オペラ

オペラは芳醇な葡萄酒に似ています。
こってり甘くて、きりりと清澄で、じんわり渋くて。
一口含めば一生のお付き合いが始まります。
大丈夫、決して後悔しませんから・・・。


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Leaf2009年10月26日 2009年10月26日 ガキ大将と聖職者〜プーランク 「カルメル会修道女の対話」

 秋深く、窓の外はスコンと切ないように青くて高い空が広がり、良いお天気、しかし、何だか気怠くて何もやる気がしない。そんな休日の午後、プーランクのピアノ曲や歌曲を聴きながら冷たい白ワインなんぞを頂きつつ、あぁ、グータラするとはかくも甘美なものであったのかと嬉しいような後ろめたいような気分に浸る、これはこれで人生の密やか、且つ大切な楽しみの一つであろうと思います。

 プーランクの音楽は、20世紀のヨーロッパ音楽の主流となった非和声的・非旋律的、観念的・非情緒的、要するに何言いたいんだかさっぱり分からん?当たり前だ、簡単に分かられてたまるか、どーだ、分からんだろう、難しいだろう、尖ってるだろう、カッコイイだろう、という、何かややこしくて難しいモン勝ち的な作品群の対極にあると感じます。あくまでも美しく、軽やかで、艶やかで、ちょっとコケティッシュ、パリの雰囲気そのままの(と言いましても、パリ、良く知りませんが)お洒落で心地よい旋律と洒脱なリズム。そこから浮かぶイメージは、セーヌ川の畔のカフェに座り、岸辺にたむろするジーンズとTシャツの若者たちを、そして目の前の歩道を次々と足早に通り過ぎるビジネススーツで身を固めた人たちを眺めつつ、高価な黒貂のコートを無造作に向かいの椅子の背に投げかけて、一人で甘いリキュールを楽しんでる、そう、年の頃は40歳代後半の美女。しかし、この美女、政府高官との正餐まで時間を持て余している伯爵夫人なのか、遠い昔の情事の思い出を静かになぞっているかつての名娼婦なのか、分からない、いくら眺めても分からない・・・。
 私にとって、プーランクとはそんな作曲家です。

 軽快で楽しい旋律を自在に操りながらも、バロックの厳格な和音を好んで織り込み、その間に齟齬や矛盾を感じさせない、いえ、齟齬も矛盾もちゃんとあるのですが、それが余りにも自然に流れていくものですから、齟齬として、矛盾として認識されない、プーランクのそんな手法は、「(プーランクには)ガキ大将と聖職者が同居している」(クラウド・ロスタンド)と評されました。

 ガキ大将と聖職者は、最初から同居していたわけではありません。若き日のプーランクは多分にガキ大将でした。パリの裕福な家に生まれ、名ピアニストであるビニュスに学ぶという恵まれた環境に育ち、二十歳そこそこで早くもピアニストとしての名声を手にします。フォーレの弟子であるケクランに師事して作曲を学べば、こちらも、24歳でバレエ「牝鹿」を発表(その初演は、コクトーが台本を書き、ローランサンが舞台と衣装をデザインし、ニジンスキーが振り付けるという、今からすればクラクラ目眩がしそうなほど豪華な舞台でした)、まさに絵に描いたような早熟な天才でした。

 そんなガキ大将の前に聖職者が現れます。プーランク37歳の年、親友が自動車事故で急逝、人生はある日突然、全く理不尽に手折られる・・・、友の死をきっかけにプーランクはカトリックの信仰に目覚め、宗教音楽家としての代表作である「黒衣の聖母への連祷」を書き上げます。怖いモノ知らずで育った自由闊達なガキ大将は、誰にでも必ず訪れる逃れようもない死を意識した時に、自分の中のもう一人の自分である敬虔な修道僧に気付くのです。快楽と刺激に溢れた世俗の世界と、ただひたすら神を求める己のみが存在する霊感の世界、この二つの世界を繋ぎ、同時に隔てる扉、それがこの「カルメル派修道女の対話」であろうと思います。

 12世紀、ただ「B」とのみ記されている一人の修道僧が、パレスティナのカルメル山に修道院を築いたことに起源を持つカルメル会は、現在も世界中で活動していますが、その長い歴史の中でも最も痛ましい事件は18世紀末に起こりました。

 1789年、フランス革命勃発、その後権力を握ったジャコバン派は、公安委員会や革命裁判所などをその手足として、苛烈な独裁政治を推し進めます。革命の名の下に反対派は次々と断頭台に消えていきました。ジャコバン派の指導部には無神論者や理性主義者が多く、彼らが信奉する教義・主義から見て、既存のキリスト教は「迷信の固まり(靴が合わなくて足が痛い?靴の聖人のサン・クリスプン様にお祈りしなさい)」「日和見主義(よー分からんけど、パパ様がそう仰っておられるんなら、その通りでしょ)」「敗北主義(浮き世が辛くても天国は貧しい者のためにあるんじゃから)」と映りました。特に、当時、カトリック教会の聖職者は特権階級に属していたために、カトリック教会に対する弾圧は一層厳しく、革命以来、聖職者追放と教会への破壊行為が正当化され、とうとう1793年11月には、フランス全土でカトリックのミサが禁止され、教会と修道院は閉鎖されてしまいます。祭壇や礼拝堂を飾っていた祭具は全て没収、造幣局で溶かされて革命政府の貨幣に姿を変えました。
 ジャコバン派のリーダーであるロベスピエールは、キリスト教に代わる崇拝の対象が必要と考え、「理性」を神の座に担ぎ上げました(「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」)。しかし、これってつまりは、1800年前にナザレの大工の息子が説いた神はダメ、たった今俺様が作った神を拝めということで、この清廉潔白な秀才くんが、上下をひっくり返す革命家としては有能であっても、民衆を下から上へ導く政治家としては全く無能であったことの証明でしょう。そもそも「神」とは人間のアタマで拵えられるものなのか?少なくとも、どこかのお偉いさんが昨日今日考えたものが「神」の座に相応しいくないということくらい(ミシュレ曰く「そのような神は不毛そのものである。ひからびた無である」)、たとえ学校を出ていなくても民衆はちゃんと知っていたと思います。
 しかし、1794年、この「最高存在の祭典」という曰く言い難き胡散臭さに満ちた祭は強行されてしまいました。因みに、この祭のメイン・イベントは勿論ギロチンでした。この祭典が、当のロベスピエールが処刑されたことにより一回こっきりで終了したのは、不幸中の幸いというべきか。

 こんな大混乱の中、1792年、コンピエーニュの女子カルメル会修道院の院長であったマザー・マリアは、革命政府の弾圧に対して「殉教の誓願」を立てることを修道女らに提案します。やがて修道院の建物は革命政府によって没収され、修道女たちは散り散りに。そして、1794年6月22日、マザー・マリアはパリにいて難を逃れますが、その他の修道女たちは16人全員が逮捕されます。革命裁判所での審理の結果、死刑判決を受けた修道女たちは、1794年7月17日、ギロチンによって処刑されました。そして、まるで彼女たち16人の後を追うように、7月28日、テルミドールのクーデターによって反対派に逮捕されたロベスピエールも断頭台に登り、ジャコバン派の独裁政治はようやく幕を下ろします。

 修道院とは、この世にありながら、この世に属さない場所、特に、カルメル会のような観想修道院(一旦中に入った修道士・修道女は、重い病気などの場合を除いて生涯修道院の外に出ることはない)は、私のような人間には、現実世界にポツンと開いた「異空間」のように思えます。
 「修道院長に面会した時も、この壁面の窓(格子窓)をとおしてであった。(略)面会後、その窓が閉められ、向こうで鍵のかけられる音がし、面会した相手の衣擦れの音がさやさやと何処かへ消えていくと、その窓の裏側に、測りようもない世界が明りをたたえて茫漠と開かれているのが、感じられるのであった。」
 「この修道院のパンフレットを読むと、節眠、節食とある。徹底した禁欲主義を原理とするカルメル会は、生命を維持するために必要な睡眠の量と食事の質の他は、睡眠のなかの快楽の要素も、食事のなかの快楽の要素も、禁じようとするものらしい、と私には思われた。」(高橋たか子 「カルメル会修道院」)。
 己を空っぽにして神で満たす、この孤独な作業には、ぎりぎりのところで生きる、つまりは、死を隣に感じる環境が必要なのでしょうか。私の生きているこの世界のあちらこちらに、こんな場所がある、こんな生き方を選択した人たちがいる・・・。

 このオペラの原作は、「悪魔の陽の下に」や「田舎司祭の日記」のジョルジュ・ベルナノスです。ベルナノスといい、モーリアックといい、20世紀初頭のフランスの小説家の作品には、宿命のように信仰の問題が登場します。モーリアックの作品には、既に神を信じることができず、しかし、神を否定することもできず、形だけの信仰への疑問に苦悩する人物が登場するのに対し、ベルナノスの作品には、20世紀にあってもなお、原初のままの信仰を掲げて生きようと苦悩する人物が登場するように思います。しかし、この対照的な二人にあっても、「彼らの知らぬ間に、彼らの内部のもっとも奥深いところから、呼びかけ、引きつけている、あの存在、あの燃える潮」(モーリアック 「愛の砂漠」)という表現が唐突に、そして重たく登場するのです。この「存在」、どうやっても、何をもってしても、否定することはできても消去することは決してできない「存在」、日本人の私がつくづく、フランスは遠いのだと感じるのはこんな時です。

 「詩を歌に移し替えることは、愛の行為であって、便宜的な婚姻ではないのだ」、ベルナノスの言葉を一つ一つ旋律に載せていく、プーランクにとって、それはガキ大将と聖職者の緻密な共同作業であり、そして、密やかな愛の行為でもあったのでしょう。


参考文献:「ジョルジュ・ベルナノス著作集」(ベルナノス著 春秋社) 「フランシス・プーランク」(アンリ・エル著 春秋社)



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