Plesented by 坂本鉄平事務所
2009年
青木悦の最新刊
3月11日の東日本大震災の後、余震に脅えながら、東京電力福島第一原子力発電所の事故に怒り、2012年夏には福島に「帰る」つもりの青木悦が、これからどう生きればいいのか、今までどう生きてきたか等、考え悩み迷いながら思いをつづったものです。自分史であると同時に、戦後の教育のささやかな歴史の記録としての側面もあると思います。
ぜひ読んでみてください。
目次
咲き乱れる放射能 ― 序にかえて
第一章 大震災に思う ― 2011年3月11日
意外にアナログだった原発
電気はあって当然のもの?
「オレたちのまちに原発は要らない」と言ってほしい
放射能てんでんこ
「節電」について細やかな配慮を
第二章 私は福島に「帰り」ます
「帰る」ところは雪うさぎのまち
「帰るところ」
産学協同路線のツケ
やっと見つけた故郷なのに
第三章 高校入試と大学入試の頃 ― 1960年代〜70年代
意外にのんきだった団塊世代の学校生活
人数が減ったなかでの現代の子どもの苦しみ
第四章 価値観を定める苦悩 ― 二ヵ月間ひきこもり 1960年代
つまらなかった大学生活
何より大切なものは「やさしさ」
第五章 自分を見つけるゆりかご ― 四万十川の四季 1950年代末
ホームレス襲撃事件と「自然」
四万十の春 ― 春は河原を走れない
四万十の夏 ― 夏は河原をつっ走れ
四万十の秋 ― 夕焼けとマンジュシャゲ
四万十の冬 ― 楽しみだった正月
第六章 私が悪いわけじゃなかった ― 幼児期から小学校時代 1946年〜1950年代
身体が記憶する幼児期の暴力
ほめること ― 第二の自我以前の子ども時代の意味
いろいろな先生がいた
私を助けてくれた先生
児童虐待は増えている
中三のときの担任が教えてくれた「命」
おわりに
定価:本体1.400円(税別)
桃の花と吾妻小富士に残る「雪うさぎ」-典型的な福島の春 撮影 工藤敏夫さん
青木悦と坂本鉄平事務所は活動拠点を福島に移しました
青木 悦 ―福島から
やっと引っ越しが、4月28日に終了しました。といっても家の中は荷物の山で、何がどこに行った? こんなところになぜいれたのよ! など、夫婦でお互いの責任をなすり合いながらバタバタしております。
一昨日(5/1)からとうとう青木悦がギックリ腰になってしまい、寝込んでおります。イスに腰かけていることも不可能で、ふとんの中で丸くなっています。
鉄平も持病が腰痛なのですが、今回は悦に先をこされ、仕方なくゴトゴトと片づけをしております。
桜は散りましたが、いまわが家の庭には、放射能にも負けず、スズランがいっぱい咲き始めました。
悦は、腰が治り次第、花畑作りを始めると息まいておりますが、今の様子ではいつになることやら……。
では皆様お元気で。