20040806
新宿プラザ1
序盤で主人公を苦しめる、落第も、家賃も、大家の娘とのラブロマンスも、ただ、主人公を精神的に追い込むためだけの会川昇脚本ノリで後半は放置っぷり。勿論、続編への引きかもしれないけれど、本作中ではヒーロー論をカタルシスにするためのタメに過ぎない作為的な嫌シーンが続いた後、二重生活の苦しさのあまり、人助けに挫折した主人公(普通の大学生に戻ります、なシーンでかかる「雨にぬれても」は笑いました。ラブなシーンではないのに、この曲とは、その後の「明日に向かって撃て」的破綻を暗示?)を立ち直らせるべく、おばさん、道徳的ヒーロー論を大いに語る、のシーンでは、泣かされました。が、しかし、そこを頂点にして、あと盛り下がる展開に、ちょっと疑問の残る映画でした。
後半の、ヒーロー、というより、人のために尽くす偉い人の話は、後半ずっとマスクを脱いで顔出しっぷりからも見て取れるようにスパイダーマンというもう一つの人格が不要な「ピーター・パーカー物語」になってしまっていて、物語は、マスク被って/個人ではなくなって、悪人を倒すカタルシスを捨ててしまいます。その後の相手は、暴走列車という解決すべき「事故」であって、倒すべき「悪」がいないっていうのは、道徳的な作中ヒーロー論の正しさを危うくする「自分と違う側の正当性」という要素に目を向けて欲しくないという意図でしょうか。同じく、ラストも諸悪の根元を倒すバトルではなく、バットマンの悪役が似合いそうな虐げられたトラウマ男、ドクターオクトパス(吹替は銀河万丈氏ですが、端役なので、印象は薄く。)を改心させる話に終始して悪を消してしまいます。
9.11関連でヒーローは無力だネタのスパイダーマンが確かブルータスに載りましたが、悪を倒すじゃ、解決しないという現代的な立ち位置なのかもしれませんが、吹替版を見てますと、子供には集中力を保つのが辛そうだったなぁ。
そのヒーロー論を信じて観るには、主人公は、ヒーローとしての自覚だけではヒーローとしての自分を信じることができずに、MJを守るという目的で初めてそれが可能になる、という、(主人公が、ヒーローになることを止めてまで手に入れようとしたのは、MJなのか、普通の生活なのか、作中でははっきりさせていないこともあって)、障害つき恋愛ものフォーマットになる展開が、恋愛もの苦手なわたしには厳しいです。前作と変わらず、服を水に濡らしてポッチを見せる要員でしかなく、約束をすっぽかされ、態度の煮え切らない主人公に惚れた理由はよく分からないまま、最後は主人公のところへやって来てしまうMJの都合のよさは、極端に人間味がなく、作中のヒーロー論の正しさを示す御褒美にしか見えなかったんで、くっついても嬉しくないです。ルックスがよりアダルトになったから、ということだけでなく。
それ以外の点では、CGで飛び回るのが、前作のようにカメラ動きまくり、画面はみ出まくりの前作でのいかにもCGっぽいそれから、画面から外れることなく、直線的に画面の右から左へ進むような動きになっているので、酔いにくくて、(前作OP,EDで気持ち悪くなったわたしには)見やすかったけれど、それは迫力が無い、とも言えるわけで、純粋CGアクション映画としては前作の方が面白いのではないでしょうか。