伝 記 年 譜

1936年(昭和11年)

4 月29日 東京市麻布区六本木町一番地で出生。(「自筆年譜A」に「父重康、母田鶴子の長男として東京(母方の祖父の家 麻布区六本木町一番地)に生まれる。東京帝室博物館勤務の父は折から奈良に出張中、宿で「タロウ、ウマル」の電報を受け取ったという。以後、長男は両親から弟妹を与えられることなく「ひとりっ子」として成長する。」とある。)

 

1939年(昭和14年)

3歳

12月 ジョニー・ワイズミュラー主演の『ターザンの猛襲』を帝劇で見る。

 

1940年(昭和15年)

4歳

春、世田谷区羽根木町一六六二番地に転居。近くの中原幼稚園に通う。

 

1941年(昭和16年)

5歳

4 月 四谷の私立雙葉幼稚園に入園。

 

1943年(昭和18年)

7歳

4 月 四谷の学習院初等科に入学。

 

1944年(昭和19年)

8歳

10月 母方の祖父の出身地である長野県上伊那郡小野村字上町に疎開。小野村国民学校に転校。この間、六本木の祖父の家は焼失、羽根木の家は不発の焼夷弾を被り住居不能。

 

1945年(昭和20年)

9歳

8 月15日 正午に、天皇による終戦の詔書のラジオ放送(玉音放送)が行われる。日本はポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争は終戦。(「自筆年譜A」に「いわゆる「玉音放送」を明るい戸外で聞く。その直後、気軽な冗談で事態をはぐらかす祖母や伯母たちの解放感にみちた反応ぶりにやや戸惑いながらも、太平洋上で自爆した遠縁の海軍大尉が何度か口にしていた「まあ、負けますね」の一語が正しかったことを確認。」とある。)

10月 親もとを離れ、静岡県沼津市桃郷の学習院沼津游泳場に設けられた仮設校舎に入寮、小学校三年次の授業を受ける。

 

1946年(昭和21年)

10歳

4 月 羽根木の家を改装して戻り、学習院初等科での四年次の授業を受け始める。

 

1949年(昭和24年)

13歳

4 月 戸山の学習院中等科に進学。陸上競技部と演劇部に入部。

 

1951年(昭和26年)

15歳

11月 學習院新聞に読書感想文「チボー家の人々を読んで=vが掲載される。(『事件の現場 言葉は運動する』(朝日出版社)の安原顯によるインタビュー「彼自身による弁明」に「たまたま山内義雄先生のご子息が同じクラスにいた。で、たまたまぼくが学校新聞に書いた「『チボー家の人びと』をめぐって」なんていう感想文、それが山内先生のお目にとまって、それで出たばっかりの最終巻のサイン本なんか中学の時にいただきましたね。」とある。)

 

1952年(昭和27年)

16歳

4 月 目白の学習院高等科に進学。陸上競技部、演劇部に加えて美術部に入部。講師の石川滋彦画伯の指導を受け、風景画を描きまくる。

 

1953年(昭和28年)

17歳

4 月 二年次よりフランス語を第二外国語として選択、管野昭正講師ほかから初級の手ほどきを受ける。

10月18日〜24日 日仏文化協定記念行事の一つとして、フランス映画祭が開催される。(「自筆年譜@」に「戦後初のフランス映画祭。ジェラール・フィリップと同じエレベーターに乗りあわせる。同じエレベーターに、東和商事社長とその令嬢【編註:川喜多和子】が乗っていて、胸もとに『陽気なドンカミロ』の翻訳をかかえる令嬢の横顔に強く惹かれる。」とある。ちなみに18日に第一生命ホールで『夜ごとの美女』が上映されている。)

 

1954年(昭和29年)

18歳

10月19日 試験のあいだをぬって、封切りの日に『大砂塵』(この日から25日まで公開)を見に駆けつける。試験後さらにもう一度見に行く。

 

1955年(昭和30年)

19歳

4 月 東大の入試に失敗し、一年間、研数学館の数学コースに通う。

 

1956年(昭和31年)

20歳

1 月 3日 NHK第二(ラジオ)で座談会「昭和三十年外国映画ベストテン」が放送される。(「マリ・クレール日本版」(第7巻第3号)の「ヴィスコンティの映画は豪華で、華麗で、モダンで、そのくせとても残酷で……、映画の中の最高の贅沢だ!」に「『夏の嵐』が封切られた年に、NHKの作品選定委員という人たちが、ベスト・テンをラジオで選んだんですよ。【中略】飯島【編註:正】さんのベスト・ワンは、『夏の嵐』なんです。ところが当時はヴィスコンティなんてあまり有名ではなかったので、ほかの誰も入れてないんですよ。【中略】それでどんどん、どんどん、順位が落ちてって、ついに十位以下に落ちちゃった。それ以後映画評論家は信用しないと腹を立てたことがあるんです。」とある。

4 月 駒場の東大教養学部文科二類(現在の三類)に入学。各科各類共通の第二外国語既修クラスで二年間を過ごす。フランス語は山田(「自筆年譜@」に「コンパの席で、山田先生が「てめえら、フローベールの感情教育を知らねえだろう。感情教育ってのは終らねえんだ」と威勢よくタンカを切られ、その一言が将来を決定する。」とある。)

11月 5日 第二回銀杏並木賞の詮衡結果が「学園」編集部より発表され、『エドウワール・デユ・コペエ氏の行動の記録』が第三席に選ばれる。

 

1957年(昭和32年)

21歳

11月24日 学習院大学フランス会による原語劇『アンチゴーヌ』にクレオン役で客演。会場は国鉄労働会館。

 

1958年(昭和33年)

22歳

4 月 本郷の東大文学部フランス文学科に進学。

12月13日 アンドレ・マルローが東京日仏学院を来訪。

 

1959年(昭和34年)

23歳

5 月 9日 仏文の四回生を中心とする、フランス演劇研究会による東大で初めてのフランス原語劇『人間ぎらい』を上演。演出(松浦伶と共同)とフィラント役での出演(主役アルセストを保苅瑞穂が演じる)。会場は九段・千代田公会堂。

 

1960年(昭和35年)

24歳

4 月 東大大学院人文科学研究科フランス語フランス文学研究科修士課程に進学。

5 月 世界デザイン会議(東京)に出席のため来日したソール・バスの通訳として付き合う。

春、『勝手にしやがれ』をのちに同僚となる先輩の加藤晴久とニュー東宝(3月26日封切、4月15日まで公開)で見てうちのめされる。

6 月15日 全学連主流派が安保改定阻止統一行動で国会突入を図り警官隊と衝突。(「自筆年譜@」に「アルバイト先の田中千禾夫氏宅の玄関さきで、田中澄江氏から、女子学生が一人死にましたと聞き、それが樺美智子であると直観。とって返して溜池のあたりをうろつく。助手清水徹、頭を機動隊に殴打され仏文研究室は沸きたつ。興奮の日々が続く。」とある。)

 

1961年(昭和36年)

25歳

7 月29日 大映の日仏合作映画『涙なきフランス人』のシナリオ・ハンティングのためアラン・ロブ=グリエが来日(8月15日離日)。滞在中の2週間、夫妻の通訳として過ごす(監督に市川崑が予定され、その後日本側シナリオには中村真一郎の名も挙がっていたが、企画は実現せず)。

 

1962年(昭和37年)

26歳

4 月 東大大学院博士課程に進学。

6 月 東大新聞に映画評が掲載される。(「自筆年譜A」に「同級の天沢退二郎らと語らい、東大新聞に匿名で映画評を書き始める。」とある。『ハスラー』を絶賛したこの映画評の末尾には(鬼蓮・映画批評同人)と記名されており、ほかの号には渡り鳥(渡辺武信)、天兵(天沢退二郎)といった映画批評同人の映画評も掲載されている。)

9 月 フランス政府給費留学生としてフランスに渡る。フランス郵船ヴェトナム号、同室は、のちに立教大学教授となる稲生永。同船上で川田順造と知り合い、四十四日間の旅の後、マルセイユに上陸。

10月 パリ十四区ジュルダン大通り七のC パリ国際大学都市日本館に入寮。パリ大学文学・人文科学部博士課程に登録、ロベール・リカット教授の指導を仰ぐ。

 

1963年(昭和38年)

27歳

春、ボン大学で日本美術史を教えていた父、母を伴ってパリを訪れる。

夏、スカンジナビア三国、南仏に遊ぶ。

この頃、小津安二郎を愛する女性シャンタルと知り合い親交を深める。

12月14日 「ル・モンド」紙の記事により小津安二郎の死(12日午後0時43分、頸部悪性腫瘍のため、東京・文京区東京医科歯科大で死去。享年60歳)を知る。

 

1964年(昭和39年)

28歳

イースターの休暇をローマ、フィレンツェで過ごす。

冬、小学校時代からのクラスメイトたちとグリンデルヴェルドでスキー。

 

1965年(昭和40年)

29歳

この年、パリで天沢退二郎の紹介によって山田宏一と相識る。

11月 5日 封切りの日に『気狂いピエロ』を見に駆けつける。

11月 パリ大学に博士論文『「ボヴァリー夫人」を通してみたフローベールの心理の方法』を提出、審査に合格ののち直ちに帰国(パリ第4大学文学博士)。

12月 1日 東京に戻る。

 

1966年(昭和41年)

30歳

3 月 東大大学院博士課程を中退。

4 月 東大文学部助手、学習院大学文学部フランス文学科非常勤講師に就任。

4 月28日 ジャン=リュック・ゴダールが日本のシネアストに会うため(およびロケで滞日中のマリナ・ヴラディーと次回作の打合せのため)不意の来日(5月8日離日)、何日か通訳としてつきあう。その折、ユニフランス・フィルムに勤務していた柴田駿と相識る。

  30日 ゴダールの通訳として「映画芸術」誌主催の座談会に参加。

5 月 8日 東京日仏学院長モーリス・パンゲの招きに応じてロラン・バルトが初来日(28日離日)。

  10日 東京大学でロラン・バルトの講演「現代における文芸批評の諸問題」の通訳を行う。

  20日、21日、24日、26日、27日 東京日仏学院で行われた「言語学と文学」と題されたセミナーを聴講。

6 月 4日 昭和41年度(1966年)日本フランス語フランス文学会春季大会の学位論文報告にて「「ボヴァリー夫人」を通してみたフローベールの心理の方法」を発表。於立教大学。(「朝日新聞」(昭和41年8月30日)の杉捷夫の「フランス文学と日本D 文学の後継者たち」に「学位といえば、フランスでの学位をとって来る人もふえた。フランスの学位には国家博士と大学博士の二種類があり、前者は戦前の片岡美智夫人以来絶えて久しかったが、福井君が十七世紀詩史の問題をとりあげて、みごとに公開審査を通過した。後者はもっと多いが、中でも大阪大学の赤木夫人、東大助手の蓮見重彦君がそれぞれピエール・ベイルとフローベールで業績をあげている。これらの業績は改めて日本の学会で報告され、称賛を博した。」とある。)

7 月 2日 天沢退二郎の『時間錯誤』の出版記念会が田町の藤田治の家であり、金井美恵子と相識る。(「現代詩手帖」(第30巻第9号)の金井美恵子の「ささやかな感情教育」に「まだ二十九歳の青年だった天沢さんに、フランスから帰って来たばかりの、とても身体の大きな同級生に紹介された。【編註:「凶区」の】同人たちはゴダールとアントニオーニとトリュフォーの話しをし、大きくて落着き払った人は、日本映画では誰が好きか、という同人の質問に、渋谷實なんかいいですね、と答え、私は、あの「もず」や「現代人」や「本日休診」の? とびっくりして訊ね、大きい人はたいそう重々しく、そうです、と答えた。」とある。)

7 月 シネクラブ研究会が発足。後に会長の川喜多和子と知り合い、その上映資料などの翻訳を手伝う。

12月 マリー=シャンタル・ヴァン・メルケベークと東京で結婚。

 

1967年(昭和42年)

31歳

12月 7日 長男重臣誕生。

 

1968年(昭和43年)

32歳

2 月 東大文学部助手を辞職。

4 月 立教大学一般教育部講師に就任、文学部フランス文学科へも出講。父、京都大学定年退職し東海大学に新たな職を得て母とともに帰京。それにともない、妻と長男とともに中野区東中野五の二三 小滝台マンションに転居。

5 月頃 岩崎力により紹介された安原顯から雑誌「パイデイア」に翻訳を依頼される。

6 月12日 シネクラブ研究会の企画した鈴木清順特集の上映会が日活の貸出し拒否にあい、解雇事件に発展、抗議デモの先頭に立つ。大島渚、篠田正浩、藤田繁矢(敏八)、金坂健二、若松孝二、足立正生らの映画作家グループ、國學院大映研の学生らと共に事務局のある東光ビルから帝国ホテルまでの日比谷映画街を行進した。

秋、柴田駿の仲介により波多野哲朗、手島修三、山根貞男が、映画批評誌「シネマ69」創刊の話を持って訪れ、アラン・レネ特集のための原稿執筆を依頼される。それに応じて書いた、「鏡を恐れるナルシス」によって、映画批評執筆活動が始まる。

 

1969年(昭和44年)

33歳

1 月頃 「シネマ69」編集部の波多野哲朗、手島修三、山根貞男と上野志とで鈴木清順に3回に分けて計8時間を超えるインタビューを行なう。

4 月 立教大学一般教育部助教授に昇進。

4 月から翌年1月にかけて、立教大学は文学部フランス文学科人事問題に端を発した学園紛争を体験する。(「自筆年譜@」に「何度もくり返し行なわれた徹夜の団体交渉の折に学生諸君と交したやりとりの言葉や言いまわしの数かずは、直接的、間接的にその後の文章の文体や修辞に影を落すことになる。紛争時における言語的実践がなければ、その後の批評活動はなかったと思われるほど、個人的には深いインパクトを紛争から受けとめているのだが、そのことはあまり指摘されていない。」とあり、また、辻邦生は「海燕」(第11巻第9号)の「ある思い出に」の中で「学生たちとの団交の席で、教師たちがつぎつぎと野次り倒されたが、蓮實重彦だけは、ほとんどポーカーフェースで、静かに、学生たちと討論した。私は蓮實の説得術を見て、いままでとはまったく異なるパラダイムで物を読み出す方法があるのに驚嘆した。もちろん学生たちは誰一人として蓮實重彦に太刀打できず、団交はいつも学生たちの空振りに終った。」と回想している。)

 

1970年(昭和45年)

34歳

3 月 立教大学一般教育部助教授を退任。

4 月 東大教養学部講師に就任。この年より立教大学で映画表現論を開講。

7 月22日〜24日 5年ぶりのパリ。コレージュ・ド・フランスでの国際フランス研究学会第22回大会に参加。

  24日 第3日の議題「フローベール」において“Ambivalence flaubertienne de l'ouvert et du clos : la mort des deux personnages principaux de 《Madame Bovary》”を発表。

10月 6日 来日したミシェル・フーコーの講演「画家マネ」を東京日仏会館で聴く。

 

1971年(昭和46年)

35歳

5 月 家を新築してもとの住所(世田谷区羽根木町一の二九の一六)に戻る。

9 月30日 立教大学非常勤講師辞職。

10月 学習院大学文学部フランス文学科非常勤講師辞職。

10月 9日 昭和46年度(1971年)日本フランス語フランス文学会秋季大会の特別分科会にて「国際フランス学会(フローベール関係)報告」を行う。於愛知県立大学。

10月16日 乱反射・第一回企画上映にて講演「レネとその「時間・空間」《体験・記憶・忘却……》」を行う。会場は立教大学タッカー・ホール。

10月19日 パリ着。パリ第7大学に日本語講師として着任。家族とともに一年間をフランスで過ごす。

11月16日 パリ訪問中の中村光夫とともにルーアンに行き、市立図書館でフローベールの原稿を読む。

11月24日 ミシェル・フーコーのコレージュ・ド・フランスにおける1971-1972年度の最初の講義。以後毎週木曜に行われた講義「刑罰の理論と制度」に出席。

 

1972年(昭和47年)

36歳

7 月24日〜26日 コレージュ・ド・フランスでの国際フランス研究学会第24回大会に参加。

9 月27日 パリにてミシェル・フーコーにインタビュー。

 

1973年(昭和48年)

37歳

4 月 1日 立教大学文学部、学習院大学文学部フランス文学科非常勤講師(学習院大学には妻マリー=シャンタルと共)に就任。

9 月 1日 ジョン・フォードの訃報(8月31日、カリフォルニア州パーム・デザートの自宅で死去。享年78歳)。

 

1974年(昭和49年)

38歳

4 月 東大教養学部助教授に昇任。

この頃、ある実現しなかった企画の準備のため山田宏一と親しくなる。(「月刊イメージフォーラム」(第2巻通巻第12号)の山田宏一へのインタビュー「映画体験のサイクルをひとつずつ閉じていく」に「蓮實さんの東大仏文科時代の級友で僕の知り合いでもある人【編註:松浦伶】が、本屋をかねた映画館をつくろうという計画をたてて、映画雑誌を出して、その雑誌の特集と合わせて映画をやるというようなことを考えてね、それで蓮實さんに映画雑誌の編集長をやらせて、僕に映画館の館主をやらせようという話を持って来たんです。」とある。)

5 月 「言語生活」6月号(特集=フランス語に学ぶ)発行。同年2月号に掲載した論文「私の息子の受けたフランス語教育――言語の一般概念なる非一般概念をめぐって」の反響を受けてこの特集が組まれた。

6 月21日〜28日 スリジー・ラ・サルのシンポジウム「フローベールにおける意味の生成」に参加し、レイモンド・ドゥブレ=ジュネットらと親交を結ぶ。

 

1975年(昭和50年)

39歳

4 月 黒沢清、立教大学入学。この年より東京大学で映画論ゼミを始める。(「シネマグラ」(第7号)に「宮下順子、モンキー・ビジネス、十字路といった20項目について解説(?)するのが入ゼミ試験。開講一番、「映画にできないことは何でしょう?」という蓮實氏の質問。【中略】ゼミでは『ガルシアの首』『レニー・ブルース』などが過激に論じられる。」とある。)

4 月12日 『ドラブル』ロードショー(この日から25日まで池袋劇場などで公開)。(『映画愛 監督編』(大栄出版)の黒沢清へのインタビュー「師は蓮實、めざすはハリウッド」に「まず、「この映画を見てきて下さい」っていくつか映画を挙げて。挙げる映画がとんでもない。『戦艦ポチョムキン』とか言うのかなと思ってたら、ドン・シーゲルの『ドラブル』って。「ええっ!!」と思いました。だって『ドラブル』は、まさに次の日見に行こうとしていた映画だったんです。それで次の週に、蓮實さんが「みなさん、映画で何が見えたか言ってください」って。端から当てていくんですよ。大体要領を得ない人はね、「主人公がすごく勇気がある行動をとったと思います」とか言ってしまう。するとたちまち、「勇気はどこに見えたんですか? 勇気は画面のどこにありましたか」って。「すごくキレイだった」なんて言うとね。「キレイだったっていうのは一体何を見てそう思ったんですか」「画面です」「画面というのはどこにあるんですか」「スクリーンです」「スクリーンはもともと白い布ですよね」とかすごいわけですよ。目からウロコが落ちましてね。僕もまあ最初はとまどったんですけど、そのうちもうコツを覚えちゃって。「何が見えましたか?」「扉が5回見えました」「はい、そうでしたね」って。こりゃもうすごいですよ。」とある。)

9 月27日 清水徹と対談(「エピステーメー」誌のため)。

11月 『フーコーそして/あるいはドゥルーズ』を出版。(「自筆年譜@」に「まだ無名の浅田彰より多くの誤訳を指摘された。」とあり、また、「新潮」(第34巻第7号)の浅田彰と島田雅彦の対談「悦ばしき回帰」(『天使が通る』(新潮社)所収)に「(以下、浅田の発言)学生時代、蓮實重彦によるドゥルーズ論の訳が出たとき、数十ヵ所におよぶ訂正リストを送りつけるという、信じ難く悪趣味な行為に及んだことまであって、【後略】」とある。)

 

1976年(昭和51年)

40歳

4 月 万田邦敏、周防正行、立教大学入学。

12月16日 大岡昇平にインタビュー(「日本読書新聞」の新春インタビューのため)。

 

1977年(昭和52年)

41歳

2 月頃 三浦雅士の仲介で柄谷行人と相識り、「現代思想」誌のために最初の対談を行う。

夏、三ヵ月間家族とともにヨーロッパに滞在、フランドルの海岸の避暑地で『陷沒地帶』の着想をうる。

8 月10日 パリで鈴木啓二、松浦寿輝と鼎談(「シネマグラ」誌のため)。

10月13日 パリでミシェル・フーコーにインタビュー。(10月7日と記載された文献もある。)

12月28日 ハワード・ホークスの訃報(26日、脳卒中のため、カリフォルニア州パームスプリングスで死去。享年81歳)。

 

1978年(昭和53年)

42歳

1 月11日 山田宏一と対談(「エピステーメー」誌の特集〈映画狂い〉ため)。

2 月 1日 第29回読売文学賞が発表され、『反=日本語論』が評論・伝記賞に選ばれる。

2 月14日 第29回読売文学賞の贈呈式に出席。

2 月25日 『未知との遭遇』全国拡大ロードショー。(「キネマ旬報」(第1110号)の黒沢清と周防正行の対談「われらライバルどうし」に「(以下、黒沢の発言)蓮實さんが「この映画を見てきて下さい。スピルバーグの『未知との遭遇』を、次週までに」と言うんです。次の週行きますと生徒たち一人一人に「何が見えましたか」って当てていくんですよ。で、授業の要領をわかっていない人はですね、「円盤の特撮が凄かった」なんて言うわけですね。するといきなり蓮實が「特撮というのはどこに映ってたんですか」「でもあの特撮はやっぱり凄かったですよ」「特撮か特撮でないかはどうしてわかるんですか。本当の円盤かもしれないじゃないですか」とか言って、突っ込んでいくわけですよ。「でもパンフレットに特撮って書いてありましたから」「それはパンフレットに書いてあったんでしょ。映画には映ってないはずですよね」とかですね。こういう授業なわけですよ。で、僕なんか大体要領がわかってくるとですね、「この映画、何が見えましたか」「ドアが十五回見えました」「はい、そうでしたね」とかね。ほとんどこういう問答が続くわけですよ。禅問答のような。そういうのはやっぱり強烈でしたね。映画というものをそのような角度で捉えられうるのだというね。単に面白い、つまらない、作者はこれを言いたかったのだと、そういう言い方も勿論できるんですけど、何が映っていたかっていう見方もまたできるんだなっていう。あまりにも当たり前であり、あまりにも誰も言わなかったものですから驚きましたね。」とある。)

3 月 「エピステーメー」3+4月号(全頁特集=映画狂い イマージュのアナルシーあるいは制度的知への挑発)発行。山田宏一と山根貞男とともに編集協力という名のもとに誌面を乗っ取る。

4 月20日 東大教養学部フランス語教室と教養学科フランス分科共催のミシェル・フーコーを囲む研究会〈<性>と権力〉に出席。

4 月25日 ミシェル・フーコーと吉本隆明の対談に通訳として参加(「海」誌のため)。於虎ノ門福田家。

11月 6日 金井美恵子、久美子姉妹の「話の特集」誌の連載〈マッド・ティーパーティー〉のため金井宅に招かれる。

12月16日 東京外国語大学講堂での小津映画を観る会のディスカッションに出席。上映作品は『秋刀魚の味』。

12月 「現代思想」誌に『マクシム・デュ=カンまたは凡庸な芸術家の肖像』の連載始まる(1979年1月号から1986年1月号まで)。

 

1979年(昭和54年)

43歳

2 月14日 ジャン・ルノワールの訃報(12日夕、ロサンゼルス郊外ビバリー・ヒルズの自宅で死去。享年84歳)。

3 月 学習院大学文学部フランス文学科非常勤講師退職。

7 月 「エピステーメー」7月臨時増刊・終刊号に、『陷沒地帶』を発表。(『夏目漱石論〈福武文庫〉』の安原顯の解説「蓮實重彦的「存在」についての説話論的回想」に「この『陥没地帯』、初め「こんなものを書いてしまったんですが」と、古今東西、作者の死後に初めて「傑作」とかと呼ばれることになる小説が辿ったであろう数奇な運命を予感させつつ、しかし実にさりげなく小生に手渡されたのだが(昭和五十三年頃のことだろうか)、「天才ヤスケン」ともあろうこの私めが、【中略】、あっさりと机の中にしまい込んでしまったのだ。」とある。)

7 月 6日 山田宏一と対談(「シナリオ」誌のため)。

12月 6日 『緑色の部屋』公開に際して来日したトリュフォーに山田宏一を介して紹介され、インタビューを行う。

 

1980年(昭和55年)

44歳

1 月 9日 中村光夫と対談(「海」誌のため)。於虎ノ門福田家。

1 月25日 磯田光一と対談(「現代詩手帖」誌のため)。

4 月18日 吉本隆明と対談(「海」誌のため)。於虎ノ門福田家。

5 月30日 大岡昇平と対談(「ユリイカ」誌のため)。

10月 6日 金井美恵子と対談(「現代詩手帖」誌の金井の連載対談のため)。

10月12日 「書店・話の特集」の十月の特集として「山田宏一・蓮実重彦が選んだ一○○冊の映画の本」が西武百貨店渋谷店B館地下1階で10月1日から30日まで行われ、この日と19日の二度、『トリュフォーそして映画』のサイン会を開く。

11月17日 「アルチュセール」事件(11月16日朝、マルクス主義哲学者ルイ・アルチュセールが妻のエレーヌを絞殺、サン=タンヌ精神病院に即時収容。翌年、予審免訴決定。)の直後のパリに到着。フランス国立図書館で開催された展覧会(11月19日〜1981年2月22日)をはじめとするフローベール没後百年記念の行事のため2週間の滞在。

  26日 グラン・パレで行われたパリ第10大学主催のシンポジウム「フローベール、女性、そして都市」に出席。

  28日〜29日 ジャック・デリダも参加したフランス文学史学会主催の国際シンポジウムに出席。

12月18日 山根貞男、山田宏一、かわなかのぶひろと座談会(「月刊イメージフォーラム」誌のため)。

12月22日 上野志、山根貞男と座談会(「現代詩手帖」誌のため)。

 

1981年(昭和56年)

45歳

3 月31日 松田政男と対談(「別冊シティロード」誌のため)。於新宿葡萄屋。

6 月 8日 自宅にてかわなかのぶひろからインタビューを受ける(「月刊イメージフォーラム」誌のため)。

6 月20日 日本映像学会第7回大会の第1日の夕刻、大会とは別企画の〈メッツ氏を囲む会〉が早稲田大学大隈会館内の完之荘にて開かれ、司会を務める。20氏ほどの会員及び学会以外から仏文学の平岡篤頼、言語学の丸山圭三郎が参加。

6 月26日 自宅にてクリスチャン・メッツと対談(「月刊イメージフォーラム」誌のため)。

7 月30日 鈴木清順と対談(「話の特集」誌のため)。

9 月16日 『鱒』撮影のロケハンのため来日したジョセフ・ロージーにインタビュー(「海」誌のため)。於帝国ホテル。

9 月17日 アレクサンドル・トローネルにインタビュー(「月刊イメージフォーラム」誌のため)。

10月16日 日仏会館のフランス文化講座シリーズで「フランス文化における外国人たち」と題する講演を行う。

12月21日 佐々木幹郎と対談(「現代詩手帖」誌のため)。山根貞男、山田宏一、かわなかのぶひろとの座談会(「月刊イメージフォーラム」誌のため)。

 

1982年(昭和57年)

46歳

2 月21日 『アレクサンダー大王』公開に際し来日したテオ・アンゲロプロスにインタビュー(「月刊イメージフォーラム」誌のため)。於帝国ホテル。

3 月 2日〜4日 伊豆山・桃李境にて渡邊守章と対談(エッソ石油のPR誌「エナジー対話」のため)。

4 月15日 PFF'82(ぴあ FILM FESTIVAL 1982)の〈フランソワ・トリュフォー全集〉のため来日したトリュフォーに山田宏一とインタビュー。於銀座三笠会館。

7 月15日 井上雪子(『美人哀愁』の主演女優)にインタビュー。

10月18日 ベルナルド・ベルトルッチにインタビュー(「海」誌のため)。於帝国ホテル。

10月29日 アテネ・フランセ文化センターでのダニエル・シュミット映画祭のため初来日したシュミットにインタビュー(「海」誌のため)。於日航ホテル・ロビー。

11月17日 阿川弘之宅を「海」編集部と訪ね、志賀直哉について訊く。

 

1983年(昭和58年)

47歳

1 月23日 池袋のスタジオ200での〈映像の魔術師 ダニエル・シュミット監督集〉にて講演「シュミットにおける映画的記憶」を行う。

2 月 4日 柄谷行人、三浦雅士と座談会(カルビーのPR誌「Harvester」のため)。

2 月12日 墨田区駒形コミュニティ会館で「小津安二郎の世界」と題する講演を行う。上映作品は『麦秋』。

3 月 1日 青木保と対談(「國文學」誌のため)。

3 月 在仏日本大使館主催の第2回日本映画週間が10日から2週間、パリとヴァンドゥーブル(ナンシー)で開かれ、国際交流基金の派遣で講師として参加。パリでは、『日曜日が待ち遠しい』の早朝の試写をトリュフォーとネストール・アルメンドロスとともに見、真夜中のイングリット・カーフェンのリサイタルにシュミットと出かける。

4 月 第1回ドイツ映画祭のゲストとして来日(4月18日離日)したヴィム・ヴェンダースと川喜多和子の紹介で知り合う。その折の依頼によって筑摩書房の間宮幹彦と『東京画』の撮影を手伝う。

  16日 厚田雄春による小津の撮影の再現とインタビューの撮影に立会う。

4 月27日 東京日仏学院で「70年代フランス・シネアストたち 蓮實重彦氏の選んだ5作品」と題する企画のため、作品の紹介解説を行う。第1回の上映作品は『壁戸棚と子供たち』。

5 月10日 伊丹十三と対談(「話の特集」誌のため)。於伊丹十三宅。

5 月11日 東京日仏学院での第2回。作品は『いちばんうまい歩き方』。

5 月20日 武満徹と対談(「海」誌のため)。於銀座三笠会館。

5 月25日 東京日仏学院での第3回。作品は『祭は始まれ』。

6 月 1日 東京日仏学院での第4回。作品は『頭の中に指』。

6 月15日 東京日仏学院での第5回。作品は『ペリカン』。

7 月15日 『ヘカテ』公開に際し来日したダニエル・シュミットにインタビュー(「ブルータス」誌のため)。

8 月上旬 『フレディ・ビュアッシュへの手紙』の舞台であるローザンヌで数日を過ごした後、第36回ロカルノ国際映画祭に出席、「成瀬巳喜男」特集のための2度の討議にオーディ・ボック、マックス・テシエらとともに参加。7日には『楢山節考』の野外上映に先立つ舞台挨拶に駆り出され「ロベール・ブレッソン監督の『ラルジャン』にグランプリを与えなかったカンヌ映画祭の審査員たちに天罰が下らんことを」と口走る。

10月 6日 シネ・ヴィヴァンのパンフレットのため、武満徹と『パッション』をめぐる対談。於渋谷ロアール。

10月 7日 朝日新聞の〈真相 深層〉欄に「西武百貨店が東京・六本木に十一月オープンする「シネ・ヴィヴァン六本木」の作品選定に映像作家松本俊夫氏や蓮実重彦東大助教授ら数人のブレーンが助言する、という強力な布陣を敷いた。」という誤報が掲載される。

10月 8日 シネ・ヴィヴァン六本木11月オープン記念としてスタジオ200で開催されたゴダール作品連続上映〈ゴダール・1983・東京〉にて講演を行う。当日の上映作品は『気狂いピエロ』。

10月29日 東京堂書店が文化サロン開設一周年を記念して企画した「エスパース・デポック」に講師として招かれ、「現代文化における批評の役割」という講座(以後11月5日、13日、20日の計4回)を開く。開講にあたり参加を希望する応募者には「批評について─現代の批評的書物一冊をとりあげ具体的に論ぜよ」というレポートの提出が課せられた。また、他に中上健次、別役実、沢木耕太郎、赤瀬川原平が開講。

11月12日 2月に引き続き墨田区駒形コミュニティ会館で「小津安二郎の世界」と題する講演を行う。上映作品は『東京物語』。

11月20日 多摩美術大学主催〈二十世紀文化論講座〉で講演を行う。

12月 7日 ロバート・オルドリッチの訃報(5日、腎臓病のため、ロサンゼルスの病院で死去。享年65歳)。

12月 9日 シネ・ヴィヴァンのパンフレットのため、武満徹と『コヤニスカッティ』をめぐる対談。於渋谷ロアール。

 

1984年(昭和59年)

48歳

1 月27日 シネ・ヴィヴァンのパンフレットのため、武満徹と『ヴァーリャ』をめぐる対談。於渋谷ロアール。

2 月 3日 リノ・ミチケ、マルコ・ミュレールがペサロ映画祭の日本映画特集への協力依頼のため来訪。

3 月 1日 シネ・ヴィヴァンのパンフレットのため、武満徹と『ノスタルジア』をめぐる対談。於渋谷ロアール。

4 月 青山真治、立教大学入学。(「はすみ庵日記B」の4月16日付けに「立教、映画表現論第一回授業。無知に徹しながら明るいのが救いという新たな映画的野蛮人を迎えて当惑を新たにする。」とある。)

4 月28日より土曜日(以後5月4日、19日、26日)に四週連続講座「エスパース・デポック」を前年に引き続き開講。会場は神田・東京堂書店。「マス・カルチャー@V泳」と題し講演。

5 月10日 午前、アラン・ロブ=グリエと対談(讀賣新聞のため)、於京王プラザホテル。午後、東映化工試写室で周防正行の処女作『変態家族・兄貴の嫁さん』の初号を見る。(『Shall we ダンス? 周防正行の世界』(ワイズ出版)の周防正行へのインタビュー「「できる」と思うことが僕の映画作りの第1歩なんです。」に「 1本監督をしたので初号の時に良かったらご覧になってください、とハガキを出したんですよ。【中略】そうしたら本当に来て下さって。僕は前の席に座って、蓮實さんは後ろのほうで美術の種田陽平さんの隣に座られたんですけどね。上映が終わったら蓮實さんがすぐ帰っちゃったんですよ。そうか、駄目だったのかな……って思ってたら、「周防さん、蓮實さん笑ってましたよ、喜んでましたよ」って種田さんが教えてくれて。僕はそれだけでも本当に嬉しかったんです。そうしたら何の前触れもなく『話の特集』で大絶賛でしょ。もうこの映画はこれで十分だと思いましたよ。というのは、この年に蓮實さんが小津安二郎論を書いた本を出しているんですね。で、端的に言えば、僕の映画は蓮實さんの小津安二郎論に対する論文だったと思うんです。結果としては蓮實教室の卒論だったわけです。それで『話の特集』で書いてくれた評価がAだったんですね(笑)。やっと本当の意味で卒業したって感じでした。」とある。)

5 月12日 シネ・ヴィヴァンのパンフレットのため、武満徹と『カルメンという名の女』をめぐる対談。於西武百貨店渋谷店。

5 月17日 アラン・ロブ=グリエにインタビュー(「マリ・クレール」誌のため)。於京王プラザホテル。

6 月26日 ミシェル・フーコーの訃報(25日、AIDSによる敗血症のためパリの病院で死去、享年57歳)。早朝から新聞や雑誌の編集者から追悼文の依頼を受けるも全て断る。

夏、家族とヨーロッパで過ごす(7月12日〜9月4日)。

8 月10日〜19日 第37回ロカルノ国際映画祭に参加。

8 月20日 ダニエル・シュミット、ジュリエット・ベルトらとルガノにダグラス・サークを訪ねる。

9 月 5日 シネ・ヴィヴァンのパンフレットのため、武満徹と『特別な一日』をめぐる対談。於池袋ビストロ・ド・パリ。

9 月20日 東宝試写室で『お葬式』を見る。(「映画芸術」(第48巻第1号)の蓮實重彦へのインタビュー「蓮實重彦97年の映画を語る 『身も心も』は良質のプログラムピクチャーだ」に「試写室の出口に伊丹さんが来ていて「どうですか」って言うから、正直に「最低です」と言って別れました。たぶん、それが彼と言葉を交わした最後だと思う。」とある。)

10月11日 厚田雄春と三宅邦子にインタビュー。

11月 5日 早稲田祭にて浅田彰と対談「学問のススメ」を行う。

11月 9日 厚田雄春、レナート・ベルタの対談の通訳を務める。夕食後にベルタにインタビュー。

11月15日 淀川長治、山田宏一との時間無制限大座談会。於銀座三笠会館。

11月28日 シネ・ヴィヴァンのパンフレットのため、武満徹と『ラ・パロマ』をめぐる対談。於新宿中村屋。(「はすみ庵日記O」では12月1日と記載されている。)

12月 6日 山田宏一と対談(「ユリイカ」誌の〈トリュフォー特集〉のため)。

12月 9日 シアターゼロ主催〈監督の味シリーズ3・周防正行の味〉にて講演と周防正行との対談。会場は法政大学学生会館大ホール。

12月29日 シネ・ヴィヴァンのパンフレットのため、武満徹と『ミツバチのささやき』をめぐる対談。於渋谷ロアール。

 

1985年(昭和60年)

49歳

1 月17日 来日中のビクトル・エリセに赤坂プリンスホテルでインタビュー、親しくなる。

3 月15日 第15回高見順賞の贈呈式が赤坂プリンスホテルであり、『〈地獄〉にて』により受賞した天沢退二郎を日本一の詩人とスピーチする。

4 月 8日〜9日 中央公論社の勝田量之より江藤淳に紹介され、東京ステーションホテルにて『オールド・ファッション』のもととなる対談を行う。

4 月27日 多摩美術大学主催〈二十世紀文化論講座〉で講演を行う。

5 月 8日 アテネ・フランセ文化センターの特集上映〈ロードムービー・放浪三昧の映画〉にて梅本洋一とオープニング対談を行う。当日の上映作品は『さすらい』『東京流れ者』。

5 月30日 〈山中貞雄まつり〉にて講演を行う。会場はアテネ・フランセ文化センター。

6 月 5日 アルド・タッソーネ、マックス・テシエと『乱』と黒澤明をめぐる討論(「リュミエール」誌のため)。於渋谷清香園。

6 月 6日 東京国際映画祭の『パリ、テキサス』を見に駆けつける。会場はNHKホール。

6 月 8日 シアターゼロ主催〈モンテ・ヘルマンまつり〉にて講演「地獄男(ヘルマン)の逆襲」を行う。会場は法政大学学生会館大ホール。

6 月22日 NHKラジオ第二の番組「現代キーワード探検」(22時20分〜23時00分)で渡部直己との座談会「プロ野球症候群」が放送される。

6 月26日 山根貞男、山田宏一と鼎談(「リュミエール」誌の映画季評のため)。於新宿中村屋。

7 月 4日 ビクトル・エリセについて澤井信一郎にインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於帝国ホテル。

7 月30日 ヴィム・ヴェンダースにインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於帝国ホテル。

8 月 4日 ジュネーヴのシャンドリエ・ホテルにてダニエル・シュミットにインタビュー(「リュミエール」誌のため)。

8 月 8日〜18日 第38回ロカルノ国際映画祭に参加、「ボリス・バルネット」特集に興奮する。

8 月20日 フレディ・ムーラーにチューリッヒのムーラーの自宅でインタビュー(「リュミエール」誌のため)。

9 月12日 シネ・ヴィヴァンのパンフレットのため、武満徹と『エル・スール』をめぐる対談。於銀座三笠会館。

9 月20日 個人責任編集による季刊映画雑誌「リュミエール」創刊第1号刊行。

9 月22日 季刊『リュミエール』創刊記念セミナーにて講演を行う。上映作品は『センチメンタル・アドベンチャー』。会場は新宿紀伊國屋ホール。

10月 3日 山田宏一と対談(「リュミエール」誌のため)。於新宿中村屋。

10月 7日 スタジオ200で開催された〈「ドレミファ娘の血は騒ぐ」―公開前夜―〉のシンポジウムで黒沢清と対談を行う。

10月18日 池袋・文芸地下劇場で開かれた加藤泰監督の追悼上映会〈加藤泰ワンマンショー〉にて舞台挨拶をする。上映作品は『陰獣』『みな殺しの霊歌』。

10月23日 山根貞男、山田宏一と鼎談(「リュミエール」誌の映画季評のため)。於新宿プチモンド。

10月25日 山根貞男とともに倍賞美津子にインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於銀座三笠会館。

11月23日 慶應義塾大学三田祭にて講演。上映作品は『落第はしたけれど』『宗方姉妹』。

11月30日 明治学院大学フランス文学科20周年記念講演会にて講演「凡庸さについて―晩年のマクシム・デュ・カン」を行う。

12月15日 草月ホールで開かれた〈エーリッヒ・フォン・シュトロハイム生誕百年記念祭 エーリッヒ・フォン・シュトロハイムとウィーン派の巨匠〉のマックス・オフュルス特集にて講演を行う。上映作品は『忘れじの面影』『たそがれの女心』。

12月20日 映画日和主催の上映会にて講演。上映作品は『宗方姉妹』。会場は東大教養学部図書館4階 視聴覚ホール。

 

1986年(昭和61年)

50歳

1 月14日 武満徹と対談。於日比谷シーボニア・メンズクラブ。

1 月31日 山田宏一と対談(「リュミエール」誌のため)。於銀座三笠会館。

2 月 6日 山田宏一とともに原正人にインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於新宿中村屋。

3 月20日 淀川長治、山田宏一との座談会。於銀座三笠会館。

3 月21日 三省堂書店新神田本店五周年イベントにて講演「'50年代アメリカ映画を語る」を行う。

4 月 6日 淀川長治、山田宏一との座談会。於銀座三笠会館。

4 月16日 アテネ・フランセ文化センターの特集上映〈ハリウッド50S'〉にて講演。当日の上映作品は『暗黒への転落』『にがい勝利』。

5 月 1日 柄谷行人と対談(「現代詩手帖」誌のため)。

5 月 6日 淀川長治、山田宏一との映画を語る世紀の大座談会。テーマは幽霊とお化けの映画について。於銀座三笠会館。

5 月14日 山根貞男、山田宏一と鼎談(「リュミエール」誌の映画季評のため)。於銀座三笠会館。

7 月 8日 〈三百人劇場映画講座vol.1 成瀬巳喜男特集〉にて講演を行う。当日の上映作品は『妻よ薔薇のように』『鶴八鶴次郎』。

8 月 1日 宮川雅青にインタビュー(「リュミエール」誌の山中貞雄特集のため)。

8 月 6日 山田宏一と対談(「リュミエール」誌のため)。於新宿中村屋。

8 月11日 深水藤子にインタビュー(「リュミエール」誌の山中貞雄特集のため)。

9 月 6日 磯田光一と対談(「現代詩手帖」誌の吉本隆明特集のため)。於新宿中村屋。

9 月13日 キネカ大森3での吉田喜重特集の『嵐を呼ぶ18人』上映時にティーチインを行う。

9 月28日 第23回紀伊國屋セミナー 季刊『リュミエール』創刊1周年記念〈映画の世紀末に向けて〉にて講演「ロベール・ブレッソンと呪われた作家たち」を行う。上映作品は『白夜』。会場は新宿紀伊國屋ホール。

10月11日 季刊『リュミエール』創刊1周年記念〈映画の世紀末に向けて〉にて講演「山中貞雄とその時代」を行う。上映作品は『丹下左膳・百万両の壺』。会場は神戸ポートアイランド 田崎ホール。

10月13日 淀川長治、山田宏一との映画を語る世紀の大座談会。テーマは誰も語らなかった男優の話。於銀座三笠会館。

10月17日 玉井正夫(成瀬巳喜男作品のキャメラマン)宅に三百人劇場の福島治夫と行く。

10月22日 ジム・ジャームッシュと対談(「リュミエール」誌のため)。於帝国ホテル。

10月23日 山田宏一と対談(「リュミエール」誌のため)。於新宿中村屋。

11月 2日 『今宵かぎりは…』公開記念トークショーを行う。会場はシネ・ヴィヴァン六本木。

11月 3日 早稲田祭の〈CINEMA EN FUITE〉にて『ディアポロ・マント』と『小さな赤いビー玉』上映の間に梅本洋一と対談を行う。

11月 8日 〈三百人劇場映画講座vol.2 成瀬巳喜男特集パート2〉にて講演を行う。当日の上映作品は『晩菊』『あらくれ』。

11月17日 淀川長治、山田宏一との映画を語る世紀の大座談会。テーマは「悪女・悪役」の妖しい魅力について語る。於銀座三笠会館。

11月25日 レナウンのCF撮りを行うジェーン・バーキンに伴い来日したジャック・ドワイヨンにインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於帝国ホテル。

12月 4日 淀川長治、山田宏一とのヴィスコンティ映画を語る大座談会。於京橋ざくろ。

12月13日 ポンピドゥー・センターで開かれた「前衛芸術の日本」展に関連した「KOTOBA――日本のエクリチュールとパロール」と題する催しの口火を切って行われたシンポジウム「日本の近代批評とポストモダン批判」に柄谷行人、浅田彰、フェリックス・ガタリと出席。その後引き続き行なわれた中上健次とジャック・デリダの対談「賎民――周辺性と伝統」を傍聴。

12月14日 前日のシンポジウムの第二夜。中上健次も参加。

12月23日 淀川長治、山田宏一との映画を語る世紀の大座談会。テーマは親子・兄弟・姉妹俳優の知られざる裏話、大公開。於京橋ざくろ。

 

1987年(昭和62年)

51歳

1 月14日 中古智(成瀬巳喜男作品の美術監督)にインタビュー(「リュミエール」誌の連載のため)。於新宿中村屋。

1 月16日 淀川長治、山田宏一との映画を語る世紀の大座談会。テーマはしゃれた犯罪映画とうまいミステリー。於銀座三笠会館。

1 月23日 スタジオ200での〈土本典昭フィルモグラフィー展+記録映画連続講座〉にて講演を行う。

1 月28日 大島渚にインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於東京ステーションホテル。

2 月 3日 土本典昭にインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於新宿中村屋。

2 月 7日 磯田光一(5日、心筋梗塞のため死去。享年56歳)の通夜に参列。

3 月13日 淀川長治、山田宏一との映画を語る世紀の大座談会。テーマは雨と風のシーンにみるもう一つの映画史。於銀座三笠会館。

4 月 この年より東大教養学部に発足した表象文化論分科での映画の授業を始める。

4 月 6日 淀川長治、山田宏一との映画を語る世紀の大座談会。テーマは異常心理映画の凄み。於銀座三笠会館。

4 月12日〜23日 第11回香港国際映画祭の「成瀬巳喜男」特集に招待され、成瀬作品の紹介を兼ねた講演を行う。

4 月24日 中古智にインタビュー(「リュミエール」誌の連載のため)。於筑摩書房。

4 月25日 アテネ・フランセ文化センターの〈ダグラス・サーク追悼上映会〉にて講演。当日は『翼に賭ける命』『わが望みの全て』『人生の幻影』の上映と梅本洋一、武田潔の対談も行われる。

4 月26日 〈土本典昭フィルモグラフィー展+記録映画連続講座〉にて講演を行う。会場は大阪・扇町ミュージアム・スクエア。

4 月28日 山田宏一と対談(「リュミエール」誌のため)。於新宿中村屋。

5 月10日 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)にインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於渋谷ロゴスキー。

5 月13日 若尾文子にインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於東宝砧撮影所。

5 月14日 表象文化論連続シンポジウム〈今、アヴァンギャルドとは〉の第1回「ポストモダンの地平」に浅田彰、小林康夫と参加し、司会を務める。

5 月15日 シアターゼロ主催〈Sam's Movie〉にて講演「サミュエル・フラーとともに生きる」を行う。当日の上映作品は『赤い矢』。会場は法政大学学生会館大ホール。

6 月15日 淀川長治、山田宏一との映画を語る世紀の大座談会。テーマは四季を描いた映画の楽しみ。於銀座三笠会館。

6 月16日 小林一博、田邊聰と鼎談。

7 月 7日 〈三百人劇場映画講座vol.4 伊藤大輔特集〉にて講演を行う。

7 月 8日 淀川長治、山田宏一との映画を語る世紀の大座談会。テーマは私の好きな銀幕の美女≠スち。於ざくろ京橋店。

7 月14日 「東京の夏」音楽祭'87で同時開催されたアメリカ映画特集の〈カントリーロードへの誘い〉にて講演。当日の上映作品は『忍冬の花のように』『センチメンタル・アドベンチャー』。会場は草月ホール。

8 月13日〜14日 第40回ロカルノ国際映画祭で『ゴダールのリア王』を見る。深夜、ヴィム・ヴェンダースから「カイエ・デュ・シネマ」誌400号記念号の協力を依頼される(小津安二郎の『遙かなり父母の国』のシナリオをフランス語に訳すというもの)。午前、ジャン=リュック・ゴダールのもとへインタビューに出かける。

8 月15日 レマン湖畔のロールにゴダールを訪れ、最初の質問「九○分の作家ゴダール」について訊く。

9 月 8日 アテネ・フランセ文化センターの特集上映〈映画は一本で勝負する その一〉にて講演。当日の上映作品は『ボール・オブ・ファイア』。

9 月26日 第29回紀伊國屋セミナー 季刊『リュミエール』創刊2周年記念〈究極のB級映画が見つかった!〉にて講演を行う。上映作品は『恐怖のまわり道』『クリムゾン・キモノ』。会場は新宿紀伊國屋ホール。

10月31日 アテネ・フランセ文化センターの特集上映〈映画は一本で勝負する その三〉にて講演。当日の上映作品は『大砂塵』。

11月 6日 中古智にインタビュー(「リュミエール」誌の連載のため)。於筑摩書房。

12月 4日 三菱商事、クラウンレコードが筑摩書房と提携し、山田宏一との監修によるビデオ・シリーズ「リュミエール・シネマテーク」を発売することを発表。(旧友である三菱商事の川田雄基の映像部門への異動によって実現、翌年5月に発売された。また、当初は少なくとも六期まで続ける計画があり、第二期としてエドガー・G・ウルマー、アンソニー・マンの作品が予定されていた。)

 

1988年(昭和63年)

52歳

1 月17日 第31回紀伊國屋セミナー〈ヴィスコンティと映画大国イタリア〉にて講演を行う。上映作品は『ベニスに死す』。会場は新宿紀伊國屋ホール。

1 月19日 アテネ・フランセ文化センターの特集上映〈新春のシネクラブ〉にて講演。当日の上映作品は『ハイ・シェラ』。

2 月 3日 吉田喜重に山根貞男とインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於銀座三笠会館。

3 月15日 『ベルリン・天使の詩』公開に際し来日したヴィム・ヴェンダースにインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於帝国ホテル。

3 月24日 東大教養学部社会科学科に中沢新一東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手を助教授に迎える人事案件に係る臨時教授会に出席。(中沢新一は「中央公論」(第103年第6号)の西部邁との対談「われらが学問革命」(『剥がされた仮面 ――東大駒場騒動記』(文藝春秋、1988年)所収)の中で「折原浩さんが代表者となって、読書とはなにかについてまったく理解していないまま、本を読みつづけている人だということを、蓮實重氏との教授会での激論のなかで露呈してしまいましたでしょう。」と、また、西部邁は「サンデー毎日」(第67巻第17号)の石川好との対談「虚塔・東大は解体すべし!」(『剥がされた仮面 ――東大駒場騒動記』所収)の中で「この前の教授会で知ったんだが、蓮實重さんの話しぶりも迫力満点です。」と語っている。)

4 月 東大教養学部教授に昇任。

4 月20日 田中裕子に山根貞男とインタビュー(「リュミエール」誌のため)。

4 月22日 『デ・ジャ・ヴュ』公開に際し来日したダニエル・シュミットにインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於帝国ホテル。

4 月27日 坂本龍一と対談。於原宿重よし。

4 月28日 「中沢問題」の渦中にあった東大教養学部で六人の教官有志によるシンポジウム「アカデミズムの再定義に向けて」を開く。他の出席者は本間長世(英語・アメリカ史)、村上陽一郎(科学史・科学哲学)、義江彰夫(日本史学)、竹内敬人(化学)、杉本大一郎(天体物理学)。

5 月13日 高橋源一郎と対談(「國文學」誌のため)。

5 月14日 チェット・ベイカーの訃報(13日未明、演奏旅行で宿泊したオランダ・アムステルダムのホテルの二階の窓から路上に転落、死亡した。享年58歳)。

5 月28日 東大五月祭にて西部邁と対談「大学はいかにして死ぬか」を行う。会場は東大経済学部一番教室。

5 月29日 『闘争のエチカ』刊行記念〈ポストモダン空間を批判する〉の講演とシンポジウムに参加。会場は新宿紀伊國屋ホール。講演「『鋏』について」と題して、フローベールの『感情教育』の主人公は「鋏」であるという視点から「フィクションの擁護」について語る。シンポジウムには柄谷行人の他、絓秀実、高橋源一郎、丹生谷貴志が出席。

7 月13日 中村光夫(12日、肺炎のため死去。享年77歳)の通夜に参列。於鎌倉市の中村宅。

10月19日 ナタリー・バイにインタビュー(「リュミエール」誌のため)。於帝国ホテル。

11月14日 ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』について山田宏一とともに澤井信一郎にインタビューを行う(「リュミエール」誌のため)。於新宿。

 

1989年(昭和64年平成元年)

53歳

2 月21日 昭和63年度(第39回)芸術選奨文部大臣賞が発表され、評論等部門で『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』が選ばれる。

3 月22日 昭和63年度(第39回)芸術選奨文部大臣賞の授賞式に出席。於上野・日本芸術院会館。

6 月25日 「リュミエール叢書」発刊記念 講演と映画の夕べにて講演「小津・厚田・ヴェンダース」を行う。会場は新宿紀伊國屋ホール。

6 月28日 〈黄金のシネマテーク〉オープニング記念講演「「ルビッチ・タッチ」について」を行う。上映作品は『生きるべきか死ぬべきか』。会場はシネセゾン渋谷。

8 月16日 〈黄金のシネマテーク〉アンコール上映記念にて淀川長治と対談「ルビッチに胸ときめいて」を行う。上映作品は『生きるべきか死ぬべきか』。会場はシネセゾン渋谷。

8 月26日 磯崎新と対談(「季刊都市U」誌のため)。

9 月 テニスの最中に左足ふくらはぎに肉離れ、松葉杖の生活を余儀なくされる。

10月 6日 『霧の中の風景』公開に際し来日したテオ・アンゲロプロスにインタビュー(「マリ・クレール」誌のため)。於赤坂全日空ホテル。

10月12日〜15日 山形国際ドキュメンタリー映画祭'89に参加。

10月17日 『ミステリー・トレイン』公開に際し来日したジム・ジャームッシュにインタビュー(「マリ・クレール」誌のため)。於六本木プリンスホテル。

10月19日 「季刊思潮」誌の連載〈近代日本の批評〉のため浅田彰、柄谷行人、三浦雅士と昭和前期の批評について討議を行う。

10月28日 第2回ノーベル賞受賞者日本フォーラムの文学賞分科会が「小説の現在と未来」をテーマに青山学院大学総合研究所で行われ、パネリストとしてクロード・シモン(85年受賞)、大江健三郎(後に94年受賞)とともに参加。報告と各氏の報告を受けた討論を行う。

12月28日 三浦雅士からインタビューを受ける(『饗宴T』のため)。

12月29日 浅田彰と対談(「エイティーズ」誌のため)。

 

1990年(平成2年)

54歳

1 月 平成元年度(第40回)芸術選奨文部大臣賞・芸術選奨文部大臣新人賞の評論等部門の選考審査員を務める。

1 月21日 リヨンのモーリス・ラヴェル劇場で吉田喜重演出の『蝶々夫人』初日を吉田、岡田茉莉子夫妻と観る。この頃、吉田喜重にカブリエル・ヴェールの曽孫のフィリップ・ジャキエを紹介。(この出会いがきっかけとなり、『薔薇のリュミエール』(企画のみ)、『夢のシネマ、東京の夢』に発展する。)

1 月30日〜2月4日 第19回ロッテルダム国際映画祭に参加。

2 月 9日 「季刊思潮」誌の連載〈近代日本の批評〉のため浅田彰、柄谷行人、三浦雅士と昭和後期の批評について討議を行う。

2 月18日 『悲情城市』公開に際し来日したホウ・シャオシェンにインタビュー(「マリ・クレール」誌のため)。於帝国ホテル。

3 月 5日 三好行雄と対談。

3 月28日 第42回紀伊國屋セミナー「季刊思潮」終刊イヴェント〈終わりをめぐって〉のシンポジウムに三浦雅士、浅田彰、柄谷行人と参加。会場は新宿紀伊國屋ホール。

6 月 2日 後藤明生と対談(『スケープゴート』の付録のため)。

6 月30日 水戸テアトル西友で開かれた〈東京という名の物語と画〉で講演「小津・厚田・ヴェンダース」を行う。当日の上映作品は『東京画』(前日は『東京物語』)。

8 月 9日 シードホールでの『天国は待ってくれる』公開に際し「ルビッチとスクリューボール・コメディ」と題する講演を行う。

8 月25日 渋谷PARCO SPACE PART3で開かれたサミュエル・フラー映画祭のため来日したフラーと夫人のクリスタ・ラングに劇場の楽屋で会う。

9 月 4日〜15日 第47回ヴェネチア国際映画祭に参加、「コード以前」と題された社会主義リアリズム成立以前のソ連映画の特集に圧倒される。

11月 9日〜17日 第8回トリノ国際映画祭の回顧特集「青春残酷物語 60年代の新しい日本映画 (Racconti crudeli di gioventù. Nuovo cinema giapponese degli anni '60)」に参加。16日は、午前に佐藤忠男(司会)、吉田喜重、小川伸介、矢島翠、横川真顕、山根貞男と、午後にドナルド・リチー(司会)、イアン・ブールマ、マックス・テシエ、マルコ・ミュレール(特集の責任者)、ダリオ・トマジが加わった合計5時間に及ぶシンポジウムに出席。また、この特集企画のために山根貞男、山田宏一と伊語版カタログの編集を手伝った。

 

1991年(平成3年)

55歳

1 月 平成2年度(第41回)芸術選奨文部大臣賞・芸術選奨文部大臣新人賞の評論等部門の選考審査員を務める。

1 月 7日 「批評空間」誌(前身は「季刊思潮」誌)の連載〈近代日本の批評〉のため浅田彰、柄谷行人、野口武彦、三浦雅士と明治期の批評について討議を行う。

1 月13日 発見された小津安二郎『突貫小僧』の上映会が新宿紀伊國屋ホールで開かれ、講演を行う。

1 月17日 湾岸戦争勃発の日、ヨーロッパへ出発。

1 月24日〜2月3日 第20回ロッテルダム国際映画祭の「日本のB級映画」特集に招待キューレーターとして参加。また、この特集企画のためにディレクターのマルコ・ミュレールの相談役を務め、山根貞男、山田宏一と上映作品の選定を行うとともに英語版カタログ“The Desert under the Cherry Blossoms”“Japanese King of the Bs”の編集をした。

3 月20日 「批評空間」誌の連載〈近代日本の批評〉のため浅田彰、柄谷行人、野口武彦、三浦雅士と大正期の批評について討議を行う。

3 月 立教大学文学部非常勤講師退職。

4 月 3日 パラジャーノフの『ざくろの色』特別試写会で講演。会場は銀座・ヤマハホール。

6 月21日 アテネ・フランセ文化センターの〈50年代映画研究会主催必殺上映会〉にて講演「ベルリンの壁よ永遠なれ―ドン・シーゲルを追悼し遥かにアンソニー・マンを憶う」を行う。講演の前後にD・シーゲル、A・マン両監督作品を上映。

7 月26日 「批評空間」誌の連載〈近代日本の批評〉のため浅田彰、柄谷行人、野口武彦、三浦雅士と総括的討議を行う。

9 月 1日 朝日新聞日曜版に「シネマ CINEMA キネマ」の連載始まる(1993年9月26日まで)。この企画のため、淀川長治、山田宏一とコラムの執筆や作品の選択についての助言を行う。

9 月 第48回ヴェネチア国際映画祭の「ヘイズ・コード以前」特集に参加。エクセルシオール・ホテルのプールサイドでマノエル・デ・オリヴェイラとはじめて会う。

9 月25日 第1回「Bunkamura ドゥ マゴ文学賞」授賞式で経過発表を行う。(これは、任期1年の「ひとりの選考委員」によって選ばれる文学賞であり、この年は、蓮實の選考により山田宏一の『トリュフォー ある映画的人生』が受賞した。)

10月 6日 第4回東京国際映画祭のクロージング『夢の涯てまでも』の上映後、オーチャード・ホールのロビーにて国際交流基金の古賀太からジャン・ドゥーシェに紹介される。

11月 2日〜4日 東大シンポジウム「ミシェル・フーコーの世紀」を責任者として開催。会場は東大駒場キャンパス。

11月17日 「レンフィルム祭−映画の共和国へ」の作品選定のため、この日より2週間、サンクトペテルブルグに滞在。撮影所で一日平均五本の映画を見て過ごすかたわら、レンフィルムの代表的な監督たちに会ってインタビューを行う。

  19日 アレクサンドル・ソクーロフ

  21日 ドミトリー・イワニエフ

  26日 イオシス・ヘイフィッツ

  27日 アレクセイ・ゲルマン、コンスタンチン・ロプシャンスキー

  28日 セミョーン・アラノヴィッチ

12月 1日 パリでヴィターリー・カネフスキーにインタビューを行う。

 

1992年(平成4年)

56歳

1 月 平成3年度(第42回)芸術選奨文部大臣賞・芸術選奨文部大臣新人賞の評論等部門の選考審査員を務める。

3 月16日 Bunkamuraシアターコクーンで開かれた芝居や映画の舞台裏を描いた映画の特集上映〈映画にカーテンコール〉でトークショーを行う。当日の上映作品は『アメリカの夜』。

4 月13日 金井美恵子からインタビューを受ける(「國文學」誌の蓮實特集のため)。

5 月29日 アテネ・フランセ文化センターの特集上映〈小川伸介と小川プロダクション〉にて講演を行う。当日の上映作品は『現認報告書―羽田闘争の記録』。

6 月 5日 「レンフィルム祭」初日の〈アラノヴィッチ特集〉にてセミョーン・アラノヴィッチ、グカシャン(プロデューサー)と座談会を行う。会場は大阪国際交流センターホール。

6 月13日 名古屋での「レンフィルム祭」の初日に講演「映画を通して見たロシアの歴史と現在」を行う。会場は名古屋国際センターホール。夜には、名古屋シネマテークで行われた〈小川紳介全作品追悼上映会 〜「ドキュメンタリー」を超えて〜〉に際して記念講演「小川紳介の映画を語る」を行う。

6 月21日 「レンフィルム祭」のプレミアにてアレクセイ・ゲルマン、カルマリータ(脚本家)とシンポジウムを行う。会場は有楽町朝日ホール。予定されていたカネフスキーは急病のため欠席。

7 月11日 「レンフィルム祭」の〈ソクーロフ特集〉にてアレクサンドル・ソクーロフと対談を行う。会場は川崎市市民ミュージアム。

7 月29日 『こうのとり、たちずさんで』公開に際し来日したテオ・アンゲロプロスにインタビュー(「マリ・クレール」誌のため)。

8 月 6日〜15日 第45回ロカルノ国際映画祭に5年ぶりに参加、「マリオ・カメリーニ」特集のヴィットリオ・デシーカとアッシア・ノリスの魅力に惹かれる。

9 月19日 新潟での「レンフィルム祭」のオープニングにて講演「レンフィルムの監督たちの魅力」を行う。会場は新潟フェイズ。

10月18日 中世の里なみおか映画祭として行われた「レンフィルム祭」にて講演。会場は浪岡町中世の館ホール。

11月 9日 金井美恵子と対談(「文藝」誌のため)。

12月10日 厚田雄春(7日、急性膵炎のため死去。享年87歳)の告別式に参列。於葛飾区四ツ木斎場。

12月12日 PARCO劇場での〈ルビッチ生誕100年祭〉オープニングイベントにて講演を行う。上映作品は『天使』。

 

1993年(平成5年)

57歳

1 月 平成4年度(第43回)芸術選奨文部大臣賞・芸術選奨文部大臣新人賞の映画部門の選考審査員を務める。

1 月27日 黒沢清の映画評論集『映像のカリスマ』出版記念会にて黒沢清と対談。会場はアテネ・フランセ文化センター。

2 月16日 東大教養学部長併任(1995年2月まで)。

2 月21日 『マルメロの陽光』公開に際し来日したビクトル・エリセにインタビュー(「マリ・クレール」誌のため)。

4 月 改装した東大教養学部視聴覚ホールのこけら落としとして小津安二郎の『突貫小僧』とハワード・ホークスの『酋長の身代金』を二本立て上映し、挨拶を行なう。

6 月 2日 『阿賀に生きる』の上映に際して講演を行う。会場は新潟市公会堂。

6 月 3日 絓秀実からインタビューを受ける(「海燕」誌の特集「全共闘伝説」と「「転向」という神話」のため)。

6 月24日 川喜多和子(4日蜘蛛膜下出血で倒れ、7日死去。享年53歳)のフランス映画社、川喜多記念映画文化財団、東和映画による合同葬に参列、弔辞を読む。於築地本願寺。

6 月30日 東京日仏学院などの主催で映画に使われる「音」の意味や効果について考える討論が、映画音楽作曲家のミシェル・ファノ(パリ音楽院でメシアンの教えを受け、アラン・ロブ=グリエの『不滅の女』などのサウンドトラックを手掛けた作曲家)、武満徹を招いて開かれ、その司会役として参加。会場は草月ホール。

7 月 2日 「アイランズ/島々」公開記念フォーラムにてアラノヴィッチと対談「北方四島をめぐる人々」を行う。会場は有楽町朝日ホール。

7 月16日 〈リヴェットの映画と女優とファッションに酔いしれる3日間〉の最終日に講演。当日はプレミアショーとして『地に堕ちた愛』が上映される。会場はPARCO劇場。

8 月 5日〜15日 第46回ロカルノ国際映画祭の「サッシャ・ギトリー」特集に参加、最終日にノエル・シムソロ(コーディネーター)によるシンポジウムで発表。

8 月24日 小森陽一と対談(「國文學」誌の谷崎潤一郎特集のため)。

9 月13日 中沢新一と対談(「ルプレザンタシオン」誌のため)。

10月15日 東大教養学部フランス語教室と東大大学院言語情報科学専攻共催のピエール・ブルデューのセミナー〈文学場の生成と構造〉に出席。

10月27日 高橋源一郎と対談。

11月28日 川崎市市民ミュージアムの特集上映〈マノエル・デ・オリヴェイラとポルトガル映画の諸相〉にて講演を行う。当日の上映作品は『カニバイッシュ』『神曲』。

 

1994年(平成6年)

58歳

1 月 平成5年度(第44回)芸術選奨文部大臣賞・芸術選奨文部大臣新人賞の映画部門の選考審査員を務める。

4 月16日 銀座テアトル西友でのオールナイト〈スタージェス・ナイト〉にて講演を行う。当日の上映作品は『レディ・イヴ』『パームビーチ・ストーリー』『サリヴァンの旅』『プレストン・スタージェス アメリカン・ドリーマー』。

4 月29日 シネ・ヴィヴァン六本木での『木と市長と文化会館 または七つの偶然』公開初日に講演を行う。

4 月30日 『知の技法』刊行記念シンポジウムの第1部で講演「人はいかにして20世紀に訣れを告げることができるのか」を行う。会場は新宿紀伊國屋ホール。

8 月19日 なみおか映画祭の公式プログラムのため金井美恵子、山根貞男と赤坂で鼎談を行う。

9 月21日 東京ドイツ文化センターの特集上映〈小津安二郎とドイツ映画 小津から学んだもの〉にてヘルムート・フェルバー(ドイツの映画評論家)と対談。当日の上映作品は『夏』『東京画』『晩春』。

10月17日 朝日新聞日曜版に連載された「シネマ CINEMA キネマ」で紹介された名画の鑑賞会「朝日シネマの旅」で講演。当日の上映作品は『ミツバチのささやき』。会場は中之島・リサイタルホール。

11月 4日 柄谷行人と対談(「群像」誌のため)。

11月 7日 東大教養学部長室で渡辺武信、西出和彦からインタビューを受ける(「建築雑誌」誌のため)。

11月12日 シネ・ヴィヴァン六本木での〈アレクサンドル・ソクーロフの宇宙〉にて「ソクーロフと遊ぼう」と題したティーチインを行う。当日の上映作品は『セカンド・サークル』。

12月22日 映画生誕百年記念事業「サイレント・ルネサンス−映画と音楽の新たな出会いに向けて」の初日を飾る坂本龍一演奏による『チート』『犠牲』に酔いしれる。会場は有楽町朝日ホール。

 

1995年(平成7年)

59歳

1 月 平成6年度(第45回)芸術選奨文部大臣賞・芸術選奨文部大臣新人賞の映画部門の選考審査員を務める。

1 月30日 河野多惠子と対談(「文藝」誌のため)。

3 月20日〜21日 パリのオデオン座で開催された国際シンポジウム「映画の第二世紀に向けて」に参加。

4 月 東大副学長併任(1997年3月まで)。

8 月 3日 午前、完成したばかりの『ゴダールの映画史』の2bと3aを見に、アンドレ・S・ラバルトとスイスのゴダール宅に行く。

8 月 3日〜13日 第48回ロカルノ国際映画祭にビデオ部門の審査員として参加。グランプリ(ソニー賞)はソクーロフの『精神の声』。また、『ゴダールの映画史』をめぐる円卓会議にジョナサン・ローゼンバウム、ナウム・クレイマン、ジョルジオ・アガンベン、ジャック・ランシエール、フロランス・ドゥレ、アンドレ・S・ラバルトと出席。

8 月 戦前戦中の日本映画の調査のため、国際交流基金の派遣で冨田三起子、山根貞男とともにロシアのゴスフィルモフォンドに行く。

9 月23日 第8回東京国際映画祭の自主企画「ニッポン・シネマ・クラシック」の『噂の娘』上映前の舞台挨拶を山根貞男と行う。会場は渋東シネタワー4。この企画にあたって山根と作品選定を行うとともに世界の映画人にあなたの好きな日本映画を1本挙げていただきたい≠ニいうアンケートを採り、冊子「日本映画の貢献」としてまとめる。

11月 9日 後藤明生、久間十義と鼎談(「海燕」誌のため)。

12月 3日 〈光の生誕! リュミエール〉にて吉田喜重、フィリップ・ジャキエ(ガブリエル・ヴェールの曾孫)と座談会「リュミエール兄弟とそのキャメラマンたち」を行う。会場は有楽町朝日ホール。

12月 7日 〈映画生誕百周年記念 リュミエール&メリエス映画祭〉にて講演。会場は難波・南街シネマ。

 

1996年(平成8年)

60歳

2 月 3日 広島のシネツインでの宮岡秀行監修の『セレブレート シネマ 101』プレミア上映会に出席、講演を行う。

2 月10日 研究室にて梅本洋一、阿部和重から「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」誌のインタビューを受ける。

2 月11日 高知県立美術館ホールでの上映会「映画の生誕 リュミエール映画祭」にて講演「映画という名の奇跡」を行う。

4 月 東大大学院総合文化研究科教授に就任。

4 月 6日 東京大学とフランス国立科学研究センター(CNRS)共催の国際シンポジウム「伝統とモデルニテの諸問題」で「モデルニテと凡庸さの発明」を発表。会場は東大本郷キャンパス山上会館。(『教養学部報』に「第二帝政期半ば、ド・サン=レミことド・モルニー立法院議長が脚本を書き、オッフェンバックが音楽をつけて議長官邸で上演されたオペレッタ・ブッファ『シューフルーリ氏、今夜は在宅』の分析を中心、二十世紀のハリウッド映画の中にまで見いだすことのできる、文化の非嫡子性、私生児性の、十九世紀における起点の一つを鮮やかに示した。」とある。)

7 月 95年に引き続き、国際交流基金の派遣で冨田三起子、山根貞男、フィルムセンターの佐伯知紀とともにゴスフィルモフォンドで日本映画の調査を行う。

7 月20日 テアトル新宿での北野武オールナイト上映会〈TAKESHI NIGHT〉に先立ち講演を行う。

7 月12日 第10回生研学術講演会「電子メディア社会の文化と工学」で講演「『視る』ことと『語る』こと」を行う。於東大生産技術研究所第1会議室。

9 月27日 第9回東京国際映画祭の一環として行われた「映画監督北野武/国際シンポジウム」に山根貞男(総合司会)とともに中心となって参加。会場はシネセゾン渋谷。イギリスの批評家トニー・レインズ、「カイエ・デュ・シネマ」誌元編集長ティエリー・ジュス、ホウ・シャオシェン、北野武本人が出席。

9 月28日 第9回東京国際映画祭の「ニッポン・シネマ・クラシック」の初日『旅役者』上映前に山根貞男と行った舞台挨拶で「同時代の批評は当てにならない。信用しないでおこう。」と語る。会場は渋東シネタワー4。

10月18日 近畿大学で講演「一九三四年の問題 合衆国・ソ連・日本」を行う。会場はノヴェンバーホール・小ホール。

10月21日 NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)主催国際シンポジウム「マルチメディア社会と変容する文化−科学と芸術の対話に向けて」に浅田彰、磯崎新、マーヴィン・ミンスキーらと出席。会場は有楽町朝日ホール。

12月 7日 映画生誕百年記念映画祭「ジャン・ルノワール、映画のすべて」にちなんだ国際映画シンポジウム「ジャン・ルノワール芸術の魅力と秘密」を企画、パネル・ディスカッションの司会を務める。アラン・ルノワール、ジャン・ドゥーシェ、ギ・カヴァニャック(ルノワールの助手)、ジャネット・バーグストロム(UCLA映画テレビ学部準教授)がパネリストとして参加。会場はフィルムセンター大ホール。

12月10日 東京日仏学院でジャン・ドゥーシェと対談「ルノワールの後継者達」を行う。

12月13日 立教大学国際シンポジウム「近代日本における時間の概念と経験」の3日目の第3セッション「文学と時間」に出席、講演「〈恩寵〉の時間と〈歴史〉の時間─樋口一葉をめぐって」を行う。於立教大学太刀川記念館。

 

1997年(平成9年)

61歳

1 月19日 第6回東スポ映画大賞のノミネートが発表される。(これは、ビートたけし東京スポーツ客員編集長が選考する映画賞であり、第5回から第7回の審査員として浅田彰とともに参加した。)

2 月 7日 東京大学で次期総長選挙があり、第26代総長予定者に選出される。選挙後の記者会見で「向こう四年間は映画、文芸の評論活動は廃業せざるを得ない。」と宣言。

3 月 ジャン=ピエール・リモザンの『TOKYO EYES』の撮影にエキストラとして参加。(「キネマ旬報」(第1272号)の吉武美知子の「「TOKYO EYES」ができるまで(後)」に「実は、「TOKYO EYES」には蓮實学長が主演する(?)シーンがあった。Kがついに殺人を犯してしまったのではないかと心配で眠れぬ夜を過ごしたHinanoが朝一で朝刊を買いに行く。そこのキオスクの主人役で、Hinanoとの間に一悶着あり、かなりきわどい台詞を言われる。このシーンは「映画全体のリズムにそぐわない」というJPLの判断で編集台の上でばっさりカットされ、幻のシーンとなった。」とある。)

4 月 1日 東大総長就任(2001年3月まで)。

4 月11日 平成9年度東大入学式。於日本武道館。

8 月 6日〜16日 第50回ロカルノ国際映画祭の「加藤泰」特集に招待され、山根貞男とともに紹介に努める。途中、公用で東京に戻るが、16日は、山根、井川徳道(加藤泰作品の美術監督)、マルコ・ミュレールと加藤泰シンポジウムに出席。また、この特集企画のために上映作品の選定や資料作りを行った。

9 月17日〜24日 モスクワ大学長、ロシア国立人文大学長との交流打合せ及びロシア国立映像アーカイブ(ゴスフィルモフォンド)所長との日ロ共同プロジェクト打合せのため、ロシア共和国に出張。

9 月29日 3年がかりで行っていたロシアのゴスフィルモフォンドでの日本映画調査の成果について、国際交流基金で記者会見して発表する。

10月15日 東京大学創立120周年記念「東京大学展−学問の過去・現在・未来」(10月16日〜12月14日)の開会式で「大学は今、変わらねばならないという強迫観念にとらわれている。われわれは義務感からではなく、喜びを持って変化させていくつもりだ。」と挨拶する。於東大本郷キャンパス山上会館。

11月 1日 第10回東京国際映画祭の「ニッポン・シネマ・クラシック」のオープニングとなる『お市の方』上映前の舞台挨拶を山根貞男と行う。(この作品の上映は、蓮實の提案により、サミュエル・フラー(10月30日、ロサンゼルスの自宅で死去。享年86歳)に捧げられた。)

11月26日 開催中の東京大学展に天皇皇后両陛下が行幸啓、案内する。

12月13日 第1回京都映画祭の「国際シンポジウム・時代劇と世界映画」に山根貞男(コーディネーター・司会)、デイヴィッド・ボードウェル(ウィスコンシン大学教授)、ティエリー・ジュス、マルコ・ミュレール、エドワード・ヤン、中島貞夫、加藤幹郎とパネリストとして参加。会場は京都市北文化会館。また、映画祭の一環で行われた第1回京都映画文化賞の審査委員を務めた。

12月14日 世田谷文学館の資料展示「美術監督中古智と成瀬映画の世界」に伴なう関連企画として「中古智の仕事からみた成瀬映画の魅力」と題するトークを行う。終了後、館長の佐伯彰一と対談(「世田谷文学館ニュース」のため)。

12月19日 パリ第8大学から名誉博士号を授与される。

 

1998年(平成10年)

62歳

1 月22日 AGS(人間地球圏の存続を求める三大学国際学術協力)1998年次総会で挨拶を行う。於スイス連邦工科大学チューリッヒ校。

1 月31日 東大教育学部附属中・高等学校で「くり返すということ」をテーマにした授業を行う。

2 月16日 文部省の第16期学術審議委員に任命される(2000年2月15日まで)。

3 月27日 平成9年度東大卒業式。於東大安田講堂。

3 月30日 平成9年度東大学位記授与式。於東大安田講堂。

4 月11日 東京六大学野球春季リーグ戦開幕戦始球式でマウンドへ。

4 月13日 平成10年度東大入学式。於日本武道館。

4 月14日〜19日 日本学術振興会ロンドン研究連絡センター主催シンポジウム出席のためイギリスへ、及びパリ第8大学、CNRSにおいて交流事業打合せのためフランス共和国に出張。

8 月 5日〜15日 第51回ロカルノ国際映画祭にコンペティションの審査員として参加。呂楽の『趙先生』にグランプリ(黄金の豹賞)を与えるためロバート・クレイマーと共闘する。

9 月 9日〜20日 近代草稿テクスト分析学院国際会議出席及びCNRSとの交流事業打合せのためフランス及びスペイン文化省主催国際シンポジウム出席のためスペインに出張。

9 月14日 シネマテーク・フランセーズで行われた“Yasujirô Ozu”(カイエ・デュ・シネマ刊行の仏語版『監督 小津安二郎』)出版記念の『東京の宿』特別上映のゲストとして出席。

9 月17日〜19日 第46回サンセバスチャン国際映画祭の「成瀬巳喜男」特集に招待される。18日は、『女人哀愁』の上映前に講演。また、この特集企画のために山根貞男とカタログ“Mikio Naruse”の編集をした。

9 月24日〜26日 成均館大学創設600周年記念フォーラム及び記念式典出席のため大韓民国に出張。

10月23日 国立大学協会の理事会が開かれ、次期会長に選出される(任期は12月1日から)。

11月18日 桜友会創立80周年記念事業の一環として行われた卒業生座談会「学習院の継承すべき伝統と文化−私が学習院で学んだこと−」に出席。会場は目白の学習院創立百周年記念館正堂。

12月10日 東大総合研究博物館で「デジタル小津安二郎展――キャメラマン厚田雄春の()――」(厚田の遺族から蓮實を通じて東大大学院総合文化研究科・表象文化論研究室に映画関係の遺品が寄贈されたことがきっかけとなり実現)が始まる(翌年の1月31日まで)。

12月11日 〈デジタル小津安二郎展〉の関連企画としてシンポジウム「世界の小津安二郎」が開催され、ジャン・ドゥーシェの基調講演、川又の講演に続いて行なわれたパネルセッションに参加。他にドゥーシェ、ジョナサン・ローゼンバウム、ホウ・シャオシェン、朱天文、ティエリー・ジュスが出席。会場は丸ノ内松竹。

 

1999年(平成11年)

63歳

1 月 9日 文京区生涯学習推進講演会―大学学長による連続講演会で講演。於文京シビックセンター。

1 月13日 〈デジタル小津安二郎展〉を記念して行われたシンポジウム「デジタル技術による映画の修復・保存」の第2部「デジタル技術による映画の修復と保存――映画からの要求」に参加。他に川又、岡島尚志、坂村健(司会)が出席。会場はTEPIAホール。

1 月20日 AGS1999年次総会を開催、挨拶を行う。於東大安田講堂。

1 月27日〜31日 モスクワ大学及びロシア映画博物館において日ロ学術、文化交流についての協議のためロシアに出張。

  29日 モスクワのロシア映画博物館で「小津安二郎と世界の映画史」と題する講演を行う。

2 月 2日 1998年度フランス映画批評家協会文芸賞(最優秀仏訳海外著作物)に“Yasujirô Ozu”が選ばれる。

2 月27日 フランス政府より芸術文化勲章コマンドールを授与される。於在日フランス大使公邸。

3 月26日 平成10年度東大卒業式。於東大安田講堂。

3 月29日 平成10年度東大学位記授与式。於東大安田講堂。

4 月12日 平成11年度東大入学式。於日本武道館。

5 月 1日 〈三百人劇場映画講座5&6 成瀬巳喜男とマキノ雅弘 静と動の情動〉の関連イベントとして行われたシンポジウム「成瀬巳喜男とマキノ雅弘」に山根貞男(司会)、岡本喜八、篠崎誠、常石史子と参加。

5 月20日 パリ第8大学で行われたパリ第8大学・ジュネーヴ大学・東京大学を結ぶ国際シンポジウム「作品の時間─記憶と予兆」の1日目に「不可視性 希少性 効果性―『ボヴァリー夫人』における権力の出現」を発表。

5 月29日 金沢大学創立50周年記念式典で来賓の挨拶を行う。於金沢市・全日空ホテル。

7 月 3日 ドイツ-日本研究所主催のシンポジウム「言語の多様性と知のグローバル化」で基調報告「空間の分割について」を行い、総括討論に参加する。会場は関西ドイツ文化センター。

8 月 6日 後藤明生(2日、肺癌のため死去。享年67歳)の後藤家と近畿大学、文芸学部の合同葬に参列、「私たちは頻繁に連絡を取っていたわけではなかったが、互いに敬意と信頼の間柄だった。あえて、悲しみの言葉を述べない私を心の広いあなたはきっと許してくれるでしょう」と弔辞を述べる。於大阪市中央区仏教文化会館。

10月31日 第12回東京国際映画祭のロベール・ブレッソン回顧上映に伴い二人の出演女優フロランス・ドゥレ(現在は大学教授)とアンヌ・ヴィアゼムスキーを招いて行われたシンポジウムにジャン=ミシェル・フロドンとともに司会として参加。会場はBunkamuraシアターコクーン。

11月16日 浅田彰と対談(「批評空間」誌のため)。

11月20日〜24日 中華人民共和国に出張。

  21日 北京の中国電影資料館で日本映画回顧展(開催期間は1週間)が行われ、日本映画代表団々長として開幕式に出席。

 

2000年(平成12年)

64歳

1 月19日〜28日 アメリカ合衆国に出張。

  20日 AGS2000年次総会で挨拶を行う。於マサチューセッツ工科大学。

  24日 マサチューセッツ工科大学にて〈UT Forum 2000 in Boston〉を開催、挨拶を行う。(このフォーラムは、東大の研究活動を海外に広く紹介することを目的に蓮實が企画したもので、第1回目は理学・工学系の研究紹介に重点がおかれ、安藤忠雄、小柴昌俊らが講演を行った。)

  26日 シカゴ大学のフィルム・スタディーズ・センターにて講演「転倒=交換=反復:ハワード・ホークスのコメディについて」を行う。

1 月29日 〈ハリウッド伝説:ハワード・ホークス映画祭〉の一環として行われた国際映画シンポジウム「ハワード・ホークス再考!」にジェフリー・ノエル=スミス(映画史家)、アン・フリードバーグ(UCアーバイン校準教授)、ピーター・ウォーレン(UCLA映画テレビ学部教授)と参加。講演「転倒=交換=反復:ハワード・ホークスのコメディについて」を行う。会場はフィルムセンター大ホール。

2 月16日 文部省の第17期学術審議委員に再任される(2000年12月まで)。

2 月29日〜3月5日 ドイツ連邦共和国に出張。

   2日 ミュンヘン大学・東京大学シンポジウム「未来の大学・ドイツと日本の視点」に出席、挨拶を行う。於ミュンヘン大学大講堂。

3 月10日 NHK教育の「視点・論点」に出演し、解説した「大学の現在と未来」が放送される。

3 月28日 平成11年度東大卒業式。於東大安田講堂。

3 月29日 平成11年度東大学位記授与式。於東大安田講堂。

4 月21日 『表象のディスクール』[全6巻](東京大学出版会)刊行開始記念連続講演会「表象文化論の現在」(4回連続で他の講師は松浦寿輝、佐藤良明、小林康夫)の最終回となる講演を行う。(『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン/映画の21世紀]W』の編集後記(吉田大助)に「4月末日、蓮實重彦氏の講演を聴いた。ゴダールとフーコー(!)というカップリングを援用しながらも話の中心はやはりゴダールの『映画史』であり、4時間半の本編を既に40時間見ているという蓮實氏による注釈と謎解きは、サッカーのプレーをスローモーションで見る時のような知的興奮に満ちていた。さて、私見ながら蓮實氏は2時間の講演を通しておよそ次の事実を伝えていたように思う。なぜ映画を見るのか?なぜ学問をするのか?なぜ恋愛をするのか?それは『映画史』を「より一層」楽しむためである。『』の中身は世界でも人生でも何でも良いだろう。・・・僕は途端に勇気が沸いた。」とある。)

5 月 8日〜14日 フランス共和国に出張。

   9日〜10日 第53回カンヌ国際映画祭プレ・イベントとして開催された「ル・モンド」紙と映画祭事務局との共催による国際シンポジウム「Le Cinema A Venir (映画の将来)」に招待される。会場はマジェスティック・ホテルの宴会場。(『黒沢清の恐怖の映画史』(青土社)に「(篠崎誠の発言)なんかカンヌで擁護したという話を聞きましたが。 (以下、黒沢の発言)そうそう。僕の目の前でやってました。フランスの若手監督が、デ・パルマの悪口を、デ・パルマのやり方は良くないっていうふうに言うわけですね。内容はよくわからなかったけど、それから話がちょっとはずれて、彼らのうちのひとりが「私はタルコフスキーが好きだ」っていいだしたとたん、蓮實さんが発言しはじめて、「皆は最初デ・パルマの悪口を言って、今はタルコフスキーがいいと言っているが、私はタルコフスキーよりデ・パルマがいいと思う」って。フランス語で言って、それを訳してるのしか聞いてないからよくわからないけど、「タルコフスキーは映画作家だったかもしれないが、映画人ではない。デ・パルマは間違いなく映画人である」って、かなり誉めてて。」とある。)

6 月 6日〜9日 ソウル大学訪問及び第6回AEARU理事会出席のため韓国に出張。

6 月10日 実行委員長を務めた「ポルトガル映画祭2000 パウロ・ブランコと90年代ポルトガル映画」でパウロ・ブランコと対談。会場は六本木・オリベホール。

6 月23日〜28日 APRU総会及びAGS理事会出席のためカナダ及びスイスに出張。

7 月 3日〜 8日 国際フランス研究連合(AIEF)年次大会に出席するためフランス共和国に出張。

8 月31日〜9月1日 学術審議会学術研究体制特別委員会の人文・社会科学研究に関するワーキング・グループの集中審議に出席。初日に人文・社会科学の特性について意見発表を行う。

9 月 6日〜10日 世界学長会議に出席のためイタリア共和国に出張。

9 月13日〜17日 国立天文台ハワイ観測所すばる望遠鏡視察並びに大学院理学系研究科ビッグバン宇宙国際センターマグナム望遠鏡視察及び完成記念式典に出席のため、アメリカ合衆国(ハワイ)に出張。

9 月23日 京都学生映画祭の特別シンポジウム「自主制作映画の可能性」の第1部で黒沢清と対談を行う。会場はキャンパスプラザ京都4階 第2講義室。

11月 1日〜 5日 中国社会科学院主催シンポジウム出席のため中華人民共和国に出張。

11月19日 日仏学術研究交流活動のため招聘を提案していたジャック・ネーフ(パリ第8大学教授)が来日(12月2日離日)。

  22日 東大教養学部フランス語部会主催によるネーフ教授講演会「テクスト生成研究と美学」の司会を務める。

  24日 東大教養学部フランス語部会主催によるフロベール・シンポジウム「書くことの旅と誘惑」にて「《しかし彼女の手は美しくはなかった》―『ボヴァリー夫人』の説話的・主題的形式に関する考察」を発表。

12月 7日〜10日 タイ王国高等教育事情の視察のためタイ王国に出張。

12月13日〜17日 スタンフォード大学で開催される〈UT Forum 2000 in Silicon Valley and the Bay Area〉出席のためアメリカ合衆国に出張。

12月23日 合同アジア映画祭のグル・ダット監督特集にて特別講演「グル・ダットの全貌に向けて」を行う。会場は六本木・国際交流基金フォーラム。

 

2001年(平成13年)

65歳

1 月 韓国語版『監督 小津安二郎』がハンナレから出版される。

1 月14日 AGS2001年次総会で挨拶を行う。於スイス連邦工科大学ローザンヌ校。

2 月 8日 韓国の「シネ21」誌からインタビューを受ける。於東大総長室。

3 月28日 平成12年度東大卒業式。於東京国際フォーラム ホールA。

3 月29日 平成12年度東大学位記授与式。於東大安田講堂。

3 月31日 東大総長を任期満了により退職。

4 月18日 第125回紀伊國屋セミナー 東京大学出版会創立50周年記念講演会「「脳か物か」 −新世紀の知を語る−」に養老孟司と共に出演し、講演と対談を行う。会場は新宿紀伊國屋ホール。

5 月17〜18日 ジュネーヴ大学で行われたジュネーヴ大学・東京大学・パリ第8大学を結ぶ国際シンポジウム「作品概念の無際限性」に参加し、17日には「転倒=交換=反復:ハワード・ホークスのコメディについて」を発表。

5 月15日 東大名誉教授の称号授与が決まる。

5 月31日 「週刊読書人」の連載(蓮實重彦氏に聞く第1部)のため、絓秀実からインタビューを受ける。

6 月 9日 せんだいメディアテークにて「マクシム・デュ・カンとその時代」と題した講演を行う。

6 月30日 銀座テアトルシネマでのオリヴェイラ監督特集オールナイトに先立ちトークショーを行う。

8 月29日〜9月8日 第58回ヴェネチア国際映画祭に新しく設けられた「現在の映画」部門審査委員長として参加。他の審査委員はミシェル・シマン、ピエラ・デターシス、エマニュエル・レヴィ、ゲイヴィン・スミス。グランプリはローラン・カンテ監督の“L'emploi du temps”。

   6日 永年の業績を称える名誉金獅子賞が贈られたエリック・ロメールのシンポジウムが開催され、シャルル・テッソン(モデレーター)、パスカル・ボニゼール、ジャン=クロード・ブリアリ、ジャン・ドゥーシェほかとともに出席、「エリック・ロメールまたは偶然であることの必然」を発表。

10月18日 「週刊読書人」の連載(蓮實重彦氏に聞く第2部)のため、絓秀実、渡部直己、城殿智行からインタビューを受ける。

11月 4日 第16回国民文化祭・ぐんま2001のシンポジウム「映像の時代」にて記念講演「21世紀の映画論」を行う。会場は高崎シティギャラリー コアホール。

11月13日 オンライン書店bk1のインタビューを受ける。

11月24日 第11回吉田秀和賞(受賞作は加藤幹郎の『映画とは何か』)の贈呈式が水戸芸術館であり、祝辞を述べる。

11月29日 ジャンヌ・バリバールにインタビュー(「ヴォーグ ニッポン」誌のため)。

11月30日 青山ブックセンター本店内カルチャーサロンでのライブトーク「ドキュメンタリーの未来へ」にて佐藤真と対談を行う。当日は佐藤の短篇『女神さまからの手紙』を上映。

12月 7日 南京大学中日文化研究センター創立式典に出席、南京大学名誉教授の称号を授与される。また、学術報告会で講演「モーパッサンからダイエット・コークまで」を行う。

 

2002年(平成14年)

66歳

3 月 2日 シャンテ シネ3で『家路』公開記念トークショーをその日の最終回上映前に行う。

3 月 9日 松浦寿輝の博士論文公開審査に審査担当者として出席。

3 月21日 第2回ミュンヘン大学・東京大学シンポジウム「大学の倫理」にて基調報告を行う。於東大山上会館。

4 月23日 ソウルで行われた第58回FIAF(国際フィルム・アーカイヴ連盟)総会のシンポジウムで「アジア映画、その特異性と普遍性─映画の間=テクスト性にみる溝口健二『マリアのお雪』」を発表。

4 月26日 「週刊読書人」の連載(蓮實重彦氏に聞く第3部)のため、絓秀実、渡部直己、守中高明、菅谷憲興からインタビューを受ける。

4 月27日 映画美学校(アテネ・フランセ文化センターとユーロスペースが共同で運営する特定非営利活動法人)公開講座 万田邦敏監督新作「UNloved」公開記念特別講義にて万田邦敏と対談。会場はアテネ・フランセ文化センター。

5 月 2日 シャンテ シネ3で『愛の世紀』トークショーを最終回上映前に行う。

5 月 4日 〈三百人劇場映画講座vol.12 中村登の世界〉にて岡田茉莉子と対談を行う。当日の上映作品は『河口』『集金旅行』『土砂降り』『班女』。

5 月15日 東京日仏学院でフロランス・ドゥレと対談を行う。

5 月26日 日本英文学会第74回大会のシンポジア第9部門「ヒッチコックあるいは視線の制度(アメリカ映画を総括する)」で「愛と「階段」 アルフレッド・ヒッチコック『汚名』をめぐって」を発表、加藤幹郎(司会)、飯岡詩朗、斉藤綾子との討議に参加する。於北星学園大学。

5 月31日 青山ブックセンター本店内カルチャーサロンでの連続講義〈蓮實重彦とことん語る〉の第1回「とことん大学を語る」を行う。

7 月12日 〈蓮實重彦とことん語る〉の第2回「とことん日本映画を語る」を行う。

8 月 2日 国立長岡工業高等専門学校創立40周年記念事業に招かれ「人はいかにして「変化」の主体となるのか」と題する講演を行う。

8 月10日 国際ダンスフェスティバルJADE2002の1企画〈ダンス・イン・シネマ〉の『快楽』上映前に講演を行う。会場はオリベホール。

8 月16日 アジア工科大学(AIT)から名誉博士号(哲学)を授与される。

8 月24日 ユーロスペースで『JLG/自画像』トークショーを行う。

9 月20日 〈蓮實重彦とことん語る〉の第3回「とことん現代思想を語る」を行う。

10月 5日 〈蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.2 蓮實映画史〉を行う。

10月16日 東大超域文化科学専攻表象文化論、言語情報科学専攻主催によるシンポジウム「文学ルネッサンスをめざして――創作・批評・研究のフロンティア」に荻野アンナ、小森陽一、松浦寿輝(司会)と参加。

10月19日 近畿大学国際人文科学研究所が主宰する東京コミュニティカレッジの総合文化講座の講師の一人として「近代を定義するものとしてのフィクション―「詩と真実」の彼岸」をテーマに講義を行う。

10月29日 映画美学校フィクション・コース初等科の特別講師として映画表現論の講義を行う。

11月16日 テアトル新宿で『ラストシーン』初回上映後に中田秀夫とトークショーを行う。

11月23日 せんだいメディアテークで「蓮實重彦 映画への不実なる誘い」と題する連続講演(全3回)を行う。第1回のテーマは「映画における国籍」。また、コーディネーターとして協力したウェブ・サイト「あなたに映画を愛しているとは言わせない」が開設される。

11月24日 せんだいメディアテークでの第2回。テーマは「映画における演出」。

11月26日 フィルムセンターで行われた「展覧会 映画遺産」の内覧会と『斬人斬馬剣』(この年発見されたパテベビー9.5mmフィルムからの復元版)のプレス向け上映に駆けつける。

11月28日 中京大学社会科学研究所に招かれ、講演「『改革』から『変化』へ――二十世紀を批判的に肯定するために」を行う。

12月 3日 ジュンク堂書店池袋本店にてジャン=ミシェル・フロドンと『映画と国民国家』の発売記念のトークセッションを行う。

 

2003年(平成15年)

67歳

1 月 季刊誌「考える人」に『「赤」の誘惑 「フィクション」をめぐる進行中の作業のためのノート』の連載始まる(2003年冬号から2004年夏号まで)。(「讀賣新聞」(平成19年6月19日)のインタビュー記事「蓮實重彦氏がフィクション論 「赤」を追う自分が揺らぐ」に「発端は、2001年まで務めた東大総長の任を終えるころ、「伝記を書いてみませんか?」と編集者に勧められたことだった。「ロラン・バルトがRBという主語で書いたように、自分のことについて嘘をつかずに書くことは不可能。書いた途端に、フィクションが発生してしまう。なぜ伝記が書けないのかがこれを読めば分かるというフィクション論の連載を、雑誌で始めました」」とある。)

1 月16日 小柴昌俊東大名誉教授のノーベル物理学賞受賞記念学術講演会にて挨拶。於東大安田講堂。

1 月18日 〈蓮實重彦とことん語る〉の第4回「とことん日本文学を語る」を行う。

2 月15日 せんだいメディアテークでの第3回。テーマは「映画における歴史――女性たちによる『ゴダールの映画史』の横断――」。

2 月28日 〈蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.3 蓮實映画史〉を行う。テーマは「時代劇をめぐって」。

3 月 8日 NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)主催〈コミュニケーションの現在・2003〉のシンポジウム「映画が21世紀を迎えるために―『ゴダールの映画史』以降」にモデレーターとして参加。他の出席者は青山真治、浅田彰、堀潤之。会場はICCギャラリーA。

4 月 4日 青山ブックセンター本店内カルチャーサロンでの吉田喜重、岡田茉莉子のトークショー「『鏡の女たち』をめぐって」に聞き手として参加。

4 月 5日 シネセゾン渋谷でのレイトショー〈とっておきゴダール4作品連続上映〉にてトークショーを行う。上映作品は『右側に気をつけろ』。

4 月12日 東京都写真美術館ホールでこの日と5月3日に『鏡の女たち』トークショーを行う。

6 月 2日 〈蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.4 蓮實映画史〉を行う。

7 月19日 せんだいメディアテークで前年度に引き続き「蓮實重彦 映画への不実なる誘い」を行う。第4回のテーマは「世界の中の日本映画:理論編」。

8 月18日 侯孝賢の『珈琲時光』の撮影にエキストラとして参加。

8 月25日〜28日 第3回光州国際映画祭の「ジョン・フォード」特集に招待される。26日は、「ジョン・フォード・シネフォーラム」にて「フォードと「投げること」」を発表。

9 月 6日 〈蓮實映画史VOL.5 蓮實重彦とことん日本映画を語る〉(内容は「フォードと「投げること」」に変更)を行う。

10月12日 ニューヨークのリンカーン・センターとコロンビア大学の共催による「Yasujiro Ozu:International Perspectives」の2日目のセッション「小津とモダニティ」にパネリストとしてダッドリー・アンドリュー(モデレーター)、シャルル・テッソン、ロビン・ウッド、吉田喜重とともに出席、「小津の憤る女性たち」を発表する。会場はコロンビア大学イタリアン・アカデミー講堂。(「世界」(第722号)の前田晃一の「いま、小津安二郎を「発見」する ニューヨーク映画祭での取材から」に「現在刊行中の『監督 小津安二郎』の増補版に新たに収められた議論を、実際にビデオでシーンごとに「憤る女性たち」の物を投げる仕種を取り上げ、後でそれを一挙に繋いで見せると、会場はいままで小津の映画でそんな場面は見たことがなかったかのように半ば呆気にとられてしまう。そして、この女性たちの憤りが決まって家族に反抗する際に物を投げるという仕種とともに起きており、それがついに物も投げず家族でもない父親ほどの年齢の男性たちを論破する『秋日和』の岡田茉莉子に至り、小津における新たな女性像の誕生を示すと、小津の映画といえば笠智衆を典型として娘を悲哀とともに送り出す父親を描いたものであるとされるイメージは一気に画面の上で起こっていることとともに覆され、場内には全く新しい小津を発見したような興奮が漂い始めたのである。」とある。)

10月18日 〈蓮實映画史VOL.6 蓮實重彦とことん小津安二郎を語る〉を行う。

11月 7日 ジュンク堂書店池袋本店にてトークセッション「「監督 小津安二郎」を語る」を行う。

11月13日〜15日 東京大学・ジュネーヴ大学・パリ第8大学を結ぶ国際シンポジウム「作品のはらむ他者」に参加。2日目のセッションで「同一性と差異:映画における“リメイク”」を発表する。於東大本郷キャンパス山上会館。

11月18日 阿部和重と対談(「文學界」誌のため)。於文藝春秋本社。

11月23日 せんだいメディアテークで「世界の中の日本映画 特別編」として吉田喜重、岡田茉莉子と座談会を行う。

11月29日 東大美術博物館で行われた「色の音楽・手の幸福―ロラン・バルトのデッサン展―」(11月27日〜12月25日。蓮實所有のバルト来日時の資料も展示)の関連企画として開催された東大大学院総合文化研究科超域文化科学専攻とUTCP(21世紀COE「共生のための国際哲学交流センター」)主催による国際シンポジウム「バルト・共感覚の地平」の2日目に基調講演「バルトと虚構性」を行い、第2セッション「バルトと光の部屋」の司会を務める。於東大駒場キャンパス学際交流ホール。

12月11日〜12日 小津安二郎の生誕百年を記念し、吉田喜重、山根貞男と企画した「小津安二郎生誕百年記念国際シンポジウム OZU 2003」が開催され、2日間にわたり世界の映画人が小津を語る。会場は有楽町朝日ホール。他の参加者は、監督のアッバス・キアロスタミ(歯痛を理由にすぐに退席)、ペドロ・コスタ、マノエル・デ・オリヴェイラ、ホウ・シャオシェン、澤井信一郎、崔洋一、是枝裕和、黒沢清、青山真治、評論家のノエル・シムソロ、クリス・フジワラ、シャルル・テッソン、イム・ジェチョル、ジャン=ミシェル・フロドン、女優の岡田茉莉子、井上雪子、淡島千景、香川京子。(「朝日新聞」(平成16年4月7日)の古賀太の「蓮實氏からの電話」に「「今から赤坂に来てくれませんか」。蓮實重彦氏からの電話は突然だった。駆けつけると、吉田喜重監督と山根貞男氏もいた。「小津安二郎監督の生誕100年シンポジウムをやりたいので協力してほしい」と切り出す蓮實氏。「98年の溝口健二生誕100年では海外でイベントがたくさんあったのに、日本にはなく恥ずかしい思いをした」。3人の有無を言わせない雰囲気に圧倒された。02年の夏のことだ。準備が始まってからの動きも早かった。海外からの監督らに直接、メールやファクスで参加を促す蓮實氏は監修者の域を完全に超えていた。こちらは応諾した映画人と条件を詰めるだけでよかった。【中略】03年末。2日間で13時間に及んだ小津シンポは国内外の監督10人、往年の女優4人が集う一大イベントとなった。」とある。)

12月13日 オリヴェイラ、山根貞男らと鎌倉にある円覚寺の小津の墓所を参拝。

12月14日 せんだいメディアテークでの第5回。「世界の中の日本映画:実践編」としてノエル・シムソロ、ペドロ・コスタと討議を行う。仙台に向かう新幹線の車中でノエル・シムソロからインタビューを受ける(溝口健二の仏版DVDの特典映像のため。撮影はペドロ・コスタ)。

 

2004年(平成16年)

68歳

1 月 平成15年度(第54回)芸術選奨文部科学大臣賞・芸術選奨文部科学大臣新人賞の映画部門及び評論等部門の選考審査員を務める。映画部門は8日と29日、評論等部門は30日に審査会が行われる。

1 月19日 鈴木一誌からインタビューを受ける(「ユリイカ」誌のため)。於北沢・現代HEIGHTS。

1 月31日 〈蓮實映画史 蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.7〉を行う。テーマは「日本映画における視線の交錯、そしてその回避」。

2 月14日 せんだいメディアテークでの第6回。「世界の中の日本映画:総括編」として黒沢清と対談を行う。

2 月28日 アテネ・フランセ文化センターにてnobody主催の上映イヴェントで中原昌也とトークショーを行う。当日の上映作品は『サイコ』。

3 月14日 青山ブックセンター本店内カルチャーサロンで『ヴァンダの部屋』公開にあわせて来日したペドロ・コスタとトークショー「『ヴァンダの部屋』をめぐって」を行う。

4 月 5日 平成16年度東大大学院入学式の第一部で来賓挨拶。於東大安田講堂。

4 月 9日 青山真治と対談(「インターコミュニケーション」誌のため)。

4 月23日 三省堂書店自遊時間店にて渡部直己と『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』刊行記念のトークセッションを行う。

4 月30日 〈蓮實映画史 蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.8〉を行う。テーマは「考古学的考察:「動くキャメラ」と「動く被写体」―日本映画の場合―」。

6 月26日 渋谷シネ・アミューズ EASTでの〈オタール・イオセリアーニ映画祭 イオセリアーニに乾杯!〉にてトークショーを行う。上映作品は『四月』。

7 月 3日 新文芸坐での特集上映〈遊撃の美学 映画監督・中島貞夫〉にて中島貞夫とトークショーを行う。

7 月30日 「コミュニティシネマセンター大阪」事業として開催された「映画連続講座 vol.2 〜日本映画を関西から〜」で講師を務める。テーマは「映画と『動くこと』―その考古学的考察」(内容は4月30日の蓮實映画史と同じ)。会場は大阪都市協会・会議室。

7 月31日 大阪・西九条のシネ・ヌーヴォでの小津安二郎生誕100年記念の特集上映〈小津安二郎の藝術〉にてトークショーを行う。上映作品は『晩春』。

8 月 3日 吉田喜重と対談(「吉田喜重 変貌の倫理」プログラムのため)。

8 月21日 We Love Dance Festival 2004の〈ダンス in シネマ〉の『アデュー・フィリピーヌ』上映前に講演を行う。会場はオリベホール。

9 月11日 ポレポレ東中野での特集上映〈吉田喜重 変貌の倫理〉にてトークショーを行う。上映作品は『ろくでなし』。

10月 1日 〈吉田喜重 変貌の倫理〉にて吉田喜重、岡田茉莉子とトークショーを行う。

10月13日 〈蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.9〉を行う。テーマは「『切ること』―時代劇における対決の構図」。

11月21日 第46回京都大学11月祭にて中原昌也と〈映画談義〉を行う。

12月 7日 「カイエ・デュ・シネマ」誌600号記念別冊のため北野武にインタビュー。於オフィス北野。

12月18日 〈蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.10〉を行う。テーマは「日本映画「崩壊」と「変化」―1960年代を中心に―」。

 

2005年(平成17年)

69歳

1 月16日 第10回カイエ・デュ・シネマ週間で『Notre Musique(原題)』の上映があり、ジャン=ミシェル・フロドンと対談を行う。会場の東京日仏学院エスパス・イマージュには阿部和重、中原昌也、クレール・ドゥニ、黒沢清、青山真治、浅田彰も姿を見せる。

1 月17日 阿部和重(13日に第132回芥川賞の受賞が決まった)と対談(「文學界」誌のため)。於文藝春秋本社。

1 月22日 アテネ・フランセ文化センターにて〈蓮實重「映画表現論-21世紀version-」『ジョン・フォード「投げること」完結編』〉を行う。

2 月 7日 アサヒ・コムのインタビューを受ける。

3 月 1日 浅田彰と対談(「新潮」誌のため)。

3 月 9日 第92回フォーラム「地球学の世紀」にて発表。

3 月27日 せんだいメディアテークで行われた特集企画〈ペドロ・コスタ 世界へのまなざし〉でペドロ・コスタと対談。

4 月16日 〈蓮實重彦とことん日本映画を語る〉の第11回「成瀬巳喜男は世界一だ」を行う。

5 月24日 ソウルで韓国文化芸術振興院、大山財団共催の第2回国際文学フォーラムが開催され、初日の第4セッション「世界秩序をめぐる東アジア的な思考」で「「赤」の誘惑」を発表。会場は世宗文化会館。夜にはロッテホテルにてル・クレジオ、マーガレット・ドラブルの朗読を聴く。

  25日 西江大學校映像大學院映像メディア學科で講演「寡黙なる雄弁―ホウ・シャオシェン論」を行う。終了後、フィルムフォーラムのシネクラブ第2回上映会〈ハスミシゲヒコとともに見る『幌馬車』〉で講演。

  26日 高麗大學校文科大學で講演「喜歌劇とクーデター」を行う。

6 月25日 金沢コミュニティシネマ上映会「映画の極意vol.3 フレデリック・ワイズマン/人間観察の極意」にて講演。会場は金沢21世紀美術館シアター21。

7 月 2日 〈蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.12 特別編 「成瀬巳喜男から侯孝賢へ」〉を行う。

7 月10日 新文芸坐での特集上映〈生誕100年 名匠・成瀬巳喜男の世界〉にて山根貞男とトークショーを行う。

8 月27日 前年に引き続き「映画連続講座 vol.3 〜日本映画を関西から〜」で講師を務める。テーマは「『女たちの葛藤』―成瀬巳喜男を中心に―」。会場は大阪都市協会・会議室。

8 月28日 シネ・ヌーヴォでの成瀬巳喜男監督生誕100年記念の特集上映〈成瀬巳喜男の藝術〉にてトークショーを行う。

9 月24日 青山ブックセンターにて〈『ゴダール革命』(著: 蓮實重彦 筑摩書房刊)刊行記念 蓮實重彦とことん語るシリーズ番外編 「白壁のゴダール」から「ランプシェードのゴダール」へ〉を行う。

10月 9日 せんだいメディアテークでの〈生誕100年記念 成瀬 巳喜男 監督特集〉にて山根貞男と対談を行う。

10月21日 短期交換留学推進制度(AIKOM)プログラム創設10周年記念講演会「国際会議の余白に」を行う。於東大駒場キャンパス総合研究棟18号館ホール。

11月19日 第4回東京大学ホームカミングデイにて吉田喜重、岡田茉莉子と〈特別鼎談 日本映画の「現在・過去・未来」 〜国際的な観点から〜〉を行う。於東大安田講堂。

12月 2日 名古屋シネマテークでの『アワーミュージック』公開に際し「ゴダール革命」出版記念特別講演を行う。

12月 3日 〈第10回アートフィルム・フェスティバル《第一期》 吉田喜重のドキュメンタリー あるいはイメージの奇跡〉にて『知の解放 知の冒険 知の祝祭 東京大学 学問の過去・現在・未来』の上映後に講演。会場は愛知芸術文化センター アートスペースA。

12月17日 〈蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.13 『祝祭のあとさき』―60年代から70年代への視覚〉を行う。

 

2006年(平成18年)

70歳

1 月 6日 古井由吉と初めての対談(「新潮」誌のため)。

1 月16日 阿部和重と中原昌也の「文學界」誌の連載対談に青山真治と共にゲスト参加。

1 月28日 ポレポレ東中野での特集上映〈吉田喜重 変貌の倫理 2006〉にてトークショーを行う。上映作品は『嵐を呼ぶ十八人』。

2 月14日 1月に開館したシネマヴェーラ渋谷(館主・内藤篤)のオープニング第2弾〈勢揃い『次郎長三国志』全13部作参上!〉の不入りに、「『次郎長三国志』の入りがあまりかんばしくないので、勝手に緊急アッピールを書いて、添付します。しかるべく、転送、ご宣伝下さい」と若い映画研究者にメールを送る。

3 月12日 スペース&カフェ・ポレポレ坐で開催された吉田喜重「美の美」の定期上映会にてゲストとしてトークを行う。上映作品は『聖なるスキャンダル画家 マネT オランピアの露出感について』『聖なるスキャンダル画家 マネU 一個の落日、ダンディズム』。

3 月18日 JADE2006の〈ダンス・イン・シネマ〉の『言葉とユートピア』上映前に講演を行う。会場はオリベホール。

3 月19日 シアター・イメージフォーラムでの『愛の世紀』『アワーミュージック』のアンコール上映に際し青山真治と対談を行う。

4 月15日 〈蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.14 映画において、男女はいかにして横たわるか ―「やくざ映画」から「にっかつロマンポルノ」へ―〉を行う。

4 月22日 シネマヴェーラ渋谷の〈激情とロマン 加藤泰 映画華〉にて倍賞美津子、山根貞男とトークショーを行う。

4 月24日 黒沢清とリチャード・フライシャー(3月25日、カリフォルニア州南部の病院で老衰のため死去。享年89歳)追悼の対談(「nobody」誌のため)。

4 月29日 シネマヴェーラ渋谷の〈激情とロマン 加藤泰 映画華〉にて鈴木則文、山根貞男とトークショーを行う。

5 月17日 読売新聞社にて中原昌也と対談。

6 月12日 黒沢清と対談(「BOW30映画祭」特別プログラムのため)。於東宝本社。

6 月23日〜30日 スリジー・ラ・サルでの『ボヴァリー夫人』刊行150周年記念のシンポジウム「作家、フローベール」に参加し、30日には、「『ボヴァリー夫人』とフィクション」を発表。

7 月 2日 ポンピドゥー・センターでの〈“ユートピアへの旅,JLG,1946-2006” 失われた定理を求めて〉展を鑑賞後、帰途に着く。

7 月16日 スペース&カフェ・ポレポレ坐で開催された吉田喜重「美の美」の定期上映会にてゲストとしてトークを行う。上映作品は『セザンヌ その孤独なまなざしT 青春よりはるか遠くにありて』『セザンヌ その孤独なまなざしU 南仏に一刻の夕立が』。

7 月22日 〈蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.15 溝口健二を/と愛すること〉を行う。

8 月 5日 シャンテ シネ1での〈BOW30映画祭〉の『映画史特別編 選ばれた瞬間』上映前にトークイベントを行う。その後、アテネ・フランセ文化センターにて〈「黒沢清の映画術」(新潮社)発刊記念 KIYOSHI KUROSAWA EARLY DAYS〉のトークプログラムに青山真治、黒沢清と出席。

8 月15日 黒沢清と対談(「文學界」誌のため)。

8 月24日 山根貞男と司会・監修した「没後50年 溝口健二 国際シンポジウム MIZOGUCHI 2006」が開催される。会場は有楽町朝日ホール。日本から阿部和重、井口奈己、柳町光男、山崎貴、香川京子、若尾文子、田中徳三、海外からヴィクトル・エリセ、ジャ・ジャンクー、ジャン・ドゥーシェが参加。

9 月14日 映画批評サイト「FLOWER WILD」のため三浦哲哉からインタビューを受ける。

9 月30日 新文芸坐で行われた〈『映画の呼吸 澤井信一郎の映画作法』出版記念 映画作法――澤井信一郎の世界〉にて澤井信一郎とトークショー。その後、シネマヴェーラ渋谷の〈ホウ・シャオシェン映画祭 - 百年の恋歌〉にてトークショーを行う。

10月 7日 〈蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.16 女性と金銭―溝口健二の系譜をたどる〉を行う。

10月21日 アテネ・フランセ文化センターの〈ダニエル・シュミット監督追悼の夕べ En mémoire de Daniel Schmid,cinéaste(1941-2006)〉にて追悼講演「ダニエル・シュミットは死なない―追悼を超えて」を行う。(ダニエル・シュミットは、8月6日、スイス東部で癌のため死去。享年64歳。)

11月13日 中原昌也と対談(「文學界」誌のため)。

12月14日 山根貞男と対談(「朝日選書」のため)。

12月22日 アテネ・フランセ文化センターにて「ジャック・ベッケル生誕百年記念国際シンポジウム」が開催され、基調講演と青山真治、クリス・フジワラ、ジャン=ピエール・リモザンが参加したシンポジウムの司会を行う。

 

2007年(平成19年)

71歳

1 月20日 『吉田喜重 変貌の倫理』『表象の奈落』(青土社)刊行記念の吉田喜重とのトークショー「映画とフィクションの新たな地平をめぐって」を行う。会場は青山ブックセンター本店内カルチャーサロン。

1 月25日 阿部良雄(17日、急性心筋梗塞のため世田谷区の自宅で死去。享年74歳)の告別式に参列。於渋谷区代々幡斎場。

1 月27日 シネマヴェーラ渋谷の〈帰ってきた「次郎長三国志」とマキノ時代劇大行進!〉にて山根貞男とトークショー「マキノ生誕100年に向けて」を行う。岡田茉莉子が飛び入り参加。

2 月 3日 アメリカのケーブルテレビのドキュメンタリー『ヴァル・リュートン/影の中の男』のために黒沢清にインタビューを行う。於映画美学校 第2試写室。

3 月31日 〈蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.17 日本の幽霊〉を行う。

5 月27日 『国際シンポジウム 溝口健二』『エンターテインメント!』(朝日新聞社)刊行記念の山根貞男と青山真治とのトークショー「21世紀の溝口健二」を行う。会場は青山ブックセンター本店内カルチャーサロン。

6 月30日 池袋シネマ・ロサでの『AA|音楽批評家:間章』再上映に際し青山真治とトークショー「AAとドキュメンタリーを巡って」を行う。

7 月 9日 第25回(2007年度)川喜多賞(選考委員は、荒木啓子、河原畑寧、崔洋一、関口裕子、田中千世子、西村隆、岡田正代)に決定する。

7 月13日 東大大学院情報学環、東大大学院総合文化研究科、ノッティンガム=トレント大学セオリー・カルチャー&ソサエティセンター主催による堀場国際会議「ユビキタス・メディア:アジアからのパラダイム創成」の初日に基調講演「「表象不可能性」とフィクション」を行う。於東大安田講堂。

7 月27日 第25回(2007年度)川喜多賞の贈賞式に出席。於川喜多メモリアルビル2階サロン。

8 月18日 東京ウイメンズプラザホールにて〈蓮實重彦とことん日本映画を語るスペシャル Vol.18 日本の幽霊Part.2〉を行う。

8 月31日 全国コミュニティシネマ会議2007で基調講演「『モンゴメリー・クリフ(ト) 問題』について―映画史のカノン化は可能か?」を行う。会場はフィルムセンター大ホール。

9 月 8日 青山ブックセンター リオープン3周年記念 連続講演会にゲストとして出席。ナビゲーターは永江朗。

10月 4日〜11日 山形国際ドキュメンタリー映画祭2007のインターナショナル・コンペティション部門審査委員長として参加。他の審査委員はペドロ・コスタ、アラニス・オボンサウィン、キドラット・タヒミック、アピチャッポン・ウィーラセタクン。

10月21日 第20回東京国際映画祭のエドワード・ヤン(楊徳昌)監督追悼特集の『タイペイ・ストーリー』上映前にトークショーを行う。会場はTOHOシネマズ 六本木ヒルズ Screen2。(エドワード・ヤンは、6月29日、カリフォルニア州ビバーリーヒルズの自宅で結腸癌による合併症のため死去。享年59歳。7年間、癌との闘病生活を送っていた。)

11月16日 菊池成孔と対談(「エスクァイア日本版」誌のため)。

11月22日 第8回東京フィルメックスにて万田邦敏とトークイベント「究極の恋愛映画」を行う。会場は有楽町朝日ホール・スクエア。

12月 1日 第7回東海大学湘南フィルムフェスティバルにて鈴木清順、山根貞男と座談会を行う。会場は東海大学湘南校舎松前記念館 地下講堂。

12月15日 アテネ・フランセ文化センターの〈王兵(ワン・ビン)監督『鉄西区』特別上映会〉での講演の開始時間を間違え、1時間の予定を10分足らずで終える。

 

2008年(平成20年)

72歳

2 月 2日 東京日仏学院エスパス・イマージュで行われた上映会〈ジャン・ルノワール、我らの親父〉のシンポジウムにセルジュ・トゥビアナ(シネマテーク・フランセーズ館長)、黒沢清と参加。

5 月24日 シアター・イメージフォーラムでの『コロッサル・ユース』の公開初日にトークショーを行う。

4 月21日 黒沢清、青山真治と鼎談(「真夜中」誌の連載〈映画長話〉のため)。於青山スパイラル ラウンジ アンクルハット。

6 月 2日 黒沢清と対談(「ユリイカ」誌のため)。於渋谷カフェ ドゥ マゴ。

6 月21日 シネマヴェーラ渋谷の〈吉田喜重レトロスペクティブ -熱狂ポンピドゥセンターよりの帰還-〉にて久保田智子(TBSアナウンサー)とトークショーを行う。

7 月23日 フランシス・F・コッポラに電話インタビューを行う。

8 月 5日 黒沢清、青山真治と鼎談(「真夜中」誌の連載〈映画長話〉のため)。於京橋千疋屋原宿店。

8 月12日 伊藤洋司からインタビューを受ける(「週刊読書人」紙のため)。

8 月13日 久保田智子と対談(「UP」誌のため)。

8 月16日 アテネ・フランセ文化センターで行われた〈鈴木英夫映画祭 2008〉のシンポジウムに岸野雄一(司会)、黒沢清、篠崎誠、クリス・フジワラと参加。

9 月 5日 セルジュ・トゥビアナと二人で上映作品の選定を行った〈日仏交流150周年記念 フランス映画の秘宝 《シネマテーク・フランセーズのコレクションを中心に》〉の開会式で挨拶。また、芸術文化勲章シュヴァリエを授与された堀越謙三と松本正道の叙勲式に出席。

9 月 7日 〈日仏交流150周年記念 フランス映画の秘宝 《シネマテーク・フランセーズのコレクションを中心に》〉の座談会にセルジュ・トゥビアナ、ジャック・ドワイヨン、青山真治と参加し、司会を務める。

9 月20日 仙台での〈日仏交流150周年記念 フランス映画の秘宝〉にて講演を行う。

10月 1日 平成20(2008)年度国際交流基金賞(文化芸術交流部門)を受賞したマルコ・ミュレールの授賞式に出席。於ホテルオークラ東京。

10月11日 第6回京都映画祭の協賛企画「京都・映画100年宣言」特別記念シンポジウムに参加。会場は京都造形芸術大学 人間館。

10月25日 第21回東京国際映画祭の『世界の現状』上映後にトークショーを行う。会場はTOHOシネマズ 六本木ヒルズ。

10月26日 新文芸坐の〈検証・日本映画(3) 鬼才・加藤泰 情念の鮮烈と奔流〉にて山根貞男とトークショーを行う。

10月27日 黒沢清、青山真治と鼎談(「真夜中」誌の連載〈映画長話〉のため)。於COLOR代官山。

11月23日 第59回駒場祭の連続講演会「リベラル・アーツの可能性」で「可能性とは何か」をテーマに講演を行う。会場は数理科学研究棟大講義室。

11月27日 第48回紀伊國屋サザンセミナー『映画論講義』刊行記念〈蓮實重彦の映画論講義 特別編〉にて講演を行う。

 

2009年(平成21年)

73歳

3 月 2日 黒沢清、青山真治と鼎談(「真夜中」誌の連載〈映画長話〉のため)。

3 月 9日 青山真治、阿部和重と鼎談(「文學界」誌のため)。

5 月27日 黒沢清、青山真治と鼎談(「真夜中」誌の連載〈映画長話〉のため)。

 

 

 

蓮實重彦氏の日々の行動を再現したいという些か偏執狂的な野心からはじめた年譜づくりですが、まだまだ途中段階であるにもかかわらず、情報収集を兼ねて公開に踏み切りました。
また、調査するうちに活字化されていない講演の多さに改めて驚くとともにそれらを聴きたいという想いも募るばかりで、録音テープ(ディスク)を秘匿されている方からのご一報も密かに期待する次第です。

 

 

 

 

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最終更新 2009.10.28.