ティツィアーノ・ヴェチェリオ (1477 - 1576)
《洗礼者聖ヨハネの首をもつサロメ》
Tiziano Vecellio, "Salome con la Testa del Battista"

1515 油彩・キャンヴァス 72 cm x 99 cm   
ローマ、 ドーリア・パンフィーリ美術館 所蔵



Now connecting to ..... Shibuya Keizai Shinbun Web http://www.shibukei.com/headline/4601/


図像 xx Iconology

  石壁に囲まれた部屋の中。朱の衣を羽織った女性の上半身が描かれている。男の 切り取られた首を、金皿に載せて両手で持っている。女は男の生首を正視出来ずに顔を 大きく右に背けはするが、眼は横目でその首を盗み見る。こめかみから垂れ下った ほつれ毛が、彼女の心境が尋常でない事を鑑賞者に暗示する。左側には、不安げに彼女の 顔を見上げる緑衣の少年の上半身。部屋の外は明るい青空である。出口にはクピドが一人、 首を斬られた聖人の死を悼む様に天井を舞っている。

  サロメはヘロデ王の王妃ヘロディアの娘。王妃ヘロディアは、もとはヘロデ王の兄の 妻だったが、サロメを連れ子としてその弟の今のヘロデ王と再婚した。洗礼者ヨハネは これを不義の結婚と非難した為、宮殿の牢に囚われていた。
  ヨハネは以前は、ヨルダン川の周囲の町や村を巡り、間近に迫ったメシアの到来に備えて 悔い改めを行うように説教して歩いていた。来るべき聖霊による洗礼の象徴として、悔悛した 人々に対してはヨルダン川の水で洗礼を施していたのである。そして最後に、イエス・ キリストにも洗礼を施すに至り、先駆者としての役割を終えた。その後、彼は、当時の ガリラヤの支配者ヘロデ王の、神の教えに反した結婚を非難して王の怒りを買い、投獄 されたものである。そして最もヨハネを恨んでいたのが当の王妃ヘロディアだった。
  ある日、王の誕生日の宴会でサロメは踊りを披露、客を大いに喜ばせたので、王が 褒美を約束すると、サロメは母ヘロディアに唆されて、ヨハネの首が欲しいと申し出た。 ヘロデ王は心を痛めつつもヨハネを処刑してその首を盆に載せてサロメに与えた。ヨハネの 弟子達は遺体を引き取って葬った。

  この絵はティツィアーノ38歳の作なので、所謂る初期の作品に分類される。薄暗い 背景を前にサロメの衣の朱色が光り、血の象徴を連想せる。サロメの、少し顔を背けながら ヨハネの首を見つめている姿勢は、悲しんでいるのか喜んでいるのか、鑑賞者の色々な 想像を掻き立てる。その左こめかみのほつれ毛がやけに艶かしい。


ティツィアーノ xx Tiziano

   ティツィアーノは16世紀イタリア・ルネサンスの画家で、ヴェネツィア派絵画の 最盛期を代表する巨匠と言われる。安定した形体と暖色系豊富な色彩で、多くの宗教画や 肖像画を残し、ヴェネツィア派絵画の、色彩中心の伝統を集大成した。さらに、神話画や 風景の作品も残した。長かった一生の間に描く絵画の様式は次々と変って行ったが、色彩に 対する執着だけは終始一貫変らなかった。その為屡々、「"フィレンツェ・ローマ" 対 "ヴェネツィア"」「"素描のミケランジェロ・ラファエロ" 対 "色彩のティツィアーノ"」 と言う対立構図の中で論じられる。
  ヴェネツィア共和国の北方の小さな村に生れたティツィアーノは、始めは9歳にして ベネツィアで塗装・モザイク職人に、次いで
バッコスとアリアドネ

ウルビーノのヴィーナス

聖家族と寄進者

ダナエ

受胎告知
ベッリーニ 一族の工房に学んだ。
  30歳の頃になって、自分に強い影響を与えた先輩格の ジョルジョーネ と共に、 ドイツ商館外壁のフレスコ画(破壊されて現在は断片しか残っていない)を委託された。 ウィーン美術史美術館の 《聖母子(ジプシー女)》 では構図はベリーニに倣い、聖母は 世俗的姿で描いた。34歳でパドゥヴァのスクオーラ・デル・サントの為にフレスコ画 《新生児の奇跡》 《嫉妬深い夫の奇跡》、《下肢切断の息子の治療》 、《聖アントニウスの 奇跡》を制作、人物には宗教的な解釈が感じられる様に、その事件には現実味が 感じられる様にと描いた。30歳代で描いた 《田園の楽奏》 (ルーヴル美術館)や 《聖愛と俗愛》 (ローマ、Galleria Borghese)、 《バッコスとアリアドネ》 (ロンドン、 ナショナル・ギャラリ)等の作品では、ジョルジョーネの牧歌的画風を発展させて、人体や 道具立てよりも豪華に描く事に力を入れる様になった。更に 《ペーザロ家の聖母》 (ヴェネツィア、サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会)等の祭壇画では、それ迄 伝統的に中央におかれた聖母を右に移動する事によって構図上の革新を齎したと言える。
  50歳を過ぎると、ティツィアーノの絵は、 《ウルビーノのヴィーナス》 (フィレンツェ、 ウフィツィ美術館)等の様に色彩的にも印象的にも穏やかな雰囲気に変った。この間、 ベネツィア共和国の公認画家となり、フェッラーラとマントバの宮廷でも働き、カールV世と 教皇パウルスIII世を描き、ドイツへ行ってアウグスブルクのカールV世の宮廷で数多くの 肖像画を描く等の活躍を続けた。
  70歳を越えた晩年にはヴェネツィアに戻り、そこで描いた 《ダナエと子守女》 (プラド美術館)、 《エウロペの略奪》 (ボストン、Isabella Stewart Gardner Museum)、 《アクタエオンの死》 (スコットランド王立美術館)やウィーン美術史美術館の 《ニンフと牧童》 、ベネツィアの サン・サルバトーレ聖堂の 《受胎告知》 とミュンヘンに在るアルテ・ピナコテークの 《茨の冠 (のキリスト)》等の一連の神話画では、形態は堅牢さを失って霞んだ絵具の中に 熔け込み、色彩は強くなって情熱的になって行った。最晩年には、自身の墓碑礼拝堂の為に 《ピエタ》 (ヴェネツィア、アカデミア美術館)を描いた。長寿であった。

  その他の主な作品(年代順):
《Pope Alexander VI世 がJacopo Pesaroを聖ペテロに捧げる》
  (アントワープ、Koninklijk 美術館)、
《アドニスの誕生》 (パドヴァ、Civico 美術館)、
《La Schiavona と呼ばれる婦人 の肖像》
  (ロンドン・ナショナル・ギャラリ)、
《やきもち妬きの夫の奇蹟》 (パドヴァ、Scuola del Santo)、
《男の3つの年代》 (スコットランド国立美術館)、
《Noli Me Tangere (私に触れるな)》(ロンドン・ナショナル・ギャラリ)、
《ジプシー聖母》 (ウィーン美術史美術館)、
《穢れの愛(虚栄心)》 (ミュンヘン、ピナコテーク)、
《フローラ》 (ウフィツィ美術館)、  《ルクレティアの自害》 (ウィーン美術史美術館)、
《化粧台の女》 (ルーヴル美術館)、  《献金》 (ドレスデン、絵画画廊)、
《聖母被昇天》 (ヴェネツィア、サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会)、
《ヴィーナスへの捧げ物 (礼拝)(キューピッド達)》(プラド美術館)、
《聖家族と寄進者》 (ミュンヘン絵画館)、  《暗殺者》 (ウィーン美術史美術館)、
《さくらんぼの聖母》 (ウィーン美術史美術館)、
アヴェロルディの多翼祭壇画
《懺悔するマグダラのマリア》 (ピッティ宮殿)、
《アンドリアンのバッコス祭》 (プラド美術館)、
(次の2点はルーヴル美術館蔵) 《キリストの埋葬》
   《聖母子と聖カタリーナと兎》
《聖母の神殿奉献》 (ヴェネツィア、アカデミア美術館) 、
《洗礼者聖ヨハネ》 (ヴェネツィア、アカデミア画廊)、  《荊の冠》 (ルーヴル美術館)、
《増水した河を渡る聖クリストフォーロ》 フレスコ画(ドゥカーレ宮殿)、
《ダヴィデとゴリアテ》 (ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ)、
《ダナエ》 (ナポリ、 Capodimonte 国立美術館)、
(次の4点はプラド美術館蔵)《ミュールベルグでの 皇帝チヤールスV世 の肖像》、
   《オルガン奏者と共にいるウェヌス とクピド》、 《アダムとイヴ》
   《ヴィーナスとアドニス》
《鏡のウェヌス》 (ヴェネツィア、カ・ドッロ、Galleria Franchetti)、
《鏡のウェヌス》 (ワシントン・ナショナル・ギャラリ)、
《果物鉢の女》 (ベルリン国立美術館)、
《ディアナとカリスト》 (スコットランド国立美術館)、
《三賢王の礼拝》(アンブロジアーナ絵画館)、
《ディアナとアクタエオン》(スコットランド国立美術館)、
《聖ヒエロニムス》 (ミラノ、ブレラ絵画館)、
《受胎告知》 (ヴェネツィア、San Salvatore)、
《悔悛するマグダラのマリア》 (エルミタージュ美術館)、
《夕暮れ風景の中の聖母子》 (ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)、
《クピドを目隠しするウェヌス》 (ローマ、Borghese 画廊)、   《自画像》 (プラド美術館)、
《思慮分別に支配される年代の寓意》 、   《ウェヌスとリュート奏者》
《タルキンとルクレティア》 (ボルドー美術館)、
《レパントの戦いの寓意》 (プラド美術館)、
《マルシアスの皮剥ぎとアポロン》 (チェコ、Kromeriz 国立美術館)、
《聖母子と4聖人》 (ドレスデン、Alte Meister 画廊)、
《聖ヒエロニムス》 (Escorial、Nuevos Museos)   等


参考文献 xx References

 1)マイクロソフト「エンカルタ総合大百科2005」, マイクロソフト, 2005年
 2)匿名著者「フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)」(ティツィアーノ・ヴェチェッリオ),
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BC%
    E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%AA%E3%82%AA, 2008年
 3)Anonymous Authors「WIKIPEDIA The Free Encyclopedia」(Titian),
    http://en.wikipedia.org/wiki/Titian, 2008
 4)Azuma, Takashi「サルヴァスタイル美術館」(ティツィアーノ・ヴェチェッリオ),
    http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/tiziano.html, 2008
 5)アール・アートグッズ「ヴァーチャル絵画館」(ティツィアーノ),
    http://art.pro.tok2.com/T/Titian/Titian.htm, 2008
 6)「The Gospels According to ST. MARK, to ST. MATHEW and to ST. LUKE of the New Testament」
    (King James version), American Bible Society, 1992


構成 xx Composition

  背けた顔と首が作る傾斜線は、ヨハネの顔とサロメの右手に繋がり、画面左上部から右下がり 対角線を形成している。この右下がり対角線構図が、場面全体が動的ではあるが、不安で歪んだ 雰囲気を鑑賞者に与える。



鑑賞日 xx Appreciation xxxx 2007-9/7日 ヴェネツィア絵画のきらめき展 文化村 ザ・ミュージアム にて


戻り
Return