022 彼岸
 彼岸が近くなり、菓子屋の店先におはぎが並ぶようになると思い出す。

 そのばあさんは、毎春、彼岸の中日になるとうちにやってきた。近所に墓参りに来るついでということだった。午後の3時頃、「いらっしゃる?」遠慮がちに声をかけてよこす。母が戸を開けるとすぐには靴を脱がず、上がりがまちによっこらしょと腰を下ろして挨拶する。勧められてやっと中に入り、おはぎの入ったお重を母に差し出す。お茶を呑み、世間話をし、やがて日が傾いて影が長くなる頃、母がそろそろ晩の支度を、と言い出しかねない寸前を計ったようによっこらしょと腰を上げ、帰っていった。その行為には毎年狂いがなく、あたしがものごころついた頃からの年中行事だった。

 おはぎばっちゃ、とあたしはそのおばあさんを呼んでいたと思う。なんせ彼女がうちに来るのは年に一回、おはぎ持参と決まっていたのだから。おはぎは旨かった。巷で売っているおはぎは、妙に甘すぎたり、逆にちょっと甘さを抑えてみました、どうでしょう、これってヘルシー、みたいな中途半端な味のものも多いが、おはぎばっちゃのおはぎは過不足なくきっぱりと甘かった。餅米と粳米の配分が絶妙だった。塗りのお重に形よくぎっしり詰まっていた。あれがあたしにとってのおはぎの原型となっている。そうして、そのおはぎの出来も、毎年狂いがなかった。

 どうも子供には年輩のひとの歳はわかりづらい。あたしがものごころついた頃からもうずいぶんなばあさんで、そのまんまずーっとばあさんだった、という気がする。ひとつには、腰がうんと曲がっていたからで、よく毎年一人で花やらおはぎやら持って坂道を上ってやってくるなあ、と思っていた。湯飲み茶碗を持つばっちゃの手は、若い頃から農作業に従事していた人らしく、がさがさで節高だった。

 おはぎばっちゃと母が何を話していたのか、今となってはあまりよく思い出せない。ただ、賑やかな話しぶりではなかった。具体的に誰がどうしたという女同士によくありがちな噂話でもなかった。母のいうことに耳を傾け、ぽつ、ぽつ、と話をした。ひとつだけ憶えているのは、ばっちゃがしみじみと「あんたの歳の人たちは苦労したね。本当に気の毒したね。そんでもはあ、子供らがいい巡り合わせだから、これからはきっとよくなるよ」といい、昭和ヒトケタ生まれの母が涙ぐんでいたことだ。ばっちゃの話は、愚痴っぽくもなければ説教じみてもいなかった。長年生きてきた上での、なんてのかな、感想みたいなものだったんだろう。

 今年はおはぎばっちゃ来ないね。そういったのはいつの彼岸だったか。あたしが中学に入ったか入らないかぐらいではなかったか。来ないねえ、と母はちょっと顔を曇らせた。そうして、その年以降、ばっちゃはもう来ることがなかった。

 あのおはぎばっちゃというひとはどういうひとだったの?とのちに母にきいたことがある。どうも隣町のひとだったみたいだねえ、という答えだ。なにそれ、お母さん知らなかったの?だって別に、どこそこの誰それですっていって知り合ったわけじゃないもの。最初、墓参りに来てるところに行きあって、立ち話をして、まあ上がってお茶でも、みたいなことだったんでない?よく憶えてないけど。友だちってそんなもんでしょ。連れ合いさんに早くに死なれて、とか、息子が一人いて嫁がいて、ぐらいは話したような気もするね。名前なんか亡くなってから隣町のひとに聞いたような案配でねえ。はあ、なるほど。

 まったく、今となってはおはぎばっちゃがどういうつもりで年に一回母のところに通っていたのかわからない。ひょっとしたら嫁と折り合いが悪くて、娘のような歳のうちの母と話をするのが楽しみだったかも知れない。また、母も姑がいないせいで、年寄りに何かいってもらえるのが嬉しかったのかも知れない。まあ、憶測だ。それにしても、うんと年上のひとを何の詮索もせずにそのまま受け入れ、何年も友人として遇していたうちの母には、ちょっと感心した。たとえそれが、おはぎばっちゃのおはぎがやたらとおいしいせいであったとしても。

(1999.03.11)


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