たぶん、日記

*2004年映画log*へ戻る ハウルの動く城

 

2003.11.21新宿スカラにて鑑賞。

 

原作を読んでいったものの、かなり理解に苦しむ作品で、特に、後半のヒロインの行動原理の読めなさはFF8かと思いました。

 

 

序盤の設定説明省略ぶりも何らかの予備情報がないと、相当、理解が辛いんじゃないかと思うんですが、モノローグで設定説明する小説を映画化するなら、ある種必然でもあり、仕方がないところかも。けれど、千と千尋終盤の内的世界話を、原作に唐突にくっつけた後半の拙さはそれだけではないです。

 

 

そりゃ、異世界と交信するナウシカにも、当初の設定を忘れたかのような行動を後半続けてく千尋にも、理解できない面はあります。でも、ナウシカは異人であり、千尋は子供が成長した、というエクスキューズが成立しますが、本作の場合、トラブルに巻き込まれた引っ込み思案の主人公がいつの間にか、妙な確信の元に行動するようになって、ラスト、とってつけたようにキスしまくって話は終わるのですが、いつの間にそういう人間になったのか解りません。

 

 

勿論、「千と千尋の神隠し」だって、5分ものの自主製作アニメのような行き当たりばったりプロットで、落ち着いて考えると当初の問題はどこへ?な不自然さが本来あるわけですけれど、湯屋と妖怪の和風ファンタジーなアニメ映像の面白さに気を取られているため、観てる最中は話の不自然さが気にならないのです。

 

 

ところが、本作だと、(オリジナル設定としてクローズアップされたためか目的が不明な、でもやたら深刻そうで、視聴者から嫌悪されるべきものとして描かれる戦争描写、欧風町並描写に、絵的面白みがなく、一番綺麗な絵がトラウマの埋まった内面世界でのお花畑なのですから、アニメ映像の面白さに気を取られることができないので、話の不自然さばかりが印象に残ってしまいます。

 

 

老女に変えられた女の子と魔法使いとのラブコメという前半に限っても、変身ものをやるには、倍賞美津子の非声優型地声演技は、若さのなさが、昨今の峰不二子なみに、無理があります(泣くシーンは論外。ただ、倍賞がイマイチな分だけ、キムタクの声の弱々しさがマザコン少年っぽくなっていて良かったのは幸いですが)。後半の、可愛く見せたいときは顔の皺を省略する、という手法は、当初の問題置いてけぼり、ということを別にしても、省略基準が不明なので、非常にご都合主義っぽく見えてしまいます。

 

 

女性自立話「アリーテ姫」の片淵監督を製作途中で首にした「魔女の宅急便」がボーイミーツガールになったように、少女の意識改革もの「どれみと魔女をやめた魔女」の細田守監督を製作途中で首にしたのは、宮崎駿の萌えスピリッツが、醜い少女を描くことを拒否した、からでは、と勘ぐりたくなるような、原作準拠の前半とオリジナルの後半とが不整合な失敗作だと思います。

 

 

劇場版ワンピースの予告編で、(この種の漫画映画の予告ではあまりしない)監督「細田守」という、巨大テロップを出すという、ジブリへの大人げない中指突き出し的対抗意識っぷりが楽しめただけで、実は満足だったりしますが。

 

 

 

 

 

 

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執筆:ogarin

 

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