005 おいしい関係
あらかじめお断わりしておきますが、以下はYOUNG YOU 4月号の「おいしい関係」(槇村さとる)のネタバレを含んでいます。

不覚にも、胸を衝かれてしまった。「千代ばあ、死んじゃ嫌だ」と泣く百恵ちゃんに「自分を生かせ」と病床から説教する千代ばあが、現実とダブる。
実はついこの間、祖母が風邪をこじらせ肺炎を起こして緊急入院したと連絡があり(なんで一週間も経ってから)、慌てて駆けつけるという個人的な体験をしたばかりなのだ。

ばあちゃんにはずいぶん仲良くしてもらっている。千代ばあのようなコワモテではないが、根性の据わったひとだ。
彼女に関する最古の記憶は、弟が生まれたときにまで溯る。生まれたばかりの弟を誰かがあたしの面前に突きつけた。「ほら弟さんよ〜。めんこいでしょう」姉になったばかりのものとして、何らかの感想を求められたらしい。
弟は真っ赤な顔をぐちゃぐちゃにして泣いており、しかも濃い産毛が全身を覆っていた。できたてというか、まだできかけといった感じ。はっきりいってお猿のようだ。まあ生まれたての赤ん坊なんてそんなもんなのだろうが、幼いあたしは怯んだ。
ご苦労なさったらしい母親を前にして、とてもそんなことはっきりとはいえない。でも周囲ではあたしの何らかの反応を待っている。幼い頃からあたしは周囲に気を遣う人間だったのだ。
あたしはそばに立っていたばあちゃんの袖をおずおずと引き、小さい声でいった。
「ばあちゃん。動物園みてえだな」
ばあちゃんはいわんとすることをすぐ察知し、破顔してあたしの頭をわしわしと撫でた。あれは4つのときだ。
この逸話は、その後幾度となくばあさんの口から繰り返されることとなる。いいけど、そのたびに頭をわしわしするのはやめて欲しい。

親戚の家にお泊まりしていておねしょしてしまったとき、あれはもう6つにはなっていたので、自分でもむちゃくちゃ恥ずかしかったのだが、ばあちゃんは一緒の布団に寝ていて大変な迷惑を被ったにもかかわらず、うまいこと他の人から痕跡を隠して始末してくれた。 貧乏学生時代には「ないしょ」といっておこづかいをくれた。「流行のブーツを買いなさい。色は黒だよ」「なんで?」「茶は趣味でない」使い道の限定付きだ。
いやもう、思い出すだに赤面するほど世話を受けた。受けっぱなしだ。
時代劇と酒が好きで、よく一緒に呑んでは好きな男優の話をした。あたしが離婚したときも「喧嘩別れしたわけじゃなかろ?そんなら良(え)えべ」といって笑った。彼女はいつも、心強い共犯者だったのだ。

さて、見舞いに行くと、ばあちゃんは案外元気で、ピンクのほっぺなんかして、ベッドの上で機嫌良く身体を起こしていた。流動食じゃなくごはんをちゃんと食べているという。90年ぶりだよ、おむつなんかしたの、などと受けまで狙っている。ばばあ不死身か。これで丙午の92歳だ。
世話をしてくれる看護婦の誰彼を品定めする。「あの娘は可愛いし親切だから、おまえの弟の嫁にどうだ」孫に嫁の世話までしようという勢いだ。 弟は、猿のような顔で生まれたあのときからもう三十三年も経ったが、まだ独身なのだった。 その上あたしの方は再婚の気配もない。この世にばあちゃんの心配の種はつきないのだ。

帰り際、ばあちゃんはなんだか説教くさいことをいった。「我(わ)ぁの心は我(わ)ぁのもんだ。思った通りに生きろ」(1998.03.12)


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