〜富士敬司郎の精神病体験記〜その3 |
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| 3.精神病の症状(その1)〜4.精神病の症状(その2) |
| 5.前兆(その1) |
| さて、そんな酷い状態になる前に気付かなかったのか、という人がいるかも知れません。もちろん、そうなる危険性は充分にありましたし、筆者自身も自覚はしておりました。しかし、××年間、これほどの重篤な症状にかかったことがなかったので、エアポケットにぼすん、と落ち込むまで、自分がどんな状態に陥っているか、分からなかったのです。 思えば、前兆らしきものは10年以上前に既に出ていました。 それまで持病らしい持病を持っていなかった支配人が、尾籠(びろう)な話で恐縮ですが、腸過敏(突発性の下痢)の症状を起こすようになったのです。ただ、それは学校や会社に行けば、すう、と治るものだったので、その時はまだレッドアラームに電源が入ったことを自覚していなかったのです。 それがひどい形で表れるようになったのは、2001年、つまりちょうど前の会社に配属された時でした。 その会社は、社名を言えば「ああ、あれか」と分かるような超巨大外資系銀行でした。そこに、私は派遣社員として配属されました。 そこで私を待っていたのは、いきなり前の会社をぶっちぎりで引き離すような仕事とプレッシャーの山でした。思えば、その時すぐに会社を辞めていれば、今のようにはならなかったのかも知れません。しかし、当時は就職氷河期であり、転職組に対して厳しい風が吹き荒れておりましたし、貯金も当年前半の大病(インフルエンザとウイルス性脊髄膜炎)で使い果たしていた状態だったので、そこに居続けるしかありませんでした。その時は、そう思っていたのです。 そのころからでした、やたら腸過敏の症状が出始めたのは……。 もちろん、私は異変を感じ取り、会社の帰り道にある病院に行きました。そこでの診断は「あまり良く分からないねえ、ま、薬を出しておきましょう」と抗精神病薬を出されたのみ。 家庭内の事情で申し訳ありませんが、その時ちょうど私個人の独立の時期を迎えておりまして、「独立」と言えば聞こえはいいけれど、実のところ、物理的・精神的プレッシャーに耐えきれなくなったので、今の家から逃げ出したのです。 ほとんど貯金も何もない状態で飛び出しましたので、ほぼすべてが手探りでカツカツな状態で、最初のころこそ良かったものの、やがて腸過敏症状が酷くなり、1年2カ月我慢したところで、会社から1時間20分ほどかかる場所から、電車徒歩含めて20分の距離へ引っ越したのです。それで、酷かった腸過敏の症状も一旦は治まりを見せました。そのように見えました。 |
| 6.前兆(その2) |
| 引越で一旦は病気(腸過敏)も治まったかのように見えた支配人ですが、やがてすぐに元へ戻ります。「痛勤」によるプレッシャーがなくなった分、そのエネルギーを仕事に向けるようになって、やがて腸過敏の症状が復活しました。 最初は「ただの自律神経失調症だ」と思って、病院へも行かず放っておいたのですが、やがて勤務も3年目を迎えた辺りに、「おかしいな?」と思われる症状が出始めます。胃がきりきり痛むようになって、昼飯の時ごとに吐くようになったのです。足もとも仕事が終わるころにはふわふわと綿を踏んでいるような状態が続き、まっすぐ歩けなくなる状態が続きました。 その時点で病院へ行っていれば……と今になって思いますが、当時の私に、そんな余裕はありませんでした。将来のことと仕事のことで頭がいっぱいで、己を振り返る余地がなくなっていたのです。 ちなみに、これはとある精神カウンセラーの受け売りですが、精神病の人にはある一定の傾向があって、それは「執着気質」、つまり何事もやり遂げねばならないと思い込んでいる人、というのがあるそうです。 私も、思えば典型的な執着気質でした。一介の派遣社員にもかかわらず、上司の仕事まで抱え込んで、しかも他部署の仕事や出張まで引き受けて、それが当然だと思い込んでいて……。まあ、下手に給料が高かったので、給与並みには働かなくちゃ、という思いこみがあったのでしょうね。 ちょうどそのころから、情緒不安定になって、残業できずに帰る日が頻発しました。ただ、私は専門用語で言うところのアホだったので、それが何を意味しているのかをよく分かっていなかったのです。 そして、4年目を迎えようかというところで、仕事の一大転機が訪れます。部署の次長格から、ある日呼び出され、こう言われたのです。 「派遣会社から銀行の方に移る気はないか?」 つまり、所属会社による引き抜きです。 パートタイマーへの転身であるとは言え、権限的・給料的に大幅なアップでありました。待遇的にも決して悪くはない話。 私は、それに「イエス」と答えました。答えてしまったのです。 |
7.前兆(その3)〜8.前兆(その4) |