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昔の京橋≫≪取り壊される直前の京橋≫≪京橋の擬宝珠≫≪関東大震災後の京橋≫≪昔と現在の重ね地図

 「きやうはし」京橋と刻まれている
  高速道路の下が京橋跡
 京橋は江戸城造成の時に掘割し造られた濠で、江戸城から八丁堀まで通じる京橋川である。川は埋め立てられ上には首都高速道路が走っている。

 京橋は日本橋と同じ慶長八年(1603)ころに架けられ通町を渡していた。日本橋・新橋と同じく親柱・小柱に擬宝珠(ぎぼし)を付けることが許された御入用橋で幕府が維持管理していたという。擬宝珠は橋の格式の高さを示し、町人地の中の橋でこれを付けることが出来たのは日本橋、京橋、新橋の3橋であった。

 名前の由来は京都にちなむ名前だろうが諸々の説があって定説はないが、日本橋を起点として京へ向かうと一番目の大きな橋がこの橋であったので京橋の名がついたという説もある。

 大正時代の石造りの擬宝珠を模(かたど)った2メートル余の親柱がきやうはし≠フ字をくっきりと削り込んで「京橋碑」と並んで立っている。

 江戸の飲み水は、この京橋を挟んで北側(日本橋)は神田上水から、南側(銀座)は玉川上水から送られていました。