『ボーリング・フォー・コロンバイン』

ちょっと前にアメリカンプロレスの内幕ドキュメント(リングの上ではマンガ的なプロレスラーも現実にはいろんな問題を抱えている誠実な人々だ、ってな感じの)を観てちょっとドキュメンタリーはたくさんだなぁ、って思いがあったんです。映画のくせに、メッセージっていうか、ドキュメンタリーでの「事実」を元に導く「結論」の押付がうざいと思った訳ですね。純粋にエンターティンメントとしてみるならドキュメンタリー映画の「事実」ってのは、物語映画における設定に過ぎないのに、納得できない展開でも、文句が言えないってことになんか納得が行かなかった。映画が取材した「事実」を疑う訳ではないのですが、それ故に感動しなければならない的、「事実」を元にした映画の「結論」に異議申し立てることができないので、なんか人のやったことで説教されているような気分がしてしょうがなくて。この時は映画を観ていること自体が苦痛で、二時間はつらかった、という記憶がトラウマに形成されておりました。
そんなわけで世評に高いドキュメンタリー映画にもちょっと食指が動かなかったのですが、故あって観ることに。「偉いお話しだけれど、面白くはないよなぁ、病んだアメリカ告発話が聞きたければCBSドキュメントとかでいいじゃないさ」みたいな感想になるのを予測しつつ。
感想なんて観てみないと意外と分からないもので、というのが映画を私が観ている最大の理由なのだけれど、悪い気分にはならなかったです。真実を追い続ける非常識な男のドキュメンタリーといえば、私が思い出すのはなんと言っても奥崎謙三(彼は大好き。彼の「結論」は支持も理解もしずらいが、しかしそれ故に、その手法や情熱が理不尽な面白さを奏してるから。)なのだが、どー考えたってイっちゃってる奥崎を超えるインパクトはない。が、主人公のマイケルムーア氏はアメリカの闇を大げさに告発するような信念の人ではなく、この映画が疑問を自問自答する進行である点で、その事実や結論を彼と共有しない人にもこの映画が開かれている。解りやすいカートヴォネガット?そもそも巨大な社会問題だと、複雑な問題であるか、解決が困難なのが自明な問題(金がからむとか)という答えになって、そういう問題に行動レベルで出せる具体的な答えだと、回答は市民運動は一歩一歩の希望系か、絶望テロ系、かになるのが常で、んなこと映画に説教されなくても、じゃない。本作も、結局は、市民運動の系なんだけれど、主人公の思索のゆらぎを見せている点で、たいした事ない結論を仰々しく見せるような映画の結論になってしまうことから逃れられている。
龍騎最終回でも使われたサッチモのワンダフルワールドをバックに戦争諸行無常的なことを語るシーンははぁ、逆説ですねぇ、お説ごもっともです、って感じだったけれど、エンディングでのジョーイ・ラモーンのビートパンクなカバーで「ま、諸行無常だけどよ、元気に行こうぜ!」っのりは、一本取られましたねぇ、Theピーズ好きには。ラスト曲の印象だけで1点プラスされるきぶん。


(小)