032 それは夕立のように

 それはいつもイキナリやってくる。
 ある日それは腹の底から沸き起こってきて、あたしのボディを強打したりするのだ。ある日それは夕立のようにざあざあ降ってきてあたしの心を濡らしながら降りやまなかったりするのだ。そうして、あたしはためらい、抵抗し、峻巡し、逃避し、それでもあらかじめ急所を捕まれてしまっているので、大抵の場合最終的にはアキラメて身を委ねることになる。快楽の遅延による快楽の増大。
 ええと、何がってそりゃ、物欲ですよ物欲。とめどない物欲。申し訳ないが、って誰に謝るものでもないが、こう見えても、って誰も見てないけど、あたしは物欲の人だ。も〜う、モノが好きすき。モノを精神化するタイプ。とめどなく自我をモノに仮託し、自我が肥大して自分の周囲をモノでかためるタイプ。モノが捨てられなくて収拾がつかなくなるタイプ。その代わりといっては何だが、いや別に何でもないが、金銭欲はあまりない。個人の資産形成には興味がない。貯金がないともいうけど。もし仮に今、現金または小切手または銀行振込で25万くれようって人と、食器洗い機あげるって人がいるとすると(いいなあそれ(ぢゅるぢゅる))、あたしは間違いなく食器洗い機をくれる人を愛してしまうと思う。たぶん。
 愛はお金では買えないんだよ。でもモノでは買えてしまったりするんだよ(一瞬だけどな)、少年よ。って、あたしは誰に向かっていっているのか。

 それはいつもいきなりやってくる。
 地平線のかなたから。アンドロメダの向こうから。巨大な薔薇の花束をしょって。チャイコフスキーのピアノコンチェルト第一番を鳴り響かせながら。しっとりと五月雨のように糸を引いて。
 あれっと思ったらもう始まっている。くらっと、心がこむら返りを起こしたようにモードが切り替わっている。心臓がいつもよりも速く、軽く、高いところで鳴っている。そんなわけで恋に落ちる。例年であれば、眠っても、眠っても、まだ眠い春が、恋をすると全然眠くならない。一晩中でも踊っていられるくらい。朝早く目が覚めて、鼻歌が出るくらい。じっとしていられない。不思議だ。このエネルギーはいったいどこから来るのか。
 満開の花、新緑の下。どれほどの想いが注がれたことか。そうして、大抵の場合それは一方的だ。

「一度も僕はおまえに手をふれぬものだから、僕はおまえをしっかり持っているのだ」
(ヘルマン・ヘッセ詩集より)
(ウソです。本当は、リルケ「マルテの手記」大山定一訳より)
 恋の終わりはあっけない。潮がひくように、すーっと青ざめていって、エネルギーが切れる。悲しくはない。惜しいだけ。恋を持続するパワーのない自分が。

 最近は、なんだかんだ物欲ばっかで恋がやってこない。でも、いつかまた、きっと。そう信じて日々を過ごす、そんなのも、ちょっと悪くない。

(1999.05.31)


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