シベリア抑留百万人、虐殺四十万人説の
驚きと通説との落差の衝撃

  遺骨収集二回目の参加がソ連共産党、はたまた現ロシア政府に対する更なる不審を抱かせる事になるとは。 そのきっかけは、「諸君」八月号に掲載された、「抑留百万人、虐殺四十万人」のレポートであった。 巷間で伝えられる私の知識は抑留六十万人、死亡者五万五千人であったが、あまりにかけ離れた数字にこれは一体どうなっている のかと大きな疑問であった。
  しかし私は直感的にこの数字が信憑性がありそうに思えたのである。   なぜなら今日までのロシア政府や旧ソ連政府の手口をみていると真実を明らかにすることは全てがマイナスに働く 思考しかないように見受けられるのは私一人ではないだろう。今回のイルクーツク州タイシェット市での遺骨収骨作業中、ソ連側の 資料とはかなり数字が違う遺骨収集場所があり、この論文の一部を裏付ける事実があった。
  また同行した抑留経験者の方の話によると、こんな少ない数ではなく、ここだけでも四百名位は死亡したと話され ており、実際に、その現場では、予定数よりあまりに多くのご遺骨があり、厚生省の係官が本省と連絡をとった結果、それ以上の 発掘作業は中止となり、来年以降に新たに収骨することになった。
  この現場ではソ連側の資料では七十八柱となっているが、収骨されたものだけでも九十九柱もあり、その信憑性が 疑われるのである。
  このシベリアの抑留は実に理不尽極まりない蛮行であって、戦闘中であればまだやむを得ないこともあったであろ うが、特筆されるべきは戦争終結後に強制連行が行われた点であり、その後、何年にもわたって、大量の日本人がシベリアに抑留さ れ、多数の人々が横死したことは二十世紀の歴史上、最も野蛮な行為であったというしかない。その上、シベリア抑留ほど、その 全体像がいまだに不明確にされているものはない。通説では六十万人が抑留され、六万人が死亡したことになっている。
  厚生省援護局の資料はソ連本土に抑留された者は約五十七万五千人、死亡と認められるもの約五万五千人とな っている。   だが、(財)全国強制抑留者協会の青木理事長は、一九九九年八月、モスクワにおけるシンポジウムで説明したよ うに、そもそも、一体何人がシベリアに抑留され、そのうち何人がなくなったか、今だに良く分からないのである。
  青木氏自身、抑留経験者であるが、「六十万人抑留されたというが、その実数は百万人かもしれないし、死んだ 人間とて、私の周りでは二人に一人は死んでいたから五〜六万というのも信じられない」と語り、「先の六十万人抑留、六万人死亡 したという通説が、どのようにして成立したのかドス黒い闇につつまれている。」「多くの著者が出典を明らかにしないまま、これ らの数字を既成事実や常識のように扱っている」と述べている。
  そして最近ロシヤからの画期的な新証言が表れてきた。
  「シベリアの原爆」(仮称)の著者ワレレチン・アーモビチ・マルハンゲリースキー氏の数々の証言をみると通説 がいかに胡散臭いものかよく分かる。氏はソ連時代ジャーナリストとして成功し、イズベスチャ紙の副編集長として活躍し、ソ連政 府や共産党の信頼も厚く、体制内で功なり名をとげた人物である。
  その彼の証言は年内発表予定の「シベリアの原爆」に譲ることにするが、いかにスターリン、ソ連共産党政府は自 国民を含め、暴虐の限りを尽くしたことか。一方では平和勢力を装いながら、現在に至るも。このシベリア抑留事件を棒大針小化し て、その事実を明らかにしない体質はしっかりとロシア政府に引き継がれていることを私たちは忘れてはならない。
  昨日、バレンツ海でロシア原潜の沈没事故にみられるように二転三転する情報操作と現実は、まさに前述した通り の事実を全世界に知らしめたのである。

ロシアでの戦後はまだ始まったばかり

  1,5mぐらいの深さに眠るご遺骨を発見。
  極寒の地で強制労働と飢えと病気のため、故国はるかなシベリアの大地に露と消えた多くの同胞たち
  どんな無念の思いで逝ったのであろう。
落涙とまらず。
  スターリンは日ソ中立条約を一方的に破棄し、敗色濃い日本に血に飢えた狼のごとく、突然参戦し、多くの日本人 が殺害され、ソ連兵から暴虐の限りをつくされた婦女子たち、そしてシベリアへ捕虜として連行され、強制労働に従事させられた60 万人もの方々。
  その結果、シベリアを中心に5万5千人にものぼる死者を出した共産主義独裁国家、ソ連邦のことは日本民族とし て、しっかり記憶しておくべきであろう。   戦後52年、すでに戦後は終わったとよく言われるが、本当に戦後は終わったのだろうか。
  今回遺骨収集に参加して、ことロシアに関する限り、逆に戦後はまだ始まったばかりとの感を一層強くした。
  私自身、戦争の経験はまったくないが書物や記録映像等によってその実態を知るのみであったが、同道した抑留経 験者の谷口さんから当時の状況を聞くことが出来、それは大きな驚きであった。
  極限におかれた人間は死というものにまったく無感動、明日は自分かという程度のことしか感じないという。
  日頃、死というものに大きな恐怖感を伴うものと思っていたが死生感の変わる想いであった。
  いずれにしろ戦争ほど、非情無残なものはなかろう。民族の繁栄と平和を願いながら、なお戦争を避け得ない人間 の悲しい性…。
  この矛盾は有史以来の未解決の、人類にとって大きな課題であろう。就づく地球上にある民族、宗教、文化、風土 がそれぞれ違うということは戦争や紛争は永遠に排除できないものなのか。
  戦争防止には政治経済はもとより外交防衛問題は国家の最重要課題であるが再び日本がかっての惨劇や悲しみを繰 り返さないためにも、世界の常識が日本の常識となることに脱皮しなければならないと思う。
  それにしてもソ連邦が解体して、その実態をシベリア滞在中、一部ではあったが垣間見ることが出来たことは大き な収穫であった。
  世界の超大国の一方の雄であったソ連の中央は民衆の生活を犠牲にした超軍事国家であった。特権階級以外の多く の国民は、今でもその余波を受け、苦しい生活を強いられている様であった。
  月給が日本円で1万5千円位、日本の40年〜50年位まえの暮らしぶりは懐かしさを覚え、思わずタイムスリッ プした事に戸惑いを感じたロシアでもあった。
  ところで国の実情はどうあれ、友情に国境はなかった。ロシア人は、まったく屈託のない明るい人達ばかりで、 収骨中にもお互いが理解しあう努力があり、言葉は分からないが肌で感じるものは多々あった。
  特に若い諸君はアンテナを高くして、情報収集や友情の輪を広げたが、明日の日本を背負う若者が、世界を歩き 見聞を広めることを今後も続けて欲しいものである。