20030829の日記
20030825の日記
昔中古屋でtapeを買って、punk系には珍しいkeyboard多用ぶりが、offical album以上に気に入っていた作品。officalの1st,2ndも、PUBLIC IMAGE LIMITED、 THE POP GROUP、GANG OF FOUR同様、たまに聴き直すのだけれど。GANGSTARR同様、80年代ALTERNATIVE ROCKもわたしのなかでは音楽の極北の一つ。
そういう、思い入れ点を再評価する聴き直しは不安だった(当時のわたしを決定づけた「マジンガーZ対暗黒大将軍」や「幼年期の終わり」が、今の自分で再評価してつまんなかったら、と思うと、怖くてとてもできない。)が、今聴いてもかっこいいね。多分、この方向の音楽がこれ以降絶滅して、ここが本当に極北になってるからだと思う。
slayerだっけ、彼らのcover version昔出したのは。新譜が出た理由もheavyrock方面からのリスペクト故なのだろう。が、初期killing jokeから、初期テクノっぽいkeyboardやfunkっぽいbassといった違和感発生源を省いてhardrock+punkの轟音快感原則だけで纏めたのが今時のslash metal、heavy rockだが、違和感が面白いわたしには、それらは少し、単調すぎる。
funkyインストっぽい「MALICIOUS BOOGIE」が、黒い音楽嗜好が強まった今でのお気に入り。
終盤の展開は結構めちゃくちゃな気もするのだが、面白いから困りもの。
ラストのヤッサバ隊長はともかく14話で死んだと思ってたアスハム子分のザッキ再登場は、戦闘で意図して死人が出ていないことになるが、それはたとえば機動戦士ガンダムSEEDの峰打ちで正義っぷりを出すのとは意味が違うかに思う。
諸悪の根元といっていえないこともないアスハムが、間抜けな退場をし、世界が滅びるかもしれなかったのに、責任取って滅ぶべき「悪人」がいないラスト。
主人公たちの「エクソダス」したあと、何をするのかが結局全く描かれなかったラスト。さらに、主人公たちの三角関係もあいまいなまま。
ラストまで結局、主人公勢力とその敵対勢力とがいたこと以上に、物語的、世界観内での位置づけ(正義/悪とか、主人公の戦闘の動機となるような何らかの理念となりうるようなもの)は、不明なままだった。そして、今時そんなものを嘘臭くなく、かつ、お約束でもなく、描くことは至難の業だ。
だから、描かないという選択肢もありだ。
キングゲイナーに乗っての「ロボットプロレス」が、何らかの理念を背負って戦っているわけではなかった。それは、既に「戦い」ではないのかも。
(正義とか復讐とか人質解放とかといった理念を)何も背負わずにゲーム的な力比べバトルに終始しているアニメ「エアマスター」が、バトルが面白いときは面白いのだが、「アニメーション」的な面白さをバトルが提供しない回だと、話自体に魅力がなくなってしまっていて、ほんとに流し見になってしまう。それは、ストーリーがないゲームであれば仕方がないことだと思ってたが、実はそうとは限らないのかもしれない。「OVERMANキングゲイナー」最終話観て、少し、思った。
20030819の日記
誰もがそう言ってしまうのだろうが、ゴキゲンなR&Rとしか、いいようがないね。非オーケストラ編成であるところの68SPECIALでの前作「IGNITION!」がPOPだったのに比べてちょっと、ハワイアン、カントリー系のんびり色強。歌も悪くないが、ギターが歌ってるインスト5曲目「RAT PACK BOOGIE」の楽しげな感じが特に良し。
政治家の先生との恋の行方はうやむや?あっけなくバブル弾けて最終話「泡沫〜うたかた」で終了。打ち切りなのだと思うが、復讐話としての展開が「女帝」と全く同じだったからなぁ、しょうがないか。クラブに比べて財テクうんちく話がありふれてるのも、新味がない点か。
20030819の日記
ペダントリーでハッタリ効かすバカミステリなのはあいかわらずだが、今回の読後感はイマイチ。探偵レギュラー側の描写が多い分、犯罪・犯人側の描写が減ってしまったためか、話自体に魅力がないのが残念。今回もっとも出番の多い関口はイイが、京極堂の出動は遅すぎるし、これまで増殖し続けてた探偵部下などのサブキャラSの出演がないのも寂しい。
つまり、耐性がついてしまってるシリーズ読者に、さらに驚かすには、上下2段700ページではハッタリの分量が足りないということではないだろうか。このまま6巻以降の銀河英雄伝説みたいなレギュラーキャラの掛け合いを楽しむだけの話にならないことを望む。
確かに、これは、Traffic(ブルース色が薄いのでBlind Faithではない)持ち出したくなる気持ち、解らなくもない。インスト多め、イージーリスニング寸前のスローペースな、まったりロック、あるいは歌入りフュージョン。「大人のための」とかいう形容詞は便利だが、「成熟」してるような印象があって不正確。年相応に元気のない、というのでいいと思う。
album終盤で、歌唱力本気を見せた「horizon」や、一番派手な「walking on」が初期solo作っぽくて良かった。
20030818の日記
PC録画自体は定刻通り行われているので、BSチューナの方の電源が途中で切れたっぽい。
この日記で「DVDは買わない」と書いていたのを神かなんかに読まれていたのか。
わかりました。DVDは買います。
ちゃんと買いますから、勝手にわたしのBSチューナを止めないでください、神様。
お願いします。
20030816の日記
高音域を絞った国府田マリ子というか、くせがない声質なので、良くも悪くも「うたのおねえさん」っぽい。作りロリ声の曲にも妙に品の良さが感じられる。中庸ともいえるが。
美少女ゲーム関連のテーマ曲集っていうと、endingを盛り上げるような、わたしの苦手なスロー・バラードがもっと多いかと思ってたんだけど、いろんな曲調があったのにはホッとした。声に引っかかりがないので、変わった曲のほうが楽しめる(作中では男性コーラス入りの表題曲が気に入った。)ということもあるし。
20030815の日記
巻末インタビューでのスーパーバイザー、監督、シリーズ構成の誰もが2ND SEASON再開に戸惑ってた旨のコメントは納得。作品自体(2ndシーズンの微妙に1stと違う感じ)からも伝わって来るし。
しかし、それにしたって、監督ぅ、最終回からもR・ドロシーの出番削ったのは、酷いですよ。スタイリッシュパクーリというTHEビッグオーのスタイルに邪魔な、オリジナリティあるキャラを嫌う意図も理解はできますけれど。
もったいない。
巻末のドロシー出番やや多めの小中千昭オリジナル脚本のほうが観たかったなぁ。
今日公開の「ゲロッパ!」at新宿東急(シネマミラノだと狭いからきついと思ってたら、少なくとも今日だけは劇場取替らしく50分前着で楽々座れてラッキー。最終的には立ち見も出ていたが)。
写真撮影禁止って言われたけれど、常盤貴子が来ないと画像撮ってもなぁ。おっさんばかりだし。
主役の西田敏行氏は他人の挨拶に「オマエノハ、ツマラン」と突っ込みいれたり、「もしもピアノが弾けたなら」歌ったり(「sex machine」じゃ何故ないんだ、っていうのはあるが)、楽しませてくれたのは嬉しかった。流石スターって感じ。最後に「夏はいろいろ凄い映画も多いし、アニメとか質も高いが、こういうロウ・バジェットの映画って少ないので、こういう映画も観てくれると嬉しい」みたいなコメントにも、ちょっとぐっと来た。
他の人のコメントと映画の内容?忘れました。だってJAMES BROWN出てないんだもん。
映画自体は、わたしの苦手な浪速人情(によって問題が都合よく解決してしまう性善説ファンタジー)もの。
ギャグがぬるすぎっていうか、ギャグじゃないんだろうな。
ネタとしてJAMES BROWN使う映画としては、物凄く不満。
JAMES BROWN好きの主人公ってことでJAMES BROWN題材にしつつも、主人公が何故JAMES BROWN好きなのかJAMES BROWNがどれほど素晴らしいものかを(観客にも登場人物にも)説明しない。主人公の過去と関連づけるとか、DVDで名演流しまくるとか、そういう手続きを踏もうとしない。
ブルースブラザースの教会(での理解不能な、しかしそうである故に凄い、啓示を受けるという)ネタ気取ったつもりのかもしれないが、あれはギャグでもあるわけだ(教会じゃ日常って説もあるが)し、「本物」力で説得したわけで。話で描写しないなら「本物」出せよ、といいたい。
また、偽JAMES BROWNの扱いも酷く、何考えているのか描写されない変なガイジンとしてのみの扱いなので、ラストで都合よく登場するが、何故彼がそういう行動したかのか理解出来なかった。盛り上げどころの一つの筈なのに。
しかも、本物が偉い人であるという描写を明確にしていないまま偽物いたぶっても、なぁ。理由なく人を殴ること自体を楽しむのをドツキ漫才っていうの?
ものまねという芸については、それなりの愛ある描写があるのだが。
なんというか、造り手(井筒監督になるのかな)には、JAMES BROWNはどうでもよい単なる素材で、関西文化圏的なものへの讃歌だけがしたかったように見えた。つまり、関西文化圏に愛がない人は無視ってこと。
関西文化圏讃歌映画って括りで言うと、気の強い女萌え、道具としての「純真な子供」っていうところでも、阪神タイガースっていう固有名詞への愛を(当然のものとして)説明しなかった「ミスター・ルーキー」に近い感じ。気の強い女萌え、主人公の人気を示す道具としての「オカマ」っていう点では「どついたるねん」か
ただ、実際のスポーツシーンが主人公描写として機能していたし、「阪神」タイガースや「浪速」のロッキーの本物出して関西讃歌するのは、JAMES BROWNの名前だけ借りて関西讃歌するのに比べて圧倒的にフェアなので、
「どついたるねん」「ミスター・ルーキー」》》(超えられない壁)》》「ゲロッパ!」
だなぁ。
それにしても一番の盛り上がり場所である、それまでのわだかまりを捨てて理解し合う親子対面シーンでいきなり音声途切れて30秒(最初10秒は斬新な演出だ、と思ったが)は、事故だったらしいから、そこで、泣ける人にはいいのかも。西田敏行主演の人情物を観に行くんだ、と決めて。
常盤貴子は美人だとは思いましたが、TVで観れるわけだしね。
あと、映画「STREETFIGHTER2」とか「3 ON 3」でも思いましたが映画と一緒に撮ったプロモビデオを流すのは、映画観客はミュージシャンのファンじゃないんだし、プロモにはストーリイがないんで、映画に意味不明なシーンが増えてつまんなくなるだけだから、営業的な事情があってもやめた方が(音楽営業的にも)いいと思う。あのOPなければCD買ってたかも、だったよ、わたしの場合。
20030813の日記
ッパイオニアまほろで放送局復活の日を聴く。二時間後BS−iで放送の「まほろまてぃっく夏のTVスペシャル」の宣伝目的番組。
高田由美のエロっつうより自虐ネタ(悩み相談での回答と100%矛盾する「ラブホテル代」のネタには久しぶりに涙が出るほど笑ったね。)が冴える。この人どうしようもなく「終わってる」(浅野真澄もこれに比べれば、まだまだ大丈夫、底は深いよ。)
すごい。
「愛と由美の、あぁ新天地」の頃はこうまで露悪オバサンじゃなかったと思うのだけれど。
いいぞ、もっとやれ。
最近第2シリーズ最終回やっと見たのだが、実際、出るとギャグになってしまう彼女のキャラって、このアニメにとって意外と重要だったんじゃないか、と思う。
アニメ第2シリーズ最終回、やさぐれ30代オヤジになってしまった主人公の前に、数十年前と全く変わらぬ姿で現れて、「だめ人間のままであっても、生きている」ことを肯定してくれる高田由美否、色条先生こそ、「もっと、美しいもの」だったんじゃないかなぁ、などと考えるのは穿ち過ぎか。
その後、第2シリーズのオチとして出て来たオーバーマインド版まほろとの再開なんて、顔が似てるだけの別人に主人公が見た幻にすぎないわけだし。
さて、今回のTVスペシャルのほうは、そんな第2シリーズ最終回とは無関係に、シリーズ前半(第1、2シリーズともに、「まほろの死」がらみの展開がなかった頃の)お気楽美少女コメディ。
良く動く絵と美少女とパロディとアイドル声優、30分に詰め込めば、妙な小細工しなければつまらない筈がない。
みなわ声が、おねがい☆ツインズの宮藤小野寺が今週お休みなので、清水愛成分が補給できて、ちょっとうれしいという事情も高評価の理由だが。
20030812の日記
雑誌を買った目当ては映画「ゲロッパ!」(「エアマスター」内でもCMやってたし混むのかなぁ。「タキシード(マジックベルトでJBダンスするJackey Chenの映画。今一だった)」「アンダーカバー・ブラザー(ルパン3世的ゴムマスクでJBに変装した主人公が敵の白人ボスにノリで「Say it roud-I'm Black and I'm Proud」を歌わせる映画。そこそこだった)」に続き、今年3本目のJamesBrownネタ的出演映画を観るべし!と思ってるので、結構初日初回を考えてるのだが。「虎ノ門」とかで井筒監督に話題性はあるだろうしなぁ。)がらみで旧譜再発のあるJamesBrown特集。
旧譜再発では、Towerrecordあたりでも置いてないのが何枚か出るみたいなのが嬉しい。とはいえ、R&Bブルース色の強い50年代の初期作品が苦手なわたしの場合、未聴テイクにこだわってCD集めるより、全盛期の作品を聴き込むほうが良かったりする。ある種金太郎飴的なfunkという音楽において、詞やメロディの目新しさを求めてるわけじゃないから。極論言えば70年代funkのみ集めたベスト盤の「In the Jungle Groove」(無人島に持ってく一枚、やっぱこれかなぁ)だけでも十分だったり。
しかし、TowerrecordのJamesBrownコーナーは行けばたいていチェックしてるつもりだったが、全盛期の70年代物でも見たことないアルバムが「レコ・コレ」には結構載ってる。今までライブブートレグかベスト盤だと思いこんでいたのもけっこうあるかも。多いんだよねJBのベスト盤。
しかし正規盤として載ってるってことは、もしかして未CD化作品?「レコ・コレ」誌読者なら当然なのかもしれないが、今更アナログ集めに戻るのは、、、再発に期待。
第2特集はSteve Winwoodだったが、インタビューがとれなかったとかで、昔所属してたバンドであるトラフィックの特集になってる。旧譜メインの「レコ・コレ」らしいかな。
わたしにとってのSteve WinwoodはWhile you see a chanceが「ベストヒットUSA」初めて観たときの1位で、まだ東急ハンズ近くだったTowerrecord渋谷店に初めて「輸入盤」買いに行った思い出の人なのだが。
Higher LoveみたいなAORにはさすがにもう興味はないのだけれど、オルガン弾きまくりみたいな評価は気になるから、久しぶりに聴いてみるかなぁ。
20030807の日記
ハイツタウン」の中に、広橋涼が選ぶ、今週の曲ってコーナーがあって、毎週、小じゃれ系邦楽をかけてるんだけど。
そのコーナーでかかってて気に入ったスキマスイッチ「view」を聴く。
vo,gと、keyboard&produceのデュオというと、打ち込み系がありがちだが、客演にb,ds,弦と人力のクレジットが入ってるし、実際「生っぽい」感じ。
by機械だってシミュレート出来るんだろうけどさ。
「view」はベン・フォールズ5タイプのピアノがんがん弾きまくりのジャンプナンバーでキーボードの人がproduceってのもうなずける。ビリー・ジョエル、エルトン・ジョン、そしてベン・フォールズ好きにはお勧め。
voが尾崎紀世彦〜オリジナルラブ田島系の和製ソウルこぶし入ってるのも、何か70年代チックで懐かしい。
c/wとは言わないのか、2曲目の「小さな手」はかなりベタな感じのピアノ弾き語りバラード。
詞は私の苦手な純粋まっすぐ寺岡呼人produce系なので、ちとつらいのだが、こっちがユニットの基本スタイルなのかもなぁ。2ndシングルも「view」っぽい曲なら買いなのだが。帯に「待望のメジャーデビュー」っていうからインディー歴あるのかな?調べてみるかな。
ちなみに、「小じゃれ系邦楽」という言葉は、私が今作った造語。
空気公団、スカパラ、エゴラッピン、椎名林檎とか、大メジャーではないが、マニア向けとも言い難いポジションの人たちで、ネオアコ、フリーソウルあたりの音楽をやる人たちを指す。一時、ミュージックマガジンの執筆者あたりで、「うたもの」という括りがあって、それに近いのだけれど、「うたもの」って分類概念は結局使われなくなったみたいだし、ちょっと分類概念としては、「飾りがないが音楽の本質であるところの『うた』が良い」的価値観入りすぎてて気持ち悪いので。
20030802の日記
1時間弱の映画でこんなに退屈するのか、私の集中力は、ってくらいに困った作品。
ジブリの人は自転車レース主催してたりするぐらい自転車レースネタが好きで布教したいがための題材選びだったんだろうな、と思わないと、何が見せたいのかさっぱりわからない。兄弟人情話か、南国風景か、夢と現実か、レース自体か。
多分、上記のいくつかは、原作マンガでは、1コマで「いろいろ事情があったんだろうなぁ」感を伝えるような雰囲気あるカットで説明はあえて省略して話を進めるコマだったんだと思う(原作未読だが)。
それを、ジブリ高畑系ならではの描き込みをして、省略せずに説明的に描いてしまってるが、話全体にそれがどういう意味があるのかは描いていない。そのおかげで、説明が「省略」されるかっこよさがなくなり、単なる説明「不足」という「失敗」になってるんじゃないだろうか。
その他の点にも、これ「失敗」してるんじゃないかなぁ、ってのは多い。冒頭、女たちのフラメンコ風踊りがあって、本物観て真面目に描いた(か、キャプチャーしたのか)ってな細かさだが、所詮はアニメの悲しさ、パタパタとロボットが踊ってるようにしか見えない。
レースクライマックスでの、マンガ顔から劇画顔に変わるのっても、丁寧にじっくりとやっちゃったらギャグにならないだろう。本作と同じく、マンガ原作の映画である「地獄甲子園」(傑作!)の外道監督顔が気がつくと変わってる、ってのがギャグの瞬発力になってるのとは、対照的なだけに「だめだこりゃ」感強し。
いわゆる「アニメ声優」な大仰で記号的な演技は枚数の少ない紙芝居に迫力を与えるためでもあるから、枚数かけてアニメーションしてればそんな記号は安っぽくなるだけで、キャラクターに存在感を与えるほうが大事って考え方には一理ある。
けれど、存在感重視の非声優キャスティングは、キャラ=非声優の等式で存在感を与えるのだから、キャラが似てなきゃまずいだろ、「モンスターズ・インク」のホンジャマカ石塚みたいにさ。バラエティでも頭の回転が遅い感のある小池栄子に、「大人の女」やらすのは辛すぎ。存在感の伝わらない棒読みは単に下手にしか聞こえない。
全体に、作り手がアニメーションっていうメディアが得意なこと/不得意なことに無頓着で、しかもその不得意をねじ曲げるほどの迫力が、ちょっといい話な物語にも、丁寧な絵、にもないという、理由ある失敗作。
やっぱ、アニメにファンタジー多いのは、そこに適性があるからなんだと思うわたしは、「となりの山田くん」などの現実指向な高畑作品が嫌いで、本作も同様の低評価。
DJ Adrian Gibson って人による(つまり、DJ:クラブの人による快感原則中心、音楽史的文脈無視での)コンピレーションアルバム。収録アーティストはfelaのバンドafrika70のドラマーtony allenしか知らないが、ナイジェリアとガーナと南アフリカの70年代の曲。そういわれても違いはわかんないけれど。
zombieのカバーはいきなりピコピコから入ってたりするが、DISCOっていうかbpm上がった分音圧が薄いAFROBEAT。アコースティックっぽいというか、仏録音版のJAGATARAを連想。歌は(felaもうまいとはいえないが)下手。
しかし、afrobeatって、BEATさえいじらなければカバーでも快感原則が共有出来るので、本作もOK。
他の曲は反復インストルメンタル多く、discoと言ってしまうにはfunk濃度高めで良し。
20030801の日記
今回は、前回でちょっと憧れてた酸素タンク浴。ベッカム氏もやってるらしいが、そもそも酸素って吸って意味があるのだろうか。
ところで、タンク外見は、白くて長っ細くて顔のところだけガラス張りの「2001年宇宙の旅」「エイリアン」の冷凍睡眠ユニット風。
実体は、顔部分がビニールで密閉された寝袋の内側に酸素加圧時の補強用金属パイプが走っている。頭の上にノズルがついてて、そっからコンプレッサのゴーゴーいう音とともに酸素が送り込まれる仕様。
加圧前は寝袋なので、潰れているのだが、酸素が送られてくると、どんどん膨らんでくる。
耳に圧力がかかって、つらいとは聴いていたのだけれど、昇圧中は確かに電車に乗っててトンネル入ったときのような感じはあったのだけれど、トンネル同様つば飲めば治る程度で、圧力(4気圧)上がりきれば、それもなくなるし。
しかし、タンクって完全に膨らんでも直径50cmぐらいなのだ。
せまい。
せまい。
せまい。
助けて。
膨らむまでの間、ずっとビニールごしに「ダイジョウブ」としか言わない店員の微妙な笑顔を観てた数分は、かなり「開けて、お願い!」っと言い出しそうな不安で、正直、心がヤバかった。今、火災が起きたら、このまま、置いていかれるのでは、とか、困った妄想ばかりしてたなぁ。。
加圧しきって、50cm径になった後は、気分的にだいぶましにはなったが、それでも相当居ること自体が辛かったってのは、(微妙に暑かったのと、寝れないとやることがなくストレスが溜まるから、ということもあるが。結局本HPの下書きとかしてました。それじゃ、ストレスなくならないのもしょうがないね。)たぶん、わたしが、閉所恐怖症の気ありってことなんだろうなぁ。
悲しいが、わたしに恒星間冷凍睡眠で旅行するSFはむりそう。たぶん発狂。
で、効果は?ってことになると、微妙。肩が軽くなりはしたんだけれど、でも、それは最初にマッサージ(肩もみ+ツボ押し)10分サービスをしてもらったせいだろうから。
体調はいつも通り。
まぁ、世の中、タンクベッドみたく便利なものはまだまだ、ということか。SFまでは1万光年(祝SFM水玉氏連載再開!)ってことで。
前のベスト盤「ハチポチ」もCCさくらの主題歌「プラチナ」が思い入れもある分で一番だった、ファンともいえないわたしなのであるが、完成度はさすがの人なので。
映画版エスカフローネやアルジュナの主題歌や、アクションゲームとしてはあたり判定がややドリーミーだったゲーム「ナップルテール」の主題歌は、もう懐かしく感じられるのにびっくり。DreamCast自体が懐かしい、ということなのか。
わたしが真綾の歌苦手なのは、菅野よう子の音づくりのせいかもしれないけれど、緻密すぎる圧迫感が特に歌い上げ系の曲に感じられるせいなので、主題歌とかとっかかりがある曲のほうが気楽に聴けて良い。その他の曲では、元気系ネオアコな「シマシマ」がHeavyRotationの予感。
日本語詞に期待するわけでは特にないけれど、後半の「英語詞」曲は取っつきが悪くなるだけな気がして、イマイチ。
初回版付属のDVDは、要はPromotionVideo×4曲。動く真綾を保存したい人向けか。わたしの場合は、「Gravity」のversion違い(そんな違いはないけれど)のためってことになるかな。
所詮、モバイルなんて大きさ重さ自由なら、ノートPCと替え電池を持ち歩いてしまえば究極なわけで、にもかかわらずモバイル物を使うってことは、「小さいこと」をトレードオフ困難なメリットとして認めているわけである。
。今はまたZAURUSをMP3プレイヤとして使う体制に戻っていて、それはそれで512Mの余裕をはじめとして安心感あって良い、のだが。