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プッチーニ 「ラ・ボエーム」 (2000年2月5日〜2000年2月11日の日記より)
ヴァレンタイン・デーに何を聴きましょうか?
日本では一番寒いこの時期に暖かい気持ちになれる(なれない人もいるでしょうが、それはさて置き)のがヴァレンタイン・デー。子供の頃、好きな男の子のロッカーにカードを添えたチョコレートをそっと置いて、なんて経験のある方も多いんじゃないですか?
オペラには愛が、それこそ世界中の海を埋め立てられるくらい大量の愛がありますが、この日に相応しい幸せ一杯の愛となると、意外と見つけるのが難しいものです。二人とも死んでしまう(「トロヴァトーレ」「アイーダ」「アンドレア・シェニエ」「トスカ」)とか、愛憎の挙げ句の殺人(「カルメン」「オテッロ」「道化師」)とか、あるいは裏切り(「ノルマ」)、不倫(「薔薇の騎士」「フィガロの結婚」)等々、なかなか幸せなお二人さんが見当たりません。ハッピーエンドといえば「愛の妙薬」「セヴィリアの理髪師」等がありますが、「愛の妙薬」のインテリのアディーナとヌケているネモリーノはお似合いとは言えませんし(これはこれで素敵なかかあ天下になるでしょうが)、「セヴィリアの理髪師」も後日談が「フィガロの結婚」、アツアツの二人は倦怠期を迎えています。
寒い季節でもありますし、ここはプッチーニの「ラ・ボエーム」を第二幕まで聴きましょうか。第三幕以降は今日は聴いちゃダメ。貧民芸術家たちと粋なムゼッタ、可愛いミミが意気揚々とカフェから引き上げるあのマーチでお終い、この後ロドルフォとミミは幸せに暮らしました・・・と強引に終わらせましょう。
クリスマス・イブだというのにストーブも空っぽの屋根裏部屋から始まります。詩人のロドルフォと画家のマルチェロが真剣に寒がっています。ここは一緒になって「うぅ、さぶ」と手を擦り合わせましょう。あまりの寒さにロドルフォは「珠玉の」原稿をストーブに放り込みますが、そんなものではパリの12月はしのげません。そこにバイト代をたんまり持ってショナール登場。家賃を取り立てに来た大家も追い返し、さて、繰り出そうというところでロドルフォだけが残ります。これは考えれば変です。原稿を書かないとなんて言いますが、お腹は空いているし、なんたってクリスマスですよ。パッといこう!っていうお誘いを仕事を理由に断るなんて。だいたい原稿料だっていくらも貰えないくせに。彼には予感がしたのです、ミミが訪ねてくるのではないかと。この二人、初対面のようなふりをしていますが惑わされてはいけません。同じ屋根裏住まい、これまで何回も階段ですれ違ったりしているに決まっています。
ロドルフォはお隣さんのミミがずっと気になっていたのです。ミミはどうしているか見てみましょう。今夜はクリスマス・イブ、思い切ってあの素敵な彼の部屋を訪ねてみたい、でも、あとの3人が邪魔だし・・・。ドアの隙間から外を見ていたミミ、何とお邪魔虫連中がゾロゾロ出かけていくではないですか。ということは・・・。さぁ、何と言って部屋を訪ねるか?考えたのがロウソクの火を貸して、です。これ嘘臭いなぁ。ロウソクを使う生活でマッチが一本もないなんて不自然ですよ。この後ミミは咳き込んで気を失ってしまいますが、本当は薄目を開けてロドルフォを見ていたような気がします。ロドルフォも見え透いた小細工、自分のロウソクを吹き消してしまいます。真っ暗な中でミミの落とした鍵を探す二人、これもおかしい。ロドルフォの部屋ではストーブが燃えているんです(ショナールに感謝!)。そこから火をつければ済むじゃないですか。どうして二人とももう一度ロウソクをつけようとしないのか。この二人、お互いの小細工が分かっているのです。暗闇で手と手が触れ合って、ここからが勝負、最初はロドルフォの自己紹介、「僕は詩人なんです」。さぁ、ミミは何と答えるのか?、「私は詩が好きなの・・・」おぉ、やった!見事な切り返し。ミミはロドルフォがずっと好きだったのです。もしここで彼が僕は馬車引きですと言えば、ミミは私は馬が好きなのと答えたはずです。詩人でも何でも構わない、ロドルフォが好きなんですから。
賑やかなクリスマスのパリ、ロドルフォはミミにピンク色のボンネットを買ってあげます。甘いお菓子もご馳走します(勘定は踏み倒しましたが)。ミミは何をプレゼントしたのかって?何も・・・それじゃヴァレンタイン・デーに聴くオペラに相応しくないですか?実はミミは大きなプレゼントをロドルフォに上げました。ためらいがちなノックから始まった恋、ミミは不器用な彼に「恋のチャンス」をプレゼントしたのです。最高の贈り物です。ここで第二幕はお終い、続きはハンカチを用意してまた今度聴きましょう。
「冬よ、終わるな」
毎日寒いですね。陽は短いし朝起きるのはつらいし、もう冬なんてうんざり!春よ来い、という気分のするこの頃です。春はもうすぐ、道の曲がり角辺りで待っています。でも、そんな中で「冬よ終わるな、雪よ止むな」と願っている二人がいるんです。さて、第三幕です、ハンカチの用意はいいですか?
フルートとハープの奏でる音階が静かに雪を降らせています。不器用な小細工から始まったロドルフォとミミの慎ましい恋は、早くも暗礁に乗り上げています。ミミがマルチェロに訴えます。ロドルフォが冷たい、すぐに怒るし、私どうしたらいいの?マルチェロはそれどころでないのですが(何しろ例のムゼッタ、奔放な彼女に振り回されています)、根が優しい彼のこと、ロドルフォに事情を聞いてやろうとします。「ミミはとんでもない浮気女だ」とウソを並べるロドルフォ、このウソは彼を母親のように見守ってきたマルチェロには全然通じません。ロドルフォは本当のことを言います。ミミは結核が悪くてもう長くない、ところが僕ときたら相変わらずの貧乏詩人、薬どころか薪も満足に買えない。僕と別れて金持ちのパトロンを見つけた方がミミは幸せなんだ・・・って、すごい理屈・・・。ミミが病気ならちゃんと面倒見てやらんかい!と言いたくなります。ロドルフォは若いんです。彼はミミの運命を直視することができず、そこから逃げ出そうとしています。青春の真ん中にいるロドルフォにとって、死とは単なる抽象的な言葉に過ぎません。死ぬのはいつだって誰か他の人であって、自分やミミが死ぬことを受け入れることができないのです。どんな無茶をしたって自分だけは死なないと思っているのが若さです。若さとは時には残酷なものですね。
隠れていてこれを聞いたミミ、彼女は自分が遠からぬうちに死ぬことを知ります。このまま一緒にいたら彼が苦しむ、私、やっぱり出ていこう・・・死ぬであろう自分よりも残されることになるロドルフォを気遣う・・・ミミはここで一足飛びに大人になります。大人とは死ぬことを知っている人間です。二人は抱き合ったまま語り合います(隣ではムゼッタとマルチェロが賑やかに大喧嘩しています)。冬の寒さの中に一人きりはつらい、春になって花が咲いたら別れよう、冬よ終わるな、雪よ止むな・・・。
でも地球が回っている限りきちんと春はやって来ます。第一幕と同じ「貧民芸術家のテーマ」で幕が開くと、これも第一幕と同じ屋根裏部屋、去っていったミミを懐かしむロドルフォ、そして何回目かの喧嘩別れをしたムゼッタを思うマルチェロ。この二人のしんみりした雰囲気は長続きしません。ショナールの仕入れてきたシケた食事を前に、4人は貴族の宴会ごっこではしゃぎ回ります。そこにムゼッタが瀕死のミミを伴って現れます。ロドルフォのそばで死にたい・・・ミミはパトロンのところから逃げ出してきたんです。医者と薬を・・・右往左往するみんな、ここでのそれぞれの描写はとても精緻で美しいと思います。マルチェロはムゼッタからイヤリングを受け取ってそれを売りに行きます。今の彼にはムゼッタに対する気負いも意地もありません。とても素直にムゼッタのいうことを受け入れます。コリーネは大切なコート、手強いパリの冬を相手に一緒に闘った「戦友」であるコートをそっと売りに行きます。いつも目端の利くショナール、一番生活力のある彼は何もできずに呆然としています。陽気な現実主義者、こんな時一番頼りになりそうなショナールが何もできない。彼もやっぱり若いんです。
ムゼッタは手を暖めるマフを持ってきます。ミミの冷たい手、全てはそこから始まりました。二人の小細工で作り上げた真っ暗闇で手が触れ合った時、ロドルフォはミミの手を握りしめ、何て冷たい手、僕が暖めてあげると言いました。そのミミの小さな手を暖めるマフなのです。ミミはロドルフォのプレゼントだと思って喜びます。それを優しく見ているムゼッタ、蓮っ葉で気の強い彼女の中には、こんなにも繊細で思いやりのある女が同居しているんです(マルチェロ、君がどんなにひどい目にあっても彼女に惚れている理由がよ〜く分かる!)。ロドルフォとミミは思い出に浸ります。ミミに未来がない以上、二人が共有できるものは思い出だけです。それを遠巻きに見つめている友人たち。そしてミミの命は静かに消えていきました。ロドルフォは動かないミミの身体を抱き、その小さな手を握りしめています。彼の体温が今少しの間はミミの手を(あのクリスマス・イブのように)暖めています。それもつかの間、生命を失ったミミの手はどんどん冷たくなっていくでしょう。失われたものは決して帰って来ません。
「ミミ!」ロドルフォの叫びが胸に突き刺さります。ミミ、ロドルフォが冬の最中に出会った春、クリスマス・イブに突然現れたリボンをかけた素敵なプレゼント、「僕は詩人です、貧乏だけど夢の世界では百万長者なんです」と彼が少し背伸びをして自己紹介した時、「私、詩が好きなの」と答えたミミ、彼がロウソクを吹き消し、鍵が見つからないふりをし、何とか時間を稼ごうとしたことを知っていたミミ。そして二人の恋がつらいものになってしまった時、優しく立ち去ってくれたミミ。だって、あのクリスマス・イブ、思い切ってロドルフォの部屋のドアをノックすることで全てを始めたのはミミなのですから。たった今、ミミはロドルフォを自分の死によって大人にしたのかも知れません。ロドルフォは今では知っています。失うことの恐怖、でもそれを避けていては大切なものは決して手に入らないということ、思い切ってドアをノックすることで得られる幸せとそれと一緒についてくる悲しみを。春が来て、溶けていく雪と一緒に、ミミと一緒に、彼の青春も死にました。喪失、死を理解した時、人は若さと引き換えに大人になるのだと思います。
さて、グショグショになったハンカチは洗濯機に放り込んで、冷たいお水で顔を洗いましょう。なんでって?それは当然、もう一回最初から聴くためです。このラ・ボエーム、ただの感傷的な青春オペラじゃないんです。実は相当に曲者、ある意味で画期的なオペラなのです(しつこく続きます〜)。
平凡な男と平凡な女が歌う非凡なオペラ
「ラ・ボエーム」は非常にバランスの良いオペラだと思います。ミミ、ロドルフォそしてムゼッタには、それぞれに相応しい旋律のテーマソング(「動機」)が振られ、情景を描き出す音の筆の冴えはプッチーニの作品中でも群を抜いています。第一幕と第四幕は全く同じ「貧民芸術家のテーマ」で幕を開けます。溌剌としたとてもテンポの良い若々しい旋律です。第二幕の幕開けは「カフェ・モミュスのテーマ」、トランペットのファンファーレ、ボエームたちの浮き立つようなクリスマス気分が聴いている方にも伝染してしまいます。第三幕ではフルートとハープの音階がしんしんと雪を降らせて、聴いているだけで寒くなります。
低音3人にもそれぞれ素敵な見せ場があります。第一幕で陽気な音楽家ショナールはバイト先での出来事を面白く語ります(あとの3人はご馳走に夢中でだ〜れも聞いていませんが)。第四幕の最初でマルチェロはムゼッタを忘れられない素直な気持ちをロドルフォとの男声二重唱で訴えます。そして、コリーネは「古い外套よ」で大切なコートへの別れに託して幸せな日々が過去になった悲しみを歌います(ミミの死が青春の死であることを、哲学者である彼は悟っているのです)。
登場人物たちは均整のとれた関係を描きます。屋根裏のボエームたちは一つの家族と見ていいでしょう。何かとロドルフォを気遣う優しいマルチェロ(母親)、普段はぶっきらぼうでも、いざとなると身ぐるみ剥いでも金を作ろうとするコリーネ(父親)、行動力があって、でもどこか抜けているお人好しのショナール兄ちゃん、そして内弁慶の甘えん坊、末っ子のロドルフォ・・・。ミミとムゼッタも内向きと外向きにきちんと描き分けられています。ミミはロドルフォしか見ていませんが、ムゼッタは男を手玉に取るくらい朝飯前、ミミの旋律が慎ましく叙情的なのに対して、ムゼッタのワルツは華やかさが際立ちます。
何よりも彼らはみんな普通の若者です。王様も伯爵も、ジプシー女も英雄も出てきません。普通の若者ですからみんな善良です。少々ずれてはいますが(若者っていうのはたいてい少しずれています)優しさと夢と憧れを持っている、どこにでもいる人間なのです。そこから生まれる型破りのアリア。第一幕、数ある愛のシーンの中でも最も美しいものの一つに上げられるミミとロドルフォの出会いの場面です。ロドルフォの「何て冷たい手」、最高で三点ハ、ハイCまで持ち上がるアリアですが、歌詞を読んでみて下さい。「僕の話を聞いて下さい。僕は誰か?僕は詩人です。何をしているか?物を書いています。夢の中では百万長者です・・・。次はあなたのことを聞かせて下さい。」、これは自己紹介、初めて出会って心を惹かれた女性に対して精一杯自分をアピールする自己紹介です。「運命」とか「永遠」とかアリアの常套句が全く出てこない、普通の言葉で語られるただの自己紹介なのです。現実世界はこの通りです。初対面で「君は僕の運命の人、永遠に離れはしない」なんて愛を告白したら、ミミは警察を呼ぶでしょう。ミミのお返しは「私の名はミミ」、「ミミって呼ばれているの、本当はルチアなんだけど。絹やリネンに刺繍をしています。そう、詩が好き・・・。あとは、そうね、変な時にお邪魔しちゃった迷惑なお隣さんかしら。」、こちらもただの自己紹介、何て平凡な言葉。プッチーニはありふれた会話をオペラの華、アリアに仕立てたのです。
彼は当たり前の言葉を当たり前でない際だって美しい旋律に乗せました。ロドルフォもミミも、一言も愛しているなんて言っていません。ここで熱く愛を告白しているのは、言葉ではなく旋律の方なのです。そして二人で「愛らしい乙女」へ続きます。「お友達が待っているんでしょ?」「追い出す気?」「ねぇ、一緒に行ってもいい?」「外は寒いよ」「でも一緒にいたい」「それから?」、そこいら中で毎日語られている恋人達の会話です。このまま音楽を抜いて映画やテレビで使えます。大げさな言葉を排除して日常会話をそのまま使うことで、この場面は柔らかなリアリティを持ちました。
第三幕の終わり、ミミとロドルフォの切ない別れとムゼッタとマルチェロの賑やかな別れが重なり合います。「さよなら、苦しまないで。聞いて、引き出しに指輪が入っているの、祈祷書も。まとめておいてね。それからあのピンク色のボンネット、思い出にとっておいて。」「行ってしまうんだね?」、ミミがロドルフォに歌うのは何と残していく持ち物のことなんです。所帯じみてはいますが、これが現実でしょう。ムゼッタとマルチェロの大喧嘩も、「あの男と何やってた?」「何にも」「いちゃついてただろ!」「何よ、亭主のつもり?」「もううんざりだ!」「この看板屋!」「性悪女!」、はい、これが本当の喧嘩です。本当の喧嘩には「忌まわしき呪い」だの「炎と燃える復讐」だの、そんな言葉は出てきません。頭に来ている時に韻を踏んだ文語体の悪口を言える人間なんていませんからね。この日常性こそがラ・ボエームの魅力です。普通の人間が普通に語る、プッチーニは、その普通の言葉に滴るように甘い、しかし抑制の利いた旋律を絡み合わせることで、詩的に練り上げられた言葉を超えたのです。これは画期的なオペラなのです。
この作品は膨大な量の録音があります。1956年のスカラ座のヴォット指揮の録音で、マリア・カラスがミミを歌っています。声質からいうと全然ミミじゃないのですが、ずば抜けた表現力でミミになりきっています。ジョゼッペ・ディ・ステファノのロドルフォが最高!1979年にはクライバーの棒でイレーネ・コトルバスとルチアーノ・パヴァロッティ、コトルバスのイメージはミミそのもの。パヴァロッティはミレッラ・フレーニとの録音(1972年)でも瑞々しい美声を聴かせてくれます。80年代に入るとロドルフォはホセ・カレーラスの時代、METのレヴァイン盤はゼッフィレッリの演出もあって(第二幕では見ている人間をそのままパリのカルティエ・ラタンに連れていってくれます。それが第三幕では一気に冬枯れの寂しい光景、この場面の対比はゼッフィレッリならではの力技です)素晴らしい仕上がりです。ここではレナータ・スコットが(ミミじゃなくて)ムゼッタを歌っていますが、第二幕の跳ねっ返りぶりと第四幕のしっとりした優しさ、とても愛おしいムゼッタです。
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