第44回 
いわゆる弦5部

 CDなどの解説で楽器編成に出くわすと「弦5部」と書いてあるが、何のことかおわかりだろうか。いわゆる第1、第2バイオリンに、ビオラ、チェロ、コントラバスという5グループのことであるが、日本では「弦5部」と書かれることが多い。ヨーロッパで出版の楽譜には、Streicher(ドイツ語)とかCordes(フランス語)、つまり「弦楽」とあり、どうやら5部ということすら常識のようだ。楽譜では例@(ハイドン「びっくり交響曲」)のようになる。ちなみにこの例のハイドンのように、古典派以前では、チェロとコントラバスは同じ譜面を使っている。


 では、弦楽器はいつでも5部なのかというと、そうでもない。その良い例が次回に演奏するショスタコービチの交響曲第5番第3楽章だ。この楽章では例Aのとおり、バイオリンが3部、ビオラとチェロが2部で、コントラバスとあわせて弦8部という編成だ。ただし他の楽章は通例の5部なので、この楽章のみあらかじめグループを組替えておくことになる。



 このように弦がある程度細分化されると、音の組み合わせが増えるので表現力が増す。逆に言えば、聴き所は弦楽器ということになる。ただ、古典派の曲でもビオラやチェロにdivisi.(分割しろ)という指定があって、一時的に分割される場合があるが、これは和音の厚みを増す程度のことに利用されるにとどまっているようだ。

 では弦楽器のグループが減る曲はあるのか、ということでは、チャイコフスキーの「くるみわり人形」組曲の序曲がある。じつはチェロとコントラバスが無く弦が3種類になってしまう。低音が欠けるので、その結果軽やかな仕上がりになっているが、しかしこれでは和音が貧弱になってしまう。そのためチャイコフスキーは第1、2バイオリンもビオラも各々2つに分け、結局弦6部という構成にしてしまった。
 先日演奏したベートーヴェンの「第9」の第4楽章でも弦楽器がビオラとチェロのみになる部分があるが、ビオラが2つに分かれた上に、さらにひとりで2つの音を演奏させるのが当然のごとく書かれていて、苦心の跡がうかがえる。
 一般的に音が少なくなるのは曲の材料が減ったということなので、結局つまらないのである。作曲家は5部より減ることが無いように、無意識で押しとどめているのかもしれない。

 その弦楽器群が細分化されすぎるとどうなるかというと、例B(R.シュトラウス、「ツァラトゥストラはかく語りき」)になる。舞台上の弦楽器をご覧になるとわかるように2人1組で譜面を見て演奏するが、その単位をプルト(Pult)という。この例では細かな説明は省略するが、じつは全てのプルトが全く違う譜面を見て演奏しているのだ。しかも、この3小節の中においても、ある時は他のプルトと合体したりある時は分離したりと複雑な動きをする。それなのに散漫な印象にはならず、じつに豊潤な響きで楽しませてくれる。


 管楽器と比べて弦楽器のほうが人数が多くて、なぜか不公平な感じもしないでもないが、つまり弦楽器群というのは、さまざまな可能性を秘めているのだ。どれほど管楽器が増えても、オーケストラは弦楽器あってこそなのかもしれない。

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