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グノー 「ファウスト」 (2002年3月14日〜2002年4月17日の日記より)
壮大なるカオス
「名作と言われる作品ほど誰も読んでいない」とは良く言われることですが、このゲーテの「ファウスト」くらい読まれない名作も珍しいと思いますね。最後まで読んだって人には滅多にお目にかかりません。1770年、21歳のゲーテは「ファウスト」の執筆を開始します(「ウェルテル」よりも4年も前です)。完成した時、彼は81歳、実に60年の歳月・・・。
「ファウスト」の取っつきの悪さの原因はたくさんあります。第一に、テーマが何であるのか何度読んでも分からない。第二に、場面が飛び(魔界から天上世界まで)、時間が飛び(ファウスト博士はいったい今何歳だ?)、ヘタすると「ここはどこ?私は誰?」状態に陥ります。第三に、ゲーテご本人のお堅いイメージ、これって道徳の教科書でしょ?お説教がいっぱい出てくるんでしょ?という先入観から、難解な教養小説というイメージが強い。
ゲーテさんって結構いー加減で楽しい爺さんですし、この作品は教養小説というよりもSF超大作に近いと思います。そう考えて読めば、これくらい面白い作品はないのですが、一旦出来上がったイメージというのは思いの外頑固です。
第一のテーマが分からないという点ですが、これはその通り、それで正しい。何しろゲーテが描こうとしたのは、「全て」なのです。おそらく彼はテーマなんて全然考えていなかったと思います。ともかく全てを書きたい、何の全てかって?全てっていうのは全てであって、「何の」っていう限定はないの!それがあったら全てじゃないでしょ!って感じ。
第二の場面飛びまくりですが、これは元々が戯曲というよりも詩です、イメージの世界です。一つ一つの断片がそれだけで意味を持つ、どう切り離しても、どうくっつけても構わない、天使の歌の後に魔物の祝祭があったとしても、登場人物の意義が矛盾しているとしても、イメージとして豊穣さを伝えていればそれでオッケーなのです。
第三の「偉い人」ゲーテさんですが、確かに彼は裕福な名門に生まれ、美男で秀才、ワイマール公のお気に入りとして政治の世界でも辣腕を振るい、自然科学の分野でも才能を発揮し、当時のヨーロッパ随一の教養人でした。しかし、彼は決して道徳的にお堅い男ではありませんでした。なぜなら彼は自分の優れた資質ゆえにキリスト教的道徳を見下しており、見下した自分の悪魔的部分をきちんと意識しており、それを意識しているからこそ、それをコントロールすることができたという、自分の二つの側面を見事に使い分けるという意味では、偽善を知り抜いた上での「偽善者」、道徳懐疑の確信犯でもあったのです。
ゲーテの時代、ファウスト博士はちょっとした有名人でした。「ファウスト伝説」のモデルとなったのは、錬金術師ゲオルグ・ファウスト(1480〜1539?)、博識の医師、星占い師、人文学者、そして山師・・・、そんな彼が悪魔と契約することによって若返り、超人的な力を発揮し、思う存分に楽しむ、しかし、やがて契約の時が来て、悪魔に魂を委ねて朽ち果てる・・・、ゲーテの時代、ファウスト博士はアンチ・ヒーローとして人気がありました。死後に魂を悪魔にくれてやることで好き勝手な享楽の人生が味わえるのなら、それも良いではないか、教会が禁じるところにこそ快楽がある、この伝説は一種の人間解放の側面を持っています。
自身、法学、歴史学、哲学、神学に加えて、物理学、医学、その上芸術にまで才能を発揮し、13歳の時には、ギリシア語、ラテン語、ヘブライ語をマスターして古典を読み、フランス語、イタリア語、英語を自由に操ったというゲーテ、彼にとってファウスト博士はとても身近な尊敬できる先輩だったと思います。青年ゲーテはファウストと共に成長し、変化し、60年の歳月を一緒に過ごすことになります。ゲーテ=ファウストではありません。彼らは同じ母から生まれた兄弟なのです。その母とは一言で言えば「知への渇き」です。教会はいらない、なぜなら自分と神の間に割り込んで神との直接の対話を邪魔するから、教会の押しつける道徳もいらない、なぜなら善と悪を自分で考える自由を奪うから。そこに垣間見えるのは己の知力に対する自負、知によって世界の成り立ちを解き明かそうとする野心、絶対的存在への不遜な憧れです。
「人間は、努力する限り、迷うものだ」、冒頭の「天上の序曲」にこうあります。その努力とは決して道徳的なものではありません。その目標がエゴイズムだからです。ファウストの、そしてゲーテの努力の視野には他者は存在しません。だからこそ、悪魔が登場します。自分だけの知を満たすための自分だけの努力だからこそ、あっさりと悪魔に魂を提供することができる、だって、その迷う魂は自分のものだから。彼らの努力は100%自分の知的達成のためであって、100万人の命も、地球の運命も、要するにどうだっていいのです。そして、60年の歳月の後、ゲーテのファウストは伝説のように地獄にも堕ちず、救済されます。求め続けるファウストを神は受け入れた、究極のエゴは悪魔まで呼び出してしまいますが、それでも神はそれを許した、努力する限り迷うことが、ここで肯定されるのです。
このファウスト、たくさんの音楽の元ネタになっております。このグノーの「ファウスト」、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」、リストの「メフィストのワルツ」、ボーイトの「メフィストフェーレ」、それからマーラーの「交響曲8番」、ファウスト博士がこんなにも多くの音楽家の心を捉えるのはなぜでしょうか?それは自我への賛美だと思います。文学も音楽も、全て芸術とは自我から生まれ、自我を吸って育ち、自我のために花開くものなのでしょう。
さて、この長大な原作ですが、プロローグ(「捧ぐる言葉」「舞台の前曲」「天上の序曲」)、第一部(「学者悲劇」「グレートヘン悲劇」、どんちゃか場面がいくつか)、第二部(「宮廷世界とヘレナ幻想」「ホムンクルス(人造人間)誕生」「ワルプルギスの夜」「ヘレナ悲劇」「闘争」「ファウストの頂点と没落と救済」)という、もう何でもかんでもテンコ盛りの万華鏡のような世界です。グノーはこの中から「学者悲劇」をちらっと掠めて導入部とし、後は「グレートヘン悲劇」を描いています。「グレートヘン悲劇」はゲーテが最初に書いた部分であり、最も叙情的な部分です。グノーは原作のスケールの大きな宇宙論や理想の社会論は選ばず、平凡な娘マルガレータ(グレートヘンは愛称)の悲劇を選びました。自分の音楽の長所である清潔さ、優しさが一番似合うと知っていたのでしょう。そして、このマルガレータの物語、実は、ノンフィクションなのです。
参考文献:ゲーテ「ファウスト」(相良守峯訳・新潮文庫)、「世界大百科事典」(平凡社)
ゲーテは見た
1770年、20歳のゲーテは、法律の勉強のためにシュトラスブルク大学へ入学します。ご本人は法律なんてやりたくなかったのですが、何しろ彼の父上は神聖ローマ帝国の枢密顧問官殿、他に選択肢はありません。多額の仕送りで贅沢三昧のゲーテ青年は、小旅行先のゼーゼンハイムで牧師の娘フリーデリーケと出会い、一目惚れ。シュトラスブルクに戻ってからも想いは募り、何度もゼーゼンハイムに足を運び遠距離恋愛が続きます。周囲もお似合いと祝福し、幸せだったこの恋は突然に終わります。ゲーテが逃げ出したのです。生真面目な牧師一家の娘と結婚する、その先に待っている平穏な、しかし退屈な生活、知の巨人たらんとしたゲーテには到底耐えられないことでした。1771年8月、フリーデリーケを捨てて故郷フランクフルトに戻ったゲーテは、父の手前、仕方なく若手弁護士として業務を開始します。とはいえやる気はなし、引き受けた事件は人任せ、ほとんどの時間は「詩人の間」に籠もっているという有様。
スザンナ・マルガレータ・ブラント、愛称グレートヘン、貧しい兵隊の娘。両親は既に亡く、場末の居酒屋兼旅館の「アインホルン」の住み込み女中。読み書きはできなかったけど、日曜日には欠かさずミサに出る生真面目な娘でした。粗食のせいで痩せていたけれど、長身、整った顔に長く美しい髪。台所の隅の小さなベッドと三度の食事、そして客のチップが生活の糧・・・。フランクフルトきっての名門の御曹司、贅沢な衣装に身を包んだ美貌の青年弁護士ゲーテと、朝から晩まで休むことなく、汚れた皿を洗い、酔っ払いに酒を運んで何とか生きている酒場の女中スザンナ、普通なら決して交わることのなかったであろうこの二人ですが、ある悲劇をきっかけに永遠に結びつくことになります。
ゲーテがフリーデリーケと熱く恋を語っていた頃、1770年11月、一人の男がアインホルンに宿泊します。その夜、下の居酒屋に座った男はスザンナにワインを勧めます。それには睡眠薬が入っていました。眠ってしまったスザンナを抱き抱えて階段を上がる男。翌朝、目覚めたスザンナは何が起こったかを知り、男の部屋を飛び出します。男は勘定を払って出ていき、二度と帰っては来ませんでした。
翌年の春、井戸端ではおかみさんたちが熱心に噂しています。あの子妊娠しているよ、あんなに信心深い子がねぇ・・・。周囲の疑惑を必死で否定するスザンナですが、復活祭の教会で突然青ざめます、お腹の赤ん坊が動いた・・・。それからというもの、時間があれば路地裏のマリア像に祈るスザンナの姿がありました。
そして、1771年8月1日、腹痛を堪えつついつも通り働いていたスザンナは、洗濯場で男の子を産みます、たった一人で。混乱したスザンナは赤ん坊を桶に叩きつけ殺してしまいます。遺体を馬草桶の中に隠し、翌朝、当てもないままフランクフルトを逃げ出します。船でマインツまで来たものの所持金はゼロ。銀のイヤリングを売って得た僅かなお金でボロ宿に転がり込み、やっとの思いでベッドに倒れ込みます。翌日8月3日、なぜかスザンナはフランクフルトに戻って来てしまいます。指名手配書が出回っており、城壁の門をくぐったところで逮捕されます。
なぜ妊娠を隠した?悪魔が私の口をふさいだのです。なぜ赤ん坊を殺した?悪魔が私をそそのかしたのです。半年に及んだ裁判は1772年1月7日、判決の言い渡しで終了しました。判決は死刑。
1月14日、白いドレスを着たやせ細ったスザンナは、広場を埋めた群衆の前に現れます。ゲーテもその群衆の一人でした。椅子に縛り付けられたスザンナが静かに頭を差し出します。処刑人ハインリヒ・ホフマンが長さ2メートルの長剣を振り下ろし、全ては終わりました。
ゲーテは単なる町の噂以上にこの事件と関わりを持っていました。彼の父はフランクフルトの法律顧問、この事件の訴訟記録を入手しています。ゲーテの叔父はこの審理の陪審判事の一人でした。死刑執行人の選任の申立書を書いたのはゲーテ家にいつも出入りしていた弁護士でした。妊娠したスザンナの検査をした医師はゲーテの主治医でした。人相書きを描いた画家は少年ゲーテの絵の先生でした。ゲーテ家の豪華な居間で、この事件が何度も話題に上ったのは間違いないと思います。
そして、ゲーテの初恋の少女グレートヘンと同じ名前を持つスザンナ、彼がフリーデリーケを捨てた同じ夏、行きずりの男の欲望によって人生を破壊されたスザンナ・・・、青年ゲーテにとってこれが偶然で済まされるはずはありません。彼は運命を感じたはずです。
グレートヘン、僕の初恋の人、君は帰ってきたのか?あの美しい初恋の思い出から。君は「努力する限り迷う」僕を感じているのか?その迷いが僕をどこへ連れていくのかを知っているのか?
フリーデリーケ、君はあのスザンナか?愛から逃げ出した僕を責めているのか?男にとって愛は欲望であり、女にとって愛は命であると、それを僕に訴えているのか?
僕が赤ん坊を殺した、僕がスザンナを殺した・・・、僕は名前も分かっていないあの居酒屋の客だ、僕はスザンナを犯した、僕はスザンナの口をふさぎ、彼女をそそのかした悪魔だ・・・。スザンナの処刑から3ヶ月後、ゲーテはヴェッツラーに旅立ちます。グレートヘン悲劇を主題とする「ファウスト」第一部の原稿をしっかりと抱きしめて・・・。
「神様、お裁きくださいまし。この身をお任せ申します」「天なる父よ、あなたのものであるわたしをお救いくださいまし。・・・ハインリヒさん(ファウストのこと。そしてスザンナの首を刎ねた処刑人の名でもあります)、わたし、あなたが怖いわ」、マルガレータは正気を失ったままで息絶えます。悪魔メフィストフェレスが「女は裁かれた」と冷たく言い放ちます。その時天上から声が響きます、「救われた」・・・。
ゲーテはマルガレータを、スザンナを救いました。そのマルガレータは、「ファウスト」第二部ラストでメフィストフェレスによって地獄に連れ去られようとするファウストを救います。「贖罪の女」はファウストのために聖母に祈ります、「わたしの仕合わせをごらん下さいまし。昔の恋人が、今はもう濁りのない方が、戻って参ったのでございます」、その声に聖母が答えます、「さぁ、もっと高いところへ昇っておいで!」
男性的なる存在として、がむしゃらに突き進み、手段を選ばず闘った男は、最後に、自分が破滅させた女の女性的なる存在ゆえに救われます。エゴゆえに悪魔とつるんで女を破滅させた男は、その当の女の愛によって救われるのです。
グノーがこの「グレートヘン悲劇」を題材に選んだのは正解です。彼はゲーテと違って敬虔なクリスチャンでした。ゲーテにとって神は思考の対象ですが、グノーにとっては、神は信仰の対象だった。グノーの作品中で最も美しいのは「アヴェ・マリア」でしょう。「めでたし、マリア、恩寵に満ちる者」、思考の人ゲーテにとっては、長い知的作業の果てにあった救済ですが、グノーにとっては、マリアによる救済は最初から決められていたことです。疑い思考するゲーテと信じ祈るグノー、彼は原作の「男性的なる」部分を捨て、愛ゆえの罪、愛ゆえの救済という物語に焦点を絞り込みました。グノーにとっての「ファウスト」は、これ以外にはあり得なかったのだと思います。
このグノーの「ファウスト」、これじゃわしらが偉大なる「ファウスト」じゃない!ということで、ドイツでは「マルガレータ」と呼ばれているそうです。確かに原作の一部分でしかありませんし、テーマは愛のみです。だいたい、ゲーテの原作の全体をオペラにしたら、「指環」よりも長くなる。グノーのタイプじゃありません。
しかし、「マルガレータ」に絞り込まれたために「マルガレータ」としか呼んで貰えないこのオペラは、その「マルガレータ」的表現によって、原作の精神を見事に伝えてくれます。
参考文献:「『ファウスト』と嬰児殺し」(大澤武男・新潮選書)
第一幕 どっちが悪魔?
序曲はまず重苦しく始まります。真っ黒な雲が頭上に立ちこめるような気分、これが一転して明るく清らかに転じます。フーガを経て弦と木管の美しい調和、ここで全てが語られています。ここから先は少々トホホな展開です、悲しいこと、イヤなこと、醜いことがたくさんあります。でも、最後には全てが調和に至る、グノーはそれを信じています。聴く人間も一緒に信じましょう。
「何一つ分からない」、埃まみれの書斎でファウスト爺さんが嘆きます。無だ、休みなく考えた挙げ句、神も自然も何も教えてくれぬ、私はたった一人でこの世の未練さえ断ち切れぬ、分からない、無だ!
音楽が長調に振れて朝が近いことを告げますが、夜型人間のファウスト博士は朝日にも気分が晴れません。また一日が始まる、死よ、いつその翼で私を覆ってくれる?死は逃げている。自殺するか?急にテンポよく勇壮に響く旋律、ファウストの死への決意は、彼にとっては無であるこの世に対する勝利なのか?毒薬を仰ごうとしたところに軽快な合唱が響きます。「無精な娘さん」、まだ眠たいの?日は出ている、鳥は歌っている、朝が微笑んで、小川が囁いて、花が開いて、愛の恵みに目覚めている・・・。この明るさが夜型人間の博士にはお気に召さないようで、人間の虚しい声よ、行け!とメチャ不機嫌。
仕事に出かける農夫達の合唱が聞こえます。「夜明けは俺達を」起こしてくれる、朝日で起きて畑へ向かって、恵みの大地で働く、天気は上々、神様、ありがとう!
「神だと?」、神が何をしてくれる?愛や青春や信仰を返してくれるのか?呪われろ、快楽、虚しい絆、全ての誘惑、去っていく希望、愛、戦い、幸せ、学問、祈り、信仰、忍耐・・・ともかく不機嫌の絶頂のファウスト博士は、人間の営みのありとあらゆるものが癇に障るらしいです。「サタンよ、来い!」
「私ならここに」おりますが、と悪魔メフィストが登場、この通り紳士の悪魔ですよ、で、何がお望みか?いきなり現れた悪魔に慌てて去れ!と叫ぶファウストですが、悪魔を呼びつけておいてそれでは済みません。何が欲しい?何ができる?何でも、金?名誉?権力?
青春が欲しい!恋、快楽、情熱、本能、若さをくれ!お安い御用で、青春とやらを差し上げましょう。但し条件が・・・、この世では私が、地獄ではあなたが奉仕するということで、ここにサインを。さすがに躊躇うファウスト、メフィストは美しいマルグリートの幻覚を見せます。何と美しい!契約しよう!
メフィストの薬を飲むとファウスト爺さんは若くてハンサムな青年に変身、彼女に会えるか?勿論、今日にでも。
快楽、愛撫、情熱、本能、心と体の饗宴、愛をくれ!美貌の若者と粋な悪魔は町に繰り出します。
最初の難関は、ファウスト博士が何でかくも落ち込んじゃってんのか?ってことです。あらゆる分野で努力した挙げ句、分かったことは全てが無だということ・・・。これは東洋では悟りの境地です。人生とは無から生じて無に帰る過程である、全てが無であると悟った時、人はあらゆる妄執から自由になって仏になる。ファウスト博士がもしも東洋に生まれていれば、お見事!天晴れ!拍手パチパチ!の場面が、ヨーロッパではどん底状態になってしまう。東洋哲学では自我から解放されることが最高の幸せなのですが、西洋哲学では自我の達成、自我の追求こそが人生の目標なのです。ファウストがヨーロッパ精神の原点と言われるゆえんはここにあります。全てが虚しい、空である、よって己も空である、という東洋に対して、「コギト・エルゴ・スム(我思う、故に我あり)」の西洋、この自我を絶対視する姿勢をアタマの隅に置いておかないと、ファウスト博士がただのエロ爺になってしまいますから、要注意ですよ。
朝が来て目覚めて、一日働いて、そして眠る・・・、そんな日常を賛美する合唱、農夫達は神から与えられた時間を与えられたままに生きています。そして、幸せです。ところがそれがファウストには我慢ならない。彼は受け入れることができない、彼には闘うことしかできないのです。ま、世の中そんなもんっすか、と言えないからこそ、この歳まで休む間もなく、毎日夜なべして(昼寝はしていた?)考えた挙げ句、何もわからん・・・、まさに自我の危機であり、彼にとってはその自我が全てなのです。
神だと?神が何をしてくれるってんだ?と逆ギレのファウスト、神は普通は何もしてくれません。何もしてくれないからこそ神なのかも知れません。ところが、無限大の自我を持つファウストには、神のその「無為」が我慢できないのです。彼は神にも自我を求める、でも、神が自我を持ったらもうそれは神って言えないんでない?というのが、東洋人である私の素直な感想です。
と、ここでなぜかオペラのファウストはとんでもない方向に逸れてしまいます。はい、何なりとお望みのものを、と登場したお洒落な悪魔に対してファウストが望んだものは、何と青春です。はぁ?青春?あんなもん取り返したいですか?不器用で、傷つきやすくて、ギクシャクと格好悪くて、もう思い出すと赤面ものの出来事ばっかりです。青春ってのはつかの間で去っていってくれるからこそありがたい。あれを永遠にって思う人間ははっきり言ってバカです。やった!コイツ、バカじゃん!ボロい儲けじゃん!とメフィストは思ったに違いないです。その証拠に、あまりの言葉に浮かれてしまったのか、彼は肝心の「時よ止まれ、お前はあまりに美しい」の条件を忘れてしまいます。この一言を口にした途端にファウストはメフィストのもの、そういう約束のはずなのですが、グノーのメフィストは、地獄では俺に仕えろとあんまりな本音のセリフを言ってしまいます。この世は有限ですが地獄は無限です。どう見ても不平等、これに引っかかる人間がおるんか?って、いたんですよね、これが。ファウストは契約書にサインしてしまいます、マルグリートがあまりに美しかったから。
快楽、愛撫、情熱、本能・・・、これじゃファウストはまるで解き放たれた野獣です。困った・・・。
ゲーテのファウストとグノーのファウストは方向性が異なっているのです。ゲーテのファウストはあくまでも前進する人間です。人間の命は有限であるにも関わらず、どこまでも進もうとする。だから彼は苦悩します、有限である存在が無限の価値を見いだせるのかと。それに対して悪魔メフィストは、時間が止まればその一瞬が永遠になると示唆します。「時よ止まれ、お前はあまりに美しい」、そう口にした時のファウストは無限の存在なのです。
グノーのファウストは前進ではなく後退する人間です。彼は時間を取り戻したいと願っている。グノーのファウストにとって人生の定義とは、「人生=時間と快楽の交換」なのです。彼は全ての時間を知的快楽に捧げ、それが得られなかった。彼は時計の針を元に戻して、埃まみれの本に賭けた時間を、恋という快楽に賭けたいのです。ルーレット台の前で大負けした客が、今までの勝負なかったことにしてくれ!ってダダこねているのと同じです。悪魔のディーラーが受けて立ちます。よろしいですよ、全部やり直して差し上げましょう。但し、ゲームが終わればあなたは破滅、それでよろしいか?
何とファウストはよろしいと言ってしまいます。失われた快楽に対するこの恐ろしいまでの執着、ファウストとメフィスト、どっちが悪魔なのか、分からなくなりませんか?
第二幕 サタンが音頭をとって
華やかな前奏曲に乗って広場のざわめきが広がります。学生たちが「ワインでもビールでも」何でも飲んで酔っぱらう、若いうちから酒が好き、水はごめんだねと歌えば、兵士たちが「娘も砦も」同じこと、油断させてから攻めればイチコロさと旋律を繋ぎます。市民たちは「日曜や祝いの日には」酒を飲んで楽しくおしゃべりと続き、娘たちは「あの人を見て」、イイ男、こっち向いて、声をかけてと胸ときめかせ、それを見ていた若者たちは「あの慎みのない顔」をご覧よ、そこがいいんだけど、これは手強いぞとこちらもワクワク。そして、とどめはマダムたち、「あの娘たち」ったら、男を追っかけているわ!そうよ、文句あんの、おばさん!と言い返す娘たち。声質の異なるグループが織りなす非常に凝った合唱は豊かな色彩に溢れ、音の印象派と呼びたい美しさ。
兵士ヴァランタンが登場、出征する彼は、「この地を去る前に」、妹がこのメダルをくれた。マルグリートを一人残して行くのは心配なんだけど、と兄らしい愛情を歌います。マルグリートに片思いのシーベルが、僕に任せてと心強い一言。前奏曲で登場した清廉な旋律に乗せてヴァランタンの歌うカヴァティーナ、神よ、妹をお守り下さい・・・。友人たちは、飲もう!歌おう!と「ネズミの歌」を合唱しますが、そこに割ってはいるのはメフィスト。
「子牛の歌」で周囲を圧倒します。王も家来も踊り狂う、金の子牛の台座を巡り、サタンが音頭とり、バカな人間をあざ笑う・・・、技巧を凝らした精緻な歌は魅惑の悪魔に相応しい。
一曲歌って調子づいたメフィストは占いを始めます。シーベルさん、あなたの触れる花はすぐに萎れる、彼女にお花は上げない方がよろしいようで、ヴァランタンさん、あなたは死にますよ、私の友人に殺される・・・、さてと、私が奢りましょう!メフィストが酒場の看板を叩くと上等の酒が溢れ出ます。マルグリートに乾杯!なぜ妹の名を?ヴァランタンが剣を抜きますが、メフィストの剣が小さく円を描くとヴァランタンの剣はぽっきりと折れてしまいます。ここまでやれば誰だって分かりますよね、地獄から来た悪魔だ・・・。十字架にすがる人々が歌う「剣のコラール」、力強いリズムにさすがの悪魔もこれ以上は手が出ません。
そんなこんなはどうでもいいファウスト登場、彼女は?ねぇ、彼女は?とメフィストにすがる様子はまるで3歳児。ここに来ますよ、しばしお待ちを、悪魔はウソは言いません。
ワルツが響く中、マルグリートが現れます。邪魔なシーベルをメフィストが追っ払った隙にファウストはアタック開始、美しいお嬢様、お散歩でもいかが?私、美しくないですし、お嬢様でもありませんと立ち去るマルグリート。愛しているんです!ファウストの叫びは完全に無視されてしまいます。
で、先生、首尾は?振られたよ!やれやれ、恋の手ほどきが必要ですかな・・・、悪魔も楽じゃない。
踊る快楽、何という狂気、何という喜び、ワルツに乗せて人々のお楽しみはまだまだ続きます。
金の子牛は旧約聖書の出エジプト記に登場します。山の上でモーゼが神様のありがたーいお言葉を頂戴している間に、麓に残った連中は、モーゼさん、帰ってこないね、退屈・・・、何か拝むもん欲しくない?作っちゃう?で金の子牛の像を拵えてしまいます。十戒を刻んだ重たい石版を持ってモーゼが山から下りてみれば、禁じられた偶像崇拝にうつつを抜かす人々がどんちゃん騒ぎ、ブチ切れたモーゼの怒りによって3千人が殺されます。金の牛は悪魔のシンボルなんですね。メフィストは、踊り狂う人々の音頭をとるのはサタンと歌います。「音頭をとる」が肝心、つまり、悪魔が金の子牛を作ったわけじゃない、作ったのは人間です。悪魔はそれを利用して人々を踊らせるだけなのです。
酒場の看板から酒を溢れさせるメフィスト、これは新約聖書の「カナの婚礼」の裏返しでしょう。婚礼に招かれたイエスと聖母マリアですが、宴たけなわで酒が底をついてしまいます。困惑する母を見たイエスは、6つの瓶を水で満たし料理場へ運ばせます。水は極上の葡萄酒に変わっていました。メフィストはこの物語の悪魔版を演じて見せます。
ほんの少しの過剰への欲望が悪魔を登場させます。黄金の牛は牛だから拝まれるんじゃない、黄金だから拝まれるのです。眩い光、富への憧れ、みんなが今持っているもので十分だと思っていれば、金の牛なんて意味を持ちません。
同じように、みんなが水を飲んで満足していれば、酒を溢れさせる奇跡が有り難がられるわけもない。イエスの場合は、母マリアの困惑を見かねてだったでしょうし、現に酒は底をついていました。メフィストは、「こんなまずい酒、飲めませんよ」と、口に含んだ酒を吐き出して上等のワインを湧き出させます。彼は、もう少し、あとちょっとだけ、せめてもうワンランク上を、という人間の欲望の際限のなさを知り抜いています。なぜなら、そこが悪魔の故郷だからです。
私は美しくもないし、お嬢様でもありません・・・、慎ましく暮らすマルグリート、彼女は、自分が男性にエスコートされるような女ではないと知っています。一見、自分を知り、満ち足りているかのような言葉、しかし、メフィストはマルグリートの心にも過剰への欲望があることを知っています。彼女がまだ知らないだけなのです。
そして、まぁ、幼児並みのストレートな求愛できちんと振られてしまったファウスト、本に埋もれていた彼ですが、彼の書斎には恋愛小説は一冊もなかったらしいです。初対面でいきなり、愛しています!だもんなー。こんな出来の悪い生徒を持ってしまったメフィストですが、彼は知っています、鍵はファウストではなくマルグリートなのだと。私は美しくもないし・・・、いえ、私は美しいかも知れない、お嬢様でもありません・・・、でもお嬢様みたいに扱われてみたい、ほんの少し上へ、あと少しでいいから・・・。一しか知らなかった人間が十の存在を知った時、十を手に入れた人間が百を持っている他人を見た時、自分は百持っていると自慢している人間が千のきらめきを目の前にした時、何が起こるのか・・・。
人間に欲望がある限り、悪魔は大忙しです。
第三幕 天使が墜ちた夜
クラリネットが静かに泣いています。弦のピッチカートが不安を伝え、悲劇の幕が上がります。
夜、マルグリートの暮らす慎ましい住まい、シーベルは恋するマルグリートへお花を持ってくるのですが、「僕の告白を伝えておくれ」と彼が思いを込めた花は、メフィストの言葉通り萎れてしまいます。シーベルは手を聖水に浸します、今度は大丈夫。悪魔なんか怖くない、僕の口づけをあの人に!シーベルが花を置いて立ち去った後、ファウストとメフィストが登場。花?あんなものよりももっと素晴らしい贈り物を、とメフィストはプレゼントを調達に。一人になったファウストは胸一杯にすがすがしい夜気を吸い込んで甘く歌います。「愛に満たされた家」、何という不安、これが恋?愛に満たされ清らかにたたずむこの家、静けさに精霊が宿る、慎ましく、しかし満たされた幸せ、自然は天使のような女を育んだ、満ち足りた大気、光、神の家だ・・・。
これで彼女が陥落しなかったら、悪魔を廃業しますよ、と登場したメフィストは豪華な宝石を詰めた箱を持っています。これで墜ちない女はいません・・・って、先生、どこへ行くんです?彼女に会いたくないと逃げだそうとするファウスト、あのね、ここで逃げられちゃ私の立場がないんですよ。
マルグリートが登場し、昼間私に声をかけたあの青年は誰かしら?と古風なバラードを歌います。「トゥーレの王は」お后に先立たれ、形見の金の杯に操を誓った。どんな宝よりも尊い杯、祭りの日にはその杯で酒を飲み、一人涙を流した。死が訪れた時、最後の酒を飲み干し、その杯を海に投げた・・・。花?シーベルね、気が利くこと。この箱は?宝石!なんてきれいなの、見るだけならいいわよね・・・、ちょっと身につけるだけならいいわよね・・・、イヤリング、首飾りに腕輪・・・、宝石を身にまとったマルグリートはウットリ。「なんて美しいこの姿」、これが私?まるでお姫様!あの方がここにいたら私を美しいと思うわ、私はなんて美しいの!
ご近所のおばさんマルトがその姿を見て仰天、これはアンタを密かに慕う男の贈り物だよ!ファウストとメフィストが改めて登場。見つめ合う若い二人、さて、このおばさんを何とかしないことには。メフィストの大ウソ、ご主人が亡くなられまして・・・、驚くマルトですが気がかりは形見の方、形見は?それがゼロでして、なんて男!まったく、私と恋でもしますか?と甘く口説く悪魔。夢から覚めたかのように宝石を外したマルグリート、私のものじゃない・・・。なんて上品な殿方!清らかな乙女!そしてマルトを相手に少々熟れすぎ(腹こわさないかな?)と悪魔、四重唱「おからかいですの?」、おからかいなのはメフィストだけ、ファウストとマルグリートは真剣そのもの。
「もう遅いわ」とファウストを帰そうとするマルグリートですが、熱に浮かされたファウストは愛している!と迫ります。見つめていたい、その美しい顔を、目眩がしそうよ、なんて優しい声なの・・・、愛している、愛していない、花占いに乗せて二重唱が続きます。愛し合おう、永遠に!二人の感情が登り詰めた頂点で、行って!私、怖いの!と我に返るマルグリート、じゃ、明日は?明日なら・・・。去ろうとするファウストですが、そうは問屋が卸さない。先生、気は確かですか?あの娘の本音でも聞いてごらんなさいと引き留めるメフィスト。
夜の闇の中、マルグリートの声が響きます、愛されているの!彼は私を愛しているの!明日・・・明日会える!堪らず駆け寄るファウスト、抱き合う影と影、夜の闇の底の底で、悪魔が一人ほくそ笑みます。
どうだい?清らかなたたずまい?愛に満たされた家?今、その家を満たしているのは情欲・・・、暗闇で男と女がやることは一つ、決まっているだろ?
この幕のハイライトはファウストの歌う「愛に満たされた家」、そして、マルグリートの歌う「宝石の歌」でしょう。貧しくても清らかなたたずまい、天使が住む家、ファウストはマルグリートの本当の魅力を余すところなく歌い上げます。ハイCに優しく絡むヴァイオリンのソロ、リリック・テノールの名アリアは、反面、恐ろしく自分勝手な歌でもあります。天使の住む神の家に悪魔連れで来ちゃまずいだろうが。ここでのファウストは奇妙に無関心です。若さを取り戻したファウストは、その代償として思考を失ってしまいました。彼は何も考えない、ただ感じるだけ、感じるままに歌うだけ。メフィストの用意した豪華なプレゼントとファウストの歌は全く矛盾しています。天使に一番似合わないもの、それが宝石です。だからこそ、メフィストは宝石を用意しました。マルグリートは生身の女であり、天使なんかではないと証明するためであり、今宵、天使が墜ちることを知っているからなのです。
そして豪華な宝石に心を奪われたマルグリートの「宝石の歌」、彼女は自分が美しいことを自覚します。一度目覚めた女の自尊心は、その美しさを賞賛されたいという欲望を生みます。あの方がここにいたら私を美しいと思うわ・・・。彼女は今までだって美しかった、しかし、マルグリートはもはや一人で美しいだけでは物足りない、彼女はその美しさを崇める男の視線が欲しくなり、男の視線を欲した時、女はもはや無垢ではいられません。甘い賛美の言葉をねだる時、その代価として支払われるもの、それが無垢なのです。天使のような女には宝石よりも花が相応しい。しかし、マルグリートは花を捨てて宝石を選んだ。ファウストが選択したように、マルグリートも選択してしまったのです。
この二つのアリアを繋ぐもの、それがもの悲しいバラード「トゥーレの王は」です。そこで歌われているものは、幸福な時間の終焉です。互いに深く愛し合った王と后、金の杯は二人の幸福の記憶です。后に先立たれた王は、杯に酒を満たすことで去ってしまった幸福の記憶を守ってきました。しかし、それもいつか消えていく。王が死ぬ時、杯もゆらゆらと海に沈みます。どんな愛だってどんな幸福だっていつか消えていく、それを記憶している最後の人間の命と一緒に消えていく、失われないものなどありはしない・・・。マルグリートはなぜこんな歌を歌った?彼女は感じていたのです、無垢が消え去り、幸福が失われ、そして、悲劇が始まると。その悲劇は、知恵の代わりに若さを、思考の代わりに行動を、沈黙する神の代わりに饒舌な悪魔を選択したファウストがもたらすもの、同時に花よりも宝石を選択したマルグリートがもたらすものです。悲劇は選択から生まれます。何も選ばなければ何も生まれません、悲劇も、しかし、愛も歓喜も。
行って!私、怖いの!マルグリートは本能的に無垢な少女に退行しようとします。明日は?ファウストがそんな彼女を未来に押し出します。明日なら・・・、マルグリートは前に踏み出します。メフィストがその明日を否定します。明日だって?明日起こることなら今宵起こったってかまわないだろう?明日とは希望です。メフィストはファウストに若さを与え、恋を与え、しかし、決して希望は与えません。希望は欲望の天敵であり、悪魔はそれを知っています。
抱擁する恋人たちを冷たくせせら笑うメフィスト、口づけ、抱擁、性愛、それらは命を生み出す行為です。メフィストは実に繊細な目配りの演出によって、愛の一夜を実現させます。なぜって、命を憎悪しているから。命を育まないことには、命を破壊する快楽は得られません。
第四幕 汝ら罪なき者彼女を打て
管弦楽の重たい響き、オルガンの調べが絡みます。舞台は教会、ファウストの子を身籠もったマルグリートが懸命に祈ります。「主よ、お許し下さい」、罪ある身で跪くことを。沈黙する神の代わりにメフィストが答えます、許さん、祈っても無駄だ、死霊よ集え、この女を打て!悪魔の声に集まった死霊たちがマルグリートを取り囲みます。思い出せ、天使に囲まれ祈った日々、母の口づけ、神を抱いた日々、今お前を呼ぶのは地獄、永遠の苦しみ、後悔、闇・・・。
恐れ戦くマルグリートは床にひれ伏し身体を震わせています。終末の朝、この世は終わる!お前に救いはない、夜明けは来ない!何て恐ろしい声、私を締めつけるよう・・・。恋の夜、酔いしれた日々、呪われろ!地獄へ行け!メフィストの容赦のない声が周囲を圧倒します。神よ、その光で照らして下さい!私の祈りをお聞き下さい!ほとんどアカペラに近いマルグリートの声に対して、メフィストの声には強いリズムと和音が絡みます。旋律と合唱が祈りと呪いを織りなし、天国と地獄が互いに譲らず螺旋を描きます。その頂点で、あまりの恐ろしさにマルグリートは気を失ってしまいます。
通りではマーチが響いています。兵士達が帰郷したのです。戦いは終わった、家に帰ろう、愛しい人よ、もう泣くな、戦いは終わった!平和がやってきた、恋人よ、友よ、語り明かそう!帰還兵の中にはマルグリートの兄ヴァランタンもいます。生きて帰ってきた、妹が待っている、シーベル!妹は元気か?しどろもどろのシーベル、ヴァランタン、家には帰らない方が・・・いえ、つまり・・・、神よ、彼女をお守り下さい。
メフィストとファウスト登場、お前はこの家に不幸をもたらすとふてくされるファウスト、あのね、彼女に会いたいんでしょ?だったらお早く願いますよ、この後約束があるんです。楽しいワルプルギスの夜、何しろ、私は悪魔なんでね。ドアを開けたい?では歌が必要ですよ。
悪魔が歌います、「眠ったふりをせずに」、この足音が聞こえるだろ?恋人が呼んでいる、恋人?ドアを開けてはならない、結婚するまではね。愛を、キスをくれ!恋人達は騙し合う。お笑いだね、キスはお預け、結婚するまでは、指輪をするまでは。不気味な高笑いに彩られたグロテスクなセレナーデ、悪魔はとうとう本性を表します。
怒り狂ったヴァランタンが登場します。お前らのうちどっちだ?俺の妹をたぶらかしたのは!愛する人の兄と剣を交えるなんて僕にはできないと躊躇するファウスト、決闘くらい自分でやって下さいよ、と悪魔。妹がくれたお守りのメダル・・・こんなものいるか!やれやれ、すっかりアタマに血が上っている、悪魔としてはこの手の方のお相手は願い下げなんですがね。激しい音楽が決闘を描き、4度目に剣が交わった時、絶望的な和音が響きます。ヴァランタンの胸に食い込むファウストの剣・・・勿論メフィストの仕業です。
人々が集まります。死んでる?いや、まだ生きている。マルグリートが駆け寄ります。今更なんだ?お前のために俺は犬死にだ、妹を拒絶する兄、悪の道に走り、汚れた女、行け、罪を背負って。もう遅い!死ぬまで呪われろ!兄の言葉にマルグリートは打ちのめされます。神を罵るのか?許せば許されるのに、人々の祈りの声が辺りを重たく漂い、この世を去っていく怒れる魂を見送ります。妹よ、呪われろ!死に神がベッドで待っているぞ!主よ、死にゆく罪人を許されよ・・・。
マルグリートの嘆き、どうやらファウストはトンズラを決め込んだ様子です。相手に逃げられては「できちゃった婚」もできません。神にすがるマルグリートと彼女を地獄へ引きずり込もうとするメフィストの対立は、非常に凝った構造になっています。メフィストが実に道徳的に「正しい」のです。彼は悪魔です。真の悪徳を推奨すべきなのです。おねーちゃん、その赤ん坊困るだろ?殺しちゃえば?あんたはまだ若いし、これから先面白いこといっぱいあるよ、ガキがいたんじゃそれもできない、邪魔だろ?彼氏逃げたんだろ?殺しちゃえよ・・・、これが悪魔のとるべき対応でしょう。ところが、ここでのメフィストは堂々たる「善人」ぶりを発揮します。罪ある女には救いはない!永遠に後悔せよ!これは悪魔のセリフではありません。
ここでのメフィストは悪魔ではないのです。彼は「正しい人」を演じることで、自分は正しいと信じて疑わない人間は、実は悪魔よりも恐ろしいことを見せつけます。
悪魔の予言通りにファウストに殺されるヴァランタン、第二幕の「剣のコラール」では見事にメフィストを封じ込めた彼ですが、ここでは全く無力です。ヴァランタンは妹を許すことができません。なぜなら彼も自分が正しいと信じているからです。妊娠した挙げ句に恋人に去られたマルグリートにとって、兄ヴァランタンはたった一人すがることができる人間なのに、彼は妹を拒絶します。彼の「正しさ」がそうさせるのです。可哀想に、独りぼっちで辛かっただろ?俺が帰ってきたんだから安心しろ、俺がお前を守ってやる、世間が何と言おうと守ってやる、お前は間違いを犯した、でも俺は許す、神が許さなくても俺は許す・・・、もしもヴァランタンがこう言ったとしたら、彼の剣は悪魔を打ち砕いたに違いないのに、彼の「正しさ」が彼の命を奪います。
しかし、ファウストの思考停止はかなりの重症です。マルグリートにもう一度会いたい、愛しているのなら、兄妹に土下座して許しを請えばいいでしょう。恋人の兄と剣を交えることなんてできない、ならば剣を捨てて彼に殺して貰えばいいでしょう。殺されたってしかたない状況なのです。愛をくれと悪魔と契約をしたのはファウストなのです。その愛がこのざまです。愛?愛だって?何と呼ぼうと勝手だけどね、ただの欲望じゃないか、お互いに相手の下着の中が気になるってだけなんだろ?メフィストはファウストが焦がれるほどに求めた愛を踏みにじります。悪魔の本領発揮のこのアリア、メフィスト役最高の聴かせどころです。
聖書にこうあります。不倫した人妻を石で打ち殺そうとする人々にイエスはこう言いました。「では、あなた方の中で罪を犯したことのない人が石を投げなさい」、誰一人石を投げることはできませんでした。キリスト教だけでなく、この世のあらゆる宗教が寛容を説いています。その宗教が争う時の恐るべき不寛容さ、未だに世界中で起こっている悲劇の原因です。自分は正しいと信じて疑わない人間の恐ろしさ、声高に正義を演じる悪魔、許すことができない兄、そして何かが間違っていると感じつつ、結局何もできない思考しない若者、マルグリートの地獄はどこでもない、今ここにあるのです。
ある司祭の言葉を思い出します。地獄は本当にあるのか?と問われた司祭はこう答えます。勿論ありますよ、でも、神は無限にお優しい方なので、できたときから空っぽ、誰もいないんですけどね。
神の作った地獄は空っぽでも、人間の作った地獄はあらゆるマルグリートで満員のようです。
第五幕 救われる者から救う者へ
幻想的なワルプルギスの夜、魔物たちの饗宴が繰り広げられます。ソプラノによる魔女たちの合唱、6部合唱で魔界の扉が開かれます。死せる古代の王女たち、華やかな娼婦たち、ファウストには刺激が強すぎる光景ですが、メフィストは粋にグラスを掲げて美女たちと楽しんでいます。闇よりわき起これ、光よ!美女とともに喜びの限りを!この〜、色男の悪魔!
第三幕の愛の二重唱「もう遅いわ」の旋律が登場し、ファウストはマルグリートの幻を見ます。青ざめた花嫁、首に真っ赤なリボンが、マルグリート!
悲壮な前奏曲、舞台は薄暗い牢獄、マルグリートはファウストとの間の赤ん坊を殺し、夜明けと共に処刑される運命です。メフィストに伴われて宙から登場したファウストは、何とか彼女を助けようとします。「胸が張り裂けそうだ」、絶望に狂った彼女、マルグリート!しかし、正気を失っているマルグリートは訳の分からないことを口走っています。愛しい人、会いに来てくれたのね、思い出すわ、出会った時のこと・・・美しい人、お散歩でも・・・、散歩はいつも一人ですの・・・。
行こう!時間がないんだ!必死のファウストの言葉もマルグリートには届きません。お花が咲いて、香って、毎晩あなたを待っていたわ・・・、ここにいましょう・・・。
しびれを切らしたメフィストが登場します、何やってんです?夜が明ける、急いで!
悪魔!そこにいるのは悪魔よ!早く追い払って!天使よ、集って、主の元に私の身体を運んで、主の愛に包まれて、運んで、この身体を、この心を!手が・・・血で赤いわ・・・、あっちへ行って!私、あなたが怖いの!
狂った女、必死の若者、そして悪魔の三重唱の高まりの頂点で、マルグリートは息を引き取ります。
「裁かれた!」メフィストが叫びます。「救われた・・・」、天使たちの合唱がゆっくりとわき起こり、やがて全てを満たします。主は来たれり、御国より、救いの御子を讃えよう、主は来たれり・・・。
ワルプルギスの夜の場面は華麗なバレエが楽しめます。魔物たちのどんちゃん騒ぎ、しかし、グノーの音楽はあくまでも清らか、おどろおどろしさよりも華麗さに耳を奪われます。肉欲の快楽の頂点で、ファウストはマルグリートの幻を見ます。妊娠させた挙げ句にトンズラ決め込んだ男は、やっとのことで事態の深刻さに気付きます。
マルグリートを救うためにブロッケン山から飛んできた悪魔、はて?何で?何で彼女を救いたい?メフィストはとことん悪魔です。彼は知っています、恋人に捨てられ、恋人に兄を殺され、我が子を殺したマルグリート、彼女にとって「生」こそが地獄であることを。牢獄から「救い出す」ことで、生き長らえることで、その地獄が持続することを。しかし、そんな悪魔の思惑はファウストには関係ありません。彼はともかくマルグリートに生きて欲しいのです。死ぬよりも辛い生があることが、彼には分からない。
そんな彼らの思惑を狂気の中で否定するマルグリート、彼女はここで初めてメフィストの姿を見ます。悪魔!愛しい人、あなたの後ろには悪魔がいるわ、だから私はあなたにはついていかないの。そんなマルグリートに苛立つファウスト、彼はこれから起こることを回避しようとしているわけですが、マルグリートには今ここに、この瞬間に愛しいファウストがいる、それだけで十分なのです。ファウストを支配しているのは合理性であり、マルグリートを支配しているのは、不合理ゆえの自由です。時よ止まれ、お前はあまりに美しい・・・、一瞬の永遠を与えられたのはファウストではなく、マルグリートです。
その一瞬の永遠のためにマルグリートは死を願います。薄暗い牢獄、冷たい鎖、狂った理性、でも、愛する人がここにいる、一緒にいる、だから、主よ、私の身体と心を運んで下さい!今この時を永遠にして下さい!その力強い声。ファウストはマルグリートを救うつもりで登場しましたが、ここで立場が逆転します。狂気の中で一瞬の永遠を生きるマルグリートは完全に自由です、生命からも、時間からも、悪魔からも。ファウストは現実に囚われていますが、マルグリートは現実を超えて空を飛びます。
「裁かれた!」、メフィストの声を天使が圧倒します、「救われた・・・」、マルグリートは死んで地獄へ行くのではない、生きていることの地獄から救済されるのです。
グノーの優しさが心に染み込みます。神は人間の罪をあがなうためにたった一人の我が子の命さえ犠牲にした、マルグリートは全てを神に委ねます。彼女は、私の身体と心を運んで!と歌いますが、どこへ連れて行けとは言いません。神が彼女を運ぶ先は天国?地獄?そんな単純な疑問すら彼女にはないのです。狂気の彼女は狂気ゆえの純粋さで信じています、どこであろうと、神が運んでいってくれるところこそが天国、たとえ地獄でも天国なのだと。悪魔であるメフィストは、極めて悪魔的な計算違いをしてしまいました。天国と地獄は、「どっちに行くの?」という不安がなければ意味がない。時が止まったとき、この瞬間が永遠になったとき、不安などあろうはずもありません。
グノーの清らかな旋律と深い宗教的洞察は、マルグリートを救済される者から救済する者へと変貌させます。このオペラでは、ゲーテのファウスト第二部のラスト、ファウストの救済が描かれていません。描く必要もない、音楽を聴けば分かります。マルグリートに救えない者などありはしない・・・。
1958年のクリュイタンス盤、ゲッタの輝かしいファウスト、ボリス・クリストフのメフィストはどこか憎めなくて、ロス・アンヘレスのマルグリートはファウストでなくても惚れ込む愛らしさ。1966年のボニング盤、コレッリ、サザランド、そしてギャウロフ、無敵の美声トリオ、コレッリのフランス語の発声が少々ねちっこいのですが、サザランドの声はまさに天上の清らかさ、ギャウロフの悪魔は、なるほど、こりゃ悪魔だと納得のいく深くて底知れぬ声。1986年のデイビス盤、アライサのファウストは繊細な苦悩する若者、エフゲニー・ネステレンコのメフィストはまさに魅惑の悪魔、テ・カナワのマルグリートは控えめで弱々しく、これじゃどんな男だって守って上げなきゃって必死になります。
1975年パリ・オペラ座の映像、舞台を19世紀のパリに設定した斬新な演出、ゲッタのファウストに絡むロジェ・ソワイエのメフィストは湿り気を帯びた声と控えめな歌唱がいかにもお洒落、フレーニのマルグリート、清らかな歌唱がお見事です。
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