20030921
新宿プラザ
ルイージが主人公のメディア展開はあるかもしれなません。有能な兄との葛藤というドラマがありますから。
クッパ大王が主人公のメディア展開はあるかもしれません。モンスターの悲哀というドラマがありますから。
ピーチ姫が主人公のメディア展開はあるかもしれません。待つ女の恋愛というドラマがありますから。
ただ、マリオをピンで主人公とするには、ドラマがなくて、きついと思うのです。
彼は、要するにカーソルのようなもので、プレイヤーの延長であります。目/自由意志が、髪の毛に隠れているエロゲーの主人公と同じく、プレイヤーの選択通りに任意の行動を取りうる主体性のなさが、(操作性として)要求される存在です。
わたしの知ってる範囲内だけですが、映画版のマリオは兄弟コンビが主人公でしたし、しあわせのかたち版では、ピーチ姫がドラマを背負い、64ドリーム誌の連載ではクッパが主人公でした。(マリオに独自設定を持たせて、主体性を上げた作品も低年齢誌には多数あったと思いますけれど、あまり話題にならなかったのは、マリオの本質と独自設定との両立に無理があったからだと思います)
マリオ64と同時期に平行進化的にリリースされた3Dアクションゲームの金字塔であるトゥームレイダーの主人公ララ・クロフトにも同種の問題があります。
理不尽なダンジョンをクリアし、イベントクリアご褒美ムービーでカッコを付けるだけの存在であるララ・クロフトには、2時間の映画を持たすような、文学的な葛藤に縁がありません。
映画版1では「死んだ父との再開」とゆー独自設定を無理矢理差し込んでドラマ構成しました。無理がありましたが、それはダンジョンクリアした時に手に入れたアイテムで「死んだ父」という名のムービーが観られる、というゲーム的な全体の展開にぎりぎり収まっていたかに思えます。
映画版1には、ゲーム版2最終面であるゲンコツで戦う自宅バトルや、ゲーム版3最終ムービーの犬ゾリ脱出など各所でゲームのシーンの再現を意図したサービス(主役女優のポリゴン顔こそが最大のサービスという説もありますが)もあって、ゲームとの印象の離反を抑えていましたし。
映画版1自体が、雑なインディ・ジョーンズという印象に終始したせいでしょうか、続編は監督を変えてきましたが、凶と出てしまったようです。
いきなりMI6から指令が来て、ウィルスをマッドサイエンティストから奪うというミッションを与えられる007ライクな展開も、人間味のある男キャラとの恋愛を描く(これはアメコミ版でもやってました。10冊くらい読んだのですが、綾波系美少女じゃない限り、無愛想と人間味では人間味の方に共感してしまって、主人公のキャラ立ちには逆効果という、本作と同じ印象でした。)のも、ゲームのキャラからは無理がありすぎです。そして、ゲームから離れてオリジナルの面白さがあるわけでもないのは007的シナリオでどんでん返しゼロな筋立てからも明らかです。
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結果、キャラが立っていないまま、段取り的にシナリオをこなすという、xXx後半をさらに出来を悪くしたかのよう。
残念ながら、上映前に映画ネタのVISAカードのCM(確か007とかでもありましたね)のほうがずっと面白かったです。
(小)