読書録 1998.06
- 『妊娠小説』斎藤美奈子(ちくま文庫・1998)ISBN4-480-03281-9
- これほど有名な文学評論を今ごろ読んで受けるのもなんですが、すげー受けまくり。日本には妊娠小説ってジャンルがあったんだね。石原慎太郎も三島由紀夫も村上春樹も、みんな妊娠小説の書き手だったんだねえ。出会いと初性交、受胎告知から中絶までを、行を数えて野球のイニングになぞらえているところが最高。7回の表で中絶、9回裏で別れ、とかね。三島の『美徳のよろめき』は緻密で美しい短編だと思っていたけど、ここまでバラされてしまうといっそ潔いというべきか。(1998.06.24)
- 『ディープなロンドン』カズコ・ホーキ&フランク・チキンズ(ネスコ・文藝春秋・1998)ISBN4-89036-975-9
- フランク・チキンズってあの80年代にロンドンで"WE ARE NINJA"を流行らせた姉さんたちですよ。すんげー偏ってて新しくておしゃれで面白いロンドン案内。いやこの出不精なあたしが、ロンドン案内読んでもだからどうなんだっていう感じですね。すいません。今、イギリスはおいしくなってきているんだそうです。「日本の大学の先生の本を読まなくても、これは如実にわかる」だって。ばしっ。ありがちな英文学的なトラディショナルなイギリス案内への、これははっきりとアンチテーゼではないですかね。(1998.06.05)
- 『ももこのいきもの図鑑』さくらももこ(集英社文庫・1998)ISBN4-08-748779-2
- ハードカバーの『世界あっちこっちめぐり』を友人に勧められて(それは「あなたみたいよ、なんか」といわれたのだった。いったいどうゆう意味じゃ)読んでから、思いがけずカチっとはまった文章を書く人だったので、こっちもちょっと気になっていた。文庫になったので心置きなく買ってしまいました。お祭りの縁日で買ってもらって、次の日の朝には死んでいたひよこ。冬眠からとうとう目を覚まさなかった亀。広口瓶の中に集めすぎたオタマジャクシ。猫にやられてしまったジュウシマツ。誰もが思い当たる幼い頃の、小さないきものたちとの出会いと別れ。あたしの場合だったらば、お祭りの縁日で買ってもらってすぐ、人混みの中で落っことしてしまい、あわてて探しながら戻ったらもう踏みつぶされていたヤドカリ。家の中で元気に走り回っていたのに、いつの間にか家出してしまった亀。スモモの木の下でバケツに一杯捕ってしまったカブトムシ。あたしが世話をしないので母親が怒って他所にあげてしまった子犬。あたしはペットのつもりで飼っていたのに、田舎の農家の出身で、自分ちで飼っていた鶏やウサギを食べて育った母親が、「これ以上飼うと固くなって不味くなる」とかいって絞めて食べてしまったウサギ。(あれえ、考えてみるとうちの母親ってスパルタンで無茶なひどい母親だなあ。おいしく頂きましたけど。「うさきちはおまえに食われておまえの血と肉になるんだよ」という教育を受けた。あれからこっち、あたしの中では食うことと愛することは矛盾しない。佐川君かっ。まあウサギはイタリアじゃご馳走で、半身で頭も毛もついたまま店先にぶら下がっているそうだが)あと、弟が飼っていた鳩が病気で死んでしまい、泣いている弟を不憫に思ったことなど。この本の後書きにも書いてあるけど、いきものって死にものなんだねえ。あたしが好きな「父ヒロシ」もちょっと活躍。(1998.06.05)
- 『辺境・近境』松村映三・村上春樹(新潮社・1998)ISBN4-10-353409-5
- 春樹さんの旅行記の方が先に出ましたが、これは同行した松村さんの写真集です。あたしは別に写真の目利きではないけど、広角つか水平が印象的な、がっちりしたいい写真と思います。からす島の写真、塩水につかっちゃったライカのフィルムで撮ったというセピアの写真が気に入りました。写真というのは偉いもんですね。村上春樹さんというのはあたしにとって強力な「物語発生装置」であって、たとえドキュメンタリーであっても春樹さんのフィルターがかかって、奇妙な物語の分厚い一切れのようになってしまい(『アンダーグラウンド』に対しても、「ノンフィクションには向かない」という声がありましたが)、別に、あたしはその「物語発生装置」の生み出す効果を気に入っているからいいのだけど、エッセイや旅行記などでは、ついその「物語発生装置」の破綻を探してしまうようなところがあります。この写真集ではそのような屈折抜きに、直接その土地のざらっとした味わいに手が届いたという感じ。もういっぺん春樹さんのを読み直しながら写真集を見てみよう。(1998.06.05)
- 『平成講釈 安倍晴明伝』夢枕獏(中央公論社・1998)ISBN4-12-002782-1
- 講釈師の名調子でぽんぽんぽんっと小気味よく展開していく。ときおり書き手の日常などを折り込みつつ、”語るように書く”ことを狙った文体は、同じ素材をスタイリッシュに書き込んだ『陰陽師』とは雰囲気一転して、軽快で明るい。とはいえクライマックスはもちろんお得意のエロスと伝奇バイオレンス。不思議だなあ。こないだロフトプラスワンでお見かけしたときは、健全でまっとうな、ただの萩尾望都ファンのおっさんだったけどなあ。作家だなあ。本当に不思議だ。(1998.06.05)
- 『UNTITLED』岡崎京子(角川書店・1998)ISBN4-04-852938-2
- あの酷い交通事故からもう2年も経ったが、岡崎京子は未だに療養中だ。この作品集の題名も、作者の加筆修正が入っていず、未定稿との意味でUNTITLEDとつけられたのだという。『pink』以来ずっと、岡崎京子はあたしのアイドルだったのだ。帰って来て欲しい。(1998.06.05)
- 『ぼやきと怒りのマリア−ある編集者への手紙−』森茉莉・小島千加子編(筑摩書房・1998)ISBN4-480-81415-9
- 森茉莉−希代の言葉使いにして、耽美小説の祖。ブリアリとドロンがよりそっている一葉の写真を見ただけで、そこに漂う何かに触発され、彼女はあの名高い男色小説『恋人たちの森』を書いてしまった。しかもそれはまだ1960年だったのだ。まさしくJUNEものの元祖といえよう。その緻密で浪漫の香り高い小説、コミカルで鋭い批判精神のあるエッセイ、それらを生み出す苦しみやどたばたを、何年間も陰で支えた編集者がいたわけだ。おおよそ想像はついていた。森茉莉のエッセイに覗く、甘やかされて育ち、世間知らずなまま2度の結婚生活を経て、現実生活の些事を片づけるのが苦手なさま、他人への猜疑心がノイローゼみたいに膨らんでいく考え方。また、自らの幼児性や妄想を自覚しつつそれを大事に温めて小説の糧にしているらしい彼女の芸術的性格。上手にコントロールしながら書かせるのは容易ではなかっただろう。この本では、小説の書き始めの頃から、『甘い蜜の部屋』の10年間までの裏側が覗かれる。森茉莉の性格的どろどろだけでなく、小説の一語一句に、彼女がどれほど心血を注いでいたか、理想を追求していたかが如実に現わされ、さすがに彼女は真の創造者であったと感じさせられる。そしてまた、編集者と作家の特異な関係、初期の頃の、編集者がほめてくれればまた頑張って書き、ほめてくれないといって悲観し、まるで編集者のために書いているような、編集者によって自分の世界を規定し、全人格を委ねきっている時期から、自分を理解してくれない、自分より他の作家と仲良くしていると、嫉妬し反発し、感情的な行き違いを迎える時期、更にもっと落ち着いて距離を持ち、たまには皮肉のひとつも云ってよこす時期まで、まるで母子関係の発達を見るような関係の変化が読み取れ、これもまた興味深い。森茉莉が『甘い蜜の部屋』で小説家としては燃え尽きてしまい、その後は軽いエッセイで余生を送ったのは残念だが、これほどの産みの苦しみを見てしまっては文句はいえまい。文句を云ってももう新作は読めないんだけどね。(1998.06.01)
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