第3節 フォルカード司教の日本再布教

恐らく現存する唯一の、フォルカード司教の写真(▲印の写真は拡大できません)

       日本とルルドは、とても不思議な神の光、深い摂理のうちに、つながっていた。

        日本再布教の先駆者フォルカード司教の生涯、小説よりも奇なる事実を知って、ただ驚く他はないのである。

 @ 生い立ち

   青少年時代

テオドール・オーギュスタン・フォルカードは、1816年3月2日、フランスのベルサイユ(◆A)で生まれた。父方も母方も、由緒ある旧家であったが、フランス革命で没落し、テオドールが生まれた時は、父は県の公務員として、立てていた。

◆ 志村辰也「ルルドの出来事」P191

◆A フランス北部,イブリーヌ県の県都。パリの南西22kmに位置する。

キリシタン史の新発見P.94、P.96中島昭子「フォルカード神父とカトリックの日本再布教」による

 A 日本最布教に乗り出す

   那覇上陸、滞在

 

1844年、那覇に上陸。28歳であった。

那覇の天久(あめく)村泊(とまり)の聖現寺に、2年間滞在した。この寺は、現在の那覇市の上之屋(うえのや、泊三丁目の北に隣接する字)、那覇漁港のすぐそばに現存している。

 B ベルナデッタにヌベールの修道会   の修道女となるよう勧める
それから、ベルナデッタに修道女になるように勧めたヌベール教区司教のフォルカード司教である。前述のように、彼は日本布教を志して、二年間、沖縄の那覇に住んでいたことがあるのだ。そして、マカオで日本司教となった。
 C 最期まで日本布教に尽力する
 

 1862年6月8日、フォルカード神父は、ローマで行なわれた日本26聖人の列聖式典に、フランス政府の反対を押し切って、列席した。

初代日本代牧(宣教師の職名)であったことを、終生忘れなかった。

キリシタン史の新発見P.93、P.100中島昭子「フォルカード神父とカトリックの日本再布教」による

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