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HPの改造中に数枚の画像をクラッシュさせてしまいました。読みにくい部分があろうかと思いますが、ご了承ください。
今時大戦に国敗れ、一面の焼け野原となった新宿…。私が知る新宿は駅の東西に広がる闇市の時代に始まっています。
この頁の前段にみる絵は、そんな新宿駅東口の闇市に隣接した駅前の一等地に住まいし、見続けてきた新宿です。
昭和22年3月15日、四谷、牛込、淀橋の旧三区が新宿区として統合され、同年4月1日、戦時中の国民学校が小学校へと戻された日、私は大久保小学校へあがりました。最前列左から3番目に私がいますが、敗戦直後のことで多くの子供たちが服やズボンに継ぎあてをしていました。校舎の窓ガラスにはまだ爆風除けの和紙が×印状に貼られていました。
私があがった大久保小学校は昭和20年5月24日未明の市内西部地区をターゲットにした米B29、525機によって3600トンもの焼夷弾がばらまかれ、新宿の街とともに完膚無きまでの焼け野原にされてしまったんです。
それでも焼け野原には新宿駅舎をはじめ、二幸や三越、伊勢丹、武蔵野館、聚楽、中村屋,高野など幾つかの建物が残っていましたが、そのうちの何軒かは焼けビルになっていました。

左の写真は、今次大戦で廃墟となる前の、昭和10年頃の新宿です。画面左奥に伊勢丹、手前に三越が見えます。右奥のちょっと頭が見えているビルは新宿ホテルではないかと思いますが、定かではありません。この当時の盛り場は新宿ホテルの東側(画面奥)の三越裏から新宿遊郭(現末広亭方向)を結ぶ辺りにありました。
大久保小学校へ通うようになった翌年4月1日、靖国通り北側の一角が歌舞伎町と町名変更されていましたが、小学校への通学路となったこの一帯は、敗戦直後の食糧不足を補う芋畑になっていました。多くの餓死者を出していた敗戦直後の時期は、“生か死か”の二者択一の中、餓死寸前にまで追い込まれた区民が焼け跡を耕して飢えを凌いでいた場所です。区内の耕された総面積は128万9,000平方メートルにも及んでいたのです。
後年、新宿二丁目の赤線(旧新宿遊郭)から連なる青線が、花園神社裏を経て歌舞伎町の風林会館前辺りまで延び、そんな青線街の中を通って小学校に通っていました。

二丁目の赤線は売防法施行後、ゲイの街へと変わってしまいましたが、今も赤線時代を忍ばせる数件の建物が現存しています(写真右)。花園神社裏の青線は昭和40年代以降、ゴールデン街と呼ばれて多くの人に馴染み深い場所となりましたが、ここも往事の面影を色濃く残した場所のひとつです(写真左)。
余談ですが、赤線は警察から営業許可を得て特飲街を形成していたのに比べ、青線は保健所から飲食店の許可を得ただけの飲食店街でしかないもぐりの売春街で、縄暖簾を押し分けて入る店は何れも二畳か三畳ほどの広さしかなく、大抵は女将、或いはママと呼ばれた女性がひとりで店を仕切っているのが普通でした。稀に女の子がいても精々ひとりかふたりといった塩梅で、話がまとまれば二階へ上がって交接に及ぶといった商売のやり方をしていたのです。店は狭く、為に二階へは梯子を上がって行くことになりますが、女将やママが直接客の相手をしていた店では、話がまとまると店を閉めて行為に及んでいました。いい客を掴めば店を開けているより儲かったからです。
赤線の客の大半がサラリーマン、学生、文化人らで占められていたのに比べると、青線の客には職人が多く、料金は多少安く設定されていましたが、この種の料金はあってないようなもので、ぼられる客もいれば、ただで遊んだ上に小遣までもらって帰るといった幸運な客も少なからずいたようです。
また、赤線と違って、女の子の貸し借りは日常的に行われ、「今度うちにいい子が入ったわよ」と紹介された子が、実は隣の店の子だったということも当たり前のように行われていたのです。
新宿の街が大きく変わり始めたのは高度経済成長期に入ってからでした。右の写真に見る高度経済成長期直前の新宿駅西口はまだ闇市時代の面影を色濃く残していました。画面左手前が新宿駅西口の駅舎で、中央奥に小田急線と京王線の駅舎が並んで見えています。今、新宿駅西口の駅舎は小田急デパート、京王線の駅舎は京王デパートとなり、街の様子も一変しています。

時代は大きく変わって平成10年、新宿は江戸の昔に宿場が開かれて以来300年になるというお祝いの年を迎えていました。
新たに開かれた宿場「内藤新宿」は、巨万の富を得ることが出来る売春営業地を造る目的で、幕府に5万6000両もの大金を納め、飯盛り女と呼ばれた少女の売春婦(宿場女郎)を置いて開設された宿場町です。
甲州街道随一の売春街となった内藤新宿は、時代が明治へと移ると官許の遊郭免許地となり、吉原、州崎、品川、千住、板橋、八王子、府中、調布とともに府内九カ所に置かれた遊郭のひとつとなりました。
新宿の売春の歴史は売防法施行でその灯が消されましたが、この街が内包する猥雑さは今も昔も変わりなく、欲望の時代といわれた'80年代(昭和55年~64年)には性風俗産業、或いは射精産業と呼ばれた徒花を開花させ、今日に至っています。

その'80年代は中学校に校内暴力の嵐が吹き荒れた時代でもありました。子供たちの家出が日常化し、生まれたばかりの赤ん坊が駅のコインロッカーに投げ捨てられるといった事件が相次いで、少年の自殺者は過去最高値(昭和54年384人)を示し、歌舞伎町には昼夜を問わず徘徊する多くの子供たちの姿が見られました。
歌舞伎町を徘徊していた子供たちの中には13歳、14歳といった年代の、売春をしている子供たちが何人もいました。また、暴力団傘下に置かれた少年少女たちの愚連隊組織は10指に余り、改造拳銃をちらつかせていた少年もいた時代でした。
そんな'80年代に私は「非行の原点・新宿歌舞伎町からの報告」というレポートを月刊誌に連載していましたが、非行する少年少女たちを取材していた中で少年ヤクザと知り合い、そんな少年ヤクザたちを通じて兄い分にあたるヤクザや、その親分たちとも知り合うようになりましたが、知り合った親分たちの中に、敗戦直後の闇市時代に私を可愛がってくれたお兄ちゃんがいました。
今も折に触れて歌舞伎町に通っていますが、常識の欠片もない、我が儘のし放題に育てられた子供たちを見ていると、「子宝」も今は死語となっているのかなと哀しくなります。化け物のような山姥少女や、宵の口に多く見られる脳天気な大学生たちを目にすると、時代は文字通り世紀末だなって実感したものです。
80年代、あなたは何をしていましたか。何処にいましたか。誰と一緒だったですか。何を考えていましたか。そして今、あなたはどう変わりましたか。それとも、全く変わらなかったのでしょうか。記憶はどのように変わりましたか。それはつい昨日のことでしたか。遙か昔のことだったのでしょうか。ここらでちょっと立ち止まって自分のことを考えてみる機会が欲しいですね。
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第二話 最新の歌舞伎町関連情報
第二話は、'80年代に月刊誌へ連載していた「非行の原点、新宿歌舞伎町からの報告」の続編ということで取材を再開させたものです。月刊誌への連載は、その後、朝日新聞社など幾つかの媒体の紙誌面への取材へと変わりましたが、これまでに掲載した資料と合わせて‘新宿[歌舞伎町]漂流’という一冊の本にまとめていました。が、あれから20数年という少々長い充電期間を置いてしまい、今、やっと重い腰を上げて取材を再会したところです。この「続、非行の原点、新宿歌舞伎町からの報告」も、何れ一冊の本にと考えているのですが…。
ところで昨今の歌舞伎町ですが…
売春目的に誕生した町の歴史
戦後の歌舞伎町は青線から始まりました。新宿三丁目の、官許の売春街‘赤線’とは異なる非公認の売春飲食店街です。
元々ここ新宿は新たな売春営業地として誕生した町でしたから、歌舞伎町が青線から再生しようとしたのは理に適っていたのかも知れません。
といって新宿が新たな売春営業地として始まった町だなんて公に書けず、江戸の昔、日本橋を起点として設けられた五街道の宿駅のうち、品川や千住、板橋といった主要第一宿駅までの距離が二里だったのに比べ、甲州街道高井戸宿は四里二丁(約16km)と遠く、多くの旅人が難儀を強いられていたことから見かねた喜兵衛らの願いで元禄11年6月(1698年)、日本橋と高井戸の間に新たな宿場が設けられたものと公式に説明されています。
ところがこの喜兵衛(高松喜兵衛、後の喜六)という男、なかなかの食わせ者だったようで、「多くの旅人が難儀を強いられて…」というのは飽くまでも大義名分に過ぎず、真の狙いは女にあったのです。浅草阿部川町(現在の元浅草四丁目)の名主をしていた喜兵衛は、吉原とは目と鼻ほどの距離にいて、女が金になることや、男は女にいくらでも金を使うことを目の当たりにし、自らも売春営業地を開くべく日本橋と高井戸のほぼ中間地点にある角筈村に新たな宿場を開くことができればと考え、旅籠を建て、飯盛女(少女の売春婦=宿場女郎)を置けば遊郭紛いの一大売春営業地が形成できると目論んでいたのです。
そのために五千六百両もの大金を幕府に納めてまでも宿駅の開設をと願い、認可を得ることに成功したもので、それも品川宿に見られるような、道中奉行の管轄下に置かれた街道の要となる宿駅をと狙った強かなものだったのです。
というのも、町奉行の管轄下にあった吉原遊郭は常に厳しい監視下に置かれ、度重なる取り締まりを受けていたのに比べると、道中奉行の管轄下にあった品川や千住、板橋には町奉行の手が及ばず、喜兵衛の目には殆ど野放し状態にあると映ってのことでしだ。
売防法施行前まで続いた歌舞伎町の青線は、官許の赤線に隣接してあり、風林会館前まで続いていたのです。
今もゴールデン街や風林会館前の一角に往事のままの木造三階建(含屋根裏部屋)の建物が残っていますが、そのど真ん中を貫く区役所通りが私が通う小学校の通学路になっていたんです。そう、環境抜群の通学路にです。
こんな町の成り立ち、学校では教えてくれませんよね。歴史って、権力者にとって都合の悪いものは削除し、作り替えられちゃうものなんですよね。
[写真]風林会館軒先から見る歌舞伎町旧青線の一角
売春目的に誕生した町の歴史・第二弾
新宿の開祖、高松喜兵衛は新たな売春営業地を開くために確りとしたマーケッティングをした人物でしたが、その新宿では旅籠の飯盛り女(少女の売春婦)たちが死ぬと野に投げ捨てられ、無縁仏となっていたんです。
そんな無縁仏を集めて祀った寺が新宿二丁目の靖国通りに面してあります。成覚寺(芝増上寺の末寺、十劫山量寿院)がそれで、飯盛女を奉った合埋碑が残されています。
この寺に投げ込まれた飯盛女の遺体は二千二百体あったと言われ、大半は江戸時代のものですが、明治維新の政変時、及び同五年の娼妓解放令の頃まではまだそんな投げ込みがあったと聞いています。
明治維新の政変で多くの武家地を抱えていた新宿の荒廃は著しいものとなり、追い打ちをかけるように下された娼妓解放令で新宿を含む多くの遊郭は息の根を止められるのではないかと疑心暗鬼に陥っていたようです。が、政府は一向に取り締まる気配を見せず、その権限を地方長官に委ねていたために、吉原や根津(後に州崎へ移転)といった遊郭営業者に、新宿など旧四宿の売春業者を加え、東京府に対して‘遊女貸座敷免許願’を出し、受理されて東京府公認の遊郭として新たなスタートを切っていたのです。
明治七年発行の‘東京一覧’には、新宿遊郭の貸座敷38軒、娼妓152人、芸妓29人、茶屋59軒、一ヶ月の客数は7,440人とあり、遊郭周辺が荒廃していたにも関わらず、遊郭そのものは根強い人気を保っていたようです。
新宿とともに府内で官許の遊郭免許地となったのは、吉原、州崎、品川、千住、板橋、八王子、府中、調布の九カ所がありました。
今次対戦で国敗れ、一旦は消えかかった赤い灯でしたが、敗戦から僅か三日後の昭和20年8月18日には内務省警保局長令による国家売春組織・RAAの、進駐米兵相手の交接の場として復活し、RAA解体後の昭和21年10月4日には政府次官会議による特殊飲食店街(赤線)設置の通達を受けて売春営業は継続され、ここ新宿では駅と赤線を結ぶ線上に途切れることのない盛り場を再建させて行くことになったのです。
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まだまだHIV、AIDSの患者が増え続けています
8月22日にエイズサーベランス委員会から発表された資料に目を通してみると、HIVの感染者、AIDS患者とも30歳代の増加がが圧倒的に多いんです。
結婚をしない人たちが増えたってコトでしょうか。
援助交際と称した女子中高生たちの売春は相変わらずのようで、後を絶つ気配はありませんが、この年代の子供たちは検査すら受けず、数値には表れ難いのです。
ハイミスと言われる人たちも負けず劣らずに複数の男性を相手にした性交体験を競い合う時代になっているようですが、この年齢の女性たちに、HIV、AIDS等の増加が見られるのはちょっと驚異で、この先、爆発的に感染者や患者の増加が想像される主因になるのではないかと心配しているんです。
30歳代の女性は脂ののった魅力的な年代にあるため、ウイルスがばら撒かれるんじゃないかとね。そんな女性に誘われれば、ついて行く若者たちは多いと思いますんでね。
※ この項文末にHIVやAIDSなどの性感染症に関する話をまとめて掲載していますので参照していただければ幸甚と。
高校生の性:
全国高等学校PTA連合会と、京都大学木原雅子助教授は、全国の高校生9,600人(45校)を対象に行った‘生活・意識調査’で、高校生らの日常生活と性体験の関係が浮かび上がったと発表しました。
この調査は、より有効的な性教育の在り方と、性感性症予防の手立てを探るため、性体験の背景にある社会環境の変化や、意識を探ったものです。
それによると、携帯電話を持つ人、持たない人の性体験は、持つ人が持たない人の4倍あり、持つ人のうち、出会い系サイトを利用したことがある人、ない人とでは、ある人がない人の3倍あって、うち、出会い系サイト利用したことがある高校生の性体験率は63%に達していたとあります。
また、家族との会話が「ない」と答えた生徒の性体験率は46%で、「ある」と答えた生徒、28%の1.5倍になっていたとも。
しかし、気になる性感染症で、特にAIDS及びHIVに関してまでは踏み込んでいませんでしたが、エイズ動向委員会報告と合わせて見ると、子供たちの3年後…、いや、症状が現れる10年後が心配になります。
'04年9月27日〜'05年1月2日までの3ヶ月間の法定報告に基づく新規報告数は、HIV感染者が190件、AIDS患者は93件あり、性別に見たHIV感染者・AIDS患者とも従来同様、約9割が男性で、年齢別ではHIV感染者では20代・30代の占める割合が高く、感染者全体の75%(143件)を占めていますが、これはあくまでも表に出た数字で、数字として現れにくい10代は、深く静かに潜行しているものと見るべきでしょう。
忍び寄るヒト・パピローマ・ウイルスって何?
ヒト・パピローマ・ウイルス(HPV)って知っていますか? 今、女子中高生の間で急速に広がっている古くて新しい性病です。
HPVは外気にさらされるとすぐに死滅してしまいますが、性行為の ような密接な接触だととても感染しやすいウイルスなのです。
このウイルスにかかり易いと言われている人は、18才以前に性交を始めた人、セックスパートナーの 沢山いる人、外陰部ヘルペスウィルスに感染したことがある人などですが、クラミジアに感染した人の場合のHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染 する危険性が3~4倍と言われているのに比べ、尖形コンジロームの原因となるパ ピローマウイルスに感染した人の場合、HIV感染の危険性は11.4 にもなるのです。HIVにならずとも子宮頸ガンを誘発し、為に子宮を摘出して子供を産めない若い女性が増えるだろうとと予想されているのです。実際、子宮頸ガンに罹る若い女性は増えているんですよ。
世界のHIV感染者は4,000万人、日本は人口1億2,770万人中エイズ患者18,116人,妊婦のHIV感染者が急増しています
世界保健機関WHOの国連エイズ計画(UNAIDS)は年内にHIV感染者が4,000万人に達し、300万人がエイズで死ぬだろうと発表しています。
日本のエイズは平成四年の秋には厚生省がTVを通じた大々的なエイズキャンペーンを始めたことから、暫くは新聞、TVも関心を示していましたが、ここのところ余り興味を示さなくなっているようです。
為かどうか、先進国の中での日本のHIV感染者数は'90年代には二倍の600人以上に膨れあがり、その無関心ぶりを示しています。
気になる妊婦のHIVの感染急増も、年間125人になると推計されているのです。つまり、独身時代に複数の相手と性行為を繰り返し、HIVに感染したまま検査も受けず、妊娠して初めて感染していることが分かるというケースです。
UNAIDSが警告するように、日本はエイズに関して無知、無防備な国なのです。
その無防備ぶりは、エイズに感染しやすいといわれるクラミジアに対し、アメリカでは24歳以下の若者にクラミジアの定期検査を呼びかけ、ヨーロッパでは30歳以下の人たちに検査を義務づけているにもかかわらず、日本の厚生労働省のお役人たちは欧米を見習うことなく、嘗ての薬害エイズ事件同様にこの種の検査に関して何ら手を打っていないのが現状で、また、手を打つつもりなど全くないのが現状です。
STD(Sexuaiiy Transmitted Diseases=性感染症):
性病予防法の対象とされたいる性病は、梅毒、淋病、軟性下疳、鼠径リンパ肉腫(第四性病)の四種ですが、性感染症にはこの他にクラミジア感染症、陰部ヘルペス、尖圭コンジローム、トリコモナス感染症、陰部伝染性軟属種、カンジタ症などがあり、また、アナルセックスなど肛門を介して感染する赤痢アメーバや、A型及びB型肝炎ウイルス、エイズなども今では性感染症に含まれるようになっています。
性感染症で現在最も多いのは非淋菌性性器尿道感染症といわれるクラミジア感染症で、次いで淋病、早期梅毒、尖圭コンジローム、陰部ヘルペス、カンジタ症、トリコモナス感染症の順になっています。
国民病とまで言われるクラミジア感染症の感染者は、男性の場合性感染症感染者の40.6%、女性の場合は20.4%を占めています。
因みに、世界で最も多い性病といわれている性器クラミジア感染症には免疫は出来ず、何度でも感染してしまうという特徴があります。クラミジア感染症のみならず、多くの性感染症に免疫が出来ないという特質が見られ、淋病、軟性下疳、尖圭コンジローム、トリコモナス感染症などがこれに該当しています。
クラミジアに感染すると局部に炎症が起きますが、自覚症状は殆どないために放置されやすく、炎症した局部には当然のこと多くの白血球が集まりますが、エイズウイルスはこの白血球に取り憑く厄介な病気なのです。
為にクラミジアを放置しているとエイズに感染しやすくなると言われ、アメリカでは24歳以下の若者にクラミジアの定期検査を呼びかけ、ヨーロッパでは30歳以下の人たちに検査を義務づけています。しかし、日本の厚生労働省のお役人たちは、欧米を見習うことなく、嘗ての薬害事件同様にこの種の検査に関して何ら手を打っていないのが現状で、また、打つつもりなど全くないようです。

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