更新日 2002.4.27

2001年4月28日〜5月6日(8泊9日)
「第282回 神秘の王国ブータン」

(株)西遊旅行
4月28日(土) 成田/関空 → バンコク
4月29日(日) バンコク → パロ → ティンプー
4月30日(月) ティンプー
5月1日(火) ティンプー → ウォンディポダン
  → プナカ → ティンプー
5月2日(水) ティンプー → パロ
5月3日(木) パロ
5月4日(金) パロ
5月5日(土) パロ → バンコク
5月6日(日) バンコク → 成田/関空

4月28日(土)
 成田/関空 → バンコク

眠い目を擦りつつ関空国際線出発フロアに着くと我々の乗るタイ航空のカウンターは長蛇の列である。大型連休初日だし混雑してるよねと思いつつよく見ると、スーツケースではなくダンボールとか大型の荷物が多い。海外旅行というより何やら行商の風情。大阪チームが乗るバンコク行きはマニラ経由で、この長蛇の列はどうやらお土産をしこたま買い込んだマニラへ帰る人々らしい。「この便はいつもこうなんですよ。」見送りに来てくれていた西遊旅行のSさんがにこやかに教えてくれた。

そこへ笑う添乗員ことはなぴー登場(詳しくは「チベット旅行記」参照のこと)。1年振りの再会である。ツアー申込時にダメもとで「添乗員は、ぜひはなぴーでお願いします!」と頼んでみたところ、ラッキーにも願いが叶えられたのである。西遊さん、ありがとうございます。

ほぼ定刻通りに飛行機は飛び立ち、猫の額ほどのマニラ空港に立ち寄りバンコクに到着。暑い…。そのまま空港近くのホテルに直行。明日の出発時刻は5:30(!)なので、早々にベットにもぐりこんだ。ゆかこさんの東京チームは成田から直行便でバンコクへ飛び、バンコクのホテルで両チーム合流である。東京チームがホテルに着くのは29日AM1:00頃と聞いていたので、心優しいおーたにさん・わかなは、はなぴーに部屋の鍵を預け、「先に寝ているので部屋に入ってきても起こすな」とゆかこさんへの愛のメッセージを残し眠りについた。


4月29日(日)
 バンコク → パロ → ティンプー

パロは山に囲まれた盆地なので、蓋を被せたようにすっぽりと雲が出ると着陸できないかもしれない。何度か旋回して最悪の場合、燃料がなくなったらコルカタへ引き返す可能性があると聞いていたブータンへの道のり。世界各国へのジェット機が並ぶバンコクの空港で、バスに揺られターミナルから少し離れたところにブータン国営のドゥルク航空がひっそりと佇んでいた。聞くところによると、今のところドゥルク航空はこの1機しか持っていないとの事。がんばれ!負けるな!両手に旗を持って応援したくなる気分である。

早朝無事に合流した東京チームとともに祈る気持ちで飛行機に乗り込む。途中コルカタ(インド)を経由してパロへ。皆の心配をよそに、パロはよい天気で問題無く着陸。めでたしめでたし。

入国手続きを済ませて外へ出ると、現地ガイドのカルマさん登場。男性用民族衣装「ゴ」を着ている。日本の着物に似ているが、丈が膝上でハイソックスに革靴。ブータンでは国家による民族衣装奨励政策が取られていて、町を歩くほとんどの人が「ゴ」や「キラ」(女性用民族衣装)を着ている。顔も日本人によく似ているため、海外に来ているという緊張感が全く無く、とても馴染みやすい。

パロ到着後、まずは首都ティンプーへ。首都に国際空港を作れば?と思うが、ティンプーには滑走路を作れるほどの平地がなかったため、パロに空の玄関口ができたそうだ。

ティンプーへの道中、タントン・ギャルポによって開かれたタチョガン・ラカンをのぞみ、パロ・チュ(チュ=川)とティンプー・チュの合流点チュゾムへ。ブータンでは交通の要所ですべての車が政府のチェックを受けるポイントがあり、ここチュゾムでしばし停車。チュゾムのような川の合流点や峠には悪霊がたくさん寄ってくるので、ネパール式・チベット式・ブータン式の3つ白いのチョルテン(ストゥーパ)が建てられていた。

そこから更に東へひた走り、ティンプー近郊のシムトカ・ゾンに立ち寄る(ゾン=行政府と僧院(俗と聖)両方の側面を持つ城)。ブータンでは観光公害から守るため、ゾンやラカンへの外国人観光客の立ち入りが制限されており、基本的には内部写真撮影禁止、内部も中庭までしか入ることができないことになっている。ところが、シムトカ・ゾンでは運良く小僧さん達の寄宿舎の部屋の中を見せてもらった。中庭の真ん中に本堂があり、その回りを二階建て寄宿舎が取り囲むように並んでいる。小僧さん達を指導している先生らしき僧の部屋に入れてもらい、室内見学。おーたにさんが昨年ラサで購入した「オンマニペメフム」バッチを見せるとフムフムと何度も頷いていた。ブータンの人はチベットには行くことができないため、「チベット」「ラサ」という場所に相当思い入れがあるようだ。ふと、こんな軽いノリでラサに行っちゃって良かったのかなという気持ちがよぎる。

その後、夕刻にティンプー到着。首都というイメージとは少し違う、ちょっとのどかな郊外の街という感じ。よかった、大都会じゃなくて。


4月30日(月)
 ティンプー

ブータンには放し飼い犬がたくさんいて、昼間はみーんな無防備に寝ている。いつ動いてるんだろう?その答えは1泊してすぐにわかった。夜中ずーっと吠えている。吠えまくっている。ホテルの前は時計台広場になっていて、どうやら夜毎集まって集会を開いているらしい。おまけに屋根裏にはねずみくんが多数いるらしく、運動会が開かれていた。みんな元気だ。

今日はティンプー観光。午前中は前国王記念仏塔(メモリアル・チョルテン)、チャンガンカ・ラカン、眺めのいい丘の上、尼僧院、郵便局、クラフトセンター、午後は美術学校、紙すき工場、マスクダンス見学、タシチョ・ゾンと盛沢山な1日。

この日、おーたにさんはメモリアル・チョルテンの出入口で別の欧米人ツアーについていた現地ガイドさん(わたせせいぞうハートカクテルな風貌)とぶつかりそうになった。振り向きざまに「sorry」と言われた時、恋は始まった。それから数日間、彼は我々の間でダーリンと呼ばれることになる。

次に訪れたチャンガンカ・ラカンではお堂の外壁にぐるっとマニ車がついていて、そこに小ぶりなおにぎりぐらいの三角錐の土団子のようなものが沢山置いてあった。土団子の正体は、ツァツァというもので、亡くなった人を火葬した後、人骨の灰の一部と粘土をまぜて三角錐にかため、ゆかりのあるお寺におさめるのだそうだ。ここでも、運良く本堂に入らせてもらうことができ、中で五体投地の方法を教えてもらう。我々ツアーメンバーは、ここで習得した五体投地をこれから後のお参りでいかんなく発揮するのである。ちなみに、基本的には内部立ち入り禁止のお寺も、仏教徒の日本人がお参りに来たと話すと中に入れてくれたりするそうである。お坊さんとしては、仏に仕える身として、お参りに来た人をむげに追い返すこともできないのだろう。同じゾンの警備人でも政府の役人は規則は規則!で締め出すけれど、お坊さんは「わざわざ遠いところからお参りに来たの?いいよ、入ってみんなで拝んでいって」となることがあるらしい。

その後、ダルシン・ルンタがはためくティンプーを一望できる丘に登り、一旦お昼はホテルに戻って昼食。昼食時にダーリンツアーと遭遇!同じホテルだったのね。きゃっきゃっ。

昼からは、まず美術学校へ。小学校6年修了した後、8年間勉強するそうだ。最初の4年間は日本の大学でいう一般教養みたいなデッサン等の基礎教育を受け、後の4年間は彫刻・塑像・絵画などの専門教育を受けるシステム。デッサン教室を覗くと自分の席を離れて走り回って騒いでいる子が…。我々観光客の姿を見つけると急に席に戻りこちらの様子を伺いながらコリコリ描き始めた。どこの国でも一緒だなぁ。自習なんてちゃんと座ってるわけないもんなぁ。

美術学校の後は紙すき工場でみつまたから作る紙の生産行程を見学し、王立舞踏団のマスクダンスを見学。仮面を被ったマスクダンスと民族衣装で踊るフォークダンスとが交互に演じられ、最後はゆかこさん、わかなも参加して輪になってフォークダンス大会。このフォークダンスがなかなか愛らしく、みんなかなりお気に入り。おーたにさんはその場でダンス音楽のCDを購入してました。影響を受けやすい3人は、疼き出したダンス虫を止められず、ホテル前時計台広場で踊っていたところ、地元ブータン人にニヤニヤ笑われてしまった。日本のいわゆる「フォークダンス」を踊ったことがないわかなの要望に応え2人で踊り出すおーたにさんとゆかこさん。なぜかマイムマイム・ジェンカも飛び出しダンシングチーム復活である。

オフィスアワー以外なら見学が可能なタシチョ・ゾンに、17:00過ぎてから訪れる。カルマさんがカムニ(ブータンの男性が宗教施設に入る時に必ずかける白い布)をするするっと巻いていたので、おーたにさんが巻き方を教えてもらったのだが、よくわからなかったらしい。その後も何度か注意してカルマさんを見ていたが、やっぱりわからない。ただの1枚布なのに、不思議だ。

ここはブータンの中央省庁ということもあって門のところに警備員が何人か待機している。カメラは持込み禁止だったため、みんなのカメラ番として門外にカルマさんが残り、はなぴーとツアーメンバーで中に入った。ここでも中庭だけでなく本堂に入れてもらうことができた。シャカムニの圧倒的な姿と薄暗いお堂の静寂に自然と気持ちが研ぎ澄まされ、五体投地せずにはいられない不思議な空間だった。お堂の鍵番だったお坊さんはとても親切で、灯明はつけさせてくれるわ、2階にも上がらせてくれるわ大サービスだった。チベットでもらったカタを持ってくれば良かったと心から悔やんだ。そのころカルマさんは、みんながあまりに帰ってこないので門のところでやきもきしていたそうだ。そうこうしているうちに、日も暮れ雨が降ってきた。ゾンの中は脱帽で、傘もさしてはいけない。みんな雨の中、走るようにゾンから帰っていった。

ホテルに戻るとお待ちかね「ゴ」「キラ」の試着ショーのはじまり。みんなされるがままに着せてもらう。「キラ」をもう一度1人で着ろといわれても絶対着れない!(日本の着物だって着れないもんね)さすが同じアジア人、みんな似合うねー。やっぱりブータン人と日本人って顔似てるよ。違和感ないもの。

賑やかな試着ショーの後は、近くのホテルで初のブータン料理ディナー。ブータンビール「レッドパンダ」や謎のソバやモモなどなど。そして、ついにエマ・ダツィが!噂には聞いていたが、やっぱり辛いぞ青唐辛子!

ここで、はなぴーが笑いながらやってきた。1機しかないドゥルク航空の飛行機がハンガーから出す際、壁にあたって壊れたらしい。復旧には2・3日かかるそうだ。その間ネパールの航空会社から飛行機を借りてパロ−カトマンドゥ間往復のみ運行するらしい。1日違いでえらいことになっていた。すごい。やはり我々はついている。

この日は、酒と辛い料理と笑いとで夜は更けていった。


5月1日(火)
 ティンプー → ウォンディポダン → プナカ → ティンプー

今日は日帰りでドチュ・ラ(ラ=峠)を越えて古都プナカ観光。プナカは標高も低く気候が温暖なため、長い間冬の首都だったそうだ。

途中、チミ・ラカンという子宝祈願のお寺を遠くから眺める。今回のツアーバスの運転手はチミさん。チミさんの両親もここへお参りして子供を授かったからチミさんという名前らしい。

山には緑の木々があって、山あいに棚田が並んで、本当に日本とよく似ている。ゆかこさんが虹を発見。よく見ると太陽の周りにぐるっと円形の虹がでている。ブータンでは高僧が産まれた日にこの虹がでると言われているそうだ。「僕が産まれた日もこの虹がでていた」とカルマさん。ハイハイ。

ブータンは植物も豊富で、シャクナゲのシーズンは終わってしまっていたが、標高の高いところにはまだ少し咲いていた。背の低い小さい花をつけた野バラが道路わきに咲いており、「これはハリセンに使うんですよー」と、はなぴー。ハリセン?。しばし沈黙の後、「ハリセン」ではなく「有刺鉄線」がわりに使われていると言いたかったことが判明。そうだろう。今どきハリセンなんてチャンバラトリオぐらいしか使わないだろー。

この辺りの山には、たくさんの栗の木が植えられていた。国王さまが栗好きで、たくさん木を植えさせて、実りの秋には近衛兵がせっせと収穫するらしい。護衛から栗拾いまで、近衛兵も大変だね。

お昼にはウォンディポダンに着き、ウォンディポダン・ゾンを見学した後、街のレストランで昼食。ここでまた、ダーリンツアーと遭遇!きゃっきゃっ。しかし、ダーリンの姿を見たのはここが最後になってしまった。ダーリンツアーはこの後ティンプーへは戻らず、東を目指したらしい。恋は春風のやうにやってきて春風のやうにさってゆく。おーたにさんの短い恋であった。

昼からはプナカ・ゾンを見学。外壁のまわりを紫色のジャカランタの花が取り囲みとてもきれいだ。わかな家ベランダに栽培中のジャカランタ(全長1メートル50センチぐらい)もこんな立派な樹にして、花が咲くよう育てようと決意する。

このゾンでもお堂に入ることができ、中を見せてもらった(ひょっとしてカルマさんは交渉上手なのか?)。しかし、ゾン見学中にまたもや雨が降ってきた。一時的に雷雨になる。我々がゾンにいると何故か雨が降る。走ってバスに乗込み、ティンプーへの帰路につく。

バスの中に、やれやれという空気が流れみんな睡魔に襲われかけたその時、はなぴーの一言「みなさん!国王さまです!」。しゃきーん。急に背筋が伸びるツアー客たち。ロイヤルファミリーしか乗ることの無い、「BHUTAN」ナンバーの車が対向からやってくるではないかっ!バスが傾くんじゃないかというほどみんな右側の窓にへばりつき、すれ違う車を凝視する。とりあえず手を振っておこう。バスの窓から何本もの手がわらわらと手を振っている。…車は通り過ぎ、みんな元の席に戻る。ハッキリと顔が見えたわけではないが、黄色い服を着た人が乗っているのは見えた。よし。あれが国王さまということにしておこう。

その後、王妃さまの車ともすれ違い、その時は助手席の青い服をお召しになった女性が手を振ってくださっているのが見えた。よし。王妃さまが手を振ってくださったことにしておこう。

ロイヤルファミリー遭遇で大興奮の1日であった。この興奮をさかなにうまい酒を…と思ったら、この日はティンプー禁酒の日で、一切お酒は飲めない日だった。あぁ、ゆかこさんがっくり。


5月2日(水)
 ティンプー → パロ

5/2は祝日で、近くのヤンチェンプー高校の学園祭を見に行く。最初にグラウンドで学生によるマスクダンス・歓迎のフォークダンス・生徒会長の挨拶を見て、あとはグラウンドのまわりに各々学生が出している模擬店をひやかす。輪投げにチャレンジした3人。こういうゲームってシンプルだけど燃えてしまいますねー。なんと、ゆかこさんが見事ペンケースをゲット!さすが!ケーキ・モモなどをほおばり、しばし学生気分。近所の人も家族連れで大勢集まっていて、ブータンで最も人が集まって賑わっているのを見たかもしれない。

学園祭の後は弓技場で弓の試合を観戦し、昼食後お買い物タイム。織物や竹細工を眺めながら財布と相談しつつお買い物。そうこうしているうちにもう、ティンプーの街とお別れの時間となってしまった。荷物をまとめ一路パロへ。バスは、3日前やってきた道をひたすら戻っていった。

夕刻ホテルに到着。パロのホテルは小高い山にある中庭を回廊式に客室が囲むゾンのような建物。部屋のベランダから街を見渡せ、とても心地よい。ゆかこさん曰く、四国の田舎によく似ているとのこと。山の感じといい、ゆるやかな川が流れ、谷間に畑が広がり、ところどころに農家が建っていて、鈴虫のような虫の鳴き声が聞こえてくる夕暮れ。なんだかなつかしい気分になる。おーたにさんがシャワーを浴びている間、ゆかこさんと2人のんびりベランダで日が暮れるのをぼーっと見ていたその時、「ちゅちゅちゅちゅちゅーっ」ねずみくん出没。慌てて部屋に入り、ねずみくんが室内に入らないようベランダの扉を閉めた。突然のねずみくん襲撃に思わず大笑い。あとでそーっと窓からベランダを観察すると、走り去っていくねずみくんの黒い影が見えた。お願いだから寝込みは襲わないでね。

晩ご飯はホテルのレストランで1日ぶりのビール解禁。みんな美味しそうにごきゅごきゅ飲んでいた。その後、カルマさん、チミさん、健脚のAさん、サッカー好きのIさん、30ヶ国Uさんの男性陣にまじってホテル内のバーでもビールをごきゅごきゅ…。男が集まれば女の話…ということで…むふふ…。


5月3日(木)
 パロ

ブータンの最高の聖地ともいわれるタクツァン僧院を望む展望台へのトレッキングの日がやってきた。パドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)が虎の背中に乗ってここへ飛来したとか。なにもこんな崖っぷちに降りんでも…。そういえば、展望台への山登りの途中、大きい石にパドマサンバヴァの足跡が残っていた。30〜40センチぐらいのジャイアント馬場もビックリの大足だった。

タクツァン展望台に登る前にドゥゲ・ゾンを見学。その昔、バターランプが倒れて火災がおこり今は焼け跡しか残っていない。外敵には強いのに、バターランプで燃え崩れちゃうのね。

そして、いよいよ展望台トレッキング開始。林道の入口でバスを降り、竹で編まれた掘建て小屋風厠で用をたし、いざ出陣。目標のレストハウスまでは高度300メートルぐらいあがり、1時間ぐらいかかるとのこと。最初はまとまっていた集団も、登るにつれてだんだんばらけてきた。ゆかこさん快調な足取りでどんどん登っていく。しばらくすると見えなくなっていた。おーたにさん・わかなチームは普段の運動不足を痛感しつつ、休み休み登ること数十分。ようやくゴールのレストハウスが見えた。先頭を歩いていたカルマさんに続き健脚Aさんがレストハウスに辿りついたのが見えたと、ちょっと先を歩いていた魅惑のTシャツコレクターAさんが言っていた。休憩をとりつつ、しばらく見ているとIさんに続きゆかこさんが到着しているではないか!さすが!あの筋肉はだてじゃない!ゴール間近を確信し、最後の力を振り絞って再び登り始める2人。ようやくレストハウスにゴールイン。犬とコーヒー&紅茶・ビスケットのお出迎え。

全員到着し、一息ついたところで希望者のみタクツァンがもっと間近に見られる展望台までもう少し登ることになった。せっかくだし行きましょうと登り出す3人。何故か急に体が軽くなり快調に足が進む。ゆかこさん・おーたにさんをおいて30分ほどで展望台まで一気に登ってしまった。間近に見るタクツァンは改装工事中(1998年不審火で一部焼失)でトタン屋根である。遠目に見ているほうが綺麗だったかも。しかし、この改装作業している人達は、崖っぷちの僧院に足場を組んで作業している。展望台に立っているだけで足の裏がむずむずしてくるのに、あの人達平気なんだろうか?仏さまのご加護があるから大丈夫なのか?

そんなことを考えているうちに次々とみんな展望台に到着。しかし、何やらはなぴーがそわそわしている。一緒に登ってくるはずのUさんとKさんがまだ到着してない。違う道を登って迷子になっているかもしれない。「ちょっと引き返して見てくるので皆さんここにいてください。」はなぴー小走りで今来た道をすたすたと歩き始める。そういえば二股に分かれてる分岐点が2箇所ほどあったな。あの道はわかりにくいかもな。などど呑気に展望台でみんなと喋っていたが、一向に戻ってくる気配がない。健脚Aさん、Iさんと次々捜索隊が出動し、ようやく迷える子羊さん2名が捜索隊に連れられ無事到着。やはり道を間違えていたようだ。見つかってよかった。

レストハウスに戻り昼食。またもやエマ・ダツィが登場したが、なんとゆかこさんがハマってしまった。赤米+エマ・ダツィの組合わせがかなりお気に入りらしく、おかわりしていた。クセになる辛さらしい。嗜好がおこちゃまのわかなには理解できない大人の世界だ。

昼食を食べ燃料補給した後、バスが待つ駐車場まで一気に下り、ホテルへ。帰り道、何故かバスの中はアカペラ合唱大会と化し、「上を向いて歩こう」「赤とんぼ」「ドナドナ」から「森のくまさん」まで大合唱。この選曲の意味は全くもって不明だが、楽しかったからよしとしよう。

夕食後、昨日ホテルのバーで飲んでいた男性陣はパロ銀座の飲み屋へ繰り出し、夜のしじまに消えていった…むふふ…。


5月4日(金)
 パロ

今日は1日パロ観光の日。出発前、ホテルの前庭で朝のラジオ体操。第1・第2がごっちゃになってちゃんと思い出せない。帰ったら一度やってみよう。

まずはパロの西、ハへ行く途中の峠、チェレ・ラを目指す。チェレ・ラはブータン自動車道路最高の3,988メートルだ。ゆかこさん・おーたにさん・わかなにとっても未踏の高地である。昨年チベットで高山病にかかったおーたにさんは、標高が上がるにつれて、しきりに酸素が薄いと言っていた。チェレ・ラに降り立った時は霧が出てとても寒いにも関わらず半袖Tシャツでウロウロし、全然寒くないと言っていた。感覚が麻痺していたのかなぁ。

ここは高いだけあって高山植物の宝庫だ。夏に来るとブルーポピーを見ることができるらしい。天候がよければチョモラリなどのヒマラヤの高峰も見えるらしい。風光明媚なところだ。

チェレ・ラからパロに戻って、ダショーの称号を贈られた西岡京治氏記念の西岡チョルテン、キチュ・ラカン、国立博物館、パロ・ゾンと見学。国立博物館では入った時間が遅く、見学途中で閉館時間になり係員にせかされるように出てしまった。パロ・ゾンでは本堂に入れてもらうことができ、そのうえ中庭での写真撮影の許可ももらえた。しかし、お約束のように雨が降り始めた。今回の旅行ではゾンに行くと必ずと言っていいほど雨が降る。

パロ・ゾンの後はお楽しみ民家訪問。伝統的な民家にお邪魔して中を拝見し、客間でバター茶とアラという自家製蒸留酒をいただく。うまい。アラは吟醸酒と焼酎のあいだのような味でとても飲みやすい。うまいのでおかわりする。ブータンでは3杯飲むのが礼儀とか…。このまま民家に泊まっていいのであれば間違いなく飲み続けて酒盛りが始まっていただろう。根がはえて動けなくなる前に重い腰をあげ、ツアーメンバーを代表して魅惑TシャツAさんが仏間で五体投地をし、民家に別れを告げた。

夕食前にホテルの石風呂を見に行く。焼いた石を水に入れて水を暖めて入るお風呂だ。そういえば何日も湯船につかってないなー。

余談だが、パロのホテルの部屋の鍵は非常に開けにくく閉めにくい。鍵穴に差し込んで適当にまわすと開いたり閉まったりするのだが、このホテル3日目にして、実は部屋の扉がオートロックだったことに気付く。鍵なんかかけなくても閉まってたんだ。なーんだ。


5月5日(土)
 パロ → バンコク

故障していたドゥルク航空の機体も無事復旧し、昨日から通常飛行に戻っているとの情報を聞き、あと問題は当日の天候のみとなったパロ離陸の日。天気もよく風もなく時間通り飛ぶようである。帰りたくない、もう少しブータンにいたいという気持ちがむくむくと盛り上がる。はなぴーの「一度、飽きるまでブータンにいたい」という言葉が妙に納得できる。

後ろ髪をひかれる思いで乗込んだパロからダッカ(バングラディッシュ)経由バンコク行きの飛行機は、そんな我々の気持ちを知ってか知らずか数多くの要人達の見送りを受けたのである。…そんなわけがない。しかし、要人達の見送りは本当である。我々を見送ってくれたのではなく、皇太子さまを見送りに来たのだ。最後までロイヤルファミリーと縁のある我々である。アメリカ・ハーバード大学に留学中の皇太子さまがブータンに帰国していて、アメリカへ戻るために乗った飛行機がまさに同じ便だったのだ。これで定時飛行・安全保障は間違いなしである。

いつもより丁寧に操縦されたと思われる飛行機は定刻通りバンコクに到着。暑い。今朝パロでフリースを着ていたのに、半袖でも暑い。世界は広いと感じる瞬間だ。初日に泊まった空港近くのホテルで荷物を降ろし、ホテルから出ているシャトルバスで街中へ出かける。

予備知識なし現地通貨なしで街へくりだした3人は、ホテルでもらった地図だけを頼りに酷暑炎天下のなか、修行僧のようにもくもくと歩いていた。しかし、ゆかこさんがタイバーツを手にしてからは電車に乗って(最初から電車で移動すりゃよかったんだね)、ハーゲンダッツのアイスクリームを食べて(ゆかこさん、ごちそうさま!)ショッピングセンターでお買い物してホテルに戻った。バンコクは涼しくなる夜のほうが面白そうな街だった。

ツアー最後の晩餐は、ホテルのレストラン。福井から参加のNさん夫妻は温泉地に詳しく、お薦め温泉話で盛り上がってしまい、東京チームは次の朝AM4:00(!)出発にもかかわらず、名残惜しむかのように23時頃までレストランで話し込んでいた。


5月6日(日)
 バンコク → 成田/関空

行きと同じように東京チームとはバンコクでお別れ。AM3:30頃部屋を出ていくゆかこさんに手を振り再びベットにもぐりこむ。なぜかそのままおーたにさんと喋り続け、結局大阪チームの起床時間まで起きていた。

ホテルから空港まで、流れる車窓を眺めながら、なんでこんなに車多いんだろ、なんでこんなに緑少ないんだろ、とブータンの風景を思い出していた。

そういえば昨日の晩、Nさんが言ってたな。「ブータンの人は心がゆたかだ」って。みんな親切だったな。昨日パロの空港で、係員が忘れ物のウエストポーチの持ち主探しまわってたよな。ツェチュ祭のとき「日本人のパスポート拾って預かってるから取りにきて」と放送がかかったってはなぴーいってたな…。

すっかり眠ってしまい、目が覚めたらもうすぐ関空だった。


書記:ワカノフ 構成:某ゆ 提供はおーたにでした。この旅行に携わる全ての方々へ、さんきゅーさんきゅー!

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