゃないんである。
そこへもってきて、戦争物のTVゲームが好きだ。もっぱら空戦、海戦物を中心に、ちょっと戦闘をこなしては、報酬で新しい飛行機(ないし戦艦)を購入したり、新機能をつけたりする画面で「独自のこだわり」に浸っているのである。戦闘が好きなのか、その後のお買い物と設計手直しが好きなのかこれまた分かったもんじゃないんである。

  そんな彼なので、紀香全面プロデュース、全面協力のもとに作られたTVゲーム「プロジェクト・ミネルヴァ」(PS2用、ディースリー・パブリッシャー製作)を買わないわけがない、と思っていたら、予想通り、魅入られたように買ってきました。「へへへ、これって売り切れが多いんだよなぁ」と、パッケージをさすりだす辺りから、もうアヤシイ人だよ。
  早速、ゲームの世界へ。おおお、紀香だよ。紀香が雨の中、白いワンピースでずぶ濡れになりながら、お兄さんのお墓参りしてるよ。・・・で、亡くなったお兄さんの仇を取るため、戦闘組織に身を投じるわけですね。・・・ふむふむ、このようにフィールドで戦闘しろ、と。チュートリアルがたいへん親切なので、横でボーッと画面を見ているだけの私にまで、どうすればいいのかがよく分かる。しかし、機関銃を持って、迷彩服着て、小腰を屈めてウロウロしている紀香の後姿ばっかりだなぁ。プレイヤー=紀香、なので、なかなか戦闘シーンでは紀香を正面から見ることができないのだ。
  さぁ!やっと戦闘が終了! 報酬も貰い、お買い物だ! ダンナは喜々として、買い物画面を開いた。防弾チョッキ、救命胴衣、チューンアップされた武器などなど、どれも高いので、まだ当分買えそうにない。しかも、まだ未知のアイテムがあるようで、アイテムの影しか映っていない一角すらあるのだ。その一角を丁寧に逐一調べていた彼は、突然、「ウハッ!」ともなんとも形容のしがたい声をあげた。
  ・・・なんだよぉ・・・と顔をあげた私の目に映ったものは、明らかに水着か下着と思われるビキニの上下のシルエットだった。
  ・・・・・・。・・・分かったよ。 とにかく頑張ってくれたまえ、としか言えない妻を許しておくれ。(9/24)

●柳美里の言葉

  24日の最高裁で、柳美里のデビュー作「石に泳ぐ魚」の出版差し止め判決が下りた。私はその小説を読んでいないので、その文学性については云々できないけれど、新聞・テレビで仄聞する限り、妥当な判決なんではないかと思う。
  実際、小市民的モラルで物申すようで恥ずかしいが、友人だと思っていた相手に、いつのまにか自分の障害をつぶさに小説に書かれていた・・・というのはかなり変だし嫌だ。そのうえ、その時点で不快を表明したにもかかわらず「表現の自由」でつっぱねられれば、「へぇ、作家ってそんなにお偉いものなんですか」なんて反感すら抱いてしまう。
ここから連想は飛躍するが、小市民の目には、実の姪を妊娠させておいて自分はとっととフランスに留学、その経緯をぬけぬけと「新生」という私小説にして、天下に公表しちゃった島崎藤村の嫌らしさが浮んでくる。藤村の場合は、姪が黙って泣き寝入りした上、知恵をつけてくれる人もいなかったので、出版差し止めという事態にはならなかったが、その後の姪の人生はさんざんだったらしい。私小説こそが文学の王道で、小説のためなら家族だろうが自分の魂だろうが悪魔に売り払っても悔いのないのが文士だっ、というどうしようもない文学観がはびこっていた時代だからこそありえたようなエピソードである。それでも世間に許されて、名声を得たのは藤村で、駄目になっていったのは姪一人なのだ。私が心底分からないのは、こうした小説家が、自分自身の表現活動に対して固執する誠実さや配慮を、どうして人間相手に示せないのかということだ。

  まぁ、これにめげるような柳美里でもないと思うんで、今後もばりばりと自分や自分の周りの人の壮絶な人生を自由に表現していくんであろうと思われるが、それでもなお、彼女の言葉が気になった。
「史上初めて最高裁により小説の出版差し止めが認定されてしまったことは痛恨の極みだ。今回の判決は作家個人の問題を超え、日本における文芸作品の可能性はもとより、表現の自由を著しく制限するものと言わざるをえず、慙愧にたえません」というコメントなんだけど・・・うーーん。
とっても陳腐で紋切り型の表現だなぁ。それに、「痛恨の極み」というのは、一見 悲痛に大見得を切ってみせているようでいて、どこかそらぞらしく、軽々しい言葉だと私は思う。
そしてなにより分からないのは、「慙愧にたえない」の主語だ。
これは、遥か遠くにある「今回の判決は」なんだろうに、それがあまりに遠すぎるので、まるで「○○と言わざるをえない自分」が「慙愧にたえない」ように聞こえる。事実、私は最初そう聞いてしまったので、思わずテレビの柳美里に向かって「つまり、恥ずかしくていたたまれないわけ?」とツッコミを入れてしまったくらいなのだ。
二度・三度、新聞に書いてある言葉を読んで、ようやくうすぼんやりと「ああ、この判決が世界に対して恥ずかしい、と柳美里が最高裁に成り代わって慙愧にたえないわけね」と分かってきたんでありますが、本当にそれで合ってるのかいな?
多分、小市民的モラルから抜け出せず、この程度の読解力しかない私は、柳美里の小説を読む資格のない人間なのだと思う。(9/25)

●低レベルな古本体験(立志上京編)

  夜、テレビ東京で放映されていた「TVチャンピオン・”江ノ電”王決戦」を観ていて、ふと思い出したのだけど・・・。

  関西で生まれ育った私は、就職の時に初めて、上京して一人暮らしをすることになった。サザン・オールスターズや松任谷由美の歌によく出てくる海岸に近いアパートの一室を借り、休みの日になれば、浮かれて江ノ電に乗ったり、海岸通りを歩き回っては悦にいっていたのだ。今思うと、なんてこっぱずかしい青春ぶらり旅なんだーー(自爆)。
ところで、とある海岸通りの内側には昔ながらの商店街もあって、れっきとした古本屋も存在していた。最初のうちはあえて古本屋を無視して、おしゃれな喫茶店や雑貨屋をチェックしていたのに、そのうち、夜眠ると、その古本屋に長年探していた本がざくざく埋もれている夢を見るようになり、「我慢はいけない」と自分に言い聞かせたのだった。
というわけで、次の週末には、無理をせず古本屋を訪問した。・・・夢が現実になるわけはなくて、そこはただの「いくらお洒落な湘南にあるとはいえ、ただの小汚い古本屋」に過ぎなかった。がっかりした。でも、ここで何も買わずおめおめ引き下がったら私の負けである(←冷静に考えると、なんで私の負けになるのかが分からないのだが、気負い込んで古本屋に行くと、何故かこういう考え方をしてしまうものなのだ)。
というわけで、選びに選んで買った、関東で初購入の記念すべき古本は、忘れもしないアンリ・ミショーの詩集。
今でもその時の心理は覚えているが、選択の基準は「ユリイカが好きで、シュルレアリスムが好きで、海辺に来ても詩集を買っちゃう妙齢の女性」を気取ってみたかったからだ。だから、まかり間違っても、「紅茶キノコの不思議な効用」だとか「連合艦隊戦訓48」とか「必殺ダーティー刑事三四郎」なんていうタイトルの本を買ってはいけなかったのだ、海辺を散策する妙齢の女性としては。

  散策後、帰宅。早速、買ってきたばかりの古本の詩集を紙袋から出し、「ふふふ」と微笑みながら、訳もなく匂いを嗅いでみたりするのだ、妙齢の女性としては。「海の匂いがするかしら」なんて言いながら。・・・黴臭いに決まってるのに
  で、読んでもみた。ただでさえ破天荒な人生を送っているアンリ・ミショーなのに、途中からメスカリンなどの麻薬にも手を出し、色々と幻覚に苛まれているようなんである。さすがに豆粒大の大名行列に悩まされた形跡はないが、さまざまな奇怪な幻影が現れては、ミショーをいじめて喜んでいる様子が、克明に詩に描かれていた。「うーーーむ」とうなる妙齢の女性。よく分からないので、訳者の解説を読んでみた。するといきなり、「難儀である」という書き出しだったのだ。どうもこの訳者さんとしては、ミショーが苛まれる様子を「受難」と書くとキリスト教じみすぎているし、「苦難」と書くのもどうかと考えて、一切を「難儀」で片付けることにしたらしい。
  ところで、それを読んでいる妙齢の女性は、関西から上京したばっかりである。語彙の中で「難儀」といえば、すぐに吉本新喜劇で桑原和男か花紀京がお婆さんの扮装をしていて、愛娘は意に染まない相手と恋愛中、自分が経営している小さな食堂はヤクザに立ち退きを命じられ、ヤクザの親分は愛娘に横恋慕、うまい儲け口だと思った商談は実は詐欺、という状況で発する「ああ、もう、あっちもこっちも難儀やなぁ」に集約されてしまうのだ。・・・などと新喜劇の一場面を思い浮かべ、「いかん、いかん」と首を左右に振り、またミショーの詩に戻る。ところが、またしても変な怪物が出てきて、ミショーをいじめるのだ。状況がよく分からない。そこで解説を見る。すると、そこには「またしても難儀である」。で、またしても脳裏を桑原和男か花紀京がウロウロ&オロオロし始めるのだ。どこにお洒落な海辺があるというのだ。

  多分、私がそれ以来 なりふり構わなくなったのは、この時の原体験のせいであると考えられる。どんなに気取ってみても、所詮、「難儀である」の一言のもとでたちまち頭が新喜劇になってしまう妙齢の女性だったのだ。あー、なさけねー。
現在ではもはや妙齢ではないだけで、いまだに中身は同じ。・・・ま、見得を張らないのは、楽でいいけどね。多分、その次にその店に入った時は、いさぎよく、ツルコミックスの「ピーナツ」ではないアメリカ漫画を買ったんだと思う。(9/26)


(と、ここまで書いたところで、鮎川哲也氏の訃報を知りました。謹んでご冥福をお祈りいたします(黙祷)。)


●犬語翻訳機

  もともと私は、ニュースを即時に知りたいからではなく、本やもろもろの物品の広告を見るために新聞を読むようなものなのですが、今朝(27日)の朝日新聞関東版は読み応えがありましたねぇ。
なにせ、TAKARAから犬語翻訳機(14800円)が、本日発売なんですよ。「バウリンガル」という商品名も凄い。
犬の鳴き声を登録しておいて、それからどれくらい波長がずれているか声紋データでチェックして、フラストレーション・威嚇・楽しい・悲しい・要求・自己表現の六つの感情が判定できるのだそうなんですが。
うちではペットは飼っていないけれど、14800円だったらとりあえず購入しておいて、近所にあるゴールデン・レトリーバー専門のケンネルの前で測定しちゃおうかなぁ、などと不埒な考えが湧いたりもします。
 
ところで素朴な疑問なのですが、犬といっても大はセント・バーナードから小はチワワまで、かなり体格も違うし、当然、元になる鳴き声の周波数も違うと思うんですが、全ての犬に共通に使えるんでしょうかねぇ。
それと、そもそも最初に登録した時の犬の鳴き声が「ニュートラル」だという保証はどこにもないわけでして、そのあたり、どうなんだか。この翻訳機の話題は、今後とも追っかけるぞ。

今朝の新聞を見ていて、もう一つの収穫は「キャプテン・スカーレット コレクターズ・ボックス」(東北新社、29800円)の存在を知ったことなんですけど、うううーむ、こちらの方が犬語翻訳機よりも高いのかぁ。(9/27)

●イーグル・エイト・テン、応答せよ

  我が家の近所には沢山の米軍施設があり、そのために米軍向けの極東放送(FEN)が受信できるのです。周波数が810なので、愛称は「イーグル・エイト・テン」。まぁ、アメリカ人は自分のことを「イーグル」だと自称するのが好きだってことで、仕方ないのか>「エイト・テン」の前の「イーグル」。
臨時ニュースは勿論のこと、「へぇ、横田基地で盆踊り大会があるって」だの「座間キャンプでは来週末からブラスバンド大会が」といった小ネタが拾える上、最新USヒットチャート、お笑いプログラム(前線基地慰問大会からのライブもある)、めちゃくちゃそっけなくて「こんなので救われるのか」と考え込まされる電話人生相談・・・といった多彩な番組があって、聴いていると案外楽しいのでした。

  ところが、この一週間ばかり、810にダイヤルを合わせても雑音しかしない(^^;)。最初にそれに気づいたのは、カーラジオをいつも810に合わせているダンナだったんですが、本日二人で色々実験してみたところ、自宅では勿論のこと、軍事施設のすぐ近くでカーラジオを点けてみても駄目なのだ。完全に、ホワイトノイズがかかってるような状態なんです。・・・どうなっちゃったんだよう、イーグル・エイト・テン?
仕方がないので、今日のドライブ中はJ-WAVE(関東地方限定のFM放送)を聴いておりましたが、そこで聴いたニュースでは、「アメリカ国民で『イラクへの軍事攻撃を支持する人』は64%」なのだとか。うううーーむ、これはいよいよ、もしかするともしかするんでしょうか?
・・・まさか、これとイーグル・エイト・テンのだんまりが関係あるとは思えないけど、塀の外からアメリカを覗きこむような気分でFENを傍受していた当方としては、実に心配な一幕なのであります。(9/29)

●彼女は何が言いたかったのか

  毎朝、時計代わりにテレビの情報番組を観ております。幾つかザップして、7時45分以降は「めざましテレビ」で「トロと旅する」と「今朝のわんこ」と「今日の占い・カウントダウンハイパー」を観てから、また「ズームインSUPER」に戻るとか、なんとなくパターンが出来ているなぁ、いつの間にか。

当たり前ながら、これらの情報番組は鮮度が命、毎日毎日 色々と工夫を凝らしながら生放送なので、番組の途中でハプニングが続出することもあります。北海道の富良野を紹介する女性レポーターが、自転車こいで目標地点をあちこちと移動するうちにいやな汗をかき始めて、息もたえだえになったのを見ちゃったこともあれば、秋田の沼でじゅんさい採りにチャレンジした女性レポーターが、周りの一般女性のタライ舟まで巻き添えに沈んでいったのを見ちゃったことも。

地味に面白いのは、言い間違い。先日は、「おはよう!グッデイ」の若手男性アナが、「もっと若者と膝を割って話し合いましょう」などと珍妙なことを大真面目に言ってました。膝はねぇ、交えるものなのだ。割るのは、腹だ。
今朝 面白かったのは、「ズームインSUPER」のラストに登場した、番組宣伝のための女性タレント。夜7時からの「オールスター迷言珍言爆笑ツッコミ99連発」という、もうタイトルを聞いただけで内容の想像がつくバラエティの宣伝にデーブ・スペクターと一緒に来ていて、「司会は和田アキ子さん。和泉節子さんも乱入してきて大変でしたー」と明るく語ってくれたのだ。それを受けて福沢朗アナが、「それは、さぞかしスタジオ中が大緊迫だったんでしょうねっ?!」と力んで尋ね返すと、その女性タレントは真顔でこう言ったんでした。
「おびただしい空気でした」  
周囲から、たまらずブハッと沸き起こる、失笑。(デーブ・スペクターも噴いていた。)
そこで時間切れで、「それではご唱和ください、ズーム・インッ!」で終わっちゃったんですが、結局、彼女は何と言い間違えたのかすら分からないのよ。あー、気になる。(9/30)