ayaseさんからいただいた「あけましておでん」。
謹賀新年。「きのこ」が刺さっていますよ。フフフ。

日記 2004年1月
[別れではない]
2004年1月29日(木)〜31日(土)
山奥の奥の奥の奥
夜明け前。祖母の姉が急に亡くなったという知らせを受けた妻は実家の母を車に乗せ、四国まで行くことになった。
祖母の姉は愛媛県の山奥の奥の奥の奥でひとり暮らす仙人みたいなひとだった。山奥の奥の奥の奥は先日降ったという雪がまだ残っており。

牛舎の前に雪到着すると祖母が祖母の姉のなきがらの横にぽつりと座っていた。
聞けば。祖母の姉はこたつで横になったまま動けなくなったところを介護のひとに発見され、病院に運ばれたもののすぐに息をひきとったらしい。85歳だった。
長患いで苦しみ抜いたわけではなく、電池が切れたみたいにことりと逝った祖母の姉の顔はそれはそれは安らかでまさに仏さまのようだった。
牛を4頭、飼っていた祖母の姉が倒れた時、こたつの上には茶碗に盛られた「ごはん」と「リポビタンデー」が乗っていたそうだ。食事中だったのか。はたまた今まさに食べんとしていた時だったのか。それはもう誰にもわからない。けれども、その用意していた「ごはん」を、倒れる前に少しでも食べることができていれば良いなと思う。

祖母は「もっと『リポビタンデー』をのませてあげたらこんなことには」と悔いていた。祖母は「リポビタンデー」を心から信じているのだ。
いがぐりがくっついていたお葬式は翌日だった。
祖母の姉は生涯独身だったので身内はあまりいない。妻も来ておいて良かったと思った。最後くらいにぎやかに見送りたい。
祖母の姉を棺に入れ、棺を縄でぶら下げてかつぎ、その場でぐるぐると回った(そういうしきたりなのだった)。それから車に乗せられた祖母の姉はみんなといっしょに山を降り、煙になって空に昇っていった。
空はとても晴れていたよ。
しまなみ海道を通って帰った生きている人間の都合で次の日に四十九日の法事を済まし、妻たちは帰る。
姉をなくして落ち込み気味の祖母に「また来るからね」と言い、「雪がとけたら剣山に行こう」と提案すると祖母は少し元気になった。
今度祖母の家に行く時は「リポビタンデー」をたくさんおみやげにする予定。

[若くない]
2004年1月28日(水)
そうきたか
そして筋肉痛。
年齢を重ねると筋肉痛というものは翌々日にくるというお話を聞いていたので、次の日にくるということは妻も夫もまだまだ若いのだね。とふくらはぎを揉みつつふたりでやや誇らしげ。
その翌日に筋肉痛は治るどころかもっともっとひどくなるなんてことも知らずに。のんきに。

[あやしくない]
2004年1月27日(火)
いぬ
夜中に「なわとび」。
マンションの下の人気のないところを探してまずは準備運動。こんな物陰で毛糸の帽子をかぶった男女がよちよちと屈伸している姿をマンションの警備員さんに発見でもされたらちょっと怪しげに見えるはず。一目見ただけで「なわとびしてる」とわかるように早く「なわとび」を登場させたいのだけれども、仮に「なわとびしてる」ところを目撃されたところで怪しく見えるのはいっしょだった。
[選ばない]
2004年1月26日(月)
のむ勇気の出ないへんなティー(パイナップルなど)
仕事中の夫から「『なわとび』買ってきてー」とメールが。どうやら夫は健康維持の手軽な運動としてピョンと跳ぶことを突然決意した様子。しかしなぜ今「なわとび」なのか。
謎に包まれた夫のお願いを聞くべく100円ショップに出かけて行き、さんざん迷ってビニールでできたピンク色の「なわとび」を買った。
仕事から帰って来た夫は「なわとび」を見て「蛍光ピンクだね」とやや唖然としていたが、まあ良いじゃないの。と言って夫に「なわとび」を持たせたらやだ。似合う。

[寝すぎない]
2004年1月25日(日)
おばけスナック。味はふつう
いろんな夢を見て目が覚めたら午後7時だった。午後7時。すでに夜。本日の太陽は妻の知らないところで昇り、知らないところで沈んでいったのだ。自業自得のせつなさ。
すぐさま晩ごはんを作って夫と食べ、お皿を洗ったのちに冗談のつもりでソファに寝転ぶと夫が「えっもう寝ちゃうの?」と予想通りびっくりしたので「ウフフ」とか笑っていたら本当にぐっすり寝てしまい、そして妻の日曜日は唐突に終わった。

[日中がない]
2004年1月24日(土)
どんどん長い
明日の予定。
夫は愛車の部品を手に入れたので、明日は一日かけてカーをいじって過ごすらしい。では妻は。
「じゃあ妻はなにをして遊ぼうかな」と呟いてから明日は日曜だということを思い出し、「よし。6時半から『サザエさん』を観て、8時に『新選組!』だ」と言ったところで横に居た夫が「なんで妻の明日は夕方6時半からなの?」と驚いた。そういえばそうだった。

[届かない]
2004年1月23日(金)
まだやっていますブロッコリ挿し
夫が友人に出し、宛て先不明で戻ってきた年賀状。今ごろになって夫のかばんから出てきたのでなんとはなしに眺めている。妻はこのお年玉くじ番号に見覚えがある。見覚えが。たしか数日前に恋焦がれて望んだ。この番号。「83」。あっ。
驚いて夫に「このはがき『切手シート』当たってるわよっ」と叫んだら夫はにやりと笑って「あいつも引越しさえしなければ」と言った。まったくどこで損(130円)をしているかわからない。

[灯さない]
2004年1月22日(木)
おどろおどろだった
食卓の上の電球が唐突に切れた。電球はいつもいつも唐突に切れるので困る。妻が明日の買い物メモに「電球」とこりこり書いていると夫がなにやら思い出して「あっ電球あるよ」と言い、そうして持ってきてくれたのは数年前に買った雑貨屋の福袋に入っていた裸電球だった。箱には「パーティ用」と書いてあり、中には真っ赤なガラスの電球。赤…。
とりあえずつけてみると部屋はとんでもなくあやしい空間へ。まるで写真部の暗室か占いの館。赤い電球にてらてらと照らされた「お刺身」がものすごくまずそうだった。こんな「パーティ」はいやだった。

[言葉はいらない]
2004年1月21日(水)
すごい雲を見た
缶カラごみの日。
会社に行く準備をして靴をはいていた夫があらかじめ玄関に出しておいたごみ袋を見つけ、「これ、アレしとけば良いんだね」と言ったので妻は「できればナニしてくれると助かります」と返事をした。夫は「うむ」とうなずいてごみ袋を下げて玄関から出ていった。
もう会話が熟年夫婦のそれだ。

[せつない]
2004年1月19日(月)
イメージでいうとこんなかんじ
荷物を送りに郵便局へ行こうとマンションを出た妻を襲った突風は。荷物の上に乗せておいた記入済みの「お届け伝票」を空に舞い上がらせ、数十メートル先に吹き飛ばした。妻は激しくうろたえながら荷物を置いて猛ダッシュ。それがなくなると困るのだ。いろいろと。
やっと追いついて急いで拾い上げようと腰をかがめた途端にまるでなにかのコントみたいにまた突風が吹き、「伝票」はがさがさと転がりながらさらに向こうに飛んでいった。そしてまた全力疾走。の繰り返し。寒空の下。妻踊る。

[出せない]
2004年1月18日(日)
腹立たしい目覚ましちゃん
午前3時。
明日は仕事なのに何度言ってもいつまでたっても眠ろうとしない夫にとうとう「早く眠らないと蛇を出しますよっ」と言ったら夫はびっくりして風のように寝室に飛んでいった。
はったりの言葉として。意味不明な脅し文句はわりと有効なことがわかった。

[例えない]
2004年1月17日(土)
まずい店
夫が「『うこん茶』が身体のどこかに良いらしいよ」と言ってなにやらのみたそうにしていたのでスーパーで茶葉を買って来た妻だった。
元来保守的で平凡な味を好む妻なのでその「うこん」という名前と紙パックに入った茶葉の木くずのような色にいささかおののき、できるだけひかえめに煮出してみるとうすいうすい黄色のお茶ができた。のんでみる。おお。これは。「これは四角い『ひのき風呂』をわしっと噛み砕いた味よね」と感想を述べたが夫は「ひ。ひのき風呂?」と首をかしげて賛同してくれやしなかった。

[わざとじゃない]
2004年1月16日(金)
潤いを
夫が目薬をさそうとしていたので「それ妻にやらせてください」と言ってなかば強引に奪い取り、夫を寝転ばしてからやや真剣に夫の目の◎の部分に狙いを定めていたらそれまでおとなしくわなわなと目を見開いていた夫が突然「いやっ」と目を閉じて「なんで黒目のまんなかを狙ってるのっ?」と叫んだ。そういえば普通は目の白い部分にポトと落とすのだった。つい的を狙ってしまうのは人間の習性か。夫は目薬片手に真顔で上から近づいてくる妻がそれはもう恐ろしかった様子。

[発表しない]
2004年1月15日(木)
バボちゃん(名前)
新聞をくまなく見、「お年玉年賀はがき」の当選番号発表を探したがどこにも載ってなかったのでインターネットで調べてみたら「当選番号の発表は18日です」と書かれてあった。妻は今まで毎年1月15日に発表するものだとなんの根拠もなく思い込んでいたのでがっかりし、散らばしておいた年賀状をまた片付けた。
こういう勇み足気味の人間の持っている「くじ」はたいてい当たらない上に、かんじんの我が家に来た年賀状は100枚にも満たないのだからわりとお話にはならないことを妻は知っている。だけど欲しいじゃない。切手シート。

[考えない]
2004年1月14日(水)
冬は潤いが
夫のパソコンをチラとのぞくと「買い物の心得」のようなものがぱちぱちと打ち込まれた画面。読むとなんだか苦悩のあとがうかがえる。なにかあったのかしらん。な。なにが欲しいのかしらん。夫は日々いろんなことを考えている。

[できない]
2004年1月12日(月)

冷たい冷たい雪山に行ったせいでどろんどろんになった車を洗うべく、近所の「カーピカランド」とかいう洗車場に出向く。夫がホースの先についたマシンガンのようなもの(レバーを引くと水がズバーと出る)を持って踊るように車をびしょびしょにしている間、妻は傍らに突っ立ってぼんやり見学したり意に反して水しぶきを浴びたりしていたが夫があまりに楽しそうなので「妻にもやらせてくださいな」と言おうと思ったら「放水時間」が終わったらしく、ホースからの水は突然スバっと勢い良く止まったのだった。無念。

[丸まらない]
2004年1月11日(日)

天国夫と妻は「雪だるま」が作りたくなったので車に乗り込み北ヘ向かったのだった。しかしどこまで走っても雪がない。ショック暖冬。あきらめきれずに高い山をどんどん登ったらてっぺんに着いた瞬間に急にあたり一面真っ白になった。
あったあった。雪が。

歩き回る雪があったことに安心してそのへんの露天風呂につかったりしているうちにすっかり暗くなってしまい、夫とあわてて雪だるまを作ろうとしたのだけれども雪がさふさふの粉雪で丸まらない。もっとびたびたの雪求む。
しかし道路が凍って山を下りられなくなったら(もしくは車ごと滑り落ちてしまったら)たいへんなので小さなこなごなの「雪だるまを」かろうじて作り、無理矢理おのれを納得させて山を下りる。

こなごなゆっくりと山を下っていると道を曲がったところに鹿がいた。まるまるとした。野生の。
鹿は我々の車のライトを浴びた瞬間に道のまんなかで立ち止まり、こちらを見たまま微動だにしないので妻と夫もなんだか動いてはいけないような気がしていつまでもそこに居た。そのにらみ合いは鹿が飽きて山の中にぱかぽこと消えてしまうまで続いた。

[それがどうした 文句はない]
2004年1月10日(土)

らっ妻の両親を誘って「ボーリング」をする。夫も妻も父も母も「ボーリング」なんて久しぶりなのでさぞやみっともないゲーム展開だろうと思いきや真剣勝負。結果は父が1位。以下だんご。
「ボーリング」で遊び心を刺激された母は、帰りじたくをしている妻に向かって妻のもっとも苦手としている分野のひとつである「カラオケ」に行きたいと言い、そのまま「カラオケ」に。ソファに腰かけて「浪速恋しぐれ」の間奏にあるセリフ(父「酒もってこい!」母「のみなはれ!」)まできっちり叫ぶ両親にぱちぱちと拍手。

[包めない]
2004年1月9日(金)
へんな絵
妻は昨日の夜中に突如として「ぎょうざ」が作りたくなった。一度思い出すと止まらず、そわそわして眠れない。やわらかい皮でもって優しく包んだりしたい。じりじりと夜明けを待ってスーパーに飛び込んで「ぎょうざ」の材料を買い込みさっそく作ったが中の具を刻むのに手間取り、やっと包める段になった頃にはもうすっかり「ぎょうざ作りたい熱」は冷めており。結果的におざなりな「ぎょうざ」が大量にできた。

[空回らない]
2004年1月8日(木)
台所を掃除
「大阪ガス」のひとが点検に来る日。夫が「万が一『ガスのひと』に変なものを売りつけられそうになったら逃げるんだよ」と言って会社に出かけて行ったので妻はがんばる。まるで「押し売り」を迎えるような気持ちで「ガスのひと」を待つ。
果たして約束した時間どおりに「こんにちはー」とやってきた「ガスのひと」はさわやかに台所のガスコンロの火をつけたり消したりし、「異常ないですね!」とニッと笑って「暖房中も忘れずに換気をしてくださいね!」と親切なアドバイスまでし、「あんしんガイド」という冊子をくれ、「さようなら」と帰って行った。100点。
そしてもてあます妻の「押し売り対策臨戦体制」。

[言えない]
2004年1月7日(水)
「あーれー」の図
デパートで。「贈りものにしたいのです」と言って購入した品物が、ずいぶん長いこと待たされたのちに悪戦苦闘のあとが残るたるみきったべろんべろんのプレゼント包装をされて「このようになります」と出てきた場合。ほかのひとはどうするのだろう?
妻の場合。待っている間じゅう「ぴんと張った包装紙にリボンなんかがかけられている素敵なラッピング」などを想像していたので、そのわけのわからないところから包装紙がべろんと出ている「まったく新しいタイプの包み方(ぐじゃぐじゃ包み)」に正直「あんまりだ」とショックを受けつつも「こちらでよろしいですか」と言う店員さんに「あい」と返事してそれをぶら下げて帰るのです。

[割れない]
2004年1月6日(火)
割れてないたまご
「生たまご」のパックを買ったのをすっかり忘れて台所の床にどしっとスーパーの袋を置いたらたまごがひとつひび割れてしまった。それがまた器用なことに完全にたまごの形を残しながら全体的にばりばりに殻が砕けていたので中身がでろりと出てくることはなかった。こういう割れ方はそうそうできるものではない。そんなすさまじくどうでも良いことになんとなく感心してその「ひび割れたまご型たまご」を眺めたりそっとなでたりしていると夫が帰ってきたので慌ててそれをフライパンで焼いてふたりで食べた。

[ぱっとしない]
2004年1月5日(月)
パインあめ
今日はおみやげにもらった「かにマヨネーズポテトチップス」を食べ過ぎて胸を悪くしたり、お風呂場に「かびキラー」をあわあわと振りまいてそれを思いきり吸い込み胸を悪くしたり、大昔にじぶんが撮影した手ぶれ満載のビデオを見て三半規管をやられて頭を悪くしたり、正月明けからぱっとしない妻だった。

[眠るわけにいかない]
2004年1月4日(日)
外で食べたことないなあ「おでん」
お正月休み本日でおわり。明日からはまた日常なのだった。
しかしこの9連休でのびのびとはぐくんだ夜更かしの習慣が抜けずにぼんやりしてたらもう午前も3時。さすがにまずいので夫に「そろそろ寝ましょうね」と言うと夫ははっとして「そういえば明日は『社長の新年のごあいさつ』があるから午前6時台の電車に乗るのだった」と言った。そんな。あなた。
緊張して眠れず。

[旅日記・タカマル一家、橋を渡る]
2004年1月2日(金)〜3日(土)
猫ニャー
義母が唐突に「お正月は家族で旅行したいわっ」と言ったのは去年の11月だった。遅すぎる。義父母と義兄夫婦、我々夫婦。そして夫の祖母。総勢7名。多すぎる。話の流れで旅館予約を任された妻は必死でそこいらじゅうに電話をかけ、ようやく7名泊めてくれる旅館を見つけることができたのだった。場所は徳島県。四国。妻は実際四国に行きすぎだと思う。妻の意思とは別のところで四国地方とどんどん親密になってゆく。

すっぴん徳島!(徳島県の宣伝文句)朝。
集合場所に着くとみんながみんな「カメラ」を持っていたのでたまげた。義父がビデオカメラを。義母がAPSカメラを。義兄が8ミリカメラ。義姉が一眼レフカメラ。夫タカマルがデジタルカメラ。そして妻はデジタルカメラとポラロイドカメラと一眼レフカメラを持っていた。
そんなにいりません。

「渦の道」。「の」が良い車をどんどんと走らせて「明石海峡大橋」を渡り、鳴門海峡の渦が見える「渦の道」に行く。妻は渦を見るのは初めてだったのでとても楽しみにしていたのだけれど、偶然にも「お正月に鳴門の渦を見たい」というひとがたくさん居たがために到着目前にして渋滞にはまる。みんな渦が好きか。そんなに好きなのか。

まんじりとして待ち、やっと駐車場に着いた頃にはやや満潮時刻を過ぎていた。急ぐ。

ガラスが割れたらこわいと言うよりむしろ恥ずかしい海面より45メートルも上にある橋のガラスの床に勇敢に立ってみる妻。しかしながら海は凪。妻は洗濯機の中みたいな(もしくはラーメンに入っている「なると」みたいな)ごうんごうんした盛大な渦を期待していたのにがっかりだ。せっかく来たのに。あきらめきれずに義母らと海面を凝視。潮の流れの加減でほんの少しだけくるくると回る小さな小さな渦を目ざとく発見して「あっ。あれよあれが渦よ」とおのれをごまかす。
それにしても海の上は寒いの。

ええ食べましょう義兄が「『わかめ』を買います」と言うのでぞろぞろとおみやげ物屋さんへ。義母、試食で食べさせてもらった「わかめ」に感動。ものすごい勢いで「これをいただくわっ」と言い、店の「わかめ」を豪快に買い占めていた。お店のひとは喜び、「おまけ」にキャラメルを1箱くれた。それを見た夫の祖母がなぜか「わたしにもなにかちょうだいな」と言い、なんでかわからぬがもう1箱キャラメルをもらっていた。ばあちゃんなかなかやるね。

そんな愉快な様子を妻は遠くからビデオカメラで撮っていた。

お花ちゃん大量の「わかめ」を抱え、やや遅くに予約していた宿に到着。宿は徳島市内の山のてっぺんにあった。夜景がきれい。
晩ごはんはごちそう。妻は義兄にすすめられるがままにお酒をのんで良い気持ち。妻はお酒をのむとおおらかになるよ。

そのあとは大の字で眠る義父をビデオカメラで撮影したり、その義父と同じ格好で眠る夫タカマルも撮影したりする。親子なのだ。

「ラグビー饅頭」が売られていた翌日。義兄の提案で「うだつの町並み」がある脇町に行く。江戸時代に商人の町として栄えた古い町並みが残るところ。
これが「うだつ」です「うだつ」というのは隣の家との境に造られた防火壁のこと。造るのにものすごくお金がかかるらしく、「うだつ」のあるおうちはお金持ち。という富の象徴みたいなものだったそうだ。「うだつが上がらない」という言葉はここから出来たのだとか。
実際見てみると「防火」の面で役に立つかどうかは謎。「夜這い防止」のために造られているという説もあるみたいだけれどもこれも効果があるのかは謎。男性だもの。「うだつ」もハードルみたいにひとっ飛びな予感。ひらりと「うだつ」を飛び越える忍者のような男性を想像して妻だけひとりで江戸ロマン。

それにしても趣きのあるすてきな風景だったので、多すぎるカメラを持ち寄ってのタカマル一家大撮影会が始まる。

寒い妻は夫の家族と旅をするのは初めてで、こんなに大勢で旅をしたのも初めての経験だった。当たり前なのだけれども7人はそれぞれに意思や思惑や、欲望なんかを持っていてそれを満たすためにみんなほうぼうに散るのでまったく先に進まない。結局500メートルしかない「うだつの町並み」に我々は3時間も立っていた。
妻は元来のんびり者だけれどもひょっとしたらせっかちなのではあるまいか。などと。みんなが愉快に写真を撮っている間じゅうなぜか妻ひとりで人生を見つめなおす羽目に。

「パラダイス」ではなにもしなかった義父が「この近くに『日本版グランドキャニオン』があるよ」と言う。そのグランドキャニオンは「土柱(どちゅう)」という名前なのだそうだ。名前だけではわりとわからない。とりあえずぞろぞろと行ってみる。
車を停めるとそこは「土柱パラダイス」という名前のおみやげもの屋さんの駐車場だった。びっくりするほどさびれているのにパラダイス。
「土柱パラダイス」のほかには「土柱ランド」や「土柱どんどん」というお店も隣接していた。なにこのセンス。

ピンポレ(仮)「土柱」とは切り立った断崖が長い年月をかけて風雨に侵食されてできた土の柱のこと。なかなか貴重な地形だそうだった。それにしても「どちゅう」という名前がすごいのかすごくないのか。もっと愉快な名前にすると知名度も上がるのではないかなと思う。例えば(あくまで例えば)「ピンポレ」とか。

楽園というかんじでもない「土柱」からの帰り道。またも「パラダイス」。「パラダイス一袋100円」の下には野菜が売られていた。なにがなんだかというかんじ。

たらいうどんもう夕方。次は義兄が調べてくれた「たらいうどん」を食べに行く。妻は「たらいうどん」という名前を初めて聞いたのでなんだろうと思っていたけれども案の定大きな「たらい」にゆで汁ごとぼがーんとぶちこんだ「うどん」がぼーんと出てきただけだった。スケールがでかい。
一度「香川の隣だからおいしいだろう」と安易に考えて入った徳島のうどん屋さんで悲惨な目にあった妻だったので最初はひるんだが、なかなかおいしかった。お昼ごはんを食べていなかったのでみんなすさまじい勢いで食べ、うどんは数分ののちにすべてみんなのおかなに吸い込まれていった。

リアルでこわい「たらいうどん」のお店には「こびと」が飾られていた。なんだか人数が変よ。
ためしに夫に「『こびと』は何人だったっけね」と聞くと夫は「13人」と適当に答えた。本当は7人。でも11人の『こびと』がそこにいた。どさくさにまぎれてまんなかには「ピエロ」の人形もふたつ置いてあった。
細かいことは気にしない。

早めのライト点灯を満腹で車に乗り込んで神戸に帰る。行き当たりばったりのわりにこの充実度。
帰ってからみんなで撮っておいたビデオをみてげらげら笑って正月行事おしまい。

[祈るしかない]
2004年1月1日(木)
夫は小吉でした
明けて1日。夜中に近所にある「海神社」というとても素敵な名前の神社に初もうで。賽銭箱の上の大きな鈴をがろがろと鳴らして要約すると「なにごともなく達者でありますように」ということをお願いしてからおみくじを引いた。みくじによると今年の妻は

「時が来れば暗雲も去り、照り映えるもみじのように輝かしい運が向いてきます。が、調子に乗ると幸運は逃げます 中吉」

だった。「戯れの恋はだめ」「酒に溺れるのもだめ」とも書いてあった。つまり今年の妻は清く正しく時が来るのを待っていれば良いのだ。わりと無理難題。妻はどちらかというと「ほんの少し清くないこと」や「ほんの少し正しくないこと」が得意なのだけれどそんなこと気軽に神様に言えやしないのでがんばる。

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