デジタルカメラで [小さな旅] を楽しんでいます
このページには二本の旅または散歩記事を掲載しています。前段に見るモノクロ画像は、前回下段ににカラー画像で掲載していたものをモノクロ画像に変換したもので、後段は、新たな旅記事としてカラー画像で掲載しています。
後段のカラー画像も、半月後にはモノクロ画像へと変換され、前段へ移動させていますが、同じ画像をカラーとモノクロで見ていただくのは、モノクロ写真の面白さ、楽しさを知っていただくためにこのようなスタイルを採用しているのです。なお、ご覧になる皆様のモニタの大小でレイアウトが変わり、絵と文がごちゃごちゃになってしまうことがありますのでご了承ください。
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第百五十三話 湯西川温泉へ雪景色を愛でる旅

東京に雪が降らず、湯西川温泉の旅宿“華と華”周辺の積雪が気になっていて毎日情報を見ていたんですが、晴天の日々が続いた中で雪はどんどん消えてゆき、旅立ち前日の積雪は20cmにまで減っていたんです。
浅草から鬼怒川温泉行きの電車の車窓に見る景色は雪のない冬景色ばかりで、鬼怒川から湯西川温泉へ見買うバスも、五十里湖あたりまでは同じような冬景色が続いていたんですが、このあたりから雪を目にするようになって、ちょっと安心したという感じでした。
然し、湯西川温泉までの道はアスファルトがむき出しのままで、この日の天気も晴。このままでは20cmほどの積雪も消えてしまうんじゃないかとまた心配になったんです。
その湯西川温泉では“かまくら祭”の真っ最中で、旅宿にも、街のイベント会場にも多くのかまくらが作られていたんです。

旅宿に荷を下ろすと直ぐにイベント会場へ向かいました。宿から5分足らずの距離で、その先の河原にもミニかまくらがいっぱい作られていて夕方には灯が入るとのことでしたので、そんな灯ともし頃まで撮影を続けてから宿に戻ったんです。
イベント会場や河原の会場には観光客がいっぱいで、思ったようには撮影できませんでしたが、長靴を履いて出かけていったのは正解で、川の中に入って写真を撮ることもできたんです。
宿の飯は褒められたものではありませんでした。山菜ばかりというのは悪くないんですが、甘辛味噌味がしつこくて、私のみならず、塾生たちにも不評でした。
宿のウリの岩風呂は、この日は女性専用となっていて入れませんでしたが、男湯にも露天風呂はあって問題はありませんでしたが、教室でのゼミでは恒例となっている露天風呂での撮影は明朝へずれ込んでしまったんです。
そのゼミでは塾生たちが保ってきた作品を見たあと、旅の初日に撮ったそれぞれの写真を、TVとカメラをAVケーブルで繋いで見たんです。同じ日に同じ場所で撮った絵にも関わらず、人それぞれの感性で、見方や撮り方に大きな違いがあり、その違いを見ることで勉強になるからなんです。
然しこの宿のTV受像器は古すぎたのか、色に偏りの滲みがあるといった塩梅で、まともな表示ができませんでした。
旅宿での部屋割りはたばこを吸う人たちのたばこ部屋と、そ〜でないひとたちの部屋に別けていたんですが、ゼミはたばこ部屋で行い、ゼミが終わったあとは500mlのキリンビールクラシック缶をワンカートン(24本)持ち込んでいましたので、の飲み会、雑談会へと移り、24時前に解散してそれぞれの部屋へ戻ったんです。が、それでも飲み足りなかった人たちは非たばこ部屋で暫く飲み続けていたようでした。

朝の4時半、先ず私が起きて、同じ早起きの塾生のひとりが起きてたばこに歩をつけ、窓の外に出しておいたビールを開けたんです。冷蔵庫より冷える外気に晒していたんで、ギンギンに冷えていて、その喉越しの良さは抜群でした。
私は朝風呂に入り、着替えて外へ出たんですが、何時もなら出てくる塾生はひとりもいませんでした。
外は雪。夕べから降っていたようで5cmほどの親切がつもっていました。宿を出ると東へ道をとり旅館街の一番外れになる伴久ホテルまで歩いていったんです。宿の前に唐傘を並べた飾りがあったものですから。
唐傘は色とりどりで、中には破れ傘もあって、絵になるだろうと、往復小一時間かけ、雪道を歩いていったんです。難しい素材でしたが、撮り終えたころ、宿の仲居さんたちが出勤してくる時間になっていました。

宿の戻ると直ぐに朝食といった時間になっていました。昨夜の甘辛味噌味は一部に残っていましたが、結構あっさり味に作られていたものの、魚は生焼けといった感じで口に合いませんでした。
面白かったのはご飯で、五穀米と白米、粥とがあって、仲居さんが注文を撮りに来ると大半の人が五穀米を注文していたんです。私ひとりだけが白米って塩梅だったんです。然し、お変わりとなるともう五穀米を注文する人はいませんでした。五穀米という言葉の響きにつられたのか、TVに見る雑穀米の宣伝に洗脳されていたのか、兎に角、ここでも人間の付和雷同ぶりを垣間見たようでした。
食後はそのまま風呂場へ移動し、昨日撮れなかった露天風呂での記念写真を撮り、それぞれに荷支度を済ませてからたばこ部屋へ集まり、二日目の行動へと移ったんです。湯西川温泉最深部にある平家集落まで行ったんですが、それでもバスの出る時間目では結構時間が余っていました。この集落には500円の入園料がかかるんで誰も入らなかったようでした。

歩きましたよ、あちらこちらへ。で、歩き疲れたころにバスの始発バス停へ集まって乗り込んだんですが、このバス、40人足らずで満員となる小型のバスで、温泉街を抜ける前に満員になり、乗れなかった人には臨時のバスが出て、途中湯西川温泉駅で二台のバスを行ったり来たりする不都合なこともありましたが、何とか衣川温泉駅へと行き着いたんです。
その衣川温泉駅で昼食をとり、電車へ乗ったんですが、何やら途中で木が倒れたとかで電車はおくれていましたが、浅草へ戻ることができたんです。
今回の旅ではGR DITITALをメインにというとおり、GR DITITALを主にして撮っていましたが、デジイチのニコンも持ち込んでいたため、結構デジイチでも撮っていて、帰宅後の写真の整理が大変でした。
必要なもの、不要なものに分けて処理していましたが、今回は思い切った処理をしたんです。数週間前に向かし撮った画像の整理をしたことで、残しておくべき絵の見極めがうまくいってのことです。ときには昔の絵の再確認も必要だなと感じました。
カメラ:GR DITITAL
第百五十四話 ‘09夏期合宿ゼミで岩室温泉へ
上越新幹線燕三条駅でローカル線へ乗り換え、終着駅の弥彦へ着くと旅宿の車が迎えに来ていてそのまま宿へ。弥彦駅から岩室温泉までは車で10分、歩いても一時間弱の距離にありますが、この道の西側にほぼ並行して弥彦神社や弥彦競輪場へ行く道があるといった位置関係にあります。

弥彦駅は越後の国の一宮、弥彦神社の地元と言うことで神殿を思わせる造りになっていましたが、駅前に聳えたホテルは倒産して、廃墟同然の姿を晒していました。
宿に荷を置くと直ぐに温泉街の探訪へと出かけました。

温泉街のメインストリートには温泉街としての体裁を保っていましたが、探訪したい場所はメインストリートから外れた西側の山径沿いに多くあって、弥彦駅に近い方から弥彦温泉の散策マップを見てみると、種月寺、丸小山公園、良寛田中の松、岩室神社、松岳寺、芸妓置屋組合、明治天皇の清水、蓮華寺、新源泉、薬師堂、旧源泉があるくらいのもので、二時間弱で写真を撮りながら見て歩けるものの、結構見落としてしまいそうなものが多い、そんな散策マップでした。

一通りの散策を終えて宿へ戻ると、合宿ゼミ恒例の野天風呂での記念写真を撮ってから食事になり、大広間を幾つかに仕切っての部屋でしたが、大きな床の間のある、食事の場所としてはいい環境の部屋でした。
食事を終えたあとは、メンバーの中に煙草を吸う人が三人いる煙部屋と称した幹事部屋に集まってのゼミの時間にとなって、最初に各自が持参した作品を並べての講評をし、そのあと、この日に撮った作品をTV受像器に映し出して相互に見せ合う時間をとりました。同じ日の同じ時間に、同じように散策していながら、人によってものの見方や感じ方の違いが露わになって、作品を見る異常にものの見方、写真の撮り方が学べる時間になっていたんです。

ゼミが終われば呑みながらの雑談になりましたが、この日は珍しく23時半頃にはみんな床についたようでした。
出発前の天気予報では、もしかしたら雨にやられるかなと思っていた初日の天気も、宿に戻るまで降られることはなく楽しめたんです。夜中、外は雨になっていましたが。
一夜明けた二日目、朝食前にもう一度温泉街を歩いてみました。雲が低く垂れ込めた曇天で、食事の時間に宿へ戻った辺りで小雨になりましたが、食事を終え、9時に宿の車で弥彦神社まで送ってもらう頃には雨も止んでいました。

宿の朝食は、何処の宿も最近はバイキングになっているようで、渡された盆の更に手前から次々と盛っていったんですが、皿が山盛りになる辺りのところに和食用の美味そうなものがいっぱい並んでいたんです。取り敢えず皿に盛ったものを片付けてからと思ったものの、盛りすぎて、美味そうなものにまでは手が出なかったんです。
そんな、ちょっと悔しい思いをしながら弥彦神社の大鳥居前で車から降り、11時半に、車から降りたこの場所へ集合することを決め、一旦解散して塾生たちはそれぞれに好きなところへ散って行ったんです。が、弥彦神社周辺だけでは撮るものも限られ、みんな結構時間を持て余していたようでした。
ケーブルカーの無料送迎バスに乗って、ケーブルカーで弥彦山へ登った人、その送迎バスの通る万葉の道をケーブルカー駅まで歩いた人などいましたが、万葉の道は幾分ひんやりとした杉の森の中にあって、その西側には小さな川も流れていました。万葉の道からの戻りはその川を挟んだ反対側の道を下ってきたんですが、途中に水飲み場風の場所があって、10分ほどビールを冷やし、顔を洗って、ビールを飲みなから弥彦神社まで下って行くということをしていました。それでも時間はタップリ余っているといった塩梅だったんです。
何とか集合時間まで持ち堪えての昼食は、門前の食堂に入ってとることにしたんですが、その食堂は寂れた田舎の駅前食堂といった感じの店で、褒めようにも褒めようのない食事を無理して喉を通したって感じなんです。
食事を終えたあとは弥彦駅まで15〜16分ほど歩いていったんですが、それでも電車に乗る時間まで大分時間が余って大変でした。その電車も往路とは違って吉田で一旦乗り換えて燕三条駅まで行くというもので、燕三条駅で新幹線に乗り換えたときはホッとしたため、疲れがどっと出ましたが、取り敢えず洗面所で躰を拭き、着替えをして身だしなみを整えてから缶ビールを開けていました。
カメラ:CX1
第百五十五話 象頭山遍照寺吉祥院(高井戸不動尊)
小さな旅と言うには余りにも小さ過ぎ、また、我が家からは余りにも近過ぎる場所ですが、ちょっと面白いものを見つけましたので紹介することにしました。
所在地は、〒168-0071杉並区高井戸西1−5−44。井の頭線高井戸駅で下車し、駅下の環八を南へ300mほど下った右側に参道があり、その奥に吉祥院があります。宗派は天台宗。ご本尊は不動明王で、創建は明治16年とあります。
開基は不詳ですが 、 その昔、霊岸島にあり、明暦の大火の際に山海和尚の供養された寺と伝えられています。その後、老中首座の松平越中守定信(楽翁公) の崇信を受け、一命をかけた幕政を建て直しの意気込みで、天明八年(一七七八)正月、当院の歓喜天に願文を奉納し、寛政の改革の祈願寺として寺社奉行の松平右京亮に命じ、谷中感応寺(元天王寺)境内へ移し、寺俸二百石を寄付したとあり、また、時の輪王寺の宮が令旨をもって大寺席に班列されましたが、現在の地に移置された明治十六年の廃藩置県によって寺門の維持を失い、檀信徒協議の上、当地地主の並木卓善の手によって再興されたとあり、高井戸のお不動様として親しまれて現在に至っています。
私が吉祥院を訪ねたとき。住職は不在で、土地の古老から聞いた話では、「この寺は、成田不動、高幡不動と並ぶ関東三大不動尊として知られていて、山門を甲州街道側へ置き、関東一円からバスを連ねた講の人々のお詣りが絶えなかったと聞いています」と大寺であった昔を偲ぶに十分な話しでしたが、翌日、再度寺をお訪ねし、ご住職にお目にかかってこの話しをすると恐縮されて、「誇張して話されたんでしょうが、吉祥院(高井戸不動尊)は三十六不動にも入っていない小さな寺なんですと」と言われ、「お寺の歴史そのものは伝えられたとおりのようなんですが、古文書等は何処にも残っていないようで、確かなことは分からないんです」とのことでした。
ど〜やら私は古老に大風呂敷を広げられたようなんですが、何れにしても自宅から南東へ500mほどのところにあるお寺さんですので、時折お訪ねしてみようと思っているんです。
年中行事のなかに多く見られる護摩祈祷は、知恵の火で迷いの薪を焼くことを意味する密教の修法で、ご本尊の宝前に義則に基づく火炉のある護摩壇を置き、規定の護摩木を焚きながら火中に五穀を投じて供養し、除災招福、降魔等を祈願するもののようなんです。
その他の行事にも興味あるものが多いんですが、何分勉強不足で仏事のことはよく分からないため、時折覗いてみようと思っているんです。
[年中行事]
毎月1日、15、日、28 日:護摩供
毎月18 日:観音供
1月元旦〜7日:修正会護摩供
1月28日:初不動護摩供
2月3日:節分会大護摩供
3月節分:春彼岸会供養
4月8日:潅仏会 (花まつり)
5月28日:正五九護摩供
7月7日:盂蘭盆施餓鬼会
7月24日:地蔵盆供養会
9月節分:秋彼岸会供養
9月28日:秋季大護摩供
12月22日:冬至星供養護摩供
12月28日:納不動護摩供
12月31日:除夜
その他、毎日曜:大乗経典読誦会、御詠歌講
[絵解き]
上から順番に、山門、奥に長い屋根を持った本堂が見えます。山門を入った左側の築山には各地の講から寄せられたお不動産の石像があります。山門の左側には水子を祀った小さなお堂があります。山門の外側には御嶽神社が祀られていました。カメラ:GXR、GRD3

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