ヨーゼフさんはドイツ人だ。外見は、日本人がイメージするドイツ人の典型、つまり、金髪碧眼、金色の髭、なんとかエッセンのソーセージやかんとかブロイのビールのCMで、ぶるんぶるんと肉が波打ちそうな腕に金色の産毛を光らせ、ビアマグをわしっとつかんで赤ら顔でにっこり笑い、豪快にソーセージを囓る、例のビール太りで腹の出たドイツ人そのものって感じ。ヨーゼフさんは戦後わりとすぐの生まれだ。ドイツ版団塊の世代なんてものがあるとはそれまで考えたことがなかったけど、あるんだって。仕事で日本にやってきて、性が合ったのかそのまま居着いてしまってもう数年経つ。そのわりに日本語はあまり上手くない。あまり上手くない日本語で果敢にジョークをいう。で、あたしとヨーゼフさんの会話は、大半が彼のカタコトの日本語、あたしのいい加減な日本語とおおざっぱな英語でもってギコギコと交わされることになる。話しているうちにこっちの日本語が次第に破壊されていくのが、ちょっと難だ。
「オガンサン、コノじょーく、シッテマスカ?」ヨーゼフさんは車やバイクが大好きだ。アウトバーンをオートバイで疾駆していた青春時代を持ち、日本でもラリーカーをぶいぶいいわせていた。いかんせん運転の仕方がアグレッシブなバイク乗りのそれであって、急激な加減速とクイックなコーナリングを信条とする。後部座席に座っていた同乗者たちは、道が峠道にさしかかると右に左に転げ回り、酔った。おげおげ。この前、高速を走っていて居眠り事故を起こし、本人は奇跡的にかすり傷だったが車が大破した。それでベンツに乗り換えた。命が惜しくなったので、とのこと。しかしいくらベンツといえども、あの運転ではねえ、ちょっとねえ。
「ナニ?」
「あめりかノネ、イナカノヒトニ、ドンナみゅーじっくスキデスカ、キキマスデショウ」
「あは?」
「コタエハ、2シュルイアルネ、か…」
「かんとりー・あんど・うぇすたん、デショ?」
「おおう。ナゼ、サキニ、オチヲイウデスカ?ヒドイデショウ」
「ぶるーすぶらざーすデショ。あいのう。シッテル」ヨーゼフさんはお風呂も好きだ。自宅の風呂は24時間風呂にしつらえてある。朝起きると風呂に入る。夜、酒を呑んでる途中で風呂に入る。サッパリシテ、マタノメルデショウ。マネして風呂に入ったら、酔いが回ってぶったおれた。当たり前だ。日本人によくないことはドイツ人にもよくないと思うんだが、どっか違うんだろうか?
もちろん、ヨーゼフさんは女性も大好きだ。別れ際、ほっぺにチューしろという仕草をするので、まあ、ほっぺなら、と唇を近づけると、すかさずこっち向いて唇でぶちゅっとやる。「ずるいじゃん」と口ではいうが、笑えてしまって腹は立たない。これをご丁寧にどの女性にもやるのである。みんなで温泉に行ったりすると、女性陣が露天風呂に入っている頃合いを見計らって嬉しそうに入って来る。女性たちも、ヨーゼフさんがニコニコしながら入って来ると、これっぽっちの警戒心も抱かないらしい。まあ、金色の腹毛の生えた樽のようなお腹の下に大半は埋もれたかっこうでぶら下がってるそれ(どれ?)は、大して危険そうに見えない。得なキャラクターだね。
「よーぜふサン、どぅゆうのう、じゃぱにーずこみっく、どらエモン?」笑いというのは人間関係を潤滑にするたいそう便利で無難なツールである。日本人はあいまいな笑いをする、あれじゃイカンとかよくいわれるが、ドイツ人だってシチュエーションによっては似たようなものだ。ただまあ、いつまで笑っていればいいかわからなくなることがある。お風呂の湯気の中で、日本人とドイツ人はなんとなくいつまでもえへらえへら笑っていた。
「をう?どらエモン?ナンデスカ?」
「せいむしぇいぷ、よーぜふサン、ソックリネ」
念のため、ドラえもんの形を手で空中に示す。
「…(笑っている)」
「…(こっちも笑っている)」ヨーゼフさんと一緒に酒を呑んでいて、ふと、なんで日本に来たの、ドイツに帰りたくならないの?と何げなくきいたことがあった。が、返ってきた答えは、訊いた方がはっとして身を固くするほど激しいものだった。
「アノクニノ、ゼンブガ、キライ」一瞬ののち、気を取り直したように、「ササ、モットノミマスデショウ」アルコール度数の強いシュナップスを溢れるほどついでくれた。だから、理由はきけなかった。そうか、国を捨てて来たんだなあ。やっぱドイツでいろいろあったんだろうなあ。そんな結論を無理矢理出して、でもやっぱりよくわからない。
(1999.03.04)