中学の頃だった。とある放課後。教室棟と体育館の間、階段下の狭いスペースで、あたしと後輩の智恵ちゃんは打楽器の練習をしていた。打楽器の練習といっても、基礎練習で実際の楽器使うことはまずない。皮がもったいないし、第一うるさいじゃないか。つわけであたしらは、打楽器パートに代々受け継がれてきた、木製の机を改造して打面を斜めに作った練習台の上にタオルを載せ、練習用のぶっといスティックで黙々と叩いていたわけだ、メトロノームに合わせて。他の楽器の連中はそれぞれ楽器ごとに教室を割り振られてパート練習をしているが、打楽器パートはなぜか冷遇され、部室からも楽器庫からも遠いこんな場所で細々と練習をしていたのである。そこに通り掛かった数学の渡辺先生。この先生は吹奏楽部とは何の関係もない。まさかそんなところに人がというお便所の前の暗がりに我々を見つけて驚き、「お。なんだなんだお前ら。罰で居残りか?なに悪いことしたんだ?」と口走る。なんだろう。うら若い乙女たちが太い撥で規則的に机を叩くのが何かの罰に見えるのだろうか。撥だけに、ばちが当たった、なんちて。もとい。おお、神よ、これは何かの罰なのでしょうか。なぜ我々にこのような試練を与え給うたのでしょうか。我らの罪咎をお許し下さい。あたしと智恵ちゃんが返事に困って顔を見合わせている隙に、渡辺先生は自らの誤謬に気がつかないまま、スリッパを鳴らしつつ鼻歌混じりで去っていったのである。
高校の頃だった。とある夏休み。吹奏楽部の部室であるバラックと、プールサイドにめぐらされた金網の間、雑草が生い繁ったあたりで、あたしと久美子ちゃんは打楽器の練習をしていた。打楽器パートで長年使われてきた、木製の机を改造して打面を斜めに作り、ゴムパッドを張った練習台を、練習用のぶっといスティックで黙々と叩いていたわけだ、メトロノームに合わせて。他の楽器の連中は、それぞれ楽器ごとに体育館裏や空き教室を割り振られてパート練習をしている時間なのだが、打楽器パートはなぜかこんな藪蚊の多い場所に追いやられているのである。そこに通り掛かったのは同じクラスの金沢くんだ。水泳部の練習が終わったところで当然半裸、引き締まった腹筋を見せつけながらの登場である。金沢くんは、まさかそんなところに人がという草むらにクラスメートの女の子2人を見つけて驚く。「あっれえ。何やってんのこんなところで。あ、もしかしておれらの練習見てた?やだなあ、おれってそんなにかっこいい?」それからにやっと笑って濡れた前髪をぱらりとかきあげ、あたしらが抗議の声を上げるのにも耳を貸さず、「いや、いいっていいって」と何がいいんだかわからないが、片手をしゅたっと挙げるとすばやく去っていったのである。残された久美ちゃんとあたしは開いた口を塞ぐべく、つぶやく。「…ばっかやろお」しかしその声にはあまり力がない。
大学の頃だった。とある夕方。講堂裏にあるオーケストラの部室と、大学の敷地にめぐらされた塀の間、日の当たらないじめじめした塀ぎわで、美加先輩とあたしは打楽器の練習をしていた。何代か前の工学部の先輩が材料工学を考慮しつつ作成に及んだという、木製の練習スタンドの上に厚布を敷いて、練習用のぶっといスティックで黙々と叩いていたわけだ、メトロノームに合わせて。他の楽器の連中は、それぞれ楽器ごとに教室や講堂の通路、せめて屋根のある場所を割り振られてパート練習をしている時間なのだが、打楽器パートはなぜかこんなナメクジのいそうな場所に追いやられているのである。そこに通り掛かったのは学校の雑役のおじさんだ。ゴミを集めたりお掃除をしたりする都合で、用具入れの近いこの辺を通ることが多いため、よく見かける。作業着の腰に手ぬぐいをぶら下げ、煤けたような顔色のそのおじさんは、のたのたとあたしたちの目の前まで歩いてきて、しばらくじっとあたしたちの練習を眺めたあげく、こう言い放った。
「ぉぉおれには、ぁぁああんたらのやってることが、っぜんっぜん、わっかんないよっ」
それは質問や疑問ではなかった。それは単なる意見の開陳だった。我々には申し開きをする余地が全く残されていなかったのだ。
おれはずっと以前から、それだけが言いたかったんだ、そういう意気軒昂とした表情で、おじさんは去っていった。2人の妙齢の女性が学校の隅っこの暗い塀ぎわで棒でもって奇妙な形の台をひっぱたいている理由が、そのおじさんには理解の埒外であり、イライラの元だったのだろうな、もう長いこと。それにしても、暴力的に中断させられた練習を再開しようと努力するにあたっては、美加先輩もあたしも結構長い時間がかかったのだ。ここで、みなさんにおねがい。がっこうのすみで、木の棒を持って板をひっぱたいているへんな女のこを見かけても、あたたかい目で見守ってあげて下さい。いやせめて、そっとしておいて下さい。そうしたらあなたを叩きはしないから。たぶん。で、練習中なんで、ナンパ禁止。
(1999.05.19)