隅田川ウオーキング


 5年余り前、神田川ウオーキングを、このホームページの第1号記事としましたが、その後、機会をみて隅田川ウオーキン グもしてみたいと思っていました。
 足腰も弱らないうちにと、春風に誘われて、今回実行いたしました。


  隅田川とは

 隅田川(すみだがわ)は、東京都北区の新岩淵水門で荒川から分岐し、まず新河岸川と合流し、その後、石神井川・神田川、 日本橋川などの支流河川と合流し、最後は東京湾に注ぐ全長23.5kmの一級河川です。
 元は荒川本流の下流部分の俗称でしたが、たびたびの洪水を防ぐ為に明治末期から昭和初期にかけて岩淵水門から河口まで の荒川放水路が建設され、1965年3月24日に出された政令によって、荒川放水路が荒川の本流となり、分岐点である岩淵水門 より先の荒川は、俗称だった「隅田川」に改称されました。


<第1日目>

 3月29日、晴。先ずは、隅田川の原点である、岩淵水門へ。
 JR赤羽駅から1kmほど、岩槻街道(国道112号)へ出て北へ歩くと新荒川大橋です。手前は東京都北区、橋の向こうは埼玉県川口 市です。
 この大橋から500m程下流に岩淵水門はありました。現在使っているのは 1982年(昭和57年)竣工の新水門で、1924年(大正13 年)竣工の赤い旧水門は記念物として、現地保存されています。



荒川(右)と新河岸川(左)後方は新荒川大橋

荒川からの分流(手前)岩淵水門



水門を出た水は新河岸川と合流、隅田川に

 この付近荒川と平行して、川越方面から新河岸川が流れて来ており、荒川から水門を通して分流した水は新河岸川と合流 して隅田川となります。
 江戸時代初期から昭和始めまでの約300年間、川越と江戸を結ぶこの流れを人や物資を載せてた数多くの舟が行き来し、川 越と江戸を強く結びつける役目を果たしました。川越に深く根付いた江戸の文化は、この舟運によってもたらされたといっ てもいいでしょう。

 岩淵水門をでた隅田川は、千住大橋あたりまでの数キロはかなり蛇行しながら東南東に流れます。今回はこの部分はパス して、江戸時代から俗称「隅田川」といわれていた、千住大橋から下流を歩くことにしました。
 赤羽駅に戻りJRで南千住駅へ。ここから北へ600mほど歩くと千住大橋です。

 千住大橋は隅田川にかけられた最古の橋です。架橋されたのは徳川家康が入府(1590年)して間もない1594年(文禄3年)のこ とでしたが、当初は江戸防備の面からこの橋以外の架橋を認めてこなかったようです。その後1657年(明暦3年)のいわゆ る明暦の大火で 沢山の江戸市民が死傷したことから、1659 年(万治2年)(1661年説 もあり)に両国橋が建設されました。
 現在の千住大橋は1927(昭和2年)に建設された下り専用の旧橋と1973年(昭和48年)に建設された上り専用の新橋とか ら成っています。この橋は日光街道(奥州街道)である国道4号線が通っています。このあたり南岸は荒川区、北岸は足立 区です。



千住大橋(下り線用の旧橋)

 ここは昔、芭蕉 が門人達に見送られ、「奥の細道」に旅立ったところです。、近くの素盞雄(すさのう)神社に 「行春や鳥啼魚の目は泪」の句碑があります。この句碑は1820年(文政3年)、谷文兆の弟子の建部巣兆と儒学者 で書家としても名高い亀田鵬斎らが建碑したものです。
 素盞雄神社は平安時代から続く、古い社だそうです。

拓本とその解読
芭蕉句碑素盞雄神社

 千住大橋の下流には、JR常磐線、つくばエクスプレス、東京メトロ日比谷線と3つの鉄道橋が架かっています。
 次の千住汐入大橋は、2006年(平成18年)に開通した、隅田川にかかる最も新しい橋です。このあたり新しい沢山の高層マ ンションが林立していて驚きました。現在建設中のものも多くありました。



一番新しい千住汐入大橋

 次の水神大橋の手前で、川は大きく曲がって、一路東京湾を目指して南下します。このあたりから首都高6号線(向島線) が川の東側に貼り付き、並行して南下します。この状態は両国橋を過ぎるまで続きます。
 白髭橋は明治通りの通っている橋で、このあたりから西岸は台東区、東岸は墨田区にになります。向島百花園は橋を渡って すぐです。

水神大橋首都高とゆりかもめ



白髭橋

 次の桜橋から言問橋、東武鉄道鉄道橋を経て、吾妻橋に至る約1km余りの両岸は隅田公園となっており、その桜は、八代 将軍徳川吉宗が植えたのが始まりと言われる、墨田堤の桜として有名です。三月中旬になって寒さが逆戻りしましたが、ここ 二三日暖かい日が続き、既に桜は七分咲きにになっておりました。花見客に混じって、しばし桜を堪能しました。このあたりは また夏、隅田川花火大会会場になるところです。
 桜橋は1985年(昭和60年)に完成した隅田川にかかる唯一の歩道橋で X字型をした美しい橋です。両岸の隅田公園をつない でいます。
 言問橋は水戸街道である国道6号線が通っています。「言問」という名称は在原業平の詠んだ、「名にしおはば いざこととは ん都鳥 わが思う人は ありやなしやと」という歌に因むといわれていますが、明治の始め、言問団子を売り出した団子屋の影響 も大きいようです。余談ですが、江戸時代、長命寺(隅田川七福神の内、弁財天を祀る)の門前で、長命寺の桜餅と銘打って売り 出した桜餅も、お寺以上に有名になり、花見シーズンには予約をしないと買えないくらいです。



桜橋



墨田堤の桜



言問橋

 吾妻橋はおなじみの橋です。西は浅草雷門です。東には琥珀色のビールジョッキを模したアサヒビールビールと金色の雲み たいなのが載っているスーパードライホール(通称うんこビル)があります。
 この橋は1774年(安永3年) に架けられ、江戸時代にかけられた五橋(千住大橋、両国橋、新大橋、永代橋、吾妻橋)のうち 最後の橋です。現在の橋は1931年(昭和6年)に架けられたものです。



吾妻橋



吾妻橋からアサヒビールビルを 左端は墨田区役所

 吾妻橋西詰交差点角に、昔懐かしい神谷バーがあって、ここで電気ブランとアサヒスーパードライを飲みながら、遅い昼食 をとりました。
 あとは、ほろ酔いの勢いで、一気に両国橋を目指しました。
 次の駒形橋からは、コンクリート護岸の下の水辺にテラス(遊歩道)が整備されており、西日の当たる東岸を、駒形橋、 厩橋、蔵前橋、総武線鉄道橋などをみながら歩きました。

駒形橋厩橋
蔵前橋総武線鉄道橋

 総武線鉄道橋の手前で井の頭公園から都心を流れてきた神田川が合流します。最後の緑色の橋が柳橋です。有名な花街で すが、むかしの面影はないようです。
 両国橋は前述のように江戸時代に隅田川に架けられた2番目の橋です。当時の武蔵と下総の国境にあるため両国橋と名付け られました。 現在の橋は1932年(昭和7年)に架けられたものです。このあたりは夏の隅田川花火大会の第2会場になります。
 両国の国技館や江戸東京博物館はあまりにも有名なので、省略します。



神田川合流点 最後の橋は柳橋



両国橋1



両国橋2

 万歩計は三万歩を突破していました。色々寄り道したので、少なくとも15kmは歩いた事でしょう。良く歩けたものです。
 今日はこれで終わり。二日目も乞御期待!

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                                             参考資料
                          Wikipediaー隅田川
                                                    東京都建設局:河川:隅田川を歩こう
                                                    小江戸探検隊ー新河岸川舟運
                                                    奥の細道を旅する JTB  

BGMは める姉のおうちからお借りしました。