Case of Mondo
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ファースト・コンタクト |
そのころ,もんどは兵庫県 の芦屋市 で2DKのマンションに独り暮らしをしていた。神戸市 の教員採用試験 を目指して勉強に励んでいた平成6年3月末ころのある夜,私立高校の校長という人から電話があった。 「洲本
のY高校の校長をしておりますUと申しますが,私学の教員を志望されているということで,本校の採用面接を受けていただけませんか?」(兵庫県には私学教員希望者の登録制度があり,もんどはそこに登録していた) 「洲本というと 淡路島
ですか?」 突然のことに驚き,いろいろな思いがもんどの頭の中をよぎった。この時,もんどは29歳,公立学校の採用試験に望みがないわけではないし,神戸市の中学校で非常勤をしている感触から,いくらかの希望も持っていた。そして,今の暮らしを全て捨てて島へ渡る不安。一方で田舎暮らしへの興味もかなりあった。このような思いを巡らすのに1秒ほどかかっただろうか。ようやく重要な質問を一つしぼり出した。 「それは専任でということですか?」 公立の採用試験という不確かな希望よりも目の前にいきなり現れた「専任」の口に飛びつくことにしたのだった。 |
| 母の反対
Objection from mother |
もちろん,面接を受けてみないことには,どうなるかわからないのだが,大阪の実家に電話をかけ母に淡路島へ行く話をしてみた。母は古いタイプの人である。 「淡路島へ行くなんて,島流し見たいやから止めとき」 しかし,もんどは自分自身の運の良さを信じていた。今度の話がいわゆる神仏の思し召しのように思えてならなかった。親には相談したのではなく,もう決めていたのだ。後に家を建てたときも親には事後連絡したようなものだったし,勝手なことばかりしているもんどだが,そんな息子を両親は信頼し,見守ってくれているというのが常であったと,これまた勝手に思い込んでいる。 |
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第一歩 |
そのとき非常勤で勤めていた市立中学に4月からも行くことになっていたのだが,正直に事情を話しY高校について情報を集めたりした。もう3月も終わりに近づいているころだったから,中学校の方でも急に予定していた教師に抜けられるのはたいへんだ。校長は大慌てだったが,アルバイトよりも正社員の口を優先するのは仕方ないと割り切らせてもらった。 それはたしか3月の30日であった。当時はまだ橋がなかったので,Y高校の校長に教えてもらったとおり,神戸の中突堤から高速艇に乗り洲本港に降り立った。もんどのIターン 第一歩である。 ![]() |
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Iターン |
学校は洲本市を一望する高台にあり,緑に囲まれた絶好のロケーションだった。さらに清掃の行き届いた校舎に落ち着いた学校というイメージを受けながら会議室に通され,理事長・校長の面接を受けた。 面接を受けに来たのは,もんど1人だった。3月の末という時期を考えると,緊急に美術教師が必要だったらしい。次の日には採用の連絡をもらい,慌ただしく引っ越しの準備をした。Y高校には寄宿舎があり,引っ越し先はそこの教師部屋だ。慌ただしい引っ越し騒ぎの後,もんどの淡路島民としての生活が始まった。 |