日記 2004年6月
[食べない]
2004年6月30日(水)

前世は「食パン」というのも良いなあなにかの拍子に「前世」の話になる。
夫に「妻の前世はなんだったの」と聞かれて妻が「イカ」と即答すると夫は驚き、「人間じゃないんだ…」と感想を述べたあと「どこかで調べたの?」と言ったが実は妻はどこでもなんにも調べてはいないのだった。でも口について出たのは「イカ」。なので、きっと妻の前世は間違いなく「イカ」なのだ。脳細胞のレベルで「イカ」なのだ。
それはそれとして。インターネットで調べてみると世の中にはさまざまな「前世占い」のサイトがあり、それと同じ数のさまざまな前世が用意されていた。ためしにかたっぱしから占ってみると妻の前世は「遊女(おいらん)」から「昼用ナプキン(薄型)」までいろいろだった。妻はどんなふうに「昼用ナプキン(薄型)」としての人生を歩んだのか。「初日はつらいよ」が口癖だったと書いてあった。それはいったどんな人生なのか。
またそれはそれとして。妻の「イカ」を「人間じゃないんだ…」と言ってぼうぜんとしていた夫の前世が「ピータン」だったことがなによりも愉快でした。

[遊ばない]
2004年6月25日(金)

小布施堂の栗落雁
砂抜きのつもりで塩水をはったボウルに買ってきた「はまぐり」を沈め、しばらくしてから見てみると「はまぐり」はそこらじゅうにピューと勢い良く水を吹いており台所は水びたしになっていた。びっくりして慌ててふきんでびしょびしょになった床を拭きながらボウルに顔を近づけて「はまぐり」に向かって「ばかー!」と叫ぶとどうやら声は届いたらしく、貝の間からデロとだらしなくその身を出していた「はまぐり」たちはそそそと静かに貝の中に隠れた。そのさまが存外愉快だったので妻はそのままじっと「はまぐり」を監視。それからまたも身を出してはピューと水を吹く「はまぐり」とそれを阻止するべく叱ったりつついたりする妻との大攻防。夕方ごろにはすっかり「はまぐり」に情が移ってしまって困った。でも食べた。

[食べ物に例えない]
2004年6月24日(木)

ごろり妻がソファで「寝大仏」のようにごろりとしていると夫がやって来て妻の腰を触り、「腰骨のあたりってなんかわからないけど好きだなあ」と言った。身体のどこでもなんでも「好きだなあ」と夫に言われて嬉しくない妻なんていないので「エヘ」とか「ウフ」とか喜んでいるうちに、妻の腰骨の上に手を乗せたまましばらく考えていた夫はぽんと手を打ち「そうか『フライドチキン』に似てるからだ」などと無邪気に言って、しまいにはクリスマスに食べるアレに例えられてしまった。

[いらない]
2004年6月21日(月)
「あじさい」は淡いのが良い

夫の部屋がいかんともしがたい状態(床が見えない)だったのでせめて掃除機がかけられるぐらいにするべくいそいそと片付けをしていたら部屋の中から「懐中電灯」が3つも4つもざくざくと出てきたのでやや困り。
妻は「懐中電灯」は持っていないし、結婚後も購入したりはしなかったのでこれらはすべて夫のもともとの持ち物ということになる。いくら非常時の備えとはいえ。こんなにたくさん「懐中電灯」があるといったい夫は「暗闇」が好きなのか「明るいの」が好きなのか結局どっちなのかと問いたいかんじだ。

[きたない]
2004年6月20日(日)
もう夏だ

休日出勤の夫をお見送り。本日の「ひとり『サザエさん』鑑賞」決定。日曜日。やることなし。
椅子に腰かけてぼやんとしながら片手に持っていたお茶を口に含んだ瞬間にくしゃみがしたくなった妻は、口の中のお茶をのみ込むこともできず、かといってくしゃみを止めることもできず。口にお茶を入れたままくしゃみが出来るかどうか1秒くらい考えてから「いける」となんの根拠もなく思い、「いや待て待て」とかまた1秒かけて思いなおしたりしているうちにそのままぶえーんとくしゃみが出、お茶はくしゃみと一緒に妻の口からきらきらと勢い良く部屋じゅうに散ったのだった。
そして妻には「拭き掃除」という本日の予定が出来たのだった。良かった。良いわけなかった。

[ほったらかさない]
2004年6月13日(月)

朝ごはーん
結婚してからは家事などがしやすいようにきちんと切り揃え、デートに出かける時以外はほったらかしだった妻の爪。例のきまぐれによって突然考えを改め、常にほんの少し伸ばしてきれいに形を整えてマニキュアをしている。きれいにしておいて損をすることなどひとつもないのだった。せっかくおとなになったというのにばかだった。
そして本日もせっせと爪を磨き、新しく買ったマニキュアをぺたぺたと塗ってうっとりしていると夫がやってきて妻の爪を見、「わあ」と言ったあと「大丸デパートの1階みたいな爪だね」と誉めてくれた。妻は夫のこういうとぼけた物言いがとても好きなのだった。

[旅日記]
2004年6月7日(月)〜9日(水)

誰もいないなまた四国。また祖母の家。
最近ひざが痛いと言う祖母を心配した母が様子を見に行くというので運転手として同行します。孝行もできて母も祖母も妻も幸せ。
天気は。全長400キロメートルを運転している間かっと晴れたり曇ったり雨がばらばらと降ってきたり。そして蒸し暑い。まさに梅雨。

うわさのエリエール四国に行く時は毎回どこかしらで遊んでいる母と妻だけれども、あまりの暑さに今回は寄り道せずにまっすぐ祖母の家へ。
製紙工場がたくさんある街のサービスエリアで休憩。「いくら製紙工場が有名だからってレストランに『エリエール』という名前をつけるのはどうなのか」と母とげらげら笑いながら食べたうどんが最高にまずい。途端に無言。笑った罰か。
香川県でおいしくないうどんを食べるほど物悲しいことはない。

妻愛用トランク明るいうちに祖母の家に到着。
祖母は最初こそ元気がなかったものの、話をしているうちにいきいきとしはじめた。さては寂しかっただけか。
聞けば祖母はこの2ヶ月の間、ひざの痛まない時を見計らっては和歌山を旅行したり京都に遊びに行ったり果ては大阪の「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」にまで行っていた。83歳の老婆がユニバーサル・スタジオ…。そんなことばっかしているからひざが痛いのではないのかばあちゃん。

ずっと招いている祖母は「和歌山でハイカラなものを買ってきたぜ」と言って金色のぴかぴかの「招き猫」を持ってきた。電池を入れると「招き猫」の左手が音もなく延々ゆらゆら動いて手招きするというしろもの。どこを見ているのかわからない上に、視界の端にふとこの「エンドレス招き猫」が入るとちょっとぎくっとする。つまりわりとこわい。しかもぜんぜん和歌山県にちなんでいない。
「よかったらあげるぜ」と言う祖母を傷つけないようにやんわりと話題など変えたりしながら回避。

なんかくれ家の裏に黒いうさぎが居たので祖母に「あっ。うさぎさんが居るね」と言ったのに「そんなのは居ない」の一点張りでまったく話がかみ合わない。しかし実際にここで「きゃべつ」を食んでいるのはうさぎさんなのでは。と思っているとかなり後で祖母は「うちには『イサムさん』なんて居ないはずじゃがのう…」と言った。孫である妻が。裏庭に続く勝手口の戸を開けて立っていて。片手に「きゃべつ」を持っているという状況で。なぜ「うさぎさん」を「イサムさん」と間違うことができるのか。「ずいぶん大胆な聞き間違えだね」と言うと祖母は「オホホ」と笑った。「イクラ」と「オクラ」を聞き間違うのとはわけが違うのだ。祖母はあいかわらずだ。

小さい柿の実が翌日はひざの痛い祖母にあの老人必須アイテムである「椅子のついている押し車」を買いに行く。お花の柄のついた良いかんじの「椅子のついている押し車」を購入した祖母は、お店から出るや否やその「押し車」の椅子の部分にでーんと腰を下ろし、後ろを振り向いて「押してもいいぜー」と言った。言われた妻は「よしきた」とか返事をして祖母を乗せたままその「押し車」をころころと押して移動したが果たしてこれはこういう使い方をするものなのか。壊れないことを祈りつつ。
それから「押し車」に乗せた祖母を連れて近くのホームセンターで生活用品や花の鉢植えなんかを買う。お店の中で買い物をしているあいだじゅう、祖母は「押し車」に座っていたのだけれどもそれを押す母や妻に負担をかけないようにかずっと座ったまま足を床につけてぱたぱたと動かして一生懸命漕いでいた。そっちのほうがひざに負担がかかるような気がするのだけれどもどうだろう。

ニャー家に帰って祖母と母は庭に出て先ほど買って来た花を花壇に植えたりして楽しんでいる。妻は家の中でふとんに寝転がって本読み。そんな誰もいない家の中で突然がたがたと音が。外からは祖母と母の笑い声がする。誰だ。いったいなんだ。妻は茶色くなって本を床に置き、おそるおそる部屋の入り口を見ようと振り返ったらそこに見たことのない猫が立っていた。固まる妻。と猫。しばらく見つめ合った後、猫は妻に向かって「ニャー」と言った。
祖母に聞けばこの猫は隣の家の猫だそうだった。猫はふわふわで美人でおとなしく、なぜだか猫にはあまり好いてもらえない妻だけれども、しばらく遊んでくれた。なごんだ。

これが「アラくまさん」的けもの道翌日。
祖父の墓参り。細い細い山道(道の横は奈落)を車でどんどん登り、それから歩く。祖父のお墓まで辿り着くためには誰も通らない草木が生い茂った「アラくまさんさようなら」的けもの道をわさわさとかき分けて進んでいかねばならず、虫の苦手な妻と「へび」が世界一嫌いな母と虫も「へび」も嫌いじゃないけどひざの痛い祖母は半分泣きながらお参りしたのだった。あんなの道じゃない。

じゃーお墓の前の祖父に向こう見ずの祖母をよろしく頼んで山を降り、祖母を家まで送って妻と母は帰る。あんまり無茶をしないようにと500回くらい言って帰る。また来るよ。

かばんを下げて家を出ると昨日の猫が見送りしてくれた。またなごんだ。

フタミンCの海岸帰り道。お土産を買うべく海沿いの「道の駅」に寄る。ここは「しずむ夕陽が立ち止まる町 双海(ふたみ)」というキャッチフレーズがついていて、少しばかりロマンチックなのだけれど確かに海も浜も夕陽もとてもきれいで妻は気に入っているのだった。
しかし少し前から「恋人と来るとどうにかなれる展望台」を作ったりだとかいきなり浜辺に大きな「モアイ像」が突き刺してあったりだとか、わりとおかしなことになってきていたこの双海。今回は「特産品センター」がなぜだか「フタミンC」という名前になっていた。フタミンシー…。いつのまに。いったいなんのために。

夜露まるまる気を取りなおして「フタミンシー」にて揚げたての「じゃこ天」を買う。夫の好物。お店のひとが入れてくれたパッケージの上には

「じゃこ天に なった魚に 礼を言う ツルコ」

と書かれていた。なぜか一句詠まれている。そして誰なんだ。ツルコよ。
こうして母と妻は「じゃこ天になった魚」に礼を言いつつ四国をあとにして旅終わり。

[そんなにいらない]
2004年6月4日(金)

もっとぶあつく焼きたい
「たくさん歩いて健康に」とかなんとかで少し前に会社から「万歩計」を支給され、素直にそれを腰につけててくてく歩いている夫を見ていたらなんとなくうらやましくなってきたので妻も5年ほど前に買ったおもちゃの「万歩計」(ピカチュウがついている)を出してきててくてく歩く今日このごろ。すぐに真似。
そして本日。夫は「万歩計」を玄関の靴箱の上に置き忘れたまま出勤。昼前にそれを見つけた妻は「そうだ。夫のかわりにつけといてあげよう」とまったく意味のないことを思いつき、ベルトに「妻の万歩計」と「夫の万歩計」をふたつぶらさげて散歩。ひとつ腰につけただけでもなんというか「地味に健康に気をつかっています感」が出るこのアイテムを、ふたつもつけたらさぞかしものすごい「健康感」だろうと思っていたのだけれども実際にやってみるとただ猛烈に間抜けになっただけだった。

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