私のハチャメチャ高校時代
もう気がつくと人生も大体半分(じつはもう終盤だったりして・・・)を過ぎて、そろそろ人生を振り返っても嫌みじゃないかな?なんて思っています。最近某所(知っている人のみ知っている)で高田高校ネットワークが確立されようとしているんで、ちょっと自分なりに高校時代を振り返ってみようかな?と思い立ってこのページを作った次第です。
<学校行事> <変な体育の授業> <愉快な仲間たち> <流行った遊び>
学校行事
・入学式
自分の入学式はほとんど覚えていないんですが、入学式が終わって教室に帰る際、階段の下で女子のスカートの中を覗く不埒な奴がいたらしい。それが後の10日会(後述)メンバーのK君だったとは口が裂けても言えない。(それを覚えていたのも10日会メンバーのI君だった)
それはさておき、合唱部は入学式で校歌を歌うためだけに参加するのですが、ここで歌う校歌は正調の校歌。うちの高校は普段校歌なんて歌わなくて、歌うのは入学式、体育祭、卒業式の年3回だけ。一般生徒は年2回しか歌わないから5番まで歌える奴はほとんどいなくて、しかも体育祭では相当リズムを崩して歌っているので、譜面通りにリズムを刻んで歌うのは入学式だけ。応援で来て貰った合唱部員以外の人は100%戸惑います。
・体育祭
7クラス(現在は8クラス)の縦割りで7軍対抗の体育祭。赤・白・青・緑・橙・桃・黄というオイオイこんな色使うか?というような構成だが「赤・白・青以外の軍は優勝できない」という嘘みたいな本当のジンクスがある。
開催はGW中の1日に市営陸上競技場で行われる。旧制中学時代からのオールドファンも見学に来るという結構大きいイベント。棒倒しと騎馬戦は(普通の物なんだが)とにかく名物だった。開催時期が新学期が始まってすぐなので、3年はクラス替えが発表になると「この組は団長こいつだな」と必ず予想する。そして大概はその予想通りに団長が決まり応援団を結成。すぐに1・2年のクラスに展開することになる。普段学年を越えた交流というのがないので、この時が最初で最後の先輩風を吹かすチャンスである。それと同時に軍の色決め抽選が行われ、先のジンクス通り3軍以外は指揮が落ちる。
私は予想通り(自分で言うなよ)団長になり、見事白軍をGET!あとは応援練習をしながら、競技参加のメンバー選定の指示や看板書きなど雑用の山の総指揮に当たる。連日夜遅くまで準備に追われ、当日は5時集合。はっきり言って徹夜で学校に行きました。前日にはきっちり頭を5分刈りに丸め(これは相当インパクトがあったらしい)全軍の士気を鼓舞することも忘れなかった。結果は最後のスウェーデンリレーまでもつれ込んだがなんとか優勝。優勝スピーチは教師陣を唸らせ「普段の大村じゃない」と言わしめた。閉会式の校歌斉唱は歴代の優勝団長の中で一番うまかった(はず)と評判になる。(すげ〜脚色)
・球技大会
クラス対抗なんですが、3年の時うちのクラスは、ことごとく男子が敗退。体育祭の優勝はフロック視され、女子がそこそこの成績だったためヒモクラスと陰口をたたかれる。他の学校では多分やらないだろうと思われる種目が羽球(バトミントン)割と本格的で、狭い講堂の中に真夏の7月なのに戸を閉め切って暗幕を張って、本当のバトミントン大会さながらの熱気ムンムンの中で行われる。ただし試合のインターバルでは、戸を開け空気を入れ換え天国を味わう。本当にシャレでなく脱水症状で倒れるんじゃないかと思った。
卓球はダブルス、バトミントンは混合ダブルスの個人戦もあるのだが、卓球で中学の時の同級生で全国大会経験者が、隣の中学出身の同じく全国大会経験者と「高校に入って卓球部に入っていない」という理由でペアを組んであっさり優勝した。そりゃピンポンの息をちょっと越えたくらいのレベルの中で、いきなり全国大会コンビが出るんだからシャレにならない。
最高に印象に残っているのは1年の時の3年生のバレーの決勝。すげぇ〜ハイレベルで、サイン使ってクイックや時間差使うは、サーブはみんな曲げるかドライブで、フォーメーションもちゃんとしてる。3年生になったら、こんなハイレベルなバレーができるんだ。とワクワクしてたら、そんなのまるでできなかった。あの年の3年生はなんだったんだろう?
・高高祭
いわゆる文化祭。当時は(共通一次が始まってから)敬老の日付近に土・日・月の3日間で行われていた。センターテストになってからはまた時期が変わっているかも知れない。
土・日はどの学校にもある文化祭だが、最大の特徴は月曜の第2部の音楽祭。高田公園内の厚生南会館を一日借り切って、クラス対抗で出し物をする。これは一般に公開しないため、(土日は一般の人に楽しんで貰う文化祭で)これこそ高高生が楽しむ文化祭だった。
1年は歌を歌い、2・3年は劇をやるというのが不文律になっていたが、なぜかうちらの代は1年の時から劇に走っていた。大概はギャグ満載の劇(というかコント)でギャグのデキで優勝が決まるというのが通例だったが、2年の時1クラスだけシリアス劇をやり見事に優勝。3年の時は全クラスがシリアス劇に走った。唯一うちのクラスだけが「(メンバー的に)ギャグをやるならあそこ」と言われ続けたが、多数決の結果わずかな差でシリアス劇となった。今でもあの時ギャグをやってたら(目立って)優勝できたと思っている。
・マラソン大会
これは私だけがビッグイベントにしていた行事。とにかく長距離走が得意だったんですよ。運動部でないのに1500m走は調子がいいと4分30秒台で走っていた(高校に入ってからは1回も5分かかったこと無いです)。3年の時のうちのクラスはハイレベルで、体育の時間の1500で一度も一着になれませんでした。1回でいいから4分30秒切ってみたかったな・・・。距離は長ければ長い程良かったんで、クラス対抗駅伝なんかあったら俺が一番長いとこ走って・・・絶対優勝できるな。と陸上部の奴と話してました。ああグリーングラスかスーパークリークかメジロマックイーンか(競馬ファン限定ネタ)。生粋のステイヤーでした(爆)。
1年の時はもうちょっとでベスト10(学年で男子230人くらいです)2年の時はベスト10宣言してたんですが、道路工事で2・3km短縮(通常10km)されて全然実力発揮できず、20位台まで下がって賭に負けて大きな損害を負った。3年の時についにベスト10入り(8位)でもこの年は賭けてなかったんですよ〜。ただその日の夜、両太股がつってベットの中で涙ボロボロ流した事実は誰にも言えない。
・2次特編
共通1次が終わって私立の入試が始まるまでの3週間くらいで行われる授業。週に数時間という大学の授業みたいな編成になるんで、空き教室でワイワイ話してることが多く、一緒のクラスになったことのない奴と初めて喋ったりで滅茶苦茶楽しかった。各部(特に女子マネージャーのいる部)の合宿裏話とかは笑えた。
・卒業式
すごくラフな式です。他の学校にある来賓祝辞とかほとんどないし、送辞答辞もないし、仰げば尊しなんか絶対に歌わない。特徴的なのは答辞の替わりの卒業生代表スピーチ。代表3人が数分間話すのですが、代表に選ばれる人のパターンが決まっていて、学年1番の奴、留学して1年卒業の遅れた奴(英語込みのスピーチ・女性の場合が多い)、笑いのとれるおもろい奴の3人。しかし本番はこの3人がスピーチし終えた後、数人がマイクまで突進して行う飛び入りスピーチ。私が2年の時これが一人もいなくて「今年は卒業式盛り上がらなかったな」とみんな言ってました。・・・で、うちらの代は・・・私と私の連れがしました。前日まではやるまいと思ってたんですけど、回りの激しいプレッシャーに負けて・・・。(当日何人に「期待してるぞ!」と声をかけられただろう)。
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変な体育の授業
・週5時間
何が変ってこれほど変なものはない。1・2年で週3時間だった体育が、3年で週5時間になる。進学校じゃないみたい!だが大部分の私のような成績の悪い奴には大好評だった。増えた2時間は柔道・剣道に割り当てられた。当然のように柔道の時間の前はプロレス大会だった。
・縄跳び
雪国の3学期の体育はカリキュラムが固定化されるのだが定番が縄跳び。縄跳びと侮ってはいけない。まずは自分の縄跳びを作るところから始まるのである。準備するのは竹と5円玉2個と縄。縄は鍋で煮てほど良い細さにする。そのあと一緒に風呂に入って均等に伸ばす。この作業がポイントで、均等に伸ばし軽量化を図らないと非常に縄が回しにくくなる。あとは竹に通して5円玉を留め金にして結べば完成。
とにかく早く縄を回す事が出来るかどうかが、難易度の高い技を出来るかどうかのポイントになるのである。したがって縄を早く回す事が重要な練習になる。
技の基本は前・後・横(!)からの回し技の複合だが、前から後に縄を止めずに移行する技から1回も跳ばずに跳んでいるように見えるという休み技まである。テストは1分間自由演技で1重跳びを1回も引っかからずに跳べば60点だった気がする。しかしこんな無難な技にする奴は一人としていない。みんな独自技に挑戦する。伝説的な技に「イカ跳び」というのがあるが、どういう風に回すのか何回聞いても分からなかった。私は「3重跳びの大村」と呼ばれ、通常1重跳び→2重跳び→3重跳びと移行するのを、いきなり3重跳びから入るという荒技を得意にしていた。ちなみに4重跳びは1回しか出来なかった。
・逆立ち
これが苦手だった。3学期の体育のもう一つの課題がこれ。1年のときは制止10秒。2年のときは歩行10m。両方あとちょっとのところでクリアできなかった。でも大概の奴(2/3くらい)はクリアできちゃう。もちろん1年掛かりで練習するんですけどね。2年の時に部活終わってから何気なくやったら、制止10秒出来たのはなんか悔しかった。
・ST
週3時間、全部違う先生3人が1時間担当するのだが、そのうちの一人が白倉(先生)だった。3年の選択科目の英語にST(スペシャルトレーニング)という会話中心の科目があったのだが、これをもじって白倉体育をSTと呼ぶようになる。なぜなら白倉体育が雨天で体育館になるとサーキット・トレーニングになるのである。これが非常にきつい。2学期はマラソン大会に備えてロード走や高田公園の陸上競技場で1500m走というメニューなので、多くの人は(私は長距離走得意だったので例外)雨天を望むのだが白倉体育だけは、1500m走の方が楽なので晴れを願う。という程のハードな体育だった。もうこれは授業の域を越えている。これぞ本当のST(スペシャルトレーニング)と恐れられた。
・番外!凄い英語の授業
高田高校の英語の授業は凄かった。リーダーは市販の教科書を使っていたが、英作文は学校独自で教科書・LLテープを作ってカリキュラムを組んでいた。はっきり言って英語だけはレベルは高い方だと思う。英語の成績は地を這うような成績の私が、全国模試だと簡単に全国平均を超える事が出来た。まぁそれがどうしたと言われたらそれまでだが、英語嫌いだった私だが、大学になって英検2級を簡単に取れたのは高校のおかげだと思う。ちなみにLLテープは授業が終わるとすぐにキャンティーズのテープになっていた。
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愉快な仲間たち
・10日会
高校時代結成されたグループ。毎月10日が珈琲館グループがサービスデーで、コーヒー1杯でおかわり自由になるのを聞きつけ、毎月10日上越市役所近くの珈琲館に繰り出して遊ぶという会。
毎月10日が近づくとメンバー達は「もうすぐだな」とニヤニヤし、当日は部活が終わってからどこからともなく集まるという秘密結社的組織。また店員も「いらっしゃいませ」ではなく、我々には「お待ちしておりました」と歓迎(?)してくれるという遊びまであった。
親公認で「今日は遅くなるから」と言うと「10日だもんな」と納得してくれるというくらいだった。実際帰ってくると23時を過ぎている(田舎では深夜です。この時間までフラフラしているのは悪い事とされていた)のはザラだったのに、この日だけは許してくれた。
・2年7組
高田高校史上に残る(多少脚色あり)と言われたクラス。昭和53年4月結成。昭和54年3月解散。LHRで「このクラスは男女の仲が悪い」というのが議題に出て、白熱する論議の中で「それなら仲を良くするためにこれから外に出て遊ぼう!」という意見に全員一致で賛同して、外に出て(高校2年にもなって)鬼ごっこをしたという、実は凄い仲の良いクラス。解散後は「2年7組の残党」という言葉が出来たくらい、各クラスで2年7組出身者が中心人物になる。
・県の宝たち
陸上・水泳部にいた、新潟県を代表するトップアスリート・スイマー達。中学3年のときJO(ジュニアオリンピック)走り幅跳び優勝の経歴を持つK君。ハンマー投げでいつも県で2番目の壁を破れなくて悔しがっていたU君。県大会と北信越大会の総合得点がほとんど変わらない実質部員3名の水泳部の両エース・自由形短距離のM君・バタフライのT君。M君以外はIH・国体で決勝進出の成績を残す。最高はK君のIH4位。可哀相なのはT君で、IHは9位で予選落ち。国体は決勝に出てNHKで中継があったにもかかわらず、決勝当日は高高祭第2部の音楽祭で誰一人としてTVを見ていなかった(笑)
自分がスポーツやってないのに、なぜかスポーツやってる奴とは昔から気が合う。まぁ中学の頃から月刊陸上競技・陸マガ・スイミングマガジンは欠かさず読んでいたが・・・。
・サッカー部
笑いの宝庫。1年下の代の奴等の実力で県IHベスト8(ちなみに1年下はベスト4)という、高田高校サッカー部史上に残る驚異的実績がありながら、サッカー勝負でなくお笑い勝負だったら絶対県代表だった。とまで言われる。試合中もその精神を忘れず、PK戦で11番目にCF(10日会メンバーのK君)が蹴るという卑怯な笑いまで使う。
ちなみに私はサッカー部顧問の内田君(先生なのになぜか君付けで呼ばれていた)の真似が得意で、部員から絶賛された。
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流行った遊び
・執筆活動
10日会メンバーがサービスデーで貰ったメモ帳にいたずら書き(ショートショート)をしたのを口火に大ブーム。主にパロディ作品が多かった。名作中の名作は「エマニエル夫人」のパロディで「エーボマリエル夫人」。10日会メンバーのエーボン(学年1番の成績だった)がマリちゃんと良い仲だ。という噂(あくまでも本人は否定)を題材にしたラブストーリー。しかしエーボンの手により破棄され、ごく一部のマニアの伝説の名作になる。この活動はエスカレートして、ついには「エーボン・ドいい子・中劇裏」という原作が何なのかわからない作品が出るようになり次第に沈静化した。
(注.マリちゃんの家が「中劇」という映画館の裏にあったので出来た作品。後に「男・ドあほう・甲子園」のパロディと判明。全然パロってない!)
・昼休み運動部
高校入学からやれるスポーツはほとんど経験した。バスケ・バレー・サッカー・野球という昼休みの王道スポーツだけでなく、卓球・ラグビー・バドミントン(はラケット買ったし)のマイナースポーツ、バーベル挙げなどの今で言うウエイト・トーレニングなんかもした。まぁ昼休みは弁当食う暇も惜しんで(食う弁当がなかった?)身体動かしてました。
・水球
これは流行ったわけではないんですが・・・。昔の高田高校のプールって板飛び込みが出来るようになってたんですよ。25Mプールの片端が深さ3、4mくらいあったのかな?プールの中央で184cmの私がやっと足がつくというプールで、体育の授業中に水球をやったんですが水泳経験者とごく一部の泳ぎの達者な奴しかできなくて面白かった。もちろん私は楽しんだ部類です。
ところでこんなプールの構造なのに、なぜかテストのときは浅い方から飛び込んで深い方に向かって泳ぐんですよ。25Mしか泳げない奴は泳いでるときよりタッチした後が必死です。ようやくプールの縁に掴まって沈むのをこらえてました。なかには掴み損ねて沈んじゃう奴も・・・。高校2年のときにそのプールは新しくなってしまったんですが緑色の水のあのプールが妙に懐かしいです。
・新スポーツの開発
昼休み運動部で一通りのローテーションがされた後に行き着いたのがこれ。竹刀とバレーボールで卓球をするとか強引な複合技が多かった。
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