[付録],,, 最近の岡山県関係論文目録・抄(近世の部),,, 1. この論文目録は『岡山県地方史研究入門』(岡山県地方史研究連絡協議会報別冊1963年)および「岡山県」『日本歴史』210号(1965年)で整理された成果を引き継ぐ意味で、1966 年(昭和41)以降に発表されたものを掲載する。,,, 2. 収録論文は、編者の目についたものであり、後に著作集などに収録している場合などの配慮は十分でない。 発表年など未調査のまま掲載しているものもある。 ,,, 3. 執筆者ごと(原則として五十音順)に列挙した。,,, 4. 僅かな期間で編集したものであり、記録間違いや遺漏の多い未完成であること、お断りします。(定兼),,, 執筆者,論文標題,発表雑誌・文献(出版社)号数,発表年 治郎丸 憲三,「菊池正因伝」,『倉子城』8号,1971年 治郎丸 憲三,「作州の元禄一揆」,『倉子城』9号,1972年 治郎丸 憲三,「菊池正因伝補遺」,『倉子城』10号,1972年 治郎丸 憲三,「遊屋八幡宮の神体紛争」,『倉子城』15号,1989年 治郎丸 憲三,「都講菊池正因 −その前半生と資料−」,『倉子城』16号,1992年 塩津 玉堂,「浅尾藩とその事跡」,『高梁川』36号,1979年 柴田 一,『近世豪農の学問と思想』(新生社)のち大空社から再版(1994年),,1966年 柴田 一,「渋染一揆の研究(一)その政治的歴史的背景について」,『岡山史学』20号,1967年 柴田 一,「 〃 (二)一揆の展開とその歴史的意義」,『岡山史学』21号,1968年 柴田 一,『渋染一揆論』(八木書店) のち明石書店から復刻(1995年),,1971年 柴田 一,「農民意識と農村文化の伝統」,『地方文化の伝統と創造』(雄山閣),1976年 柴田 一,「閑谷学校-藩の庶民教育−」, 『地方文化の日本史』6巻(文一総合出版),1977年 柴田 一,「備作地方の被差別部落の展開」,『近世部落の史的展開 下巻』(解放出版社),1979年 柴田 一,「近世初期における村落小領主層の存在形態」,『兵庫教育大学研究紀要』4巻-2号,1983年 柴田 一,「『花畠教場』と熊沢蕃山」,『歴史と風土』(福武書店),1983年 柴田 一,「藩営の潅漑施設・田原井堰の研究−封建官僚・石工集団・社倉米−」,『実学史研究*』(思文閣),1984年 柴田 一,「近世初期の藩主権力の構造−門閥家老と近習出頭人−」,『兵庫教育大学研究紀要』6巻-2号,1986年 柴田 一,「岡山藩の寛政改革−湯浅新兵衛の建白書を中心に−」,『瀬戸内海地域史研究』2輯,1989年 柴田 一,『岡山藩郡代 津田永忠』(上・下)(山陽新聞社),,1990年 柴田 守,大阪城巨石の『ふるさと』前島残石群,『牛窓春秋』37号,1987年 島津 青沙,「岡山の俳人系譜」,『高梁川』49号,1991年 志水 主計,「関藤藤陰伝」,『笠岡史談』6号,1970年 志水 主計,「関鳧翁の『笠岡略考』」,『笠岡史談』11号,1973年 志水 主計,「小寺清先の人間関係」,『高梁川』34号,1977年 志水 主計,「笠岡地方の地震について」,『笠岡史談』20号,1981年 清水 慶一,「福田古新田と石原家」,『福田史談会会報』 120号,1990年 清水 友美,「久兵衛と儀兵衛」,『笠岡史談』18号,1979年 清水 友美,「天明六年百姓一揆の研究」,『笠岡史談』19号,1980年 清水 友美,「陣屋稲荷について」,『高梁川』48号,1990年 清水 友美,「保五郎相果候一件」,『高梁川』49号,1991年 釈子哲定,「寂厳和上 −略伝・落款・印文解説」,『高梁川』48号,1990年 しらが 康義,「岡山藩の『石高』について−幕藩権力構造分'析の視点から−」,『近世の支配体制と社会構造』(吉川弘文館),1983年 しらが 康義,「不受不施派農民と池田光政」,『民衆史研究』19号, しらが 康義,「戦国豊臣期大名宇喜多氏の成立と展開』,『岡山地方史研究会会報』36号,1983年 しらが 康義,「戦国豊臣期大名宇喜多氏の成立と崩壊』,『岡山県史研究』6号,1984年 しらが 康義,「不受不施派農民の生活と信仰」,『民衆生活と信仰・思想』(雄山閣),1985年 しらが 康義,「奈倉哲三氏の『17世紀中葉の宗教情勢-光政期岡山藩の信仰動向と幕府の対応-素描1』(『岡山藩研究』第9号所収)に対するいくつ'かの疑問」,『岡山藩研究』12号,1994年 しらが 康義,「宇喜多氏関係史料目録」,『岡山藩の支配方法と社会構造』(1994/1995年'科研報告) ,1996年 下山 純正,「美作在村蘭学概論」,『在村蘭学の展開』(思文閣),1992年 辛 基秀,「江戸時代の朝鮮通信使」,『高梁川』36号,1978年 杉本 史子,「文化期児島湾争論とその背景」,『岡山の歴史と文化』(福武書店),1983年 杉本 史子,「興除新田開発をめぐる幕藩関係」,『岡山地方史研究会会報』36号,1983年 杉本 史子,「大名仕置権の性格をめぐって」,『岡山地方史研究会会報』42号,1984年 杉本 史子,「近世中期における大名領知権の一側面 −山'野河海開発・領有をめぐって−」,『日本史研究』262号,1984年 須藤 喜六編,『浜田藩雑記』,,1980年 須山 功豊,「近世後期備中玉島湊における問屋仲間の動向」,『岡山地方史研究』61号,1989年 住吉 松涛,「柴木手習所の考証」,『笠岡史談』14号,1975年 住吉 巴,「平賀元義と笠岡地方における足跡」,『笠岡史談』4号,1969年 住吉 巴,「平賀元義と笠岡における足跡」,『笠岡史談』16号,1976年 関藤 不二男,「江戸時代吉浜村検地帳」,『笠岡史談』12号,1974年 関藤 不二男,「関藤藤陰傍系の子孫について」,『笠岡史談』18号,1979年 関藤 不二男,「定兼弥九郎」,『笠岡史談』18号,1979年 関藤 不二男,「釣頭制度」,『笠岡史談』20号,1980年 宗田 克巳,「千屋と太田辰五郎」,『高梁川』31号,1974年 惣路 照通,「芋代官太平記」,『高梁川』34号,1977年 高見 彰,「備中松山と河井継ぐ之助」,『高梁川』48号,1990年 高見 彰,「『玉島記聞』について」,『高梁川』52号,1994年 高見 彰,「備中松山藩『快風丸』」,『高梁川』53号,1995年 高見 賢二,「岡山の富くじ」,『高梁川』45号,1987年 高見 磋志磨,「倉敷と神伝流」,『倉敷春秋』2号,1971年 竹内 知恵,「津山藩家臣の家筋考」,『(津山)郷土館報』5号,1986年 竹下 喜久男,「近世後期津山とその周辺の他所芝居興行」,『鷹陵史学』10号,1985年 竹林 栄一,「古川古松軒史料−日記・雑記−」,『岡山県立博物館研究報告』1号,1978年 竹林 栄一,「古川古松軒史料−風俗下書・雑記−」,『岡山県立博物館研究報告』3号,1982年 竹林 栄一,「古川古松軒史料−紀行都の塵−」,『岡山県立博物館研究報告』5号,1984年 竹林 栄一,「古川古松軒史料−東行雑記−」,『岡山県立博物館研究報告』7号,1986年 竹林 栄一,「古川古松軒史料−帰郷しなの噺−」,『岡山県立博物館研究報告』8号,1987年 田中 等,「大江村年貢米上納始末記」,『史談いばら』13号,1984年 田中 等,「様俵のこと『廻米廻船文書考』に関して」,『史談いばら』14号,1985年 田中 等,「大江札場と庄屋三村家の考察』,『史談いばら』15号,1986年 田中 舜治,「笠岡歴代代官記」,『笠岡史談』4号,1969年 田中 舜治,「在田軒道貞について」,『笠岡史談』6号,1970年 田中 舜治,「備中国小田郡村高並戸数略」,『笠岡史談』11号,1972年 田中 舜治,「小寺清先先生出自について」,『笠岡史談』15号,1976年 田中 舜治,「小寺氏のことども」,『笠岡史談』19号,1980年 田中 誠二,「岡山藩徴租法の研究」,『史林』59-1号,1976年 田中 誠二,「寛文期の岡山藩政−池田光政の宗教政策と致仕の原因−」,『日本史研究』202号    ,1979年 田中 誠二,「岡山城下町の地子と町役」,『山口大学文学会誌』30巻,1979年 田中 誠二,「寛永期の岡山藩政」,『政治経済の史的研究』(巖南堂書店),1983年 田中 誠二,「岡山城下町の支配構造(上)(下)」,『西南地域史研究』4輯、5輯,1982年、1983年 田中 誠二,「藩制機構と家臣団」,『日本の近世3』(中央公論社),1991年 田中 誠二,「藩から見た近世初期の幕藩関係」,『日本史研究』356号,1992年 谷口 智子,「備前児島郡東野崎塩田における労働者の存在形態に関する一考察 −天保〜文久年間を中心に」,『岡山地方史研究』72号,1993年 谷口 智子,「備前児島郡東野崎塩田における労働者の存在形態に関する一考察 −天保〜文久年間を中心に」,『日本塩業の研究』22集,1993年 谷口 澄夫,「備北の豪農平川家について」,『高梁川』18号,1965年 谷口 澄夫,「近世における備前南児島の商品生産と流通」,『内海産業と水運の史的研究』(吉川弘文館),1966年 谷口 澄夫,「藩学校の経営についての一考察 −岡山藩閑谷学校を中心として−」,『地方史研究』91号,1968年 谷口 澄夫,「岡山藩士の生活と思想」,『地方文化の日本史』7巻(文一総合出版) ,1977年 谷口 澄夫,「児島・野崎家の売用日記について」,『倉敷の歴史』3号,1993年 谷口 紀之,「近世における瀬戸内村落の発展−備前児島郡−」,『岡山地方史研究会会報』37号,1983年 谷山 正道,「享保改革末期の増徴政策と備中幕領農村」,『内海文化研究紀要』10号,1982年 谷山 正道,「近世前期真鍋島の村落構成と漁業」,『内海文化研究紀要』10号,1982年 谷山 正道,「美作における神尾春央の演説書」,『岡山県史研究』9号,1987年 谷山 正道,「延享元年勘定奉行神尾春央の西国幕領巡見をめぐって−年貢増徴をめぐる東と西−」,『内海文化研究紀要』18・19号,1989年 圭室 文雄,「岡山藩の寺院整理」 ,『日本宗教史論集下』(吉川弘文館),1976年 圭室 文雄,「備前国金山寺の上訴について」 ,『日本史における民衆と宗教』(山川出版),1976年 圭室 文雄,「岡山藩のキリシタン統制」 ,『日本宗教史論纂』,1976年 圭室 文雄,「遊行上人の廻国と岡山藩」,『歴史公論』4号,1976年 田村 啓介,「高瀬舟関係資料−新見藩船差役文書−」,『岡山県立博物館研究報告』6号 ,1985年 田村 啓介,「岡山県製鉄関係史料*−新見市千屋井原・安藤家文書」,『岡山県立博物館研究報告』8号 ,1987年 塚本 茂夫,「三谷川改修と大阪屋紀文」,『備北文学』37号 ,1993年 次田 元文,「岡山藩の留守居について」,『岡山地方史研究』64号,1990年 徳安 浩明,「吉井川上流域における鉄穴流しと濁水紛争」,『人文地理』46-6号,1994年 戸田 陽三,「岡山城下町の町役について」,『岡山地方史研究会会報』33号,1982年 豊島 修,「近世における美作地方の大峰山上講 −苫田郡阿波村の講資料による−」,『香川史学』5号,1976年 豊島 修,「美作地域の修験道とシャ−マニズム」,『熊野信仰と修験道』(名著出版),1990年 内藤 二郎,『本百姓体制の研究』(御茶の水書房),,1968年 内藤 二郎,『近世日本経済史論』(八千代出版),,1972年 内藤 二郎,『本百姓体制の諸問題』(八千代出版),,1982年 内藤 二郎,『交通史を主とした論集』(文献出版),,1991年 成田 潔英,「備中檀紙について」,『高梁川』21号,1971年 中桐 一雄,「古文書による倉敷市と船穂」,『倉子城』4号,1970年 中島 嘉寿美,「西大寺縁起絵巻の解説と翻刻 −備前国西大寺縁起−」,『西大寺』10号 ,1985年 中務 克巳,「白川門流日題派の調査 −幻の信徒を訪ねて−」,『岡山県史研究』12号,1990年 中野 美智子・藤沢 晋,「近世後期農民住宅の階層構造 −備中国後月郡簗瀬村を中心として」,『岡山大学教育学部研究収録』31号,1971年 中野 美智子・藤沢 晋,「近世封建交通の展開構造について(その一) −朱印人馬無賃通行類型を中心として」,『岡山大学教育学部研究収録』31号,1971年 中野 美智子・藤沢 晋,「近世封建交通の展開構造について(その二) −証文人馬無賃通行類型」,『岡山大学教育学部研究収録』32号,1971年 中野 美智子・藤沢 晋,「近世封建交通の展開構造について(その三) −御用人馬御定賃銭通行類型」,『岡山大学教育学部研究収録』32号,1971年 中野 美智子・藤沢 晋,「近世封建交通の展開構造について(その三)続 」,『岡山大学教育学部研究収録』33号,1972年 中野 美智子,「岡山藩政史料の存在形態と文書管理」,『吉備地方文化研究』5号,1993年 中野 美智子,「宝永8年の生坂支藩分知計画について −池田家文庫藩政史料の原秩序復元の一事例−」,『倉敷の歴史』5号,1995年 中原 衞,「近世における村境界争論について」,『岡山地方史研究』54号,1987年 永嶺 信孝,「天保八年三月御用状飛脚使盗難事故一件」,『岡山藩研究』13号,1995年 中村 哲,「幕末倉敷の知識人たち」,『倉敷春秋』4号、5号,1972年 中村 哲,「倉敷騒動と在野の国学」,『倉敷春秋』4号,1972年 中山 和,「矢掛と大名行列」,『倉子城』13号,1978年 中山 沃,「備前藩蘭方医山川正朔のイギリス艦長との応接」,『洋学資料による日本文化史の研究』8号,1995年 中山 沃,「蘭学を学んだ岡山医師群像−海上随鴎の門人−」,『洋学資料による日本文化史の研究』2号,1989年 中山 正英,「天明飢饉福山一揆の笠岡地方への余波」,『笠岡史談』9号,1972年 中山 正英,「早川代官思徳碑碑陰文について」,『笠岡史談』15号,1976年 長光 徳和,「渋染一揆の歴史的意義の評価をめぐって」,『岡山の歴史地理教育』9号,1977年 長光 徳和・妻鹿淳子,『日蓮宗不受不施派読史年表』(開明書院),,1978年 奈倉 哲三,「17世紀中葉の宗教情勢−光政期岡山藩の信仰動向と幕府の対応−素描1」,『岡山藩政史研究』9号,1994年 成沢 栄寿,『部落』差別」『日本民衆の歴史 4』(三省堂),,1974年 西村 晃,「幕末岡山藩における国事周旋方針と藩論」,『史学研究』184号,1989年 西村 綏子,「江戸時代における衣服規制について −岡山藩の場合−」,『岡山大学教育学部研究収録』32号,1971年 野崎 新作,「高瀬舟による天領の年貢米輸送について」,『西大寺』18号,1993年 芳賀 修,「岡山県南域における『安政南海地震』の被害について 一八五四年十一月五日の地震」,『吉備地方文化研究』5号,1993年 畑本 フジ子,「藩政確立期の岡山藩政について」,『岡山県地方史研究』1号 ,1971年 八田 眞,「浦上玉堂に関する新出資料について」,『岡山県立博物館研究報告』15号,1994年 羽生 永明 ,『平賀元義』(山陽新聞社) ,,1986年 林  幹,「林抑斉覚え書」,『高梁川』49号,1991年 原 三正,『備前・岡山藩札小史』,,1966年 原 三正,「天領と代官」,『倉子城』3号,1969年 原 三正,「古川古松軒のことなど」,『倉敷春秋』3号,1972年 原 三正,「小早川秀秋」,『倉敷春秋』16号,1976年 原 三正,「池田光政の妻」,『高梁川』39号,1982年 原 三正,「岡山藩の藩札−図録と下津井札場等資料の紹介−」,『歴史と風土』(福武書店) ,1983年 原 三正,「倉敷義倉」,『高梁川』52号,1994年 原田 誠司,「近世前期の村落と役家 −備中浅口郡乙嶋村の事例−」,『近世瀬戸内農村の研究』(渓水社),1988年 原野 弥平,「宝光寺開基馬場氏関係古文書」,『牛窓春秋』15号,1984年 春木 尚美,「幕末期岡山藩の政治史的考察−神戸事件を中心として−」,『岡山県史研究』8号,1985年 日笠 俊男,「殿様と百姓 −元禄期の備前藩−」,『岡山の歴史地理教育』12号,1980年 人見 彰彦,「岡山における近世の『賤民』制の形成」,『地域の歴史を学ぶ教師用指導資料』(岡山県民主教育協議会),1981年 人見 彰彦,「北政所(高台院)と木下家の人−」,『ねねと木下家文書』(山陽新聞社),1982年 人見 彰彦・大森 久雄,「岡山」,『部落の歴史 西日本編』(部落問題研究所),1983年 人見 彰彦,『備中国奉行小堀遠州』(山陽新聞社),,1986年 人見 彰彦,「寛政改革と足守藩」,『岡山県史研究』12号,1990年 人見 彰彦,「備中国奉行と倉敷」,『倉敷の歴史』1号,1991年 人見 彰彦,「乃井野御預り所作州百姓騒動聞書」,『岡山地方史研究』75号,1994年 人見 彰彦,「備中国奉行の素描−小堀遠州の周辺−」 ,『岡山の歴史と文化』(福武書店),1983年 平松 春一,「庄の文化と三余塾」,『倉敷春秋』5号,1972年 ひろた まさき,「幕末維新期の黒住教の可能性−赤木忠春・本多応之助・竹本長十郎,同氏『文明開化と民衆意識』(青木書店),1980年 広常 人世,「熊沢蕃山の経典解釈」,『日本思想史』38号,1992年 広沢 澄郎,「江戸期の笠岡の俳句」,『笠岡史談』3号,1969年 広沢 澄郎,「芥川貞佐(上)(下),『笠岡史談』6、7号,1970年, 1971年 広沢 澄郎,「小松為仁」,『笠岡史談』9号,1972年 広沢 澄郎,「笠岡の書画会」,『笠岡史談』13号,1974年 広沢 澄郎,「笠岡地方の絵画」,『笠岡史談』14号,1975年 広沢 澄郎,「高橋残夢」,『笠岡史談』16号,1977年 広沢 澄郎,「笠岡の俳句」,『笠岡史談』18号,1979年 広沢 澄郎,「井笠地方の蘭方医」,『高梁川』43号,1985年 広沢 澄郎,「近世後期笠岡の歌人」,『高梁川』50号,1992年 広沢 澄郎,「関鳧翁の研究」,『高梁川』52号,1994年 深谷 克巳,「幕末維新期における村落と騒動」,同氏『百姓一揆の歴史的構造』(校倉書房),1979年 深谷 克巳,「明君創造と藩屏国家(1)」,『早稲田大学大学院文学研究科紀要』 40輯 ,1995年 深谷 克巳,「明君創造と藩屏国家(2)」, 『岡山藩の支配方法と社会構造』(1994・1995年科研報告) ,1996年 藤井 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