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親にとっての医療倫理

〜子どもの命は親の掌中に〜


(1)そんなの反対

 医療倫理については、最近はニュースになることも少なくない。ところが医療倫理は医者のものであって、患者のものになっていないようで、それはいけないことだと思う。医療倫理の対象は、多くの場合患者か患者の家族の命に関わる問題だろうから。
 特に、子どもが病気のとき、親は自信ではなく子どもに対しての医療倫理観を持つことになる。子どもは親の分身か、所有物か、独立した人間であっても自分自身で決断ができず、親と出会ってまもなく家族の愛情が芽生える前だったとしたら・・・あまりにも難しい決断を要求されることがありえるのだ。
 私はある講演を聴きに行ったとき、何もいえなかったし、今まで何もいってこなかった。  生まれたばかりの子どもの命の蘇生をしない決断を、親がしないといけないという。そのためのルールが作られているという。子どもが重い病気を持っていたとき、延命のための治療をしない選択が必要という。
 重い障害を持ち、手術して今は元気にしているが、もし手術(延命処置)をしなかったら、今日の命がなかったはずのわが子を持つ私。延命処置をしない選択の意味もわかるが、延命処置をしない方法が、世論となることを危惧している。
 言葉にならなかった。何をどう言っていいのかわからない。重い障害を持つ(持った)子どもの親も、それが必要といっている。私は間違っているかもしれない。  あの場で、そんなの反対!と叫べなかった。誰かが言わなければいけなかったのかもしれない。
 親として、ひとつこの思いを自分自身でまとめるように書きたいと思う。 (2004.4.4)

(2)幸せとは何か

 生命倫理という言葉で最初に思い出すのは、出生前診断かもしれない。そうならば、妊娠しても出生前診断をすることを拒否すればすむことだ。人生の終焉を延ばすか延ばさないかなら、それまでの家族の人生を考えて判断できることもあるかもしれない。ところが、望まずして、そして人格性格もわからない人間の命の選択するための倫理の壁がある。新生児、乳児、幼児、または障害者の延命の判断のときである。
 もし生まれた赤ちゃんが重い病気や障害を持っていたとき、延命のための医療をしないことを選択できるためのガイドラインが作られている。そのガイドラインには特定の病名を指定していない。しかし、子どもが病気という非常事態において、まだその子への愛情も確かになっていない時点で、白衣の医療者から子どもを死なせるための資料、ガイドラインについての説明を受けて、親は一生後悔しない選択をできるだろうか。
 ガイドラインの中では、子どもの幸せを一番にとうたっている。障害を持った子どもは生きていても幸せになれない、長生きできない子は幸せではないという価値観の前提が見え隠れしている。生を受けた人間にとって最高の幸せは、なんだろうか。楽しい遊び、おいしい食事、友達との交流、社会への貢献。それをできない人間は生きている価値がないのだろうか。
 まず、家族の笑顔があればいい。私はそう思う。  ガイドラインの存在は、人の幸せの形を決めること。その形に合う幸せを持たない人の人格を否定しているのではないか。
※参考<重篤な疾患を持つ新生児の家族と医療スタッフの話し合いのガイドライン> (2004.4.18)

(3)不幸な人たち

 不幸にも夭逝する人は少なくない。  先日ニュースで幼い子どもが非道な大人に殺されことを報道していた。おそらく殺されたある幼い子どもは多くの人に不幸だと思われる。
 しかし、その幼い子どもが生まれたこと、そして殺されるまで生きていたことを不幸だと思うだろうか。例えその子どもが恵まれないと思われがちな家庭環境に育ったとしても、殺されるその日の朝まで笑顔で遊んでいた子どもの人生全てを、どうして不幸だと言えよう。
 成人するまでに亡くなる、就労の見込みが無い、意識不明である、自力で命を保てない、生きていることで痛みや不快な状態が甚だしい。
 どこからが死なせていい命なのか、命を維持しなくていい命なのか、殺していい命なのか。その線引きを、医療者という立場の人たちがしていいのだろうか。親ならしていいのだろうか。
 もしその線引きが存在したら、わが子と家族の一大事に陥った医療の知識の無い、到底冷静ではいられない親が、専門家の言葉によるその線引きのために、「不幸な人は生きていても仕方ない」と勘違いしてしまって、後悔する決断をしてしまわないとも限らない。
 ガイドラインの存在は、深い罪悪感と不幸な子どもと家族を作る原因にこそなれ、残された家族のしあわせのためにあるとは言えないのだ。 (2004.9.20)
<つづく>