スーパーペガサスの2004北海道マラソン完走記
1.はじめに
3日後に豊頃サーモンマラソンでフルマラソンを走る。またあの苦しい(楽しい?)戦いが始まる。フルマラソン=42.195kmを一度は走ってみたかった。フルマラソンを走るなら是非北海道マラソンを走りたいと思った。それは平成6年だった。挫折、あきらめ、何度も跳ね返された。
今、目を閉じるとわずか11日前の光景が目に浮かぶ。ネット仲間の方々の完走記を読めばあの感動が甦る。確かに自分は北海道マラソンを走ったという実感が体を支配する。この記憶がなくなることはないと思うが、完走記としてここに残そう。
2.スタートまで
2004年8月、緊張と不安の日々を過ごした。緊張は集中力を奪い、仕事のみならず日常生活でもつまらないミスを繰り返した。唯一この状態から逃れられるのが走っているときだった。だからいつも走りたいという欲求にとらわれる。2週間前までは走れる限り走った。しかし、2週間前になると調整のため、走りをセーブせざるを得なくなる。ますます緊張と不安が増大していた。いつも楽しくのぞく楽走412旭川や仲間のHPを見ても、何となく落ち着かない。10日前からははやく時が過ぎ、当日が来ることだけ待っていた。
重苦しい日々が過ぎようやく前日をむかえた。北海道マラソンの受付は前日のみなので、札幌へ向かう。この日は好きな汽車に乗り、好きな競馬をし、北海道マラソンの雰囲気を噛み締めるという非常に贅沢な日になりそうである。10時過ぎの特急で札幌へ向かい、まずは受付会場であるパークホテルに向かった。受付は2階だったので上の階に向かうエスカレーターに乗るが受付をしている雰囲気はない。よく見ると3階であった。入り口があった階が2階だったのかと思い戻るがそこはやはり1階である。どうやらエスカレーターは3階直通で2階へ向かう場所は別にあるようだと気づき、見渡すと明らかにランナーにと思われる人が上っていく階段に気づいた。そこを上るとありました受付会場。2900番台のゼッケンの個所で受付し、ゼッケンを受け取り、横のテーブルで参加賞を受け取り、最後にICタグの反応テストを受けて受付が終了した。それぞれの個所で「お疲れさまです」、「明日頑張ってください」と心温まる言葉を受け非常に気持ちが良かった。勿論、「ありがとうございます」とか「頑張ります」と元気に答えた。その後ホテルのロビーや参加者が張り出された掲示板などを眺めながら、知り合いの人を捜すが、少し早い時間なので、残念ながら誰とも会うことはなかった。
受付が終わった後は、明日のビクトリーロードとなる中島公園内を歩いて、ゴール地点まで向かった。入口にあるゴールまで600mと書かれた門柱を眺め、公園内を歩き始める。すでに走路の準備は終わっており、黙っていてもゴールまで導いてくれる。豊平館やkitaraに向かう分岐点で前方を見ると非常にきれいなフォームで走ってくる女性ランナーを発見する。スピード感もあり明らかに自分より走力のうえのランナーだなとわかる。すれ違いざまに顔を拝見すると、サングラスをかけていてわかりにくいが、明らかに千葉真子さんとわかった。一瞬の出来事で声もかけることも出来なかったが、しばし走る過ぎた彼女の後ろ姿を見送っていた。ひょっとしたら公園の入り口で折り返してくるかもと期待して待っていたが、そのまま公園から出ていってしまったので、再びゴールを目指し歩き始めた。公園内の池に沿って右に曲がりながら進む。池が終わると少し真っ直ぐとなり、その先に緩い右カーブがあり、そこを曲がるとゴールが見えた。まだ作業中でありゴールラインをくぐることは出来なかったがそれは明日のお楽しみである。その後は札幌競馬場で競馬(新発売の3連単)を楽しんでその日はいったん旭川に戻った。
夜は11時過ぎに寝付けたが、朝は4時過ぎに目が覚める。その後寝付けなかったので、5時過ぎには起きて6:20発の一番の特急で札幌へ向かおうと決める。携帯電話で週明けに北海道に近づきそうな台風の状況や気温や天気の情報、楽走や仲間の掲示板や日記を眺めながら時間を潰していた。そんなことをしていたら緊張感が薄れたのか、再び眠りに落ちていた。次に目を覚ますとすでに6時半を回っていた。6:20はもとより、6:45、7:20の特急に乗るのは難しいなと思い、何とか8:00の特急に乗ろうと思い、急いで支度をした。7時少し前に家を出て駅に向かった。歩いて向かうとギリギリになるかもしれないと思い、バスで行くことにする。平日ならば15分程度かかるバスが、休日のため10分程度で着きそうな気配となる。そうなると7:20の特急に間に合う。本来ならば駅近くのコンビニで朝食と、レース前に食べる軽食、エネルギーゼリー、スポーツドリンクなどを買う予定だったが、とりあえず札幌へ行き、地下街で朝食と買い物をすることにした。札幌駅地下街で予定通り朝食と買い物を済まし、地下鉄に乗るためにホームに降りると、同じく初参加のなべちゃんと応援に来た奥さん(ぶしちゃん)に会う。一緒に地下鉄に乗り、真駒内までいろいろ話をする。本州から紋別にやってきたなべちゃん夫妻は札幌の地理勘がないようなので、地下鉄の路線図やマラソンのコース図(ちょうど地下鉄の車内に張ってありました)を見ながら、応援ポイントや移動手段を説明した。平岸を過ぎ、地下鉄が地上に出るあたりで車内を見渡すと半数以上の人が北海道マラソンの参加者または関係者であることがわかる。
真駒内でなべちゃん夫妻と別れ、真駒内競技場に向かって歩いていった。かなり肌寒く感じ、小雨も降っている。スタートの頃には気温は上がるのだろうかなどと考えながら、携帯電話でアメダス情報をチェックすると、9時時点の気温は17度くらいであった。25度は当たり前、30度も視野に入れた暑さ対策の練習が今回は意味をなさないことを理解する。勿論私の取っては、このくらいの気温の方がいい。競技場のある公園に到着すると、園内のランニングコースをたくさんのランナーが走っている。北海道マラソンのサブイベントとして開催されているタケダファミリーマラソンに参加されている方々である。楽走のタケちゃんとしゅうさん、ネットランナー仲間のおおひろさんが参加しているので走っているランナーの中に姿を探すが、時間的に5kmの部のランナーで10kmの部に参加している彼(女)達の姿は見つけられなかった。競技場の周りの芝生にはすでに多くの参加者と応援等の関係者が集まっていた。今回は特にどこに集合するという約束もないので、歩きながら知り合いのランナーを捜す。やがて前方に赤いウインドブレイカーやTシャツなどを来た集団が見つかる。直ぐにfrunの方々とわかる。frunには多くの知り合いの方がいるのでまずはそこに行って見ようと思い、歩いていくと、その横には猿吉さん、しんいちさん、Leonさん、GOさんといったネットランナーの方々も集まっていた。それぞれに方の挨拶をして、近くに荷物を置く。frunの方に目を向けるとOgamanさん、NAOJIさんの姿もあり、挨拶を交わす。その後も続々とネットランナーの仲間や楽走の仲間が集まり、大きな集団となる。タケダを走ったタケちゃんやしゅうさんとも挨拶を交わし、おおひろさんも我々の集団の中にやってきた。ストレッチをしながら過ごしていると、寒さのせいか緊張のせいかわからないがトイレに行きたくなったので、アップ方々公園内のトイレに向かう。すると前方から走太郎さんがやってくる。私のネットデビューのきっかけを作ってくれた方であり、還暦目前ながら未だに私を上回るタイムで走るウルトラランナーである。少し話をして別れ、トイレに向かうと長蛇の列である。後ろに並んでいると、中を確認して列の横からすっと入っていく人がいる。どうやら列に並んでいる人は個室利用の方々のようで、私は直ぐに用を足せることがわかり列を抜けて中をのぞくとやはりそうであった。集団に戻り、おにぎり、エネルギーゼリー、スポーツドリンクでエネルギー補給をしていよいよ準備完了である。11時を過ぎスタート前の点呼が始まる。暑ければ直ぐにランニングウエアになって荷物を預けてしまうのだが、依然18度程度の気温であるため、なかなかウインドブレイカーを脱ぎたくないので、しばらくはそのままで時間を過ごす。
ようやく決心が付き、ウインドブレイカーを脱ぎ、荷物を預ける。アザラシさん、猿吉さんと初参加3名で点呼を受け競技場内に入ることとする。点呼に向かう前、アザラシさんは応援に駆けつけた奥さんと息子さん2人と「行って来るから」と言って、固い握手を交わしていた。その光景に1つ目の感動を味遭う。本人に後で聞いたところ「戦地に赴く気持ちの決意の握手だった」と言っていた。ICタグのセンサーを通過するだけで点呼は終了、それと同時に競技場の中に入る。スタンドに陣取るたくさんの応援の方々に囲まれた競技場は独特の雰囲気を醸し出していた。札幌マラソンを始めとする普通のレースでは競技場内の立ち入りは自由であり、競技場内とスタンドの区別は意識しなかったが、本日の競技場内は選手だけの空間であり、その雰囲気は初出場の3人を飲み込んでいった。トイレに行く2人と別れ、フィールド内を一人で歩き始めた。すでに100番ごと区分けされた、整列用のプラカードが並んでいる。自分が並ぶ2900番台はちょうど真ん中あたりであった。やがてフィールド内にトシチンさん、かおちゅうーさん、K崎さんの楽走の仲間を発見し、しばしそこで話をした。Ogamanさんとも再度話をして、いよいよプラカードの前に整列した。すでに点呼時間のを過ぎているがいまだに多くの人が点呼を受けてフィールド内に入ってくる様子が見える。システムの問題なのか、寒さのせいで出足が鈍かったのかはわからないがその動きがとぎれる気配はなかった。スタート10分前になっても依然そんな状況であった。これからトラックに入り整列した後、スタート地点に移動して間に合うのだろうかと考える。ローカル大会なら、準備にとまどりスタート時間を繰り下げるなんてこともあるが、北海道マラソンではそんなことは許されないだろうな、大丈夫かなといらぬ心配をしていた。トラックに入り整列する。スタート5分前くらいに列はスタート地点に向かって移動する。隊列を崩さずに歩くように指示があるが、明らかに外側の方の流れが速く、真ん中にいた私の場合、スタート地点に着いたときは内側は800番前後、外側は4000番を越えるゼッケンの集団となっていた。競技場の出口に設置された時計がカウントダウンのようにゼロに向かって時を刻んでいた。スタート3分前となり、スターターが紹介される。スターターは高橋はるみ北海道知事であった。私の場所からはその姿は見えなかった。スタート2分前、1分前と次々にアナウンスが流れていたが、私は出口にある時計を見ながらひたすらその数字がゼロになるのを待った。10・9・8と時計を見ながら心の中でカウントダウンをしていた。
3.スタート〜第1折り返し
「パン」、乾いた音が競技場内に響き渡り、いよいよスタートである。ゆっくりと列が動き始める。スタートロスは約30秒であった。右手には高橋知事の姿も見える。しかし緊張のためか頭は真っ白、知事が来ていて服の色は?(たぶん黄色)である。ゆっくりと本当にゆっくりとLSDに向かうよなペースではじめての北海道マラソンはスタートした。競技場の出口でテレビカメラに向かってたくさんの人が手を振っている。カメラと反対のスタンドではブラスバンドの音楽が見送ってくれている。この光景で自分がいま北海道マラソンを走りだしたという実感がわいた。その瞬間熱いものがこみあげ、一筋、二筋頬を伝った。
公園内では時折歩きが入るほどの渋滞で、依然ペースはあがらない。しかし、北海道マラソンを走っているという実感に支配された心はペース上げて前に向かうというサインを出さなかった。公園を出て五輪通りにでる。札幌マラソンのスタート地点であり、見覚えのある景色となる。はじめて周りを見る余裕が生まれる。そして最初に飛び込んできたのが1kmを知らせる標識であった。5kmごとしかキロ表示はないと思っていたので少し驚いたが、とりあえずラップを取る。6分39秒、スタートロスを引いても1キロ6分以上掛かっていた。ラップという具体的な数字を目にしたことにより、ようやく走りの気持ちにGOサインがでた。流れのいい右側にポジションを移し、ペースを上げる。それでもまだ想定のペースよりは遅いが、先は長いと言い聞かせ、無理せず流れに身をまかす。左に曲がり真駒内本町をはしる通りに出る。本町の中心部に入るところで前方に麦藁帽子を被ったランナーを発見する。朝地下鉄で会ったなべちゃんである。近づくとその横にしんいちさん、さらにsibaさんと知り合いの方が一緒に走っていた。後ろについて仲間に入れてもらう。Sibaさんが「お先にどうぞと」言ってくれるが、今回は「タイムねらいでもないので無理はしませんからのんびり行きます」と言って(数分先には全く逆の行動に出るが)しばし併走させてもらう。その時である、左をトシチンさんが抜いていく。前半から飛ばすタイプのトシチンさんだから、もうとっくにずっと前にいると思っていたので、びっくりした。平岸に向かって右に折れるあたりで、自然とペースを上げて、3人と別れた。右に折れると、車道の左端を走る、見覚えのある赤いウエアを着たランナーを発見する。Ogamanさんである。右端を走っていたので、周りに注意しながら左側に進路を移し、Ogamanさんに一声かける。2km地点を通過する。ペースをつかみにくい前半だけに1kmごとの表示はありがたかった。この1kmはほぼ5分であった。徐々にペースがあがるに連れ、タイムへの意識が芽生える。気温が低ければ最初の5kmはスタートロスを含めて、24分位で入り、以降は5km23分位で行き、3時間20分を切って自己ベスト更新をと思っていた。スタートのロスは想定以上であったが、5km以降は目標のペースで行けばまだ十分に3時間20分以下で走れる。3kmまでの1kmもほぼ5分である。このあたりでようやく隊列がばらけ、自分のペースで走れるようになる。中の島通りとの分岐点を過ぎ、札幌マラソンコースとの重複区間が終わり、北海道マラソン専用のコースとなる。緩やかに右にカーブを切って、回転寿司トリトンや百景園などの横を通過すると4km地点であった。この1kmは4分36秒と目標のペースに到達する。前を見ると白のfrunのウエアを着た女性ランナーを発見する。NAOJIさんだと思い近づきちらっと横から顔を伺うが、サングラスをかけていって、はっきりと顔を確認できなかったため、声をかけずに通過した(後でご本人の完走記を読むとはやりそうであった)。平岸小学校のブラスバンドの応援を受けながら平岸街道にでる。道路のセンターライン側を走っているため、なかなか沿道の声援には応えられない(この先もゴールまでずっと同じ状況となった)。約6年間住んだ平岸の街に入り見覚えのある風景が続く。5km地点を25分56秒、1821位で通過する。
5km過ぎの給水は混雑でかなり難関だが、先に行けば取りやすくなると聞いていたので、最初のいくつかは無視して給水のため多くのランナーが左の寄ったことによってガラガラになったセンターライン付近をさらにペースを上げ走る。まだかなり先まで給水のテーブルが見えるので大丈夫である。あまり暑くないのでこのまま給水を取らなくても良いが、水の冷たさやスポーツドリンクとして提供されるレモンウオーターの飲み易さなどを把握するため、ここで両方を取ることにする。周りの様子を伺いながら左によりまず水を取る。温すぎず冷たすぎずまずまずである。続いてスポーツドリンクを取るが、こちらも飲み難くもなく特に問題はないと感じた。
再び、センターライン側に移動して、前が詰まることもなく走り出した。このあたりから南大橋までは緩いながらも下っており、前半に足を使わないように注意しなければならない区間である、はやる気持ちを抑えて走ったつもりだが、ペースは徐々にあがり、6〜7kmまでの1kmは4分16秒まであがっていた。押さえるべきか行くべきか考えたが、順調なら10km通過を47分位と考えていたので、このペースで行ってもまだ届かないと思いペースを大きく変えることなく進む。南大橋の手前で楽走のあんちゃんをパスし、ゴールとなる中島公園の入り口の前を通過する。中島公園に帰ってくることを誓う。ここからは往復のコースとなる。まずは駅前通を駅方向に向かって北上する。帰りはまさにビクトリーロードとなる場所が反対側である。すすきの付近のスポンジポイントでもスポンジと水を取る。すすきの交差点からはさらにたくさんの人が応援してくれている。このあたりではじめて沿道に目をやるようになる。三越の前で右折し、南1条通りを創生川通りに向かう。直ぐに10km地点を通過した。48分06秒1404位で通過した。この5kmは22分10秒、少しはやいがこのまま行くこととする。10km地点では昨年カメラが設置されていたので、カメラを探すが見つからない。うまく隠していると思っていたが、翌日公開された映像はゴールシーンで、10kmにはカメラは設置されていなかったようである。
創成川通りに曲がる直前ではじめて知り合いの方を見つけ軽く会釈をして過ぎた。創成川通りに入り、大通りを横切ると、今年からコース変更になった北1条のアンダーパスに入る。コンクリートの部分は走りにくいののでアスファルトの部分を走る。一般のレースではこういったアップダウンの箇所で結構巧拙が出て、順位が変わるのだが、さすが北海道マラソン、ほとんどみな同じようなペースで走っている。アンダーパスを抜けて目の前にJRの高架が見える。ここでichanさんをパスする。目標タイムが私と同じくらいだと思っていたので、「少しペースが遅くないですか」と声をかけると、「後半上げる走りで行きます」と応えてくれたので、「先に行って待っていますと」言って先に進んだ。北8条の歩道橋のところで楽走のタケちゃん副代表から声がかかる。「トシチンさんと1分、スーパーペガサス頑張れ」と言っていた。楽走ではすっかりおなじみとなっている私とトシチンさんのバトルを楽しむようであった。直ぐにまた「○○(本名)さん頑張って」と声がかかるので、沿道を見ると一昨年まで同じ職場だったAさんが応援してくれていた。沿道の応援に注意するためか、多くのランナーが左端を走っているため、中央側はほとんどランナーの姿がなく、まさに自分のペースで快調に走り続けられた。相変わらず1km4分台の前半のラップで走っている。このあたりから北24条通りまでは学生時代のなわばりであるので、このあたりも良く見た風景の中を走っていた。とりわけアパートから近かった北24駅付近は多少の変化はあるものの、昔のイメージは変わっていない。友達が住んでいたマンションやよく行った食堂などを懐かしく眺めながら、北高の前を通過するとその先に15kmの関門が見えた。このあたりでおおひろさんが応援してくれているはずと思い沿道を注視する。関門手前では姿は発見できなかった。15kmの通過タイムは1時間10分28秒、1211位であった。この5kmは22分22秒、もう少しで予定通過タイムに追いつく。
関門を過ぎ少し行ったところでおおひろさんを発見、真駒内で着ていた服と色が違う(しかも着替えはないと言っていた)ので一瞬とまどったが(あとで近くの百円ショップで、合羽を買って着ていたためとわかった)赤いボンボンを振って応援してくれたので、元気に手を振って(振ったつもり)応えた。おかげで少し落ちかけていたペースが復活する。新川通に入ると給水ポイントである。10km以降は5kmエイドステーションではスポーツドリンク、スポンジステーションではスポンジ+水もしくはスポンジのみとしたので、ここではスポーツドリンクを取る。JR学園都市線の高架のところで右折し、ここから往復13kmくらいはほとんど予備知識のない区間となる。道が狭くなりランナーの密集度が少し高まったが、走りに影響を与えるほどの状況ではなかった。再びJRの高架と、札幌新道の高架の下をくぐり左に曲がり新琴似1番通りへと入った。しばらくすると前方から予告車のパトカーが現れ、先頭が近いことがわかる。前方に目を凝らすと、テレビの中継車が見えた。それがどんどん大きくなり、直ぐにすれ違う。その後方には3人の黒人ランナーが先頭グループを形成していた。その後はぽつりぽつりと日本人の招待選手が通過していく。再び中継車が前方から迫ってくる。女子のトップ集団である。千葉選手を囲むように数名の女性ランナーと10名近い男性ランナー混じる集団であった。私の方はほどなく20kmの関門を通過した。1時間32分42秒、1099位である。この5kmは22分14秒と相変わらず快調なペースであり、ここで想定ペースを上回る。
20kmを過ぎると直ぐに、前方から見覚えのある青いランシャツのランナーがやってきた。ソンスさんである。その横には今回のレースで競技ランナーを引退される奥様のひろみさんが走っている。どうやら、ソンスさんがひろみさんを引っ張っているようである。すれ違いざまに「○○さん」と声をかけたが、声が小さかったか(折り返し後で気づくが、反対側は向かい風で、声が聞き取りにくい)気づかれなかったようである。ご夫婦にとって何ヶ月も前から準備してきた節目の大会、またまた感動に打ち震える(翌日の道新スポーツの記事でさらに感動するが)と共に、お二人の健闘を祈る。エイドで再びスポーツドリンクを取ると直ぐに中間点、1時間37分30秒、1067位。後半も同じペースで行ければ3時間15分、ということは現在のペースならば3時間20分切りに貯金は5分ある。しかし、真のマラソンはこれから、事実このあたりから足が重たくなり始める。昨年のフルはこのままずるずるとペースが落ちるばかりだったが、今年はLSD効果か、オホーツクでは25km過ぎからやや楽になり、ペースも回復していたので、今回もそうなることを祈る。ようやく長かった新琴似1番通りが終わり、左折して第1折り返しのある追分通りに入る。ここで始めて左方向からのやや強めの風に気づく。そう、これまでは追い風で、折り返し後の新琴似1番通りは向かい風との戦いとなる。対向車線にはそろそろ私の前を行く知り合いのランナーが多数いるはずだが、中央分離帯+生け垣で対向車線のランナーの姿を確認することはできない。ここで前方に目を移すと新川通りを越える橋が見えてくる。しばらく平坦なところを走ってきたが、久しぶりのアップダウン。風も手伝ってなかなか厳しい。橋の頂部に着くと前方に折り返し地点を確認する。左に22kmのキロ表示、右少し前に23kmのキロ表示、折り返しまで後約500m、少しずつ近づいてくる。そしてポストにタッチして、いよいよ中島公園に向かって走り出した。
22km付近、まだ元気(Kさん提供)
4.第1折り返し〜ゴール
折り返すと、Kさんが応援していてくれた。仕事がイベントなどの様子を撮影するKさん。この日もカメラを持っており、ランナーの姿を撮っていたようだ。上の写真はKさんが反対車線を走る私を撮ってくれたものである。23km地点を通過して、再び新川通を越える橋にかかる。徐々に風の抵抗が強まっていく。24km地点を過ぎ、右折して再び新琴似1番通りに入る。強い風が正面から吹き付ける。体を前に少し倒し、ピッチを短くして、上半身を使う。昨年の豊頃で台風の吹き返しの風にやられて経験を思い出し、あの時よりは楽、風対策のために上半身の強化を実施してきたと大丈夫と言い聞かせ進んでいった。25km地点を1時間55分8秒、988位で通過する。この5kmは22分26秒で、まだまだ快調なペースで走っている。
25km地点前後でたくさんの知り合いのランナーと出会った。まずは反対車線を走る麦わら帽子のなべちゃん。疲れは見えるがまだ力強い走り、ガッツポーズでエールの交換をしてすれ違う(この時の様子では完走できるかなと思っていたが、残念ながら途中棄権に終わってしまう)。引き続いて左前方にトシチンさんを発見。向かい風に苦労してるのか、その走りはかなり重く感じた。今月上旬に故障しており、その影響が出ているのかもしれない。私はセンターライン側を走っているので、少し遠くから声をかけ前にでる。ほぼ同時に反対車線をOgamanさんが通過している。声をかけエールの交換をすると隣の女性から声がかかる。良く見るとsibaさんの奥さんである。4度の挑戦で初完走を目指すsibaさんの奥さん、とにかく3時間50分台の完走に向けて精密機械のようにいいペースで走るOgamanさんと一緒に走っていることは完走に向けて力強いパートナーを見つけたと思う。少しおいて猿吉さんを見つけたが、タイミングが遅く声をかけ損ねる。良く見ると直ぐ後ろに終末車があり。すでに20kmの関門は閉鎖されていた。猿吉さんの走りは初めてみたが、結構きつそうであり、この後の向かい風などを考えると大丈夫かと少し心配になる。その少し前を走っていたOgamanさんとsibaさんの奥さんもちょっと心配になった。終末車が通り過ぎ、収容者とすれ違うと、反対車線にランナーの姿がなくなる。再び視線は沿道を気にするようになり、タイムの方にも注意が行く。若干タイムは落ちてきたが、相変わらず4分30秒台のラップを刻んでおり、目標に向かって安心する。その時である、沿道から声援が飛び、「はい」という威勢の良い声が直ぐ後ろから聞こえた。びっくりして振り返ると私を風よけにするように5〜6人の集団ができていることに気づいた。反対車線を走る仲間を捜したり、風との戦いに集中していた私は、他人を風よけにして走ることなどすっかり忘れていた。しかも、向かい風のせいで、後ろを走るランナーの気配さえも気づいていなかった。自分としては、特に邪魔されているわけでもなく、自分が納得行く走りができていることから、他人を風よけにするとか、後ろを走るランナーを気にするなどことはせずそのまま走りを続けた。28km地点通過タイムが、2時間8分59秒、残り14.195kmをキロ5分ペースで行けば3時間20分を切れることになる。依然4分30秒台のラップを刻んでいるが、そろそろ30kmいつペースが落ちても不思議ではない。新琴似1番通りに別れを告げて、ようやく風との戦いから解放される。少しでも貯金をと思い、このあたりから若干であるが再びペースを上げる。新川通を経て再び北24条通りに入ると直ぐに30km地点を通過した。2時間18分05秒862位での通過である。この5kmは22分57秒、かろうじて22分台で走っていた。
30kmを過ぎるとかなり疲れてきた。沿道の人の顔を見る余裕もなく、ひたすら前を見て集中力を切らさないように走るようになる。北24条駅付近の様子を往路のようにじっくり眺めることができない。それでもラップの方は4分30秒台を維持していた。創成川通りに入り道幅が広がると密集してランナーがばらける。ほとんどの人が、声援を求めてか、少しでも他のランナーと一緒に走りたいかはわからないが、左側に寄って走っている。私はこれまで通り中央側を1人で走る続けた。再び向かい風を感じる。疲れを感じるようになってきた状況のため、踏ん張りは利かなくなってきた。ラップの方もキロ5分弱まで落ちてきた。このままのペースで行っても2分の貯金があると思いながら、完全に重たくなった足を必至に前に進めた。突然横をかなりのペースのランナーが抜いていく。ゼッケン番号は400番台であり、かなりの持ちタイムの陸連登録者である。前半ためて後半スパートの走りをしているのかと思い、すごいなと感心して見送った。ところが彼は私を抜いて数メートルいったところで突然ペースダウンをする。どうやら疲労困憊ながら、目標達成のためにスピードアップを図ったが、結局長くは続かなかったということのようだと思う。少し行くと焼肉のいい匂いがしてくる。イベントをやっているのか、応援のついでになのかわからないが、結構な人が集まって、広場で焼肉をしながら応援をしてくれていた。疲れた体には何とも言えない匂いであった。先程抜いたランナーを再び抜く。しばらくすると彼は再びかなりのペースで抜いていく。そんなことを3回位繰り返したが、北8条通りを渡るあたりで追い抜いた後は抜かれることはなかった。ここで、沿道の人の波が少し切れる。そこにぽつんと赤いボンボンを持って応援している一人の女性を発見した。おおひろさんである。15km続いて復路はここで待っていてくれた。私の姿を見るとボンボンを振って応援してくれている。遠くて声ははっきり聞こえなかったが、手を振って応援に応えた。少し行くと「○○(本名)さん頑張れ」の声が聞こえたので沿道を見ると、職場関係のSさん夫妻が応援してくれていた。ご夫婦共々毎年ホノルルマラソンを完走するなど、運動が縁で知り合ったお二人である。Sさんは、昨年の旭川でサブフォー、今年の美瑛で100分切りを達成しており、一緒に北海道マラソンに出ましょうと誘ったが、今年は見送り、来年初参加を目指すと言っていた。わざわざ旭川応援に来てくれたことに感謝する。いよいよ復路のアンダーパスの手前で、暖かい励ましをもらったおかげで、再び気力が上昇する。そろそろキロ5分を越えるかという状況になったが、何とか踏ん張っていた。34〜35kmの1キロも何とか4分台のラップを刻んだ。35kmの通過は2時間42分5秒、758位での通過となった。この5kmは24分00秒までラップは落ちてきたが、順位の方は依然100番単位であがっており、抜き続けているということで精神的にはまだ余裕があった。
ここで左に折れ、第2折り返しに向かう。反対車線には40kmの関門が見える。すでに5kmの往復を終えたランナーがゴールに向けて駆け抜けていく。サブスリーランナー達であるが、みな苦しそうだし、決して軽快な走りをしている様子ではない。彼らでこんな状況なのだから、私の走りはもっと苦しく、重たい走りをしているのだろう。もうエネルギーの補給はいらないと思い、ここの給水では水のみを取った。一条大橋に差しかかるところで、職場関係のTさんとすれ違った。50台半ばながらいまだにサブスリーを達成している方で、初めて北海道マラソンを目指した頃にいろいろアドバイスをもらった、当時の自分にとっては雲の上のような人であった。10年たってようやく同じ舞台で走ることができた。サブスリーギリギリの状況のようであり、必至の形相(常に苦しそうに走ると聞いているが)で走っている。声をかけ損なったが、何とか頑張ってほしいと思った(結果は3時間ちょうどと何とも曖昧な結果であった)。一条大橋を超えると明らかにペースが落ちたことがわかった。かなり苦しい。目標タイムまではキロ5分30秒でも何とかなる状況だが、少し気持ちは弱気になっており、自己ベスト達成まではキロ6分でもいいなどと考え始めていた。時計を見るとすでにラップは5分に迫っている。しかし37kmの表示がいまだに見えてこなかった。これまで必至に守ってきた4分台のラップがここで崩れる。ようやく37kmを通過するが、この1kmは5分28秒かかっていた。このままでは目標達成まではギリギリの状況である。すると直ぐに第2折り返しが迫ってきた。ここまで踏ん張ってきたのにこのままずるずると行きたくない思っていたが、折り返すことで再び気力が上昇し、必至にスピードを上げた。38kmで再びラップを4分台に戻し少し気持ちが楽になる。反対車線を第2折り返しを目指すたくさんのランナーが行く。その中にトシチンさんの姿を発見するが、今にもとまりそうなかなり苦しい走りをしており、声をかけても反応がなかった。少しすると今度はichanさんを見つける。ichanはまだ元気で、きっちりエールの交換をできた。お次は走太郎さんである。すれ違いざまにたくさんの励ましのお言葉をいただく。タイム的には3時間30分位の位置にいるので、大体目標に近いタイムで走っているようだが、故障の影響で少し苦しそうな感じであった。少なくとも、昨年の旭川マラソンで39km過ぎに颯爽と追い抜いていったときのイメージとは違っていた。39kmも4分台のラップを刻む。一条大橋を超え40kmの関門が近づいてくる。反対車線のランナーの密度はどんどん増していく感じがした。楽走の磯ピーから声がかかる。オホーツクでは足の不調や練習不足もあって5時間ぎりぎりでゴールしていたが、今回は無事に完走できそうである。元々の実力は私より上の人であり、さすがにきっちり調整してきている。続いて楽走のK崎さんとすれ違いエールの交換をする。よく考えれば久しぶりに多くの仲間と会ったおかげで、この区間は元気に走れていたようである。そして40kmの関門を通過した。3時間6分59秒、682位での通過である。この5kmは24分54分とほぼキロ5分ペースであった。
40km付近、最後の力走(GOさん提供)
40kmは最後の関門であり、ここを3時間45分以内に通過すれば、よほどのことがない限りゴールは約束される。ゴールではないが、一つの大きな目標であることは間違いなかった。しかも、ここから南1条通りを経て、駅前通、そして中島公園ともっとも多くの声援をいただける、まさにビクトリーロードである。沿道からたくさんの声援をいただく。本来なら、沿道の声援に応えながら完走に向けた感動に浸ってもいい場所である。しかしこの時の私は必至に時間との格闘を続けていた。そのため沿道からの声援に応える余裕はなかった。それでも、前出のSさん夫妻が再び池内の前あたりで声をかけてくれたときにはガッツポーズで応えたし、他にも知った方から声をかけていただいたときはきちんとそれには応えていた。いよいよ駅前通に入る。中島公園はまだ視界に入ってこないので、まずススキノ交差点を見据えて必至の走りを続ける。狸小路を過ぎ、すすきの交差点を過ぎると、かすかにだが前方に中島公園が見えてきた。残り1kmの表示を過ぎ、いよいよフィナーレが近づいている。「完走が目標」などと言っていた自分はどこへやら、1秒でも早くゴールするぞという自分しかなかった。完全にばてた人を抜くものの、ラストスパートに入ったまだ元気が残っている人にも同じくらい抜かれており、順位が上がっているのか下がっているのかはわからないが、抜かれた人に必至に食らいつこうと頑張るが、直ぐにはなされる。その次の人には、やっぱだめ。こんなことを繰り返しているうちに中島公園の入り口に到達した。残りは600mである。公園内に入ると少し元気が回復する(したつもり)。何とか抜かれることもなく前のランナーを追い抜く自分がいた。42kmの表示があり、残り約200mだが、まだゴールは見えない。右にカーブを切りながら進むとついにゴールゲートが現れた。ゴールゲートの上に設置された時計は目標の達成を告げていた。昨日はまだ設置中でくぐれなかったゲートに向けて必至のラストスパートをかけた。前を行くランナーが両手を突き上げてゴールする。自分もと思い両手でガッツポーズをしてゴールした(しかし、翌日見たゴール映像ではほとんど腕は上がっておらず、とてもガッツポーズしているようには見えなかった)。ゴールラインを過ぎて直ぐに止まる。残念ながらこの時は感動を感じる余裕はなかった。ただ苦しみから解放されてホッとした自分しかいなかった。
5.ゴール後
ようやく呼吸も整い、顔を上げて前に進む。するとボーイスカウトの少年が完走メダルを持って待っていてくれたのに気づく。念願の完走メダルを首にかけてもらい、初めて完走した実感がわいた。急いで着替えて後から来る仲間を向けようと重い足を引き吊りながら歩く。給水所の前で釧路の人さんに会い声をかける。さらにLEONさんに会って、少し話をする。スポーツドリンクと水を1杯づつ飲んで、チップの回収所に向かう。途中で栄養ドリンクを配っていたので、1本もらう。チップの着いた胸側のゼッケンをはずし、参加賞のTシャツと交換し、栄養ドリンクを飲んだ。少し歩くのが楽になってきたので、荷物をもらう前にもう一杯水を飲もうと思い給水所の方に向かうと、LEONさんと再び会い、そのまま一緒のゴール地点に向かう。ちょうどichanさんがゴールしたところであった。一言二言会話をすると、今度は走太郎さんがゴールした。直ぐに駆けよって先程のお礼も兼ねてねぎらいの言葉をかける。そのまま一緒に歩いて再び給水所の方へ向かう。まずは荷物を受け取ることにし、一緒に荷物を受け取る。その後、走太郎さんがチップ回収所にいったので、待っていると汗が冷えてきて寒さを感じるようになる。我慢できるような状況でなかったので着替えようと近くの芝生を目指すとちょうどichanさんが着替えていたので、その横で私も着替えた。着替え終わって時計を見ると15時50分をすでに回っており、これからも多くのランナーがゴールするはずだと思い、急いでゴール地点に向かった。まずはかおちゅうさんにあう。自己ベストで完走と喜んでいた。引き続いてsibaさん夫妻にあう。奥さんは念願の北海道マラソン完走を果たしたようである。そこにOgamanさんもやってきて、健闘を称え合い、ichanさんが5人の記念写真を撮ってくれた。さらにゴールに目を向けると、完全に泣き崩れているアザラシさんを発見する。アザラシさんを囲むように、ミノルトトさん、しんいちさんを始め多くの仲間が集まり、みんな目を赤くして完走の感動に浸っている。猿吉くんもゴールした。そばにいるもの同士、握手を交わしたり、抱擁し会ったりして最高の場面を演出してた。自分もその輪に加わり、感動を分かち合う。その後も写真を撮ったりしながら、ひたすら完走の喜びを分かち合った。
ichanさんと荷物置いてある場所に戻り、その後完走証を取りに行く。完走証の発行所は混乱しており、即日発行の完走証は結局後日郵送になることになった。しかし、すでに発行済みで、ブースに置いてあるものは今持っていってもいいと言うので、2900番台の箱を見ると先客がいる。一枚一枚確認しているので後ろから見てると私の完走証が会ったので、「それ私のですすいません」と言ったがその方は全く無視して自分のを探し続けた。自分の完走証がそこにあるわかると後で送られてくるとわかってもやはりほしい。順番を待って完走証をもらう(結局後日もう1枚送られてきて、完走証は2枚となった)。再びゴール方面に戻ると職場関係のNさんと出会い一言二言交わす。さらに歩いていると、走太郎さんとS師匠さんにであう。S師匠さんとは昨年の北海道ロードレースで10km近く併走したことはあるが、話をするのは初めてで会った。しばし話した後、走太郎さんは一足先にフェアウエルパーティーの行われるパークホテルに向かう。隣のベンチでは楽走の磯ピーさん、あんちゃん、S口ねえさんが話をしているので、次はそちらに混ざってしばらく話をした。そうしていると、ランニング情報マガジン「クリール」の担当者の人が来て、取材を受ける。完走の秘訣などを聞かれ、最後に磯ピーさんとあんちゃんの3人で写真を撮ってもらった(なんと私のコメントは採用され、写真とチーム名入りで掲載された)。そのまま3人でパークホテルに向かい、パーティーにでない2人と別れ、一人ホテルに入る。1階には特に知り合いの人もいないので、会場になる地下2階に行くがそこにも知り合いの人の姿はなかった。疲れているのでスペースを見つけて座る。エレベーターと階段の直ぐ近くなので、他の人が来ても直ぐにわかる場所であった。やがてsibaさん夫妻やOgamanさんがやってきたのでしばし話をしていると18時になりパーティー開始の案内がありホールに案内された。あっという間にテーブルが埋まっていくが、うまく4人で知り合いの方がたくさんいるfrunのテーブルの隣に陣取ることができた。直ぐに乾杯で宴は始まった。まずはおなかがすいているので食べ物を取るが、どれも少しヘビーなメニューで疲れた胃にはなかなか入らなかった。せめてサラダ(できればラーメンサラダ)類が1品ほしかった。18時30分からはアザラシさんやひでさん達の打ち上げに混ぜてもらうことにしていたが、そちらに参加の人の姿はなかったので直接行っているようである。15分ほどしたら、優勝したカギカ選手と千葉選手が入場して会場が華やかになってきた。私はススキノ行われている打ち上げに参加すべく、知り合いの方々に声をかけると直ぐに会場を後にした。
打ち上げ会場に着くとすでにほとんどの方が集まっており、ひでさん夫妻、アザラシさん、猿吉さん、ミノルトトさん、おおひろさん、GOさんのネットランナーのみなさんに加え、ミノルトトさんのお仲間のペガサス走友会(私は仲間に入れてもらうべき何でしょうか)方々であった。後1名の方が少し後れてくるということで、直ぐに宴が始まった。すでに少し飲んできたこともあり、私のボルテージはかなり上がっていた。主にGOさんとおおひろさんの3人で話をしたが、どんな話をしたかはなぜか思い出せない。あっという間の2時間が過ぎ、旭川へ帰る私は一足先に会場を離れ、21時発の特急で旭川へ戻った。
翌日の北海道新聞でタイムと順位を確認すると3時間18分26秒、2636人中673位という結果であった。タイムは自己新で当初は狙っていなかった結果だが、気温が低いのが幸いして出た結果である。実際に目標としていたのが1000番以内に入ることだったので、それを達成できたことは大変満足のいく結果だった。その後も記事を読み、さらに道新スポーツまで買ってさまざまなドラマを知り感動。そしてこの日は仕事で札幌3日続けて札幌へ。JRから創成川通りを見てまた感動。会議のある建物も創成川通り直ぐそば、会議中も何となくそちらを見てはわずか24時間前の雰囲気を思い出してまたまた感動。時間がたつにつれて感動が大きくなっていった。
ゴール後たくさんの仲間と喜びを分かち合いました(ichanさん提供)
6.あとがき
最大の目標であった北海道マラソン完走を果たしてしまい、モチベーションの低下を心配していたが、8月後半を調整のため、やや押さえた練習をしていたため、のびのびと走れるようになってむしろ大会にでる前より楽しくランニングができているのは意外だった。翌週にはいつかはやってみたかった、塩狩峠LSDも行うなど、以前より本当に楽しくランニングをしている。この完走記を書き始めた時はまだスタート前だった豊頃サーモンマラソンもすでに終わり、もう次の函館マラソンに心は行っている。今年の目標はすでにほとんど達成しており、後はNAHAマラソンに参加できれば全て達成と言うことになる。ただ、大きな目標が1つクリアできたのは事実であり、次の目標を探さなければならない。幸い走ることはまだ楽しく、走りながらゆっくりと見つけていけばいいのだろう。それは距離やタイムへの挑戦もあるが、もう一度北海道マラソンにでて声援を送ってくれる沿道の方々と一緒に楽しむ北海道マラソンもあると思う。
夢を乗せたレールはどこまでもつづくことを祈ってこの完走記をしめる。
2004年9月24日