青の通火
己の臆病さを恥じるな。
慎重さこそ汝の命を救うだろう。
村外れの森に、男と女がいた。
女は村の外を向いていた。
男は女の背中に向いていた。
二人の視線の先には、まだ昼間の熱が残る夜があった。
虫達の響き合う音は、夏を追い出す行進曲のようだった。
「こんな所に呼び出してごめんなさい。あなたには大事な話があるの」
女は男に背を向けたまま、うつむき加減で話を持ち出した。
男には、それが先日の誘いの答えであることが分かっていた。
「なんだい?こっち向いたら?」
男は距離を詰めず、優しく問うた。
「私、あなたのことをね、村でいろいろ教えてもらったり、面白い話とかしてくれたり、だから、尊敬しているし、好きよ」
「ありがとう」
「…でも、私はあなたの恋人にはなれない。だから、そういう付き合いはできないわ」
「僕のことが好きなんだろ?だったら、なぜ?」
「そういう『好き』じゃないの。好意はあるわ。でも、あなたには愛情を注げない」
女の肩は震えていた。緊張からくることなのか、辛いことを告げなければならないことからなのかは分からないが、その背中は泣いているようにも見えた。
だが、女の口から出る、その声はあくまでも貴丈だった。
はっきり、しっかりと伝えなければ。
そう心に決めたのだから。
男には意味が分からなかった。
好きなのに、どうして付き合ってくれないのか。
他に男がいるのか?そんなことは関係ない。
家庭の事情があるのか?それなら手助けができる。
じゃあ、なぜ?
「じゃあ、なぜ?」
男の心と、口が直結していた。思ったことが直接口に出てしまうほど、男は緊張していた。下手なことを考えると、そのまま行動に出てしまいかねない位に。
でも、心は、正面の先にある、女の背中を見つめることにしか向いていない。背中は、どんどん小さくなっていくようにも見えた。
二人の距離は変わらない。だが、夜の帳と虫の声、そして、辺りを舞い始めた通火の灯が、二人の距離をぐんぐん話しているように、男の目には写っていた。
「行かないでくれ」
「…行かないで」
女の緊張は男のそれと同じだった。
押しつぶされそうなプレッシャー。頭から出てきた言葉が、頭の中でぐるぐると渦を巻き、口から出ようとしない。
言ってしまえば楽なのに。
言ってしまえば済んでしまうことなのに。
でも、言えない。
言ってしまうと、あの人は本当に離れてしまうから。
二人の間にも、通火が集まり始めていた。
通火の群れが、緊張で動かない男と女の周囲を舞う。
小さな体から、淡い緑色の光を放ち、光跡が残像を作る。
二人の心をつなぐような、何本もの、小さな、緑の光線。
緊張の呪縛から抜け出したのは、男からだった。
「君が、好きだったんだ」
心で思ったことが、すぐに口から滑り出てしまった。
普段、この言葉を言うのにはかなりの勇気を必要とするのに。
右足が、滑り出た。ついで、左足も。
音もなく、虫の声を壊さぬまま。
通火の光が編み上げた、二人の心をつなぐ緑の束をたどるように。
男は、黄色のベールに身を包んだ女の背後に導かれた。
肩で大きく息を吸い、何とか正気を保っていそうな女。
その背中へ、もう一度。
裏表のない、一点の曇りもない、飾り気すらもない、心からの言葉。
「君が、好きだったんだ」
滑りでた言葉ではない。今度こそは、意思を持った言葉だった。
「嬉しい………でも、だめ」
感謝と落胆の双方が含まれた言葉だった。
好意を持った男から『好き』といわれたことへの感謝。
と同時に、自分が愛されることで、これから起こり得る災厄。
女も本気だった。
「なぜ?…何で?」
男にはまだ理由が分からない。
複雑と言われる女心か。
否。
「分かっていたの」
分かっていた。好かれていたのを。
違う。
『見えていた』のだ。
「分かっていたわ。あなたが、私を好きになっていたのも。夜中にこの村を出て、自由の国ダリンゴースで小さな店をやろうと考えていたのも。そして、いつか国元の親を呼び寄せようということも」
「そこまで知っていたのか。なら、僕と一緒に来てくれないか?」
「そういうと思っていた………違う。そういうと『分かっていた』」
分かっていた。
女には、自分がどんな男に好かれ、どんな出会いをして、どんな将来になるかが、分かっていた。
『将来を見て、人々を導く』通火座の幻視そのものだった。
将来何が起きて、好かれた相手がどうなるかも、全て察知していたのだ。
だから、愛せない。
愛してしまうと、私以上に、あの人に災厄が降り注いでしまうから。
あなたは、私の為に、命を落としてしまう。
そして、あなたをなくしてしまったら、私は盲目になってしまう。
「知っているのなら、教えてくれないか?僕はこの先どうなる?」
「…言えない」
知っているのに。
告げても、告げなくても、あなたを落胆させてしまう。
「言っていいよ。君の口から告げられるのなら、どんな事でも受け止められるから」
それも分かっていた。
あなたは私の全てを受け止めてくれる。
でも、私はあなたに全てを告げる事ができない。
女は、長年そのジレンマに悩まされていた。
女の右目は、虹色に輝く瞳を持っていた。
虹色の瞳が、蔑みの対象になっていた。
次々と的中する予感が、恐怖の対象にもなっていた。
誰も、彼女に近寄らなかった。
「駄目…言えない…あなたを愛せない、その理由が…」
「言えないなら、言わなくてもいい。人を好きになるのに、本当は理由なんかない」 男は、女の体温を感じ取れる距離に近付いていた。
女は、男の体温が、全てを包んでくれそうな事を感じた。
男の心は震えていた。
女の背中も共鳴していた。
二人の周りには、いつの間にか通火が集まっていた。
二人を中心に、淡い緑の光線が、いくつも渦を巻いている。
心に手綱はない。
「君が、好きだったんだ」
服が触れる。
髪が触れる。
肌が触れる。
手が触れる。
男は右に回り、女は右を向いた。
………
言葉を紡ぐ所と、心を表す所が、そっと触れ合った。
柔らかい肌が、二つの腕で、そっと、そっと締め付けられる。
言えなかった心を絞りだすかのよう。
女の右目は、虹色の瞳は、きらきらと輝いていた。
男は目を閉じていた。柔らかくて暖かい感触と、風が運ぶ微かな嗅覚と、虫のささやく聴覚だけで、相手を感じ取っている。
伝える言葉は、今はいらない。
やがて、夜の草むらから、男と女の姿はなくなった。
虫の声と通火の灯は、秋の訪れを辺りに知らせていた。
己の臆病さを恥じるな。
慎重さこそ汝の命を救うだろう。
ps.今回は激甘デス。初めて書いてみました。
1/3ほど実体験が混じってます(自爆)。
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夢の終わり