オペラ
| オペラは芳醇な葡萄酒に似ています。 こってり甘くて、きりりと清澄で、じんわり渋くて。 一口含めば一生のお付き合いが始まります。 大丈夫、決して後悔しませんから・・・。 |
2009年11月13日 第一幕 「キリストの死の苦しみのブランシュ」〜プーランク 「カルメル会修道女の対話」 (2)
1789年春、ド・ラ・フォルス侯爵の館、うたた寝をしている侯爵にその息子である騎士が声を掛けます、ブランシュは今どちらに?妹に何の用かね?民衆が騒いでいるようですので心配なのです。群衆、暴動、あの数え切れない程の憎悪の目を私は見たのだ!侯爵は突然取り乱します。あの日、妻はブランシュを産んで死んだ、あの日も外では群衆が騒いでいた・・・、そのせいか、あの娘は感じやすいようだ。そういえば妹の眼差しには呪われたような光が見えますね・・・。しかし、あの娘の馬車は丈夫だし警護もついている、案じることはなかろう。
ドアが開きブランシュが登場。ブランシュ、兄上が話があるそうだ、騎士様がこの子ウサギにご用ですか?ド・ダマスから聞いたのだが、彼は広場で君の馬車を見たと、君は怯えもせず立派だったと話していたよ。危険は冷たい水と同じ、最初は息が詰まっても首まで浸かれば慣れてしまうものですわ。雲が出てきたな、ブランシュ、部屋に下がるのなら燭台を用意させなさい、一人でいてはいけないよ。君は陽が落ちると憂鬱になる、小さい頃、私は毎晩死んで毎朝生き返るって言っていたね。お兄様、本当の甦りの朝は復活祭の朝だけ、毎夜味わうのはキリストの神聖な死の苦しみなのです、そう言い残してブランシュは退室。
ドアの向こうから叫び声が聞こえます。何ごとだ?ブランシュ様のお部屋に燭台を灯しましたところ、私の影に驚かれて・・・、従僕が狼狽えます。あぁ、お父様!怯えきっている娘を侯爵が宥めます、取るに足らないことだ、忘れなさい。いいえ、取るに足らないことにも神のご意志が刻まれているはず。申し上げなくては、私はカルメル会の修道院に入ることに致しました。カルメル会に?臆病だからといって、勇気を持てないからといって、この俗世を捨てるというのはいかがなものかな。俗世が怖いのではありません、ただ俗世は私が生きていけない場所なのです、私は人の立てる小さなざわめきに耐えられないのです。それは俗世に生きよという神の与え給うた試練であろうに、それを超えられないと?どうかお願いでございます、天なる神は私の命にも何か計画をお持ちのはず、ですから、全てを神に捧げ、全てを棄てて、神に私の誇りを取り戻していただきたいのです。ブランシュの決意は揺るぎません。
数週間後、コンピエーニュのカルメル会修道院の一室、院長とブランシュが格子を挟んで対峙しています。この肘掛け椅子を院長の特権と思わぬように、これは修道女たちが病身の私を気遣ってのこと、恥を忍んでの快適さなのです。俗世を捨て去ることは喜ばしいことでございましょう?私どもの会則が厳しいことを恐れてはおられないのですね?その厳しさに惹かれるのです。なるほど、しかし、人は、山は越えられても小石に躓くものですよ。
気高い生活に憧れます!それは幻想では?幻想ならば覚めさせていただきとう思います。神がお試しになるのは貴女の力ではなく貴女の弱点なのですよ、ここは祈りの家、私たちはただ祈るだけ、祈りを信じない人間にとって私たちはただの寄生虫でしょうが、人は皆神を信じることができます、たとえ一人の羊飼いの祈りであっても全人類の祈りになり得るのです、・・・泣いているのですか?歓びの涙です、私の魂は院長様のお側に飛び立とうとしております、私には他に隠れる場所もないのです。修道院は貴女を守ってはくれませんよ、私たちが修道院を守らねばならないのです、しかし・・・、貴女は既に修道女として新しい名を選んでいるのでは?はい、「キリストの死の苦しみのブランシュ」と呼ばれたいと思います。なるほど、では、心安らかにお行きなさい。
更に数週間後、修道衣に身を包んだブランシュとコンスタンスが食料品を選り分けています。また空豆!噂では小麦粉の買い占めのせいでパリではパンが足りなくなるとか。ほら、アイロン!前から欲しかった大きなアイロン、これでもうあのシスター・ジャンヌの「これじゃできねーんだわ」も聞けなくなるわ。あれを聞くと私、田舎を思い出すの、ティリィの村、私が修道院に入る前に結婚式があったの、みんなで一日中踊ったわ!コンスタンスったら院長様のお加減がお悪いのにそんなにはしゃいで、ブランシュが窘めます。勿論、院長様のためなら私の命を差し上げるわ、でも、59歳って死んでもいいお年でしょ?貴女は死ぬことが怖くないの?ブランシュ、私は人生が楽しいの、だからきっと死も楽しいと思うの、神に仕えることが楽しいの、だからイヤなことだって楽しそうにできるわ。神はウンザリしておいでかも!ブランシュ、貴女、わざわざ私を苦しめにいらしたのかしら?いえ、ただ私は貴方が羨ましいの、私が?その私はさっき無分別なことを言ってしまったわ、一緒に跪いて二人の命を院長様の代わりに捧げますと祈りましょう!貴女、私をからかっているの?いいえ、私は若いうちに死にたいだけ・・・、ブランシュ、私、貴女を見た時に願いが叶ったって知ったの、どんな願い?神のお恵みで年をとらなくて済むこと、私たちは同じ日に一緒に死ぬだろうということ。コンスタンス、貴女、どうかしているわ、そんなこと許せないわ!・・・ごめんなさい、ブランシュ、貴女を侮辱するつもりはなかったの。
院長の病室、ベッドの傍らにはシスター・マリー、院長様、お苦しみは昨夜以来お静まりでしょうか?あれは魂の微睡みに過ぎないわ、先生は私は後何日生きられると?院長様はお強いからと・・・。30年間死について瞑想して、それが今になって何の役にも立たない!ブランシュはどこ?彼女はあの名を変えようとはしなかったと聞きました。はい、「キリストの死の苦しみのブランシュ」と呼ばれることを望んでおります。私もかつてその名を選んだの、彼女については私の責任です、彼女が気になります、だから、マリー、貴女にブランシュを預けます。かしこまりました。ブランシュに欠けているものが貴女にはあります、でも注意してください・・・、ブランシュが来たようですね。
ブランシュがベッドの傍らに跪きます。貴女は一番の新参者、だから私は貴女が可愛いのです、今の私が貴女に上げられるのは惨めな死だけ・・・。聖人たちは自らの運命に逆らおうとはなさいませんでした、逆らうことは常に悪魔の業なのですよ、神が貴女の名誉を引き受けられたのですから安心して、さぁ、さようならを言わせてください。祝福を受けてブランシュは退室します。
医師登場、先生、あの薬をもう一度頂けませんか?そのお体ではもうあの薬には耐えられますまい、あのアルコールの薬では?他の薬でも構いません、お願いです!院長様、どうか神のことだけをお考えになって・・・、神?この惨めな私が神を思い煩って何になると?院長の罵り声が外に聞こえてはとマリーが窓を閉ざします。マリー!院長様?礼拝堂は汚されて、祭壇は割れて、敷石には血が流れる、神は我々をお見捨てになるのです!神は人間をお諦めになったのです!
院長に再び呼ばれて、ブランシュは恐る恐る病室に入ります。怖い、死ぬのが怖い・・・、死ぬのが怖い・・・、瀕死の院長が繰り返します。しかし、その言葉とは裏腹にその身体の動きはどんどん弱っていきます。院長様は、お望みです・・・、ベッドの傍らのブランシュが呟きます、院長様は・・・、こうなることをお望みになったのです!
バスティーユ襲撃が数ヶ月後に起ころうとしています。侯爵と騎士の言葉から革命の恐怖がもうすぐそこに迫っていると感じられます。毎日どこかで起こる暴力沙汰、暴力というものは自分の身に降りかからなくとも、見聞きするだけで人の心を蝕んでいくもの、そんな血生臭い熱を帯びた空気の中、父も兄も、暴動のあった日に母の命と引き替えにこの世に生を受けた、人一倍感じやすいブランシュを案じています。暗く、気怠く、抑揚なく、まるで床を低いところを探しながらゆっくりと這っていく血溜まりのような旋律が、静かに何ものかを溜め込んでただじっと爆発を待つ、時代の圧倒的な重苦しさを描きます。
この第一場、次々と質問が放たれ、しかし、答えはどこにも見当たりません。
馬車が貧民たちに取り囲まれた時には「立派な態度だった」ブランシュが、自分の部屋の灯りを点けにきた従僕の影に怯える、ブランシュが恐れているものは、暴徒でもなければ暴力でもないのです。では、いったい何なのか?
院長とブランシュの対話、院長はかつての自分と同じ名前を選んだブランシュに若き日の自分を見ています。つまり、院長もかつて何かに怯えて何かから逃れようとカルメル会の扉を叩いたのでしょう、しかし、何から?祈りだけが自分の存在を正当なものとしてくれる、どんな小さな者の祈りでもそれは全人類の祈りとなり得る、院長の言葉はどこまでも正しく、どこまでも立派で、しかし、なぜか空井戸に石を投げ込んだかのように空虚に響きます。その空虚に向かってきりきりと一人舞い上がっていくブランシュの危うさ、そこには「心安らか」と呼べるものはありません。あるのは奇妙な熱狂と墜落の予感。
コンスタンスは嬉々として死を語ります。年をとらずに死ねるのは幸せ、生きることが楽しいのなら死ぬことだって楽しいわ、コンスタンスにとって死は、空豆やアイロンと同じ、日常の一部なのでしょう。彼女が語る思い出から分かること、それは彼女が貧しい育ちであることです。コンスタンスにとって修道院は逃げ場でも隠れ場でもない、満ち足りた場所なのです。そして、彼女は修道院より素晴らしいであろう場所をただ一箇所だけ知っています、それは天国、コンスタンスはそれを微塵も疑っていません。「私たちは同じ日に一緒に死ぬの」、この言葉に激しく動揺するブランシュ、いつかは分からないけれど、しかし必ず訪れる「死ぬ」ことが恐ろしいのか?それとも農村出身の純朴過ぎるコンスタンスと「一緒に」が侮辱なのか?
院長は、瀕死の床にあって神を罵ります。神のために捧げた生涯を、ひたすら祈り続けた生涯を、最後の最後になって神を恨む言葉によって破壊するのです。激しい苦痛に苛まれているならば、死は甘い救済のはず、しかし、彼女は「死ぬのが怖い」とボロボロの身体に執着し、生に爪を立てて必死にしがみつくのです。この場面、十字架の上のイエスの言葉、「主よ、主よ、何故私をお見捨てになったのですか?」と重なり合います。イエスも想像を絶する苦痛の中、神に必死に問うた、問わずにはいられなかったのです。しかし、イエスがその後に続けた「主よ、全てを御手に委ねます」が院長にはありません。それは神の子ではない人間には許されない境地なのか?「キリストの死の苦しみ」、院長と同じ名を選んだブランシュは、その無様な、しかし、偽りのない剥き出しの死に何を見たのか?
対話だけで構成される短い場面が、寂しい木管と暗い弦によって次々と繋がれていく構成、プーランクの旋律は、ドラマを描くのではなく、シンフォニーを奏でるのでもなく、ただただ人物の語る言葉の本質のみを削り出します。
2009年10月26日 ガキ大将と聖職者〜プーランク 「カルメル会修道女の対話」 (1)
秋深く、窓の外はスコンと切ないように青くて高い空が広がり、良いお天気、しかし、何だか気怠くて何もやる気がしない。そんな休日の午後、プーランクのピアノ曲や歌曲を聴きながら冷たい白ワインなんぞを頂きつつ、あぁ、グータラするとはかくも甘美なものであったのかと嬉しいような後ろめたいような気分に浸る、これはこれで人生の密やか、且つ大切な楽しみの一つであろうと思います。
プーランクの音楽は、20世紀のヨーロッパ音楽の主流となった非和声的・非旋律的、観念的・非情緒的、要するに何言いたいんだかさっぱり分からん?当たり前だ、簡単に分かられてたまるか、どーだ、分からんだろう、難しいだろう、尖ってるだろう、カッコイイだろう、という、何かややこしくて難しいモン勝ち的な作品群の対極にあると感じます。あくまでも美しく、軽やかで、艶やかで、ちょっとコケティッシュ、パリの雰囲気そのままの(と言いましても、パリ、良く知りませんが)お洒落で心地よい旋律と洒脱なリズム。そこから浮かぶイメージは、セーヌ川の畔のカフェに座り、岸辺にたむろするジーンズとTシャツの若者たちを、そして目の前の歩道を次々と足早に通り過ぎるビジネススーツで身を固めた人たちを眺めつつ、高価な黒貂のコートを無造作に向かいの椅子の背に投げかけて、一人で甘いリキュールを楽しんでる、そう、年の頃は40歳代後半の美女。しかし、この美女、政府高官との正餐まで時間を持て余している伯爵夫人なのか、遠い昔の情事の思い出を静かになぞっているかつての名娼婦なのか、分からない、いくら眺めても分からない・・・。
私にとって、プーランクとはそんな作曲家です。
軽快で楽しい旋律を自在に操りながらも、バロックの厳格な和音を好んで織り込み、その間に齟齬や矛盾を感じさせない、いえ、齟齬も矛盾もちゃんとあるのですが、それが余りにも自然に流れていくものですから、齟齬として、矛盾として認識されない、プーランクのそんな手法は、「(プーランクには)ガキ大将と聖職者が同居している」(クラウド・ロスタンド)と評されました。
ガキ大将と聖職者は、最初から同居していたわけではありません。若き日のプーランクは多分にガキ大将でした。パリの裕福な家に生まれ、名ピアニストであるビニュスに学ぶという恵まれた環境に育ち、二十歳そこそこで早くもピアニストとしての名声を手にします。フォーレの弟子であるケクランに師事して作曲を学べば、こちらも、24歳でバレエ「牝鹿」を発表(その初演は、コクトーが台本を書き、ローランサンが舞台と衣装をデザインし、ニジンスキーが振り付けるという、今からすればクラクラ目眩がしそうなほど豪華な舞台でした)、まさに絵に描いたような早熟な天才でした。
そんなガキ大将の前に聖職者が現れます。プーランク37歳の年、親友が自動車事故で急逝、人生はある日突然、全く理不尽に手折られる・・・、友の死をきっかけにプーランクはカトリックの信仰に目覚め、宗教音楽家としての代表作である「黒衣の聖母への連祷」を書き上げます。怖いモノ知らずで育った自由闊達なガキ大将は、誰にでも必ず訪れる逃れようもない死を意識した時に、自分の中のもう一人の自分である敬虔な修道僧に気付くのです。快楽と刺激に溢れた世俗の世界と、ただひたすら神を求める己のみが存在する霊感の世界、この二つの世界を繋ぎ、同時に隔てる扉、それがこの「カルメル会修道女の対話」であろうと思います。
12世紀、ただ「B」とのみ記されている一人の修道僧が、パレスティナのカルメル山に修道院を築いたことに起源を持つカルメル会は、現在も世界中で活動していますが、その長い歴史の中でも最も痛ましい事件は18世紀末に起こりました。
1789年、フランス革命勃発、その後権力を握ったジャコバン派は、公安委員会や革命裁判所などをその手足として、苛烈な独裁政治を推し進めます。革命の名の下に反対派は次々と断頭台に消えていきました。ジャコバン派の指導部には無神論者や理性主義者が多く、彼らが信奉する教義・主義から見て、既存のキリスト教は「迷信の固まり(靴が合わなくて足が痛い?靴の聖人のサン・クリスプン様にお祈りしなさい)」「日和見主義(よー分からんけど、パパ様がそう仰っておられるんなら、その通りでしょ)」「敗北主義(浮き世が辛くても天国は貧しい者のためにあるんじゃから)」と映りました。特に、当時、カトリック教会の聖職者は特権階級に属していたために、カトリック教会に対する弾圧は一層厳しく、革命以来、聖職者追放と教会への破壊行為が正当化され、とうとう1793年11月には、フランス全土でカトリックのミサが禁止され、教会と修道院は閉鎖されてしまいます。祭壇や礼拝堂を飾っていた祭具は全て没収、造幣局で溶かされて革命政府の貨幣に姿を変えました。
ジャコバン派のリーダーであるロベスピエールは、キリスト教に代わる崇拝の対象が必要と考え、「理性」を神の座に担ぎ上げました(「もし神が存在しないなら、それを発明する必要がある」)。しかし、これってつまりは、1800年前にナザレの大工の息子が説いた神はダメ、たった今俺様が作った神を拝めということで、この清廉潔白な秀才くんが、上下をひっくり返す革命家としては有能であっても、民衆を下から上へ導く政治家としては全く無能であったことの証明でしょう。そもそも「神」とは人間のアタマで拵えられるものなのか?少なくとも、どこかのお偉いさんが昨日今日考えたものが「神」の座に相応しいくないということくらい(ミシュレ曰く「そのような神は不毛そのものである。ひからびた無である」)、たとえ学校を出ていなくても民衆はちゃんと知っていたと思います。
しかし、1794年、この「最高存在の祭典」という曰く言い難き胡散臭さに満ちた祭は強行されてしまいました。因みに、この祭のメイン・イベントは勿論ギロチンでした。この祭典が、当のロベスピエールが処刑されたことにより一回こっきりで終了したのは、不幸中の幸いというべきか。
こんな大混乱の中、1792年、コンピエーニュの女子カルメル会修道院の院長であったマザー・マリアは、革命政府の弾圧に対して「殉教の誓願」を立てることを修道女らに提案します。やがて修道院の建物は革命政府によって没収され、修道女たちは散り散りに。そして、1794年6月22日、マザー・マリアはパリにいて難を逃れますが、その他の修道女たちは16人全員が逮捕されます。革命裁判所での審理の結果、死刑判決を受けた修道女たちは、1794年7月17日、ギロチンによって処刑されました。そして、まるで彼女たち16人の後を追うように、7月28日、テルミドールのクーデターによって反対派に逮捕されたロベスピエールも断頭台に登り、ジャコバン派の独裁政治はようやく幕を下ろします。
修道院とは、この世にありながら、この世に属さない場所、特に、カルメル会のような観想修道院(一旦中に入った修道士・修道女は、重い病気などの場合を除いて生涯修道院の外に出ることはない)は、私のような人間には、現実世界にポツンと開いた「異空間」のように思えます。
「修道院長に面会した時も、この壁面の窓(格子窓)をとおしてであった。(略)面会後、その窓が閉められ、向こうで鍵のかけられる音がし、面会した相手の衣擦れの音がさやさやと何処かへ消えていくと、その窓の裏側に、測りようもない世界が明りをたたえて茫漠と開かれているのが、感じられるのであった。」
「この修道院のパンフレットを読むと、節眠、節食とある。徹底した禁欲主義を原理とするカルメル会は、生命を維持するために必要な睡眠の量と食事の質の他は、睡眠のなかの快楽の要素も、食事のなかの快楽の要素も、禁じようとするものらしい、と私には思われた。」(高橋たか子 「カルメル会修道院」)。
己を空っぽにして神で満たす、この孤独な作業には、ぎりぎりのところで生きる、つまりは、死を隣に感じる環境が必要なのでしょうか。私の生きているこの世界のあちらこちらに、こんな場所がある、こんな生き方を選択した人たちがいる・・・。
このオペラの原作は、「悪魔の陽の下に」や「田舎司祭の日記」のジョルジュ・ベルナノスです。ベルナノスといい、モーリアックといい、20世紀初頭のフランスの小説家の作品には、宿命のように信仰の問題が登場します。モーリアックの作品には、既に神を信じることができず、しかし、神を否定することもできず、形だけの信仰への疑問に苦悩する人物が登場するのに対し、ベルナノスの作品には、20世紀にあってもなお、原初のままの信仰を掲げて生きようと苦悩する人物が登場するように思います。しかし、この対照的な二人にあっても、「彼らの知らぬ間に、彼らの内部のもっとも奥深いところから、呼びかけ、引きつけている、あの存在、あの燃える潮」(モーリアック 「愛の砂漠」)という表現が唐突に、そして重たく登場するのです。この「存在」、どうやっても、何をもってしても、否定することはできても消去することは決してできない「存在」、日本人の私がつくづく、フランスは遠いのだと感じるのはこんな時です。
「詩を歌に移し替えることは、愛の行為であって、便宜的な婚姻ではないのだ」、ベルナノスの言葉を一つ一つ旋律に載せていく、プーランクにとって、それはガキ大将と聖職者の緻密な共同作業であり、そして、密やかな愛の行為でもあったのでしょう。
参考文献:「ジョルジュ・ベルナノス著作集」(ベルナノス著 春秋社) 「フランシス・プーランク」(アンリ・エル著 春秋社)