010 親子は他人の始まり
「他人丼がないねん」とあきちゃんはいう。三十代半ばにして関西から東京に出てきたあきちゃんの、東京に対する唯一にして最大の不満がそれらしいのである。かれこれもう百万回くらいきかされている。最初のうち、かわいそうに思い、あきちゃんの拙い説明を想像力でおぎなって、他人丼『のようなもの』を作成に及んだこともあるが、それを食べていうことには、「ちゃうねん」
なにが「ちゃう」の?何が気に入らんの?
いや、味が気に入らんわけではない、制度の問題だとまであきちゃんは、強い調子でのたまうのである。そこまでいわれたら同情はない。ちゃんと論破せよ。

街なかに普通にある普通の、極く普通の飯屋、それがそばやでもうどんやでも定食やでもかまわないのだが、腹が減ったな、ちょっと飯でも食おか。それが知っている店でも初めての店でも、大勢に影響ないねん。その適当な店に気軽に入り、なんとなく店内を見回しつつ、今日はまあまあ金があるから、「他人丼ひとつ」それで大して間を置かずに出てくる、値段としては650円から850円、900円ではちょっと高い、そういうもんやんか、そもそも、どんぶりもんて。

はあ。いや、ちょっと待て、金があると他人丼か?カツ丼はどうしたカツ丼は。あのどんぶりもんの王者。どんぶりもんヒエラルキーの頂点。黄金色したカツ丼よ。今日はお腹をどっしりさせ、元気を出したい、そういうときはカツ丼と決めているあたしは抵抗する。が、
「いや、どんぶりもんのヒエラルキーの頂点は他人丼ですよ。カツ丼なんてカロリーのヒエラルキーでは頂点かもしれんけど」そうかあ?カツ丼のいったいどこが気に入らんの? 「そこやがな」だから、どこや。

そもどんぶりものとは何ものだ?天丼、うな丼、ああいうのはうそ。邪道です。てんぷらの食い方のバリエーション、うなぎの蒲焼きの食い方のバリエーションではあっても、いわゆる「どんぶりもん」ではないのだ、とあきちゃんは抗弁する。天丼はてんぷら屋、うな丼は鰻屋で食え。飯屋のもんちゃう。どんぶりもんというのは、まず卵でとじてある。卵があるからこそ具とご飯との一体感が達成されるのだ。箸でまずこう、端っこの方をなじませる、おもむろに箸を差し入れ、一口分の大きさに切り取る、湯気がふわああ、で掬い上げて食べるときにやね、あたかもフラクタル図形のように、丼内の各要素が全て、その一口分の中に含まれてないといけない。そやなあ、親子丼やったら、卵、鳥肉、ごはん、まあ上に海苔か三つ葉、他人丼なら、卵、牛肉、青ネギ、ごはん、それらが全て出し汁にくるまれて、一口分の中に含まれてないと。そうして、口の中で絶妙なハーモニーを奏でないといけない。すなわち、どんぶりは一つの宇宙や。

んー、そこまでいいますか。そんなにロマンのあるもんとは知らなかったな。宇宙ねえ。フタするとUFOみたいなかっこはしてるけど。
「だから、天丼も天とじ丼に、うな丼もうな玉丼に変化して、功成り名遂げたアカツキには、まあどんぶりもんの仲間に入れてやってもヤブサカではないな」それはまあ、ありがたいことで。
「で、問題のカツ丼」問題があったのか。

カツ丼もどんぶりもんの一種ではあるけれども、例外処理入るやんか。異質やん。一旦揚げてあるし、一切れが大きいし、箸では千切れん。まずカツの一切れを箸で持ち上げ、食いちぎって、残った部分をご飯の上に戻す、それから卵とご飯を食う、という、二度の動作でやっと全要素を味わえるわけです。あと、コロモと肉がばらばらになり易いのも困る。ちょっと品下れる感じせえへん?嫌いやないけど、いまいち洗練されてない。イナカクサい。他人丼の方が洗練がある。瀟洒がある。

じゃ、じゃあ、親子丼とどっちが?親子丼だって洗練も瀟洒もあるよ。そもそも『他人丼』なんてネーミング、親子丼があればこそ成立するわけじゃん。駄洒落じゃん。

いやいや。親子の方が50円安いやんか。それに鳥より牛の方がご馳走という感じがする。ヒエラルキーの頂点にふさわしい。あんなー、前いっぺん東京で、珍しく他人丼て書いてある店あって、「お〜、な〜んや、あるやんか」と嬉しく注文したら、なんとそれが、豚肉やったんや。あんときは悲しかったわ〜、ほんま。何が悲しゅうて豚の他人丼食わなあかんねん。そら他人には違いないけども、あまりに水臭い。涙出そうになったわ。ええか、昔っから食べつけている身近な食い物、その中でもいっとう好きなもんが、こっちではないねんで。すっぽりそれだけ綺麗に抜け落ちてるねんで。ああもう、なんちうどイナカに来てしもたんやと思たら、なんや情けのうて情けのうて。
あきちゃんはもう本当に涙をこぼさんばかりなのだ。

わかったわかった。ギブアップだ。わかったからもうやめて。きみは『東京の食文化向上のために他人丼を普及する会』を結成しなさいよ。千里の道も一歩からだ。

今日、両国の弁当屋に昼飯を買いにいったら、幕の内、唐揚げなどと並んで、なんと他人丼があった。ちゃんと牛肉を使っているようだ。あきちゃん、ほら、元気出して。東京もけっこう捨てたもんじゃないよ。 (1998.05.21)


  • 前を読む
  • 次を読む
  • ホームへ
  • 雑文インデックスへ